無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2001年03月24日(土) 女の子が好き!/アニメ『フリクリ』6巻/『低俗霊DAYDREAM』1巻(奥瀬サキ・目黒三太)ほか

 土曜の朝は『サイボーグクロちゃん』の再放送で一日が始まる。
 ……別に始めるつもりはないんだが、女房が、土曜はそれで始めちゃうんだものだから仕方ないのだ。確かに今日もいきなり空母シージャック事件は起きるわアメリカの船長が切れまくりだわ、子供向けアニメとは思えぬノリで面白いんだが。これが原潜だったら時期が時期だけに再放送でもヤバかったかな。

 朝から女房と天神にお出掛け。
 ここ何日か、女房を置いてきぼりにすることも多かったので、まあ、女房サービスである。と言っても、「一緒に行こうよう」なんて優しい言葉は決してかけず、「ついて来るか?」なんてぶっきらぼうな言い方しちゃうからいつも冷血漢扱いされちゃうんだが。
 ベスト電器の『LIMB』で予約しておいたDVDを買いこむ。
 毎月買っているDVDは先月あたりでほぼ全部買い終わっていたのだが、今月は『ガメラDVDBOX』というオオモノがあるので使うおカネに変化はあまりないのであった。
 しかも『ジャッキー・チェン ポリス・ストーリーセット』なんてものも見つけちまったもんでさあ。ああ、つい衝動買いしちまったぜ。ウチではジャッキー・チェン作品は無条件で傑作と認めることになっているので、こういうものは買うしかないのである。エアチェックで充分と言う意見は却下。
 中国語からの輸入版で石丸博也の吹替えが聞けないのはちょっと残念だったけど、これでウチにはDVD『ポリスストーリー四部作』が揃ったのであった。
 ベスト電器の玄関ではなぜか餅つきをしていて、つきたての餅を売っている。そりゃお彼岸だからってことなんだろうけど、客寄せに餅つきする電器屋ってのも珍しいよな。しかも隣ではタコ焼きまで売っている。彼岸とたこ焼き、なんの関係があるのだ。6個入りで300円、結構大きいのでまあ安い方か。
 女房がいかにもものほしそうにヨダレを垂らしていたので、ひとパック買って、市役所前の広場でひなたぼっこしながら分けて食べる。タコがでかくて底から抜けている。これって生煮えってことかもと思いつつもともかく食う。
 結構それだけでおなか一杯にはなったのだったが、女房はまだ口寂しい様子だったので、天神コアのなんとか言う(店の名前忘れた)うどん屋で再度昼飯。カツ丼を分けてやると、女房、この世の幸せを全て満喫したような笑顔で貪り食う。……いいよな、人生の幸福の2/3が食うことで占められてるやつって。

 帰宅して、DVD『フリクリ』6巻(完結)を見ていたら、突然の横揺れ。
 福岡は他地方に比べて比較的地震が少ないところで、体感できるような地震は数年に一回くらいしかない。東京にいたころはしょっちゅう微震を感じていたので、こげなところに住めるなんて東京人は肝が太かぱい、と思っていたものだった。久しぶりだったので、ああ、地震だなあ、どのくらい続くかなあ、とのんびり構えていたが、マンション全体が、ゼリーがプルプル震えるみたいに少しずつ揺れがひどくなっていく。平積みしていたビデオや本の山がふにふに踊りだし、ラックの上に置いてある作画用の人形モデルもケツをふりふりダンスしている。
 寝室にいた女房が、私の名前を呼び、「どうする!?」と哀願するような声をあげる。縦揺れが来れば震源地は近い。しかし横揺れだけならなんとか収まるんじゃないかと女房に「大丈夫だよ。もう収まるよ」と声を掛ける。様子を窺っているうちに、揺れは少しずつ小さくなっていった。棚から何かが落ちてくることもなく、危険は去った模様。時刻は午後3時28分、時間にして1分もなかったろう。
 あとでニュースを見ると、福岡の震度は3、震源地の広島では縦揺れもあり震度は6、落ちてきた壁や鉄骨のせいで死んだ人も2人、怪我人も160名以上出たそうな。規模的には阪神大震災と同程度だそうだが、震源地が深いためにさほどの被害は出なかったとか。だったら阪神と比較だってしなきゃいいと思うが。ひどい地震には違いないが、針小棒大にコトを大きくしたがるマスコミも見ていていやらしい。
 笑えるのは内閣府防災担当の「地震被害早期評価システム(EES)」で、地震発生直後に「死者165人、建物の倒壊7377件」とはじき出している。このEESってどんな基準でそんな数字をはじき出したんだ。政府の科学技術ってこの程度のものなのかね。実際、日本の「震度」の決め方は5年前まで科学的なものでもなんでもなく、人間の「体感」で測っていたとか。「震度計」が導入されたのが1996年ってんだから真面目に取り組む気があるんだかないんだか。
 天災って、ある程度回避できる努力はしとかなきゃなんないけど、結局は運不運なんだよなあ。
 
 マンガ、奥瀬サキ原作・目黒三吉作画、『低俗霊DAYDREAM』1巻読む。
 『低俗霊狩り』の直接の続編ではなくリニューアル、と言った感じ。主人公の崔樹深小姫がSMの女王様だったり、謎の使い魔(?)「鬼縫」の登場など、新たに加わった設定はあれど、ギャグとシリアスのコンビネーションが快い面白さに変わりはない。
 それでも、やはり奥瀬さん本人の絵で流香魔魅の活躍が見たかったなあ、と思うのは、いかにも出版社との折り合いが悪そうな奥瀬さんが心配だったりするからである。

 アニメ『フリクリ』最終6巻。
 内容書こうとしたら殆どネタバレになっちゃうから書けないんだけど、最終的に「平凡な日常」に対する逼塞感と、そこから脱却したいって少年の思いが「大人のオンナ」にむけられるというあまりにストレートな表現にちょっと頬染め。
 ……簡単に言っちゃえば、少年は女の肌に触れて大人になるってコトっスよね。うーん、構造的にはこれ、まんま『麻雀放浪記』ではないの。ってことはハル子さんは加賀まりこか。ハル子さん本人は「私は少年の日の幻影」ってどこぞで聞いたようなセリフを吐いてたが。
 SF色を排除したって言ってたけど、SFのためにSFをムリヤリ作ってみたってしょうがないので、この話ならこれで充分。むしろもっと排除したっていいくらいである。アマラオの眉毛を海苔にしなくったっていいし(分りやすい表現だけどね)、メディカルメカニカのアレが実はアレだったってのもどうだっていいし。というか、1巻の段階で思っていたが、謎が謎のままで終わったって全然構わない物語なのである。
 ……ラストでは『銀河鉄道999』よりも、とり・みきの『ぼくの宇宙人』を連想した人もいるんじゃなかろうか。泣きそうになる手前でサラリと流す感覚は好きである。

 DVD『タイムトラベラー』、最終回だけとは言え、幻の「少年ドラマシリーズ」記念すべき第1回作品を再び見られる日が来ようとは……! ああ、生きててよかった!
 世のSFファンのみなさん、これが元祖『時かけ』、元祖芳山和子ですよ。原田知世も南野陽子も内田有紀も中川奈奈もみんな本作主演の島田淳子さんのエピゴーネンでしかないのです。
 後に芸名を浅野真弓と変える島田さん、中年になっちまった今の私の眼で改めて見ると「ちょっとかわいい女子中学生」、という感じだが、小学四年生の当時はホントに「きれいなお姉さん」という印象だったのだ。……15歳なんだけどね。ああ、ぷっくらほっぺもセーラー服のリボンがズレているのもかわいいぞ!
 ええ、ええ、ファンでしたとも。76年の『敬礼!さわやかさん』なんて誰も知らない主演ドラマまで毎回見てましたよ、私は。いやあ、元祖『逮捕しちゃうぞ!』って感じでこんなきれいな人にならやっぱり逮捕されちゃいたいナ、だって婦警の制服がなんとも健康的かつセクシャルなんだもの……って当時私ゃいくつだ。
 アグネス・チャンが歌ってた主題歌だって未だに歌えるぞ。「あァっさ〜がきます〜、そよ風〜も吹きます〜、あとあァ〜なァた〜がァいれェばァ〜」(歌うなっちゅ〜の)。
 だから80年の『ウルトラマン80』で目の下にクマ作って出演してた時には、「ああ、お姉さん、何があったの!?」って泣いたものです。……しかし小学生のころからヒロイン目当てで特撮見てた私って、なんてスケベだったんだ。
 それにしても『タイムトラベラー』の放映は1972年、昭和47年である。別にそんなに昔というわけでもない。昭和46年から始まった『帰ってきたウルトラマン』や『仮面ライダー』は全話しっかり残されているのに、NHKだけがビデオテープをどんどん破棄していったっていうのはバカとしか言いようがない。批判はこの当時からされていたはずだが、この後もNHKはアホンダラな行為をどんどん続けるのである。
 おかげでいくら私などが「脚本家の石山透って人、凄かったんだよ、『タイムトラベラー』も『新八犬伝』も『プリンプリン物語』もみんな石山さんが書いたんだ!」と言っても若い人には通じない。再放送がないから説明のしようがないのだ。
 長らく幻であったがゆえに思い出の中で美化されすぎている面はある。俳優たちの演技は一本調子だし、視力障碍者を考慮したと見られる説明的なナレーションもくどい。何より予算がないのがバレバレでセット撮影がチャチ。
 しかしそれを補うにあまりあるハードなSFマインドがここにはあるのだ。原作にはない、戦時中にタイムスリップする老婆のエピソード、病気で死にかけた娘を過去から現代へと連れてこようとするが、タイムパラドックスに阻まれ、老婆は歴史の流れに押しつぶされて消滅してしまう。それをなす術もなく見ているしかない和子とケン・ソゴル。
 二人の別れも含め、石山透ははっきりこの『タイムトラベラー』シリーズ(『続』もあるのよ!)を「悲劇」と位置付けて脚本を書いたそうだが、その視点が後のリメイク作品には決定的に欠けている。時間とは、それ自体、悲しみの象徴であるのだ。
 だから『時かけ』映像化の最高傑作はやはりこの『タイムトラベラー』で決まりなのである。
 ……大学時代、「原田知世はいい!」と叫んでいたことはとりあえず置いとく。

 DVD『ガメラ 大怪獣空中決戦』、金子修介監督、蛍雪次郎、中山忍のコメンタリーで再見。
 やはり何度見ても飽きないし、中山忍が最高に美しい。ギャオスが福岡ドームで射殺されるのを中山忍の長峰が真正面から見据えるカット、あれは特撮映画史上、最高に美しいといってもいいアップなのではないか。映画を始めて見ていた時から、「長峰はギャオスをある意味愛し始めているのだな」と思っていたのだが、金子監督がしっかりラストでそのことを「浅黄がガメラにシンクロしているのと同様に長峰はギャオスに心引かれるようになっている」と語ってくれたのが嬉しかった。やはり映画は「愛」の物語であるのだ。
 われわれ怪獣ファンは映画を見ている間ずっと、怪獣に片思いをしているようなものだ。その心情を代償してくれるキャラクターがゴジラシリーズには見られない。かつて子供のころ、私はゴジラよりガメラが圧倒的に好きであったが、それはもちろんガメラが「子供の味方」であったからだ。馬鹿馬鹿しい設定と笑ってはならない。ゴジラの背中に乗りたいとは思わないが、ガメラの背中には乗って空が飛びたいなあ、と思わせるだけの魅力を子供に感じさせたのはその設定ゆえにである。かつてのガメラシリーズより、平成三部作はリアルにはなったが、その思いだけは浅黄と長峰が観客の代弁してくれているのだ。
 欲を言えば、たとえ多少リアルさを犠牲にしても、浅黄がガメラの背中に乗るシーンが見たかったなあ。

 CS時代劇チャンネルで『鞍馬天狗』第5話『地獄の門』を見る。
 アレですよ、杉作が実は女の子でお姫様だったというアレですがな。いやあ、伊藤つかさがかわいいのなんの! もう大学当時アルバム何枚も買ってましたからね。エンディングテーマの『夕暮れ物語』も未だに歌える……ってホントに今回女の子の話ばかりしてるな、私。
 1時間で終わるはずのない原作をダイジェストで詰め込んでるからスカスカで、それを更に人情話で補ってるから、まるで鞍馬天狗じゃなくなってるんだが、財津一郎の近藤勇という珍キャストが見られるというおトクな要素もありはする。まあ顔だけは財津さん、ホンモノの近藤に似ちゃいるんだが。
 このテレビシリーズ以降、『鞍馬天狗』は市川崑監督の単発もの、中井貴一・ビートたけし出演のテレビスペシャルしか作られていない。小説としての面白さ、ミステリーとしての完成度は、他の時代劇ヒーローものの中でも群を抜いているのだから、また映像化してもいいと思うんだがなあ。 

 ウィリアム・ハンナも死んでしまった。
 遺作は監修だけだけど、やはり映画版『トムとジェリーの大冒険』ということになるのだろうか。
 MGMを離れて、テレビシリーズを乱発してからのハンナ&バーベラは実はあまり好きではない。『チキチキマシン』も『原始家族』や『宇宙家族』も、アニメーションとしての面白さは全くといっていいほどなくなってしまっているからだ。
 それでも私たちの世代にとって、ハンナ&バーベラの名がディズニーよりも遥かに大きいことは認識しておかなければならない。テックス・アヴェリーの短編とともに毎日5時半から放映されていた『トムとジェリー』シリーズは何度見ても笑えた。純粋なスラップスティックギャグは、時代を越えても面白いということをチャップリンやキートンに出会う前に子供たちの脳裏にすりこんでくれていたのが『トムとジェリー』だったのである。
 今度のディズニーの新作『ラマになった王様』、ディズニー初の純粋ギャグアニメだそうだが、さて、果たしてハンナ&バーベラやテックス・アヴェリーのレベルに少しでも近づけるかどうか。

 ホームページ用の原稿その他をチビチビ書きながら午前様。
 夜の時間がやはり一番落ちつく。
 女房はさっさと寝てしまったが、明日の練習のためのシノプシスは出来あがっているのだろうか。女房、いつもは夜の勤務なのに、明日の朝、急なミーティングが入って遅刻するので、代わりに私が練習場を開けねばならないことになっているのである。
 よしひと嬢も明日は来れないし、ネタがないとこちらも話が進められないんだがなあ。


2001年03月23日(金) ストレス解消!/映画『サトラレ』/『犬夜叉』20巻(高橋留美子)ほか

 ふう、明日から連休、今日でやっと一息ついた。
 いろいろとシバリのかかった仕事してるせいで、ここ数日は顔面が痙攣しまくってたんだが、休みに入った途端に収まってしまった。心因性なのは明らかなので、ひどくなるようなら医者に罹らにゃならんかなあ、失神するようにストンと落ちちゃうのも病気なのかなあ、と、いったん気にし始めると、どんどん気になっていくのである。
 とりあえずまだ意味不明な言葉を口走ったり、同じ言葉を繰り返したり同じ言葉を繰り返したり同じ言葉を繰り返したりはしていないと思うのでほちょぷってん、日常生活にうんがらな支障を来たしてはいないし支障を来たしてはいないだろうが、ほりゃっぴうるぴっぴょで大丈夫だとは思うが、用心に越したことはないし用心に越したことはないので、うげうがぷりたんへてかるぴ、大丈夫だろう。

 今日は夜、一緒に映画に行こうと約束していたのに、女房、蒲団を被ったまま出て来ない。何度声を書けても起きないので、諦めて今日出かけるのはやめようかと思っていたら、8時になってやっと起きてくる。てっきり出かけるのかと思ったら、映画の時間に間に合わないから行きたくないと言う。
 ウチから天神まで自転車で30分で行けるのに、9時の上映にどうして間に合わないのか、言ってる意味が分らない。ゆっくり行ったって45分で行ける距離なのに。だが、毎回女房は寝過ごすと頭がパーになるので、もう間に合わないと思いこんでしまっているのである。
 こうなるといくら「まだ充分間に合うよ」と言っても聞く耳持たない。押し問答をしても仕方がないので、また一人で出かけることにする。
 8時10分にウチを出て、天神東宝に着いたのは8時40分であった。映画は9時10分からなので30分も早い。全然余裕であった。



 映画は『サトラレ』。
 『踊る大捜査線』『スペーストラベラーズ』に続く本広克行監督作品。なんだかんだと文句つけながらやっぱりこの人の映画、好きなのかな。毎回設定だけは興味引くんだよなあ。
 でも東宝は興行的には既に本広監督に期待はしてないようだ。天神東宝では一番小さなコヤで、百人、入らないんじゃないか。やっぱり前作の『スペトラ』がコケたのが影響大なのだろう。
 金曜の夜で少しは客が多いのか、場内は30人ほど。殆どが女性同士のグループで安藤政信のファンと思しい。一人で来てる男性も若干名。天神東宝名物の(と言うほどのもんか)「むき栗」を買って座席に陣取る。
 出だしのツカミはまあまあ。24年前の飛行機事故でたった一人助かった少年、これが後の「サトラレ」になるのだなあ、とは当然予測されることなんだが、救命隊員の「サトラレ発見!」のセリフで、ああ、この世界では「サトラレ」が認知されてるのだなあ、というのが解る仕掛けになっている。……救命隊員の中にオモシロ事件の特番なんかで結婚詐欺師とか暴力亭主とかやたらと犯人役を演じてる鼻の大きな優男風のヒトが出てたが、あの人なんて名前なのかなあ。
 でも冒頭から空撮は延々続くわ、かけつける隊員をスローモーションで延々映すわ、音楽はまだ状況がはっきりわかんないのにやたら荘重だわ、意味なくくどい描写は今までの本広克行映画と同じ。たいていの映画評でも今までこの「くどい」描写をなんとかせい、という批判が出ていたのに、この監督、それがいいのだと信じきってるらしい。
 ともかく、これ以降、「あ、このカット要らない」「ここ3分カットできる」ってシーンが続出。ああ、たるい。
 それでも前半は思念波が外にもれまくりな主人公の周囲で右往左往する人々を描いていて、しかもその俳優たちに芸達者をそろえてるものだから実にいい味が出ているのだ。病院の食堂のオヤジなんか、ほんのチョイ役なのにこれを高松英郎が演じてる。
 サトラレを監査する役の鈴木京香も、実にいい表情をする。最初は全くサトラレの安藤政信から相手にされてないのに、これも仕事だからと近づいていくうちに逆に惚れられてしまう。でもその思念波がストレートに伝わっていながら気がつかないふりをせねばならない時の嬉しいような困ったような引きつった表情がかわいい(はあと)。で、その表情もサトラレに「かわいい」と思われちゃうのだ。どうすりゃいいんだか(^^)。まあ全く精神分析医に見えないというネックはあるんだけど。
 でも最高にいいのはサトラレのばあちゃん役の八千草薫である。
 いいよいいよと聞いてはいたけど、ホントにこんなにいいとはなあ! この映画を見て全く泣かなかった庵野秀明が唯一「八千草薫がいい」と言っていた理由がよく解る。イマイチな脚本を八千草さんの演技が十全にカバーしているのだ。これはもう「理想のおばあちゃん像」と言ってよいであろう。どんなにいいかは映画をまだ見てない人のために書かないでおくけど、『ガス人間第1号』と合わせて私はこの二本を「八千草薫SF二部作」と呼ぶことにしたぞ(^^)。
 しかし後半、物語がコメディからシリアスに転換していくあたりから、脚本の齟齬が露呈していく。ドタバタコメディで処理するならともかく、シリアスにしちゃうと、サトラレの思念があたり障りのない「いいひと」的なレベルを超えないことの不自然さが露呈してくるのだ。人間の心って、きれいごとばかりのはずがないからね。それで映画はもう一人のサトラレを出して、欲望だの憎しみは全部そいつにおっかぶせちゃった。
 でも、これって姑息な手段なんだよなあ。本来、主役一人にサトラレ的特徴は集約させるべきなのにそれを分散させているってのは、結局、この監督が客に迎合しているからなのである。いや、それよりもっと悪い。監督は堂々とこれを「泣きの映画」と宣言してるのだから。
 客は汚いものなど見たくはない。サトラレが心の奥底の黒い思念を周囲に振りまくキャラであったら、客は拒否反応を起こして決してそいつに感情移入しない。だから、主役はあくまで純粋で子供のような心の持ち主と設定する。そうすることで、サトラレの悲しみを観客は自分の悲しみであるかのように感じて泣くことができる。姑息と言うより卑怯な手段かな。
 当然、「そんな純粋な人間が現実にいるか」という思いを抱くやつも出るだろうから、「いや、決して人間を表面的に捉えてるわけじゃないんですよ」と客とヒヒョーカをだまくらかすために、もう一人の「醜い」サトラレを出した、と、そういうことなのですね。
 しかし、この程度の欺瞞で客を泣かせることが出来ると監督が考えてるってのは、あまりに客をバカにしてはいませんかねえ?
 でも会場の客たち、泣きまくってたんだよなあ。ああ、なんでみんなこんなにコロリと騙されちゃうのかなあ。
 人間は誰でもどこかドス黒いものを持ってて、それを含めた上での人間なのである。それを認識しない人間描写など、ただの差別だ。これを見て無条件で泣く客ってのは、自分自身の醜い部分から目を背け、他人の欠点だけを糾弾して平気でいられる無自覚な偽善者である。
 さて、ならばエラソーな口叩いている私自身がどうだったかというとしっかり泣かして頂きました(^o^)。だって私は偽善者だもの。
 多少他の客と泣き所が違うとは言え(私が映画見て泣くのはたいてい「悔し涙」で、今回も「あんなばあちゃん欲しかったなあ」である。ウチのは祖母さんもお袋も因業ババアだったしな。だから好きだったんだけど)、泣いたことに変わりはないから偽善者であることは否定できんわな。で、その偽善者的なところも人間のドス黒い部分なので、目くじら立てずにお互い許しあいましょうよ。さあ、みんなで泣いてりゃ恐くないよん。
 本広監督、なんで庵野監督と対談したのかなあ、と思っていたら、実はこの映画にも『エヴァンゲリオン』の影響があるのである。このサトラレって、結局「ボクをいい子だといってよ」「ボクを好きになってよ」っていうキャラなんで、やっぱりシンジくんなのである。で、実際に「うん、君はいい子だよ」って言ってもらえるという「癒されたい人間」にとってはもう嬉しい映画。これでラストが「あんたって気持ち悪い」で終わってたら凄かったと思うが、まあ迎合映画でそんなことは絶対しない(『エヴァ』にはまって、そのあと憑き物が落ちたように「『エヴァ』なんてさあ」といってたオタクは多いが、よく見てりゃ最初から「癒されたいオタク」に冷水を浴びせるドラマを庵野監督が作ろうとしてたのは一目瞭然だった。だからラストで怒るくらいなら自分のオタクとしての洞察力のなさを恥じるべきなのである。あくまで癒されたいオタクさんはこの『サトラレ』や『ギャラクエ』系の映画だけを見ていればいいのだ)。
 なんかこう書いてると見る価値ない映画のように聞こえるかもしれないが、そんなことはないのである。「癒され系」の映画を否定したいわけじゃなくて、「それ一辺倒じゃ困る」と言いたいだけなのね。例えば世界のアニメが全てディズニー製作になっちゃったらイヤじゃないですか?
 欠点も多いが、ラストまでサトラレが自分自身がサトラレであることに気がつかずに終わる点は「嘘」=「虚構」の力を信じていることの表れであろうから評価できるし、少なくとも八千草薫の絶品の演技はぜひ見ていただきたいものだ。演出のクドさを一人の女優の爽やかな演技が緩和している稀有な例を見ることが出来ます。

 映画の帰り、どうせ女房が拗ねてるだろうと、土産にコンビニで串カツを買って帰る。帰宅すると案の定「面白かった?」と聞いてくるので、土産を渡して「うん、最高だった! お前もレディースデイに見て来いよ」と言う。
 「泣いた?」
 「泣いた泣いた。八千草薫がよくってさあ」
 「ああ、死んだんでしょ」
 「……どうしてそう思うの?」
 「だってあんた、人が飛んだか死んだかすると泣くもの」
 そういう見切り方はないよなあ。でも否定が出来ない(^_^;)。
 多分、女房が『サトラレ』を見ても泣くことはまず有り得まい。女房の性格、庵野さんによく似ているからである。

 マンガ、高橋留美子『犬夜叉』20巻。
 アニメ化されたおかげで少し物語が延命している感じだが、本来、高橋さんはこういう妖怪同士の戦い(といいながら実質的にはジャンプ的なトーナメント対決)は合わないと思うんだがなあ。「必殺技」まで出て来たんじゃ白ける。「ライバルのインフレ現象」がもう相当進んでるし、『らんま』の時もそうだったけど、終わりどきを見失ったマンガは辛いよなあ。

 『キネ旬』4月上旬号、アメリカ映画のオールタイム興行収入トップ100のリストが載っていたので、漫然と眺めていて驚いた。
 いや、1位はもう周知の通りタイタニックなんだけど、殆どの作品が70年代以降、いや80年代以降に集中しているのに対し、例外が2作品だけあるのである。
 33位の『風と共に去りぬ』と49位の『白雪姫』であり、どちらも1930年代の製作。
 物価を考えると、今の10分の1、いや20分の1くらいの入場料金でこの記録である。実質上のトップ2はこの2作と言っていいのではないか。
 どのくらいその映画がヒットしたかというのは、興行収入ではなく、どれくらいの人が見たか、ということだと思うのに、入場者数が公表されることは少ない。特にアニメーションや特撮は入場者には子供も多いので、興行収入で比較するのはどう考えても不公平である。
 この3月のヒット映画も、『キネ旬』は『キャスト・アウェイ』と『東映アニメフェア』がともに30億突破は確実、と言っているが、なら、より客が入っているのは『アニメフェア』の方だろう。

 出かけている間に、よしひとさんから女房に電話があったらしい。
 なんでもこのところずっとインフルエンザで寝こんでいるとか。当然今度の練習も参加不可。公演の疲れが溜まってたのかなあ。
 パソコンも開けぬほどの状態らしいので、せめて電話で連絡したのだとか。
 ううむ、せっかくよしひとさんのシノプシスでいくことになったのに、相談がなかなかできないなあ。しかし風のウワサで「先なんて考えてない」とか恐い話も伝わってきてるがちゃんと形になるのだろうか(・・;)。


2001年03月22日(木) DO YOU REMEMBER?/『梶原一騎伝』(斎藤貴男)ほか

 探偵作家・水谷準と俳優・新珠三千代、死去のニュース。
 どちらも好きな方だったので、何か書こうと思って、ふとカンが働いて唐沢俊一さんの裏モノ日記を覗いてみたら、しっかりお二人について語られている。しかも私が書こうと思っていたエピソードまで同じ。
 まさしくシンクロニシティってやつなのだが、世代が近いと、その人物に対するイメージというものは自然と似通ってくるものなのだろう。
 とは言え、好きな人がなくなったというのに他の人が書いているからと言って書くのをやめるのも変な話である。特に日頃「ミステリ」という一般的な呼称を使いつつも、本当に好きなのは「探偵小説」なのだ、と思っている私が(エラそうに)、水谷準の死に何の反応もしないというのは、ファンとしての名がすたる。というわけで、唐沢さんのとあまり話がダブらない程度に書いとこう。

 「水谷準」という名前を聞いてもピンと反応する人は殆どいなくなってしまったのではないか。
 戦前、モダニズム文化の発祥、探偵小説の牙城として一世を風靡した雑誌『新青年』の編集長も勤めたが、創作、翻訳にも健筆を振るった。『お・それ・みお』や『カナカナ姫』などの幻想探偵小説は今でも各種作品集で読むことができる。丁度角川文庫で『新青年傑作選』が復刻されていた矢先だったので、興味のある方は読んでみてもらいたい。

 代表作の一つ、『恋人を喰べる話』はこんな筋である。
 浅草の歌劇団に通い詰める一人の青年がいた。彼はその歌劇団の踊子の一人、百合亞という名の少女に恋していたのだ。青年はやがて百合亞と知り合い、心を交わし合う。しかし百合亞は病魔に冒され、余命幾ばくもない身となった。百合亞はさりげなく青年に自分を殺してくれるように頼む。
 「私の首を絞めて下さらない? そしたら私はきっといい児になれますわ……」
 数刻後、百合亞は青年の腕の中で息絶える。
 青年は百合亞を庭に埋め、その上に無花果の木を植えた。
 数年の後、青年自身も胸を病み、死の床で友人に一個の無花果の実を振舞う。
 「君も僕の恋人の肉を食べては見ないか……」

 大正15年にして「ユリア」というネーミングもすごいが、清廉さと凄惨さの入り混じった独特の作風がご理解頂けただろうか。
 筋を全部明かすのはあまりよいことではないが、謎解きものではないし、他の傑作短編もまだまだあるので、そのガイドということで今回は諒とせられたい。
 タイトルから「サガワくん」や「レクター博士」みたいな猟奇的人肉くらいの話かと思った人もいるかもしれないが、そう思わせておいてさらりと流すオチが秀逸なのである。
 水谷準はあの「金田一耕助シリーズ」の横溝正史の畏友としても知られる。私の手元には、横溝正史の『真珠郎』の復刻版があるのだが、これが題字・谷崎潤一郎、序文・江戸川乱歩、口絵・松野一夫という大変なもので、その装丁を担当しているのが水谷準なのである。
 表紙を「紫」の絹地で覆い、「横溝の作品はいつまで経っても完成されない。紫という色は悟り切れない人間臭い色である」と、賞揚する。でもその「人間臭さ」はそのまま水谷自身のことでもあった。水谷は「紫の弁」をこう結ぶ。
 「横溝よ、この次には、俺が浮浪人生活をするようになったら、精魂を打ち込んだ装丁をしてやるよ。長生きをしようぜ」
 横溝正史は1981年に79歳で死んだ。水谷準は丁度20年、友よりも余計に長生きしたことになる。享年97歳。

 唐沢さんは「今まで存命であったことに仰天」と書かれていたが、横溝正史が死んだ時に、「最後の探偵作家死す」の活字が新聞に踊り、「まだ水谷準と西田政治と渡辺啓助がいるぞ」と憤慨した記憶がある。
 西田政治は1984年に91歳で死んだ。
 渡辺啓助は現在101歳、新作こそないものの、作品集が未だに再刊され続けている。

 新珠三千代が夏目漱石の『こころ』(1955年・市川崑監督版)のヒロインだった、と知ったら、テレビの『細うで繁盛記』しか知らない若い人(若くもないか)はビックリするだろうか。
 今月の『キネ旬』で、偶然にも車谷長吉がこの『こころ』を「駄作」と切って捨てているのだが、そういう意見が出ても仕方がない面がある。何しろ、第一部の「先生と奥さん」、そして第三部の「私とお嬢さん」、その間十年以上の時が隔たっているのに、演じているのは同一人物、つまり先生は当時44歳の森雅之で、奥さんが24歳の新珠三千代であったのだ。
 トシとってからのシーンはともかく、原作の設定でいけば第3部の「私」はハタチ、お嬢さんは17歳である。……森雅之にツメエリの学生服ってのはいくらなんでも無理があった。
 でも、新珠三千代は違ったのですね。下宿に帰ってきた「私」と「K」(若き日の三橋達也!)を出迎えて駆け足で玄関に飛び出してきた時の笑顔……「可憐な女学生」というのはああいうのを言うのでしょう。……コギャルも少しは見習え。
 十年後のシーンでは一転して「先生」の苦悩の理由が分らず眉をひそめる奥さんの心痛を微妙な仕草で演じきっていました。いや、うまい人でしたよ。
 演技の幅ということでなら、岡本喜八の『江分利満氏の優雅な生活』の奥さんも忘れられない。道を歩いている時にまっすぐ前を向いていながらその眼はどこか空ろでたゆたっているように見える。それに対して夫の江分利満氏(小林桂樹)、彼は現代人の空虚さにため息をついて、いかにも戦中派らしく苦虫をつぶしたような顔をしている。二人は実に対照的で、ああ、新珠さんは自分の現実以外は夫すら見ようとしない女を演じているのだな、と気づいて、舌を巻いた覚えがある。
 晩年は他の女優同様、舞台に活動の中心を移してテレビや映画に出なくなったのは寂しいことであった。

 唐沢さんが紹介している新珠さんの精神病院でのエピソードは実はデマで、出典はフランスの小話である。だから別に新珠さんでなくても、浅丘ルリ子でも三田佳子でもいいのだが、何となく新珠さんだとそれらしく聞こえてしまうのも人徳と言うものだろう。
 唐沢さんはかなり簡略化して書いているので、その全貌を(^^)。

 京都で映画の撮影中、右眼にものもらいが出来てしまった新珠三千代、ある人の紹介で、嵯峨野にある眼科医へ、撮影所の助監督を伴って出かけていった。
 ところが近くに眼科医と同姓の神経科があった。もちろん二人は迷わず神経科の方へ(^_^;)。
 院長が出て来て、新珠さん、美しいポーズですっと立ち、サンローランの絹のハンカチをちょっと眼のあたりに当てて挨拶、
 「新珠三千代でございます」
 すると院長先生、助監督に小声で聞いたことには、
 「このかたはいつから自分を新珠三千代だと思いこんでるんですか?」

 ちなみにこの話が紹介されてた本は、『シャボン玉ホリデー』や『8時だヨ!全員集合』の構成作家だった故・前川宏司の『猛爆ドジ全集』である。
 唐沢さんに教えてさしあげてもいいのだが、誰かがもう言ってそうだし、でしゃばるのもなんだからやめとこう。

 斎藤貴男『梶原一騎伝』読む。
 私を含め、現在30代後半から40代の人間で、梶原一騎作品に熱中したことのない人間は皆無だろう……って書き出しで始められないんだよね、これが。実は梶原作品で完読したことのあるもの、皆無なのである。
 『巨人の星』も『あしたのジョー』も『愛と誠』も、拾い読みしかしていない。というか子供のころはハッキリ嫌いだった。物心ついた頃からテレビアニメと言えば『鉄腕アトム』『鉄人28号』『8マン』『宇宙少年ソラン』『遊星少年パピイ』などなど、SFづけで宇宙や未来に夢をはせていた子供にとって、たかが地上の野球やボクシングごときのすったもんだが面白いはずがない。唯一好きで読んでいたのは『タイガーマスク』だったが、これは覆面プロレスラー同士の戦いを怪獣ものと同じような感覚で見ていたからである。「ちびっこハウスの子供たちのために」という偽善性は子供の眼にもイヤらしく見えていたのだ。
 「東宝チャンピオンまつり」では、『巨人の星』だけ退屈なのでロビーに出て終わるのを待っていたという生意気なガキぬだった私である。それらの作品が全て「カジワラ印」だと知った後は、飛雄馬やジョーについて熱っぽく語る連中を知性のないバカなのだと断ずるようにまでなってしまった。
 大学生になった頃、ガキの頃は偏見でものを見てたかもしれないなあ、真面目に読んでみようか、と思って読み始めたことがあったのだが、『巨人』も『ジョー』もやはりつまらなくて読み進められないのである。ともかくセリフが臭い。キャラクターがみな自分に酔いしれているばかりのバカ揃いでどう感情移入せよと言うのか。
 三十を過ぎてもう一度挑戦してみたら、このときは発見があった。『ジョー』の中で琴線に触れるシーンが結構あったのである。
 特に、ジョーが初めて紀子と二人きりで語り合い、「拳闘が好きなんだよ、真っ白な灰になって燃え尽きる……」というジョーのセリフと、「矢吹君にはついていけない」という紀子のセリフ。二人の男女のすれ違いの描写が見事であった。
 ところが、そういった私が「いいな」と思ったシーン、それらはことごとく梶原の原作にないものだったのだ。
 『タイガーマスク』の怪人たちの原案や、『聖書』についてのルリ子さんの話、『あしたのジョー』のドヤ街の子供たちとの交流、これらはみな作画を担当した辻なをきやちばてつやのオリジナルだったのである。
 あの『ジョー』の感動の最終回も、梶原の原作無視の結果だったのだ。というより、原作がどんどん手抜きになっていくので、オリジナルにせざるをえなかったと言った方が正しい。
 ちばがキャラクターを掴めなくて梶原に質問する。
 「葉子はジョーが好きなんですか?」
 適当に答える梶原。
 「そのうちわかるよ」
 しかし梶原は全く葉子の心情を描かない。仕方なくちばは最後に葉子に告白させる。
 「好きなの、矢吹くん! 私のために行かないで!」
 ……しかし、ジョーは葉子の制止を無視してホセとの試合に赴く。試合が終わり、グラブを葉子に渡す。
 「あんたにもらって欲しいんだ」
 そしてジョーは白い灰に……。
 ここには梶原の原作は全く使われていない。原作は丹下段平が戦い終わったジョーに「お前は試合にゃ負けたがケンカには勝ったんだ」と声をかけて終わるものである。……どこが面白い、こんなもん。
 この評伝は懸命に後年スキャンダルにまみれた梶原一騎の魅力を浮かびあがらせようと「子供の魂を持った人だった」と強調しているが、さて、「子供」ってことが下らんマンガ原作を書き、暴力や脅迫で良心的なマンガ家たちをつぶそうとしたことの免罪符になるのだろうか。
 いみじくも選挙に出ようとした梶原に、その母が「あんたはファシストなんだから、政治家になるもんじゃない」とたしなめたというのは、さすが息子の本質は見抜いている、といったところか。
 梶原マンガが面白かった、というのは幻想ではないのか。「飛雄馬の目がホントに燃えてやがる」と笑って楽しむならともかく、本気でアレに「猛烈に感動する」連中って、いささかヤバイと思うのである。

 4月からの卓上カレンダー、『ひめくりあずまんが』、女房が本屋で見つけてもの欲しそうにしてたので買ったのだが、単行本からの再録のイラストぱかりであったので拍子抜け。セリフをちょっ変えてはいるがそれもそんなに面白くない。
 ……しかしウチには「机」も「テーブル」もないというのに、女房はどこに置こうというのだろうか。

 晩飯は近所のカレー屋「ココイチ」で季節メニューの「あさりカレー」を食べる。辛さや量を選べるのはいいのだが、単価が高いのがこの店のイマイチなところである。
 「ココイチじゃなくてイマイチだな」というシャレを思いついたが、女房に言ったってジト目で見られるだけだから言わない。
 女房はそのまま仕事に行くので、今日は映画はナシである。物足りないので馴染みの本屋を廻り、電気屋で安売りのS‐VHSビデオテープを30本買いこんで帰宅する。この30本がひと月できれいサッパリ消えてなくるから不思議なのだよなあ。

 昨日あたりから、マンションのエレベーターに防犯カメラがついている。
 警備員室から中が見えるようになってるのだが、その警備員室に誰もいないんじゃ意味がないのではないか。
 それにそんなものがついていたら、エレベーターに乗った時に、
 「だめよ、こんなところで……」
 「体はそう言ってないぜ……」
 と、「ミサトとカジごっこ」が出来なくなるではないか。
 ……って今までそんなことやってたみたいなこと書いてるだが、誰がやるか。

  テレビ『カバチタレ!』最終回、偶然見る。
 あっ、これって法律モノだったのか。どうせクソつまらんほれたはれたのトレンディドラマだと思って全くチェックしてなかったが、結構面白いぞ。
 常磐貴子はクソ大根演技だし、『タイガーマスク』や『鉄人28号』の主題歌を意味なくBGMに流すし、つまんない要素は腐るほどあるのだが、罪に問えないセクハラ男を誘導して新たに犯罪を犯させて告訴するって手は、刑事コロンボ的で面白い。
 深津絵里も整った顔を崩して頑張っている。常磐貴子のツッコミが弱くてテンポが合わないのが難だけど。
 でも無茶苦茶面白いから見てねと人に勧めるほどじゃないのであった。原作マンガは『ナニワ金融道』の青木雄二で、女房も興味があるみたいだったから、そのうち読んでみようかな。
 ……で、「カバチタレ」ってどんな意味なの。

 夜中に仕事から帰ってきた女房、もう眠っていた私をたたき起こしてムダ毛の処理をさせようとする。
 「起こしたらやってくれるって言ったじゃない!」
 女房はそう主張するのだが、私はいったん眠ってしまうとそれ以前のことをたいてい忘れているので覚えがないのである。
 とは言え、「そんなん知るか」と言えばまた拗ね始めるのは分り切っているので、しぶしぶ始める。しかし夜の夜中、3時も回ってるってのに、女房のムダ毛を毛抜きでプチプチ抜いてる私って、何なんだろうか。
 馬鹿なのだろうな(-_-;)。



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)