無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年02月01日(木) だ〜れだ?/舞台『菜の花の沖』

 午前0時、突然、女房が惰眠を貪る私を揺さぶる。
 「起きて……私じゃ、もう分らないの」
 何のことだ?
 寝惚け眼で上半身を起こす私に、女房は電話の子機を押し付けてきた。どうやら今し方まで、誰かと電話をしていたらしい。
 「……もしもし?」
 電話の向こうの声の主は女だった。そう、ウチの劇団のある女性である。しかし差し障りがあって、ここに名前を書くわけにはいかない。
 私は彼女からある依頼を受けていた。
 確かその依頼はもうずいぶん前に果たしたはずだ。……今ごろまさか、なにか支障が?
 「……ダメだったの」
 か細く、切ない声。女は果たして泣いているのか。
 「そんなはずはない。何度も確かめたんだ」
 「でも、どうにもならないの!」
 女は明らかにパニックに陥っていた。
 私は更に細かく、指示を出した。
 「そう、そこを開いてみて。どうなってる……? おかしいな、キズ一つないなんて……。もう一度試してみて。……え? 前より酷くなってるって?」
 ともかく、私が彼女の依頼に答えられなかったことは事実のようだった。
 「どうしたらいいのか分らない!」
 「わかった、ともかくもう一度チャレンジしてみる。……いつまでならいい?」
 私は期日を確かめ、早速依頼の件にとりかかった。
 失敗の原因は分らない。しかし、手はいくつかある。かつては何度でも成功していたのだ。慌てず、時間をかけさえすれば、再び幸運は私の星の下に宿るだろう。

 ……え? もったいぶってないで、何の話か教えろ?
 ……フッフッフ、手品のタネは見せないものなんだよ。小林くん(だれやそれ)。

 先日、佐川急便の不在者連絡票が届いていたが、心当たりが思い出せず、しばらく放置していた。
 ふと、申しこんだ芝居のチケットかもしれないと気づいて、昨日慌てて連絡を入れたのだが、今日になって届いたブツを見ると、さにあらず、舞台『人間風車』のビデオであった。
 実はこれ、正月早々に申しこんではいたのだが、あとで申し込み用紙をよくよく見てみると、申し込み〆切が去年の12月半ば。
 しまった、無駄に送金しちゃった、と思って諦めていたのだが、どうやら在庫があったらしい。
 舞台のビデオはナマに比べで半分以下、もしくは限りなくゼロに近いくらいその魅力を伝えてはくれないのだが、それでもこの芝居は見る価値があろう。女房にはイマイチだったらしいが、感じ方は人それぞれ、私としては、今まで見てきた芝居の中でもベスト3に入れていいと思っているほどである。
 塩浦さん、ダーリン連れてそのうち見においでね。 

 今日は月に一度の観劇の日である(いや、ホントに月一本は生の芝居が見たいなあ)。
 夕方から出かけて博多駅ウラの八仙閣で食事。ここの「エビのマヨネーズ風味」が女房のお気に入りである。担々麺に酢豚を頼み、更に棒々鶏をウマイウマイと食べてなお、「エビマヨは食わねば〜」と皿を舐める女房を見ていてふと気づいたこと。
 こいつ、妖怪「垢舐め」に似ている! ホラ、あの舌をびろーんって伸ばして風呂桶にこびりついた垢を舐めとるというおかっぱ頭の妖怪ですよ! ……うそだと思ったら水木しげるの妖怪図鑑の類を紐解いてみてください。
 そこにいるのは女房です。

 今日の芝居は司馬遼太郎原作、ジェームズ三木脚本演出、妹尾河童美術によるわらび座公演『菜の花の沖』。
 なんとこれ、時代劇ミュージカルであった。
 いくら世界の河童さんの舞台美術とは言え、地方巡業で作りこみは到底不可能だし、大したものはできまいと思っていたが、そこそこには工夫が凝らしてあったのが立派。牢屋の格子を、中黒幕にあてた照明だけで表現してみせた手際なんかは実に見事。
 でも「ラストで舞台いっぱいに菜の花を咲かせたい」とパンフの河童さんのインタビューには書いてあったが、感動できるほどの量でもなかった。最後はやはり、空から降ってくるほどの菜の花を見てみたかったと思う。
 脚本演出は所詮ジェームス三木で、なんの期待もしてなかったし、実際その通りになっちゃってた。話によると「演出」と言ってるわりにはたまにしか顔を見せなかったみたいだから、実質的な演出家は出演者一人一人であるのだろう。
 広いものだったのは前半ラストのパーティーのシーンで演じられたロシア民謡+日本民謡のアンサンブル。いやあ、こんなにぴったりハマるとはねえ。
 振付師は苦労したかもしれないけれど、要所要所で味のある演じ方をしていた。


2001年01月31日(水) そうか、最近匂いに敏感になったのはそのせいか/『鉄甲軍団』(横山光輝)

 通院の日だが、風呂に入ってヒゲを剃る。
 シェービング・ジェルが切れていたので、直に安全剃刀(三枚刃)をあてるが、どう考えても皮膚までいっしょに剥ぎ取ってる気がしてならない。
 洗面器に湯を張って、剃刀を注ぐと、パアッと白黒まだらのヒゲが湯面に広がるのだ(汚ねえな)。白は当然「フケ」である。
 鏡を見ると、案の定、肌が荒れている。
 昔、お袋にヒゲを剃ってもらってた頃は(勘違いしないように。別にマザコンってワケじゃなくて、ウチの実家、床屋なのよ)、こんなことはなかった。理由は簡単で、お袋の使っていた剃刀が、自ら砥いだ「日本剃り」だったからである。
 非衛生的という理由で、今や床屋の剃刀は全て替え刃式のレザーに切り替えられている。しかしこれが大きな間違いで、職人が丹念に砥いだ日本剃りと、レザーの替え刃との刃先の粒子を顕微鏡で比べると、日本剃りの方が圧倒的に細かいのだ。レザーは殆どノコギリである。これで皮膚に引っかからないわけがない。
 「一度他人の肌に付いたものは不衛生」(確かに使用後の剃刀を手入れ・殺菌しないバカもいたかもしれんが)という思い込みが、却って肌を不衛生な状態にしてしまっている。なのに剃刀をきちんと砥げる職人はもういない。
 つまり、これがどういうことかと言うと、「床屋という職業は既に絶滅している」のである。なのに、そのことに世間は全く気がついていないのだ。
 未だに私に「床屋の跡は継がんの?」と聞くヒトがいるが、継ぐも何も、職業自体が存在しないのに継ぎようがないじゃん。
 ……私は今、無性に懐かしい。あの、剃り跡の肌触りのすべすべ感。ヒゲが伸びるまでに二日かかった深剃りのよさ。あの感触は二度味わえないのだなあ。

 耳鼻科でレントゲンを撮ってもらうと、なんと小学校の頃から一度として治ったためしのない鼻腔の中の蓄膿がきれいさっぱり消えていた。呆気にとられる、というのはまさにこのことだろう。何しろいかに洗浄しても薬を変えてもどうにもならず、私は一生「怪人鼻詰まり男」として生きねばならぬと覚悟していたのに……。理由は何かと考えた場合、答えは一つしかない。「漢方薬」のおかげである。数ヶ月前、薬を漢方に変えた途端、効果が覿面に現れたのだ。恐るべし、中国医学の神秘。
 ……なんか西洋医学がたどってきた道は何だったのか、という気がしちゃうなあ。前野蘭化と杉田玄白が泣いてるぞ。
 いや、なんにせよ、病気が一つ治ったというのは嬉しい。糖尿は相変わらずだけど。

 いつものごとく、帰りは「柳川屋」で櫃まぶし。このことばかり日記に書くものだから、帰宅した途端に、女房が起きてきて(今まで寝とったんか)、「うなぎ食って来ただろう」と恨みがましく絡んでくる。
 一緒に病院にまでついて来れば自分も食べられるのに、そうはしないのである。仕方なく焼きうどんを作ってやる。女房、肉を混ぜているので文句一つ言わずに食う。で、食ったあとまた寝る。これで女房はしょっちゅう「睡眠不足だ」なんて言っているのである。どれほどのウソツキであるかが知れようというものだ。

 マンガ、横山光輝『鉄甲軍団ほか八編』、時代物ばかりを集めた短編集。横山氏の描く線も、病気で倒れて以来、今や見る影もないが、こうして旧作を見るとやは昭和40年代前半頃までの氏の線は流麗で、物語自体も、忍者たちを主人公とし、時代の影に隠れて記録されずに終わった人々のエピソード、といった感じのものが多いのが私の好みにあっている。このヒト、信長とか秀吉とか家康とかを主人公にして描くと途端につまんなくなるんだよなあ。それは必ずしも本人の責任じゃなくって、昔は山田風太郎あたりの小説を元ネタにしてたのが、最近は山岡荘八や新田次郎に鞍替えしちゃったせいだとは思うが(^_^;)。

 『パワーパフガールズ』、『エノケンの豪傑一代男』、『松本清張のガラスの城』とテレビをナナメに見ながら、パソコンをパコパコ叩いているうちに眠くなる。
 んじゃそろそろ日記書いて寝ようかというころになって、女房起きてきて゜腹減った」とうるさい。仕方なくチャーハンを作ってやる。……なんだか、雛鳥に餌やるツバメの心境になってきたな。
 今日コンビニで買った『うる星やつら・桃の花歌合戦』で、丁度、巨大化してペンギンとなったツバメが学校の食料を荒らしまくる話が収録されていたので、何となくシンクロニシティ。
 実際、女房の普段の歩き方は、まるでペンギンのようにヨチヨチペタペタである。まっすぐ歩けよ。

 女房が久しぶりにパソコンでエロゲーを始めたので、日記も書けず、しかも寝ていると隣から「はあん」だの「うふうん」だの妙な声が聞こえてきてうるさい。なんでもう少し落ちついた生活を送らせてはくれんかなあ。……はああ(´0`;)。


2001年01月30日(火) 昨日・今日・明日/『火の接吻』(戸川昌子)

 今日になってようやく、『鴉』のアンケートを見る。
 辛辣な批評がある割りに、定連さんができつつあるのが嬉しい。厳しい意見は、共通してシナリオの独善性を指摘しているが(要するに「わけわからん」ということ)、もちろんある程度独善的な部分がなければ、芝居の個性が生まれるものではない。かと言って、「もっと明るいのやんないの……?」という意見を無碍に否定するつもりもない。
 まあベースになってる性格が暗いもんで、のーてんきに人生送ってるやつ見てると苛めてやりたくなるという悪いクセはあるが、全編それで押しとおすこたぁない(^_^;)。ちとやりすぎだったってのは間違いないことなんで、素直に反省いたします。こうたろうくんには直接、「明るい作品が書けないってのは逃げだよ」と言ってもらえたし。
 ロデムさんのシノプシスも形にしたいし、自前の脚本も三稿目に入ってるし、CASTさんとことの合同公演もやりたい。でもどれに取り掛かるにしても、今度はもちっと明るい、心にジンと来るもんにしないとバランスが取れんね。
 「エンピツ」の方からここにアクセスしていて、何を言ってるやらよく分らない方は、ホームページのコンテンツをクリックしてくださいな。

 DVD『六番目の小夜子』第一巻、1、2話だけ見る。後半録画し損ねていたのでまさかこれが発売されるなんて思いもよらず、もう嬉しいの何の。『愛の詩』シリーズの中でも出色の出来だったこの作品、最初は『ジュブナイル』鈴木杏と『死国』栗山千明の二大美少女共演に惹かれて見たが(^_^;)、NHK伝統の元気ヒロインを好演する杏ちゃんと、笑った顔が能面の「なぞの転校生」千明ちゃん、それに、臭いセリフなのに、それを実にカッコよく喋るヒーロー山田孝之という、主演三人のキャラクターの書き分けがはっきりしているのがまずは見事である。
 いわゆる「学校の怪談」ものの変形なのだが、学校の玄関に飾られた赤い花、突然落ちてきた電灯、校庭の隅の少女の墓、そして誰かから誰かへと伝えられて行く「サヨコ」の伝説……。フォークロアにリアリティを持たせるための小道具の使い方が実にバランスよく配置されているのだ。過去の「少年ドラマシリーズ」を含めてもベスト3に入れておかしくない完成度である。……何だか3、4話を見るのが楽しみなようなもったいないような……。

 小説『火の接吻』(戸川昌子)、本格ミステリのように見せかけて実はサスペンス、でも最後はやっぱり本格?という二転三転するドラマ展開だが、これは読者をトリックでだますと言うよりも、人間社会を一種の曼荼羅絵図として捉えている作者の姿勢が生み出す幻惑であるのように思える。
 連続する放火事件、その犯人、その罪を着せられた男、それを追う刑事、三人を巡る運命の糸の不思議さを、さほど不自然に思わせない筆力がスバラシイ。三人には当然本名があるにもかかわらず、作者は彼らをそれぞれ、創立者の孫、消防士、刑事としか記さない。その無記名性が逆に彼らの業を浮き上がらせることになっている。彼らは結局、たとえどんな名前を持っていようと、創立者の孫、消防士、刑事間のいずれかでしかないのだ。それどころかヒロインの「看護婦」の名前が判明したのは、実に最終ページ、彼女が看護婦でなくなった瞬間であった。
 実は戸川昌子の小説を読むのは初めてだったんだが(短編の『黄色い吸血鬼』は読んでたけど)、こんな乾いた、ハードボイルドな書き方をする人だとは知らなんだ。文章にリズムがあるんだよね。
 こうなったら、乱歩賞受賞作『大いなる幻影』も早いとこ読まねば。

 以前、別名義で書いていた「日記」の一部を、こちらの日記にUPする。
 まあ、いろんな「事情」があったおかげで、前のホームページからは削除せざるを得なかったわけなんだが、「差し障りがある」と指摘された部分、こちらで復活させるにあたっては一切削除しなかった。たかが一介のシロウト脚本家が書いた駄文ではあっても、表現に責任を持って書いたものを簡単に消してたまるか。
 文句をつけた連中がこっちの日記を見つけたら、またぞろ「性懲りもなく」と言い出しそうだが、今度はその心配はあるまい。と言うか、アドレス教えてもいないのに勝手に探し出してまで何か言うようなら、今度こそ本気で裁判になろうがどうしようが真正面から喧嘩してやるぞ。
 ……と言っても、相手に対して腹を立ててるわけではないのだなあ。自分の狭い価値判断でしか、モノを見ることができないのは、全ての人間に共通する宿業である。聖徳太子じゃあるまいし、普通の人が「広い視点でものを観よう」なんて言われたって、そんな器用なマネ、そうそうできるこっちゃないのだ。だから大抵、人はただ一つの価値にすがりついてしまう。
 思想、信条、信念、主義、アイデンティティ、ポリシー、何だかいろいろな言い換え方がされてるが実はこれ全部同じものだ。要するに「思い込み」。前の日記じゃ遠慮して書かなかったが、ここではハッキリ言っちゃうぞ。「この世に絶対的なものなんてあるか」
 私は今回、「国賊」とまで言われたが(^o^)、これは誇りにしてよいことだろう。それだけ私の批評に、彼らの思いこみを揺さぶるだけの力があったと認められたということだからだ。弾圧を受けない言葉に力があると言えようか……って、実はそんな大したもんじゃないってこともわかっちゃいるんだけどね。
 これは単に、自分の信ずるよりどころを揶揄された人々が怒っただけの話である。でも、私の軽いジャブにもならぬからかいにまで過敏に反応する人々の、その観念の脆弱さはいったいどうしたことだろう。宗教は大抵思想的な穴を埋める言い訳を用意しているものだが(例えば、「なぜ神様は人の苦しみを救わないのか?」という疑問に対して「神様は人に試練をお与えになっているのです」と答えるような)、今回、そのような言い訳がアチラの方々にはまったく用意されていなかった。
 私がからかわぬでも、そのような高野豆腐のような地盤の上にある思想などは簡単に崩れる。と言うか、もう崩れちゃってるってことが、見える人には見えちゃってんだよなあ(-_-;)。
 ……ご愁傷様である。結局、私は彼らを哀れんでいるのだ。
 今後、残りの日記も随時移行させて行くつもりである。いちいち過去ログ見る人もそう多くはあるまいが、おヒマならご参照いただき、現代の「国賊」の文章を楽しんでいただきたい。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)