無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2000年11月09日(木) だって猿なんだもん/『グーグーだって猫である』(大島弓子)ほか

 昨日のヨシヒト嬢の日記を読んで、ドッキリ。
 「好きな人のことを考えてるとシアワセ」……って、え!? 恋人宣言すか、ヨシヒトさん!
  ……とか一人で勝手に盛りあがってると女房から「オヤジ」と言われる。うーん、確かに「週刊○○」とかの見出し記事に反応する中年みたいだ。でもヨシヒトさんはウチの劇団の原節子であり高峰秀子であり山口百恵である。多少はこちらがナシモト的反応をしてしまうのも当然だ、と思う。

 昨晩、日記を書いている最中に父から電話。実は一昨日が母親の命日。とはいえ何回忌と言うことではないので、私もすっかり失念していた。父はもうすっかり墓参りもお布施も済ましてしまったとのこと。
 酷薄な息子で申し訳ないが、親父も親父だ、事前に声くらいかけてくれてもよかろうに。こんなふうに黙って人の心を試す癖がある奴だったんだよなあ、オヤジ。仕方がない、今度の休日に墓参りに行こう。……と日記に書いときゃ忘れないかな(^_^;)。

 三日ほど前から喉が痛く、今日は仕事に支障を来たすほどに咳が出る。仕方なく早退して帰宅した途端、腹をすかした女房にマクドナルドに連れ出される。バリューセットで安上がりの夕食を取りながら、練習中の四方山話など聞く。
 桜雅嬢、相変わらず世間を超越した話題を提供している模様。ヨシヒト嬢と女房がフザけて信長と秀吉ゴッコ(あの草履を温めていたエピソード)をしていたのが全然分らなかったらしい。
 「『猿』って何ですか?」
 どうもご家庭は○○教関係らしいが、教義を教えるより先に、語るべきことがあるんじゃないのか。

 大島弓子『グーグーだって猫である』読む。しばらく大島さんの新作が出ないと思っていたら悪性のガンで何年も闘病生活を送っていたのだ。後書きで軽く「もう退院しました」と書いてあるが、本当に大丈夫か?(・・;)
 引越しをしようとした大島さんが、「ここにサバ(大島さんの亡くなった飼い猫)のトイレ置いて……あそうだった サバのこともう考えなくていいんだ」とポツリと言う。……あああ、る、涙腺が(T_T)。
 富樫義博『HUNTER×HUNTER』10巻、幻影旅団が出てきたあたりから、また少し不健康な方向に話が流れつつある。『幽遊』の二の舞にならなきゃいいがなあ。それにしても11巻での「発表」ってのは妊娠か離婚か? こういう思わせぶりなヒキも作者がちょっとビョーキになりかけてる証拠かも。


2000年11月08日(水) チンジャオロースって漢字変換できねー/『家出のすすめ』(寺山修司)

 同僚が無駄話をしているのを何となく聞く(私だけがバカ話をしているわけではないぞ)。
 最近、スーパーで売っている永谷園のスピード中華シリーズ、「白菜を混ぜるだけでできる八宝菜」や「ピーマンを混ぜるだけでできる青椒肉絲(チンジャオロースー)」、「キャベツを混ぜるだけでできる回鍋肉(ホイコーロー)」などなど、あれについて、憤懣やる方ないというように、「なぜ一品だけ混ぜる。どうせなら全部入れろ」……なるほどリクツだ。
 でもそれこそが日本食品界の影のシンジケートである(^o^)永谷園の「陰謀」であろう。
 実は私もアレを愛用(って言うのか?)しているのだが、殆どレトルトなのに、野菜を一品炒めることでちゃんと「料理」したと錯覚させてくれるのだ。現代人の料理コンプレックスを見事に解消している(実は人の弱みにつけこんだイヤラシイ商品)。ヒットするのも宜なるかな。
 不思議なもので、この「あと一品」というコンセプトには、白菜がないからモヤシで八宝菜にしよう、とか、ピーマンがないからサトイモ混ぜて……っていう料理における臨機応変さをも封じてしまっている。レシピ通りにしないとイケナイ気にさせちゃうのだ。自分で最初から作るときは野菜なんか適当に混ぜちゃうのになあ。

 寺山修司のエッセイをパラパラと読む。唐十郎って、昔ヌードモデルだったのか。
 『家出のすすめ』は名著だと思うが、あそこに書かれていることを本気で喋ると、二十年経った現代でも世間からはつまはじきにされてしまう。つくづくツマラン時代だ。
 寺山修司には生前、金田一耕助を演じてほしかった。東北出身という設定を無視した演技の俳優が多い中、あの人なら、東北人らしい、朴訥な中に鋭くかつ不気味な知性を感じさせることが出来たはずだ。角川文庫のカバーを描いていた杉本一文が一度だけ金田一耕助の顔を描いたことがあったが、あれは今思うと寺山修司そっくりだった。

 女房が個人ホームページを開く計画を立てている。メンバーのHPが少ないので、私を巻き込んでリンクを増やしたいらしいのだが、反対はしないが、これでまた作業が増えると思うと……(-_-;)。
 でも一旦作り始めたら、私も多分ミステリだのSFだの怪獣だの悪役俳優だの、好きなことを書きまくるに決まっているのだ。
 既にデジカメ買って近所の変な物件を撮りに行こうかなんて考えている。……病膏肓だな(^_^;)。


2000年11月07日(火) 昔の映画も見よう……/『笑わない数学者』(森博嗣)

 なんだか立て続けに懐かしい人が亡くなっていく。
 真鍋博が亡くなり、林家珍平が亡くなり、今日の新聞には吉村公三郎死去のニュースが。
 と言っても、私がリアルタイムで吉村作品を見ているはずもなく、リバイバルで『暖流』や『安城家の舞踏会』を見ているくらいだ。それでも『暖流』ではお嬢様でヒロインの高峰三枝子より、庶民である水戸光子の方がずっと輝いている、監督の主眼はどちらかというとこちらの方にあったのではないか、なんて思いもしたし、『安城』では小津作品に主演する以前の原節子の清廉な美しさもさりながら、華族に憧れつつ身分違いの恋に苦しむ運転手・若き日の神田隆の方が印象深くもあった。庶民をきちんと描いてくれていて、本数は見てないが好きな監督さんだったのだ。

 ちょうど今号の『キネマ旬報』で、20世紀の名監督日本編を特集している。1位は予想通り黒澤明。私自身、どの監督の作品を多く見ているか見てみたが、やはり黒澤明で、30本の監督作を殆ど見ている。市川崑も26本ほど見ていたが、意外だったのは、深作欣二を16本も見ていたことだ。……いや、全然好きな監督ではないのに(^_^;)。『復活の日』と言い『里見八犬伝』と言い『忠臣蔵外伝四谷怪談』と言い、話題に引きずられて見に行ったはいいが全くつまらなかった。「吊り」ってすぐバレる特撮、時代劇でやるなよ。見世物小屋感覚じゃねえか……って、ワザとなんだろうな、あれは。そう思って見ると楽しめるのかも。

 ついでだから私の好きな日本映画監督10人をここで挙げてみよう。順位は付けない。

 庵野秀明・市川崑・大島渚・大林宣彦・岡本喜八・押井守・黒澤明・円谷英二・三隅研次・宮崎駿。

 ……個性がないな。何でこんなのってのがあるが、まあ、青春のメモリーということで(^_^;)。

 森博嗣『笑わない数学者』読む。犀川&萌絵シリーズ第三作。
 本編を読む前にトリックがバレちまうミステリーなんて初めてだ。そんなことあるわけない、と思うかもしれないが、ホントの話。それでもこうして読み続けてるのはなぜだ。
 多分それは主人公の犀川が、生意気で独善的な所が私に似ているからである。
 「電子メールの年賀状というのはスペースシャトルでツタンカーメンを運んでいるようなものだ。」……作家の書く文章じゃねえが、気取りたくなる気は分るぞ、っていう感じで同情しちゃってるのだな(^_^;)。



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