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2005年02月11日(金) 手紙

自分だけは、あの頃のまま変わっていないことに対して感じるのは、虚しさと憤りしか今はありません。私たちを取り囲むすべては儚いものばかりです。出会いも別れも、寒空の下に響いた笑い声も、怒りを握り締めたその手の強さも、悲しみの涙も。季節が過ぎ、人の気持ちというものも、同時に移ろいゆくものだということに、私は気づいていながらも認め合うことを拒んでいました。彼が去ってから私は思います。私は、変わりゆく未来という、すぐ目の前にある光景さえも見つめようとしていなかったのです。なぜなら私が生きていたのは常に過去か遠い未来であり、今というその瞬間では決してありませんでした。後悔や空想に耽りながら、その場に踏みとどまる理由ばかり探していたのですね。今をしっかり生きるべきだと認識していれば、守るべきものもきっと守れていたでしょう。変わりゆく人と世界とともに、きっと前へと進むことができていたはずです。今になって悔やんでも、彼が去った今となっては仕方のないことです。この絶望にも似た虚しさと憤りも、時が変われば、勇気や強さというものに、きっと自分を変えてくれるのかもしれないと、信じてみても良いかと思うばかりです。


2005年02月05日(土) over between us

朝から偏頭痛。最近は一定の周期で症状が現れるようになった。友人からの、割と急ぎのメールには12時間後に返事を書く羽目になっている。

常に、答えというのを探してきた気がします。生きてきたのは現実であっても、常に1秒先であれ10年先であれ未来というのを見据えていました。過去を振り返り、粘着テープのようにそこに執着してしまう時間をなくせば、もう少し早く歩けていたかもしれません。

恋は途切れました。ようやく終わらせてくれました。今こそ、すべてを飲み込んで進まなければなりません。私には、与えられた生き方というのがあります。


2005年02月02日(水) 葉書

朝は寒すぎて、手袋を二重に着用し、好きではない帽子も被って行った。仕事はいつも通り。いつしか、机の中のお土産のお菓子が増えすぎていることに気付いた。いったん帰宅し、ピアノ。前の生徒さんが少し延長していたので、合間に、バイオリンの先生と前回より多く話すことができた。先生は長い髪と華やかなレッドが好きだった記憶があるが、5年ほど経った今も変わらないようだ。よく似合っていらっしゃる!!話では、私からようやく差し上げた便りであるリトアニアからの葉書(昨年4月)は、届いていなかったそうだ。そういわれると、思い当たることが無くもない。長い間連絡を取っていなかった人も含め、複数の友人にも、平和な旅の最後(ロシア入り前日)に、ということでヴィリニュスから手紙ないし葉書を送ったが、帰国後それらについて周りから触れられたことがなかった気がする。世界の何処で消えたのか、リトアニアから出ていないのか。リトアニアは郵便事情は良いと、ガイドブックにも書いていたのに。しかし今となっては、はるか昔の話。気になるのは、それで“コンタクトをとったつもりでいた”ご無沙汰していた友人。益々疎遠になってしまうことが心配。


2005年01月09日(日) スローな午後

半分徹夜でした。思いのほか寒くない。シャワーを浴び、遅い朝食をとってからは、日当たりのよい自分の部屋で読書をしていた。そのとき聞いていたジョンレノンも、部屋が日光に包まれると同時に流れていたミスチルのAtomic Heartも、今では落ち着きさえ与えてくれる。ゆったりとした時間を感じる。少し前までは知らなかったのに。

夕方は、一心不乱にピアノを弾く。参考までにアシュケナジーのショパンを聴いたたが、11番のワルツに気持ちが揺れる。発表会では無難に10番を弾くつもりで登録はしたものの、まだ完成していない。どちらもゼロからには変わりないのであれば、自分らしさは一層出すことのできそうな11番を弾いてみたいのですが。

People cannot live only with compassion.


2005年01月05日(水) くぎづけ

会社の帰りにDVDプレイヤーを見に行くが、上等なものばかりで今日はあきらめる。最低限の機能とある程度のコンパクトさがあれば十分なんですが。家に帰り、届いていた「シフクノオト」DVDをノートパソコンで鑑賞。これをTV画面で見たかったのです。DVDを買った理由は、昨年末、大阪で待ち合わせ中にビッグマンで流れた「シフクノオト」のCF、「終わりなき旅」で始まるオープニングに感動したからである。ノートだと、携帯ラジオみたいな音しか聞けないので、高性能のヘッドホンを使用したところ、低音も体に響く程度効いており、まずまずの臨場感は味わえた気になりました。予定通り、「終わりなき旅」イントロからライブのオープニングでは感動し、力が抜けて涙が出そうになりました。最後の、"Overture"つきの「蘇生」で再度心拍数が高まり泣きそうになるまで、スキップさせてくれないような曲順で(実際は飛ばしましたが)、パフォーマンスと桜井氏の表情など楽しませて下さいました。

言葉と行動が伴っておりませんがお見逃しください。ミスチルそんなに知らないんですよ、興味ないんですよとか、今日も会社で言ってしまいました。桜井氏の人間性はともかく(妙なプライドは捨ててしまうのですか?)、こうして感動できるものがあり、大多数の人と同じように、何らかの歌に少しでも励まされるのなら、それで生き延びることができるのならそれでいいぢゃないか。


川村 |MAIL