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本気で何かを手に入れたいのなら、それなりに大きな犠牲を払うことは必然であろう。あなたがそうしているように。しかし、生きているうえで大切なものまで―それはなかなか見つからない時がある―失いつつあるのではないかと、一度立ち止まってみることも同時に伴う義務ではないだろうか?あるいは、その犠牲を払うことにより得るものが、自分や必要とする人々にどれだけの、いかなる影響を与えるのか、という事も。そんなことをあれこれ考えて悩んでも、すべて独りよがりだ。しかし、すべては自身の判断。
ようやくADSL接続に切り替えました。社員割引に乗せられたのも理由。今後は日記も頻繁に書くことができると思います。快適ですね。
暇人はピアノを習いに行くことになりました。長年望んでいたことです。とりあえずハンマークラヴィアが目標でしょうか。練習日記は書くつもりはありません。
暇人は、また京都を訪ねる。傷ついたとき、行き詰まったときには、故郷へ。涙で枯れた心を潤すため、飛べない羽を癒すため。理由はなんであれ、休日は、故郷を訪れたい気持ちにさせる。といっても京都は実際の故郷ではないし、いま特別行き詰まっているわけでも新しく傷ついたわけでもないんですけどね。それでもこういう「帰る」場所が誰にでもあっていいと思う。それだけなんですよ。
前から何度も言ってるんですが。芸術家は作品がすべて、だと思っています。深い意味などありません。生み出された作品を、良いと思うか何も思わないか、それだけが問題なのであって、その作者の思想や人物像、嗜好、性癖などとは完全に遮断してしまうべきだと思うのです。個々人の世界観から作品が作られ、作品に現れるとしても、それは鑑賞する側の想像に留めておくべきだと思います。まして私生活を覗き見するようなことはしてはいけない。
川村
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