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2004年05月25日(火) 三宮

面接のため三宮へ。ホテル業界の仕事であったが、1時間半にわたる質問や説明の後に、意外にも採用の可能性が高いということをその場で仄めかされる。実務経験は無いものの、国内・海外でのアルバイトで学んだ接客対応や語学力に「今後」期待したいらしく、何より例の無謀ともいえる大陸横断の話が面接官の興味を引いたらしい。かなり強く。後は私の意思により正式決定する模様だ。問題は、勤務地。何でも新人研修中は静岡県内の某有名ホテルだという。距離がどうしても足を踏みとどまらせる。

約束の時間まで余裕があったので、東急ハンズをいつものように最上階から地階まで順にゆっくりと見物。この空間、やはり今も好きだ。非常に迷惑な客ではあるが、買い物をするつもりはほとんどなかった。買ったのは家へのお土産に沖縄限定シリーズのお菓子と、喜界島産純黒糖、レトロパッケージがかわいいオリ○タルカレー(粉末タイプ)くらい。目を奪われるものは沢山あったけれど、お買い物はまた近いうちに。別の機会に。


2004年05月17日(月) 大阪港

ひどかった風邪のような症状もようやく落ち着いてきたところで、今日は大阪港へ。帰国から1週間後にして初めて友人に会うことになった。目的は天保山で開催されているというアイスクリーム博覧会に行くことだった。ロシアのマロージェナエ以来アイスクリームに目がない(実際、イルクーツクとウラジオストクではカフェでも路上でも市場でもマロージェナエを一日中ひたすら食していた)私には素晴らしく良いタイミングだった。

海側の特設開場にその博覧会はあった。店舗用の冷蔵庫が並べられており、内容は全国の地方ごとに並べられていた。友人と私で選んだのは、手羽先アイス、牛タン、うなぎ、あわび、ひとめぼれアイス、わさび、にんにく、さんまの8点。こういう珍しいものは、一口目がドキドキするものである。一番気に入ったのはひとめぼれとわさびだろうか。びっくりしたのは友人のうなぎとさんま。焼き魚と苦味と魚介類の臭味がそのままアイスクリームの風味に溶け込んでいたそうだ。なぜわざわざアイスクリームにする必要があったのだろうか。噂のドンドルマ(トルコの伸びるアイス)だが、アイスクリームだけですでにお腹がいっぱいという頃に実演販売をやっていた。さすがにもう一つ買おうという気分にはなれず、写真とおなじトルコ人の職人がダイナミックにアイスクリームを操る姿を楽しんでいた。もう1度来そうな予感。ちょっと嬉しい1日だった。

携帯なのか、電話付きのデジカメなのか、とりあえず新携帯を入手。最近ははてなの日記に細々したことを書き込んだり、写真を載せたりしています。


2004年05月10日(月) 伏木

タラップを降りるとそこは日本であった。うかつにも到着地の下調べをしていなかったため、とりあえず長い直線の道路を歩き続け、港の敷地内から出る。そして途方に暮れている場合でもないのでひたすら「街」らしい方面へ足を進め、途中で避難場所の地図のようなもので近くに駅があることを確認。たどり着いた伏木駅は幸いにもJRで(知らない土地での私鉄は未だに不安)、そして小さかった。駅前の郵便ポストのうえに仏像が乗っていたりした。1時間に1本の電車で高岡まで行き、特急サンダーバードに乗り換え大阪へ。その約3時間の間に、どれだけ目まぐるしく景色が変わったことか。まったくもって対照的である。車窓は飽きることがなかった。右手に比良山地、左手に琵琶湖という絶景に差し掛かった頃にガイドのアナウンスまであった。京都駅を通過するころには、違和感もなくなり、既に現地人。


2004年04月26日(月) ヴィリニュス最終日

昨日の大雨から一転して、雲ひとつない快晴。到着したその日に思ったように、この街は青空しか似合わない。今日も夜明けの門をくぐり抜けて市街へ。ケーキの美味しかったカフェで遅めの昼食。パステルカラーの美しい教会をいくつか訪れ、川沿いの静かな石畳の通りを散歩し、別のカフェで一息ついてからポストカードを書いていた。駅前へ行って、余ったリタスの両替をしたり、移動中に必要な食料をスーパーマーケットで購入したり、ポストカードと小包を送るため郵便局へ行ったり。するべきことは何とか終えて、列車の時間までにかなりの余裕ができた。昨夜ホステルで話していたイギリス人にもう一度会いたかったが出発時間の都合で叶わなかった。ちょうど入れ違いになった、バックパッカーと見られる男性に"Bye"と告げてホステルを後にした。

平和で安全な旅はこれで終わる。いよいよ、かの北の大地へ向かうことになった。自分の身は自分で守らなければならない。決して緊張感を捨ててはならない。

などと、かなり神経質なほどに覚悟を決めつつ、気持ちを落ち着かせながら、今はまだ風の優しいヴィリニュスという街の駅のプラットホームで、眩しい太陽の光を深呼吸するように全身で浴びながら、列車を待っていた。


2004年04月16日(金) ウィーン2日目

7時半ごろ既に食堂は混んでいた。何故かフォルクステアーターからの地下鉄が分からず、路面電車でショッテントーアヘ。37の路面電車を待ち、ハイリゲンシュタットへ直行。降りる場所を間違え、プラッツに入れず遠回り。グリンツィングを下って行く。途中でベートーヴェンの家の前を通過。遺書の家へ向かうが突然現れた日本人観光客の集団と合流してしまう。彼らはやはり同じ方向へ歩きつづけ、そして遺書の家に入っていった。私は素通りした。予定を少しばかり変えベートーヴェンの散歩道へ向かう。以前と同じように散歩。ベートーヴェンルーエまではすぐだった。相変わらず静か。側に座り少し休憩。

It is like a room of someone I love.

ベートーヴェンハウスへもう一度向かう。途中で適当に右折するも、そのまま下りすぎてしまう。またもグリンツィングへ出てしまう。またも遠回り。

遺書の家は今日も静かであった。


川村 |MAIL