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早朝4時にグレイハウンドで14時間の移動から開放される。どのようにあの雪道を帰ったのか、ロンドンに着いたときには意識も遠のくほど疲れ果て、記憶があまりない。
車酔いは、帰ってからも1日中続いた。尋常でない様子だったそうなので、ルームメイトには、"still car sick"のように答えておいたが、果たして本当にcar sickだけによるものだったのか。思い当たることは、ないはずがない。とにかく、休息が必要だった。あと少しの時間と。
夜にジェイミーが訪れ、しばしNYの話。マルビーは喜んでもらえたようで幸い。ブルックリンエールも、まずまずの評判だった。初めてホッケーの試合を最初から最後まで見る。
何とも暖かなニューイヤーだったが、今日再び平年並みの気温に戻る。バイトの途中で窓の外に目を遣ると久々の雪景色。
風邪の気配。この冬3度目だが、今度は熱と咳が主な症状のようだ。しかし最悪のタイミングである。
後悔はせずとも、後に反省するだろうことは何故か自分でも気付いていた。どのように反省するのかははっきりしていなくても。やはり、その時一人では分かり得ないこと、後になってみないと気付かないことってある。
単に異文化理解の問題ではない。特に人間関係においては。そこで距離や立場はあまり関係ないと思う。他人との対話の中で、あるいは前提として、自分との対話が成り立っているからだ。他人や、異文化を完全に理解することは不可能だろう。可能なのは、最大限まで知ること。それは対話を通してしか知ることはできない。自分自身さえも理解するには他人との対話が必要なこともあり得る。おそらく自分の持っている認識のほとんどは、他人と向かい合うことで得られたものだろう。
2003年12月21日(日) |
クリスマス直前 ― so what? |
日曜の始まりは最悪だったのである。解決したはずの問題が、また新たな形で姿を現す。それは常に、予想し得ないものである。もう、遅い。どんな慰めに似た言葉も、一見事実らしい言葉も、効かない。今現在の私の思考能力では、今回のことで、全ては確信をもって証明されたとしか言いようがない。良いのか悪いのか、まさに絶妙のタイミングだ。クリスマスには期待を抱いていたが。このまま平穏と人の優しさに満ちた生活を保てるという期待を。
何度も気付かされたことだが、最低限の敬意を失ったら、その人間関係は崩れてしまうと。その敬意はどこから来るのか。それは相手によりそれぞれだ。必ずしも具体的な根拠があるとは限らない。中には、無条件に尊敬できる人というのがあっていい。そんな形での敬意が失われたとき、そこに発生する不信は、相手に対してではなく自分に対してだ。根拠なく人を敬い、信じた自分自身に対する疑い、不信。またもう一ついえるのは、自分の中で、こんなにも容易に相手の人間像や価値観を含め全て否定され崩れ去るというのは、ある意味最初から偶像のようなものに敬意を抱いていたのかもしれないということ。最初から、相手を深く見ようとはせず、自分の中だけで他人の魂を理解したつもりになっていたにすぎないと。
I must be crazy now.さらに悪いことに、明らかに愚かであると分かっていながら、その行為を抑え切れなかった。未熟さは露呈された。
散々な一日の始まりだったが、押しかけていったにも関わらずこんな私を冷静に受け入れてくれたリアン(彼女のアドバイスを、必ず実行しなければならない)ご無沙汰だったが、今日というこんな日に、知ってか知らずか心温まるメールを送ってくれたハリウッドのNさん、名古屋のT氏、そして四季に来てくれたモリヒロ君たちには感謝します。
アマゾンで注文した本が2冊届き、今日はひたすら読書。食欲は減退したまま。無理もない。まるで奇跡の結果とも言える旅がもう数週間先に控えている。多少なりとも神経質になるのは当然である。決して、悪いストレスではない。
本を受け取りに行った際、バスには乗らず、TalbotとRichmondを往復で歩いてみた。夕暮れ時。完全には暗くなっていないこの時間帯、街灯の灯された通りと、静かに振り続ける雪がなんとも美しい。気になっていた美容院にも寄る。パーマのことを聞くため。
自分の顔立ちには全くもって自信はないが、ただ全ての人に言えると思うのは、やはり外見的にも、内面的にも、美しくなりたいならば美しいものに触れるべきであると。何かしら美しいものを見ている時の目は、優しさに満ちているであろう。温かい言葉を発する時の口元は柔らかいものだろう。
つくづく、良い環境に居るんだなと思う。
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