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2003年05月08日(木) |
日本食をご馳走になる |
学校は10分遅刻。午前中は眠いので沈黙を通す。お昼は公園側のカフェで。またしても特大のコーヒーを頼んでしまう。目が覚めたのかも分からないまま午後のクラスへ。リーディングだったが、自分の順番が回ってくるまではほとんど参加せず。座っているのが必ずしも参加とは言わないのは分かってはいたが。終了後shinobuと、近くにあるという日本食の店へ。むしろ中国の食材のほうが多かったが、某有名メーカーの醤油とか各種調味料が日本の倍以上の値段で売られていた。私としては、こんなに払ってまでも、まだ日本食が恋しいかということだ。答えはNo。何も買わずに出る。夕食はShinobuに再びお世話になった。彼女の料理は、全くお世辞はなく美味しいので、感動も感謝も伝えきれないくらいだった。
いつも居場所を探して彷徨っていた。しかし、結局ここだと確信できる場所に出会えない。今居る場所が最高の場所だということに、悲しいかな後になって気付くことしかできない。
Mein lieber Freund!
頭痛が続いている。今の季節、どういうわけか体調が思わしくない日が続くのは日本に居ても同じだ。
明け方の嵐がまるで嘘だったかのように、日中は風も温かく、空は晴れ渡っていた。ベルばらのビデオを見ながら朝食。そのあと半地下で勉強しようとするも、頭が冴えずなかなか進まない。思い切って中断し、外出。ウォルマートの方向へ、かなりの距離があると思うが歩く。本当に、今日は散歩日和だったので、部屋にこもっているよりずっと良かっただろう。新鮮な空気のおかげで、家に戻って来たときには頭痛も心なしか軽くなっている気がした。
夜なかなか寝つけない。寝つけないとなるとどうしても何らかの思いや考え事に耽ってしまう。それでますます寝られないのだが。ホームシックではないが、妙に、自宅や大学周辺を思い出しては懐かしんだりしている。その影響で、一時的に実家に帰っていたり、バイト先のダイエーにいたりする夢を何度も見た。まあ確かに、家の方が安心する通りだ。頭痛以外の、ある症状も環境変化によるストレスが原因だとか言われ、私はそれを完全に否定していたが、やはり自分の家が最も落ち着くことのできる場所だと分かった。考えてみてようやく分かった。それでも、今の場所は好きだ。気持ちの奥深くにはいつも、不安という要素が存在しているけれど、日々新しい発見を求めて、すべてが貴重な経験となるように、毎日を過ごしたいと決心したはずだ。この場所で。
かつての自分を比べると、今随分と「ポジティブ」な一面が見受けられるようになった。こんなにも変わるものなのか。何かが私を変えたのか。もちろん答えは決まっているが。
悩みも不安も自分では常に多く抱えている気がしてならないが、以前との唯一の違いは、対処の仕方そのものにあるだろう。以前はただ、悩むことが生きがいであるかのように悩み続け、悩み抜き、物事が解決しようがしまいが、時間が過ぎてようやくそれが取るに足らないような悩みであったことに気付くという繰り返しだった。自分では何もせず。客観的に見ようともせず。何が不安にさせているのか、そして自分に原因があるのかないのか、それを少しでも真剣に考えることを忘れてはならないと思う。一般論的に述べると、過去や、そのときにはどうしようもない不安に捕らわれることは少なからずあるだろう。しかしそれでも時間は確実に過ぎてゆく。たまにはペースを落としてもいいから、確実に一歩ずつ進まなければならない。その積み重ねで、成長し続けなければならないのだと。「仕方がない」と諦めるのは、全てが終わってから。
と、君が意味するのはこういうことでしょうか?
随分と間が開いてしまったが、ルディあての手紙を投函した。メール自体あまり好きではないが、かといって手紙を頻繁に、しかも気軽に書く習慣もないので、ついつい先延ばししてしまいがちだったが。手紙というのは、書けるあるいは書きたいと思ったその時が、書くときである。それに相手への気持ちが強ければそれだけ筆も進むことだろう。同時にそれだけの慎重さと緊張感も欠いてはならないが。
肉筆ならではの温かさが好き。
来週はオンタリオ州ロンドン進出のため、その準備に取り掛からなければならない。今日はこれまでとしよう。
「縁」というのを、君は信じるか。
携帯に電話をしたところ、番号が表示されたらしい。国番号1に始まり、以下きちんと電話番号までも。自宅の固定電話では、わざわざプラス100円でネームディスプレイなど利用しているにも関わらず「表示圏外」としか表示されない。一体これはどういうわけか。携帯はもはやボーダレス。ただ携帯から国際電話となると、痛い。
感触などというのは、いくら忘れまいと強く記憶に残そうとしても、結局は忘れてしまう。覚えているつもりでも、それは事実としての認識にすぎない。
列車内にSARS患者が現れたと朝、ネットのニュースで確認。それを先に知ったのはトレイシーだった。だからどうなのだという私の無関心な態度をよそに、本日決行するはずのトロント進出は自動的にキャンセルさせられた。リスクの多いことが分かれば可能な限り避け、安全に身を置くのがこちらのやり方なのであろう。というか、むしろ私が普通でないのか。恐るべき楽観主義、恐るべき危機管理能力の欠如。
それでも、一部病院やアパートが閉鎖されたニュースも聞くが、基本的に市内の学校や政府機関、オフィス等は通常通り機能しているわけで、危険区域として完全に隔離されているわけでは決してない。どこに感染者がいるのか、知る由もないのだ。感染の可能性が、高くなるというだけで。
しかしこのままでは身動きがとれない。
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