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イースター前の金曜日は休日。夕方に、大勢の人たちが集まってディナー。 家でも、朝からその準備で忙しい様子だった。というのは、私は腰痛で寝ていて何もしなかったのだ。パーティのような類はたいてい苦手である故、いっそこの日に遠くへ出かけようかなどと計画していたのも事実でである。それでも、「座っているだけでいいから」(←どういう意味だろう?)という Tracyの緩い説得もあって、結局同席することになった。そして時間になり続々とゲストがやってくる。Emeliaに一緒にいるように言われ、Emiliaの部屋でスパゲティを少し頂いていた。そこにアンドレアと、Tracyの友人の子供も加わったりして、いつの間にか賑やかに。他に、顔見知りの人や、かの泉の宣教師たちとも言葉を交わしたが、別にどうということはなかった。私が少し部屋に戻っているときにアンドレアが来て、バイオリンを見つける。実はアンドレアもバイオリンを弾くのだと知り、意気投合。その後、全くもって自信がないにもかかわらず、聞きたいといわれるので仕方なく?弾く。オペラ座、吹雪、金婚式、(ヴィヴァルディの)冬、など、限られたレパートリーではあるが続けて弾いてみる。ある程度弾き終えて、振り返ってみるとアンドレアが泣いている。"Hey, you make me cry" , "That's soooooooo beautiful sound!" などと、今までに聞いたこともない、とても自分に向けられているとは思い難いお世辞を頂く。それでも単純に、嬉しいではないか。
今まで、人前で弾かなかったことには、とても自分以外の人間に聞かせるに値する演奏ではないなど、自信がなかったのと、また逆に、いつかヴィルクリヒ先生がイザークにも言っていたけれど、私の演奏は真の芸術を知る者にのみ聞かせるのもだと、自惚れではなく本気で思っていた傾向がある。
今日のように大勢の人たちが集まったところで、ただBGMのみの目的で、あるいはただ物珍しさから、バイオリンを弾くように言われたら当然断るつもりだった。何しろ、Tracyもそうですが、音楽に興味がない、音符が読めない人が多いからです。弾いたとしても理解されないというのに、なぜ労力を使って演奏する価値があるだろうと。
しかし、違った。実際あの後、アンドレアをはじめ部屋の外で聞いていた人たちの間で、表面上はかなり評判になった様子で、ぜひ聞きたいと頼まれる。どういうわけか、弾かなければ、と思った。興味をもってくれるはずがないと思っていたのに、私が弾いているあいだ、少なくとも目の前にいる 人たちは、じっと聞き入ってくれていた。そして、演奏を評価してくれた。ルーマニア出身の某バイオリニストを思い出したとか、そこまで弾けるようになるにはすごく年月を要しただろうとか、ビブラートがすごく美しいとか。聞き手の感受性の問題だ。無知だからとか、理解されないとか関係ない。音楽というのは。知識を通してでない、心を通して存在するものだというのを思い出した。そして作り手、聞き手に必要な寛容性。無知で、不寛容なのは私の方だった。
ただ聞いていた人が感動してくれた。それだけで、こちらが感動するくらいだ。
15時まで家で過ごす。エリックが迎えにきて、トレイシーの店へ。実は空港の日本雑貨を扱っている店で作務衣を買ったのだが、エリックには丈が少し長かったものの似合っていた。そしてトレイシーだが(女性用は巻きスカートになっていた)、「まあ!日本の衣装よ!素敵!」(←直訳)と、ものすごい感激だった。もう少し暖かくなったら、外に着て行きたいと言う。私としては、これはただ作業着か寝巻として作られたものだということを説明したのだが。ハロウィンの時にも着たいと言っていた。浴衣なら尚良いだろうと思ったが、やはり自分で着られないなら、あっても仕方がない。
夜遅く、偶然スケートの番組を見かけた。ほとんど終盤に差し掛かっており、プルシェンコのエギジビションの途中でした。オレンジと紫という奇抜な配色の衣装で、ぬいぐるみをかかえながら踊ったりしていた。表情からも、余裕そのものであることが窺える。今シーズンは、ライバルらしき選手もおらず、普段どおりやっていれば余裕の優勝は間違いないのだ。
2003年03月27日(木) |
Takin' a chance on you/me |
午前中はハミルトンのMcMaster Universityへ。
トレイシーに、今日あなたは何故そんなに静かなのかと聞かれたが、時差ぼけによる不調以外にいつもの悪い癖で、またも一人悩み始めたことにある。昨夜、初めて「後悔」した。過去に捕らわれるのではなく今をまっとうするのが、私の理想とする生き方だ。そしてこの短期間の間に、自分の一つ一つの言動には責任をもち、そして全て自分の意志で選んだ事だから決して後悔はせぬよう生きることを学んだ。この春休みの間の出来事にしても、全て自分に納得できたはずである。そして辛いことではあったが思い出として封印したはずだった。それが、「後悔」という形で記憶が呼び起こされたのである。
経験から何を学ぶか。確かに時間を無駄にしてしまったのかもしれない。もっと合理的な時間の使い方が他にあったはずだ。その時は仕方なかった、といえばそれまでだが、今冷静に、過去が失敗だったと考えるなら、二度と繰り返さぬよう努めるしか道はないのだ。「反省」として記憶に留めておけばよいだろう。まるで当たり前のことだが、二の舞を踏むようなことは避けたい。
精一杯のことをした、と自分に満足していた具合だが、もっと、賢明に生きるべきではないか。ただ「後悔」だけではないといえるのは、その失敗のおかげで何物にも代えがたいものを得たからだ。。得たものと、失ったものを計りにかけても、何も始まらないかもしれない。成長の糧になる部分だけを吸収すればいいのだから。
今日の結論:賭けてみようか。
2003年03月26日(水) |
lunch:Wendy's/ supper:HARVEY'S |
最初のうちは、緊張と興奮のせいで忘れていたのだろう。今になって、時差ボケに苦しんでいる。学校がまだ始まっていないので、強制的に朝起きる必要もないので、深夜であれ、目が覚めているうちに勉強するなど、特に克服を急いではいない。だがこの調子で続けていいはずがないのは承知。
今日は、午後からトレイシーの店で、エクセルの入力等を手伝った。特に問題はない。その後EJを読みながら、タイタニックを見る。
眠気がピークに達するころに夕食。玄米と白米のブレンドを調理してみたが、あまり良いものではなかった。とはいえ、短期の滞在ではないのだから、食生活に関しては深刻である。夕食としてマクドナルドか、それ以外のファーストフードが、連日続いているのだから。このままで、今の体調とプロポーション?を維持できるとはとても思えない。菜食生活の維持や、日本食の調達、早めにアパートを借りることも含め思案中である。
2003年03月23日(日) |
Fruehling(春)。別れ、始まり。 |
出発の日がやってきた。例によって土壇場になってあわてて準備をしたで、持参する荷物をよく吟味する暇もなく、目の前にあった書籍や服をひたすらにスーツケースに詰め込んだため、おそらく必要でない物まで含まれていることだろう。スーツケースは上限の30kgをわずかに超えていた。引越しの荷物整理も、完了させることができなかった。発つ鳥が、思いっきり後を濁してしまった。三宮駅まで母が見送ってくれる。バスターミナルがあるにもかかわらず、エスカレーターしかない上、段差も少なくない駅の設備が、不便極まりないことに気づく。空港には、早めに着いたが、検問が通常より厳しくなっているため、あれこれしているうちに搭乗時刻がすぐに来てしまった。搭乗ゲートまで来て、MKに最後になるであろうメールを送る。返信はすぐに来た。MKらしいメールであった。 That's the way he is.
離陸し、大阪の夜景を窓から見ていた。だんだん小さくなっていくその風景に、友人や、あらゆる場面でで関わった人々を思う。本当に彼らから遠く離れてしまうのだ。新しい生活が始まる。彼らも、私も、それぞれの目標を果たすため。
旅立つその日は変えられないのだから。思い出を胸に。
飛行中だが、予想外に快適だった。酔い止めを服用しているので、半分以上は寝ていたが、かなり熟睡できた。バンクーバー乗り継ぎも問題なく、荷物が恐ろしく重いこと以外はこれといった疲れも感じなかった。20時過ぎにトロント着。James家再会。長旅だったという実感もあまりない。出発前に「ちょっとそこまで行ってくるわ」というような挨拶で別れたが本当にそんな気分だ。以前より健康体になったのか、あるいはバカンスで来たのではないという意志がそうさせたのか。
とりあえず本日より、カナダからお送りします。
PS いつかあなたの名声が太平洋を越えてこのカナダ大地に届くまで。そしてまた私も。
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