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2002年05月07日(火) 南5

昨日は2時に京都に着いた。そこからバスで学校へ向かうという今までに試したことのないルートを使い南下。バスを降りてから、まず家に英和辞典を取りに帰る。なぜかぎりぎりの時間に授業へ。もともと政治学科ではなかったとはいえ最近はこの政治英語も(去年とは違い)予習するようになっただけでかなり充実したものと感じている。もっと早くこの楽しさ気付いていればね。まあ以前さぼりすぎだったというのもあり。先生にも失礼ですわ。終わってから先生に去年の写真を渡してから帰る。

一度家に荷物を置いてから美容院へ。先日自分で切った前髪のせいで、まったくもって変な、外に出るのも躊躇してしまうようなどうしようもない髪型になってしまい、ちゃんとした美容師サンに「正常」に直してもらわなければならなかった。最初からここに来るべきだったですね。それで完成したのが今の髪型。いちおう金太郎イメージらしいけれど。しかしそんな不評でもなかった。


2002年05月01日(水) Choose The Right 2

卒業年次だというのに、どういうわけか今年が一番忙しい。こうやって学校に来てパソコン触るのもめったにできなくなった。

日曜日は教会に行った後、コネリー氏と京都の西のほう、右京区の山と緑がたくさんあるところにエンソクに行った。

教会というのは友人に会うためであり、無論あの中では一人、今もこれからもunbaptizedの身である。まず私に信仰はないし、批判をするつもりも全くないけれど、ここで彼らが頼りにしている書物から引用させていただくと、やはり“Be wise. What can I say more."。まことにそのとおりである。

常に賢くあり、間違った選択をしないことである。迷ったときは祈りなさい、とか彼らはいうけど、そこで答えを授かることができるとかそういう超常現象的なことは私たちにはここでは不要。選択には、もちろん精神的な強さも必要だと思う。どうしても私は楽なほうを選んでしまいがちだし、それを正当化する理由探しに夢中である。今するべきこと、自分にとって今何が大切か、それを見極める力が、かつての私にはほとんどなかった。今の私には思い起こされる時々の反省と多少の後悔が残っている。

道は、もちろんまっすぐじゃないし、ただ堪え忍んで前に進まなければならない。だからこそ、途中で自分が壊れてしまわないためにも、引き返せなくなったりしないためにも、常に正しい選択をして行くべきなんだと思う。


2002年04月04日(木) 何日君再来

昨日は誕生日とかで、CAの「LIVE BEST 1995-1999」というDVDを頂いた。

借りたプレイヤーで早速見た。2曲目中国語だった。だいぶ前まで「なぜに君は〜」の中国語版かと勝手に想像していたが。ちがうかった。それにしても大変美しいメロディ。何て歌ってるのだろう。李さんに聞こう。 

最近また病み始めた。苦難の時だからって神に助けを求めるつもりはないし、真実かどうかわからなくなった時、「祈りなさい」というようなことを言われたけど、そこで何らかの答えが見つかったとしても、それは混乱の状態から自分が冷静になってみて、自分自身で見つけた答えであり、決して精霊(Holy gost)から授かった物ではないということ。

Faithとは証拠も無く信じる意味だ。一種の「刷り込み」という要素が隠れているようで、なんとなく恐ろしい。後から、年をとってから植えつけられるのはかなり困難のような気がする。それでも信仰をもつことができるのは、やっぱりどこかで麻痺してるんだと思う。

ここはこういうことを語る場所ではないのでこれ以上無駄な議論もしたくないし、考えないようにしよう。

自分を見失うな。

宗教とか法律って、そもそも何のためだったけか。

今日はTOEICの良さそうな本と簿記1級の問題集を親に秘密で買いに行き、帰りに両親の誕生日プレゼントを1ヶ月遅れで選ぶことになるだろう。今日もまた素晴らしいお天気!

Spring is the best.


2002年04月01日(月) どこへ行くのか

何もしたくない気分。
なんていうのは本心ではない。

今朝は科目の事前登録で、しかも先着順というので、わざわざ教務課の業務開始時間ちょうどに行った。それでもすでに学生は集まっていて、列の最後尾までめちゃめちゃ歩いた。

どういうわけか、何も浮かばない。昨日まで忙しくはあったけど、これといって何か印象が残っているわけでもない。

やっぱり春だからだろうか。帰ってくるの早すぎたかもしれない。

特に希望も不安もないけれど、ただ前だけを見据えています。
いぜんは後ろばかり振りかえっていた気がします。

疎水沿いの桜は溢れんばかりに咲いております。京都の4月。


2002年03月28日(木) Glaube

歎異抄、再び読む。

その教えに心を打たれ(これが初めてではない)、よき師に巡り会えたことに深い感謝と感動を覚えた朝であった。
 
まことに、この学問に出会い学ぶことができたことを、今では誇りに思います。


川村 |MAIL