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ネットできないので携帯から。今日で、もらった薬が切れてしまった。いつお腹痛くなるかもしれない、と思うと複テい。いま簿記がぴんち。あえてカレンダーを見ないようにしている。"あと少し時間があれば"、ふと思ったがどこかで聞いた台詞。そうだった。CAのGUYSに載ってた。”やっぱり時間の枠の中でしか物事は生まれないようです。時間とは、最大限の力を引き出すアイテムなのです。”(アルバム「GUYS」より) 完治していることを祈りつつ、目の前にある課題をぱぱーっと片付けていく!
久々に「朝」に起きて、学校のPCにメールチェックと、健康診断の予定を見に行く。 PC触ってる途中で、突然激しい腹痛にみまわれる。それがもう息ができなくなるくらい、歩くのもやっとなくらい大変なものだった。またも余計な心配を抱えながら、一度家に戻り、鎮痛剤を飲む。順調に進みそうな一日の始まりだったのに、なんでまた…と失望しながらしばらく転んでいた。15分ほどで治まったので、再度立ち上がり今度は稲荷駅へ向かう。
京都の旅券事務所に行くのが目的で、それは京都駅の8階の分かりやすいところにあった。人も多かったし、用件はすぐに済んだのでそのまま伊勢丹へ。11回で便箋を買ってから、また地下まで降りて、PLATZの方面へ。
ボディショップでクマとアイシャドウを買ってから、無印の小物を見に行く。他に買い物はせず、再び地下に下りて、普段は通り過ぎるだけのPortaで数件店をのぞいてみた。
人目で「ああああっ!!」って気に入った靴があったので、迷ったけど買おうと思ってサイズ出してもらったが、いざ履こうとすると足が入らない。それ以上大きいのはないということで、諦めるしかなかった。これほど悔しいことは今までなかった。 服なら、痩せるとかなんとかで、着られないこともないけど、足ばかりはどうしようもない。それ以上に、人前で、大きすぎる足の悲しい光景を見られたことが恥ずかしかった。
あのバレエシューズ型の美しいフォルムといい、四葉のモチーフといい、まさに私好みだったのにー。
がっかりした様子で、地上へ出る。無意識に外のエスカレーターに乗ってしまった。 途中で降りようがないので、用もなく一番上まで行った。
階段を少し上ったところで屋上に出ることができる。初めて来た場所であったけど、なんとなく清々しい気分になれた。今日は、春のような日和だったし、太陽の光がちょうどいいくらいに暖かかった。数日部屋にこもっていた私にパワーがみなぎったというか。およそ人間らしい活動をしている実感がわいた。自然の中に、生命というのを改めて感じた。
いや、とにかく外に出よう。って思ったのである。
靴のことは忘れて、稲荷駅へ戻る。こんな歓喜溢れる天候のもと、ついでだと思って、稲荷神社に入る。お正月さえ行かなかったので、今ここでお賽銭を投じ、抽象的なことを祈る。鳥居を出る前の店で昼食のうどん。まるで観光客である。
夜は、間に合わせるので精一杯の簿記。
まあまあ、私にしては充実した一日だった。
1時間目の英語(リーディング)で、いよいよ試験は最終となった。朝は4時起きで、半分徹夜の状態で泣きそうになりながら、CNNに掲載されたブッシュの演説を読む。本当に、最悪の場合を考えながらの試験勉強であった。またも来年の時間割を考えないといけないのかと思いながら。
それでも実際の試験は、2〜3行の和訳とか、下線部は何を示しているかとか1問まるごと白紙というのは避けられそうな問題だったため、テキストとブッシュだけは完璧にしていたことで何とか救われた。Tankanを思い出せなかったのと、略語を正式名称で書けなかったのは普段の怠りのせいであり、今回は仕方なかったと思う。無念だ。
Tankanという言葉はずっと頭にあったのに。ちらっと見るくらいしろよ。それよりも、こんな私に試験を受けさせてくれた先生に感謝してます!!来年は、出席回数を気にするようなことのないよう、1時間目でもちゃんと行くこと。
お昼は、郵便局に定額小為替を買いに行き、バイトの制服をクリーニングに持っていったり、洗剤を買いにドラッグストア行ったり、お腹空くのも忘れて、洗濯と台所の掃除。
カーテンを全部開けて、部屋は午後の明かりで透明。そこに一人座って聴いていたのはCAのアルバム、GUYS。昼のざわめきが遠のき、目を閉じて聞く「if」なんかは最高である。焦るのをちょっとやめてみる。思い出をもう一度見つめてみる。
心の落ち着きが戻ってくる。こんな時間が私は好き。
最近何を考えて生きているのか。何も考えてない。本当にそれが答えのような気がしてくる。
今日も昼過ぎてから活動。近頃特に恐れているのがハウスダスト。 潔癖症とは言えないまでも、目に見えないような汚れなんかには耐えられない。石鹸を使いたがらないのと、公衆電話、公衆トイレ、中古の名のつくものを好まないのもそのあたりが理由なのかも。それと部屋が片付いていないのとは別の問題であると思っている。散らかしたのは自分であるし、それほど几帳面でもないので。開き直るんじゃなくて改善すべきですね。 それに、整理整頓が苦手でもない。あらゆる書類やファイルの整理、バイト中でも売り場なんかは整理し始めると止まらない。
完璧にやるか、全く手をつけないかどっちか。いつも、何でもそう。
とはいえ今日は埃を恐れて部屋ごと掃除というのを決行。掃除機だけじゃなく窓も玄関もテレビの後ろも。というのも、確実に一番回数の多い訪問者K氏に爆弾のような指摘をされたため。あらゆるものが床に散乱しており、足の踏み場もない。彼にとっては初めて(らしい)部屋が片付いていたという日に聞いた感想。
いやいやお恥ずかしい限りである。
本当に何も考えていない毎日なので、ぴかぴかキレイな部屋で、なんでもないことを書いてみるだけである。
すでに、世間とういよりごく一部の人々に私の生存を示しているだめだけ日記にすぎない。
夕方バイト。 90210の最終回(ドナの結婚式の場面)で聞いた歌が流れていた。 ラストを飾るにはもってこいだ。そう思ってここでバイトの日々を振り返る。 今月末で退職である。最後のご挨拶とか、どういう思いを浮かべてここを去ろうかとか明日でいいこと、明日になればわかることとかを黙って考えていた。
それでも今日のニュースはショックだ。こんな形で真実に蓋をしてしまうの??
2002年01月25日(金) |
Die Abwesenheit |
今日は午前中に編入学のカウンセリングを受けるため、いつもより早く起きて、京都駅前にある日本編入学院というところに行った。時間短かったけど、在学中の成績はどのくらい関係するかとか、おおまかな勉強法、英語がいかに重要視されるか、専門分野に関する参考文献等、疑問だったことはだいたい解決し、最低限かつ重要な情報も得られた気でいる。 後は実際に勉強に取りかかるのみ。
思わず口を閉ざしてしまうことだってあるわけです。今日は・・・
よく、友達と過ごしている時が、最も孤独を感じる時だというのを聞いたことがある。私も今日たぶん初めて、そう感じたのかもしれない。今ここに集まってる人たち、おのおのの、心の目はどこを見てる??そして私も。家に帰れば一人なんだっていうのはもう慣れてる。寂しいのには慣れてる。だけどどうしても、いたたまらない気持ちになる時がある。一人の時は、思いもしなかったような感情が現れる。
そして、次に映るのは自身の姿。私は、自分に自信があるとはいえない。いつも、どこか卑下する自分がいる。頭が良くないのもそうだけど、ブスだとか、そういう外見的なことも含めて。
何かしら美しいものを愛すると、どんどん自分が惨めになる。自分の醜い姿が見えてくる。それを隠そうとするために、私は黙ってしまうのかもしれない。
だけど、そんな私の欠点も何もかも包み込んで、見守ってくれる人、それは私の全てであり、生涯好きでいられると信じている。一番私らしい私でいられる時。ありのままの私を見てくれる人がいるとき、私は初めて自分を好きだと言えるようになる。
「君が僕の生き方愛す度に 少しずつ自分を好きになれた。」 (CHAGE&ASKA『僕は僕なりの』)
Wishing you were somehow here again.
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