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2002年01月23日(水) 信じるということ−信心−

何もない水曜日。
昼過ぎに起きてバイトである。

今日は仏教における信について。
仏教における信心とは、師に巡りあい、仏に照らされて人間的に成長することを意味する。それは自己が明らかに知れてくる心である。(N.Nabeshima)

ここで、法然の歌が紹介される。「松風の 暗きは月の光かな」
1本の松の木、それを照らす月、そして木の影を想像してほしい。光があるから、そこに影は現れる。光がなければ、そこは闇。木は、自分自身である。影は自分の悪いところ、醜いところ。仏が自身を照らしてくれるから、自分のそんな影の部分も見えるということだ。

「自分の暗さを知ってこそ、また本当の意味で相手を思うことができる。
自分を知ることが深ければ深いほど、人はいきいきとしてくる」(ハイデガー)

私自身も、先生をはじめたくさんの人と会ううちに、自分の色々な面が見えてくることがわかった。自分を照らしてくれる場所で、自分の姿を見る、鏡を見るように。そこには嫌な面もたくさんあるし、それを認めるのは怖い。
しかしそれを冷静に見つめることが、人間成長の上で重要なことなのである。

自己の罪悪性を知り、ありのままを受け容れること(機の信心)から始まる。
そして自己を見捨てない(法の信心)。

「真実に出会うとは自己の愚かさに出会うこと。」

自分の全てを包みこむ。私には今までできなかったことである。


2002年01月16日(水) 信じるということ−愛憎同根−

最近は本当に何もない日々を過ごしている。
これもまた抽象的だが、ただ生きてるだけなのだ。

本日は仏教のテスト。全部持ち込み可とはいえ昨日からの体調不良で、起きてるのもやっとなくらい。字を読むも疲れる。なんとか書くことはできた。

そのあとモートン英語。Thank you noteというのを結局書いていなかったので、実際今日が最終ということを忘れていたため、授業中に書いていた。
あまりよろしくない。どっちもおろそかになるからだ。

こんな風に、いつも時間に間に合わないで、中途半端なものしか仕上がらない。原因はやはりグズだから、それだけである。bad habit

人間関係における信について突然話したいと思う。以下は「仏教の思想(N.Nabeshima)」に基づく。

誰かを信じる、それはある程度の交流をもってその証拠に基づいて信じる、つまりわかっているから信じる、のである。同時に、相手の不確実な部分をなお認めようとする。わからないから信じるのだ。

もともと、他人同士なんだからわからない部分をもっているのである。信じるというのはどこかに疑問点がある。自分自身にもわからないことがあるように。

愛と憎悪とは言葉の意味こそ逆であっても、実態は別個のものでないというのは事実だろう。どれだけたくさん愛しても、一度裏切られると、同じくらいの憎悪に変わってしまうのだから。

「信のなかには常に疑いや心配が含まれているのである。それは蓋然性の問題である。相手に対する是認の態度であり、あてたよりにはしているが…。」(N.Nabeshima)

信。
信愛のひたむきさと悲しさ、裏切りをも恐れないことを意味するものだ。


2002年01月07日(月) 凛とした窓の外

今日から学校が始まった。
遊ぶときは遊ぼうと開き直ったせいで、
すっかり休みボケ。
おかげでNHKの副音声が理解できなくなったのと、
択一、しかも一回やったやつを、立て続けに間違うようになってる。
記憶が飛んで、頭が回っていないためだ。

2こうなかったので、みきと図書館でお勉強。
といっても簿記だけ。手使うだけでできるようなとこだけ。
ちょっとした目覚まし、にもならんかったが。

目も頭もボケボケ。
早く元に戻らないと。


2001年12月25日(火) Weihnachtsgeschenk 

途中で何回か目を覚ましたけど、寒さのせいでとても起きる気がしなかったからだ。結局行動開始したのは15時過ぎである。しかも朝食(昼食)よりも先に、まず手にしたのはフルートだった。例によってアヴェマリアかバッハのポロネーズばかり。寝起きのせいか息が苦しくてあんまり音がでなかった。

商店街では意外な曲に出会ったりする。今日銀行の前に来た時耳にしたのは、WHITE CHRISTMASである。ただのWHITE CHRISTMASではなく、チャゲアスのWHITE CHRISTMASだ!最初のピアノの前奏で、聞き慣れている曲だと気付く。歌詞カードの2行目Just like the ones I ...のところが、ねばーーーーーって粘着のある、また、とろけそうな歌い方。これは中2の時初めて聞いたときの印象であるが。まあ、そこがいいんだけど。とはいえ今これがCAだってこと知ってるのてるの私くらいじゃないかって思いながら、歌を聴いていたいため、そのままぐるっと一周してきた。嬉しかった。

その勢いで、ミヤコに入る。ベートーヴェンの大公か四重奏を買うつもりだった。CAのアルバムが、発売はもっと後だと思い込んでいたので、NOT AT ALLを見つけたときは感激した。即買い。

帰ってから、せめてこのくらいは手伝おうと、米と食器を洗う。米がこぼれる。その後CDを聞く。CAのは出だしから良かったのは言うまでもない。ん、この響き、衰えていない。むしろますます幅が広がったような。最後の曲「告白」というのが前から気になっていた。たしかSAY YESのシングルにしか入ってない、あのチャゲの曲と同名。CAに出会ってから2番目に聞いた曲であり、メロディもきれいだったのを覚えてる。今回のも、やっぱりそれを少しアレンジしたものだった。元のシングルはカナダに飛ばしたため、しばらく聞けまいと思っていたけどまた再会できて嬉しい。チャゲの中でも特にいい歌だと思ってる。

大公だが、父も絶賛!のアシュケナジーでやはり間違いはなかった。ピアノか交響曲以外はほとんど聞かなかったので、楽団の選び方さえも分からなかった。だけどベートーヴェンが最も力を注いだのが室内楽であること。もっと勉強しようと思う。もうすぐ日本では第九か。


2001年12月17日(月) Alles gute zum ...

毎日書けないにしても毎週月曜日だけは必ず学校の話まとめて書くつもりだったのに。もう3週間。というのも、私なりに深刻に悩んだ1週間があった。
もう年齢も若くなくなってくるし、ただ夢を描いていればいい昔とは違う。
今が正念場。悩んでる暇あったらとりあえず勉強しようよ、という結論に
いつも落ち着くんだけど、今回は頭痛くなるまで考えて、一晩寝ても
答えが見つからない、混乱。渋滞中。そんな日々もいつのまにか終わって、冷静に考えることができるようになった。友達や両親の助言とかで、なんとか目標も定まった。今やるべきことも。カナダ一直線。

今日は、一言で言えば眠かった。あまり書く気分でもないので、あさってくらいに改めて書こうと思う。最終的には、ラッキーな日だったといえよう。

結果的に意味を成さないことは、しないでおこうと思います。それなりのパワーなり勇気なり持ってたら、また別の生き方があったと思うんだけど。私にはそんなのない。ただ運が悪かったと片づけるだけ。だけど、もうどうしようもない!ことだってあるんだから。私は恋愛はしていないが。

言わずに残してきた言葉。今ここに告げる時が来た。

It's time to say goodbye


川村 |MAIL