地上懐想
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2002年02月04日(月) |
修道院滞在 2003年秋 |
この連休は修道院で過ごした。 在来線を乗りついで数時間かかる遠い修道院へ泊まりに行くなど、ちょっと前までの体調では考えられないことだった。 涼しくなって、いちだんと回復したのだろうか。 行くことを決めたのは出発の前日の午前中。 その朝、ふと行く気になり、先方へ電話をしてみたら部屋がとれたのだった。
1年ぶりに訪れる修道院。 ここは私にとって何なのだろう。 いるだけで幸福になる。 病院へ通っていることも、薬を飲んでいることも嘘のように感じられるほど元気になる。 風の音を聞いて、共同の祈りに参加して、そうして生きているだけで幸福だと感じられる。 いちばん自分らしい自分になれるような気がする。
敷地の外を散歩した。 道端に生い茂っている野草が花をつけている。 いろんな種類の花がそれぞれに美しい。 地上にたった1種類の花しかなくてもよかったかもしれないのに、 神はこのようにたくさんの種類の花を創られた。
それぞれが、それぞれに美しく。 人もそのようであればいい。 それぞれが、それぞれに与えられた場所で、その人らしく咲けばよいのだと思った。 そして、その人のいるべき場所は必ずどこかに用意されているのだと。
*****
「美しい人」
連休を修道院で過ごして、1年前に聖堂で目にした風景を思い出した。 その人は共同の祈りの時に、祭壇のろうそくに明かりを灯す係をしていた。 背の高い彼女が静かに歩いてきて、ゆっくりとろうそくを灯していく、その動作がなんともいえず美しかった。 平服にレースのヴェールをかぶっていることから、彼女がこの修道院への入会志願者なのだとわかった。 生涯、囲いから出ない修道生活へこれから入っていこうとする、その決意と緊張感が彼女の姿から立ちのぼるようだった。
あの凛とした立ち姿を自分もしていたいと思った。 囲いの中の生活はおくらなくとも、志は同じく。 祈りにおいて。 労働において。 砂漠を生きることにおいて。
世にありながら、世のものでなく。
修道院での滞在を終えて、帰路につく。 たちまち、「世間」が大波のごとく押し寄せてくる。 また今日からこれらに向かっていく日々が始まる。
次第にビルが多くなっていく風景を車窓から眺めながら、自分自身に確認する。
波にのまれないように。 自分を見失わないように。 何のために世に送り出されてきたのか、問い続けることを忘れないように。
2003 秋 記
2002年02月02日(土) |
修道院滞在 2002年春 |
昨日まで三日間、いつもの修道院に滞在した。 敷地の中の林を歩いた。 風の音と、小鳥の声のほかは何も聞こえない世界。 若葉はまだ初々しく、足元にはタンポポやスミレや、名前もしらない小さな花がそこかしこに咲いている。 私はここでこうしている時がいちばん幸せだなあと思い、去年の春も、この同じ場所を歩いてそう思ったことを思い出した。
敷地は広いけれども、滞在者が自由に歩ける範囲は決まっているので、散歩といっても同じコースを毎回歩くことになる。 以前だったら物足りないと感じたと思うけれども、今はそのこと自体は気にならない。 外に刺激をもとめて歩くのではない散歩であるから。
二十歳前後の時に初めて一人旅をして、それ以来たびたび一人で旅することがあった。 けれどもただ旅を好きだと思って旅していた頃は、じつは旅先で自分は何をしたらいいのか不安定だった。 観光名所をまわるということもしてみたし、眺めのいい美術館でぼーっとしてみるということもしてみた。その時はそういう旅で満足感があったけれども、どこかでもっと風景と対峙していたいという気持ちがあった。旅先でゆっくり座って風景画を描けるように絵を習おうかと考えたりもした。
こうして修道院に滞在するということを知ってから、そうしたいわゆる「旅行」というものにだんだんと興味が薄れていった。 とくに何も見て回らなくても、絵を描いたりしなくても、風景を凝視したりしなくてもいい、そういう滞在。
一般にはリゾート地での過ごし方と似ているかもしれない。
リゾートでの滞在とちがうのは、日に何回かある修道院の聖務日課に与って、一緒に聖歌を歌い、お祈りをするという点。 この聖務日課は、一般の教会などでは味わえない。ここの修道院では日に7回あるけれども、それがあることによって、滞在者の時間にも区切りが生まれ、緩急のリズムが生まれるように思う。
聖務日課以外の時間は、散歩したり、本の一節を読んで心に深化させたり、部屋で横になっていたり(そんなことをしていても、自宅で寝ているのとはちがって、無為に時を過してしまったという焦りがない)・・・そんなふうにして、つまりは、心身と魂の休息をとる。そして静かな自分に帰る。
2002春 記
2002年02月01日(金) |
修道院滞在 1998年クリスマス |
「祈りのなかでは、下界の、人間の沈黙の領域が、天上の神の沈黙と結合するに至る。
かくて下界の沈黙は、天上の沈黙のなかで憩う。
祈りのなかでは、言葉は−−したがって人間は−−この二つの沈黙の領域のあいだに置かれた中心点である。 祈りのなかで、人間はこの二つの領域によって支えられる。」
『沈黙の世界』(マックス・ピカート著 みすず書房 1964)より
12月24日〜26日まで、ある修道院に滞在しました。上記の本はそこの図書コーナーにあったものです。 この修道院は以前にも訪れたことがありますが、おもしろいと思ったのは、同じ本棚の前に来ても、時を経ると手にとりたいと思う本の傾向が違っているということでした。 今回出会う本、今わたしに必要な本というのがこの『沈黙の世界』だったようです。
さて、今回は友人と行ったのですが、鈍行列車をのりつぎ、なかなか来ないタクシーを待ち続けてようやく修道院に着いたころ、静かに粉雪が舞いはじめました。 ホワイト・クリスマスになるのではと、わたしたちは柄にもなくはしゃいでしまいました。
部屋に荷物をおいたあと、それぞれ散歩に出かけました。 外は強い風が吹いていて吹雪の時のように雪がたたきつけられてきます。 でも天気は晴れ、上を見れば冬の太陽があり、青空がひろがっているのです。 じつに不思議です。 杉林が風にごうごうと鳴って、あたりには人ひとり見えず、人的な音は何もない。半分この世ではないような風景でした。美しいという意味において。
修道院はほんとうに美しく、それはまわりの自然とか木々のたたずまいとか、時を経てきた典礼や聖堂が美しいだけではなく、美しいということが簡素であることと深く結びついている・・・そしてそこに、沈黙、静けさというものがさらに分かちがたく結びついている...言葉では言い尽くせないそうした世界です。
0時の「夜半のミサ」が始まる頃には、近隣に住む方々もたくさんおいでになり、祭壇脇にある外部者用の席はいっぱいになりました。 町なかの教会ではたいてい、24日の夜7時くらいからこの「夜半のミサ」が行われますが、ここの修道院ではクリスマスの日の午前0時に行われるのです。 2000年前のベツレヘムの夜へと、そのまま時空がつながっていくようなミサでした。
ミサが終わると、聖堂わきの小部屋で簡単な立食パーティがありました。 もてなして下さるシスター方はさすがに受付係の3人の方と神父様のみでしたが、このシスター方というのが実に気さくで、わたしの思っていた「観想修道者」のイメージとはちがっていてちょっとびっくりです。
話は前後しますが、到着した日の夕食後、受付のシスターに「ちょっとこちらへ...」と小部屋へ手招きされました。そして一通の封筒を手渡されました。 それは、前回の滞在時にお世話になったあるシスターへと、わたしが出しておいたクリスマスカードでした。 「ご存じありませんでしたか...」と言われ、わたしは初めてそのシスターが帰天されていたことを知りました。
一昨年の夏に滞在した時に、わたしが典礼用の楽譜のコピーをお願いしたことがきっかけで、そのシスターとは2、3度お手紙をかわしていました。 そのお手紙の中の「クリスマスのお祈りはとても美しいので、ぜひいらっしゃい」という言葉にずっとひかれていて、今回の修道院滞在を決めたともいえます。
話を伺ってみると、発病されたのはわたしが滞在した年の12月とのこと。 そして翌年の5月31日、聖霊降臨の日、わたしが堅信を受けた日に天に召されたということでした。
「いつかまた一緒にお祈りできる日を楽しみにしています」と書かれたシスターの手紙を読むたびに、もうこの世では一緒にお祈りできなくなってしまったとしみじみ思います。 これ以上ないという沈黙、最大の沈黙に入られてしまったのですから。 でも考えてみれば、その沈黙は神の沈黙へとよりいっそう近づいたもの、希望とさえいえる世界なのです。
そしておそらくはこの世においては祈りによって、つながることができる世界なのでしょう。 地上で一緒にお祈りすることはできなくなったとしても、祈りの中でつながっていることはできると...
そうしていつかわたしがこの世界での役割を果たし終えた時、今度はほんとうに一緒にお祈りすることができるでしょう。
1999.1 記
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