砂漠の図書室
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2001年07月01日(日) ミシェル・クオストの言葉



1. 神に聴くすべを知っているなら

神に聴くすべを知っているなら、
神のみ声を聴こう。
わたしたちに語っておられるみ声を。
神はほんとうに語っておられる。

福音の中でも、
生活の中でも、
毎日の生活に新しい1ページが加えられ
この新しい福音を通して、語っておられる。

だけど
わたしたちの信仰はよわく
わたしたちの生活はあまりにもわずらわしいので
神のみことばに心を開こうとしない。

キリストとの親しい交わりのはじめに
彼が今日生きている人々に
福音をときあかして
何とおっしゃるかを心にえがいてみよう。


2. 生活に目をとめさえすれば

(前略)

信仰をもつということは
なにも目をあげて神に思いをはせるだけではなく、
キリストの目をもって、
この世に目をそそぐことでもある。

キリストをしてわれわれの全存在にしみこませ、
われわれの瞳をきよめるなら、
この世はもはやさまたげにはならない。

むしろ、キリストによって
み国が天になるごとく地にもなるために、
父のために働くことへのたえざる招きとなる。

われわれは人生に目をとめることを知るに足る信仰を
祈り求めねばならない。


3.生活のすべてがしるしとなる

もし、神の目から生活を見るすべを知っていたら、
それは創り主なる神が
造られたものを愛される計りがたい愛のかたみに見えるだろう。

父なる神がわたしたちをこの世に送ってくださったのは、
この世から目をそむけて歩くためではなく、
物質やできごとや人間を通して
ご自身を探し出させるためである。

すべてのものは、わたしたちに神のみ心をあらわす「よすが」となる。

日々の小さなできごとの中でキリストにほほえみかけるためには、
長い祈りは必要ではない。

(後略)


4. 生活のすべてが祈りとなる

もし神に聴くすべを知っていたら、
もしわたしたちのまわりを見回すことを知っていたら
生活全体が祈りになるだろう。

神の目のもとで展開される生活は、
すべてどんなものでも、
自由に神に捧げられずにはいない。

わたしたちは、
はじめことばで神と交わるが
それはのちになって、必要でないかもしれない。

ここにしるされる祈りのことばも
ちょうどくだものの皮をむくように
やがて、すぐにすてられる。

ことばは手段にすぎない。
しかし、ことばをこえたなにものかが
静かな祈りとなって
日ごとの生活の中から
たえずほとばしりでるものでなければならない。
毎日の生活こそ、祈りの素材なのだから。


『神に聴くすべを知っているなら』ミシェル・クオスト著
日本基督教団出版局


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