信じるって、何だろう。 誰かを信じるって、どういうことなんだろ。
「信じてるよ」って言葉で伝えることって、 余程のことが無い限り、なんだか疑うことを打ち消す道具に思えて。 無性に悲しくなる時があるの。
信じてるのは、貴方の、何? 誰の、心なんだろう。
信じることは、疑うことの裏表。 人を疑う人は疑われ、 嘘をつくひとは人に怯える。
どんな人も、基準は自分の心だから。
誰かを信じることの出来る人は 自分の心の中に在る、胸に映る世界を信じられる人だ。 そして、人から信じてもらえる人。
それは、自然と人が呼吸するように、 息を吐いては吸う行為と同じく、
意識しなくても出来てること。
気がつけば、きっと引き合うんだ。 「信じる」なんて、そんな言葉、要らないことに、 もっと早く気付きたいな。
それは、自由な心につける足枷であると同時に、 変わることの出来る、人の心への、精一杯の希望。
本当は、ほら、
息をするように簡単な事なんだ。 でも、その大切さって、なかなか気付くことが出来ない。
だから不安になる。幾万通りもある、可能性に怯える。 信じるって、なんだろう。 誰かを信じるって。
…本当は、その人を映す自分の胸の中に、答えが在る。
探し当てるのは、自分の力。 でも、他人の力がないと、それは目に見えないんだ。
だから、答えが見当たらないと、また人は不安になる。
不思議なものだな。 割り切れない。不思議なものだ。
面倒くさがりな自分が居る 歩くのも 話すのも
でも 明るく居たい自分も居る
どんな時も
遠い空 薄い空 深い海の 濃い藍色
天にはオレンジの光
貴方の光
ああ
次第に大人になってく感性を 止められない
いつの間にか、色んな事を我慢できるようになって 涙もこらえる自分がいて いつの間にか、人の幸せを願う自分が居て
でもそれは嘘だって 心のどこかで思うんだ
なのに、そう「考える」脳みそが
衝動的な何かを否定すんだ
…物事は円滑 でも、その分感性は鈍くなって
何処かで窮屈な自分が居て でもそれも無視する自分が居て
口先から嘘ばかり吐く 芋づる式の幸福論
変わる自分を 肯定する自分を 止められない
最近また、胸の中が濁って来て。
ああ、自分が強くないと、 私は簡単に汚れてしまう。
誰かのくだらないひと言が、 驚くほど、どろどろ体に纏わりついて来たり。
簡単に、付いて来ないで。 簡単に、入って来ないで。 側に来ないで。
寄りかかられる様な、あの纏わりつく目が、 とても嫌い。誰であっても。
…ふと、鏡を見て、
自分が同じ目をして誰かを見ていないか、 考えてぞっとした。
私は、自分の事も恐ろしい。
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