3月14日は父の誕生日だ。
亡くなった人の誕生日は、虚しくやりきれない気持ちになる。
けっしてその人が踏む事の無い歴史が、またひとつ増える。 毎年毎年、こんなふうに、白紙のページだけがめくられて行って、 そのうちきっと、そのページの方が多くなっていってしまうのだろう。
悲しい。虚しい。私が大人になって行くにつれて、悲しさと、 「父親の居ない私」が確立して行く事が、それらが当たり前になる事が、 そんな現状しかなくなって行く事が、虚しくてたまらないのだ。
友人がどんどん幸せな結婚をしていくなか、私はふと、その「幸せ」が、 自分には一生来ない物のように感じる。
我が家は昔から年功序列で厳格な家であったから、私は父に逆らった事 もなく、特別に困らせたり、感情をぶつけ合うようなこともしなかった。
今思えば、もっと、思った事を全て言い合って困らせたり困らせられたり する時間があったって良かったのかも知れないと思った。
本当なら、こんな気持ちにはならずにすんだのかも知れない。だけど、 現実はいつもひとつだけで、それ以外を選択することは出来ない。 私はまた、自ら望まざるこの現実の日付を、彼の屍を超えるような気持ちで 一日をやり過ごして、紛らわして、ただただ気持ちを引きずりながら 生きて先へ進むのかも知れない。
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