心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2018年09月20日(木) 嫌われ役を引き受ける

いま僕は埼玉に住んで、東京の職場に通勤しています。長野からこちらに引っ越してきて5年ちかくになりました。こちらに来て、「将来は依存症の人を手助けする仕事をしたい」と言う人たちと出会うようになりました。人には職業選択の自由がありますから、それがその人の意志ならば、周囲がとやかく言う必要はないとは思います。ただ、一般のAAメンバーの立場から見れば、例えば依存症の回復施設での仕事は「たいへんな仕事」であり、給料に魅力があるわけではなく、積極的に選びたい仕事ではない、というのが正直なところではないでしょうか。

依存症者の回復を援助する仕事なんかしたくない、というのが健康な人の考え方でしょう。ですから、あえてその仕事をしたいと思う人は、どこか病んだ部分を抱えている、というのが僕の見方です。援助の仕事をしたければ、なにもその対象を依存症者に限らなくても良いと思うからです。

話は変わって、どんな人が援助職という仕事に向いているか、という質問を受けることがあります。僕にそんなことを聞かれても、的を射た答えができる自信はありません。ただ、周囲を見渡していれば分かることもあります。

例えば、体力はあったほうが良いし、メンタルも強いほうが良い、頭の良さは常にアドバンテージになるし、美人・イケメンは何かとお得だし、育ちの良さは万人ウケします。そうしたところは、他の職業と何ら変わるところはありません。だから、他の職業だと自分は競争に不利だから、援助の仕事ならイケてる自分を実現できるかもしれない・・・などという動機で選ぶと、「こんなはずじゃなかった」という不満の多い職業生活を送ることになるでしょう。

むしろ、自分が狂っていることは十分分かった上で、それでも「ただやりたいからやる」という単純な動機の人のほうが強く、また満足感も強いと思うのです。

逆に、明らかに向いていないタイプも見受けます。それは「悪役になれない人」です。本当に助ける相手のことを思うならば、あえて冷たい態度を取ったり、憎まれるようなことを言ったりしなければならないこともあります。ハードな直面化は援助関係の途絶を招くので嫌われ、良好な関係の維持が好まれるご時世になってきたとはいえ、やっぱり直面化が必要な時もありますから。

人に感謝されることがモチベーションだという人は、悪役・嫌われ役・憎まれを引き受けることを、意識的にも無意識的にも避けます。人を助けることには不向きな人としか言いようがありません。

そもそも、支援の現場ばかりでなく、人の集団を目的に向かって動かしていくときには、必ず嫌われ者の役を引き受ける人がその中に必要です。集団のために奉仕しているのに皆に嫌われるのは割に合わない、と考える人は、自分で思っているより利己的な性格をしているわけです。

もちろん、人に嫌われることに何の痛痒も感じない、というのは何らかのパーソナリティ障害じゃないかと思いますし、かつては感じていたけれども今ではもう慣れっこ、というのも困ったものです。やはり、そこには何らかの葛藤が残っているのが健全なんじゃないかと思います。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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