心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2016年03月28日(月) どうやって「ゆだねる」のか

10日ほど前に、メールで質問をいただきました。返事を出さないまま、日が経ってしまいました。せっかくなので、メールに返信する代わりに、日々雑記のエントリでお答えしたいと思います。

ご質問の部分だけ抜き出します。

> ステップで、行動を神に任せる、という祈りがありますよね。
> これはどういう風に、自分の生き方を定めるという事なのでしょうか?

12ステップでは、ステップ3で自分の「意志と生き方を自分なりに理解した神にゆだねる」決心をします。

ステップ3は「決心をする」ステップですが、決心をした後、具体的にはどのように神にゆだねていったら良いか、という主旨の質問だと理解しました。

決断や決意は心の中で行うことです。だから、ステップ3の決心も心の中で行われるものでしょう。しかし、12ステップは「行動のプログラム」ですから、ステップ3も何か具体的な行動をするのがふさわしいでしょう。ビッグブックでは、p.91に「第三ステップの祈り」が書かれています。「神よ、私をあなたにささげます」で始まる5行の短い祈りです。

p.92では、理解ある人と一緒にこの祈りを口に出して唱える、という行動が提示されています。決心を行動として現わすわけです。

これでステップ3は終わりです。しかし、決心しただけでは「ゆだねる」ことは実現しません。

もし、東大に合格する、と決心しただけで東大に合格できるのなら、はたまた、大金持ちになると決心しただけで金持ちになれるのなら、僕はいくらでも決心するでしょう。しかし残念なことに、決心しただけでは物事は実現しません。決心に続いて、その内容を実現するための努力が必要です。東大に入るためには、決心に続いて受験勉強が必要ですし、金持ちになりたければ努力して事業を成功させなければなりません。結婚だって就職だって、決心だけでは実現しません。

「神にゆだねる」ことも同じです。ステップ3の決心に続いて、ゆだねることを実現するための行動が必要です。それがステップ4から12にあたります。

さて、話を進めやすくするために、この図を見てください。

人生の三つの次元

これは、ジョー・マキューとチャーリー・Pのビッグブックスタディで使われた図を日本語に訳したもので、12ステップの説明に使われます。私たちの人生(life=生命、生活)を三つの同心円で表現しています。

私たちが「自分」と捉えているのは、この図ではグレイのアニュラス(円環)で表現しています。私たちが「心」とか「精神」と呼んでいるものです。

私たちは物質的なもの(金銭や財産)や社会的なもの(人間関係や社会的地位)に囲まれて暮らしています。だからそれらを一番外側の円環として表現しています。

さらに、ビッグブックでは神(あるいは神の意志)は、私たちの一番深いところに見つかる、と書いています(p.80)。だから、神が一番内側に描かれています。

この三つの円を「人生の三つの次元」と呼んでいます。

さて、真ん中にある神は意志を持っています。もちろんグレイの円環である私たちも意志を持っています。つまり「神の意志」と「自己の意志」の二つがあるわけです。ステップ3では、この「自己の意志」を「神の意志」に従わせていく、という決心をするわけです。

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自分の意志を神の意向にだんだんと合わせられるようにするのがAAの十二のステップの目的である。(12&12, p.56)
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内なる神は善なる存在です。しかし、グレイの自己は利己的な存在なので、良い動機を持っていたとしても、「人との間に、あるいは何かのことで、ごたごたが絶えない(AA, p.87)」という生活を送ることになります。だから、自分の意志を神にコントロールしてもらえらえば、うまく生きていけるだろう、というのが12ステップのコンセプトです。

神あるいは神の意志は、僕ら人間に生まれながらにして備わっています。誰もがそれを備えています。だから、そう望むのなら、誰でも、自分の意志と人生を、内なる神にゆだねて生きていくことができます。

でも、僕らは日常生活の中で、内なる神や神の意志を感じ取ることはなかなかできません。どうしてできないのでしょうか。

ビッグブックでは、神(一番内側の円)と自己(グレイの円環)の間に「障害物」が生じている、と言っています。また、12&12では、神と自分をつなぐチャネル(※)が詰まっていると言っています。どっちにしても、神と自分との関係を阻んでいる「障害物」があるわけです。

※チャネルをパイプと訳している(12&12, p.135)。

その障害物とは何か・・それは、恨み、恐れ、欲求不満、罪悪感などです。そして、そうした障害物が発生する原因が私たちの「性格上の欠点」と呼ばれるものです。

だから、ステップ4・5では、恨みや恐れを手がかりに棚卸しをして、自分の「性格上の欠点」を見つける作業をします。ステップ6・7では、見つけた欠点を取り除きます。ステップ8・9では過去に自分が傷つけた人に埋め合わせをします。ステップ10では、ステップ4〜9の作業を日々繰り返していきます。

こうして障害物が取り除かれていくと――あるいは神と自分をつなぐチャネルが掃除されると――、僕らは神の意志を受け取る準備が整います。そこで、祈りと黙想という手段を使って、神の意志を知り、それに従っていく努力をします(ステップ11)。

このようにして「ゆだねる」ということが実現するわけです。ふう、ちょっと大変かもしれませんが、東大に合格することや、大金持ちになるよりはずっと容易だと思います。

僕らは、自己(グレイの円環)と物質的・社会的なものとの関係にばかり関心を持ってきました。お金のこととか人間関係のことです。だからミーティングでもその話ばかりしているでしょう。でも、大切なことは自己と内なる神との関係です。その関係が良くなれば、外側とのことで思い悩むことはずっと少なくなり、楽に生きていけるようになります。それが、ゆだねて生きていくということであり、それを実現するために、棚卸しと埋め合わせ、祈りと黙想に取り組むことが必要です。これが、あなたの質問に対する答えになります。

アメリカのあるNAメンバーが、僕らの心の中には god-shaped-hole が空いている、と言っていました。神の形をした穴です。生きるのに虚しさや辛さを感じるのは、心の中に大穴が空いているからです。それは「神の形をした穴」なので、神以外の何かで埋めようとしても、ぴったりはまりません。僕らはその穴を酒や薬で埋めようとして、かえってひどいことになりました。

障害物を取り除いてみれば、その穴の中には神がちゃんと存在していたことを知るでしょう。生まれたときからずっと一緒にいてくれたことも。その時私たちは奥底から「満たされた」という感じを抱きます。そうして得られる「自分より偉大な力への気づき」、「神がここにいるという実感」がステップ12に書かれている「霊的な目覚め」です。

 最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
 結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
 あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです

 (ANYWAY〜マザー・テレサ作とされている詩


2016年03月18日(金) 分け隔て無く vs. アルコホーリク限定

2年ほど前に、僕が引っ越しと転職をしたことをご存じの方も多いでしょう。

環境が大きく変わったことが、この「日々雑記」の更新が滞った原因の一つですが、それ以外にもAAのゼネラル・サービスに時間を費やされたことが主な理由でした。そのサービスの頸木(くびき)からもようやく解放される見通しがつき、これからはもう少し「家路」に時間を割くこともできる、と自分で期待しています。

新しい仕事の関係で、社会福祉の勉強をすることになりました。先日も5日間のスクーリングに行かせてもらいました。エリザベス救貧法とか、救血規則・・じゃなかった恤救規則とかから始まって、現在の自民党の政策までの社会福祉の歴史の話だとか、援助技術論とか公的扶助論とか。講師は大学で福祉を教えている先生でした。

社会福祉とは何なのか? 僕の単純な理解では、それは「困っている人を手助けすること」です。社会生活をしていく上での基本的な欲求を満たせない状態の人に、何らかの制度を使って助けてあげることです。

福祉制度の無かった時代は、裕福な人が行う「慈善」活動が福祉の役割を果たしていました。だが、慈善は与える側の善意が元になっていて、受け取る側のニーズは反映されにくいものです。他にも血縁・地縁による「相互扶助」の仕組みもありました。でもこの互助というのは、「頂いた分へのお返し」が必要なので、お返しできない立場の人は辛くなってしまう。そこで、税金などを使った公的な制度を作ったわけです。それが、公的扶助(生活保護)や年金や保険制度などの仕組みです。

社会福祉とは、困っている人のニーズと公的な仕組みを結びつける役割であって、必要な仕組みがなければそれを作る活動をしたり、自ら仕組みの一部となってサービスを提供するマンパワーになったりする・・・。

社会福祉は人権思想に基づいているので、対象を選別することを嫌います。例えば、生活保護には無差別平等の原則があって、困窮に至った原因は問われないのです。酒を飲んで身を持ち崩したのは自業自得だから生活保護は支給しない・・という扱いはしてはいけない。要件を満たす人は、分け隔てなく、可能な限り多く助けるというのが基本です。

先日、障害福祉の現場で働きながら、アルコールのことにも関心を持ってくださる、ある方と話す機会がありました。そしてすぐに、あることに気がつきました。その方は、手助けする対象がアルコホーリかどうかを気にしていないのです。アルコール多飲の原因が、依存症であっても、依存症以外の知的な障害や統合失調であっても、同じに扱っているのです。

福祉としては、それが正しい態度なのだと思います。アルコールで問題を起こしていれば、その人にとっては分け隔て無く助けるべき存在なのでしょう。

AAはそうではなく、アルコホーリクに対象を限っています。伝統5は「靴屋よ、なんじの本分をはみ出すな」(12&12, p.203)と、AAがアルコホリズムに専念するように言っています。アルコール多飲には、依存症以外の原因も考えられます。それを区別するのはAAメンバーの仕事ではありませんが、アルコホーリクではないことが明らかな人は、AAの対象でないことも明らかです。

もちろん、アルコホーリクでない人をAAミーティングから追い出せ、と言っているわけではありません。排除の理屈ではない。ただ「下手に多くのことに手を出すよりも、一つのことを最大限うまく行う方がよい」(12&12)という、選択と集中の原理が、AAを世界的に広める力になったことを忘れてはいけません。近年のAAの国際会議でも、"Singleness of Purpose"(AAの目的の単一性)というテーマが繰り返し扱われています。

同じことは、アルコール依存症の回復施設にも言えるのだと思います。アメリカの回復施設のスタッフやAAメンバーと話していて、強く印象に残ったのは、彼らは「(真正の)アルコホーリクだけを対象とする」ことに誇りを持っていることです。同じアルコホリズムという共通の問題を抱えていることが、助ける側と助けられる側に深い理解を生み、その共通の問題に対して12ステップという共通の解決策が提供される・・・。解決策を受け渡す手段が、ミーティングやスポンサーシップである、というわけです。

日本のAAメンバーや施設スタッフが、アメリカの施設のスタッフに会うと、よくこんな質問を投げかけます。

「ほかに障害があるみたいで、回復のプログラムに馴染まない人は、どう手助けしたらいいんだ?」

僕も同じような質問をしました。それに対して彼らは一様に困った顔をし、そして親切に、こう言ってくれるのです。

「アルコホリズム以外の問題は、その専門家にまかせたらどうだろう」

この答えに対して、質問した側が、はぐらかされたような気持ちになってしまうは、AAプログラムが誰を対象にしているかの認識にギャップがあるからです。目的の単一性を良く認識している人たちと、アルコールで問題を起こしている人なら誰でも助けたい人たちと。

アルコホリズムとそれ以外の問題を同時に抱える人はいます。僕の福祉の勉強は、そのような重複障害の人を手助けするのに役立ってくれるでしょう。だから、AAメンバーが福祉の勉強をすることに反対しようとは思いません。でも、福祉の思想をAAに持ち込むとおかしなことになっていきます。

日本のAAは40年間、「関係者」と呼ばれる人たちの応援によって発展してきました。最初はその方たちを、英語の professional を訳して「専門家」と呼んでいたのですが、職業的専門性に自信のない人たちから「俺たち援助職を<専門家>と呼ぶのは止めてくれ!」と言われたので、仕方なく20年ほど前から援助者のことをAAの「関係者」と呼ぶようにしたのです。

この「関係者」には、医療、行政、矯正などいろいろな分野の人が居るのですが、数が一番多いのは福祉の分野の人(ワーカーと呼ばれる人たち)でしょう。その人たちの善意があってこそ、日本のAAがここまで成長してきたのです。だから、その人たちが気を悪くされたら申し訳ないと思いながらも、やはり言っておくべきことは言わねばならぬ、という気持ちがあるのです。

ケースワーカー、ソーシャルワーカーの人たちは、福祉の仕事をしているだけあって、「分け隔て無く、なるべくたくさん」を手助けするという理念があります。個人的にそういう指向性を持っていない人だって、職場の倫理観がそうなんですからね。だから彼らには、AAを福祉の社会資源と捉えて、

「AAは、アルコールで問題を起こしている人なら誰でも引き受けるところ」

であって欲しい、という願いがあり、それがときには「であるはずだ」という思い込みにもなる。それは福祉の理念をAAに押しつけることになる。それに対してAA側は「アルコールで問題を起こしている人には、アルコホーリクもいれば、そうでない人もいる。AAはアルコホーリクのみを対象にしている」ときちんと伝えなくてはいけないのでしょう。

AAのことを正しく伝える努力が弱まると、AAは「別の専門家に任せるべき人」を引き受けるようになってしまいます。それは、その人にとっても、AAメンバーにとっても不幸なことですし、苦しんでいるアルコホーリクが助かるチャンスを減らしてしまいます。

AAメンバーは、AA以外にもやらねばならないことがたくさんあります。仕事もあるだろうし、家庭のこともある。ストレスにつぶれないように、人生を楽しむレジャーの時間も必要でしょう。24時間の中から「AAのメッセージを運ぶ」ために割ける時間は多くないはずです。限られた時間を有効に使うために、対象を真正のアルコホリズムに限定するということも必要でしょう。

だがそれは、どこかで誰かに冷たい態度を取らねばならないことを意味します。12の伝統の中で、伝統5の実践が一番厳しい気もします。

(最近アメリカのGSOから出てくる文章は、AAプログラム(12ステップ)がアルコホリズム以外にも効果があると受け取って欲しくない、というニュアンスが強くなってきています)。

さらに、AAの(真正の)アルコホーリクと、医師が医学的にアルコール依存症と診断を下した人は同一ではない、といことも述べておかねばなりませんが、それについては稿を改めましょう。

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年末年始にこの雑記が書けなかったので・・・

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