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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2014年12月31日(水) それでもなお・・・ 人は不合理、非論理、利己的です
それでもなお、人を愛しなさい
あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
それでもなお、善を行いなさい
目的を達しようとするとき、
不実な友だちと本物の敵に出会うでしょう
それでもなお、やり遂げなさい
善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
それでもなお、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたへの攻撃を招くでしょう
それでもなお、正直で誠実であり続けなさい
何年もかけて作り上げたものが、一晩で壊されるでしょう
それでもなお、作り続けなさい
本当に助けを必要とする人たちも、
助けたあなたに恩知らずの仕打ちをするでしょう
それでもなお、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
それでもなお、最良のものをこの世界に与え続けなさい
最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです
−−−−
マザー・テレサによるとされる詩ですが、調べていくとアメリカの元官僚ケント・M・キースによる「逆説の10ヵ条」が元になっていることが分かりました。なぜそれがマザー・テレサのものとされたのか調べ、それをネタに久しぶりに「心の家路」の更新をしました。こちらです。
それでもなお - ANYWAY
http://www.ieji.org/archive/anyway.html
マザー・テレサのものは「人を助けることについて」、キースのものは「リーダーシップについて」と、この二つはかなり趣が異なりますが、相通じるものだと再認識しました。
詳しいことは省きますが、今年ほど「人を助けることについて」また「リーダーシップとは何か」について考えた一年は過去になかったように思います。
今年は仏教の本を読みましたが、「人間の本質は自己中心である」だと説くのは仏教も他の宗教も変わりありません。ならば一人で生きていければ楽なのでしょうが、(数少ない例外を除けば)人間は一人では生きていけず、群れて社会を作って生きていくしかありません。自己中心的な存在が群れて生きていかざるを得ないところに難しさがあるのでしょう(ヤマアラシのジレンマ)。
12ステップの3番目で、私たちは「意志と生き方」をゆだねます。「生き方」とは人生そのものです。つまり、ステップ3を伝えるためには、伝える側が「人生とは何か」を知っていなければなりません。
そんなことも含めて、年の最後に、すべての援助者の人と、すべてのリーダーのために、「それでもなお(ANYWAY)」を紹介させていただきました。
今年も1年ありがとうございました。
今年一年の統計データ(Webalizer出力データ)
送出バイト数 227.0Gbytes
訪問者数 106万7千
リクエストページ数 1191万
リクエストファイル数 1283万
リクエスト数 1347万
一日あたりの訪問者数 2923人/日
(FC2ブログはカウンターを設置していないので不明)。
滅多に更新しなくなったせいで、アクセスもやや減りました。更新のために久しぶりにHTMLエディタを開いたら、使い方を忘れていて戸惑いました。最近は wikiのほうばかりいじっています。来年以降は完全にwikiに移行するかもしれません。
紅白にサザンが出ていましたね。ではではまた来年。
2014年12月11日(木) 人に属する 関東に越してきて、こちらのAAミーティングに多少なりとも顔を出しています。いろいろ忙しくてたくさんのミーティングには出席できていないのが残念です。それでもいくつかの会場を覗いてみて、数年前とは雰囲気やミーティングの進め方が変わっているところが多いことに気づかされました。
変化が起きたグループは、数年前とはメンバーががらりと入れ替わったか、古いメンバーが残っていたとしてもグループの運営が(ソーバーの長さが)若いメンバーに任されています。グループの雰囲気やミーティングの指向性は、運営を主に担っているメンバーの意向が反映されるものです。個人のリーダーシップに任せずいろいろなことを皆で話し合って決めていくのがAAですが、現場で運営に当たっている人間次第の要素もあります。
考えてみれば、僕も長野で3つAAグループを立ち上げましたが、どれも僕がグループを離れると、僕がいた頃とは違った考え方、やり方を取るようになりました。それについて、僕は干渉して元に戻そうとは思いませんでした。その理由は、アルコホーリックは人から干渉を受けることを好まない、ってこともありますが、むしろ、責任を負っていない人間の勝手な発言は現場に迷惑だというのがメインです。AAグループを存続させていく責任は、そのグループのメンバー以外には背負えないからです。
僕はあくまで僕自身のために一日一日、より素面になろうと生きてきたに過ぎません。何らかのパワー(例えば人への影響力とか)を身につける事を目的にしてきたわけではありません。しかし、どこの団体でもそうでしょうが、一つの団体の中で10年、20年と過ごしていくと、経験の長さがその人の言葉に何らかの重みを与えるようになります。それはAAとて例外ではなく、無責任なことは言えなくなってくるものです。(そのことに無自覚な人もいるし、自分の言葉に影響力がないのを恨む人もいるけどね)。
同じグループに長く留まりながら、新しい人たちにグループの運営を任せ、やり方が変わって行くのを口出しせず、静かに見守っていられる人はたいしたものだと思います。それができないのなら、別のグループに移るべきだとも思うんですけどね。
ともあれ、現実面でのやり方や方向性は、運営している人間次第ということです。そういったものは「人に属している」というわけだ。だから、人が入れ替われば、どんどん変化していって当然です。
AAは変化することが良いのでしょう。人が入れ替わっても、変化させずにとどめようとすれば、自然な変化を押しとどめるための強制力が必要になる。その強制力を「規則」を作ることによってもたらそうとすれば、AAは妙なことになってしまうでしょう。
だからといって、どんな変化が起きていっても良いわけではなく、AAがAAであるために必要な原理は受け継がれていかなければなりません。人から人へと手渡していく、述べ伝えていく、というやり方はうまく働きません。伝言ゲームと同じことが起きるだけです。だから、AAはビッグブックのようなテキストを用意し、一人ひとりがそのテキストから学ぶことで、原理が変わらずに受け継いでいけるようにしているわけです。
どんなにAAを愛する人であっても、いつかはAAを離れねばなりません。自分がAAを離れた後も、自分の考え方ややり方を受け継いでいって欲しい、と思うのは単なる利己主義でしょう。であるものの、AAがAAであるための原理は受け継がれていって欲しいものです。人は必ず滅ぶし、人の集まりであるAAグループもまたしかり。でも、AAという共同体は未来へと続いていって欲しいと願っているのです。共同体にも、テキスト本にも同じ「AA」という名前を付けたのは、そんな意図が込められているのかもしれませんね。
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