心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年08月27日(月) AAの共同体とは(その3)

 自助グループというのは、「同じ問題」を抱えた人の集まりだとされます。問題はアディクションに限らず、SAD(社会不安障害)のグループには赤面症・あがり症・対人恐怖の人が集まりますし、自死遺族会には自殺で家族を失った人が集まります。

 自助グループの始祖はAAであると紹介されることがあります。この情報は誤りです。少なくとも、AA以前にも多くのグループが存在しました。ただ、そうした先駆者はAAのように長続きすることがなかったため、存在が忘れ去られました。そうしたグループには、同じアルコールの問題を抱えた人たちが集まっていましたが、メンバーに共通する解決方法を持たなかったり、あるいは解決の方法が有効でなかったために、消えていきました。

 AAが生き残ったのは、先達の欠点を克服したからです。AAの革新には様々な側面があり、その全てをここで紹介するのは省きますが、「共通の解決方法」を導入したのは大きな革新でした。

 自助グループの要件が「同じ問題」を抱える人の集まりであるならば、解決方法は会員それぞれに違っていて構いません。アルコール依存症の人の自助グループであれば、ある人はノンアルコールビールを代替に飲んで酒をやめ、別の人は山に登ってストレス解消をし、会員が集まる会合(ミーティング)では、それぞれに違った解決方法が紹介される・・という進め方でも構わないことになります。

 しかし、AAはそういうグループではないと明確にされています。再掲します。

 「同じ苦しみを味わったということは、私たちを結び合わせる強力な接着剤の一つではあるが、それだけでは、いまの私たちのようには決してなれなかっただろう」

 「私たち一人一人にとっての偉大な事実は、私たちが共通の解決方法を見つけたということにある」

 この共通の解決方法は12ステップのことです。だから、当然私たちAAのミーティングでは12ステップについて分かち合うことが必要になってきます。

 AAメンバー一人ひとりの酒のやめ方が異なっていても良いのではないか? という疑問も出るかも知れません。しかし、AA以前の様々なグループが消えていったのは、彼らが有効な「共通の解決方法」を持っていなかったからだということを思い出していただきたい。AA以後にも、様々なアルコールのグループが誕生しましたが、世界的に見れば、存続期間・メンバー数の点で、AAほど成功しているグループは他にはありません。

 日本以外の国では多くのメンバーを獲得しているAAなのに、なぜ日本にはわずか四千人か五千人のAAメンバーしかいないのか、という疑問を持った人もいるでしょう。いろいろな理由を考える人がいますが、僕は「共通の解決方法」がミーティングで分かち合われていないことが最大の原因だと思います。

 現実のAA(少なくとも日本のAA)のミーティングは、AAという本(ビッグブック)に書かれた内容とはずいぶん違ってしまっています。ミーティングは12ステップによる「解決方法」の分かち合いから離れてしまっています。

 良く批判されるのが、AAミーティングで(心の)「荷物を降ろす」ことや、「感情のゴミ捨て場にする」ことです。これは簡単に言うと、ミーティング場でグチをこぼしてばかりいることです。

 酒を止めたばかりのアルコホーリクは、情緒不安定な状態です。これはアルコールの影響が脳から消えるのには何年もかかるので仕方ない面もあります。普通の人に取ってみれば何でもない出来事が、酒を止めたアルコホーリクにとっては大きなストレスになることがあります。

 例えば、職場で上司にちょっと叱責されたとか、家族が自分の意見を聞いてくれなかったとか、自分より後で酒を止めたヤツが自分より褒められているとか・・、ありがちな話ばかりですが、それが酒を止めたアルコホーリクを妙に腹立たしい気分にさせてくれます。

 人は自分の傷ついた感情や、腹立たしい気分を言葉にして、誰かに聞いてもらうことで、ホッと楽な気分になることができます。共感してもらえる。共感はしてもらえなくても理解はしてもらえる。そのことが人の精神的な安定に寄与します。

 これはアルコホーリクだけでない、おそらく誰でもやっていることです。グチを聞いてくれる相手がいるのは幸せなことです。配偶者を失った人が淋しさを感じるのは、グチの聞き手がいないことに気づいた時だとも聞きます。

 グチというものは、なにかのトラブルを、自分以外の誰かの責任にしたり、悪口を言ったりするものですから、あまり健全なものとは言えません。しかし、人間というのは100%健全にはなれませんから、必要なものなのかも知れません。

 ただ、AAミーティングでそうしたグチを展開して良いものなのでしょうか。12ステップは、他者の落ち度ではなく、自分の落ち度を追求することによってトラブルを乗り越えていく手段です。だから、グチばっかりの話はAAミーティングには相応しくないと言えます。

 ただ「ビギナーは仕方ない」と言われます。AAではビギナーはあらゆる点で多目に見てもらえます。ともかく彼らは酒を止め続ける必要があり、そのために、ミーティング場でグチをこぼして「心が楽に」なるなら、それもオッケーだろう、というわけです。

 しかし、何ヶ月も何年も経てば、ミーティングで「心の荷物を降ろして楽になる」以上の事が求められます。自分を変えていくことが必要になります。

 自分の話を黙って聞いてもらえることは、幸せなことです。酒を飲み続けているアルコホーリックは、トラブルばかり起こすし、恨みがましくなっていますから、徐々に人間関係を失い、クチを開けば逆に叱られるような関係ばかりが残っています。それが、自分の中のネガティブな感情を言葉に出しても、責められるわけでもなく受け止めてもらえる。これはビギナーには大きな安堵とカタルシスを与えます。

 ただ、この種のカタルシスは、ミーティングへの出席を続けるうちに徐々に薄れていきます。古いメンバー達の関心もより新しいメンバーに移っていきます。2〜3年もすればその人はマンネリ化し、ミーティングに魅力を感じなくなり、グループから離れていきます。もっと早く離れる人もいます。

 AAから離れても、すぐに酒を飲むわけではありません。多くの人は、数ヶ月か数年、あるいはもっと長く酒をやめ続けたあげくに、例の強迫観念によって最初の一杯を飲み、やがて飲んだくれに戻ります。その人は、過去に通ったAAのことを思い出すかもしれません。しかし、同時にこうも考えます。

 「AAは私には効果がなかった」

 この言葉を聞けば、真面目にやっているAAメンバーは怒るかも知れません。AAプログラム(12ステップ)を試すことなくAAを去ったのに、それに効果がないと言うなんて!

 けれどその人を責めるにはあたりません。悪いのはAAのほうです。せっかくその人がAAに何ヶ月か何年か通っていたのに、その間にAAプログラム(12ステップ)に触れ、取り組むチャンスを提供できなかった責任がAAにあります。

 なぜミーティングで共通の解決方法(12ステップ)の話をしなければならないのか? 新しい人を助けるため。AAをつぶさないためです。なぜ日本のAAはメンバーが増えないのか? それは、12ステップに取り組むことなくAAを離れる人が多く、AAが能書き通りの効果を発揮できていないからです。

 日本のAAは二人のメンバーによって始まりました。その一人、ミニー神父の言葉にこんなものがあります。

 「回復を望む人には、そのチャンスが与えられるべきだ」

 日本のAAは、回復を望む人にそのチャンスを提供できなくなっているのではないか? 創始メンバーの理念が失われているのではないか、と危惧しています。

(さらに続くよ)


2012年08月20日(月) AAの共同体とは(その2)

 前回の雑記では、アルコホーリックが集まる共同体の中から12ステップが生まれたのではなく、まず最初に12ステップ(の原型)が存在し、それを広めるためにAA共同体が誕生したという話をしました。ビッグブックのあちこちを参照しながら、ビル・Wの元に12ステップのパーツが揃っていく様をたどってみました。

 では、ドクター・ボブはどうだったのでしょう。

 彼の回復の物語は、ビッグブックの個人の物語のパートに『ドクター・ボブの悪夢』として掲載されています。そこにはビルとの出会いも書かれています。

 実はドクター・ボブは、ビルと出会うより前に、オックスフォード・グループに参加していました。p.250には、彼が「ビールなら飲んでも大丈夫という実験」を繰り返している頃に、「見るからに落ち着いて、健康で、幸せそうに見える人たちのところ」に顔を出している記述があります。その集団は「何かしら霊的なこと」だと分かり、興味を持ったのですが、酒は止められませんでした。この集団がオックスフォード・グループです。

 彼はその後の2年半オックスフォード・グループの原理を研究することで、ステップ3以降(相当部分)には相当通じていたでしょう。おそらくはステップ2についても同様だと思われます。つまりドクター・ボブは3つのパーツのうち、2つは手にしていました。彼は何度もこの手段を使っては失敗を繰り返していました(p.xxi(21))。

 だが、残る一つのパーツ(ステップ1)を手に入れていませんでした。彼は自身が医者であったにもかかわらず、自分の病気についてはその本質を知らなかったのです。

 そこへビルがやってきて、医者に対して「あなたの病気は・・・」と説明しました。それはp.251〜253に書かれています。そのおかげで、彼は「前には決して奮い起こせなかった意欲」を持って、オックスフォード・グループの原理を実践することができ、回復したのでした。これについては「再版にあたって」に書かれています。

 その後、このアル中の集団がオックスフォード・グループから独立するのにはまだ数年かかるのですが、それは別の話にしましょう。

 ビルもボブも、3つのパーツ(12ステップ全体)がすべて揃うことによって回復することができました。ここが大事なポイントです。

 エビーがビルに伝えたことも、ビルがドクター・ボブに伝えたことも、12ステップをやった自分の体験でした。

 AAは自助(セルフヘルプ)グループだと言われます。自助グループとは何か? 同じような苦しみや悲しみを経験したり、問題を抱えている人が、おたがいを理解し、助け合って問題を解決していくグループだとされます。

 自助グループの要件が「同じ問題を抱える人」だとするならば、AAも自助グループに違いありません。

 しかし、AAは同じ問題を分かち合うだけではありません。ビッグブックのp.26〜27には、こう書かれています。

 「同じ苦しみを味わったということは、私たちを結び合わせる強力な接着剤の一つではあるが、それだけでは、いまの私たちのようには決してなれなかっただろう」

 同じアルコホリズム(アルコール依存症)という苦しみを抱えた人が集まってもAAにはなりません。依存症者どうしの出会いは、現在の日本でもたくさん起きています。もし、アル中同志が出会うだけでAAが誕生するなら、日本の精神科病棟やデイケアで山ほどAAが生まれ、今ごろ日本はAAだらけになっているはずです。でも、そうはなっていません。それはなぜなのか?

 「私たち一人一人にとっての偉大な事実は、私たちが共通の解決方法を見つけたということにある」

 ここでいう共通の解決方法とは12ステップのことです。つまりAAは、皆がアルコールという同じ問題を抱えるばかりではなく、皆が同じ解決方法(12ステップ)を使う集まりだということです。アル中同志が出会っても、そこに12ステップがなければ、決してAAたりえないということです。

 ところが、現実のAA(少なくとも日本のAA)のミーティングは、この12ステップによる「解決方法」の分かち合いから離れてしまっています。

(続きます)


2012年08月16日(木) AAの共同体とは(その1)

 AAの12のステップは、3つのルーツを持っています。「12ステップは3つのパーツから成り立っている」と言ってもかまいません。

 その最初の一つは「ステップ1」です。これについては、ビッグブックの「医師の意見」の章に詳述されています。

 ドクター・ボブとの出会いの2年前、1933年にビル・Wはチャールズ・B・タウンズ病院に入院し、シルクワース医師からアルコホリズムの本質について教えられます。その場面は、第一章「ビルの物語」のp.10あたりに書かれています。

 そこに出てくる「全米でも名の知れた病院」とはタウンズ病院のこと、「親切な医者」はシルクワース医師のことを指しています。医師がビルに教えたことと同じことが「医師の意見」の章に書かれています。

 ただし、ステップ1だけを把握しただけではビルの酒は止まらず、彼はこの病院にその後さらに3回入退院を繰り返します。

 さて、この出会いよりしばらく前、ローランド・ハザードという人物が、チューリヒでカール・ユング医師の治療を受けていました。ローランドは、ロードアイランド州でも屈指の裕福な家に生まれ、この当時は銀行を経営していました。

 彼はお金持ちだったので治療にはいくらでも金をつぎ込めたのですが、酒を止めることはできなかったため、ヨーロッパに渡ってユング博士の治療を受け、治ったものと信じてアメリカに帰国しました。しかし、再飲酒してしまったのです。

 ふたたびユング博士のもとを訪れたローランドは、なぜ自分が酒を止められないのか尋ねました。ユングの答えは、尽くすべき手だてはすべて尽くしたこと、見込みがあるとすれば、それは「霊的な体験」による人格の変化しかない、と彼を突き放します。この下りはビッグブックの第二章、p39〜42に詳しく書かれています。

 ローランドはユングの勧めに従い、イギリスのオックスフォード・グループに参加し、帰国後アメリカのオックスフォード・グループで、カルバリー伝道所のサミュエル・シューメイカー師へとつながります。

 このアルコホリズムの解決には霊的体験が必要である、というのがステップ2の主旨であり、それはユング博士から、ひとまずローランドに伝えられました。

 オックスフォード・グループはルター派の牧師フランク・C・ブックマンが始めた霊的運動でした。20世紀のこの時期、アメリカでは非常に勢いがあったそうで、多くの人が参加していました。ただし、これはアルコホーリクのためのグループではなく、この世に生じる問題は、各人が霊的な変容を遂げることによって解決できると信じる人たちの集団でした。

 オックスフォード・グループの原理を、アルコホーリク向けに整理したのはシューメイカー師でした。彼はこれを6つのステップに集約しました。その2〜6番目が、現在のAAの12ステップのステップ3〜12に相当します。

 ローランドは、学生時代の友人エビー・サッチャーが飲んだくれているという噂を聞き、オックスフォード・グループの原理のひとつ(人を手助けする)に従ってエビーを訪れ、彼が酔っぱらって銃を撃った罪で投獄されそうだったところを助け出します。

 ローランドと同じように、オックスフォード・グループで酒をやめたエビーは、学生時代の友人ビル・Wが飲んだくれているという噂を聞きます。そして、1934年11月、ビルを訪問し、キッチンで彼に酒をどうやって止めたかを説明しました。その内容は、アルコホリズムからの回復には霊的体験が必要なこと(ステップ2に相当)、そしてエビーがそれを得るために何をしたか(ステップ3〜12に相当)でした。この部分は、ビッグブックの第一章、p.13〜19に書かれています。

 ビルはその話を聞かされてムカついたものの、結局自分が助かるためにはそれしかないだろうと受け入れ、タウンズ病院に最後の入院をして酒を切り、入院中にエビーの手助けでステップ3〜11に取り組み、回復しました。この下りはp.19〜21にあります。

 ここまでを振り返ってみると、ビルは3つのパーツを全て手にした最初の人物でした。ステップ1はシルクワース博士から、ステップ2はユング博士からローランドとエビーを経由して、そしてステップ3以降はオックスフォード・グループから。

 ビル・Wは12ステップ(の原型)を手にし、それを実践することによって回復しました。彼の霊的体験はp.21にはっきりと書かれています。そして、ビルは半年後にドクター・ボブと出会い、12ステップを伝えることで、AA共同体が誕生しました。

 ここで強調したいのは、まず12ステップがあり、それを伝えるために仲間の共同体が生まれたということです。逆の順番ではありません。

 ○12ステップ→グループ(共同体)の順
 ×グループ(共同体)→12ステップの順

 アルコホーリクが集まって、自分の体験を語り合って、その中から12ステップが誕生したのではありません。まず12ステップが存在し、それを伝えるためにアルコホーリクが集まった・・それがAAです。

(当然、続きます)


2012年08月05日(日) ステップQ&A: 全部 vs. 基本的に

重箱の隅を突くような話ですが、テクニカルな話は意外と人気があるので書いてみます。

ビッグブックの90ページに、こんな文章があります。ステップ3のところです。

「私たちの問題は実は全部自分で招いた結果なのである。私たちが自分で問題を起こしたのだ」

私たちは何かトラブルが起こると、相手が悪いとばかり思ってきたが、そうではない自分が悪いのだよ・・と言っているわけです。それも「全部」。何もかも、自分が悪いというのであります。

さらには、ステップ4のところで(p.98)、人のことはさておき、自分の過ちだけを見つめるとあります。「何もかもが自分だけのせいでそうなったのではないにしても、他人をまったく抜きにして考えてみる」とあります。

「全部自分が悪いのだ」と言われると、人は反発するもののようで、「いや、自分にまったく落ち度がない場合だってあるだろう」という議論になったりします。

この「全部自分で招いた結果」という部分の原文は basically of our own making です。ベーシカリィは「基本的に」だから、例外的なことだってあり得るわけで、「全部自分で招いた」というのは誤訳であると主張する人もいます。

今年の3月にジョー・マキューの弟子にして後継者のラリー氏が来たときに、この疑問をぶつけた人がいました。ラリーさんの答えは「<全部>という翻訳で正しいだろう」というものでした。

そう、全部なのです。字義的な意味では正確ではないかもしれませんが、ビッグブックの著者らの言いたいことを正確に捉えた翻訳になっていると思います。

でも、納得できないという人もいるでしょうから、すこし説明を加えてみます。

こういう話は極端な例を挙げた方が分かりやすいので、棚卸し表を書いているアルコホーリックが、子供の頃に大人から虐待を受けたり、性被害を被ったというケースを扱うとします。こういう場合に子供の側が悪かったということはあり得ません。なぜなら、子供の安全を確保するのは大人の責任だからです。

ほら、被害を受けた側は悪くないじゃないか。例外だ!

けれど、12ステップの棚卸しで扱うのは「恨み」という事柄です。ここで、恨みの性質についての話をしなければなりません。これはほぼジョー・アンド・チャーリーからの受け売りですが。

日常生活の中で「怒り」を感じることがあるでしょう。腹をたてて当然のことがあります。これはアルコホーリクであろうが、普通の人であろうが変わりありません。けれど、普通の人は、その時は腹を立てても、いつまでもそれに囚われておらずに、自分のいつもどおりの穏やかな生活に戻っていきます。

けれどアルコホーリクは違います。その時だけでなく、もっと後になってからでも、原因を作った相手のことを思い出すたびに、怒りの感情が再燃します。頭の中では、怒りを感じた場面を再現されています。それはまるでテレビのスポーツ番組で、リプレイのビデオが何度も繰り返されるようです。ビデオと違うのは、思い出すたびに、自分に都合が良く、相手を悪者にするように改変されていくことです。

せっかく良い気分で過ごしている時でも、恨んでいる相手が部屋に入ってきたり、原因となったことを思い出しただけで、私たちは腹立たしい気分を再現してしまいます。その気分は私たちの行動を支配します。つまり、私たちは恨むことで、相手に支配されてしまうのです。自由に生きたければ、恨みを手放すしかありません。

このように、何かが起きたときの怒りの感情と、あとになって繰り返し再現される恨みの感情を、分けて考える必要があります。

何かが起きたとき、自分にはまったく落ち度がない場合もあります。けれど、後になって何度も恨みを再現しているのは自分自身であり、もうその時は相手は関係ありません。相手の問題ではなく自分の問題になっているのですから、相手のことはさておき、自分の過ちだけを見つめることが出来ます。

では、子供時代の虐待や性被害の話に戻りましょう。その子供時代の被害について、自分の落ち度を追求するのはフェアじゃありません。でも、棚卸し表を書いているのは大人になった人です。大人として現在の自分の行動に責任を持つ必要があります。

子供時代の被害はたいていトラウマ(心的外傷)になっているもので、それがPTSDを引き起こしています。(PTSDの解離による場面の再現と、前述の恨みの再現は、区別した方が良いと思います。両者は地続きなのかもしれませんが、ここでは分けて考えた方が良いと思います)。恨みの表にこれを書く人は、PTSDを未治療のままにしているのがほとんどです。

なぜ治療しないのか。その理由の一つは、単に治療可能であることを知らない場合です。治らないと思っているケースです。さらに、別の理由として、自分が治療をしなければならないことに対して、腹立たしく思っているから、つまり恨みです。

こんなケースを考えてみてください。駐車場にとめておいた車に戻ってみたら、窓ガラスが割られ、中の荷物が盗まれていました。この場合、車を駐めておいたあなたに落ち度はなく、車上荒らしが悪いのです。けれど、あなたはやるべきことはやらねばなりません。警察に届け、車を修理し、必要なら保険の請求をするのはあなたです。

それを、「私には何も落ち度はないから、何もしなくて良いはずだし、元の状態の車を受け取る権利がある」と言って、何もしなかったら、車は壊れたままです。後で犯人が捕まれば、修理費や慰謝料を請求できるかも知れませんが、とりあえず車は修理しないといけません。それは自分がやるのです。

同じように、トラウマを抱えた人は、自分に落ち度がないからという理由で、自分を治す行動を取らず、壊れたままにしておく人が珍しくありません。そうして、援助を受ける機会があったとしても、それを拒み続けます。その原因は恨みです。アルコホーリクは助けづらい人たち(援助希求能力が低い人たち)だと言われますが、恨みは、他人も自分も信じなくさせ、援助を拒ませています。

12ステップはPTSDそのものにはあまり効果がないようですが、恨みの棚卸しがきちんとできた人は、(PTSDを含む)他の様々な問題の解決のために、必要な行動を取るようになっていきます。援助を求める能力を取り戻していきます。

日本にはPTSDの専門家はまだ少ないので、近くには見つからないかも知れません。けれど、近くにないからと諦めてしまってはもったいない。もしガンにかかったとき、近くの医者に「私には手術できない」と言われたらそれで諦めるでしょうか。遠くの手術できる医者まで出かけていくはずです。PTSDだって同じではないでしょうかね。最近はEMDRのような良い治療法もできているのですから。

恨みは許すことで消すことができると言う人がいます。それは「忘れよう」と言っているに等しいことですが、恨みの性質から言って忘れるのは難しいことです。それよりむしろ、恨みによって自分で自分を傷つけていることが棚卸しで分かれば、バカバカしくなって恨みを手放そうという気になれます。相手が来て謝罪してくれれば気分が晴れると言う人もいますが、謝罪するかどうかは相手次第です。相手が謝罪するまで気分が悪いままだというのなら、自分の気分・自分の幸せは相手次第だということになります。それは自分の幸せ・不幸せを相手にコントロールさせているということで、これまたバカバカしい話です。

少々極端な例を挙げて説明しましたが、恨みというものが自分に不利益をもたらす以上、恨みを大切に育ててきたのは<全部>自分の落ち度でしかない、ということが理解できると思います。だから、あの90ページの文章の訳は「全部自分で招いた結果」であっているのです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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