ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年06月30日(月) そのほうがおいしい 生タイプのつけ麺はおいしいけれど、つけ麺のつゆには絶対アルコールが含まれていると思います。でもその方がおいしい。たぶんお店で食べるつけ麺のつゆにも入っていることでしょう。
ちょっと前のAA仲間のバースディ・ミーティングでのこと。
僕はバースディ・ミーティングではバースディ・ケーキを用意するのがベストだと思っていますが、それは僕のこだわりにすぎないので、他の人がどうするかは口出しすべき事ではありません。ケーキを切り分ける代わりに、切った形でパッキングされているケーキ菓子を配る人もいます。これは切る手間もなくて楽でいいです。
その日配られたケーキ菓子を食べながら、「あ、これちょっとおいしいな」と僕は幸せな気分でありました。ミーティング終了後に、そのお菓子に手をつけなかった仲間が「これはアルコールが入っているよ」と言い出しました。うんそうか、おいしい原因はブランデーが使われていたからか。においも良かったしね。でもその仲間は、少々お怒りのようでありました。
二年ほど前にも、「このケーキはおいしい。特にレーズンのところが」と思ったら、あとで「あのレーズンは酒で漬けてあるよね」という話になったことがあります。
さすがにウィスキーボンボンとか、チョコレートの真ん中にブランデーが入っているお菓子とかはヤバいだろうと思いますが、ちょっとぐらいアルコールが入っているからって「そんなに目くじら立てなくても」と思います。あんまり厳しいことを言っているとポカリスエットすら飲めなくなってしまいます。
とはいえ、どこで線を引くかは自分の責任で決めるしかないので、僕の基準を人に押しつけるつもりはありません。気をつけるに越したことはありません。
さて、12のステップに取り組む限りは、ステップ4・5の「棚卸し」の作業は避けて通れません。なので、最低でも1回はこれをやることになります。では1回だけで2回目、3回目はないのでしょうか。何度も繰り返しやる人もいれば、1回だけしかやらない人もいます。「何度もやりなさい」とは書かれていませんし、「一度で済ませなさい」とも書かれていません。
ただ、ステップ10は一生続けていく作業ですから、棚卸しも続けてやる作業でしょう。毎日のこまごました掃除の他に、定期的に大掃除をするならば、それを○回目のステップ4・5と呼ぶ人もいます。僕は決してそれをステップ4・5とは呼ばず、ステップ10の一部であると見なしていますが、これも人に押しつけるべき考えではありません。
僕は細々とした棚卸し表は決して人に見せることはありません。書いた紙は溜めずにハンドシュレッダーで処分してしまいます。表を人に見せることを考えると、人間ですからどうしてもそれに「色」をつけてしまいます。つまり、自分を良く見せようと(あるいは過度にひどく見せようと)表を「脚色」してしまい、正直になれないのです。「もう一人の人」に正直になる前に、まず自分に正直になれるようにならなくては、というのが僕の考えです。
でも、他者によるチェックも必要だとステップの本に書かれているので、大掃除は人に聞いてもらう必要があると思いますが、その作業もずいぶん間隔があいてしまいました。せっかくそのために新しくスポンサーもお願いしたのに、何にもなっていません。しかし、離婚に至るほど傷つけ合った結婚生活を表に作るには、まだ冷却期間が必要なのは確かです。
日曜、昼/ひつまぶし・おみそ汁(ぶなしめじ、子供はお吸い物)、夕/つけ麺・おみそ汁の残り
月曜、朝/コーヒー・トースト・サラダ・ヨーグルト・オレンジジュース、昼/カツ重弁当、夕/ラーメンとチャーシュー丼セット(アフター)
火曜、朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト、昼/ハンバーグ弁当
2008年06月29日(日) 休日 娘たちが誕生日プレゼントを持って遊びに来ました。
といっても、歩いてくるわけではないので、車で迎えに行くのであります。
一時期頑張っていたママの調子が、ここのところ悪く、晩ご飯は作ってくれるものの朝食はダメなのだそうです。なので平日は長女がパンを焼いて、次女を起こして・・ニュースZEROを最後まで見るのが習慣だった長女が、ズームイン朝を最初から見る習慣に変わったそうです。
まあ、子供たちは給食で栄養のバランスをキープできているかもしれませんが、パパには給食はないのだよ。
前回引っ越し用段ボール箱の上で宿題をやらせたのがえらく不評だったので、テーブルを買いました。それから今日中古の洋服ダンスの配達があり、これで買おうと思っていたものは大方そろいました(あとトイレのコーナーボックスぐらいか)。
昨日は元妻の母方の祖母の十三回忌だったそうです。思い起こせば僕のソーバー1年目は、ずいぶん葬式やら法事が多く、酒の席にばかり出ていました。跡継ぎにあたるおじさんは、以前奥さんに逃げられてしまい、手元に残した娘も嫁に行った後は、カビと暮らすような生活だそうです。昨日もおじさんの家に法事に行ったのか掃除に行ったのか分からないほどだったと、娘がこぼしていました。
お昼は、ひつまぶしにしました。小学生にどんぶり飯は多すぎるかと思いましたが、ぺろりと食べてしまいました。「おいしい」と言われても、鰻を焼いたのはパパではないのだよ。
サクランボを買っておいたのですが、「またぁ? 本当にパパはサクランボが好きだねぇ」と言われてしまいました。そりゃ確かにサクランボは好きですが、お前たちのために買っておいたのだ、とは強く言えません。
「イチゴ地獄」ってのがありましたな。イチゴの季節になると、父親が毎日イチゴを買って帰る。家族のほうや喜ぶどころかもうゲンナリなのですが、「もう結構です」とは言えないために毎日イチゴを食す羽目に・・。我が家でもやりましたが、ほかの家でもあるみたいですね。ひょっとしてアル中お父さんの得意技なんでしょうか。
それでもサクランボは5分も立たずに1パック消えてしまいました。宿題も終わったので、朝食用のバタピー、チーズ、お茶漬けなどをおみやげに持たせて送っていきました。
玄関口まで送っていくと、奥で夕食とお風呂の準備をしていた元妻が顔を出しました。
「もうレーザー脱毛には通ってないの?」
「うん、金がかかるからね。でもどうして? ヒゲが濃くなってきた?」
「そうだよ。またお風呂で剃りながら血をだらだら流してるんでしょう」
「うん、あれはみじめな気分だよ」
離婚しなければそんな苦労はしなくて済んだのに、と言いたいのでしょうが、無論それが言葉になることはありません。子供とプールに行く日付を決めて帰りました。
こうやって密に子供と接していても、いずれだんだん疎遠になっていき、金を送るだけの関係になりがちなのだとか。だいたい一緒に暮らしていたとしても、娘が中学生高校生になれば、父親への甘え方も「親父、金をくれ」になっていくものなんでしょう。それが精神的自立なんでしょうし。
ところで、誕生日のプレゼントは何だったのか?
実は何ももらってないのです。プレゼントは手紙だったようですが、実は迎えに行ったときにまだ書いている最中で、待たされたパパが「いつまで待たせるんだ!早くしろ」とやったせいで、書くのを中断して出てきちゃったのだそうです。
2008年06月28日(土) 新グループ そう言えば、雑記で報告するのをすっかり忘れていましたが、AAのホームグループに属していないない(通称ホームレス)状態を解消し、仲間と新グループをスタートさせました。名称はビッグブック○の会(○には犬でも猫でも虫でも、好きな漢字をひと文字入れて下さい)。
4月から始めて、先月登録したばかりです。ミーティング参加人数はいつも数人で、二桁になることは滅多にありません。司会が話す人を指名するのではなく、話したい人は挙手をする仕組みですが、今のところ時間が足りなくて話せずに帰った人はありません。ビギナー(?)中心の会場になっています。司会をやっていて「時間の配慮をお願いします」と叫ばなくて済むので、とっても楽です。
このグループの正式発足(登録後の初回ミーティング)と、僕のバースディミーティングが重なりました。おまけにその日は僕が離婚届を出した日でもありました。集まってくれた十数人の仲間の中には、「おめでとう」と言っていいのかどうか戸惑うひともいたようです。いやいや、申し訳ない。別に意図して重ねたわけじゃありません。偶然です。いろんな意味で、新しい出発やら再出発が重なった、晴れやかな日だったと記憶しています。
ちなみに、同じ日の同じ時間帯に、隣の建物で断酒会をやっています。参加者の平均年齢は、おそらく20才以上違うでしょう。でも向こうの方が女性が多いですな(奥さんたちがいるから)。
今日は外食せずに自分で食事を作ったのですが、その分ほかで使ってしまいました。
水曜、夕/マグロの刺身、ホタテのボイル、おみそ汁(絹ごし豆腐+もやし+ぶなしめじ)、ごはん。
木曜、朝昼/コーヒー・トースト・ヨーグルト・バナナ・飲むヨーグルト、夕1/カレーパン・蒸しパン、夕2/カレードリア・ポテト(CoCo壱番屋)
金曜、朝昼/コーヒー・トースト・サラダ・バナナ・ヨーグルト・飲むヨーグルト、夕1/醤油ラーメン(仲間の店)、夕2/翡翠麺の冷やし中華・ドリンクバー(アフター)
土曜、朝昼/コーヒー・スパゲッティ・サラダ・飲むヨーグルト・バナナ、夕/つけ麺・バナナ
2008年06月25日(水) 理解を積み重ねない いままでのAAライフを振り返ってみて、僕は「経験を積み重ねてきた」とか「理解を積み重ねてきた」とは思わないのです。
もちろん、ある経験があって、それがあったからこそ、次の経験ができてというふうに重なっていくものはあります。理解についても同じです。一足飛びに次の経験、次の理解はできません。
「よし、これだ」と信じて深めていったものが何かあっても、そこは病気の人間ですから、理解がどんどん歪んでいって、最後は袋小路に入ってしまうことがあります。そういう場合には、無理しても先に進むことができなくなります。
結局、いままで自分がやってきたことを否定して、元に戻って別の方法へ進まなければなりません。過去の自分の努力を否定するのも辛いし、その過程でお世話になった人がいれば、その人から受け継いだ考えを否定するのも辛いものです。否定しながらも、次の道が見つからない状態が一番辛いものです。
否定されるべき過去とは、例えば棚卸しのやり方であったり、性格上の欠点や、自分自身への、他者との関係への理解だったりします。回復とか成長には、過去の自分のやり方(囚われ)を否定する(手放す)ことが不可欠です。それには、自分の今までの回復だって否定しなければならない局面もあります。だから、ソーバーの年数分だけ素直に回復を積み重ねるというわけにはいかないのでしょう。
そうやって自分の囚われをあぶり出しても、身に染みこんだ習慣はぬぐい去りがたく、自分はなかなか変わりません。結局回復も成長も、たいして変わらない自分のまま生きていくということであり、たいして変わらない自分のまま生きていけるのが奇跡なのだと思います。
さて掲示板ではたまちゃんに先を越されてしまいましたが。
ハイヤー・パワーが僕に酒を飲ませることはあり得ると思います。酒を飲まないことが善であり、飲むことは悪である、というのは僕のモノサシで計る尺度です。神さまはおそらく違うモノサシを使っていて、神さまにとっては僕が飲むことが善であることもあり得ます。神さまに「僕が飲まないことを善としてくれ」と頼むわけにもいきません。
その時が来れば、僕が飲むことは僕にとって意味があることかも知れません。あるいは、僕に意味があるとは限らず、ほか誰かにとってなのかもしれません。それでも大局的に見れば、僕にも意味があることなのでしょう。
このプログラムをやっていれば「ハイヤー・パワーは僕に酒を飲ませない」と信じるのは少々身勝手だと思います。神さまはいつも僕のことを考えいてくれ、僕に良くしてくれているのです。辛くて苦しくてたまらないことであっても(例えば再飲酒も)、起こることすべてにはきちんと意味があり、恵みです。
ただ僕は神さまほど頭が良くないので、(自分も他の人も)なんでこんなに苦しまなきゃならないのか、さっぱりわかんねーよ、とブツブツ言ってしまうのです。ついついね。
2008年06月24日(火) 健康診断 健康診断のため早起きして病院へ。会社が費用を出してくれるので、それはありがたい話です。いままで健康診断をしてくれる会社に3社勤めましたが、メニューの内容は会社が出す費用によってまちまちでありました。
今の会社の選ぶメニューは、身長・体重・体脂肪率・胴囲(これは自分で計る)・血圧・視力・聴力・採血・採尿・採便・胸部レントゲン・心電図・胃カメラ・問診です。あと自費オプションで骨密度とかマンモグラフィーとか選べますが、頼む人は誰もおりません。眼底検査は緑内障で通っている眼科で年2回やっています。
以前と違い、今は午前中待っている間に、血液や尿の検査数値も、レントゲンフィルムもできあがってきて、帰る前に結果を知らされます。今回は「異常なし」でした。ただ異常がないのは「生活習慣病について」であって、全身健康というわけじゃありませんよ、もちろん。
それから「痩せすぎ」というコメントがつきました(昨年は適正体重だったのに!)。
「これ以上痩せるようなら、現在かかっているメンタルのお医者さんに相談してください」
だそうです。医者の困った顔が今から目に浮かぶようです。
胃カメラではなくバリウムも選べるのですが、一昨年に一度やって凝りました。げっぷを我慢するのが辛いうえ、そのあとに飲む下剤の効果がたまりません。下剤を渡された時に「1時間ぐらいで効き始めます」と言われましたし、「夕方までお通じがなかった」という話も聞いていたので、「じゃあ途中で食事をして、会社に着いてからでいいや」と余裕をかましていたら、僕の場合は効きがあまりにも早く来てしまいました。
1時間どころか、病院のドック検診センターから正面玄関までたどり着けず、途中のトイレに1時間釘付けでした。なので一生バリウムを回避し続けたいと思います。
だいたいさぁ、バリウムって白くてドロドロしてて、何かに似ていて気持ち悪くないですか?(ほら、これであなたもバリウムが飲めなくなった)。
酒をやめて1年目の健康診断の結果はぼろぼろでした。特に肝臓です。GOTの数値が正常に戻るには3年ほどかかったと記憶しています。数値が正常になったからと言って、肝臓が正常に戻ったわけではありません。肝硬変一歩手前まで行った臓器ですから、今スライスしてみればたくさんのスジが入っていることでしょう。
健康診断以外にも、メンタルクリニックで最低年に1回は血液検査を受けています(会社の健康診断の結果も伝えています)。薬を飲み続けている以上、血液検査は必要だと思います。処方薬が原因で数値が上がることもあります。「ウィルス性肝炎の検査もしますか」と聞かれるのでお願いしています。性的に奔放ではない(つもりな)ので、肝炎もらったりはしてないはずですが、まあ念のため。
ちなみに、健康診断の問診票の既往症の欄には「アルコール依存症」と書きますから、会社はもちろんそれを知っています。
火曜、夕/マーボ茄子・イカ天・豆腐のみそ汁・ごはん小(村井食堂)
水曜、朝/健康診断のため絶食、昼/たらこスパランチセット(サイゼリヤ)
2008年06月23日(月) 電話番号確定 大学入学のために上京した時は、一人住まいのために電話を引いている学生は少数派でした。友達に電話するにしても、アパートの大家さんに電話して呼び出してもらうのが普通でした。
その後、パソコン関係でアルバイトをするようになって金回りが良くなり、アパートに電話を引くことにしました。民営化された直後のNTTに、7万2千円の工事負担金なるものを払った覚えがあります。
アパートを引き払って長野に戻ることになると、実家では親の電話を使えばいいわけですから自分の電話は不要になり、加入権は休止という扱いにしておきました。そして結婚して二人で住む時に電話が必要になったので、その権利を使ったわけです。元妻は一人住まいをしたことがないので、電話の権利を持っていませんでした。なので、離婚して僕が家を出る際、電話の権利も持って出てしまうと、彼女は加入権を購入しなければならなくなります。
NTTが民営化する頃から加入権が無料になるという話がありましたから、もう加入料なんて廃止されないまでも、数千円ぐらいになっているだろうと思ったのですが、まだ3万6千円もするので驚いてしまいました。携帯電話もPHSも、最初の頃は加入料を徴収していましたが、次第に値を下げてゼロ円になっています(2〜3千円の事務手数料を取っているところはあります)。ドコモが加入料をゼロ円にした時の、資産価値減損の訴訟もドコモ側が勝って終わったはずですから。
仕方ないので、加入権を妻の名義に変更(譲渡)することで落ち着きました。自分のほうは新しい住まいに電話を引くのに、加入権の不要な「ライト」というのを選ぶことになります。3万6千円が不要な代わりに、月々の支払いが250円多くなります。
なんだぁ250円だったら、これを彼女に押しつけちゃって、自分が加入権を持っていた方が良かったかと思うのですが、まあそこは誠実にやるって事で。
ところが実際にADSLを引いてみると、リンクは不安定で通信が切れるし、IP電話は調子が悪い・・。それは我慢するにしても、じゃあもっと安いところはないのか・・。というわけで、電話もADSLもKDDIに変えることにしました。これで月々600円ほどの節約になります。加入権などと面倒なことを言わないのも嬉しい。
それで、IP電話の番号はもちろん、固定電話の番号もまたまた変わる可能性があったのですが、26日に工事が終わって無事開通すれば、それで決着するはずです。これでようやく転居のお知らせハガキやメールを出したり、新しい名刺を作ったりできるようになります。
日曜、夜食/カップうどん
月曜、朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・サラダ、昼/ジャージャー麺・ミニおむすびセット、夕/具のないラーメン(生タイプ)、夜食/ヨーグルト
火曜、朝/コーヒー・トースト・ヨーグルト・サラダ、昼/こだわり和風ミニ弁当・コロッケバーガー
2008年06月22日(日) 頭では分かっても 「自分は入院したことがないから、入院した人の気持ちが分からない」というAAメンバーが増えてきたように思います。そのぶん自分は軽症なんだというエクスキューズの場合もあれば、新しい人の体験に共感できないぶんだけメッセージを伝える障害になっていると嘆く場合もあると思います。
軽症だという雰囲気を作りたい人には、「入院してない人のほうが重症なんだ。だって助けを求める能力がそれだけなかったんだから」と言ってあげます。経験に共感できなくてと嘆く人には、慰めの言葉は特に要らないでしょう。
入院経験の無さは、AAでは問題にならないと思います。
ただ(これを言うと物議を醸すかもしれませんが)、スリップ(再飲酒)した経験の無いのは、メッセージを伝える上では大きなハンディキャップかも知れません。
「真面目に酒をやめようとしたのに、しばらくしたらやっぱり飲んでしまった」
「一生懸命AAのプログラムをやっている(つもり)だったのに、また飲んでしまった」
熱いストーブに触れて何度もヤケドをしたのに、その経験を忘れてまたストーブに触りたくなってしまう。ストーブ=アルコールです。その狂気こそがアルコホリズムの(ひとつの)本質なのですが、その経験がないのは結構大きい欠落じゃないですか?
「ある時に酒をやめようと思って、それからずっとやめている」とか、「AAに来てからは失敗したことがない」とか。そういう人は、再飲酒する人、AAに真面目に取り組めない人に対して、若干冷たいような気がします。また飲んでしまう病気であるとか、なかなか断酒に真面目に取り組めない「そういう病気である」ことに対して、体験を元にした共感がないから冷たいんじゃないか。そう思ってしまうのは、僕の偏見でしょうか。
僕としては、入院したことが無い人より、AAに来てから失敗したことのない人のほうが、メッセージを伝える上で大きなハンディキャップを抱えている、と思っています。まあ僕は、入院もスリップも経験が豊富にあるので、人の心配などせずともいいわけなんですが。(と自慢してみる・・いや自慢できることなんだろうか)。
金曜・夜食/回鍋肉の残り・ごはん・おみそ汁の残り
土曜・朝/コーヒー・トースト・ジャム・ヨーグルト・アカディ、昼/肉野菜炒め・キュウリの塩もみ・冷や奴8分の1、夕/うなぎ・お吸い物・マカロニサラダ・グレープフルーツジュース。夜食/ヨーグルト・チーズ
日曜・朝/コーヒー、昼/カレーライス・おみそ汁(もやしと豆腐)・マカロニサラダ、夕/カレーライスの残り・おみそ汁(ぶなしめじ)・マカロニサラダ
2008年06月20日(金) かびるんるん といっても、僕はアンパンマンは見たことがないので Wikipedia で調べないと分からなかったのですが・・・。
東京で一人暮らしをしていた頃は、風呂なしのアパートに住んでいました。まだ銭湯がわりとたくさんあった時代です。例え毎日銭湯に通ったとしても、ひと月の銭湯代のほうが、風呂付きのアパートとの差額より安かったのです。実際には、銭湯に毎日なんて通いませんでしたし、連続飲酒に陥ってしまえば、それこそ何週間も風呂に入らないことすらありました。
という話がしたいのではなくて、水場が少ないアパートに住んでいたので、湿気の心配などありませんでした。
つい先頃まで婿一家だという理由だけでタダで住まわせてもらっていたアパートは、(無論風呂付きでしたが)とっても風通しが良いところでした。別の表現で言えば、すきま風ぴゅーぴゅーでした。なので、石油ファンヒーターを何時間連続で使っても、換気など無用。掃除不足でフィルターが目詰まりして「換気サイン」が出てヒーターが泊まると、娘たちは「故障したよ〜」と父親に訴えるのでありました。
ともかく、そんな環境なので湿気がこもることもありませんでした。
鉄筋の密閉製の良い建物に住んでみて、初めて湿気に悩まされています。
風呂の残り湯で洗濯をすることを目論んだわけですが、毎晩洗濯をするわけでもないし、翌朝タイマーをかけておく場合もあります。つまりバスタブの中には暖かいお湯が入りっぱなしになります。そこから湯気が上がって、風呂場の壁に水滴がびっしり。これを数日続けたら、壁にカビが広がり出しました。
「これはいかん」と思って、慌てて風呂の蓋を買いに行きました。意外と高いんですね、これが。
洗濯物も、なるべくベランダに干していますが、室内干しも多くなります。盗られる心配はないけど、下着は中に干しますから。蒸発した水分は室内に留まるわけです。おまけに、最初の頃は炊事の際に換気扇を回すことを忘れていました。
というわけで、まめに換気していないと、押し入れにしまいっぱなしの冬用掛け布団がジメっとしてしまったり、ドライフラワーが柔らかくなってしまったり・・。
まあ、そんな暮らしです。
話変わって、事務的な連絡も必要なので、元妻とは時々電話のやりとりがあって近況も多少分かります。学校のPTAに行ったり、町内会の子供遠足に付き添いで行って他の家族と一緒にバーベキューをしてきたり・・。対人恐怖があるから他のお母さんに会うのが怖い、とか言って全部僕が代行してきたのですが、やればできるじゃん。
彼女の病気からの回復とか成長を阻害してきたのは、僕の手助けだったのかもしれません。いや多分そうでしょう。
次の振り込みまでもう数日だというのに、前回の養育費にはまったく手をつけていないそうです。それは子供の将来のために全額貯金して、彼女の収入の範囲内で暮らしているとか。今まで12年余り、自分の稼ぎで女房子供を食わせていると思っていましたが、それもアル中特有の妄想だったのかも知れません。いや多分そうでしょう。
それから彼女は一生懸命(?)髪を伸ばし始めているそうです。もうダンナの好みに合わせる必要もないというわけです。市役所に出生届を出すと、どこで情報が漏れるのか、数年後にはきっちり七五三の着物やひな人形のセールスが来るように、離婚届を出した彼女の元にもしっかり結婚相談所の勧誘が来ているそうです。なぜ僕のところには来ないのでしょう。男は余っているのかも知れません。いや多分そうでしょう。
木曜・朝/コーヒー・トースト・ジャム・チーズ・ヨーグルト、昼/おにぎりセットと単品おにぎり、夕/鯖の塩焼き・解凍ホタテ・キュウリの塩もみ・ごはん・みそ汁・トマト(実家)、夜食/チーズ・ヨーグルト
金曜・朝/コーヒー、昼/回鍋肉・ごはん・豆腐ともやしのみそ汁、夕/冷やし中華とドリンクバー(アフター)
2008年06月18日(水) AA80ページ AAの80ページ。
「男にも、女にも、子どもにも、一人一人のおおもとの深いところに神の意図がある」
for deep down in every man, woman, and child, is the fundamental idea of God.
誰でも心の一番奥深いところに「根源的な神の概念」、つまり根源的な信仰心を抱えているはずです。身に降りかかってくる不幸や、虚栄心や、即物的な金や人への信仰が、神への信仰を覆い隠し、否定してしまいがちです。でも必ず心の奥深くに信仰心は存在しているのです。
誰もが「自分より偉大な力」への信仰を持っていて、時にそれが人生に奇跡をもたらしてくれます。
次のページには、そこ(おそらくは心の奥深く)に「神」が見つかると書いてあります。信仰心が見つかれば、神も見つかるのでしょうか。
さて、ハビエル ガラルダの『自己愛とエゴイズム』に、こんなくだりがあります。
<落ち着き、勇気、知恵を求めること>
R・ニーバー先生は、昔アラビアのテレジアが書いた言葉を、ある有名な祈りにしたのである。
ところで、祈るということは深く望むということである。いわゆる正式な信仰がなくても、奥深い自分に向かって祈るのは非常によいことであると思う。その「奥深い沈黙の我」が、いつの間にか「我の奥深い沈黙の汝」に変わった事実を何となく感じられるようになった気持ちを、正式な信仰と呼びたいが、しかしその気持ちにならないうちにでも、深く何かを望むという「祈り」は大変良いことであると思う。
(引用終わり)
祈るためには、祈る相手がいります。願いを聞き届けてくれる相手が必要です。虚飾によって自分の信仰心を見失っている僕のような人間の場合、誰に向かって祈り願ったらいいのかわかりません。それでも祈りたければ、提案通りに「自分の心の奥深く」に向かって祈るしかありません。これだけでも、ずいぶん進歩だと思います。
僕は宗教的な信仰心を抱いたことがないので、「沈黙の汝」という存在を感じたことはありません。けれど、自分の最深部には「神さま」と呼んでよい存在がいて、僕の人生のシナリオを書いていると信じています。時になんらかの触れ合い(みたいなもの)を感じる時もあります。そしてその存在と、たとえば「創造主」という存在とは、どこかでつながっているのじゃないのかな、と思ったりもするのです。
水曜・朝/コーヒー・トースト・ジャム・とんかつの残り・アカディ・チーズ、昼/コンビニのねーちゃんがレシートをくれなかったので不明な小さい弁当・おにぎり一個、夕/すき家の牛丼並サラダセット・ケーキとマンゴージュース(アフターで)・カップそば(夜食)。
金使ったなぁ。
2008年06月17日(火) 風邪、納期 月曜の朝、起きようとすると異様に体がだるかったのです。
(また、うつかな。しかし、何でまた)
ともかく起きられず2時間ほど仕事に遅れていきました。前の晩、夜更かししたのがいけなかったのか、いや夕方からもう調子が悪かった様な気がしました。
火曜日は納品なのですが、プログラムはまだ完成していませんでした。いざとなったら会社に泊まり込んででも・・と思っていたのですが、夕方になると体がふらついてきました。机から体温計を取り出して測ってみると、37度台。低体温で平熱が低い僕にとっては高い熱です。車を運転できるうちに帰ることにしました。
ドラッグストアで風邪薬を買いました。ふと右の棚を見るとブロンが置いてありますが、箱の中身は空っぽで、レジで渡してもらう仕組みのようです。左の棚をみるとドリエルがあり、これも箱は空です。ブロンもドリエルも万引きが多いのでありましょう。役に立つ(?)薬ですからね。
体力をつけるために牛乳を飲むとお腹を下してしまうため、アカディを買いました。以前より甘みがなく、飲みやすくなっていると思います。食事をすませて、薬を飲み、風呂で汗を流して早く寝ることにしました。
まだ暗いうちに目が覚めたのですが、薬の効果が切れて熱がまた上がっていました。薬を飲んで熱が下がったら仕事開始。納品する事業所は自宅から車で5分です。なのに車で片道1時間近くかかる職場まで往復するのは、ばからしい限り。その2時間が惜しいので、上司に電話して午前中休み、昼に直行すると伝えました。
もちろん、その理由は「かぜ」です。機密保持の都合上、自宅で仕事をこなしているとは口が裂けても言えません。当然午前中はただ働きです。
真面目に仕事をしていると、やぎさんが救援物資を届けてくれました。
納品は順調にはいきませんでした。ソースファイルだけ持っていって、実行ファイルを忘れていきました。ノートパソコンでビルドしようと思ったら、コンパイラが入ってなかったので、念のため持っていったデスクトップでビルドしました。
ノートパソコンを開けたら猫の毛が舞い上がったりとか・・・。あわわ。
手持ちぶさたな時間に、同行してくれた営業部長と離婚の話をしました。僕より年若の彼は、一昨年離婚して、昨年結婚したのだったかな。「風邪を引くと孤独が身に染みます」、「売薬の買い置きもなくて」という話など。
夕方上司に電話して直帰にしたものの、実はその電話は自宅からでした。また熱が上がっているものの、気にせず入浴。風邪薬をのみつけると、風邪が治った後、不眠の時期がやってきます。
月曜、朝/ヨーグルト・コーヒー、昼/かつ重弁当、夕/中巻きマグロたたき・バナナ・アカディ・レタス・焼きそばパン・栄養ドリンク・オレンジジュース
火曜、朝/ヨーグルト・おにぎり・チーズ・アカディ・栄養ドリンク、昼/レンジで温めるだけのスパゲッティ、夕/とんかつ・サラダ・ワカメスープ・オレンジジュース・アカディ
2008年06月15日(日) 食べ物事情 この週末はアパートの住民たちはほぼ皆出払っていて、駐車場がスカスカでした。単身赴任のオトーサンたちは週末に家に戻って妻の手料理を食べ、彼女のいる若者は、今度は彼女のウチにお泊まりだったのかもしれません。いいなあ、ちくしょう。
あるAAミーティング後の雑談の中で、独身女性のメンバーに「毎晩食事はどうしてるの? これから帰って、ちゃんと食事を作って食べてるんですか?」と尋ねたところ、「ちゃんとしたものは食べてないですよ。ラーメンだとかで簡単にすませて、週末にちゃんと食べてます」という返事でした。
週末にしかちゃんと食べないなんて、やっぱり食べ方が異常じゃないか。と、摂食持ちの人にヒドいことを言ってしまいました。ごめんなさい。
「ひいらぎは、ちゃんと食べてるんですか?」と聞かれたので、「ちゃんと食べてるよ。最近は朝だって毎朝ちゃんと食べていくんだぜ!」とエッヘンという感じで返答しました。
「それが普通ですよ」と一刀両断でした。普通のことをイバった僕がバカでした。
ええ、僕の食べ方は異常ですよ。だいたい、異常に食べるのが早いのも、ゆっくり食べていると途中でお腹が一杯になってしまって、必要な量を食べられなくなってしまう恐れがあるからです。満腹中枢が刺激される前に、ともかく詰め込んでしまわなくては・・・。
普段はゆっくり食べても大丈夫なんですけど、ストレスフルなときは途中で食べられなくなっていけません。それに過敏性大腸炎ですぐにお腹を下します。おまけに生活が過労気味で、そのせいで便秘と下痢の繰り返し。ちゃんと噛んで食べてないから、消化も不十分で、大腸にも負担がかかっているかもしれません。
偏食とは言われませんが、食べ物の好みもかなり狭いです。転職したときはストレスで過食(気味?)になり、業務時間中までボリボリ何か食っていて、いまより20Kg近く重くなりました(薬のせいだよきっと)。もちろん今では仕事中は食べてませんが、糖分のある飲み物を飲んでいないと、脳がエネルギー不足になって仕事にならなくなってしまいます。
そんな僕ですが、自分が摂食障害だとは認めていません。だって過食嘔吐はしたことがないから、という理由だけです。「一歩手前まで来てるじゃん」とは言われますが。
先週は月曜から土曜までAA皆勤賞でした。病院メッセージとか委員会とかも混じってましたし、普段のミーティングも開始に間に合ったのは2回だけでしたから自慢できません。節約のために「帰ってからラーメンでも煮ようか」と思いながら、ずっと外食続きでした。で、週末に料理してちゃんと食べたのです。それを「異常」と呼んだんだのでした。
2008年06月13日(金) 幸福の追求 十数年前、東京での一人暮らしの中で、酒で行き詰まって自殺未遂をやらかした僕は、長野の実家へと引き取られていきました。精神的にも、肉体的にも、経済的にも失敗して帰ってきた人間が、実家でのびのびと暮らせるわけもなく、肩身の狭い思いをしていました。
当時、兄は(今僕が住んでいる)市内に家を建てて、サラリーマンに専念していました。兄はその生活を続けることを望み、実家の農業を継ぎたがりませんでした。そして、兄は弟である僕に「お前がそのまま家を継げばいいよ」とことあるごとに言っていましたが、僕は「この古い家に住み続けるのも、農業をやるのも嫌だ」と思っていました。
やがて僕が結婚してその家を出て、父が死んだために兄がその家に戻ることになりました。その古い家に住むのは、兄自身も兄の家族も望まなかったため、兄は市内の家を売り、実家で再度家を新築しました。けれど、前の家を売っても金が足りません。そこで、叔父など親戚にも相談の上で、先祖代々の土地がいくつか売り払われて、母と兄一家が住む二世帯住宅の頭金になりました。
その様子を見ていて、僕は兄に羨望や嫉妬を感じました。「お前はいいよな、ずっと働いてこれて経済的信用もあるから借金もできるし、跡取りという理由で土地を売って金も作れる。俺のほうは病気でケチがついてしまったし、この先も安定して仕事ができるとも限らないから住宅ローンなど組めるはずもない」と、そんな理屈です。
僕にもいくらか土地は相続されていましたが、その土地を自分自身のために売ってはマズイと思われました。
そもそも、家付き娘のところに婿入りしてしまったので、自分で家を建てることなど不要でした。だがその道を選んだ動機の一つには、毎月「家賃」を払う生活にうんざりしていたこともあるのです。実際その後の経済生活も不安定でしたしね。
今回離婚を進める中で、母から「お前も家を建てたいなら、あの土地は処分したっていいよ」と言う言葉が出てきました。そうなのか? そうだよな。僕だって、自分の家を建てて、そこに自分の家族と一緒に住み、その生活を守るためにこつこつ働く、という夢を持ってもいいのではないか、と思い始めました。
もちろん、土地は売れるかどうかわかりません(可能性は低いでしょう)。それ以前に、自分自身の稼ぎを安定させなければ主な借金もできません。いやそんな家という箱物の話以前に、一緒に住む家族をどうするのか、ということを決めねばなりませんね。結局50才ぐらいになったときに、「夢は夢にすぎなかったね」と諦めることになるのかもしれません。
それでも、「これが私の幸せである」というイメージを持って、それを実現するために努力をする。その努力そのものがもう「幸せ」なのではないかと思うのです。だから、夢は夢のままで終わっても、それはかまわないのです。
「自分は幸せな夢を見ることなど許されない人間なのではないか」。いろいろと人に迷惑をかけ、期待を裏切ってきたから、贖罪の人生を送らねばならない・・。そんなことを言葉にして考えていたわけではありませんが、それに近い人生を送ってきました。
僕は若い頃の十数年を酒で無駄にしました。酒をやめてから人生経験を積み出したと言っても過言ではないでしょう。二十歳ぐらいで働きだした男が、三十代前半ぐらいで結婚やら仕事やらの人生の大枠を選んでいくとすれば、僕は十数年遅れ、つまり一週遅れのトラックランナーみたいなものかもしれません。
もちろん、スタートが遅かったからと言って、人生の時間がその分延びるわけでもないし、体も心も年を取っている現実は受け入れざるを得ません。
まあ、家を建てるのは一つのたとえ話です。本質は、「自分は幸せになりたい」「幸せになってもいいんだ」「そのために今の努力がある」と思えるかどうか、それは生きる意味とも、人間の存在のスピリチュアルな部分にも深く関わることのような気がします。
昨日東京まで行って1時間カウンセリングを受けながら、そんなことを考えました。通い続けることは時間的にも、体力的にも、経済的にもキツいのですが、今は歯を食いしばっても続ける必要があると感じています。なにしろ「あなたのおかげで、私は幸せになれたわ」と言ってもらえることを目標に頑張っているようでは、自分自身が消えて無くなってしまうわけですから。何が自分の幸せなのかを、誰かに決めてもらうのではなく、自分で決める、という慣れないことを始めているのです。
それができた上で、あらためて自分の子供との関係を考えればいいことだと思っています。
2008年06月11日(水) 静かだ (again) 新しく越したワンルームは棟に6人の住人がいます。
夜10時半頃帰宅すると、3〜4つの部屋の灯りがついています。けれど僕が風呂の残り湯で洗濯を終え、夜半過ぎに洗濯物を干そうとベランダに出ると、もう他の部屋の灯りはすべて消えています。見渡せる限りの家々の窓も、明かりが消えて、辺り一帯真っ暗です。
裏にある廃屋の向こうは田んぼなので、今の時期は蛙の声がゲコゲコ聞こえてきます。かなり離れているはずの高速道路から、大型車が通る音が聞こえてきます。そうした音も、ドアと窓を閉めてしまえば消えてしまいます。
隣の部屋の住人は、ちょっと良さげな車に乗っていて、時々携帯電話で大声で話している様子がわかります。顔を合わせたことはありませんが、おそらく中年のおじさんでしょう。
真下の部屋の住人は、比較的若い男性で、週末には彼女が遊びに来ていることもあります。ベランダに布団が干してあったりしますが、本人がやっているのか、彼女がかいがいしいのか。
斜め下の住人は、最初に顔を合わせたのがおばさんだったので、中年女性の一人暮らしかと思っていました。しかし、週末にベランダに男物のワイシャツやズボンばかり何枚も干してあるのを見て間違いに気が付きました。どうやら奥さんとおぼしき人が、週末に掃除や洗濯に来ているのであって、住んでいるのは中年男性です。いやどんな事情なのか知りませんが。
他の二部屋にいる人たちについてはあまりわかりませんが、どうやらこの棟は男だけみたいです。
みなさん洗濯は週末にまとめてする主義なのか、完全室内干し主義なのか。
そういえば、僕の冬物の洗濯も峠を越しました。はんてんが破れっぱなしなので、お裁縫もしなければなりません(冬までには)。
ゴミの収集は火曜と木曜の午前中に業者が来るようです。入居する時に、大家さんに電話をかけたら「わざわざ電話もらっちゃって」と恐縮されてしまいました。ゴミの収集に来る日を聞きたかったのですが、「2〜3日おきに来るんじゃないの」と詳しく知らない様子でした。なので、自分で確かめました。
分別はあまり細かくしなくても良さそうです。少なくとも可燃物(生ゴミ)とプラスチック類は分けていません。PETボトルも混ぜてもいいかもしれませんが、一応分けています。パソコンのクズ部品も、古い衣類も、文句を言わずに持って行ってくれます。ただ、誰が出したのか壊れた掃除機はずっと放置されたままです。
それにしても、他の人たちはゴミの量が少ない。生活していれば生ゴミだとかいろいろ出るだろうに、と思うのですが、ゴミポートの箱の中に縛ったレジ袋がいくつか入っているだけです。みんなどんな生活をしているのか。夜9時頃になると出かけていく人がいるのは、晩ご飯を外食しにいっているのでしょう。
夜帰ってくれば、すぐに寝るだけの人が多いようです。
他の住民たちに挨拶もしていませんし、もちろんそばも配っていません。ともかくここは静かな暮らしなのです。
2008年06月09日(月) 第三版に寄せて ビッグブックの『第三版に寄せて』は、とても短い文章ですが、いろいろと重要なことが書かれています。
まず「12のステップとは何であるか?」という疑問に対しては、「AAのプログラムを要約した十二のステップ」(The Twelve Steps that summarize the program)という言葉がありますから、「12のステップとはAAプログラムそのものだ」と言っても差し支えないでしょう。
「(AAの共同体の)核心はいたって簡単であり、個人を主体にしたものである」(At this Fellowship's core, it remains simple and personal)。つまりAAの核心は、とってもシンプルで個人的な12のステップのことだ、と解釈できるわけです。
2ページに満たない短い文章なので、ぜひ一度じっくり読んでみてください。
引っ越しに伴って、Bフレッツ(光ファイバー)からADSLに変えたら、IP電話の具合が極端に悪くなってしまいました。VoIPアダプタがハングしてしまうのは仕方ないとしても、ルーターまで巻き込んでLAN全体が停止してしまうのは困りものです。
VoIPアダプタを買い直すのは悔しいので、いっそのことNTTの加入電話・ADSL・IP電話の全部を解約して、KDDIと契約しなおすことにしました。NTTに支払った工事費、契約料、ADSLモデム代金など合計1万数千円はすっかり無駄になってしまいますが、月々の支払いの差額2年分ぐらいで元が取れるでしょう。
ソフトバンクBB(ヤフーBB)のARPU(加入者一人あたりの平均支払額)は四千数百円にもなっているそうです。数年前にはADSLの価格破壊などと言ってしましたが、いつの間にか業界一高くなったと言ってもウソじゃないでしょう。これに加入電話の基本料金やら、ナンバーディスプレイの加算額など加えていくと、Bフレッツ+ひかり電話とさして変わらない値段になります。
ただ、光ファイバーにして「何をするの?」と聞かれると、答えに詰まります。男性だったらムフフな用途も、えへへな用途もあるのでしょうが、それで家族を説得するのは難しいだろうしね。
2008年06月08日(日) 氷室冴子死去 氷室冴子が亡くなっています。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0606/TKY200806060232.html
さすがに高校生の頃はコバルト文庫なんて恥ずかしくて読めませんでした。
が、大学生になって少女マンガを読むようになりました。当時週刊少女コミックに、氷室冴子原作で、藤田和子が『ライジング!』を連載していました。宝塚歌劇団付属とおぼしき音楽学校で、主人公が「娘役スター」を目指して成長していくというストーリーでした。それより少し前の時代の少年マンガ誌は、汗と涙と友情のスポーツ根性もの(略してスポ根)で溢れていたわけですが、藤田和子がこの作品で目指したものは「部隊根性もの」でした(がそこは少女マンガなので、汗と涙と「恋」なんですけど)。
少女マンガが読めるなら、コバルト文庫も読めるだろうと、何冊か買ってみたんですが、やっぱり恥ずかしくて読めませんでした。
実際には氷室冴子の小説は余り読んだことがありません。『なんて素敵にジャパネスク』とか『ざ・ちぇんじ!』などをコミックで読んだだけです。手元に『海がきこえる』の小説がおいてありますが、一度も読んでいません。努力して技巧を磨いた人だと言われますが、やはり才能の人だったように思います。
新しい炊飯器でご飯を炊き、親子丼を作りました。休みの日に子供たちのためによく作ってあげたメニューです。
今日は子供たちが、こちらに遊びに来ました(といっても宿題をやりに来たのですが)。子供たちは僕の住んでいる場所を知らないので、迎えに行かなければなりません。アパートの三階まで一気に上ると、体がしんどく感じました。毎日そこを上っていたときには気にならなかったのですが、体はすぐになまるものです。
呼び鈴を押すと子供たちがドアを開けてくれました。ドアが開いたので、猫(くぅ)が外に飛び出していこうとしたのですが、玄関に「見知らぬ人」が立っているのを発見して、どどどっと走って奥へ逃げ戻ってしまいました。おぃおぃ、くぅよ。ほんの二週間前まで猫缶をあげていた人の顔を忘れたのかね。
「ママは薬を飲んで寝ている」そうなので、何も言わずに子供を連れ出すことにしました。話は前の日にしてありますから。
長女からは、学校の自転車クラブの大会の話、放送委員の役割の話などを聞きました。次女は太ったと言っていましたが、たしかに痩せていたのが普通ぐらいになりました。食べられるようになったのではなく、ストレスで食べているだけなのかも知れません。人間関係で悩みながらも人間関係が豊富な長女。対人関係といえば対母親がメインで、それで困ると父親に泣きついていた次女。
さて、長女のほうはさっさと宿題を終わらせて、買っておいた『ちゃお』を読み、次に少年サンデーに取りかかっていくのですが、次女のほうは相変わらず集中力に欠け、宿題が終わらないうちに、お姉ちゃんが読み終わった『ちゃお』に手を出しているのでした。
衣類がだいぶ片づいてきたので、冬のコートなどを洗いました。
美術館の展示が終わったので、母の絵を受け取りに行き、実家まで届けました。豚のショウガ焼きをごちそうになっていると、母が「すこし肥えたかね」と尋ねてきました。確かにこの二週間で1〜2Kg体重が増えているに違いありません。けれど、体重計がないのでわからないのです。
来月は体重計を買おうか。いやいや、もっと先に買うべきものがあります。子供が来たのにテーブルもなく、宿題を引っ越しの段ボール箱の上でやらせてしまいました。折りたたみのテーブルのほうが先でしょうね。
2008年06月05日(木) 片づかない 服の入っている段ボール箱の整理に取りかかった途端に、物事が進まなくなってしまいました。
例えばワイシャツだけで三十数枚あるのです(もっとあるかも)。半袖長袖あわせてですが。
といっても、僕が着道楽というわけではありません。いつだってタンスの中に入っていたワイシャツは数枚だったのです。残りのものはすべて押し入れの段ボール箱の中などに保管(?)されていました。
だいたい、洗濯機に放り込んだ衣服が、干されて畳まれてタンスに帰ってくるという過程の中で、とっちらかった部屋の中のどこかに行方不明になってしまうような家にいたのです。だから、夏から冬へ、冬から夏へ季節が変わる中で、タンスの中にしまわれた服が出てこなくなったとしても、不思議ではありませんでした。
それが引っ越しの時に全部出てきて、今この狭い部屋の中に積まれています。そのほかの服も大なり小なり似たようなもので、半分ぐらいは捨てざるを得ません。中にはボロボロになって、なんでこんなのまで取っておいたんだろうと不思議に思うものもあります。
結婚当初、僕は今よりずっとお金がありませんでした。働いても貧乏な上に、貧乏だからこそ貯金をしようと夫婦で決めて、毎月積み立てをしていました。子供も生まれて、自分の服を買っている余裕などなく、襟のすり切れたシャツだとか、肘や膝の抜けた服を着ていました。勤めていた会社の社長が「まるでウチがまともな給料を払えてないみたいでみっともない」と叱られても平気で、逆にボロの服を着ているのが自慢なぐらいでした。それでもたまに服を買えば、やっぱりその新しい服がお気に入りになって、そればかり着るものだから、せっかくの新しい服もすぐに古びてしまうのでした。
(元)妻は二十代の頃の時代遅れの服を着てダサダサでした。義姉のところは三人娘なのですが、その「三人目のおねーちゃん」の着た服を、うちの長女のためにお下がりでもらって着せていました。だから次女なんて五人目のお下がりです。
それでも、増えていく通帳の残高が夫婦の共通のよろこびでした。もちろん、押し入れの中に余分な服があったりしませんでした。
しかし、時間を経るうちにそれが変質してしまいました。
妻が妻で「どこにしまったかわからないのよ。着る服がないのなら、今度の土曜日に買いに行きましょう」という妻になれば、ダンナはダンナで「それではいけない、もう一度頑張って探してみなさい」と諭すことのできないダンナになってしまっていたのです。残高はマイナスになりさえしなければいいやという具合に。
段ボール箱が欲しければ、スーパーの隅へ行けばいくらでもタダでもらえます。今回の引っ越しではサイズの揃った段ボール箱をわざわざ買ってきました。衣装ケースのかわりに使って押し入れに服を整理してしまっておくためです。
が、しまう前に洗濯しなければならない服が多すぎます。そして梅雨空が恨めしいのであります。
元妻のことはもう書くまいと思っていたのですが、ついついまた書いてしまいました。
2008年06月02日(月) 静かだ 現在のワンルームを選んだ際に、不動産屋さんから「静かで良いところですよ。まわりも独り者ばかりで気楽でしょうし」と言われました。重鉄骨の建物を選んだのも、隣室の住民の生活音に煩わされたくないし、こちらも夜中に気を遣いたくないという動機からでした。
しかし、静かすぎます。
前に住んでいたところは、線路がすぐ近くを通ってしました。田舎とはいえふたつの路線が重なっているので、特急電車や深夜の貨物列車など、いつも踏切の音が聞こえている環境でした。それに数百メートル離れたところに複数の国道があって、生活音の背景にはいつも外環境の音がありました。
現在のところは住宅地の真ん中です。小さめの家がぎっしり並んでいるようなところです。大家さんはもとはここに住んでいたのですが、もっと田舎に引っ越して、跡地にこのアパートを建てたようです。夜中も10時となれば、灯りがついている家のほうが珍しい。アパートの前の道は狭く、奥へ行くと袋小路になっているので、ここに用のない車は通りません。夜中にパソコンを使っていると換気ファンの音が気になり、ペンをカーペットの上に落とせば音が響きます。
隣室の住人の生活音はほとんど聞こえてきません。重鉄骨とはいえ、本格的なマンションとは違いますから、多少は音が響くはずなのに。これは皆が静かに暮らしているのか、防音性が十分で聞こえないのか。もちろん、表のドアをバタンと閉める音は聞こえますし、窓を開けていれば音が外を回り込んできますけど。ともかく、深夜に風呂の残り湯を使った洗濯はしないことにしました。ポンプの音が響くからです。気にしすぎなのかも知れませんが。
ともかく静かなところで、静かに暮らしています。ここ1〜2年ほど、5時間ぐらい寝ると目が覚めてしまって、もうそれ以上眠くても眠れないことが続いていました。四十代ともなれば眠りも浅くなるのだろう、と無理に自分を納得させていたのです。ところが今朝は「6時間寝たのに、まだ眠くてなかなか起きられない」という体験をしました。悪いことではありません。人間7時間寝ても8時間寝てもいいのですから。それだけ安心して眠れる環境だということなのでしょう。
そのまま眠って午前中遅れていこうかと思いました。僕はパートさんとはいえフレックス勤務なので、いつもならそれも可能です(早退も可、ただ給料は減る)。だが、今日は本年度の査定目標設定の上司面談がありますから、遅れるわけにはいきません。面談で言われることはいつもどおり、「納期厳守」とか「自分で仕事を作り出せ」とかですが、来年度から正社員に復帰できるよう頑張って下さいとも言われました。その先も中間管理職目指して階段を上れと言うのです(現場を離れるのは嫌だな)。期待される役割は大きく、担う責任は重い。僕は仕事に生きるタイプではないですが、普通にさらりーまんとしての働きをしたいと思うのです。
まあ来年のことは来年のこと。今は足下のことをするだけです。
2008年06月01日(日) ストレス キッチン用のスチールラックを買いました。
某ホームセンターでサイズがちょうどいいのを見つけたら5千円でした。ちょっと高いなと思ったので、半額の安物を選びました。それから別の店に行ったら、最初のやつが6割引で売られていました。そっちも買って、最初の店で買ったものを返品に行きました。
僕は以前、買ったものを返品することができませんでした。なんかすごく悪いことをしているような気がして、気後れしてしまったのですが、今では全然平気です。
土曜日はそのラックを組み立て設置する予定でしたが、あらぬことに巻き込まれました。
僕が引っ越して出てくる時に、コピー機とFAXとパソコンのカラープリンターは持ってきてしまいました。それがないと子供たちが宿題をするのに困ると言うのです。コピーやプリンターは課題の紙に何かをコピーして貼っ付けるため、FAXは友達に宿題を教えて上げるためだそうです。おまけに、宿題を教えてくれるパパがいなくなったので、宿題をFAXでパパに送って教えてもらう計画だそうです。
元妻の家電店での買い物に付き合って、二万数千円の複合機を選びました。そこまではまだ良かったのですが、設置のために一週間ぶりに元我が家の居間へ入り込むと、そこはストレスの世界でした。
まず狭い。四畳半にタンスと洋服ダンスとカラーボックス、中央にはこたつテーブルが置いてあります。おまけにチワワ用の大きなケージが増えています。人間はその間の空いたスペースで過ごしているのです。以前、神保町にあった東京おとなクラブの事務所を訪れた時、小さなマンションの部屋に机が押し込まれて、人の居場所もない狭さに驚いたのを思い出しました。どうしてこんなに狭くして平気なのか。
FAXとコピーのテストはすぐに済みました。問題はプリンターです。ノートパソコンから、無線LANのスポット経由で「線をつながずに印刷したい」という希望が出ていまして、「そんなもん毎回USBのケーブルを刺さんかい!」と言いたいところですが、毎回「このケーブルはどこにつないだらいいの?」というメールをもらうのも困るので、希望通りに設定することにしました。
プリンター・ハブ間も、パソコン・ハブ間も無線でつないで問題なく印刷「できるはず」なのです。この「できるはず」にこだわって2時間つぶしました。いくら試しても、パソコンがプリンターを認識してくれません。結局、プリンターとハブの間はLANケーブルでつなぐことにしたら解決しました。
途中携帯に着信があり、あとになって「ひいらぎさん、電話の時はとても声がテンパってらして」と言われてしまいましたが、そのとおりテンパっていたのです。それは設定が順調に進まない苛立ちばかりではありませんでした。子供のことや元妻のこと、犬のうるささ、動物の毛などなど、ここ何年間かの日常そのものが僕をテンパらせていたのでした。
帰り際に次女が「パパ来週も遊びに来てね」と言われましたが、すまんな娘よ。もはやこの家は、いやもとよりこの家は、パパにとって安全な場所ではないのだよ。だから、パパの部屋が片づいたらそちらへ遊びにおいでよ。
とりあえず土日は宿題がFAXで送られてくることはありませんでしたが、これからは仕事で疲れて帰ってくると、宿題FAXが待っていることになるのかもしれません。面倒くさいから答えだけ書いて返信しちゃうぞ! ってわけにもいかないか。やれやれ。
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