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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年10月31日(火) 矛盾してないよ ほとんど加藤諦三の受け売りですが、この雑記にオリジナリティなんて期待されていないでしょうから、気にせずにいきましょう。
「自分を大切にすること」が大事なんであります。
他の人から自分がどう見られているかではなく、自分で自分をどう見ているかが大切なのであります。
同時に「人間は、他の人との人間関係を大切にしなければならない」というのであります。人生の楽しさとか喜びは、人間関係からやってくるんだと。
このふたつのことは矛盾しているか? いやちっとも矛盾していないんであります。
でも、最初この話に接した時、僕はふたつを同時に満たすことなんて、できっこないと思いました。人間関係を大切にしようとすれば、どうしても自分を押し殺して生きなければならない。それでは息が詰るから、自分の意志を押し通そうとすれば、どうしても人間関係は悪くなる。
人間は社会的動物だから、人間関係無しでは生きていけない。だから、自分の意志と、人間関係と、どちらを大切にするか、バランスを取っていくのが人生なんだと。
ところがそのバランスが難しくて、悩み事がまた増える。
そう思っていたわけです。今もそれほど変わってません。
まったく馬鹿なヤツだ。あ、自分か。
だいたい、自分のことが尊敬できないヤツが、自分以外の人間を尊敬できるわけがありません。
あいつはここがダメだ。こいつはあそこがダメだと、あら探しをしているわけです。テレビに出ているヤツを見ては「くだらねぇ」とつぶやき、人の書いた本を読んでは「一面的理解しかしてない」と切り捨て、尊敬できる人間なんていないよね、と自分を納得させるんです。
優しくしてくれる人がいれば「素晴らしい人だ」と誉め称えるけれど、その人が意に沿わないことをすれば、とたんに「裏切られた。あんな人だとは思わなかった」と嘆く。
自分に対する評価はとても甘いんだけど、実は欠点が多いことにも気付いていて、その事実を恐れている。
棚卸し表なんて、怖くて書けっこないわけです。
そういう間違った認識を変えるのは、簡単ではありません。というか、それができるんだったら、今こんなところにはいません。
AAミーティングに行って、60分や90分そこに座っていると、心の中に様々な考えが浮かんでは消えていきます。それを繰り返すなかで、少しずつ矯正されていくということかもしれません。
そういえば、いつも色紙に「偏向矯正」と書いていた仲間がいました。(字が違う?)
2006年10月30日(月) 信じられるものを信じる AAでは共通の神は信じない。皆それぞれ好きなものを選ぶのであります。
自分で理解できる神(God as we understood Him)を選ぶことが大切なんだと思います。
ここで見栄を張ってしまうと、遠回りは避けられません。
なんだか高尚で、どこへ出しても恥ずかしくないような「マイ・ハイヤー・パワー」を選ぼうとすると、対象を信じることも、感じることもできなくなってしまいます。結果、そのステップに対して熱心でなくなってしまうでしょう。
ある人が言っていたのですが、自分の望みが「金がほしい、いい女がほしい」だとするんだったら、金持ちにしてくれる神さま、いい女を与えてくれる神さまが、今のその人にふさわしいハイヤー・パワーなんだと。
金と女に幸せを求めているのに、そういう自分の欲求を押し込めておいて、自分でもさして望んでいない霊的な回復を与えてくれる神さまを求めようとするから、いくら探しても見つからないんだと。
ここでも私たちは、自分に正直にならねばなりません。
あなたのハイヤー・パワーのイメージは何ですか? と尋ねられたとき、金と女を与えてくれる存在ですと答えれば、あなたは回復していないねと思われるのがオチでしょうが、でもそれが事実なんだからしょうがないんです。
自分の中のハイヤー・パワーが成長(develop)することも、今年になって教えてもらったことです。最初に選んだ神が、永遠不変である必要はなく、自分の霊的状態の進展にしたがって、当然対象も進化するわけです。自分の望みがいつまでも「金と女」であるわけがありません。少なくとも、優先順位は一番目から下がるでしょう(たぶん、二番目か三番目ぐらいに)。霊的に成長すれば、ハイヤー・パワーだって成長するわけです。
長いことやっている人の話を聞くと、良いハイヤー・パワーと良い関係を築けていてうらやましいと思うことがあります。でも、そうなるには時間がかかるんです。であるのに、一気に差を縮めたいという虚栄心、あるいは焦りなのか。人と同じものを信じたほうが安心できるのか。立派な神さまを求めて悩んでいる人は多いと思います。信じたくないものを、無理に信じようとすれば、悩みも起こります。
僕のハイヤー・パワーは僕を幸せにする。あなたのハイヤー・パワーはあなたを幸せにする。というか、あなたを幸せにしてくれるのが、あなたのハイヤー・パワーです。
自分が幸せとして何を望んでいるのか。虚栄や否認を捨てて、自分に正直になれば、「自分より偉大な力」を感じるのは、それほど難しいことではないと思いますよ。
2006年10月29日(日) 雑談 ・ソニー製のバッテリー問題が、まだ続いています。結局同社製のVAIO用も交換になったほか、リコールではなく「ユーザーの不安を払拭するための自主交換」だった富士通製のパソコンが発火してしまいました。
本来パソコンメーカーの責任である問題を、ソニーに擦り付けているという声もありました。900万個以上のなかで、たかだか数個しか発火していないと、原因を追究するのも難しいのが実情じゃないでしょうか。
まあユーザーとしては「充電を行なう際には、パソコンから離れないでください」と言われても困るわけですが。パソコンを買ったときにユーザー登録をしていないと、自主交換もリコールも案内が来ないので、念のため。
・ソフトバンクの通話定額が気になりませんか、というご質問をいただきました。
あれはソフトバンク同士でないと定額になりません。僕が電話をかける相手で、ソフトバンク携帯のユーザーは一人しかいないので意味がありません。ドコモ・auにかけるとずいぶん高額です。また夜更かし族の僕にとっては、夜9時以降が従量制ってのは論外です。それだったら、ウィルコムのPHS定額のほうが良い感じです。
もともとvodafoneのユーザーだった人には、さまざまな料金プランが選べるようになって、お徳でしょうけど。
・日曜日は、地区委員会+全県ミーティングへ。こんどの週末の本栖湖に行かなければ、これが年内最後のAA関係の遠出(?)になってしまうかもしれません。
2006年10月27日(金) してもらうこと 神さま、私にお与え下さい。
自分に変えられないものを、受け入れる落ち着きを。
変えられるものは、変えていく勇気を。
そして、ふたつのものを見分ける賢さを。
AAのミーティングでは定番とも言える「平安の祈り」です。
こうして、「受け入れる落ち着き」と「変えていく勇気」、そのどっちを使えばいいか「見分ける賢さ」を身につけることが必要なんだと、いつも思い起こさせる効果を感じます。
この三つのものの価値を認めるので、それを身につけたいと努力するわけです。
それは「性格上の欠点」を取り除いていく作業なんでしょう。
結構時間が経ってから、我が身を振り返ってみると、結構変わっている部分もあって、良かったと思わせてはくれるんです。でも、全然変わっていない部分のほうが、ず〜っと多くて、ああ俺って全然回復していないという現実を、目の当たりにしてしまうわけです。
「バケツの水を、耳かきで掻き出すがごとし」
とスポンサーは教えてくれました。
まさにバケツ+耳かきの組み合わせのように、性格的欠点が目に見えて減ることすらなさそうな気がしてきます。
そういう時こそ、この祈りが3行ではなく、4行あることを思い出しなさいということです。
価値ある三つのものを与えてくれるのは、自分ではなくハイヤー・パワーなんだと。
努力すれば欠点が減って当然だと考えるのは、無力とはほど遠いわけです。努力したって減らないんだから、するだけ無駄だと思うのも同様。
努力すれば、神さまは性格的欠点を取り除いてくれるし、三つの価値あるものも与えてくれると「信じる」ことがステップ2。
いつどのように取り除いてくれるかは、神さままかせで自分が心配することじゃないよってのが、ステップ3。
もちろん、何もしないで勝手に良くなったりしないのは、依存症も性格的欠点も同じです。いったん良くなっても、ぶり返すところも同じかな。
努力と成果は比例しないのは、労働とか収入とよく似ています。でも、比例しないから働く意味がないってわけじゃないでしょ。
2006年10月26日(木) 野球の話 わが楽天野球団には、当面関係がありそうもない日本シリーズは、日本ハムファイターズが制しました。札幌では楽天もずいぶん痛い目にあいましたからね。
これで、3年連続でパシフィックリーグのチームが勝利したことになります。
じゃあ、パリーグ球団が強くなったのかというと、そうとは思えません。カギはやっぱり、パリーグだけプレーオフを実施してることにあるんでしょう。
年間百数十試合を行い、勝率一位を優勝とするセントラルリーグ。一方、パシフィックリーグは、勝率三位までのチームが、リーグ終了後にプレーオフを行い、トーナメントに勝ち残ったチームが優勝です。
年間を通じて平均的に良かったチームよりも、10月に調子の良いチームの方が強い。考えてみれば当たり前のことであります。パリーグが、前期・後期に日程を分けて、それぞれの優勝チームでプレーオフをしていた頃も、後期優勝チームの方が有利でした。
サッカーJリーグの前期・後期制でも同じ現象がありました。
来年からはセリーグもプレーオフを導入して、セパ同じ仕組みになります。ただし、プレーオフ勝利チームが優勝ではなく、優勝はあくまでも勝率一位チームにするんだそうです。まあ、その方が無難な感じです。
そうなると、日本シリーズが「勝者と勝者の対決」ではなくなってしまいますが、そこを気にするなら、プレーオフなんてしないほうがいいと思います。
以前だったら、日本シリーズ終了とともにプロ野球のシーズンも終わっていたのですが、WBCもあった今年は国際試合が熱いです。
11/2-8 日米野球
日本選抜対メジャー選抜。例年はエキジビション的要素が強いですが、今年はアメリカも本気で勝ちにくるでしょう。
11/9-12 アジアシリーズ
日韓台中の各リーグの優勝チームによるクラブ選手権。
なんだ新庄、アジアシリーズ出ないで引退しちゃうのかよ。阪神時代といい、メジャーでの成績といい、今回のアジアシリーズといい、お前ってやつはよー。ぶつぶつ。
野球に興味がない向きには、つまらない話でした。
2006年10月25日(水) リンク集 こういうサイトでリンク集を維持していると、他のサイト運営者から相互リンクの依頼が来ることが結構あります。しかし、たいてい「すぐにリンクはできない」と返事をしています。理由は自分のポリシーとしか言いようがありません。
ハイパーテキストなんだから、文中にリンクが出てくるのは「当たり前」であります。
けれど、わざわざ「リンク集」を作って、メニューにそれを載せて人を誘導するとなると、そのリンクには「引用」とか「参照」とか以上の何かの意味を持つと思っています。
つまり、「暗黙の推薦」であります。別の言葉を使えば「お勧めサイト」です。
そのお勧めが「ここはためになるよ」か、それとも「こうなっちゃいけないよ」であるかはともかく、ひいらぎという個人が取捨選択という編集を重ねた結果であります。
僕は他のサイトをリンクするときは、そのサイトのほぼ全てのページを読むことにしています。掲示板とかは全部読んでないこともありますが、ブログであれば書き始めから現在まで全部読み終わるまで、リンクしないのが原則です。これはそのサイトをお勧めする限りは、十分評価してからというルールを自分で作っているだけです。
「みんながそうするべきだ」とは思いませんが、ともかくそれが僕のルールです。
しかし全部に目を通すには時間がかかります。いつもヒマなわけじゃありませんし。
結果、リンク候補のリストはずらずらと長くなっています。
訪問するまでに消えてしまうところもあります。これは縁がなかったとしか言いようがありません。
ずいぶん前に更新が停止しているところもあります。でも、それを「今読んで意味があるかどうか」だけを考えます。
リストは先着順(FIFO)なんですが、順番を飛び越えてくるものもあります。
AAのミーティング会場を案内しているサイトは最優先になります。リアルに勝るものはないですからね。「AA関係のリンク集の充実」という言葉も掲げているので、AAメンバーだと名乗っている人のサイトやブログは優先になります。オフラインでお会いしたり、掲示板に来ていただいた人のサイトは早めの処理を心がけます。
ここはリンクしないという結論になることもあります。
・xAメンバーだとわかっていても、依存症とも霊性とも無関係なサイト。
・xAメンバーなのに実名が出ている(断酒会の人は問題ない)。
まあ、例外ができるのがルールでありますが。
しかし、リンク集の更新頻度がどんどん落ちていることも、実は気になっています。
というわけで、リンク集には入れられないけれど・・・というサイトをブログエントリのほうで紹介してこうと思います。
2006年10月24日(火) 携帯電話の話 電話番号を変えずに、別の会社の携帯電話に切り替えることができる制度(モバイル・ナンバー・ポータビリティ)が始まりました。
実は固定電話では、すでに番号ポータビリティが始まっていて、僕もこの春にFAX回線をNTTからKDDIのメタルプラスに変更する際に、「同番移行」をしました。
同じ携帯電話会社の別の端末に魅力を感じたら、「機種変更」という手段を使えば電話番号は変わらずにすみます。いったん解約して、新しく契約したほうが安いのですが、そうすると番号は変わってしまいます。番号が変わらないということは、結構重要なことみたいです。
別の電話会社に乗り換えようとすると、いままではどうしても番号が変わってしまっていました。電話番号の体系が会社ごとに割り振られていたので、仕方ない事情でありました。でも、番号が変わることを理由に他の会社に移れないのでは、公正な市場競争とは言えない、ということになって、今回の「同番移行」が実現されたわけです。
電話番号は同じままでも、会社が変わるとメールアドレスはどうしても変わってしまいます。また、年数が経つごとに割引率が増す、継続年数割引きも1年目にリセットされてしまいます。
前の会社での継続年数を、同番移行後も引き継ぐ仕組みにすると、どうしても収益は悪化します。どこの会社もそれをやりたがらなかったのですが、直前になって孫さんのソフトバンクから「他社の継続年数を引き継げる」という発表がありました。さらには料金の値下げ勝負に出てきました。
でも、値下げ勝負になると一番きついのはソフトバンクではないかと思いますな。
ドコモは体力勝負なら絶対負けないでしょうし、一時期貧弱だったKDDI(au)も2001年に2.1兆円あった負債を、2006年には7,700億円まで圧縮してます。つまり、5年で1兆3千億円の借金を返すだけの体力を戻しています。
一方ソフトバンクはvodafoneの買収に1兆7,500億円をかけ、その多くを借金でまかないました。
年度内にFOMAに負けないサービスエリアを整備するという、孫さんの言葉はもはやだれも信用していないでしょうが、それでも整備は必要で、その金もすべて借金になるでしょう。
猫の目のようにくるくる変わるソフトバンクの料金プラン。はたしてどうなるやら。
で、自分としては、特に携帯電話会社を変えなければいけない理由もありません。携帯のメールは使っていないのでアドレスが変わってもかまいませんが、Cメールというau専用のSMSは細々使っているのも、乗換えを考えない理由です。
それよりも、今年正月に買った○芝製の端末(W32T)を買い換えたくてしかたありません。もはや Bluetooth も使っていないので、13ヵ月使用して機種変更代金が安くなったら、早々に買い換えたいところであります。
2006年10月23日(月) 願い事のリスト 願い事のリストを作ると良いという話を誰かがしていました。
AAでは何でもリスト(一覧表)ですな。
神さまは、必要なものは与えてくれ、必要でないものは与えてくれない。
だからといって、願い事をしていけないというわけじゃなさそうです。
欲しい物や、叶ってほしいことをリストに並べていきます。
書き上げたリストを、躊躇なく誰にでも見せられるなら、あなたはたいした正直者であります。
別の可能性としては、自分に正直になれていなくて、望んでいるけれど書かなかったのかもしれません。人に言えないような望みや願い事を抱えているのだったら、なぜそれを人に言えないのかを考えてみます。人に言えない願いは、人に言えない悩みと似ています。
人に見せるかどうかはともかく、リストを完成させたら、それを実現するにはどうすればいいか考えましょう。
例えば、3億円の宝くじが当たってほしいならば、まず宝くじを買うことが必要です。
素敵な恋をしたかったら、まず誰かを好きならないと始まりません。
忘年会を無事に切り抜けたかったら、とりあえず今晩の(あるいは今週の)AAミーティングに出る手はずを整えることから始めます。
自分ができることをしたら、結果については「お任せ」であります。必要でないものは与えてくれないか、もうちょっと先まで待っておいでというのが返事でしょう。
イライラするときは、結果ばっかり欲しがっているときですから、そういう時は何がほしいかリストを作ってみると良いのだそうです。
幸運には必ず前触れがある(と魔夜峰央のマンガに書いてありました)。
宝くじが当たる前には、宝くじを買いたくなる気分が訪れます。
不運は突然やってくる。突然の幸福は、実は災厄の始まりであるのだそうです。
ずいぶん前の「やるべきことリスト」や「願いのリスト」を発掘してしまうことがあります。
やるべきことのいくつかは片付いており、願いのいくつかは確かに叶っています。
でも幸せになった気がしないのは、僕が「多少の願い事は叶って当然だ」という姿勢で臨んでいるからでしょう。
2006年10月22日(日) 雑談 ・メルクマニュアル第17版より
「他の国とは違って米国では非自発的にAAに入っている患者の割合が高い。こういった患者は裁判所あるいは保護監察局の命令で強制的に参加させられる。AAは自発的に入ることがこれまでの伝統であったが,このように譲歩したことで,この会のもつ効果に変化が生じる可能性もある」
・どうして何でもかんでも略語を作ってしまう新聞が、メタボリック症候群を略さないのでしょうか。メタボ症とか?
スーパーコンピューターを「スパコン」と略しているのを見つけたときには、ハリセンで頭を後ろから叩いている図を想像してしまいました(新喜劇風)。
・猫を洗う。
子供たちが「猫が臭い」というので、猫を洗いました。
遠い昔の子供時代、洗濯機で友人の猫を洗おうとした記憶がよみがえりましたが、シャワーを使って手洗いしました(毛皮だし)。ちなみにその友人は、猫を脱水機で回して水を絞ったそうです。
猫ふわふわになりました。
今回は人間用シャンプー&リンスを使いましたが、香料が入っていて良くないのだとか。次回は猫用を購入したいです。
・CLIE以降PDAを売っていなかったSONYから、myloという謎なモノが発表されました。機能は音楽再生、ビデオ再生、Web閲覧(Opera)、IP電話(Skype)、チャット(Google Talk)ぐらい。難点は、無線LANがないとホームページの閲覧や、電話もできないことです。
自慢じゃないですが、長野県内で公衆無線LANが使える場所は、NTT界隈とホテル、それとマクドナルドぐらいしかありません。これでは単に「かさばるiPod」になってしまいます。
OSは Linux で、CPUは DragonBall MX2。DragonBall は StrongARM の後継か。
やっぱり帯に短し、たすきに長しという感じがします。
2006年10月20日(金) Cure for Cynicism (冷笑主義への処方箋) 忘れ物
By Yuki Oda
もしあなたが、根本的にこの世の中には思いやりなんてものは、存在しないんじゃないかと思ってしまったなら、ぜひミナコ・カトウと話してみるといい。
東京で雑誌編集者をしている彼女は、過去14年間にネイビーブルーのロエベの財布を5回なくしている。でもそのたびに財布は彼女の手元に戻ってきた。中身のクレジットカードや身分証明書、それに特筆すべきは結構な現金も含めて。
「別に驚くことじゃないですね」と彼女は言う。「じゃなければ、この財布は全然魅力的には見えないってことかもしれません」
もちろん、財布の外見とは何の関係もない話だ。
日本での忘れ物の返却率は驚くほど高い。警視庁の遺失物センターによれば、昨年東京で財布を落としたと報告があった件数は25万5844個。そして心温まることに、実に19万4139個の財布が警察へと届けられた。また、10万0247個の携帯電話が失われ、約9万5千個が届けられた。
さあ、これをどう説明できるだろう。たぶんそれは伝統的な倫理観だ。世界中どこでも、子供に落とし物を拾ったら届けなさいと教えてはいる。でも、日本人は実にそれが熱心なのだ。通勤者や同じ都市に住む人への思いやりの気持ちだろう。
理由が何であれ、彼らの変らずに見せる正直さは、ときに海外からの滞在者を驚かせる。
「あなたがロンドンのセブン・イレブンの外に傘を置いたとする。するとあなたが店に入るか入らないかぐらいには、もう傘は消え失せているだろう」とDick Catlinは言う。イングランドからやってきた海外投資家の彼は、東京都内のバーにカメラと電話機と家の鍵を忘れてきたが、翌日にはそのまま出てきたのだ。「でも、やっぱり日本がとりわけ変わっているんだと思うね」
メッセージは明らかだ、もしこの先、忘れっぽくなるんだったら、日本でなるべきだということだ。
May 15, 2006 HKT:
from TIMEAsia, The BEST of Asia, Best for The SOUL
http://www.time.com/time/asia/2006/boa/soul_cynicism.html
2006年10月18日(水) 飲んでいる薬 飲んでいる薬のことを書いていた方が、いらっしゃったので、おいらも。
【朝晩】
・トレドミン25mg×2(塩酸ミルナシプラン)
抗うつ剤。選択的セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害剤(SNRI)。
【寝る前】
・レスリン25mg(塩酸トラゾドン)別名デジレル
抗うつ剤。不安感をともなう比較的軽いうつ状態に適す。SSRIに近い。
・ロラメット1.0mg(ロルメタゼパム)別名エバミール
睡眠導入剤。持続時間短期型。寝付きの悪さを改善。
・アタラックス50mg(パモ酸ヒドロキシジン)
抗ヒスタミン剤。アレルギー用の薬の眠くなる副作用を利用するのは、市販薬のドリエル(塩酸ジフェンヒドラミン)と同じたぐいか。
トレドミンはうつの症状用。
ロラメットとアタラックスを寝付きの悪さ対策。
レスリンは中途覚醒の対策。あと、筋緊張性頭痛と肩こりのために、ロキソニン(消炎鎮痛剤)とテルネリン(筋緊張緩和剤)を頓服でもらっています。
ワイパックスを飲んでいた頃は、肩こりもそんなにひどくはなくて助かったんですが、最近は腰も腕も痛いです。ミラドールにもずいぶんお世話になりました(胃炎治りました)。デパスは飲んだことないです。リタリンも。
薬を変えたり、減らしたりするときは、やっぱりしんどいですね。
薬の副作用で太ることもありますよ。
2006年10月17日(火) マイクロソフトとアンチウィルス マイクロソフトが月会費制のウィルス対策ソフトを出す計画を発表しています。
当然、シマンテック・トレンドマイクロ・マカフィーあたりは(死活問題になるので)大反対を表明しています。
自分は、未知のソフトをどんどん試してみたくなるタイプなので、常にウィルスの脅威にさらされています。ダウンロードしたら、実行する前にウィルススキャン・・・なんてことは面倒でしませんし、自分でそう決めてもたぶん忘れるでしょう。そして被害は常に甚大です。
なので、ファイルを開いたり、実行しようとすると、背後で自動的にそのファイルをスキャンしてくれる「リアルタイム検索」の機能を使っています。
で、このリアルタイム検索の機能が、非常にうっとうしいのであります。
たとえば、ファイルのアイコンをマウスでクリックして「削除」を選んだとします。すると、ごにょごにょと時間がかかった挙句に「削除できません。他の人またはプログラムによって使用されています」というエラーメッセージがすげなく表示されるのです。大きいファイルほど顕著です。
もちろん、誰も他の人がそのファイルを使っているわけじゃありません。裏でウィルススキャンがリアルタイムで行われ、ファイルを握っているだけなのです。
ウィルススキャンが終わるタイミングを計って、もう一度削除すると今度は問題ありません。
でも毎度これを忘れて「なんで削除できんのだー」という苛立ちに包まれるわけです。
デスクトップに転がっているアイコン。それが時々消えて、再描画されるのはシェルの仕組みですから、それは仕方ありません。しかし、その再描画に時間がかかるのです。一個一個のアイコンを描いているのが分かるくらい遅いのです。
リンク先のファイルからアイコンを抜き出してくる作業に時間がかかっているのですが、それを邪魔しているのはもちろん「リアルタイム検索」です。アイコンがウィルス感染するわけがないと思うのですが、お馬鹿なアンチウィルスはアイコンを取りに行っただけでも、リアルタイム検索を実行し、使い手をイライラさせます。おまけにアイコンの多くはアプリケーションなどの実行ファイルで、実行ファイルのスキャンは念入りなので特に時間がかかるのです。
シェル(エクスプローラー)には、アイコンの代わりに、画像ファイルのサムネイル(縮小版)を表示する機能があります。ディジカメの画像を溜めてある人間が大変重宝する機能です。このサムネイルを表示するのに妙に時間がかかるようになりました。JPEGファイルのなかにウィルスを仕込む技術が生まれて、おかげでJPEGファイルも念入りにスキャンされるのです。
ウィルススキャンに時間がかかるのは、Windowsにとっては想定外ですから、操作上の妙なところでひっかかりがあったり、反応がないので同じ操作を二度してしまったりして、イライラ度を3倍ぐらいにしてくれます。
これを避けるにはOS(つまりWindows)に、ウィルススキャンの機能を組み込むしかないでしょう。そうすれば、Windowsがこんなにもっさり重く感じられることも減るはずです。でもそれじゃあ、今のパソコンの寿命が延びて、ハードもソフトも売れなくて困るのかなぁ。
2006年10月16日(月) 雑談 ノートPC用の電池パックが発火するという問題。
「ああやっぱり」という気もしました。もうこの工程は省くから来なくていいよと言われたのは何年前だったか。その不条理が今回の原因とはとても言えませんが、過剰にコストダウンを求める余り、ついつい何かがおろそかになるのはよくある話。交換にかかる費用は400億円を越えて、まだまだ増えそうだとか。
それでも同社製のノートPCについては、回収という話が出ません。日本国内で炎上するまで放置でしょうか。
精密測定器の不正輸出で摘発された会社もありました。急に疎遠になって、どうしちゃったのかなと思っていたんですが。海外に技術移転すると、国内の雇用が守れない。だから国内でがんばるんだという社長の主張は立派でしたが、国内で作ったものが、海外に売れないのでは困ってしまうのか。
会社の経営って、すごく難しいんだねぇと思うこの頃です。まあそういう職業とは縁が成さそうなんで、心配要らないんですが。
話は変わって、僕はAC(アダルト・チルドレン)というコンテキストでは語らないので、ACのことはよくわかりません。
ただ、世の中には親に十分愛された人と、愛を受け足りなかった人がいるとは考えています。これは客観的に見てどうかという話ではないですな。
周囲から見て十分愛されているように見えても、本人が足りなかったと感じるなら、もっと愛される必要があったんでしょう。逆にあんまり愛されていないように見えても、実は本人は足りているという場合もあるはずです。
人は一人一人違うから、どれだけ愛されればいいかも一人一人違うはずです。だから、ここまであればいいはずだとは言えないことになります。
親の方も事情は同じで、一人一人どれだけ愛せるかの能力が違う。たくさん愛せる親もいれば、不足気味の人もいる。
だから、親と子の組み合わせによっては、ミスマッチが起ることもある。
まあ、これは理屈です。「理屈とトクホンはどこへでもひっつく」と言われますからね。
じゃあどうすればいいのかと言われても、僕らが持っているのは12ステップという道具だけなんですよ。それにAAメンバーの2/3は「AA以外の場所で、精神的、心理的、あるいは霊的なケアを受けた経験がある」ことは憶えておいて欲しいと思います。
とはいうものの、12ステップは一生無料で使える道具であります。
そして、ソブラエティを続けている多くのAAメンバーが、その中でリラプス(relaps:逆戻り)を経験し、回復は一生取り組む作業だと感じているのであります。
2006年10月15日(日) 資格試験 朝4時に寝て、6時半に目覚ましが鳴りました。
寝る前に持ち物を揃えたはずが、スリッパを忘れてきたことに気付いたのは、駅への途中でした。引き返しても良かったのですが、コンビニで買えばいいやと、駅へ向かいました。が、数分後、僕の中のセブンイレブン神話は崩壊します。
そのまま行って、会場内は靴下で歩いてもいいかと思ったんですが、トイレが困ります。試験会場は中学校や高校が使われることが多く、トイレにサンダルはありません。仕方ないから家まで戻ったら、電車を一本逃しました。
朝の時間帯なんですが、一本逃すと30分後です。
おかげで、行った先の駅からタクシーを飛ばす羽目になりました。1,910円。
試験会場へは15分遅れで到着。30分まで遅刻は許されるので、気楽(?)なものです。
いつものことながら、会場はスカスカです。費用を振り込んでいるにもかかわらず、半分ぐらいの人は会場に現れません。僕も勉強が間に合わなくて一回諦めたことがありました。仕事が炎上していて試験どころではない人もいるんでしょう。
午前中のマークシートの試験が終わると、出席証明がもらえます。それで帰っちゃう人もいます。会社から費用を出してもらっている人は、受験したという証拠さえもらえば良いらしいです。
午後の試験は記述式。お腹が痛かったです。もはや若くはなく、肉体的な疲れがすぐに体の不調につながります。睡眠不足が続くとすぐに下痢をします。
もちろん途中退出してトイレに行くこともできるのですが、そうすると再度入室はできません。悪いことに試験の時間割は100分とか2時間とか。途中でトイレに行くのは、合格を諦めるのに等しい行為です。
受験者は僕と同じぐらいの年格好の人が多く、みんな顔に疲れが浮かんでいました。男ばかり。午後の休憩時間にはもう人は減りません。最後は論述式。
30分ほど早く諦めて退出しました。
思えば3月だったか4月だったか、ふとした気まぐれから書店で参考書を買ってしまってから約半年、勉強しなくちゃいけないのに「やる気がしねぇ」という状態からはやっと解放されました。
年末か年明けぐらいに、賞状のような合格証書が送られてくれば合格、来なければ不合格であります。僕の場合には、合格しても得るものはあまりありません。こんなことなら、AAのラウンドアップに行っていた方が良かったかと思ったりしました。もっとも、ラウンドアップに行っても、疲れでお腹が痛くなるのですが。
2006年10月14日(土) 鳴らない電話 隣県でAAのラウンドアップが行われている関係で、ホームグループのミーティングは留守番組だけになりました。といっても、このグループでは、ラウンドアップに行かない人のほうが多いので、あまりいつもの週末と変わりませんでしたが。
なにも自助グループに限らず、人の集まるところ、個人の力を越えた「パワー」が存在しうるという考えには、うなずけるものがあります。
だから、AAだ断酒会だという枠に囚われなくてもいいではないか、と言われれば確かにそうです。
断酒会でもAAでも、行ったことのある人は、そこに何らかの「型」があることを感じたのではありませんか?
断酒会は断酒道とか言っちゃってるし、AAはステップだとかうるさいし。そういう「型」を、うざったく、堅苦しく感じたとしても不思議ではないです。
形に囚われずに、もっと自由にやればいいのに、なんか嫌だなぁというのが、フツーの人の感じ方だと思います。
でも、本当にそう感じているんだったら、自分なりの考えで、自分なりのスタイルで始めてみればいいんですよ。気楽に。実際そうする人もいます。
市の公民館の一室を借りて、AAミーティングを始めた話は別に書きました。そこの公民館を使っているサークルは多かったので、定期的に部屋を確保するには会議に出なくちゃなりませんでした。
多くは趣味のサークルです。お茶やお花、料理、楽器、書道、手話・・・。その多くは、役に立ったり、楽しかったりするもんなんでしょう。参加者には。
ところが、その会議に出続けていると、参加してくるサークルがだんだん入れ替わっていく様子がわかります。
同じ曜日に公民館を使っているサークルもたくさんありました。でも、10年経って、いまだに同じペースで続けているのは、隣の部屋の日本語教室ぐらいでしょうか。
もちろん僕の目にしないところで続いているものもたくさんあるかもしれず、断続的に続いているところを加えればもっと増えるでしょうが。
何が言いたいかというと、楽しい趣味のサークルであっても、なかなか長続きはしないと感じるのです。ましてや、自助グループってのは漢方薬みたいに、ゆっくりと作用するもんでのですから。
ところが病気は一生ものです。だから、例え個人の力が弱まっても、続いていってくれないと困ります。永続性を確保するには「何か」が必要なんだと思います。
その「何か」がなんなのか、簡単には説明しきれないんですが、堅苦しく感じさせる「型」ができる過程で、その「何か」を獲得していったのではないかと。
そういや、ACのグループもやってるんですよね。
2006年10月13日(金) 飽きる AAやってて飽きませんか? と聞かれることがあります。
そんなのとっくに飽きているという感じがします。少なくとも、新しい刺激があって、興味がかき立てられる状態は、とっくに過ぎてしまいました。ミーティング終了後に感じるカタルシスも、どんどん薄くなっていくものです。
ミーティングの顔ぶれだって、そんなに変わるもんじゃないですし。
飽きているとは言っても、趣味でやってるわけじゃないですからね。
仕事に飽きても、簡単にやめられないのと似ているかも知れません。ご飯を食べるのも、うんこをするのも、数え切れないほどやってきましたが、飽きたらからやめるというわけにもいきません。
どちらかというと、歯を磨いたり、風呂にはいるのと似ています。歯を磨いたり、風呂に入らなくても、死にはしません。でも、それが自分の常識になってしまうのは嫌だなと。
東京にいた頃は、風呂なしのアパートに住んで飲んでいたので、面倒で2〜3ヶ月銭湯に行かないこともありました。本人はそれほど切迫感がないのですが、周囲にしてみれば「何やってんだお前は」と言いたいところでしょう。いま、自分で思い出しても恥ずかしい話です。が、その時は人にどんな思いをさせてるか、考えていなかったわけです(自分がどう思われるかは気になりましたが)。
災害でインフラが崩壊すれば、風呂だなんて言っていられません。でも、せっかく文明生活に生きているんだから、風呂には入りたい。ミーティングもしかりというところでしょうか。
ついでに誰かが助かってくれれば、それにこしたことはありません。
なだいなだの本にあるのですが、断酒会で優等生タイプは2〜3年で飽きてしまい、「もはや学ぶものは何もない」と来なくなってしまうんだそうです。人に助けられ、自分が得ることばかり求めているから、見えなくなってしまうのでしょうね。
明後日日曜は資格試験で、今さらですが今日から勉強を始めています。最大の難関は、当日朝起きられるかどうかです。「AAだったら、間違いなく起きるのにね」とは妻の皮肉であります。
「猫が猫であるように、犬が犬であるように、全身全霊僕でありたい」とハイポジの歌にありました。教育テレビの人形アニメの歌になっていました(確かカタツムリのやつ)。
自分自身であることを妨げているのは、何を隠そう自分であったりして。
2006年10月12日(木) 抗酒剤 3回目の入院の、最初の外泊の時に、すっかり酔っぱらって病院に戻り、次の外泊から抗酒剤を服用させられました。それが初めての抗酒剤でありました。
ナースステーション内でシアナマイドの入ったカップを渡され、それを目の前で飲んで見せ、さらには口を開けて飲み下していることを確認されました。
なんだかなーと思った記憶があります。
精神病院では服薬拒否をする患者は多いです(依存症以外の病気の人が多い)。薬を手渡して本人に飲めといっても、飲まずにゴミ箱に捨ててしまいます。だから、食事後に患者は水の入ったコップを持って一列に並び、看護婦から口の中に薬を投入してもらうのです。そして「飲んだよ〜」と口の中を見てもらう。「おいらは依存症で」と主張しても例外は認めてもらえず、列に並ぶのでありました。
アルコール専門病院に行って、そういうのとは無縁になったと思っていたら、シアナマイドでは同じことでありました。薬好きのアル中でも、抗酒剤は服薬拒否が多いらしく、手順は同じであります。
なぜシアナマイドを服薬拒否するのか。それは酒が飲みたいからだとする話もあります。もちろん酒を飲みたかったら、抗酒剤は飲みたくないのが道理です。
でも、酒はやめたいのだが、抗酒剤も飲みたくないという気持ちも理解できます。酒を飲むのも飲まないのも、自分の自由意志でやってきたんだから、抗酒剤で無理矢理飲めない体にしてもらわなくても、自分の意志で飲まない方を選択していけるはずだ。それをシアナマイドを飲めというのは、信用されていないし、断酒に前向きな気持ちも評価されていない、それが気にくわないという理屈です。
しかし、飲む・飲まないが自分の自由意志の選択だと思うのが間違っています。病気によって、常に「飲む方」にバイアスがかかっているのであって、酒に関しては自由意志はあまり役に立ちません。
自分は抗酒剤を3年飲みました。
シアナマイド(液剤)は背中が痒くなってたまらなかったので、ノックビン(粉剤)に変えました。ところが、地元の開業医にはノックビンの仕入れがなく、わざわざ僕のために仕入れてもらいました。
1年経った時に、「そろそろ抗酒剤を止めたい」と医者に相談したのですが、医者は否定的でした。こちらもわざわざ仕入れてもらった手前、無理押しには断れません。結局3年飲みました。整腸剤と混ぜてもらってたので、抗酒剤を飲んでいるということを普段は意識しませんでしたが。
3年経った時に、医者が「じゃ私からもバースディプレゼント」といって、ノックビンの打ち切りを告げられました。これでいつでも飲める体になったんだと思うと、ちょっと不安でしたが、そのうちそんなことも忘れました。
抗酒剤を飲みながらの断酒は、本物の断酒じゃない、なんていう言葉を聞きます。もちろん、断酒の真正は抗酒剤というモノサシでは計れないと思いますが。
2006年10月10日(火) 仮説(ネタがないとき用予備校) ま、あくまでも仮説であります。
AAの中にいる女性はなぜこうも魅力的なのか?
(え? 自助グループにいる女性には魅力を感じない? さあ、帰った帰った)
そもそも魅力を感じていないのなら、この仮説は成り立たないですからね。
基本的には、女性の数が男性より少ないところがミソであります。
そもそも、スチュワーデスだとか、モデルだとか、受付嬢だとか、コンパニオンというような職業の女性になぜ男はあこがれるのでありましょうか。
制服を着ているから? モデルやコンパニオンは制服じゃないです。
容姿端麗であることが、そういった職業に就く条件であるから・・・それもあるかもしれません。
キモは、多くの男性と接する機会のある職業だからだとされています。
(多くの人に接するからこそ、容姿が求められるということもあるでしょうが)。
女性に魅力を感じた場合、男はその女性を独占したいと思うわけです。これは自分の子供だけを産んで欲しいという太古から受け継がれた本能ですね。ところが人に接する職業の女性の場合、男は「自分より魅力的な男性に誘惑されてしまうのではないか」という不安を大きく抱えることになります。
要するに「嫉妬心」ですね。
嫉妬することは、相手に魅力を感じるということです。魅力を感じなければ嫉妬はしないですけど。そういう職業に就く女性は、熱烈なステディを持つと言われています。
嫉妬される愛情と、一緒にいると落ち着く関係は相反するので、必ずしも熱烈な愛情が好ましいとは限りませんが、まそれはともかく。
男に囲まれるということは職業に限りません。たとえば大学のサークル活動でも、女同士で固まっているより、多数の男性の中に少数派として混じっている女性は(その比率以上に)もてるわけです。
AAの中の女性にも同じことが言えるんじゃないでしょうか。
男女比が3:1ぐらいでしょうか。女だけで固まっているグループだとか、ひとりでいる女性もいますから、男性に囲まれている女性メンバーは、その比率以上に少ないでしょう。
というわけで、AAの中で男性に囲まれている女性メンバーは魅力的に見えるのであります。
AAを離れて一般社会の中に混じってしまえば、それほど輝いていないのかも知れないですがね。
(酸っぱいブドウの論理)。
2006年10月09日(月) 平凡 平凡な人間の中には、善と悪が入り交じって存在しているのでしょう。
誰だって、自分には悪い部分もあるけれど善性が勝った人間である(つまり基本的にはよい人間である)と信じたいものです。
たとえば僕はよくトイレの話をするのですが、自宅のトイレを汚したら自分で掃除する人でも、駅のトイレを汚しても掃除しようとはしないものです。そうではありませんか?
自宅のトイレを掃除しなくても、嫌な思いをするのは結局自分です。それか家人から非難されるか。いずれにしろ、リスクは負わねばなりません。ところが、駅のトイレから逃亡しても、非難を受ける可能性はごく低いものです。
公共のトイレがどんなに汚いものであるか、そういう話はもっともですし、それを無償で掃除する高潔な人間が少ないのも事実でしょう。
僕もたぶん逃亡するでしょう。逃亡を選択する心の暗闇があるわけです。
そうした暗闇に光があたっても結構平気でいられる人もいます。でも、まるで攻撃でも受けたかのように反撃したり、理屈で反論したり、イジメにでも遭ったように落ち込んだりする人もいるわけです。
自分も基本的にそうしたタイプであります。そうした過剰な反応をする人は、たぶん自分に対する期待値が大きすぎるのでしょうね。自分は平凡な人間であり、平凡な人間の中には、善も悪も同じぐらい存在していることを忘れているのであります。
どこか、自分を高潔な(優れた)存在であると見なしたい願望があります。しかし、高潔さはトレーニングなしにはたどり着けない場所でしょう。
結構平気な人は、人の心のは誰にでも闇があることを知っているし、自分もその一人であることを受け入れられるのでしょう。
棚卸しの作業をすると、そうした悪いものがぼこぼこ出てくるわけであります。
悪い部分は一生かかってもゼロにはならないです。霊的生活が完成した人はいないんですから。改善される部分もあるでしょうけど、ゼロにはならんです。
悪いものをたくさん抱えた、高潔でない弱い自分。ありのままの自分を好きになっていくしか仕方ないんじゃないかと思うのです。
結局の所、棚卸しの作業は、健全な自己愛を持つために必要な過程なんでしょう。
自分を愛せるようになるのは、誰かに愛されるのが一番なんだそうです。でも、生身の人間には、他人のありのままを100%受け止める大きさはないでしょうから、Higher Power ってもんが必要になりそうです。
自分が人とは違う(平凡ではない)だって、これが違うあれが違うと言い訳をするのは、アル中特有の「違い探し」でしょう。自分の性格的欠点に、いちいち言い訳を考えてみても仕方ない。平凡になる。自分にも(もちろん他の人にも)期待を押しつけない。がっかりしない。
ステップ4は、改善のためにありのままの現状を把握するのが目的で、自己非難の材料を探すためのものではありません。
2006年10月07日(土) 不平等について AAホームグループのミーティングへ。
僕のソブラエティが、あなたのソブラエティよりも長いとします。
なぜ僕のほうが長いのか。その理由は「僕のほうが早くAAにつながったから」だろうと思います。そのことをもって、僕があなたより優れていることにはなりません。
僕より長いソブラエティを持つ人はたくさんいます。その人たちも、僕より早くAAにつながったというだけのことです。
けれど、結果として年数の差は出てきてしまいます。それは公平ではないですが、世の中はそれほど公平なわけでもありません。そのことを私たちは「変えられないもの」として受け入れています。もし、逆転を狙うなら「先ゆく仲間」が再飲酒してくれるのを願うだけになります。
あっちこっちのミーティングに出かけ、イベントやサービス活動にも参加しているメンバーは、知り合ったメンバーの数も増えます。そういう人のバースディ・ミーティングは賑やかなものになります。そういう人は「恵まれている」のです。
一方、何らかの理由で、ホームグループのミーティングが主で、あとは地元の病院メッセージを支えているという人は、知り合いの数も多くなく、バースディにやってくる人数も少なくなります。
記念の色紙だって、たくさん書かれた何枚もの色紙を受け取る人もいれば、ちょっと淋しいのを1枚だけもらう人もいます。
それは明らかな不平等ですが、だから悪だとは言えません。
神さまから配られたカードは、一人一人違っています。良かったり悪かったりします。それを平等にしろと言ってみても始まりません。勝負にならないと泣いていても、何も変わりません。私たちは、配られたカードで楽しく遊ぶことを望まれているのです。
人による評価はわかりやすいです。たくさんの人の集まるところには、何か魅力があるんだろうと思ってしまうのが人間です。しかし Higher Power (もしくは神)による評価のほうが大切です。
神さまは、いつも私たちのことを見ていてくれ、欲得なく評価してくれます。
だから、かえりみられないメンバーがいることを、気に病む必要はありません。たいせつなのは、その人たちのスピリチュアルな状態がどうかということです。そして、それはすべてのメンバーの関心事でもあるはずです。
2006年10月06日(金) 12のステップ(異訳) 1.私たちはアルコール(または麻薬、食べ物、ギャンブルなど)に無力であり、人生がコントロールできなくなったことを認めます。
2.自分より大きな力こそが、私たちを健全な状態に戻してくれると信じます。
3.私たちは自分の信じる「大きな力」に自分の意志と人生をゆだねることにします。
4.自分自身を深く掘り下げて、勇気をもって自己評価を行います。
5.自分自身に対し、また他人に対して、自分の悪いところを正しく認めます。
6.これらの性格上の欠陥をすべて取り除いてもらう、心の準備が完全にできました。
7.謙虚な気持ちになって、欠点を取り除くことができますようにと願います。
8.自分が傷つけた人すべてのリストを作り、その人たちに進んで償いをしようと思います。
9.傷つけてしまった人には、できるだけみずからの手で償いをします。ただし、それによって相手や他の人間を傷つけることがないようにします。
10.引きつづき自己評価をおこない、自分が悪いと思ったらすぐにそれを認めます。
11.祈りと瞑想をとおして神にもっと深くふれるように努め、その意志を知り、それを実行する力を授けてもらうためにひたすら祈りをささげます。
12.これまでのステップをとおして精神的な目覚めを体験したら、同じような悩みをもつ他の人にもそのメッセージを伝え、この「12のステップ」をあらゆることにあてはめて実践するよう心がけます。
ものごとにはそれにふさわしい時間がある
It Takes Time.
気楽にいこう
Easy Does It.
人は人、自分は自分
Live and Let Live.
その日のことだけを考えよう
One Day at a Time.
問題を複雑にしない
Keep It Simple.
いつでも戻ってきて、うまくいくよ
Keep Coming Back. It Works, If You Work It.
前へ進んで、大きな力にゆだねよう
Let Go and Let God.
大事なことから先にやろう
First Thing First.
もっともっと考えよう
Think Think Think.
講談社『まにあうよ、いまからでも』〜スヌーピーたちの生きることが楽になる12のステップ〜
現在日本AAが用いている12のステップは こちら。
2006年10月05日(木) アルコール症者救済の12段階 1.我々は自分がアルコールに対して無力であったこと、かつて自分の生活が自制できなかったことを認めた。
2.我々自身よりももっと偉大な力が、我々を健全な状態に立ち返らせることを信じるようになった。
3.我々は神を理解し、自分の意志と生命とを神の加護に委ねることを決心した。
4.我々は自らの厳しく勇敢な道徳的資産を作った。
5.我々の過ちの委細を、神にも自分にもまたもう一人の人の前でも認めた。
6.神がこれらの性格上の欠点を全て正して下さることをお願いする用意が調った。
7.伏して神に我々の欠点を正して下さるよう願った。
8.我々が傷つけたり害した全ての人の表を作り、その人びとに直接償いをしようと決心した。
9.8.の行為のために、その人や他の人を傷つけない限り、どこまでもできうる限り直接償いを果たした。
10.我々は人格的な資産を獲得し、自分が間違っている時はすぐさまそれを認めた。
11.我々に対する神の意志とそれを実行できる神の力を知るためのみに祈る時、我々が神を理解している場合、祈りや黙想によって意識的な神との接触を強めようとした。
12.これらの各段階を経た結果として心からめざめたとき、我々はこの御神託をアルコール症者に伝え、これらの生活方針を我々の実生活において実行した。
診断と治療社『アルコール辞典』(1979年初版発行)。
現在日本AAが用いている12のステップは こちら。
2006年10月03日(火) 仲間のバースディ 仲間のバースディ・ミーティングへ行きました。
ここのところ2回続けてバースディMの空振りを経験していただけに、三度目の正直でありました。
バースディ・ミーティングを行う理由については、様々な考え方があると思います。だから、何が正しくて何が間違っていると言うつもりはありませんが、少なくとも「バースディ者本人のためだけに行っているわけじゃない」のは確かだと思います。
何年かのソブラエティを重ねると、晴れがましいことは気恥ずかしいからという理由で、バースディ・ミーティングをしなくなってしまうAAメンバーもいます。バースディとはみんなにお祝いしてもらう場だと思うのは、一面的な見方です。
そもそもバースディとは、がんばった人を皆が誉めるためのミーティングではありますまい。どちらかと言えば、自分のソブラエティは仲間のおかげであるという感謝を示す場であろうと思います。だから、ケーキを買ってきて皆に食べてもらうのでありましょう。
時間が経過しても、その感謝が減ることもないならば、等しく感謝を表明し続けることは必要だと思います。
もうひとつの理由は、新しくAAにやって来た人たちのためであります。
AAでは、飲まないでいる期間の長さについて、それほど頻繁に話がでるわけじゃありません。だから、仲間のソブラエティの長さは、普段はあいまいにしか分かりません。AAにつながったばかりのメンバーは、はたして自分は何年AAを続けていけばいいのか、そもそも自分がこの先飲まないでいられるのか、不安を持っているが普通でしょう。
バースディ・ミーティングは、そうした不安を解消し、勇気づけていくメッセージのひとつの形だと思います。それは言葉によるメッセージとは、また違ったものを伝えてくれると思います。
何がしてもらえるかではなく、自分が何を贈れるかを考えれば、バースディ・ミーティングもそれほどおろそかには出来ないと思うのですが・・・まあ、無理強いは出来ないし。
まあともかく、昨夜は、ドアを開けたらちょうどろうそくが灯されるところだったので、安心しましたよ。
2006年10月02日(月) 厳罰化で交通事故は減るか? 直近の交通事故の経験は、今乗っている車が納車されてから3週間のときでした。
朝の混み合う時間帯で、僕は始業に遅れそうで急いでいました。近道をするために、信号のない交差点を右折ようとした時でした。近道しようと意志決定するのが遅れたので、結構な急ブレーキになってしまいました。それでもタイヤが鳴ったり、ABSが働いたりするほどでもなかったのですが。
いざ曲がろうとするときに、後ろからキキーとブレーキ音がした後、軽くゴンという衝撃がきました。営業車のバンに追突されたのでした。運転していたのは若いおにーちゃんで、助手席の上司との話に気を取られて反応が遅れたと言っていました。
お互いの保険屋に連絡を取って、事故証明は要らないということなので、5分で別れました。
こちらも急ブレーキを踏んだ責任があるのですが、追突の場合には100対0で、追突した方が悪いという規定がありますから、揉める要素はありませんでした。非常識なほどの急ブレーキでもなかったし、非常識なほど車間が短かったわけでもない。まして、車の中で会話することを非常識とは言えません。車に乗っている限りは、避けることの出来ない類の事故でした。
ちなみに、新車購入直後の事故では、保険屋に新車への交換を要求できます。ディーラーも乗り気だったのですが、納車まで45日待ちと言われたので諦めました。
交通事故はゼロにはならないだろうと思います。十分に安全な車間距離をいつも確保できているわけじゃありません。十分安全な速度で走っているわけでも、人と車が十分安全なほど離れているわけでもありません。現実にはいつも危険領域に足を踏み入れ、人間の能力以上のものを要求されているのです。
だから、一定の確率で交通事故は起こってしまいます。たとえ僕が、あれ以来事故に遭っていないとしても、今日仕事から帰る途中に事故に遭わないとは言えません。
飲酒運転の厳罰化は、確かに飲酒事故を減らすでしょう。でも、事故全体に占める飲酒事故の割合はそれほど多くはないでしょうから、交通事故の件数はそれほど減らないのではないかと思います。
それでもなお厳罰化をするのか。それは、飲酒運転は「避けられるもの」であり、あえてするのは故意犯であるという解釈があるからでしょう。たしかに、被害者にしてみれば、もし運転者が酒を飲んでいなかったら、という感情を持つのは当然と言えます。
厳罰化をすれば、理性の働く人たちは、飲酒運転を避けるようになるでしょう。それでも、(私たちがよく知っているように)飲酒に関しては理性の働かない人も相当数残ると思われます。
その上で、厳罰化をし、道徳心に訴えたにもかかわらず、どうしてこの人たちは飲酒運転をやめないのだろうと、人々が考え出したときに、初めて「やめられない病気」という概念がクローズアップされてくるのではないかと考えています。
2006年10月01日(日) 脱穀 実家に脱穀の手伝いに行ったのですが、土曜日は子供たちが英語教室の体験入学に行きたいと言うので、それを待っていたら出るのが送れ、着いたのが午後五時。初日の作業はもう終わっていました。あとは、後かたづけだけ。
日曜日は朝起きたのですが、眠かったので、もう少しだけ眠らせてもらおうと思い、もう一度起きると既に昼でした。子供たちが後かたづけを手伝ってくれたらしいですが、母には「お前は何をしに来たのだ」と言われる始末です。
次の週末は東京。その次の週末は資格試験と、気の抜けない日々が続きます。
コミケ代表の米沢嘉博氏、肺ガンで死去。
二十年以上前に、ご自宅にお邪魔したことがあります。
税務署に捕捉されている年収が五十数万円で、奥様の扶養家族になっているお話だとか、自宅マンションの玄関前に本が入った段ボールが積み上がっていて、消防署から撤去命令が出ている話をうかがいました。そして、Alice in Wonderland のポルノ版を見せていただきました。二十歳前の小生には刺激が強すぎましたが。
「東京おとなクラブ」で、ホーテンス・S・エンドウとか中森明夫という人に会ったのも同じ頃です。
現在僕が勤めている会社にも、若い世代にはオタッキーな人間が多いです。でも、コミケで同人誌とかソフトを売っていた過去は封印して生きているので、彼らと関わりあいになることはありません。
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