ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年01月30日(月) 成功? 「勝ち組」「いいこと」「スリップ」というのが最近の掲示板の話題でしょうか。
楽天ゴールデンイーグルスの野村監督が、ヤクルトスワローズの監督時代に言っていた言葉に「プロセスを大事にしなさい」ということがありました。野球というのは結果がだいじなスポーツであります。勝つか負けるか(引き分けか)という結果が出るものです。ピッチャーにしてもバッターにしても、アウトになる(する)かセーフになる(する)かという成否が出ます。優勝したかしなかったか。Aクラス入りしたか、Bクラスに沈んだか。普通のビジネスの世界よりも、もっと結果がはっきり出る世界であるにもかかわらず「結果ではなく、プロセス(過程)を大事に」と説くのでありました。
例えばイチローのような強打者がいます。ストライクゾーンどこに投げても打たれてしまう。ピッチャーもどこに投げて良いか悩む。キャッチャーもどうリードして良いか悩む。困った挙げ句に開き直ってど真ん中に投げてみる。しかしどんな強打者も絶好球を必ずヒットに出来るとは限らないのが野球です。打った球がたまたま野手の正面を突くという場合もあります。結果は内野ゴロゲッツーかもしれません。結果 All Right であります。
だが、そういう幸運は1年を通して続かないわけで、成功からも失敗からも学ばなければいけないというのがプロセス論でしょう。
飲まないアルコホリック業界でも、飲まないでいるのと、飲んでしまうのとでは、その間に明確な線が引かれてしまうものであります。それを成功と失敗と言い換えても良いかもしれません。
「勝ちに不思議の勝ちあり」であります。なぜだか知らないけれど(おそらく主に幸運によって)「飲まない」が続くことがあります。ボールが野手の正面を突き続けることが、人生には不思議とあったりするものです。
一方「負けに不思議の負けなし」でもあります。スリップに不思議のスリップは、まあほとんどないわけで、未だターニングポイントを迎えていないとか、ミーティングの出席だけで満足ししまうとか、もしくは周回遅れのランナーなのにトップに追いつこうと無茶な努力に夢中になったとか・・・。アルコールは巧妙で強力な敵であります。
前と同じ努力をしているのに、なぜか今回は酒が止まらない。謎でも何でもないわけであります。
飲まないでいることが簡単でないからこそ、1年のバースディをお祝いするのでありましょう。でも、「飲まない」という結果に囚われてしまうと本質が見えなくなります。
関西の大学の精神科医のお言葉に、「酒が止まらなくても、懸命に酒を止めようとした親として死んでいけ」というのがあったそうです。直接聞いたわけではないので、伝聞ですが。人間結果が伴わない努力にはうんざりしてしまうものです。
しかし、野球で言えば3割打てば強打者です。逆に7割は打てないわけです。一試合に一本もヒットが出ないことが続くことだってあるわけです。でもいつかヒットは出るわけで、今回スリップしてしまったからと努力をやめてしまうのではなくて、失敗から学んで努力をすれば、いつかソーバーの日々にたどり着ける日がやってくるのでありましょう。
そしてもし本当に酒が止まらなかったとしても、努力に価値はあるというのが、前の言葉の真意ではないかと思う次第です。
ビル・Wにメッセージを伝えたエビーは、その後再び酒に戻ってしまいます。AA第3の男は、飲まなかったものの、借金をかかえ、ビル夫妻の財産を売った挙げ句に自殺します。幸運が私たちに届けてくれたメッセージも、結果にばかり目を取られていれば、手元から失ってしまうという警告だと思っています。
「俺はアル中というレッテルを貼られてしまった。人生の途中でつまずいてしまって、もう二度と人がうらやむような暮らしは出来ないに違いない」という考えは実はアルコホーリクにはありふれたもののようです。自分と他人を比べる病気であります。そして、自己憐憫というお茶はいつも甘くて美味しいのであります。
だが幸せかどうかは自分で決められることであります。人からうらやましいと思ってもらうことに幸福があるわけでも、人に見下されることに不幸があるわけでもない Live and Let Live です。
「神は私たちに成功することを求めてはいません。ただ私たちが努力することだけを求めているのです」『ビルはこう思う』より。
ソーバーであることがAAのメンバーシップなのではなく、ソーバーになりたい、ソーバーであり続けたいと思うことがAAのメンバーシップなのは、今も昔も変わりありません。
どれだけやめられたかが大切ではなく、今日一日やめることが大切な大切なことに違いありません。努力できていれば胸を張ればいいし、できていないなら一休みしてじっくり取り組んだほうが良いかも。
2006年01月29日(日) ライブドアショック 雨が降っています。久しぶりであります。
外気温も8℃と高く、春の足音も遠くないことを感じさせます。
さて、世間を騒がせているライブドア事件でありますが、僕としては冷めた目で見ております。
そもそもなんであんなに株価が高騰したのか未だに理解に苦しむのであります。株式を100分割するという手法が一時的な高騰を生むのは今回の報道で初めて知ったわけでありますが、仮に粉飾決算が本当であったとしても、そんなにありがたがって株を買うほどの会社ではないだろうと思っていたわけであります。
「そもそも株価なんて人気投票みたいなものにすぎない」
というご意見も聞いたことがあって、なるほど警察捜査以降の株価の低落を見ると、そんなものなのかなと思うのであります。
NTT株の初回公開の時に、実兄は購買の権利を抽選で当てたわけでありますが、その権利を5万で売ってしまって大後悔していました。僕は借金してでも買う価値のある株があることを初めて知るわけであります。しかし、第3次公開あたりになると、期待値ばかりが高くて損をした人も多かったとか。
Yahoo!の日本法人が店頭公開したときも、70万円の公募価格に対して、初値が200万円。それが一時一億円まで上がるという、素人にはどうしてそうなるのか分からないという状態でありました。もちろん70万の借金をして株を買おうにも、信用がゼロの自分でありました。
そのヤフーを買ったソフトバンク。今回のライブドア事件でも、楽天と並んでライブドアと比較されることの多い会社です。ライブドアと比較すればいかに両社の財務がいかに健全であるか(ライブドアが不健全であるか)ということが言われている訳ですが、はたしてそうなのか疑問であります。
楽天については興味もないので大して調べていないのですが、ソフトバンクについては多少興味があります。
そもそもYahoo!BBサービスが同社の知名度を一般に浸透させるきっかけになったのでした。確かに同社のADSLサービスは(NTTに比べて)安かったです。街角でADSLモデムを押しつけるという販売手法が強引であったにしても、加入者をどんどん伸ばしていったのは間違いありません。
加入者が増えている間は、将来の収益が見込めるので投資価値があると判断されるのでしょう。しかし、廉価販売をした同社のARPU(ユーザーあたりの売り上げ)は低迷を続けます。ただ、加入者増加のニュースだけが華々しく報道されていたわけであります。
しかし、設備を全国の電話局に展開するには莫大な設備投資資金が必要で、さらにADSLサービスの相次ぐ高度化にともなって何度も設備更新が必要になり、それほど収益体質がよいとも思われない状況が続いていました。気がついてみると同社のサービスが他社と比べて安いわけではない(高い)ことになっているのであります。それと同時に加入者も頭打ちになります。そしてその情報は投資家情報の目立たないところに移動することになるわけです。
今後光ファイバーへの転換が進むに従って、どれだけのユーザーをつなぎ止めることができるのか、まあお手並み拝見であります。他の会社が加入電話と同じ番号体系のIP電話をセットにして販売するようになっているのに、日本テレコムを買収したのに「おとく電話」とのセット販売をしないのも不思議であります。単に両方セットにして割引すると、ARPUが低下するだけの話なのかも知れませんが。
もうしばらくすればソフトバンクの携帯電話サービスも開始されることになります。さすがに使ってみようとは思いませんが、Yahoo!BBの時と同じように競合他社の料金値下げに結びつくのは間違いないでしょう。携帯電話ユーザーとしては歓迎であります。
最近ではYahoo!関連のニュースもネットオークションの手数料収入の増加などに入れ替わって、通信サービス関連のニュースは少なくなっています。
ネットオークションもいつの間にか有料化されています。
実は昨日、ネットオークションで800円で2個入札するはずが、間違えて8,002円で2個入札してしまいました。よく確認しなかったのがいけないのですが、さして欲しくもないものに1万5千円以上払うことになりそうです。「ネットオークションには慣れているから」と慢心していた自分を戒めるには十分なミスでありました。くっそー。
実は、腹立ちまみれでこれを書いているのであります。
2006年01月27日(金) 心が痛いぞ うつ病が悪化して休職したのが1年前です。「あなたは依存症だから安定剤を出すのはなるべく避けたい」と言っていた医者も、経過が思わしくなかったので仕方ないとばかりに精神安定剤を処方に混ぜてくれました。こうして数年ぶりに安定剤を飲むことになったわけです。
最初は朝昼晩3回飲んでいたのを、朝晩に、夜だけに、そして量を減らし、さらに種類を変え、また半分に減らし、そしてゼロにしてもらったのが先週です。
先週から午前中の勤務が復活したので、なるべく朝すっきり起きられるようなりたいという希望で切ってもらったわけです。
半減期が100時間という薬ですから、変化が訪れたのは今週になってからでした。泥沼の底からはい出してくるような寝起きが、楽に起きられるようになりました。しかしそれは、眠りが浅くなっただけなのかもしれません。
昨日の晩はいきなり胃の痛みがやってきて驚きました。この懐かしい痛みは、ストレス性の胃酸過多による胃炎のようです。何のことはないストレスをダイレクトに受けるようになって、さっそく体調に変化が起きたというわけです。
今日も出勤したのですが、まったく仕事に手が付かず、定時になったら逃げるように帰ってきてしまいました。出際に、来年度の開発計画と予算請求を出してくれと言われました。「私達は感情の上では今日一日の生活を送るのであるが、生きていくためには計画を立てねばならない」。ううう、しかしまだ仕事に完全復帰もしていないのに、一年先まで考えられるかってーの。
しかし、つくづく自分はストレスに弱いです。自分が周りの人より多くのストレスを受けているというコンセプトは「甘くて美味しい」のですが、その現実認識は間違っている上に、現実問題に対処するのに何の役にも立ちません。
実際は、自分がストレスに弱く、溜まったストレスの発散が下手な人間なのであります。アルコホーリクの病前性格としては典型的なのだそうです。
疲れているのなら早く寝ればいいのにと、自分でも思うのですが、休みの前の日はこんな時間まで夜更かしして、パソコンに向かってこんな文章を書いているのであります。やれやれ。まったく困ったやつであります。
さて、皆さんは携帯電話を持って歩くときに、どこにしまっておくのでしょうか?
アンケートによれば、男性は「身に付け」女性は「バッグ内蔵」 だそうであります。
男性の4割はズボンの脇ポケット。女性は実に9割以上が「バッグの中」。
僕もまあ多数派の一人で、左の脇ポケットにハンカチと一緒に入れておくのが習慣です。仕事中もずっとポケットに入れっぱなしです。音がうるさい場所にいるときや、高速道路を運転しているときには、着信音に気づかないときがあるので、音と同時にバイブレーターが発振するようにしてあります。ちなみに、夜7時半から9時の間は、曜日を問わずマナーモードに自動的にはいるように設定してあります。これは、ミーティング中に鳴り出すのを防止するのに(僕にとっては)一番確実な手段であります。
最近の女性向け携帯電話って「何でこんなにでかいんだろう」と思っていたのですが、ポケットの中じゃなくて、バッグの中に入れて持ち歩くのなら、うなずける話であります。
Bluetoothのヘッドセットをいろいろ買っている中に、携帯電話のイヤホン端子につなげるBluetoothアダプターも手に入ってしまいました。これがあれば、携帯電話はアタッシュケースの中でも、ヘッドセットさえポケットに入れておけば着信できるなと思ったのですが、「メールの着信はヘッドセットでは分からない」という欠点に気づいてしまったのでありました。
「ひかり電話(NTTのIP電話サービス)」で時報(117)にかけようとしたらつながりませんでした。IP電話だと音声に遅延が起きるので、時報として役に立たないということかもしれません。
それから、いままで無線で結んでいた3階と2階のあいだを、モジュラーケーブルで結んだら、それがアンテナになってしまったらしくて、電話をかけるとAM放送がバックに流れてしまいます。そういう現象が起きることがあるとは聞いたことがありますが、実際に体験してみるとなんだか不思議であります。
2006年01月26日(木) 一過性のマゾヒズム アダルトな話を含んでいるので、そういうのが嫌いな方は読み飛ばしていただきたいです。
今でこそインターネットはアダルト画像であふれかえっていて、子供にパソコンを触らせるときにはネットワークから隔離するか、フィルタリングソフトをかませないと安心していられないのでありますが、僕がインターネット接続を始めた頃(つまりNifty ServeのINETゲートウェイの頃)はアダルト画像なんて、ごく珍しいものでありました。
理由は簡単で、当時のモデムの速度では、小さくて粗いアダルト画像でも、転送するのに何十秒〜何分もかかったからであります。ホームページに(アダルトじゃなくても)画像を貼り付けてあるだけでひんしゅくもので、テキストだけのページを用意していないと「配慮が足りない」と言われた時代でありました。
でも、そんなころでも果敢にアダルト情報の発信をしていたサイトもありました。思い出されるのが(もちろん今でも存在するのですが)Tokyo Toplessという、その名の通りトップレス(つまり裸の胸だ)の写真を掲示しているサイトであります。だからアダルトと言っても、コンビニの店頭売り雑誌の程度の内容だと思っていただければ結構です。
僕は巨乳というものにはあまり関心がなかったものの、当時のインターネットは村社会のようなもので、アンダーグラウンドなものなんて存在する余地もなく、ほかに選ぶものもなかったおかげで、そんなところを定期的に訪問していました。
サーバーの容量が少ない時代でしたから、モデルの画像は頻繁に(追加じゃなくて)入れ替えが行われていたように思います。そのかわりに、テキストによるアダルト情報が膨大に追加されていました。
まだまだ世間知らずだった(いまでもそうですけど)僕ちんが、男と女の関係という広大無辺な地平へと誘われていく、ひとつのきっかけでありました。
そのサイトと、そこからのリンク先には、当然まっとうなアダルト情報というものも多かったのですが、やはり(?)興味を引きつけられたのは、各種の異常性欲に関する情報でした。特に多かったのがサド・マゾ(つまりSM)に関する情報でした。世間で流行っていた(のか?)ソフトSMなどという最終的にセックスを目標とした、ある意味まっとうな性欲というものではなく、相手に苦痛を与える・苦痛を与えられるということに快感をもつ男女がいるのだというなどなど、まさに「知らなかったこと」ばかりでありました。
なかでも「縄師」という女性を縛ることを職業としている人の話は印象に残りました。もちろんこれはたまたま男性が女性を縛るケースであって、世の中には逆もあるのだということは当然であるのですが。
縄師の言葉によれば、いやがる相手に無理やり苦痛を与えているわけではないというのであります。もちろん相手は縛られる苦痛などに慣れてはいないので、最初は心理的に抵抗があるわけですが、次第にそれに慣れていって、やがては苦痛と屈辱の中に不思議な心理的充足を得るのだそうです。そこに充足がなければ人は好んで苦痛など受けれるはずはありません。
結局縄師は自分のサディスト的欲求を満足するために縛っているわけではなく、相手を充足させるために拘束しているのです。そうでなければ単なる傷害行為ですからね。
苦痛で心理的充足を得る女性というのには決まったタイプがあって、自分に自信がない、自信を与えてくれる存在もない、対人関係に不安を抱えた人だというのであります。そして苦痛を与えられることによって不思議な解放を得る。なんだか、依存症になる人とちょっと似ているかもしれないと思いました。
そして、マゾヒズムというのは「卒業する」ものだと書かれていました。苦痛によって得る心理的充足が、本当の充足でないと知るからなのか、それともひょっとしたらそこに何か成長があるのか、単に虚しさを知るだけなのか、マゾヒストでない僕にはわかりません。しかし、数ヶ月から数年で人はマゾヒズムに興味を失ってしまうのだそうであります。
しかし、縛る側は相手を充足させることによって自分の充足を得ているのであります。したがって縛る側には卒業はなく、相手を失ったら次を求めて行くしかありません。実は依存していたのは縛る側のほうだったのであります。
だがまれに、卒業できないマゾヒストがいて、たいていは子供の頃に父親から暴力をふるわれて育った人であったりするのだそうです。そして縛る人間がいかに努力しても、そうした人間を決して充足させることはできないという話でありました。
縛る人間と、単に自分を充足させるために暴力をふるう人間と、本質が同じなのかどうかはわかりません。ただ、世の中は単に暴力をふるうことで自己充足しようとする人間と、その関係から卒業できずにいる人間であふれかえっているんだと知るのは、もっとずっと後のことであります。
気分が悪くなった? だから読むなっていったのに。
2006年01月25日(水) 浪費の言い訳(にもならないか) 「購買意欲を失ってしまった」とか書きながら、舌の根も乾かないうちに Voyager 510 をソフマップの通販で買ってしまいました。ソフマップのポイントカードも持っていたような気がするのですが、長いこと秋葉原に行っていないので捨ててしまったようです。しかたないので作り直しました。
ちなみに、秋葉原は「あきはばら」と読むのが正しく、「あきばはら」は誤読です。ただし、略すときは「アキバ」と読みますし、語源となった秋葉神社は「あきばじんじゃ」であります。
それからパソコン用のBluetooth-USBアダプターと、携帯電話用のBluetooth-イヤホン端子アダプターをamazon.co.jpで買ってしまいました(在庫品処分で半額だったんだよう)。
そんでもって、固定電話をワイヤレスヘッドセットにするという計画は諦めたのですが、パナソニックの旧モデルのなかに、子機にヘッドセットを装着できるタイプがあることがわかりました。カタログで見ている限りでは親機にヘッドセット端子がついていると思っていたのですが、電気店の店頭で実物をみてみたら、子機についていました。ということは、子機ごと持ち歩けば、ワイヤレスヘッドセットが実現できるというわけです。
実はパナソニックのコードレス電話が2月に新製品が出る予定で、旧製品は在庫処分価格になっているか、すでに在庫がないかという状態になっています。そして新製品というのはヘッドセット端子がついていないことが判明しています。
「これは買うしかない」
と自分を納得させて、子機が2台ついているタイプのを、探しに探して注文いたしました。
最近は忙しくてあまりのんびり電話している時間もないのですが、だからこそ「ながら電話」をできる環境を整えないと・・・という言い訳には無理がありますね。物欲に支配されているときと言うのは、正気の精神状態とは違うのかも知れません。
話は変わって、僕はWikipediaをほとんど使わないのですが、最近たまに使ってみたら、以前よりずっとレスポンスが悪くなっていて驚きました。そういえば、日本人はWikipediaを大変熱心に使っているのだけれど、ドネーション(献金だ)はほとんど送らないということが問題視されているという報道がありました。ついに業を煮やして、日本向けの帯域を絞るとかいう実力行使に出たのかも知れないなぁと思いながら、その想像が事実かを調べるためにWikipediaのなかを彷徨うのもいやになるくらい遅いです。
送金するのは面倒なので、なるべくWikipediaを使うのは慎もうと思うのでありました。
2006年01月24日(火) Skype・Bluetooth・ヘッドセット・固定電話 風邪で一日休んでいました。
スポンシーとSkypeでチャットをしました。
1時間ほど文字チャットをした後、そういえば「ノートパソコン用にもヘッドセットを買っておいたんだった」と思い出してボイスチャットに切り替えました。
ルーターがきちんとUPnPにコンフィグされていれば、なかなか通話は快適です。音声の遅延もないし、音質はcmdaOneとPHSの中間ぐらいでしょうか。これがリピーターを介すると、遅延が国際電話より気になり、音質もムーバ(PDC)以下になってしまいます。
無線LANのノートパソコンだったので、ACケーブルを外せば部屋の中を移動しながら話すこともできます。洗濯物を取り込んだり、アイロンをかけたりすることもできました。両手があいているというのは楽であります。
ときどきコードレス電話で長電話をすることがあるのですが、30分も話していると受話器を持っている左手が痛くなってきます。
固定電話のコードレスホンが、ワイヤレスヘッドセットになったら、長電話をしながらパソコンをいじったりできるし、炊事(といっても最近はラーメンを煮るくらい)とか、片づけとかできていいかなぁと思うのであります。
ついでに、パソコンのSkypeや携帯電話のハンズフリーも一緒に実現できれば言うことなしってところでしょうか。そうなるとBluetoothという技術がものを言いそうです。実際に携帯電話のワイヤレスハンズフリーはBluetoothのものが中心のようです。
携帯電話用のワイヤレス・ハンズフリー・ヘッドセットは、例の道路交通法の改正の影響で受話器を持ったまま車を運転することができなくなったせいでしょう、各社から製品が出ています。ただ、僕の持っている携帯電話はBluetooth対応ではない(のがふつうだと思う)ので、イヤホン端子につけるアダプターも必要になります。アダプターとヘッドセットのセット商品が1万5千円ぐらいでしょうか。高いですな。
Bluetooth対応の携帯電話にすれば6千円〜8千円ぐらいのヘッドセットだけで済むのですが、携帯電話の選択肢が東芝製に限られるのが難点であります。
携帯電話ではあまり通話はしなくなってしまって、安いプランに変更してしまったので、この際携帯のハンズフリーは諦めることにします。オートマチック・トランスミッションの車にしか乗らないから、いつも片手は空いてるんだし(おいおい)。ヘッドセットじゃメールは打てないし(こらこら)。
さてパソコンのSkype用にはBluetoothのアダプターをつける必要があります。
これが意外と安くて4千円前後でUSB接続のものが売られています。PlanexのBT-01UDE \3,790 というのが、Bluetooth Ver2.0対応で安くて良いかもしれません。
次にヘッドセットは携帯電話のワイヤレスハンズフリー用のを流用するのが一番安いわけであります。ただ携帯電話用のは長時間装用することは前提にしていないらしく、耳が痛くなるという、ありがちな欠点を抱えているようです(ここらへんはコード付きのハンズフリーキットと同じか)。それに音質もあまり良くないようです。
調べてみると、PlantronicsのVoyager 510の人気が高いようです。amazon.co.jpで10,800円ですので、安くはないですが、装着や音質は快適なようですし、PCと携帯の両面待ち受けができたりしてなかなか良さそうであります。
さて最後の課題は固定電話のワイヤレスハンズフリー化であります。
これがなかなか無いのであります。Voyager 510にも固定電話用のアダプターがありますが、セットにすると3万5千円もします。これ なんかもなかなか良いなと思うのですが、値段を見ると6万円ちかくしたりします。やっぱり業務用ですね。
というわけで急速にやる気を失って、購買意欲もしぼんでしまいました。
アメリカではBluetoothも普及しているようで、たとえばBluetoothでパソコンと連携して電話帳が編集できたりするこんな電話 が$100あまりで売られていたりします。Bluetooth headset compatible と書いてあるので手持ちのヘッドセットを登録することもできるのでしょう。
ただアメリカ製の電話を日本の電話回線に取り付けるのは法令違反ですし(何を今さら)、ナンバーディスプレイなどが正常に動作するという保証もありません。
松下電器やパイオニアといったメーカーの家庭用コードレスホンも、ホームページにはデジタル・2.4GHz・周波数ホッピングという言葉が並んでいるのでBluetoothベースに移行したのかも知れません。でも、手持ちのヘッドセットをペアリング(登録)はできないだろうなと思われるのであります。
なんだかんだで、調べただけで購買意欲を失ってしまいました。最近こういうケースが多いです。
2006年01月23日(月) 発熱 らーりらーりらー。
ねーつがあるー。
37℃というのはふつうの人にとっては微熱でしょうが、普段の体温が35℃前半の低体温症の僕にとっては十分高熱であります。
大いばりで解熱剤入りの風邪薬を飲んでいます。といっても誰もいませんが。
倍飲めば、倍効くのではないか、そう思ってしまうところがアディクトであります。
ミーティング中から鼻がずるずるしておりました。こういうときに限ってハンカチを忘れるのであります。
どうも寒気がするので、ひさしぶりにお風呂にお湯を張って入りましたら、体が暖まって、鼻の穴が両方開通いたしました。
こりゃー具合がいいわいとブログの更新などをしまして、ふと気がつくと明日が資源物ゴミの日であります。雑誌の束などを両手に氷点下の屋外を往復しておりましたら、すっかり寒くなってしまいました。
風呂の残り湯で洗濯をしたのですが、それを干す気力も、干してあった洗濯物をたたむ気力もありません。おかしいなと思っているうちに再び鼻が詰まり、咳も出始めました。
体温計を探して計ってみたものの、いっこうに「ピピピ」と鳴らないので、調べてみたら電池切れでした。もう一本探して、やっと計測できました。
風邪薬を探しあてて、飲む前に念のために賞味期限有効期限を見たら、1993年でありました。この家は物持ちが良すぎであります。子供用のを探し当てて飲んでいます。
ひかり電話の工事のトラブルで、午後2時半出社になった話を書くはずだったのに、お蔵入りであります。NTTの工事担当にさんざん文句を言ったのでありますが、実はこっちのミスだったりなんかして。ごめんなさい。
明日9時に起きられるかなぁ。
2006年01月22日(日) 週末 よっぽど金曜日の午後の仕事は休んで帰ってしまおうかと思ったぐらい疲れていました。
帰宅した後、1時間ほど寝てしまったのですが、こうした細切れの睡眠では(体はともかく)脳みそは疲労を回復してはくれないそうです。逆に言うと、ノンレム睡眠・レム睡眠のサイクルを2回繰り返すと(約4時間)脳の休息としては十分なのだそうです。四当五落(五時間も寝ていると第一志望に受からないという受験生のジンクス)もあながち根拠がないとは言い切れないとか。
パソコンの水冷システムが壊れたので、新しいのを秋葉原の通販ショップに頼みました。今回のは正月に使った最安値のところではなく、昔からつきあいのある即納の店です。それが届いたのが木曜日の晩です。一晩では作業が終わらなかったので、12時でもって打ち切って金曜日の晩に持ち越しました。
金曜の晩も12時過ぎぐらいには作業が終わって、さてブログの更新でもしようかと思っていすに座り直し、その前にメールのチェックでもと思ったのですが、なぜかメールが受信できません。
メールが受信できないのはPOPFileという迷惑メールの振り分けソフトが動いてくれないからでした。POPFileが動かないのはPerlが動かないから・・・。
しかしそれはなぜなんだ、どうしてなんだ・・・。ソフトのアンインストールとインストールを繰り返してみたり、XPの「システムの復元」を試してみたり、また戻してみたり、数時間やっているうちに、ふと「あれ? ハードディスクの数が足りない」と気がつきました。そう、パソコン内部をいじった際にハードディスクのケーブルを抜きっぱなしにしたまま忘れていたのであります。
ケーブルを差し込んで再起動すると、何事もなかったようにメールが受信できました。
もう土曜日の朝になっていました。まったくコントロール喪失であります。
土曜日の昼はジジババがいないので、子供に飯を食わせるのは僕の役割です。「4時間寝れば十分なんだ」と自分に言い聞かせるのですが、どうも不機嫌になっていけません。それに集中力も注意力も散漫です。振込み用紙を持って郵便局に行ってみたものの、ATMでの振込みは2時まででした。モルモット用になるべく安い野菜をと思いサニーレタスを買い求めたものの、実は二束セットで値札の倍の値段だったり。
「ひかり電話」を導入するのにあわせて、電話線の敷設を行うつもりだったのですが、イライラしていけないので、まだ夕方だというのに布団を引いて寝てしまいました。
深夜に起きて、しばらくしてまた寝まして、起きてみると日曜の昼でした。電話線の敷設・ルーターの設定・洗濯・石油ファンヒーターの修理・雑誌と不燃ゴミの処理・コンビニに買い物に行ってきたら日曜の夕方になりました。
「表を作る」という提案の中に、やらなければならないこと・やりたいことを箇条書きにして、次にそれに優先順位をつけて並べ直し、そんでもって下半分をごっそり削るというのがありました。
多くのことに責任をもてば、自分が無能だという自責から解放されますが、アルコホーリクががんばりすぎれば結局はまた飲んでしまうだけなのかも知れません。
いーじー・だず・いっと。
きーぷ・かみんばっく、いっと・わーくす・いふ・ゆー・わーこん・いっと。
2006年01月19日(木) お休み 仕事を休んで子供の授業参観に行きました。
妻が出られないので、僕が仕事を休んででも2回に1回は出ることにしています。
今回は時間の前半を次女の授業を見て、後半を長女の授業を見、そして次女のほうのPTA懇親会に出ました。来年度の役員を決めるので、ぜひ出席して欲しいという話だったのですが、いざ出てみると来年度の役員は事前の根回しによってほぼ決まっているようでした。
話題は子供の安全について・・・。昨今の事件を受けてと言うことでありましょうが、途中で失礼してしまいました。話している内容は大事なことだとは理解しているのですが、「論議が合理的だからといって、意味があるとは限らない」という言葉を思い出してしまいました。外へ出てみると、懇親会が続いているのはこのクラスだけでした。
長女のほうの懇親会にはおかげで出られなかったわけですが、資料に「9歳の壁」ということが書かれていました。小学校3年か4年ぐらいで学力にばらつきが大きくなってくること。それは学習の対象が具象的なことから(多少なりとも)抽象的なことを取り扱うことへ移っていくことがひとつの要因だそうであります。
また、親が宿題を教えてあげられるのがだんだん困難になってくるのも9〜10才ぐらいなのだとか。たしかに、最大公約数とか言われても、えーとどうやってやるんだっけなと一拍おかないと出てこない自分であります。
子供と一緒に安全について話し合い、子供と一緒に分数の勉強をするということが、これからの自分に求められているのかも知れません。
夜は病院メッセージへ。山奥(といったら失礼か)に住んでいて入院を繰り返した人が、福祉事務所と病院と相談した結果、今度は里に出てきて自助グループ通いをすることが決まったそうであります。(都会ならともかく長野では)何年か前なら考えられなかったことであります。酒をやめることは生計を立てるより大切だなんて価値観はどこを叩いても出てきはしなかったものです。背景には飲みながら生計を立ててもいずれダメになってしまった実例がたくさんあったのでありましょうが。
時代は変わります。変わらないこともあるし、悪い方に変わることもあるけれど、良く変わることだってあるのだ思いました。
この週末はセンター試験なのでしょうか。自分の共通一次試験の時を思い出します。前の晩はなかなか眠れなくて、ワンカップを二本飲んで寝たのでした。あのときは、酒は頼りになる友達だと思っていたのでありますが。
2006年01月17日(火) 宮崎君ちのツトム君上告棄却に思う 今日のニュースは、阪神淡路震災11年とか、ライブドアとか、いろいろ目白押しでありましたが、やはり僕の目に行ったのは「宮崎勤被告に死刑・連続幼女殺害事件で最高裁が上告棄却」というところでしょうか。
三つに割れた精神鑑定だとか、子供をターゲットにした殺人事件の象徴的存在だとか、いろいろな文脈で書くことが出来るとは思うのですが、僕にとっては「僕と彼は同じ時代を生きてきたのだな」という感慨が大きいです。
事件が起きたのが17年前だそうですから、ちょうど昭和から平成に変わる頃でしょうか。僕は調布にいて、何回かの転居の最後の1回をすませた時期でした。引っ越ししたいという欲求はなかったのですが、外で飲んで帰る途中でアパートの鍵をなくしてしまい、トイレの窓を外して自分の部屋に侵入を試みた結果、水洗便所のタンクを破壊してしまい、大家から「あんたはトラブルばっかりだから出て行ってくれ」とたたき出された結果でした。
今田勇子の名前で犯行声明が送られたりして、センセーショナルに世間を沸かせていた割には、警察はなかなか犯人を逮捕することが出来ませんでした。手がかりがない中で、警察が取った手段が大量の捜査員を動員しての、不審人物・危険人物の聞き込みと割り出しでした。記憶に頼って書いているので正確ではないかもしれませんが、捜査線上に上った不審人物は800人に上ると聞きます。そして後になって僕は、自分もその800人の一人であったことを知るわけです。
僕の場合には、飲むための金を捻出するために、当時本棚の本を順次古本屋に売っているところでした。コンピューターの本なんて当時は価値はゼロだし、SFやミステリーの本も売ったところでたいした金にはなりません。昔も今も、安定した値段で買ってもらえるのはエロ本であります。それもどこの本屋でも買えるような種類のものじゃなく、入手経路が限られているもののほうが良い値が付きます。あとは想像におまかせします。
古本屋に本を売るときには身分証明が必要です。当時は免許証も保険証も持っていなかったのですが、水道料金の請求書なんかでも古本屋は納得してくれました。
いつも怪しげな本を売りに来る、身なりの汚い、目つきの怪しい男ということで、リストアップされたのかなと思います。そういえば酒を買いに行くのに警官に後をつけられたこともありました。
当時はまだインターネット以前ですが、それでもコンピューターネットワークはあって、結構みんな大変な思いをしていることが知れてきました。森伸之の「東京女子校制服図鑑」なんかが出た後で、アパートの押し入れに制服を数百着コレクションしていた男が警察に事情聴取を受け、それが勤務先に知れてクビになった話だとか、マンガ書店で手提げ袋に二袋本をまとめ買いして帰ったら、警官に自宅まで尾行されて近所の噂になった話だとか、まあネット上の噂の真偽が怪しいのは今も昔も変わりませんが。
でもそんな警察の捜査が功を奏して、犯人逮捕につながるのであります。彼が撮影した写真をDPEに出していた写真屋の店主から、いつもテニスコートを盗撮した写真を持ち込んでいる人物がいるという話が出たのが発端だと聞いています。(もっといろんな写真を現像してたんじゃないかという話はともかく)。
その話を聞いて皆が奇妙に思ったのが、なぜそんなすぐ足がつくようなことをしたのだろうかということであります。ミニラボの機械が普及して、なんでもかんでも現像印画してしまう今と違って、当時はプロ意識のはっきりした写真屋はエロ写真なんか紙焼きしてくれませんでした。下手に「コマが飛んでるんだけど」なんて文句を言っても軽蔑のまなざしを向けられるだけでした。
ちょっと現像にためらいがあるような写真は、新宿の大型カメラ店なんかが便利でありまして、一応名前と電話番号を書かされるのですが、もちろん偽名と偽番号でもかまいはしません。仕上がったものは名前のあいうえお順に並んでいるので、自分でそれを取ってレジに持って行ってお金を支払えば、だれも中身のチェックなどしませんでした。
数日経っても依頼人が受け取りに現れない写真は、片隅にまとめておかれており、それからランダムに抜き取ってレジに持って行き、引換券はときかれたら「なくしちゃった」と言えば、店のほうも金を取りっぱぐれるよりはと渡してくれました。後になって本当の持ち主が現れたとしても、「取りに来られないので処分してしまいました」でおしまいであります。
だから怪しげな写真目当てに、他人の写真を金を払って引き取ってくるなんていう遊びをして人もいました。
そんなことは「おたく」と呼ばれる人たちの間では常識に近いものであり、おたくというのは集積した知識をひけらかすことを面目としているので、つきあっていれば知りたくても知りたくなくてもそういう知識だけは貯まっていくものであります。
そういう知を持っていなかったという点で、彼の現実認識は歪んでいるのではないかという議論は当時もありました。
それはともかくとして、この事件は当時多少美化されつつあった「ロリコン=小児愛」というものを、実は実現すれば恐ろしいものという認識に転換したポイントであったように思います。少女が大人の男の(肉体的)愛情を受け止められるわけもなく、同じく少年が大人の女の愛情を受け止められるわけもないという、関係が成り立つというのは幻想でしかないことを明らかにした事件であったのではないかと。
少女と仲良くなって、やがて薬を飲ませていたずらをするとい筋書きのビデオが堂々と売られていた時代でしたが、そうしたものはあっという間に非合法化されました。もちろん前述のカメラ屋の手続きも変わりました。
そうした厳格化の波も、援助交際という名前の少女売春が社会問題化する中で、「子供を守らなくては」という文脈で同一化して語られたおかげで、逆に拡散してしまったのではないかと思うのですが、その話は宮崎君から離れるのでおいておきます。
昨年末に彼が外部に送った手紙には、「(今年の夏の)コミックマーケットのカタログを送って欲しい」と書かれていたそうです。結局彼は現実認識を変えずに世を去るのかも知れません。小児愛を夢想する人と、それを実行に移す人の間に、明確な壁があるのかどうか、いまだに僕にはわからないままです。自分の遺伝子の(たぶん)コピーを作ってみてわかったことは、子供は天使なんかじゃないと言うことです。その中は良い情念も暗い情念も渦巻く一個の人間であります。
結論があって書き出した文章ではないので、もちろん結びの言葉は思いつきません。おたくとはアグレッシブなものです。彼はそれを暴力という形で表出した。
最近では引きこもりもアディクションのひとつだという説が勢いを増しています。それについては不勉強なのでわかりません。
でもなんとなく、おたくと引きこもりというのは排他的なような気がします。おたくの定義にもよるか。
まあ、素人の戯言です。たまには論評みたいなことを書いてみたかっただけです。
2006年01月16日(月) 水難? 会社から自宅のパソコンの状態をチェックしてみたら、CPU温度が90℃ぐらいありました。本来ですと無負荷の状態なら、50数℃が正常値です。そういえば最近無負荷なのにCPU温度が70℃近くまで上がったことがあって、気になっていたのですが忙しさ(?)にかまけて(というか怠けて)ほったらかしになっておりました。
自宅の室内ではアラーム音がうるさく鳴り響いていることでしょう。90℃ともなると、中を循環している冷却水の気化が始まって圧が上がっているはずです。このまま上昇を続ければ、また年末年始みたいに漏水事故を起こしかねません。とりあえずリモートから打てる手段はシャットダウンだけです。
仕事を終えて、AAミーティングに出て、夕食を済ませてから帰宅すると9時半ごろでした。
パソコンの電源を入れてみると、まったく水が循環せず、すぐにCPUが100℃を超えて緊急シャットダウンしてしまいました。また水が足りなくなってキャビテーションが起きているかと思って水量をチェックしてみますが異常はありません。
あんまりミーティングのあった夜にするべき作業じゃないなと思いながらも、ウォータージャケットをCPUから外して分解してみました。水の中を回転するローターには金属ゴミが付着し、ジャケット内の水には埃が混じっています。でも通電してみればちゃんとローターは回っています。ジャケットを水で丸洗いしてみたり、ラジエーターまで分解してみたりしたのですが、2時間半後にわかったことは、理由ははっきりとは分からないものの、なんとなく水の循環をするのに抵抗が大きくて、ポンプの力がふそくして水をただかき混ぜている状態になっていることです。
どこからか埃が入り込んで、ラジエーターが目詰まりしてしまっているのだろうと想像しますが、確信はありません。ただはっきりしていることは、購入後10ヶ月目でCPUの水冷システムは埋め立てゴミになり果てたと言うことです。自分で分解しているのでメーカー保証も効きません。
それから9月の引っ越しでどこかへいってしまった空冷のファンを探し出してきて取り付けるのに1時間。
さて寝ようと居間へ上がってきてみると、雨が降っていて干しっぱなしだった洗濯物が濡れていました。
1万円以上した水冷システムが1年持たずにゴミになり果てる。頭に来て当然なのかも知れませんが、トラブルも含めて楽しめるようでなければパソコンマニアはやっていられません。「今年は水難の年だな」と思いながらも、昨日のプールは無事済んだからよしとしようかと自分に言い聞かせるのでした。
雪で車がつぶれた仲間からは保険で修理がきくという連絡を頂きました。
NFLではピッツバーグ・スティーラーズがコルツを破っています。ロスリスバーガーはモンタナ以来の天才ではないかと思ったりします。あと2週間で野球のプレシーズンが始まります。
2006年01月15日(日) five miles square is filled with fog これがブログならトラックバックするところなのでしょうが、あいにく日々雑記はブログでないので、リンクできません。五里霧中という成句については こちら を参照してください。
市民プールで4時間も遊んでしまいました。おまけにまた来月遊びに行く約束もしてしまいました。子供たちは半額の割引券を持っているし、僕は障害者手帳で無料にしてもらっているので、それほど高くつく予定ではないのですが、中でラーメンを食べたり、お風呂の後にアイスクリームを食べたりしていると、財布の中身も体力も結構消耗するのでありました。
子供と遊ぶのは無駄だとは最近思わなくなりました(以前は時間がもったいないというのが正直な気持ちでありました)。娘たちが父親と喜んで遊んでくれるのも後何年かでしょう。そのうちに父親の下着は別の洗濯機で洗ってくれと言うようになり、口をきけば「金をくれ」ということになるのやもしれません。
最近断酒系の掲示板の投稿数が、以前と比較して減ってきているような気がします。
実際に数値を比較しているわけじゃないですが、以前だったら投稿数が多くてROM(読んでるだけの参加)すらできなかったところが、とりあえず毎日の投稿を追っていけるようになったというあたりが根拠だったりします。
その理由はやっぱりブログの流行なんだろうなと思います。
ブログを配信しているアルコホーリクは1年前、2年前とくらべてとても増えました。しかし、人間の持っている時間は有限であります。すると、あるところに文章を書けば、別のところに書く時間がなくなるわけであります。自分のところの更新をまめにしようと思えば、人様のところに書く量は減らざるを得ないのではないか・・・そんなことを思うのであります。
別にそれが良いことだとも悪いことだとも思いません。
人様のブログを過去から現在に向かって継続的に読んでいくと、つくづく「ブログというものはリアルタイムに読むものだな」と思うのであります。なぜかを説明するのは難しいのですが、日記と違ってブログにはトラックバックやコメントというダイナミックさがあり、その楽しみは後からまとめて読むときには伝わりにくいもののような気がします。
明日からは1時間だけですが午前中の勤務が復活します。休職してから1年間、長い道のりでありましたが、振り返ってみれば1年なんていつでもあっという間であります。
2006年01月14日(土) 囚われているのか? お腹を下しています。ゲリピーというやつであります(食事中の方すみません)。
以前は、こうしょっちゅうお腹を下すのは、過敏性大腸炎(つまりストレス性)であり、自分の生活がとってもストレスフルで、大変な人生を歩んでいるかわいそうな奴なんだと、自分を慰める材料にしていました。
最近になって、過労気味になるとお腹を下してしまうという因果関係がだんだんはっきりしてきました。若くないくせにたいした運動もせず、体力が衰えているのに無理をすると、すぐに過労になってしまいます。だから別に仕事が(極端に)大変だというわけではありません。
夜中にNFLのポストシーズンの試合を見ていたりするのがいけないのでしょう。
体が疲れていても、パソコンの前に座ると、血圧が上昇しアドレナリンが分泌されて「戦う自分」になってしまいます。だからよけい疲れます。それが証拠に、ノートパソコンが壊れた日の翌日は、さわやかな目覚めでした。
お腹を下していると、体重が急降下するので良いなどと言っていられません。過労でダイエット。そういえば中島らもが「病気でダイエット」を唱えていましたっけ。
疲れていると、コタツでのお昼寝がとっても気持ちが良いです。ぐっすり寝てしまうと、体のあちこちが痛くなるので要注意です。熟睡せずうとうととしているのが何とも気持ちよいのであります。
ひさしぶりのうたた寝だったので、そのまま寝ていたかったのですが、夕方になり地区委員会へ。もう役割は降りているので発言すべきことはあまりないはずなのですが、つい口を出したくなる自分がいます。ミーティング案内地図の増刷の計画を相談。
パソコンが(ソフト的に)壊れたらしいので、治し方を教えてくれと頼まれたので、それに使うためにノートパソコンをウルトラベースごと持って行きました。が、その人は欠席だというので、理由を聞いてみると、カーポートに積もった雪に、今日の暖かい雨が降り注いだおかげで重くなり、カーポートがつぶれ、下にあった新車のマークXもつぶれてしまったとか。
自動車保険には詳しくないのですが、こういう場合に保険金が下りるかどうかは微妙かもしれません。車両保険といっても、全部の損害を担保してくれるわけでなく、車の衝突(事故)についての損害だけという種類もあります。車が盗まれたとか、火事にあったという場合は、保証の範囲外というわけです。全損害担保という種類なら安心ですが、今回の大雪のような大規模の天災の場合にはダメという条項もあります。さらに、カーポートの雪下ろしをしなかったのは、善良なる管理者の注意義務を守っていなかったという主張が出るかもしれません。
仲間のこれからの難儀を思えば、ノートパソコンの重さをぶつぶつ文句を言ってはだめだと思い直しました。
明日は子供たちと市民プールであります。
ブログ アルコホリックの生活 を読ませていただいています。
2006年01月13日(金) 腕時計 去年十月に本社に出張した際に、腕時計をなくしました。
僕は会議中とか、パソコンを打っている時には、腕時計を外しています。だから、会議室に忘れてきたのかも知れませんし、上着のポケットに入れておいたのを駅のトイレに寄った時に落としてしまったのかも知れません。
いずれにせよ、気が付いたのは帰りに町田の駅まで来てからでした。どこにあるのかもわからないものを取りに帰るのは面倒だったので、そのまま帰宅してしまいました。
パソコンは(電源が入っていれば)時計をいつも表示してくれるし、車のメーターの中にも時計はあります。携帯電話も時計を表示してくれています。車のメーターはいつのまにか1分か2分進んじゃっていることがあるのですが、まあ遅れるよりはいいでしょう。
パソコンの時計は、設定さえ適切ならタイムサーバーと同期して、時刻表示はいつも正確です。ちなみに英語の timeserver には「日和見主義者」という意味があるのだそうです。携帯電話の時計は、cdmaOne/2000の仕様上GPSを使って同期していますから、これも正確です。
自動車通勤の自分に、いつも時間が微妙にずれている腕時計はあまり必要ではないということであります。
AAのミーティングも、僕が行く範囲のところは壁に掛け時計が掛かっています。
しかし会議中でも、AAのミーティング中でも、掛け時計を見上げたり、携帯電話を取り出してみたりするのは、いかにも時間を気にしていますという風情であまり良くないなと思うのであります。まあそういうことを気にしすぎるのも良くないのかも知れませんが。
腕時計なら、さりげなく目をやることができます。
正月にパソコンのビデオカードを壊して、秋葉原の通販ショップに買い換えの注文を出しました。値段は価格.comで調べて一番安いところにしました。ついでに無線LANカードを注文し、ショップ内をさまよっているうちに、電波時計式の腕時計を四千円でみつけたので、とりあえずそれも頼んでおきました。
クレジットカードが使えなくて、銀行振り込み後の発送の店であります。しかもネットショップ嬢では在庫有りと表示しているにもかかわらず、発送には数日かかると案内がありました。どうやら客から送金があってから、問屋に注文を出して、それを発送しているようです。集客は価格.comで最も安い値段を付けることで行い、現金決済することで資金を早く回すことで成り立っている店なのかも知れません。
しかし、3つ頼んだものが、調達の関係からか3回に分けて届きました。だからといって送料が3倍請求されるわけでもありません。送料もバカにならないだろうにと思うのでありますが、まあ人のことであります。
これからは、最安値のこの店と、在庫数まで表示していてその日のうちに発送してくれる別の店と使い分けていくことにします。
というわけで、元日に頼んだ時計がやっと届きました。通販なので届いてみるまでどんなものなのか分かりません。四千円の時計に高級感は期待していなかったものの、なんだかムーブメントがとても厚いです。電波の受信部がかさばっているのかも知れません。
時計あわせのための電波の受信は午前3時と4時に行われます。知らなかったのですが、受信には2分〜13分もかかるのだそうです。実際に手動で強制受信してみたら、5分ぐらいかかりました。腕時計を身につけて腕を動かしていると、あまりうまく受信できないようです。深夜に起きて働いているという人には向いていない時計なのかも知れません。
いったいいつまで失くさないでいられるのやら。
2006年01月12日(木) 折り合いを付ける ある人に『どうやって飲まないでいるか』をプレゼントしようと思ったのですが、手元に一冊しかないために補充をオフィスに注文することにしました。都市部の人なら、しょっちゅうAAのイベントがあって、そこで書籍も売っているでしょうから、そこで買えば送料がかかりません。
しかし自分はそんなにAAのイベントに出る方ではありません。先日も「ビッグブックの集い」でお会いした10年先を行く仲間から「月に5回日曜日があったとしたら、最低でも3回は家のことか家族サービスをして、AAは2回までにしておきなさい」というサジェスチョンをもらったのですが、僕の答えは「月に2回もAAに行かないですよ」というものでした。
まあ、ともかく田舎にいる人間は、郵送してもらうしかないわけなので、できればまとめ買いをして送料を節約しようと思うのであります。最近は『成年に達する』の新版が出ています。それからJSOのページのカタログを見ると『信じるようになった』が改訂版になっています。この2冊を加え、それから細かいパンフレットを足して注文を出しておきました。
夜中にFAXで注文をしておくと、翌々日には届きます。届いた包みを開けてみたら、『信じるようになった』が旧版でありました。JSOの出版と、セントラルオフィスの本の在庫の関係で、端境期に注文を出すと古い本が届くことがあるとは知っていました。でも、
(改訂版を手にするのを楽しみにしていたのに)
という思いは消えません。
いままでそういう事実に対しての僕の意見は、「いいじゃないか同じ本なんだし、細かいことを言うなよ」というものでありました。何事も自分の身に起きてみなければ、本当の意味はわからないということでありましょう。
出勤前に郵便局によって代金の送金を済ませました。ソブラエティ1年目、2年目あたりは、送金せずに何週間もほったらかしということがよくありました。グループで買ったものなんかは、会計係からお金をもらってからとか考えて遅らせたり、単に郵便局に行くのが面倒で遅らせたりしているうちに、オフィスから催促のお手紙をもらったりしました。BOX-916の代金なんかも何ヶ月分かまとめて払うのが常態になってしまいました。
最近ではなるべく早く郵便局へ行くようにしています。ひとつにはオフィスの財政状況を知るようになったこと、それから面倒なことは早く済ませたほうが自分が楽だということでありましょうか。
古い本を手に入れるのも、オフィスにいるのも同じ人間なんだということを、考えられない。考えてもそれが行動に結びつかない、そういう自分であります。
同じ日に、ACA(アダルトチルドレン・アノニマス)に頼んでおいた『ACのための12のステップ』が届きました。いままで「ACって概念がよくわからないんですよ」とうそぶいていた僕ですが、まあアルコールの問題に見通しがつくまで棚上げしておいたと言うのが本当のところでしょうか。
それにACの問題に12ステップが「効く」ということに確信が持てなかったというのもあります。
忙しく食事をしながら2〜3ページめくって読んだだけですが、他者の承認を求めようとする傾向とか、過剰に責任を取ろうとする傾向とかいう言葉や、棚卸し表や祈りを読んでいるうちに、何かインスピレーションのようなものが与えられたような気がしました。
これは自分の問題として取り組んだ方が良いのでは?
キーワードは、12ステップ・スピリチャリティ・祈り・仲間・諏訪、そんなところでしょうか。
でもまあ導きが与えられたと思ったら、相談してみるべきだという提案があります。誰かに相談する前に自分が飽きてしまうのなら、それはまだ時期がこなかったということでありましょう。
成り行きに任せて、現実と折り合いをつけていくというのは、なかなか難しいことであります。
2006年01月11日(水) モルモットの毛並みと統計 モルモットの毛並みが悪くなりました。
ネット上でモルモットの飼い方を検索したりすると、ケージの掃除は毎日するべきだ(我が家は冬場は一週間に1回)、巣の材料になる綿や木くずなどをたくさん入れこまめに交換すべきだ(汚れるだけなので段ボール箱しか入れていない)、水にはビタミンCを入れ餌はモルモットフードを(モルモットフードは高いのでラビットフードをあげている)などと、我が家の飼育環境の劣悪さを思い知らされるのであります。
まあ、室内で飼うと部屋がくさくなるのでベランダで飼育している家もあると言います。よく寒さで死なないものだと思うのですが、それに比べれば毎日ホッカイロの暖房をしてあげているだけ待遇が良いのでしょう。
それにしても、これではいかんとと思い、餌をモルモットフードに変えました。もともと買われて来たときはモルモットフードを食べていたのを、だんだんにラビットフードに慣らしていったのであります。それをいきなりモルモットフードに戻したら、まったく食べてくれません。
毎日レタス(冬場は高いのでサニーレタス)の葉っぱ一枚をあげているのですが、それしか食べてくれません。それと、リンゴの皮が大好物で、リンゴをむいていると「早く皮をくれないと飢え死にしちゃうよ」と言わんばかりにキーキーうるさいのです。
しかたないので、ラビット&モルモットフードのブレンドをしばらく続けることにしました。
二郎さんのところの掲示板で、かんたさんが昨年の断酒会の人数について書かれていました。男性9,657人、女性765人の合計10,422名。毎年二千人ぐらいが入会し、同じぐらいが去っていく。という話を「かがり火」からの転載として書かれています。
AAは名簿を作らないし、メンバー数の統計もないから、正確な数はわかりませんが、一説に四千人。メンバーシップサーベイのアンケートの回収数が毎回1700〜1800人です。
ドクター・バリアントの説では、アルコール依存症にも自然治癒(治療しなくても治ること)がある一定の割合で存在するということです。もちろん治癒と言っても、コントロールして酒を飲めるというわけではなく、単に飲まないでいられるというだけでしょうけれど。また、何年か前のニュースグループへの投稿ではある統計で、約3%のアルコホーリクが治療なしに「飲まずに死ぬ」とありました。
日本のアルコール依存症者数は、最近の研究で八十数万人と速報されています。これに3%の自然治癒率をかければ、AAと断酒会の実績を足したより多くの人が助かっていることになります。そう考えると、日本の自助グループはもっとしっかりせいよと言いたくなります(自分もその一員か)。
まあ、自然治癒という幸運は、すくなくとも自分には訪れなかったし、残りの97%の人にも訪れないわけだから、自助グループの価値がそれでなくなる訳じゃないのですが、ちょっと寂しい数字であります。
2006年01月10日(火) この簡単な霊的道具一式 さて、年賀状は宛先不明で返ってきたものはありませんでした。
年賀メールのほうは、100通ほど出したのですが、10通余りがリジェクトされてきました。それを見て、「ああこの人、会社止めたんだな」とか、「プロバイダー変わったんだ」とか思うわけであります。まあ、その人の勝手でありますが。
メールのほうに、わざわざ返信をいただいたものもありました。返信の返信をするのもなんなので、この場でお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。
the simple kit of spiritual tools というフレーズを入れたために、「これは何だ」と思われた方もおられたようであります。simple と spiritual は「簡単」と「霊的」で、AAメンバーにはなじみの深い単語ですが、kit とか tools って何だ? というわけです。
これは実は(もう分かっている人も多いと思いますが)ビッグブックからの抜き書きです。
それほどに、多くの人がやめたくてもやめられないのである。
解決はある。私たちは誰も、目標に到達するのに必要な課程の作業を、つまり、自分を点検してみること、思い上がりを抑えること、短所を告白することなどを実行するのを好まなかった。しかしそれをやって本当に成功している人たちを見て、(略)私たちは、足下に並べられた簡単な霊的道具一式を手に取るほかなかった。
というわけで、自分の頭で考えた方法で回復しようとしないで、ステップにシンプルに書かれた方法通りにやってみて、その方法を伝えていきたいという年頭の決意であります。まあ、年の初めに考えることは、年末に一年を振り返るまで、すっかり忘れているのが常ですが。
酒をやめられて素晴らしい、と言いながら、実はコントロールして酒が飲めるようになる手術がもしあるとしたら、何百万円かかろうともそれを受けたいと思っている。そういう自分を変えていくことが、回復なんだなぁと。アル中は何年酒をやめたって、飲みたいものなんだ、それが変わることなんかあり得ないと信じてきました。
しかし、本当の受容とは、「どんな手段を使ってもコントロールは取り戻せない」ということに満足するということなのでしょう。
そんな風に回復したいという、回復への希求であります。
2006年01月09日(月) 冬の集いへ 高速バスの中は暖かく、ぐっすり眠れました。
八王子の料金所を通過する際に目が覚めたので、新宿で待っている仲間にメールを打ちました。調布あたりと高井戸でまたメールを打つつもりでしたが、再び目が覚めるとルミネまで迫っていました。
「何で長野の人間がSuicaをもっているかな」と不思議がられましたが、僕はプリペイドカードマニアなので、パスネットも持っています。
湘南新宿ラインで戸塚まで45分です。実は戸塚は横浜と川崎の間にあると思っていたのですが、横浜よりむこうにあるとは知りませんでした。桜木町より南に行くのは初めてです。
ビッグブックの集いの「冬の集い」は今まで一度も出席を欠かしたことがありません。今回も行けるかどうか危ぶまれましたが、無事行くことができました。午後を使ってたった3人のスピーカーというのは少ないような気もしましたが、それぞれ中身の濃い話をいただけました。静岡のKさん。宮城のJさん。そして名古屋のMさん。Jさんの「最小限の努力で最大限のソブラエティを得ようとする」という言葉に共感を覚えました。Mさんの「神を信じないという人は、その人の持っている特定の神概念や宗教観に対して反発しているにすぎない。宇宙の中に自分を超える大きな力がどこにも存在しないと信じている人はおそらくほとんどいない」という話にうなずきました。
来て良かったなと思いました。何のためでもない自分の回復のために行く。来年もまた来たい。そう思いました。
終わった後、デニーズでのアフターに参加させてもらいました。事務的な話が必要で、メールではどうももどかしく、直接会って話をしたかったので、それは大変助かりました。顔なじみとAAのプログラムについて大いに話が盛り上がるというのは楽しい経験です。が、もっと積極的に見知らぬ顔と知り合いになっていけば良かったなとちょっと後から残念に思いました。
仲間からHandspringのVisorを頂きました(貸してくれただけか?)。クールな皮のケースに入っています。時間があったらさわってみます。
掲示板や心の家路宛のメールで知り合った人々とも何人かと顔を合わせました。それはとても楽しい経験であります。こういう機会があるたびに、実はその一人一人をお互いに紹介するようにしたら、掲示板がもっと仲間意識にあふれるのかも知れないなと思うのですが、僕なりの恐れがあってそうしていません。でも、ご希望があればそうしたいと思います。
デニーズを出た後、トイレに行きたくなりました。戸塚の駅のトイレは工事中で、仮設の小さなトレイがあるだけでした。しかもそれは大変汚れていました。何でこんな冬にスイカを食って出すヤツがいるんだと、便器に座れるように手を汚して掃除をしつつ恨みの言葉が出ました。そういえば今日は成人式であります。湘南新宿ラインは長距離なので、列車の中にトイレがあります。そのことを忘れていたのだから仕方ありません。
ノートパソコンのバッテリーは、帰りの電車の中でちょっと使っただけで終わってしまいました。思えばこのノートパソコンを使って5年近くになります(買ったときはWindows98SEが載っていた)。あれから僕は、日々雑記を始め、「心の家路」を公開し、それが元でAAの出版に興味を持ち、AAの役割が回ってきて、そしてビッグブックの集いの人々と出会ったのであります。不思議な連鎖を思います。
そういえば去年の冬の集いの直後にうつで休職に入ったのでした。実は冬休み前から限界だったのですが、冬の集いに出かけていくためには、仕事を休んでいては家族から文句が出るだろうと恐れていたので、無理して仕事を続けていたものの、集いが終わったら緊張の糸が切れたみたいになってしまったのでありました。背伸びをするものではないなと今更ながらに思うのであります。
あれから1年が経過して、いろいろなことがあり、僕も新しい環境になじみつつあります。やっぱりアルコホーリクは環境の変化に弱いのかと思います。
帰りのバスがサービスエリアで休憩に入ったので、建物の中でコンセントがないかノートパソコンを抱えて歩き回りましたが、一個も見つけられませんでした。まさに電気がないと powerless なのであります。
いろいろ心の栄養をもらって、また前へ進んでいく力を与えられたような気がします。
2006年01月08日(日) 凍る一日 風呂の排水管が凍った話は書いたでしょうか。
上水道の水の配管も凍り、水洗トイレの配管も凍り、唯一確保されたお湯の配管もボイラー内部が凍ったせいで水しか出なくなりました。
昨日の疲れを取って一日ゆっくりするはずが、水回りの対策に追われる一日になりました。
とりあえずボイラーには電気毛布を掛け、上にさらに毛布を巻いて縛っておきます。
上水道は配管が壁の中なので、部屋全体を暖める以外に方法はありません。キッチンに石油ファンヒーターを持ち込んで暖めますが、なかなか10℃以上にはなってくれません。
それでもしばらくするうちに、トイレの給水が復活しました。排水も問題ないことがわかって、とりあえずトイレには安心して入れるようになりました。
ボイラーも溶けたので、今度は電気毛布を風呂の排水管に巻き付けました。しかし、いっこうに解ける気配がありません。
母屋のほうでは、風呂が凍り、洗濯機が凍り、トイレの給水のバルブが凍って水が噴き出しました。パッキンが痛んでしまっているようなので、おじいちゃんが市内のホームセンターに買いに行ったのですが、ちょうど良いサイズのが無くて諦めたそうです。そこで、僕が高速道路を使って近くでは一番大きなDIYショップまでパッキンを買いに行きました。
パッキンのついでに、カートリッジ式のバーナーと、車のウィンドウォッシャー液を買って帰りました。ついてきた子供たちには、マクドナルドのチーズバーガー100円のおやつ。
ウィンドウォッシャー液はアルコールと界面活性剤の混合液なので、マイナス25℃ぐらいまで凍りません。これをお湯と1:1に混ぜて、風呂の排水に流しました。しばらくすると水面が下がっていったので、氷が溶けたと見て、下水掃除用のワイヤーを突っ込んで中を掃除し、あとはお湯をひたすら流します。
お湯をたっぷり流した余熱がまわったのか、上水道も回復し、とりあえず(2階はともかく)水回りは夕方までには回復しました。
大晦日(というか元旦)に壊したパソコンのAGPカードが届いたので、さっそく装着してみました。カノープス製は、長年使い込んだMatrox製と同じぐらいにシャープなかっちりとした出力で、評判通りの性能です。
それにしても、今年は水難の年かもしれません。
週間天気予報を見ると、14日には雨になって、長期予報では月の後半は温度も平年並みに戻るとか。ぜひそうなって欲しいと願っております。
新宿へ向かうバスの中でこれを書いています(9日)。ではまた。
2006年01月07日(土) 三九郎 さんくろう【三九郎】信濃で、左義長(さぎちよう)をいう。
さぎちょう【左義長・三毬杖】‥(もと、毬打(ぎっちょう)を三つ立てたからという) 小正月の火祭りの行事。宮中では正月15日と18日に吉書(きっしょ)を焼く儀式。清涼殿の東庭で、青竹を束ね立て、毬打3個を結び、これに扇子・短冊・吉書などを添え、謡いはやしつつ焼いた。民間では正月14日または15日(九州では6〜7日)長い竹数本を円錐形などに組み立て、正月の門松・七五三飾(しめかざり)・書初めなどを持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食えば、年中の病を除くという。子供組などにより今も行われる。どんど焼。さいとやき。ほっけんぎょう。ほちょじ。おにび。三毬打。朝10時に町内のお地蔵さん前に集合しました。町内の小学生は12人。昔は三九郎は男の子の行事でしたが、現在は男女両方が参加する行事です。また三九郎は子供だけで作る習わしでしたが、現在は大人が作って子供は見ているだけであります。これも時代の流れでありましょうか。
いままで町内の行事は、妻に任せっきりでした。妻の具合の悪いときには、ジジババが出てくれていました。しかしジジババも年を取り、僕におはちが回ってきました。
AAスポンサーからも、そろそろ地域社会とかそういうことに力を割いていくようにという提案をもらっていたので、比較的素直にそういう方向性が決まりました。
集まった子供たちは東と西の二組に分かれて、町内の家のしめ飾りを集めてまわりました。お母さん方はその付き添いであります。4人しか集まらないお父さんたちは、近くの河原で三九郎の作成です。3本の竹を結んで簡単な櫓を組み、周囲に縄を渡します(ここら辺の作り方は僕の子供の頃と違って簡素化されているので、僕は初心者であります)。集まった門松は分解して、竹をキャンプファイヤーのような形に組みます。その上に、町内の神社のお祭りで使った縄を積み上げ、稲藁をかぶせます。
子供たちが集めてきた松飾りを全体に飾り付けて完成です。僕の子供時代には冬休みを何日も費やして作った三九郎ですが、イマドキは1時間あまりで出来上がりであります。
ここでいったん解散。
風呂の排水管が凍ったのはまだ溶けません。DIYショップの店員に尋ねてみたら、水道管用の凍結防止帯を巻けば良いと教えてくれました。凍結防止帯の説明書には「凍った水を溶かすだけの熱容量はありません」と書かれているのですが、時間をかければ良いそうです。
そいつを巻いたりしているうちに、知らぬ間に三九郎の点火時間を過ぎてしまいました。
年長の子が呼びに来てくれたので、あわてて出かけました。
午後4時の点火から、最後の炭火に川の水をかけて消すまで、およそ3時間。寒風の中で立っておりました。紙コップの中に注がれたジュースが、いつの間にか凍っているという寒さであります。
大人には(当然のことながら)御神酒として日本酒が振る舞われるのであります。僕は飲みませんからと断ったのですが、縁起物ですから口を付けるだけでもと少し注がれてしまいました。長女がそれを見て「パパ飲んじゃだめ」ときびしくチェックを入れてきました。彼女は父親の依存症のことなど知らないはずですが、ママから教わったのか「飲むふりだけでもだめ」ときびしいのであります。
口を付けずに日の中に捨て御神酒をあげ、そのコップにジュースを注ごうとしたら、まだ何滴か残っているからそのコップを捨てなきゃだめだと、なかなかきびしいのであります。
彼女は最近パパの本を勝手に読むようになって、静かにしているなと思うと『どうやって飲まないでいるか』とかを熱心に読んでいたりします。じゃあ理解しているかというと、そうでもないようでありまして、「どこが一番好き?」とか聞くと、P48の「チーズ、ナッツ、エビ、フルーツゼリー、ミント」と書いてあるところだそうであります。
昼間は4人しかいなかったお父さん方も、夕方のお酒の出る頃には十人以上が集まるのであります。そして、頭だってやっている人が、「もうお終いにします。あとは係のものが片づけますから」と言っても、誰も帰ろうとしません。火が燃え尽きるのを、みなが取り囲んで待っています。
帰っても良いはずなのに誰も帰らない。終わるまで帰らないという不文律があるのでしょう。白鳥の群れが鳴き交わしながら飛んでいくのを見上げながら、なんだかつらいなぁと思っているのでありました。
昨日は元気にお湯を沸かしてくれたボイラーも、ついに凍ってしまったようで、お湯が出ません。母屋でお風呂に入れてもらったものの、いったいこの寒さはいつまで続くのか、ちょっとうんざりしております。
子供たちが楽しんでいたのが救いであります。こうして僕の町内会デビューの日は過ぎたのでありました。
2006年01月06日(金) 凍結 昨年末あたりから、最高気温が氷点ぐらいという真冬日になったりならなかったりという日が続いています。おかげで、水道が凍ってしまいました。
まずは二階の上水道が止まりました。凍結防止帯は巻いてあるのですが、壁の中の配管まで凍結防止帯を巻くわけにはいきません。しかたないので、気温が極端に下がる夜中だけちょろちょろと水を出しておくことで凍結を防止します。ほんのわずかでも水が動いていれば、結晶化が防げるので、氷点以下になっても水が凍らないですみます。
そのために、水道の蛇口を少しだけ開け、ぽたぽたと水を朝までたらしておくのであります。しかし、水道の蛇口は不思議なもので、少しだけ開いておいても、やがて少しずつ閉まってしまい、開け方が少ないと朝までに水が止まってしまうことがあります。
そこで、ちょっと多いかなと思うぐらい、つまりぽたぽたとではなく、つーっと水が続けて出るぐらいまで蛇口を開けておくのがこつであります。
で、二階の上水道は、蛇口の開け方が足りなかったのか、朝起きてみると鍾乳洞のように、つららと石筍(じゃないか)ができあがっていました。お湯をかけてみたのですが、凍結は壁の中まで及んでいるらしく、気温が高くなるまでお手上げであります。
そして、風呂に入ろうと、風呂を洗っていたら、汚水がどんどん溢れてきました。どうやら風呂の排水管が凍結してしまったようです。そういえば、年明けは二泊三日で実家に行ってきたし、その次の晩はシャワーを浴びただけ、昨夜はまた実家に寄って風呂に入ってきたので、冷水で洗濯をしただけです。十分な量のお湯を排水するということは、ここのところしばらくやっていなかったわけです。排水管のどこかに溜まった水が凍ってしまったのでしょう。排水管には凍結防止帯は巻いてないしね。
パイプにワイヤーを突っ込んでみたり、トイレ用のカッポン(なんて言うんだあれ?)でガボガボやってみたりしましたが、詰まっているのが汚物ではなく氷なので、どうにもなりません。
とりあえず排水管の凍っていそうなところに電気毛布を巻いて、温度を最高にしておきました。一時間経ってもまだ全然解ける気配がありません。
こういうときに限って風呂に入りたくて(それがだめならシャワーを浴びたくて)たまらないのでありますが、諦める他はありません。
今後の天気 を見ても、最高気温は氷点前後までしか上がらず、自然融解はあまり期待できそうにありません。
幸い洗面・調理・トイレは上下水道ともまだ確保されていますが、風呂に入れないのは困ったものであります。
2006年01月05日(木) 早とちり 修理が終わったThinkPadでこれを書いています。
3日の晩にノートパソコンの上半身をネットオークションで落札し、4日の朝に落札額と送料を振り込みました。その日のうちに相手が伝票番号を教えてくれたので、クロネコヤマトに電話して荷物を営業所止めにし、自分のほうから出向いていって受け取りました。留守がちの人間にはこのほうが便利であります。
仕事始めはきわめて低調でしたが、まあスロースターターの自分にはこんなものでしょう。
夕方からは病院メッセージ。これで今年の僕のAAプログラムもスタートしたというわけです。
帰り道でグループの仲間に電話。8日日曜日の病院メッセージに人数は足りているか確認しました。足りているそうなので、(先月も行ったことだし)今月は休ませてもらうことにしました。
7日の土曜日は、子供会のイベントで「三九郎」があり(どんど焼きといった方が全国的には通りがいいかも)朝から晩までかり出されます。しかし8日が休みになったので、9日に出かけても「3連休、3連荘」ということにはならなくなりました。9日に遠征する体力は温存されそうです。
おまけに、9日に「横浜以外のところで別のことをするように」という啓示がありません。
これは、やっぱり9日には このイベント に行っても良いよ。ということでありましょうか。まあ後は天候次第ですね(車なので)。
行けたとしても、デーニーズでのアフター には行けそうもありませんが。
2006年01月04日(水) 勘違い 子供たちはまだババとそりで遊んでいたかったようなので、一足先に自分だけ実家から帰ってまいりました。
3日と4日に配達された年賀状を見ているうちにびっくりしました。死んだはずの人から年賀状が来ていたからです。確かにこの人の家族から年賀欠礼のはがきをもらったはずなのに・・・。年末に人が亡くなった場合には、故人が先に出しておいた年賀状が配達されるという話は聞いたことがあるものの、欠礼のはがきに書かれていたのは春先の月でした。
そういえば、同じ県で、同じ月に、別の仲間が亡くなっています。はたして奇なる偶然かと思っていましたが、ひょっとして僕の勘違い・・・? でも年賀欠礼のはがきは2枚あったはず・・・。いや、2枚同時に見た覚えはないなぁ。
常識的に考えて、もっともプロバブルな可能性は「僕の勘違い」でしょう。なんだか違うパラレルワールドに迷い込んでしまったようなめまいを感じましたが、僕は自分が激しく勘違いをしていた場合には、「自分は違う可能性が起った時空世界へと迷い込んでしまったのでは」という感慨を常に抱くのであります。
変な噂を流した張本人になってる可能性もあるので、とりあえず急いで用意した年賀状にお詫びを書いておきました。いやはや。おいらは大馬鹿者であります。
郵便局と銀行に寄ってから、ウィルコム(PHS会社)のサービス店へ。本来、僕のデータ通信用のPHSを、(いつもは使っていないからという理由で)、妻に持っていてもらっています。しかし、今回実家に帰るにあたって「使うから」という理由でそれを取上げていったところ、いたくご不満のようでありました。まあ「自分のものだと思っている」PHSが手元になくなれば、面白くないのかも知れません。
そこで、新たにデータ通信用のカード型のPHSを契約するために店舗に持ち込んだのでした。
料金プランは Two LINK DATA という通信先の限定されるもので、そのかわり月の基本料金は980円ですみます。すでに妻用と子供用に合わせて2本PHSを契約している僕は、200円の複数回線割引が効くので780円ですむわけです。
これで、妻のPHSを 定額プラン にしてしまえば、妻のEメール料金に頭を悩ませる必要もなくなるというわけです。
申し込みを済ませ、最近のウィルコムは加入者増で待ち時間が長いので、医者に行ってくることにしました。久しぶりに来た平日昼間の精神科のクリニックは混み合っていました。
やっと夕方になって、サービス店に戻ってみると、「お客様の持ち込まれた端末では、現在Two LINK DATAの料金コースをお選びできません」と断られてしまいました。そんなはずはないから確認してくれと頼んだのですが、どうも押し問答になりそうな気配です。
新しい端末を買えば済むことなのですが、なにも余計な出費をしてまでPHSを1回線増やす必要も感じません。とりあえずその場は諦めて店を出ました。
自宅に帰ってウィルコムのサービスセンターに電話をかけて聞いてみました。案の定古い機種だからといって、料金プランの申し込みを制限していたりはしないそうです。
先ほどのサービス店に電話をかけて、ウィルコムのサポートではこう言っているが、実際のところはどうなんだという話をしました。
1時間後、折り返しの電話がかかってきて、先ほどの話はすべて「申し込みを受け付けるセンターのオペレーター嬢の勘違い」だそうでした。平謝りする相手に、「人間誰しも勘違いはありますから」と言うのが精一杯でした。
というわけで、契約は後日になりました。
バックライトの切れたノートパソコンは、上半身(ふたの部分)の部品が8,900円で手に入りました。これで直ればしめたものであります。
2006年01月03日(火) 就学援助 起きてみるとそとは雪でした。
子供たちは母と一緒に雪かきをし、発泡スチロールの板で雪滑りを楽しんでいたようです。しかしそれでは、あまり滑らないと言うことで、午後から近くのショッピングセンターにそりを買いに行きました。
先日から僕が着ているAAのロゴマーク入りの上着ですが、母に言わせると「みっともない」ということで、そりのついでにフリースの上着を買いました。すでに冬物は処分価格になっていて、3,000円の3割引。さらに5%の値引き券を使いました。
「衣料品が安くなったねぇ」という驚きと、安いものだけでなくかなり高価なものまで中国製になったことで時代の経過を感じました。そして「これでは日本に仕事が無くなるわけだよ」といういつもの結論へと導かれてしまうのでありました。
そりは快調で、普段は平地に住んでいる子供たちも、坂のある暮らしを楽しみました。「坂のところに住んでいていいこともあるもんだね」と母は言っていました。そりは千円余りの安物だったのですが、使い始めて早々にブレーキ(そんなものが付いているのだ)の取り付けの部分が壊れてしまいました。
話は変わって、「就学援助」というのをご存じでありましょうか。
低所得者、いわゆる生活保護家庭と、収入がそれに準ずる家庭(所得税を納めない来年の僕の家庭も含まれる)に対して、小中学生の子供の学用品や給食費を公費で援助するという制度です。保護者に渡すと他のことに使ってしまうので、学校に渡されて鉛筆やノートなどの現物支給というかたちになります。修学旅行の費用なども出るという話であります。
所得税を納めないのは来年一年きりにしようという願いがあるのと、もし我が家で申請しても、他の子供がもらっていないのになぜもらえるのかということの説明がやっかいなので、申請はしないつもりでおります。
で、今朝の朝刊ですが、
『就学援助4年で4割増 給食費など東京・大阪4人に1人』
というのを読んですこし驚きました。
ひと月に何万円という塾の費用を払って勉強させている家庭もある一方で、就学援助を受けている家庭がそんなにも増えているとは思わなかったからです。
自己責任・能力主義、そういうキーワードで経済生活が語られることが増えた10年ですが、その結果として「子供は人生の最高のぜいたく品」になってしまったのかもしれません。今頃になってつけ刃の少子化対策など講じて、女性に子供を生め生めと言ってみたところで、これでは安心して子供が育てられる社会とはとうてい思えないなあと、そんなことを思った新年でした。
さて、買ってからは4年ほど経つだろうと思われるノートパソコン。この帰省にも持ってきたのですが、ついに壊れました。LCDのバックライトが切れてしまいました。これは兄の使わなくなったCRTを借りて接続して書いております。
ThinkPadもIBMからレボノに事業が売り渡されていますが、サポートなどは引き続きIBMがしてくれるようです。修理に出して・・・とIBMの電話番号を調べたところで、ひょっとして修理代より、ネットオークションで中古品か部品を購入した方が安く付くのではないかと思って調べてみると、案の定数千円〜2万円ぐらいでありました。
自分の持っているパソコンがもはやそんな価値しかないと知るのは、ちょっと残念ですが、まあ修理が安くすめばそれにこしたことはありません。
それにしても新年から物入りであります。
2006年01月02日(月) 実家 子供たちと実家に泊まりに来ています。
雪という天気予報でしたが、気温が高くて雨になりました。
いつもの神社に初詣をし、去年は買わなかった破魔矢を買いました。おみくじは小吉でした。母は中吉を引いたものの、新年早々旅行を計画しているにもかかわらず(今度はトルコだそうだ)旅立の項が、控えて吉と書かれていたので機嫌を悪くしていました。トルコといえばイスラム圏で、宗教施設を観光するにはスカーフを持って行かなければならないのだそうであります。
何年か前から実家もPHSのエリア内になったので、ノートパソコンとPHSでもって、インターネットにダイアルアップ接続をしています。といってもメールのチェックと、自分のサイトのチェックをするぐらいです。昔ならともかく、いまは光ファイバーでの速度にすっかり慣れてしまっています。ですからPHSの64Kbpsの速度では、ページにちょっと大きな画像が貼り付けてあるだけで表示されるのが遅くてイライラしますし、ましてやそれが1分10円の課金がかかると思えば、なおさらであります。
それでも10分で千円。PHSで定額接続を手に入れるには、年間契約で月5千円は支払わなければならないのですから、2泊ぐらいならば従量制の契約のほうがお得であります。
話は変わって、今年の年末年始はAAミーティングに出かけずに過ごしています。年末は月曜日のふつうのミーティングに出たのが最後ですし、年明けも4日の病院メッセージから僕のAAプログラムが始まるということになりそうです。こうなってしまったのは、ただ家族に「年末年始も通常通りにミーティングに行きたい」ということを伝えて納得を得るという作業が面倒くさかっただけです。
家にいるのははっきり言って楽で良いです。でも、家族のほうにそれが当たり前だと思われてしまうと、今度ミーティングに行きたいときに「えー、なんでいきなりそう言う話になるかなぁ」という拒絶反応を見せられてしまうことになり、かえって面倒なことになります。
もっとやさしい、もっと楽な方法をと思ってミーティングを休むことを選んだのに、いざ自分が苦しいときに、ミーティングに行くのに苦労するはめになって、やさしくも楽でもない道であったことを知るわけです。
スポンサーからは、もうそろそろミーティングより大事なものがいろいろ出来てきて当然だろうと言われています(悪魔の誘いだ)。その一方で「例の件から何年も経ったが棚卸しは済んだかな」ときびしいチェックが入っていたりします。
えー、今年もまた棚卸しかよう、という気分になっていたりするのであります。
2006年01月01日(日) 漏水 パソコンのCPUの水冷システムに水を補給するときは、必ず電源を切ってからにしないといけない。何度もパソコン内部を水浸しにして学び取った教訓であり、自らに課している掟であります。
が、大晦日の晩、ビデオファイルの再エンコードを延々と続けていた僕は、この掟を破って稼働中のパソコンのラジエーターに水を補給しにかかりました。結果はポンプがキャビテーションして水流が止まり、CPU温度が127℃の計測限界を超えて上昇し、ウォータージャケットから水蒸気が吹き出しました。
ちょうど年越しそばができたと内線で呼ばれたので、食べにいって、返ってきてからパソコンが冷えたところで再度電源を投入しました・・・起動しません。
吹き出した水蒸気がビデオカードに結露し、回路がショートしていたようでした。実はこんなことはしょっちゅうなので、カードを抜いて温風で乾燥させ、パソコン内部の水分も拭き取って再度挑戦しました。が、2時間ほどの格闘の末、ビデオカードが完全に「おなくなり」になっているという結論に達しました。何度となく水難に耐えたAGPカードも、あわれジャンク品であります。
元旦ネタのホームページを更新しないわけにも行かないので、とりあえず別のビデオカードを出してきてしのぎました。
翌日、つまり元日、秋葉原のパーツショップのオンライン店舗で、ビデオカードを見つくろって注文しました。生まれて初めてカノープス製のビデオカードを買うことに決めました。そのほか、コンパクトフラッシュの無線LANカードと、昨年出張の際に腕時計を落としたので、四千円の電波受信の型を注文しました。
そして送金をしようとして、銀行のオンラインバンキングのページを開いて、銀行決済は正月3が日は休みだと知ってびっくりしたのでありました。
このようにパソコンネタを書くと、難しくて何が書いてあるかさっぱり分からないという人と、いやパソコンネタ面白いからどんどん書くべし、という2種類の反応をいただくことになります。
そういえばもう長いこと秋葉原には行っていません。コミケに最後に行ったのは、まだ晴海でやっていた頃でした。メイド喫茶なんて入ったこともありません。
今年も適当にパソコンネタを交えながらやっていきたいと思います。
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