ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2005年08月31日(水) 秋 BOX-916の振り込み用紙に付箋がついていて、「長野には残暑などはあまりないのでしょうか?」と書かれていました。
信州の夏はお盆を過ぎれば涼しい日が増えてきます。20年以上前に上京した時に、8月いっぱい暑い東京の夏にうんざりした覚えがあります。今はあの頃よりさらに暑いのでしょうね。
この雑記を書いている部屋の温度計は、26℃です。
5月・6月と病院からミーティングに連れ出した仲間が、県営住宅への入居が決まったそうで、10月に退院になるそうであります。自転車でミーティングに通ってくると言っていました。「今度やったらもう一生病院から出られない」と背水の陣であります。だがまあ、言葉は信じないのですよ。
午前中は次女の水泳参観。午後は仕事。夕方からAA。実家で食事と風呂。帰宅後、ふたつのブログの更新。今の自分はこれで精一杯。
いくつかのブログを読ませて頂いています。
2005年08月30日(火) 操作方法 昨日、長女の水泳参観で泳ぐ姿を撮影する時に、ハンディビデオの液晶ファインダーが見にくくて困りました。液晶表示の輝度が足りないので、太陽光の下では何が写っているかさっぱり見えないのです。
ファインダーに何が写っているのかわからないということは、何を撮影しているのかわからないということであり、家に戻って再生してみて、無事に長女の泳ぐ姿が撮影できていてほっとしたものです。
このビデオには光学式ファインダーもあるのですが、その時に覗いてみても真っ暗で、役に立ちませんでした。きっと光学式ファインダーを使うには何かの手順が必要なのでしょうが、それは取扱説明書を読んでみないとわかりません。
明日は次女の水泳参観なので、取扱説明書を引っ張り出してきて見てみました。光学式ファインダーは「手前に引っ張る」と写るような仕組みになっているようです。光学式といっても、一眼レフカメラのようなものと違って、内部にある小さなLCDパネルがあって、そこに映写される映像をのぞき込む形になります。まあ光学式ズームだけじゃなくて、ディジタルズームとかもあるので、それは必然の設計なのかも知れません。
僕の今使っているスチルのディジタルカメラは、光学式ファインダーがありません。液晶ファインダーがあるだけです。これだと炎天下に困らないかというと、もともと液晶が高輝度なのと、さらに(一時的に)高輝度にするモードがあって、なんとかそれでしのげています。
ハンディービデオの液晶もこれぐらい高輝度だと助かるのですが、やはり動画を再生するデバイスは、電源の問題があるのでしょうね。
明日はなんとか午前中に次女の水泳参観をこなして、午後の仕事も休まずに行きたいと思います。
BOX-916が届いていますので、明日はBOXミーティングです。
2005年08月29日(月) アルコール燃料 さて、「アルコール」+「依存」でニュースサイトを検索する結果を表示するようになって、およそ半年過ぎました。で、なんか反応があったかというと「全然ない」ですね。
唯一LUNAさんが、涙の谷の掲示板で、韓国の女性アルコホーリクの話題を取上げるのに、このページをポインターにして頂いたぐらいです。
実は自分では全然読んでいなかったりします。
気がついていることはいくつかあって、アルコール燃料の記事が混じってしまうことです。これは私たちが化石燃料に「依存」しているせいで、「アルコール」燃料を代替に使おうという流れが世の中にあるせいでありましょうね。記事中に「燃料」というキーワードが挟まっている記事を無視すれば良いのですが、とりあえずほったらかしです。
あと、これはニュース記事だから仕方ないことなのでしょうが、どこぞの有名人がアルコール(もしくは薬物)依存症で・・という記事が多くなってしまうことでしょうか。こればっかりはフィルタリングのしようがありません。
次の改版の時には、日刊ゲンダイのサイトをサーチ対象に加える予定ですが、このときに燃料の問題には手をつけようと思っています。
さて、昨日の晩は夜3時まで夜更かししてしまいましたが、10時に起きるには睡眠時間7時間で十分だろうと思ったのです。ところが、起きられない、起きられない。やっと起きたものの体中が痛くてたまりません。体調が悪いのが、夜更かしが原因なのか、うつが悪化したのか、風邪でもひいたのかわかりません。
とりあえず、会社には電話して休むことにしましたが、長女の水泳参観に行くことは約束してしまったので、ハンディービデオを持って小学校へ足を引きずるようにして向かいました。
耳が悪いせいで、1年生・2年生の時はプールにはいることすらできなかった長女は、今年やっとプールに入ってビート板で泳ぐのが精一杯です。周りの子供たちの中には25mをクロールで泳ぎ切る子供もいますが・・・比べない比べない。
帰宅して食事。そして夕方まで寝ました。3階にテレビを増やしたおかげで、2階で邪魔されずにゆっくり休めました。
「AAミーティングに行く」と言ったけれど、家族から反対の声は出なかったので、ルーチンとして復活したミーティングへ。スポンサーを依頼されました。僕は断らないことにしています。
今書いているプログラムが書き終わったら、心の家路のテキストブラウザ対応をして、次に携帯電話でも読めるようにして、サイト内に日記を収容して、掲示板システムを改善して、そしてmixiにデビューするんだー。とりあえず夢を語ってみました。
2005年08月28日(日) 3台目のテレビ 3階に2台あったテレビの一台を2階におろしたという話は以前に書きました。
子供たちが2階でテレビを見てくれれば、3階で昼寝をする時に静かでいいなと思っていたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。
まずは、ジジババが2階でテレビを見ている孫たちに向かって「電気代がもったいない、3階で家族一緒に見ろ」と叱ったことが2回か3回。そういうことは言わんでくれと言って、この問題は解決したと思っていたのですが、やっぱり子供たちが萎縮してしまって、2回でのんびりテレビを見られないようであります。
それから、2階までテレビを見に降りてくるのが面倒だというのもあるようです。
そんなわけで、テレビがもう一台欲しいという話になりました。だが、復職もまだパート勤務の身、そんなにお金は出せないよということで、中古のテレビを買いにサンタの○庫まで行ってみることにしました。
リモコンが失われた中古のテレビが3千円。これを買って、あとはホームセンターで材料探しです。汎用リモコンが千円。5CFVのケーブルが20メートル。コネクタ4ヶ。ケーブルクリップ。それからテレビ台。あと、現在の2分配機を3分配機に置き換えないといけません。これ全部で1万3千円ぐらい。
家に戻って1時間ほどの作業で、テレビの設置と配線とチャンネル設定が終わりました。
しかし、今度は2階のテレビの写りが悪くなってしまいました。2分配のを3分配に変えたのだから当然かもしれません。同時に僕のパソコンのテレビチューナーの画像にも、縞が入るようになってしまいました。
しかたないので、もう一度買い物に出ました。ケーブルテレビ局が推奨しているテレビ信号ブースターの売値が1万2千円。当然のようにそれを買おうとする僕に、妻が待ったをかけました。「高すぎるのではないか」と。
僕としては、子供の見るテレビのために1万数千円をぽんぽんと使ってきたんだから、僕のテレビの問題解決のためにも、それ以下の金額なら問題ないだろうと踏んだのですが、どうやらそうではなかったらしいです。
そりゃまあ、今月になってマザーボードも電源ユニットも変えたし、昨日はDVDドライブも新調しました。でも、今月は使いすぎだから、縞の乗ったテレビを録画して満足していろと言うのか・・・。まあ、結局ブースターは買って帰り、テレビの写りは元にもどったのですが、なにもしないでごろごろしている予定の休みの日を、家族のためにテレビの増設に費やす羽目になった上に、出費をとがめられて、なんとなーく機嫌が悪い今日この頃であります。
まあ、浪費家の女を妻にしたよりはマシだったと思うことにしよう。ぶつぶつ。
Windowsの再インストールで、7月〜8月にしたブックマークが全部消えてしまいました。リンク先を増やそうと思っていた矢先だっただけに、またアドレス探しからはじめないといけないとは・・・。
2005年08月27日(土) うう気持ち悪い 3種類のC++コンパイラーをインストールするうちに、朝になってしまいました。
お腹がすいたので、バナナを一本食べて自分を納得させようとするのですが、なんだかそれでは収まりきらない不満や怒りが溜まっていたような気がします。
もう7時に近い時間で、外はすっかり明るくなっていました。
短パンをズボンに着替えただけで、上は下着に使っているTシャツのまま、コンビニエンス・ストアに行きました。下着のTシャツに人々の視線が集まっているような気がして、そんな格好で出てきてしまったことに後悔しました。
酒のおつまみコーナーでアサリのむき身を一袋、柿ピー他のアソートを一袋、アイスクリーム7本入りを一箱、ポテトチップを一袋、ジャガリコをひとつ、コーラの1.5Lを一本。菓子パンをふたつ。弁当はチャーハンにしようか、韓国風焼き肉弁当にしようか悩みましたが、焼き肉弁当にしました。
帰ってからアサリをつまみにコーラを飲み、弁当を食べ、お腹いっぱいのところにパンを食べて、柿ピーを押し込みました。満腹感の幸福の中で眠りについたのが8時半ごろだったでしょうか。
起きてみると午後1時半でありました。胸焼けで気持ち悪く、朝食(昼食?)は、コーヒーとバナナ1本ですませました。
長女がゴミ箱のなかからアサリの袋を見つけて、すごく食べたがりました。子供二人を誘って電器店にDVDドライブを買いに出かけました。DVD-RAMは諦めることにして、P社のモデルが12,800円。コインを2枚もらって、入り口のところでガチャガチャをやりました。当たりがでれば何か家電製品がもらえるのですが、子供たちはガチャガチャをやれただけで、十分楽しそうでした。
コンビニではアサリは売り切れで、長女はかわりにさきイカを買っていました。
本棚(というかスチールラック)ひとつの引っ越しをすませました。週末の予定はこれでこなしたことになります。でもまだ強迫的に何かをしなければならないような気持ちで焦っています。
ともかくリズムがめちゃくちゃなのであります。
2005年08月26日(金) 記憶不鮮明(長野編) 半年間の休職の間に3本のプログラムを書き上げようと思っていたのですが、ものぐさな自分ですから、結局一本も書かないうちに復職してしまいました。復職しても、すぐに具体的な仕事があるわけじゃないので、「リハビリテーション」と称してそのうちの1本のプログラムを書き始めました。
仕事には使わない自分専用のプログラム。フリーウェアなどといって公開することはないでしょうが、必要だから書いているプログラムです。
プログラムは完成するとことはない存在ですが、ここから先は実用になるという点は存在します。このプログラムもようやっとそこへ到達しつつあります。
お盆前にWindowsの再インストールをしたおかげで、開発ソフト一式も消えてしまいました。今夜Visual StudioをインストールしようとDVDドライブにCDをつっこんだところ、「ギュギュギュギューん」という音がして、CDもDVDも読めなくなってしまいました。
トレイの開閉もできるし、Windowsからは認識しています。でも、何を入れても「ドライブの準備ができていません」と冷たく突き放されてしまいます。
まあ故障でありましょう。回るものはいつか壊れる、というのはオーディオの世界にもコンピューターの世界に共通して言えることであります。そして周りモノに得意なメーカーもあれば不得意なメーカーもあります。
CD/DVDだと国内P社のドライブは壊れた経験がありません。T社のは一台壊したかな。今回壊れたのは国内H社と海外S社の合弁の会社のヤツで、ここのははっきり言って安かろう悪かろうであります。でも安かったから買ったわけです。まだ1年経っていないような気もするので、保証書を探しているのですが、なかなか見つかりません。
これが1年経っていれば諦められるのですが、記憶が定かでないのが、なんとももどかしい。捜していて見つかりそうにないと、「もう一年経っているだろうから」と自分を納得させようとするものの、探すのを止めてしばらくすると「いや昨年の暮れだったような気がする」と思い直して、また探したりしています。
なんともイライラします。
一応明日新品のドライブを買いに行くつもりですが。
一週間がやっと終わってくれたという感じです。この週末はゆっくり休みたい・・・けれど、本棚の引っ越しをひとつ済ませる予定です。
2005年08月25日(木) 記憶の鈍さ 昼間に「あ、これを雑記に書こう」と思いながら、夜になると何だったのか思い出せない。そんなことが続いています。加齢のせいか、ウツのせいかはわかりませんが。
ラジオ夕刊に出演していた長野県内の農業法人の経営者が、「温暖化のおかげで信州でもおいしいお米が作れるようになった」と言っていました。僕が子供の頃は、長野は寒冷地だから、作付けできるお米の品種に制限があって、地元のお米はおいしくないと言われていました。それから「温暖化のおかげで、信州でもワイン用のブドウを作る条件が整ってきたので、ワイナリーにも挑戦したい」と言っていました。
百姓をやっている人が「暖かくなった」と言っているのだから、まあ暖かくなったのでしょう。ただ、いろいろ資料を探し続けているのですが、年平均気温の上昇を示すようなデータを見つけられないでいます。ただデータよりも百姓の言葉を信頼したい気もします。
この温暖化が人間の経済活動の結果なのか、地球の普段の変化の一部なのか、今生きている人間には判断のつく問題ではないと思っています。別段エネルギー消費削減には反対してませんけど。
お盆を過ぎて、涼しい日が増えてきました。もうちょっと安くなったら一玉買って食べようと思っていた西瓜も店頭から消えてしまいました。会社もクーラーを止めている時間が長くなってきました。
復職してやっと今日が初めての給料日であります。台風は東へそれたらしく、こちらでは雨が少し降っているだけです。
リンク集に、そらさんの 青い空を見上げて を追加しました。
2005年08月24日(水) 水曜はウェッド・ネス・ディと覚える ウツの状態はあまり良くありません。ともかく12時前には食事を終えて、1時前までにPETボトルのジュースを一本買って会社に入り、5時半になったら抜け出して帰ってくるだけであります。
ホームグループのミーティング。昨年末に「医師の意見」から読み始めたビッグ・ブックも、「仲間とともに」までやってきました。
しかし、なんか自分は、ときどき無性にAAを止めたくなる時があります。止めて何するの? と自分に聞いてみても、何もしたいことがあるわけじゃありません。ただ、「もうAAなんか嫌だ。疲れた。面倒くさい。もうやりたくない」と思うのであります。
でも、なんとなく習慣的に続けているうちに、気を取り直してまた続けてきました。うんざりした回数だけ、気を取り直してきたと言ってもいいかもしれません。
僕みたいに根っこから狂っている人間は、AAから出て行ったらどういうことになるか、まあ大体予想がつくということもあります。でも、そんな理性的に考えている訳じゃないです。
ミーティングに出席して、自分をさらけ出して話をしてカタルシスを得るってのは、せいぜい3年か5年ぐらいまでのものじゃないですか?
ソーバーが長くなればミーティングで話す話もパターン化してしまいがちです。人間、昔のことは忘れるようにできているし。
話は変わって、やっと電話関係の引っ越しが完了しました。
今日、書こうと思っていたメールの返事も、明日かな。
2005年08月23日(火) 火曜 燃費計算:9.6Km/L、1Kmあたり15.2円。高速通勤していてもここらへんが限界の数値のようです。もっとも80Km/hとかで走っていればもう少しだけ燃費は上がるのかも知れません。
さて、台湾に行った時に機内サービスでシュウェップスのトニック・ウォーターを飲んで感激し、通販で買ったことは以前にも書きました。しかしこれはガラス瓶である上に、一本あたり250mLとちょっと量が少ないという欠点があります。ゴミ出しを担当している妻に不平を言われるに至って、少し考えました。
探してみると こちら では500mLのPETボトルを売っているではありませんか。PETボトルは捨てる時に軽いから助かります。押しつぶせば容積も減るし。1.5LのPETボトルもありましたが、とりあえず500mL×24本というのを頼んでみました。楽天にもポイントがたまっていたので、多少の割引になりました。
今朝ほど届いたので、会社に一本持って行きました。
長年のつきあいの同僚が「また変なものを持ってきて」という顔をしたので、「ちょっと飲んでみるかね」といってコップに分けてあげました。感想は、「こんなものを飲むなんて信じらんない」そうでありました。
僕もパソコンを起動して、出勤の手続き(タイムカード)を終えると、おもむろに一口飲んでみました。うーん。これはまずい。おいしくない。シュウェップスと比べると格段の違いです。
きっとジントニックを作っても全然違う味になるでしょう。
とかなんとか言いながら、半日で一本飲んでしまいました。ブドウ糖とかが入っているので、ノン・カロリーではないですが、普通の炭酸飲料に比べれば断然低カロリーなのは間違いありません。
帰宅後、ケースが邪魔なので、押し入れに放り込んでしまいました。我が家の非常用飲料水として保存されてしまうかも知れません。
2005年08月22日(月) 底つき 障害年金の書類の再提出をすませてから仕事へ。
1ヶ月休んでいた月曜のミーティング出席も復活させました。テーマは、「もう一度底つきについて」。
ミーティングでは話さなかったことを書こうと思います。
ヤクルトスワローズの古田敦也選手の名前を知らない人は少なくなりました。でも、彼が高卒の時も大卒の時も、ドラフト指名を受けられなかったという話は意外と知られていません。彼はそれでも野球を諦めずにノンプロへとすすみ、オリンピックで活躍してようやく指名を受け、そこで恩師野村と出会って才能を開花させました。最後までプロ野球選手になる夢を諦めなかったという話は人の心にある種の感動を呼び起こします。
だが、彼は言ってみれば「宝くじの一等」であり、「競馬の万馬券」であり、アル中の「1年に一度あるかないかの気持ちよい酔い」であります。当たりの可能性はゼロではありません。だから絶対に当たらないという否定はできません。
しかし普通は当たらない。どんなに夢を大きく持っても、周囲の客観的評価の方が正しい場合の方が圧倒的に多いものです。状況を客観的に見れていないのは本人だけという状況は実に多いものです。
最近はAAにはアル中しか放り込んでこないK医師ですが、以前はなんでもかんでも「AAにいってごらん」と放り込んでよこしたものです。
ある時、あるミーティング会場に、両親に付き添われて(だったかな)30才ぐらいの男性がやってきました。彼は依存症でもACでもありませんでした。まあ、今の言葉で言えば引きこもりとかNEETとかにあたるのでしょうか。ともかく他の兄弟と違って働いたこともなく、ただ自室で法律の勉強をしている。そして、司法試験に受かるのを目標にしているのだと語りました。
僕は法律関係のことは、大学一年の時に下宿していた宿が法学部の人たちばかりだったので、その人たちの話を聞いた限りでしか知りません。法律家になるには、司法試験という大変難しい国家試験を通らなければなりません。しかし逆に言えば、司法試験に受かれば、裁判官・弁護士・検事(でいいんだよね)といった立派な職業に就くことができます。収入の面でも、社会的ステータスも十分でしょう。
だが司法試験は難関です。法学部の学生も司法試験を受けることすら諦めて普通に就職していく人は珍しくありません。一方で卒業後、仮の職業を続けながら勉強をし、何年も司法試験にチャレンジするという人も珍しくありません。
中には法学部に行ったことのない人で、司法試験を目指す人もいます。僕が飲んだくれていたアパートの隣の夫婦者の旦那のほうも、司法浪人でしたが、30才ぐらいで諦めたようです。
だから、30才で親の支援を受けながら司法試験を目指していること自体は、それほど異常な話ではないのかもしれません。でも法学部に行かない人は経済的理由でそうせざるを得ないケースがほとんどだと聞いています。
さてくだんの彼の親がしゃべるには、どこの大学にも受からなかった人間が、はたして司法試験に受かるだろうか。もう何年も受験を続けているのに。ほんとうに部屋で勉強しているのだろうか。どうみても法律家になれる器はないので、このへんで諦めて普通に働いて欲しい。そう言うのでありました。それを聞いて本人の顔が真っ赤になったのを覚えています。
当時のAAの言葉で言えば「生きていくことがどうにもならない」状態なのは、端から見れば明らかで、「底つき」というには十分なのですが、いかんせん本人に自覚がない。というか十分わかっているのでしょうが、認めたくない。認めてしまえば敗北であります。自分は将来法律家という大人物になるのだ!
つまり底をつくというのは、自分のありのままの状態を受け入れることであり、敗北の受容でありましょう。「まだどこかに勝ち目があるはずだ」と考えているうちは、まだまだ底なし沼なのかもしれません。
AAのプログラムは「徹底した敗北」を要求しているのであります。先の司法浪人君とはその後二度とお会いすることはありませんでした。
2005年08月21日(日) 利子 パート勤務では食っていけないので、実母から金を借りました。
利息はいらないという代わりに、とあるセミナーに出てほしいと言われました。それはとある、マルチ・レベル・マーケティングというののセミナーであり、それに絡んでいるのは兄なのですが、その兄が一家で九州旅行中であるというので、人数あわせにでてほしいと言われたのでした。
金を借りる手前、「嫌だ」とは言えないものであります。
ネットワーク・ビジネスなどと言葉を操っていますが、昔風に言うならネズミ講ではないですか。まあ親戚のつきあいというのもあるので、僕も「でぃすとりびゅーたー」というのになって、年会費千数百円を取られています。そこまではまあ仕方のないことでありましょう。
キーワードは「健康にいい」というのと「収入が上がる」というものであります。システムの中で成功した(つまりお金をたくさん稼いだ=たくさん売ったグループの長の)人が体験談を語るという内容でありました。
「健康にいい」ということは悪いことじゃありません。ただ僕は、ここから仕方なく買った泡立ちの悪い歯磨きペーストよりも、キシリトール入りで泡立ちのいい市販のペーストと、歯周ポケットまで掃除してくれる細かい歯ブラシの組み合わせが好きなのであります。
そして、おそらく会場を埋め尽くした数百人の人は、「健康にいい」よりも「お金になる」ということに興味を引かれていることは間違いありません。
成功している人たちに共通していることは、時間をつぎ込んでいる人たちだということです。副業でやって成功しているという人はいません。でも、時間をつぎ込むんだったら、普通のビジネスでもいいと思うのですが、どうなんでしょう。
以前お会いした会社の社長さんが、「俺は成功して当然だ。だって人の2倍・3倍働いているんだから」とおっしゃっていました。僕は人の2倍・3倍働いてまで成功したいと思いません。なるべく楽をして成功したいです。
大阪や東京からもたくさん人がきているところはAAのイベント並の動員力だなぁなんて感心していたのですが、廊下に出てさぼっている人がいないところはAAとは全く違うところであります。
母に約束したとおり2時間たったので、途中でも帰ってきてしまいました。経済的に成功したいという願いは悪い話ではありません。でも僕は忙しいのは嫌です。堀江社長が海外にバカンスに行ったという話を聞いたことがありますか?
お金はほしいです。たとえば宝くじに当たりたいです。3億円あれば働かずにすみますから。もし3億円当たったら、Linuxをマイクロカーネルで書き直すことに人生を費やすかもしれません。
やっとメインパソコンも、そこそこ動作を始めました。まだオフィスとかインストールがすんでいません。
さて、障害年金の申請書類をまた書かねば。
2005年08月20日(土) 低空飛行 金曜日は会社を休んでしまいました。
夕方になってパソコンの交換部品を買いに行きました。マザーボードと電源ユニットを購入しました。
ハードウェアの交換と、配線のとりまとめだけで朝の4時になってしまいました。
水冷システムの水が減るたびに、純水(じゃなくてコンタクトレンズ用の精製水)を足していたのですが、そのせいで沸点がだんだん下がってきたらしく、一度CPUが120℃まで加熱した段階で沸騰してしまいました。過加熱の結果、漏水が起きたりしたのも遅延の原因です。
仕事に復帰したばかりだというのに、プライベートでは引っ越しが始まってしまったし、メインマシンの調子が悪くて、Windowsの再インストールから始めないといけないし・・・。
目標を低く低く設定して、なんとかそれをこなしていくしかありません。
2005年08月18日(木) 不調 まずパソコンが不調であります。
調子が悪いのは前々からわかっていたのですが、原因不明なので使えるうちは放っておいたのでした。Windowsを再インストールしても直るとは限らないし・・。
Windowsが起動するまでの時間が5分とか10分とかかかるようになって、しかも、使っている最中に無反応になるかブルースクリーンになるという現象がだんだんひんぱんになってきました。
昨日は、OutlookExpressがフォルダのcompactationをしている最中に吹っ飛び、「受信フォルダ」と「送信済みフォルダ」の中身を空にしてくれました。AAの関係のメールや、ネット・オークション、仕事の関係のメールは別フォルダに入れてありますし、3ヶ月ごとに古いメールは整理することにしているので、被害にあったメール(失われたメール)はそれほど多くはありませんが、頭にはきました。
不安定の原因はハードウェアがらみっぽいですが、原因の部品が判明しない以上、可能性のありそうな部品を全部取り替えてみるしかないかもしれません。
サブマシンとして使っているパソコンがあるので、とりあえずそれを使っています。
次の不調は体の方です。
ちょっとうつが重くなってしまっていて、会社のデスクに座って船をこいでいる状態です。なんとか明日一日がんばって週末になだれ込むか、それとも大事をとって休むか、それすらなかなか決断できないという状態であります。
2005年08月16日(火) 焦り・狼狽・いてもたってもいられない 夏休み最後の日だというのに、起きたのは午後2時でありました。
「諏訪湖が見たい」という家族の要望に逆らえず、車上の人となりました。
いつもの通勤路と同じルートですが、帰省から戻る車で混雑していたので、途中のインターチェンジで降りてしまいました。
日本のなぎさ100選にも選ばれたという諏訪湖のなぎさで、石投げを楽しみました。長女は石投げは初めてのチャレンジでしたが「4回ジャンプしたよ」とはしゃいでいました。次女のはただ遠くへ投げるだけなので「じゃぼん」と大きな音が一回するだけです。
大人800円、子供400円という値段は高いような気がしましたが、乗ったことがなかったので、遊覧船に乗ることにしました。娘たちは船に乗るが初めてだったので、はしゃいでいました。僕が初めて船に乗ったのは、小学6年生の「東京見学」(修学旅行ではない)で東京湾の遊覧船に乗ったのが最初であろうと思われます。
片倉館 という戦前からある温泉の外湯に入って帰ってきました。
翌朝は10時に起きて、クリニックに行きました。戻ってきてみて郵便受けを見ると、社会保険事務所からの書留を預かっていると郵便局からのお知らせが置いてありました。「年金証書がくるにはまだ早いよな〜」と思いつつ、急いで郵便局に向かい、帰省からの戻りでやっぱり混み合っている高速道路をとばして会社にたどり着きました。
書留の封筒を開けてみると、そこには「書類の不備があるのでそろえて再提出するように」という内容の書類とともに、7月に提出した書類がまるまる戻されていました。社会保険事務所での受付が7月7日。社会保険業務センターへ書類が回ったのが7月11日。8月11日に社会保険事務所に差し戻され、盆明けすぐに僕のところへ送ってくれたらしいです。
提出した書類では、初診は東京の調布の精神科クリニックということで出してあります。しかし、そこに紹介されるまでに前の日に手首を切って自殺未遂をして救急病院で手当を受けたこと。その前の月に内科で胃を見てもらっていること。この両方の「受診状況等証明書」を追加して再提出しろということであります。またそのぶんの申立書も追加で書かないといけません。
会社の階段で病院に電話をかけてみました。調布の救急病院ではカルテ庫を調べてくれましたが、カルテは残っていないので証明書は書けないということでした。田舎の総合病院では、医事課のおねーさんが「カルテは5年で破棄しますから残っていません」と冷たく突き放されてしまいました。
母に電話して、当時の領収書でも残っていないか聞いてみましたが、「残ってるわけねーだろう」と一喝されてしまいました。
年金申請の書類にはいろいろと余計なことは書かない方がいいとは言われていました。そのぶんまで証明書が必要になるからです。しかし、初診証明の書類に「7月に内科受診」とか「左手横骨動脈切断」とか書いたのは僕ではなくて、調布のクリニックの医師です。それでも、そう書かれてしまっている以上、その内科やら救急病院が初診となるというのが社会保険庁の見解のようです。
そして、そうした書類を用意できなければきわめて不利になるだろうということも、ネット上で調べたあちこちに書かれていました。
(初診証明を書き直してもらえば良かったなぁ)とか後悔しても始まりません。どうして良いのかわからず動転していました。
最後に社会保険事務所に電話して相談してみました。そういう場合には「受診状況等証明書が添付できない理由書」を添付すればいいことや、そこにカルテが破棄されているという理由を書けばいいことを教えてくれました。
「しかし、証明書を提出できる場合に比べると、やっぱり不利になりますかねぇ」という僕の質問に対し、年金給付課の人は、「それは一緒に提出していただく申立書の内容と併せて判断しますから、そちらをしっかり書いてください」という返事をくれました。
内科の方は、酒の飲み過ぎで胃が悪くなり吐いていただけなので、これはなんとでも書きようがあるでしょう。ただ自殺未遂の方はうつ病と関係ないというわけにはいかないでしょう。ここで書類が不備なのでだめだと言われれば、これは手続き上の不備なので、抗弁のしようがありません。
このころになって、ようやく「やるだけのことはやって、あとは<おまかせ>だな」という感覚にたどり着くことができました。1時間ほど気の動転は続いてしまいました。お祈りの効果もなかったし、黙想する余裕もありませんでした。
なんとなく年金はもらえない確率が高く高くなっていくようでありますが、とりあえず書類をそろえて再提出まではするつもりです。
2005年08月15日(月) 台湾から戻って戦争について考えた 正しい戦争などはないということは僕にもわかります。
日清戦争で得た「台湾」。そして中国の従属国であった朝鮮の独立を中国に認めさせ、あげくに併合して得た「朝鮮」。日露戦争で得た「南樺太」。国際連盟の委任統治領だった南洋諸島。これらは日本の植民地でありました。
だが、少し歴史をさかのぼってみれば、琉球(沖縄)は清朝からぶんどったものだし、蝦夷(北海道)には先住民がいたところに植民した場所です。細かい例を挙げれば小笠原なんかもそうかもしれません。これらについては不問なのであります。
アメリカも独立当時は東海岸の13州しかなかったわけで、西へ広がる過程では(金銭によってナポレオンから買ったものもありましたが)メキシコやスペインとの戦争の結果、領土拡張を進めてきて、西海岸にたどりついてもとどまらず、独立国家だったハワイを併合、フィリピンをスペインからぶんどっています。
植民地は本国を潤すためのシステムですから、支配された方は搾取され続けてたまったものではなかったでしょう。だがまあ、そういう時代であったのだとしか言いようがありません。途中で独立されたり、他国にぶんどられたりせずに、本土化が進んでしまえば、植民地支配も正当化されてしまうという例は枚挙にいとまがありません。ヨーロッパの国であるロシアが、太平洋にたどり着くまで領土拡張を続けたこと。すっかり中国領土となったチベット。アメリカのプエルトリコ。などなど。
8月15日に終わったという戦争は、ふたつの起点を持っていると僕は思います。ひとつは1931年9月18日の満州事変。これを起点に日本は満州という傀儡国家の建設を行うようになります。それから、1937年7月7日の盧溝橋事件。これをきっかけに朝鮮にいた日本軍が国境を越えていきます。
いずれの事件も日本側の軍による自作自演であったとする意見が強いです。ポツダム宣言で連合軍が日本を降伏させるにあたって、日本政府に降伏を迫ったのではなく、日本軍に降伏を迫りました。これは、「一連の戦争は軍の独走によるもので、日本国民や主権者(天皇)の意図したところではなかった」という着地点を目指したものだったのでしょう。事実戦後のGHQの「軍の独走が悪かった」という教育とも相まって、国民は戦争なんかしたがっていなかったのに、軍には逆らえなかったという雰囲気を作りだしました。
しかしこれは、単に(後に西側と呼ばれる諸国が)極東における橋頭堡として自陣営に安定した国が欲しかったという理由にすぎないのでしょう。朝鮮はカイロ宣言の言葉にあるようにまさに enslavement であって国としての体裁をなしておらず、台湾は地政学的にあまりに中国本土に近すぎました。ここで、日本の主権者の戦争責任を問い、戦後体制を不安定にしてしまうのは、西側の(特にアメリカの)望みではなかったのでしょう。
だが「先の戦争は軍部の独走」という幻想は、その後も日本国民に染みついて離れていないような気がしてなりません。
しかし軍部の後押しをしたのは経済問題であったはずです。
黄禍論・世界恐慌・関東大震災・ブロック経済。当時の日本経済の苦境を語るキーワードです。生活の苦しさが強権を後押ししたという点では、ドイツのナチズムと似ているかもしれません。でも、ドイツでは「なぜナチズムを止められなかったか」という反省が戦後一貫して行われています。それに対して、日本では「なぜ軍部の独走を止められなかったか」という反省が行われることもなく、ただ漫然と平和憲法とアメリカの軍事力の傘の下で、経済発展を享受してきました。
中国が石油の輸入国になるという予想はきちんと当たりました。そりゃ自動車は石炭では走らないから当たり前でしょう。あの国の指導者は、膨大な数の国民を食わせ、豊かにする仕事にひたすら追われています。石油の消費量は今後も伸びていくでしょう。
尖閣列島のある大陸棚には石油資源があると言われています。また中国が「日本の領土ではない」と主張して都知事を怒らせている沖ノ鳥島近海にも石油資源がある可能性があります。
領土なんて要らないと言っている人も、いざ資源競争に負けて不景気になり、職を失って食う飯にも困れば、「集団的自衛権の行使」などと叫び出すのではないかと思うのであります。
フォークランド紛争やイラク戦争のように「国のメンツ」などというくだらないものが戦争の種になることもありますが、ほとんどの戦争は経済的な背景を持っているものでありましょう。
結局何が言いたいのかまとまらないままに、二日間日本の近代戦争史を読んですごしてしまいました。
2005年08月13日(土) 帰省 毎年お盆の帰省は、こちらでのAAミーティングもしくは病院メッセージの日にあわせているのが通例でした。でも今年はどうしても水・木の日の巡りがお盆とあわず、週末の帰省となりました。
実家への途中でホームセンターに寄り、パソコン裏の配線をしまうためのカッティングダクトを探しました。広い広い店舗を探し回ったあげく、店員さんにも聞いてみたのですが、「何ですかそりゃ」という返事でした。やっぱり民生用としては売られていないのでしょうか。
アスクルという事務用品の通信販売会社は、最初は会社相手だけの商売でしたが、そのうちに個人相手の小売りも始めて繁盛しているようです。ミスミあたりが個人相手に商売を始めてくれると助かるのですが・・・(ミスミは工業部品の通信販売会社)。
実家に家族を残して、前回日記に書いた薬物依存の人の入院先を訪問しました。しかし、看護婦さんに「外泊中」だと教えられました。無駄足でしたが、外泊できるぐらいコンディションが良いというのは悪くないニュースです。
パソコンに向かってばかりいる妻を残して、母と僕の娘二人と全員4人で花火大会を見に行きました。小規模でちょっとさびしい花火大会でしたが、不況のあおりで中止が続いたりしてたので、復活はうれしい限りです。
実家に帰るときはPHSを通信手段にするのですが、ちょっと電波状態が悪いのが難点でした。PHS会社のカスタマーサービスに実家の住所を知らせて「この場所でもっときちんと使えるようにしてほしい」とだめもとで伝えてみました。それはもう何ヶ月も前の話であります。
今回は、PHSの機種が変わっているということもあるのですが、とぎれずに安定して通信できています。なんだかうれしいです。
これから眠れなければ、パソコンのDVDで『十二人の怒れる男』をみるつもりです(12人のイカれた男ではないよ)。
ハッピー・ボン。
2005年08月12日(金) テレビの設定 2階にテレビを移したので、子供たちに「テレビを見たければ2階へ行っていいよ」と申し渡しておいたのですが、せっかく3階でゆっくり寝ていたのに「テレビを見たいから」という理由で起こされてしまいました。
「2階で見ればいいではないか」というと、「ジジがだめだって」と言うのであります。どうやら夕方遅くまで見ていた時に、電気代がもったいないからとかいう理由で叱られたらしいのですが、子供に細かい区別のつくわけもなく「2階のテレビは見ちゃだめ」と怒られたという認識しかないので、3階のテレビを見たがります。
「昼間はいいんだよ」と諭しても、パパの言うことよりもジジの言うことのほうを聞くようであります。
妻に愚痴をこぼすと、「せっかく別々に暮らしているのに、口を挟まれるから嫌なのよ」という弁でした。その後ジジババのところに話しに行っていたけれど、談判しに行ったのかどうかは聞きませんでした。
パソコンへのテレビの配線をすませました。
ついでにSONYの「テレビ王国」というテレビ番組表のサービスに登録しました。対応機器ならば、テレビ王国に登録したキーワードに一致した番組が自動録画されるように設定できるのですが、とりあえず番組表が見られて、キーワード検索ができるだけでもよしとしましょう。
キーワードとかジャンルとか人物の名前を登録しておくと、おすすめの番組をピックアップしてくれる「レコメンド」という機能があります。
人名のキーワード設定:
YOU・緒川たまき・遊佐未森・小倉優子・田中裕子・広瀬香美・中島みゆき・チャカ・井上陽水。
フリーワード:
依存症・AA・怒れる男・マイネームイズ・失われた週末・市民ケーン
という設定にしておいたのですが、なぜか「失われた週末」の「週末」をキーワードに、「めざましテレビ」とかをリコメンドしてきたりするので、もうすこしなんとかならないかと思うのであります。
また朝になっちゃったよ。
2005年08月11日(木) わがままなお願い AAにビッグ・ブックというベーシック・テキストがあるように、NAにもベーシック・テキストがあって、これが「またすごくいい」という話を二人の人から聞いていました。なので、いつかそれを読んでみたいという、どちらかと言えば興味本位の関心を抱いていました。
前に僕のいたAAグループで回復を勝ち取った薬物依存の若者(?)が、ぶり返してしまい病院に入院したというニュースを同時に二ヶ所から知りました。僕のことを覚えてくれていたようで、また一緒にやりたいと伝言が伝わってきました。
前回一緒にやっていた時には、躊躇なく「若者」と呼べた年齢ですが、年月は誰にでも等しく訪れるもので、僕がおじさんになったように、彼も若者の範疇からは外れつつあると思います(まだ再会していないからわかりませんが)。アルコールと違って、薬物の人の命は短いです。今回がダメでもなんて悠長なことは言っていられません。だいたい今回入院にこぎ着けるまでも長い時間がかかっているのです。
僕は最近、ビッグ・ブックを回復の道具として使うムーブメントの一部に混じっています。ならば、彼と再会したらNAのベーシック・テキストでもって分かち合いをしたらどうだろうか。そんなことを考えました。
しかしNAにはまだサービスオフィスがないし、当地での次のNAミーティングの際に、僕は実家へと帰っているはずです。いったいどこからベーシック・テキストを手に入れたらいいのか? しばらく思案した後、県内にあるDARCに電話をかけました。
電話をかけること3回。回復の道具としてベーシック・テキストが欲しい、という要求は相手に伝わりました。しかし残念なことに、日本版はまだ完成してはいないそうなのであります。もうすぐ完成しそうなのだが、まだである、ということで在庫がないという話でした。つまり端境期というわけですね。
DARCのスタッフは親切にも東京にまで電話をしてくれて、2002年版のベーシックテキストの中古を探してくれると約束して頂きました。
実にぶしつけなお願いをきいて頂いて、恐縮千万であります。「できれば2冊お願いします」と言う自分もなかなか厚顔です。
でも、電話の向うから感じられたのは、いま苦しんでいる薬物中毒者のために、できることをしようという意欲でした。
パソコンと電話のシステムを3階の部屋から2階に移しました。とりあえず配線なんかも全部すみましたが、裏側のごちゃごちゃの配線はどうにもなりません。いっそのこと工場の機械みたいにカッティング・ダクトを設置して、全部配線を押し込めてしまいましょうか。カッティング・ダクトはホーム・センターで売っているかなぁ。
2005年08月10日(水) 知らせ 市営プールに行くという子供との約束だったので、午後1時には子供にたたき起こされました。最近体重減が続いているので、なんとか去年まではいていた海水パンツがはけました。
市営プールは大人800円、子供400円と決して安くはありません。でも、障害者手帳のおかげで僕の分は無料であります。
長女が僕の手帳をみて「しょうがいしゃてちょうって何?」と聞いてきました。なぜそれで無料になるのか不思議に思ったのでしょう。「病気だよっていう手帳で、病気だといろいろ大変だから割引してくれたりするの」と答えておきました。
子供は親が病気であることは知っているし、だから寝ていることが多いことも知っています。いまさらそこで取り繕ってみてもしかたないなと思いました。
ちなみに、妻も障害年金の手続きを進めていて、ついでに障害者手帳の申請もするつもりのようです。夫婦そろって精神障害者というわけです。ご近所には知られてはならない事柄でありますな。
市営プールは親子連れが圧倒的で、浜辺ほど見ていて楽しいものではありません。
おまけに、以前は眼鏡もゴムひもで固定すれば、眼鏡をかけたままプールに入っても良かったのですが、今は一律に禁止されてしまいました。僕は裸眼では視力は0.1以下であります。ビキニのおねーちゃんを見て目の保養をするためには、よほど近寄らないといけません。もっともビキニの人は少なくて、タンキニ+デニムのボトムという人が一番多いです。
「ビキニ少ないな〜」と嘆いていたら、妻に「あれはよっぽど自信がないと着れないわよ」と諭されてしまいました。
日頃肩こりに悩まされているので、ビート板を胸の下に入れて、足を使わず腕だけで泳ぎながら流れるプールを何周かしました。
夕方になったので、精神科のクリニックへ。時間がなかったので、家族連れで行きました。受付の人に「これから花火大会に行くんですか」と聞かれました。そういえば今日はこの街で、一番大きな花火大会の日です。「いや、AAミーティングへ行くんです」というと、「そうね命の問題だからね。そっちのほうが大事だよね」と言われました。
昼間眠いので、薬を少し変えてもらいましたが、しばらくは前の薬の効果が残り、新しい薬の効果も重なるので、かえって昼間眠くなるかも知れません。「でもまあ、休みだからいいでしょう」とは医者の言葉。
高速道路を使ってAAミーティングへ。
頭がぼうっとしていて話がまとまりません。だらだらと話してしまいました。
こんなことを書くと「回復評論家」なんて言われちゃうのかも知れませんが、ミーティングで回復するのは「過去」の話をする人たちだと思います。飲んでいた頃どうであったか、なぜ飲むように駆り立てられたのか。そういう人たちが現在を話す時は、中身がステップの話になっていることが多いように思います。
一方「現在」にこだわった話をする人がいます。最近あった事柄を網羅的にいろいろ話すのですが、過去の酷かった頃の話を繰り返すことが少ないものです。こういう人はなかなか前進しないように思います。
霊的な生活は理論ではないと言います。だから僕も祈ったり黙想したりしないといけないな、と思いながらただ毎日が過ぎていきます。
帰ってから妻と2時間ぐらいまとめて話をしました。
2005年08月09日(火) やっと夏休み 明日から1週間の夏休みに入ります。
やれやれ、体力的にも、頭の中身も限界を迎えていただけに、ありがたい限りです。
先日、ネット・オークションで些細なことに文句をつけたおかげで、相手とトラブルになりかかったという話を書きました。先方から僕の謝罪を受け入れる主旨のメールが届きました。でも、なんか変であります。もうとっくに取引は終了しているのに、金額の記載などがあります。
調べてみると差し出し日は8月1日になっています。実に僕のところへ届くまでに8日間かかったわけです。差し出し日付はパソコンの日付を変更すればいくらでも変えることができるわけですが、どうみてもそれが必要な内容ではありません。やっぱり、メールサーバー間のやりとりに8日を要したということでしょうか。
今年になって、差し出したメールが相手に届かなかったのは1件だけです。それぐらいメールの不達や、遅延ということは珍しくなってきました。メールというのは絶対届くものだと信じている人も珍しくありません。でも、ネットワークは生き物(みたいなもの)ですから、メールが届かなくてもちっとも不思議ではありません。
それにしても、(人から聞いてはいたけれど)最近のDI○Nのメールサーバーは調子が悪いです。メールだけに毎月500円。年間6,000円も払っているんだから、きちんと運用してもらわないと困るのであります。
ZIPドライブは換えの部品を無事購入することができました。念のために予備にもう一台買っておきました。
リンク先ネタ、更新ネタ、いろいろあるのですが、気分はすっかり引っ越しに引っ張られていて、「心の家路」の更新はなかなかままなりません。言い訳ばっかりだな最近。
2005年08月08日(月) 立ち番 関西のAAのメーリングリストを眺めていたら、あるAA会場が来週急遽中止になり、仲間が立ち番をするという連絡が回っていました。
僕も2回か3回立ち番?をやったことがあります。会場である公民館が文化祭やら市の催し物やらで使えなくなり、それを会場係だった自分が皆に伝え忘れたのでした。電話番号も知らない仲間も多かった(これは今でもそうか)ので、立ち番をするしかなかったのでした。
公民館の受付の前のベンチで座っていると、何も知らない仲間がやってきます。
「いや実は、これこれこういうわけで」と説明すると、「それはわざわざご苦労様」と感謝されたりするから不思議なものであります。怒られて当然なのですが。
「ああそうですか」と言ってすぐ去る仲間あり、「せっかく来たんだから」と立ち話をしていく仲間あり。珍しくスポンサーがこっちの会場に顔を見せたり。ミーティング開始30分後ぐらいの時間になると、さすがにもうこれ以上遅れてくるヤツもいないだろうからと、居合わせた皆で食事に行ったりしました。そんな機会から急速に親しくなった仲間もいたりして。
休日の法律が変わって、月曜日の休みが増えました。祝日は公民館全体が休みになるので、自動的に休会になるのでした。これは前の週とかまでにアナウンスもするのですが、たまにしか来ない仲間は「休みの日だから時間があって」来てしまったりするのであります。そして、翌週現れて、「先週来たけれど真っ暗で鍵も閉まっていて」という苦情を述べ立てたりするのですが、レギュラーメンバーというのは意外とこういうのに冷たかったりします。
最近では「関東甲信越かわらばん」も紙面の都合で、定例の休日休会は掲載すらしてくれなくなりました。
さて、普段は昼近くまで寝ている自分も、今日は遠くの病院で健康診断と言うことで、実質睡眠2時間半ででかけました。
8時には受付をすませて、病衣に着替えました。血圧測定と身長体重は自動機械が計ってくれました。採血はさすがに看護婦さんがしてくれます。聴力検査は、目の前でスイッチを押しているのが見えているので、あんまり意味がないような・・・。視力検査。そしてなぜか、オプションの眼底撮影が行われました。まあ人間40才を過ぎると10人に一人は緑内障ですから、予防という点ではいいのでしょうが、僕はすでに緑内障を患って年に2回は精密検査を受けています。
胃の検査の問診票の既往症にマロリー・ワイス症候群と書いておいたのですが、理由も聞かれませんでした。胸部レントゲンの後に、生まれて初めてのバリウム検査です。いままで胃カメラは何度か飲んだことがありますが、バリウムは初めてです。
肩に何かの注射を打たれ、まず胃を膨らます薬を飲みました。「げっぷはこらえてくださいねー。したら最初からやりなおしです」というので必死にこらえます。バリウムは粉っぽいヨーグルトのような液体でした。これを少しずつ飲みながら、検査台の上で縦になったり、横になったり、右回りにぐるぐる回ってみたり、機械のアームに腹部を押さえつけられてみたり・・・。もう胃カメラを飲んだのも遠い記憶だけれど、バリウム検査のほうが負担が少ないというのは嘘ではないかと思い、胃カメラを選択しなかった自分を呪いました。
その後は、心電図を取って、医師の診断を受けてお終いでした。
下剤としてピンクの小粒を2錠もらい、紙には「夜飲んでください」と書かれていたのですが、「バリウムが初めてという人は今すぐ飲んでもらった方が安全です」と言われたので、その場で飲みました。8時間後に効き始めるはずの下剤は、すぐに効果を現して、その病院を出る前に2回、会社で午後2回、帰り道に途中の電器店で1回トイレに行く羽目になりました。
結果ですが、肝臓のGOTとGPTが標準よりちょっと高めである以外は所見なしでした。肝臓の数値は飲んでいる薬が多いからある程度はやむを得ないという説明でした。看護婦さんの話では、この前大学の先生と断酒会の人たちが来て講演していったそうであります。
問診をしてくれた医師の話では、「ここでは依存症の診断はしないからねぇ」でありました。
病院の中で人間ドックと産婦人科はどこか似ています。どちらも本当の病人は少なくて、一時的にそこにいる人たちだらけなので、病気である悲壮感がありません。
近く始まる女性クローズド会場の地図を掲載する準備をしなくては・・・と思いながらも、一日一日がただ過ぎていってしまっている毎日です。
2005年08月07日(日) 健康診断 パソコンの引っ越しをすませる前に、まずテレビの引っ越しをすることにしました。我が家はCATVで引き込んだ線を、まず居間のテレビにつなぎ、そこから3C2Vのケーブルで隣の部屋のテレビに分配し、さらにパソコン部屋のチューナーボードへと分配しています。
だからまず2台目のテレビの設置をすませないと、同軸ケーブルの引き回しができません。「パソコンに届く頃には信号レベルが落ちちゃって」という相談を、学生時代の仲間内の掲示板に書いたら、5Cに変えるべきだというサジェスチョンをもらったので、5CFVという太さ10mmぐらいの線をベランダに引き回しました。
2階に置いたテレビへ仮配線してみると、(距離が伸びたのに)きれいに映るようになったので、やっぱりケーブル交換の効果はあったようです。しかし、なぜかNHKの衛星第一だけはきれいに映りません。「信号ブースターも見直すべきだ」というサジェスチョンもあったので、ブースターを介さずに配線してみると、衛星第一もきれいにうつります。どうやらブースターも10年使って寿命を迎えているようです。
大型電気店で、CATV会社推奨の低ゲインのブースターと、汎用の高ゲインのブースターと、どちらにしようか悩んだあげく、安さで汎用品を選んで帰りました。それがどうやら失敗だったようで、衛星第一は「とりあえず映る」ものの、録画用にはちょっとなーという画質止まりであります(直配線よりドロップしてるし)。もう一度ブースターを買い出しに行く気力もなかったので、今日のところは妥協することに決めました。DVDとLDとビデオデッキを配線し、新しいパソコン部屋へ屋外配線を済ませると、もう夕方でした。
子供たちはビデオで、自分たちの赤ん坊の頃のビデオを喜んでみています。いつまでも8ミリビデオじゃメディアが持たないだろから、パソコンで編集してDVDに焼いておこうと思いながら、その作業はいっこうに進んでいません。
今年のSF大会は横浜だったようで、妻子連れで再会した旧友たちも多かったようです。自分がその輪の中にいられないのは残念なことですが、アルコールに振り回される人生の中で、家庭生活とSF者であることの両立はとてもできなかったので、しかたのないことだと諦め・・・られるようになったのは最近のこと。
まあ、妻が「うちには電気屋さんを呼ばなくてすむから助かるわ」と言ってもらえるだけでもよしとしましょう。子供たちが「カードキャプターさくら」と「ツバサ・クロニクル」が好きなだけでもいいじゃないか。
夜は電話関係の設定を済ませようと思っていたのですが、昼間の疲れで夕方から寝てしまいました。月曜日は朝から健康診断で、前の日の夜9時以降は絶食です。12時以降は水もダメであります。
毎日夜食を食べて寝る習慣の人間に、絶食して寝ろというのは厳しい条件設定です。電話でAA仲間と話しているうちに1時になってしまったのですが、気にせずに水分をたっぷりとって、薬も飲みました。それから問診票の記入をしていたら2時になってしまいました。
健康診断の結果を会社に通知してもいいよ、という同意書にはんこをついているので、問診票に書いたことも会社に知られてしまうのでしょうが、もううつ病で半年も休んだことだし、これ以上隠すこともないだろうと、既往症にアルコール依存症・緑内障・筋緊張性頭痛と書いておきました。
空腹と口の渇きが気になってなかなか眠れませんでしたが、明け方4時頃には浅い眠りの中に落ちていきました。
2005年08月06日(土) 加藤諦三 通勤では車の中でラジオを聞くことにしています。行きの通勤(昼時)ではFM長野を聞いています。この時間帯、以前は地元局制作の番組を流していたのですが、現在はJFNのCOCO mixに替わっています。ちなみに僕は「しのじゅん」と井坂綾の区別がつきません。
帰りの時間帯は、NHKラジオ第一の「ラジオ夕刊」を聞いています。新聞を取っていなくて、ニュースサイトも読んでいない自分としては、時事を知る唯一の窓であります。
「夕刊」というだけあって、ニュースだけでなく、論説委員が出てきて解説をしたり、コラムがあったりと、1時間近く聞いていても飽きない内容になっています。
先日そのコラムのコーナーに、早稲田大の教授で、本もたくさん書いていて(数百冊だそうだ)、ラジオの人生相談の回答者もやっているという、加藤諦三という人が出ていました。僕はこの人のちょっとしたファンなのですが、なにせ著書が多いので買い集めることはしていません。
最近出した本に『無名戦士の祈り』に関する本があって・・・という切り口で話は始まるのですが、その祈りは「心の家路」にも収録している I ASKED GOD とほぼ同じものであります。南北戦争で負けた南軍の無名の兵士が残した祈りであるという紹介から始まって、いや実はこれはネイティブアメリカンの○○族に伝わるものに似ている、とかいう話の展開を見せます。
で、まあこの人は心理学者で日本人の心理というのをず〜っと研究している人ですから、話は「日本人の若者は」という話が本題であります。平成バブル景気以降、日本人の若者は拝金主義に陥っているということを指摘するのであります。たとえば昨日一千万円で買った株が、今日は二千万円になる。これが我が身に起れば「素晴らしいことだ」という風潮に支配されているというのであります。そういわれてみればそうかもしれません。堀江社長なんかが時代の寵児になれるのも、拝金主義者たちの支持があってこそなのかもしれません。
では、アメリカはもっとドラスティックな競争社会なのではないか、という指摘に対して、教授はアメリカは確かにそういう面があるが、そうでない価値観も尊重するという民主主義が浸透していると答え、その一例として、無名戦士の祈りがあちこちに掲示されていることを論拠としてあげます。
たとえば、アメリカは日本に比べて離婚率がとても高い。では家庭は殺伐としているかというと、必ずしもそうとは限らない。日本は離婚率は低いが、「家庭に対して満足しているか」というアンケートに対し「満足している」と答えた人の割合は主要13カ国の中で最低であった。確かにアメリカは離婚は多いかも知れないが、家庭に対して満足している人の割合は日本よりずっと多いのである。
エリートサラリーマンがうつ病になるのが珍しくなくなってきた。霞ヶ関の官僚が自殺するのも珍しくなくなってきた。これらは子供の頃からこつこつとまじめに努力してきた人たちである。また、児童虐待をする親も(全部ではないが半分ほどは)子供の頃から勤勉であった人たちである。まじめに努力してきたのに幸せになれない。これは目指すものが間違っているのではないか。
金銭とか社会的成功を目標に置くから幸せになれない。もっと他の価値観を見いだすヒントとして「無名戦士の祈り」を提示して、コラムは終了するのでありました。
僕は金がないのであります。だから働かなければならないのであります。労働するのは金銭のためなのです。もし報酬が支払われなければ僕は仕事に行きません。では金銭のために働いているのかと言えば、答えはノーであります。得た金銭で家族が生活ができる。それがありがたいのであります。ほかにもいろいろあります。
お金は欲しいですから、宝くじも買います。でも何億円かが当たっても、お金持ちになったと周囲からうらやましがられたいとは思いません。金銭のために働く必要がなくなれば、別のことのために時間を割くことができるようになるという夢があるだけです。
「家庭に対して満足しているか」というのは、なかなか厳しい質問であるのかも知れません(少なくとも僕に対してはそうです)。それに「はい」と答えられた人は、たぶん霊的な病も、それほど重病ではないのでしょうね。
一日かかって、ギガビット対応の屋外用LANケーブルをベランダに張り巡らせました。テレビのケーブルも3C2Vから5CFVに配線替えです。毎年AAの地区委員会と重なって行けなかった、地元の街の大きなお祭りに家族一緒に出かけました(今月は委員会は休み)。
でも、体も心も疲れていたので、途中で家族と別れて帰ってきてしまいました。韓国食材の店の前で出来たてのチヂミを夕食代わりに買い、タイ式マッサージの店の前でタイ式の焼き鳥を4本買いました。こんな小さな街にも、異国の文化は着実に浸透してきています。
でもやっぱ金は欲しいよ。
2005年08月05日(金) ふぁびこん (favicon.ico) 今月は何ヶ月ぶりかに、アクセス統計のデータが自動でまともに生成されました。
毎日動くプログラムならともかく、一ヶ月に一回しか働かないプログラムのデバッグは大変であります。日記をieji.org内に収録するソフトも書きたいのですが、月末の処理だとか、年末の処理だとかの動作確認が面倒なことになるので、先延ばしにしています。First & Fast のウェブマスターも20世紀からずっと、日記の更新プログラムの改造を続けていらっしゃいます。
ちなみに、このサイトには 自分で勝手にリンクを追加できる機能 があり、技術系の人しか集まらないサイトになんだとは思いましたが、「心の家路」も勝手にリンクさせていただきました。ただ、ジャンル分けが普通の検索エンジンなどとは大きく違っていて、「健康」だとか「生活」だとかというジャンルがありません。しかたなく「ノーマル系・人間」というカテゴリに入れたのですが、はたしてアル中が「ノーマル系人間」にカテゴライズできるのかは疑問であります。
さて、ページごとのアクセス数 の上位に常にランキングされているのが、favicon.ico ファイルであります。もともとはInternet Explorerの独自機能として実装されたものですが、いまやOperaも、Netscapeも、Firefoxもfavicon.icoをほしがります。
詳しくは、favicon.ico の使い方 あたりを参考にして頂くとして、簡単に言うと、「お気に入り」に登録した時に、その名前の前に表示されるアイコンであります。
ふと気が向いてアイコンファイルを作ってみることにしたのでした。といっても、いつも左上に表示されている葉っぱのGIFファイルを16x16と32x32に縮小したバージョンを作っただけです。今時16色表示のパソコンもないでしょうから、256色だけにしました。
「心の家路」をブックマークして頂くと、そのタイトルの先頭に葉っぱのマークが表示されると思います。うざいとかダサいとかいう意見はメールでください。
最近空いている時間の大部分を、とあるプログラムの開発に費やしています。趣味でプログラムを組む(除くスクリプト類)のは15年ぶりぐらいじゃないかと思います。酒のせいで、いろいろとダメになっていたものも、少しずつ取り戻しつつあるのかもしれません。
2005年08月04日(木) BOX原稿 今頃皆さんの手元に渡っているBOX-916(日本AAの月刊誌・活字によるミーティング)には、僕のゴールデン・ウィークの台北行きの記事が載っています。
一応戻ってきてから、台北でのミーティングの様子をJSOにメールで伝えてはおいたのです。国際局担当の方からメールで「なんで日本ではアラノンとAAの合同ミーティングが・・・」という定番のぼやきを含んだメールをいただきました。所長からBOX-916編集長に「原稿の依頼をしたらどうか」というメールのCCをいただきました。
実際にメールで原稿の依頼が来たのが5月後半で、時間がないので締め切りを延ばしてもらって6月10日に入校の予定でした。ただ、僕はそのころ副業に夢中で、原稿のことなどすっかり忘れていて、締め切り間際になってあわてて書き起こすことになってしまいました。
「文章は、最低限一晩寝かせた方が良い」
という経験則があるのですが、最近は「心の家路」の更新も、書いたはじからFTPするという具合で「寝かせる」どころじゃありません(日々雑記はもちろん見直ししてません)。BOXの原稿も、いけないとは思いつつ、そのままメール送信してしまいました。
BOX-916に僕の書いた文章が載るのは、おそらく5回目です。ビッグ・ブックの個人の物語の翻訳が一編、THE LANGUAGE OF THE HEARTS(心の言葉)からの翻訳が一編、「読者の声」の原稿が足りないからと言われてでっち上げたのが一編、「ビルはこう思う」私はこう思うの原稿を頼まれて一編、そして今回の「世界のAA」で頼まれて一編。
「活字によるミーティング」でありながら、自分の体験をつづった文章は一度も投稿したことがありません。いまさら書けと言われても・・・うーん。
ホームグループの人数がとても少なかった頃。どんなに深く話をしても、分かち合いの範囲は限られた人数の限られた経験でしかありませんでした。そこでBOX-916を買って、みんなでひとつの記事を読んでミーティングをしてみることにしました。BOX-916はグループ・メンバーにとって、日本のAAという外の世界を眺める窓になりました。自分たちが大きな共同体の一部であるという意識も芽生えたような気がします。
ビッグ・ブックの読み合わせとあわせると、しょっちゅう本ばかり読んでいるグループになっちゃいましたが、分かち合いは増えてきたと思います。
自分は書かないでおいて、人に勧めるのは悪いことですが、BOX-916はいつでも原稿を募集中です。メールでも原稿を届けられるし、携帯電話で何通かにわけて投稿された記事もありました。
「ミーティングで話す時間が足りないよう」と思っていたりするんだったら、ぜひBOXへ原稿を書いて送っていただきたいです。そこは活字によるミーティング。決して特別なAAではありません。いつも通りのスタンスでかまわないのですから。
2005年08月03日(水) ZIP ZIPドライブが壊れました。
ふつうのパソコンユーザーにとっては、ZIPディスクなんて、見たことも聞いたこともないものでありましょう。
どのパソコンにも(たいてい)ついているフロッピーディスクの容量は1.44MBです。大容量・高速化があたりまえのコンピューターの世界で、フロッピーの速度も容量も15年以上変わっていません。
ちなみに、フロッピーというのは愛称で、規格名はフレキシブルディスクと言いますが、そう言っても誰にも通じないでしょう。フロッピーを発明したIBMでは、相変わらず固有名称の「ディスケット」という名前を使っています。
しかし、1.44MBではあまりに容量不足で不便です。そこで「次世代フロッピーディスク」という規格がいくつか出されました。一つはLS-120(スーパーディスク)というもので、容量120MB、大きさはフロッピーと一緒というやつです。
もうひとつは、アイオメガというところが出したZIPディスクというもので、容量が100MB。大きさはフロッピーよりはちょっと厚め、大きめです。
僕はLS-120もZIPも使っているので、どちらの方が優れているというものでないことは知っています。そして、LS-120もZIPも「次世代」でありながら、なぜかフロッピーに取って代わることはなく、そんなものを使っているのは変わり者だけという世の中になってしまいました。
実は僕は21世紀になってから(つまり「次世代フロッピーディスク争い」が勝者なく終わってとっくにたってから)、ZIPにはまった人間であります。
100MBというのは、仕事のデータを入れて持ち運ぶのにちょうどいいぐらいの大きさです。自宅にも職場にもドライブを置いておけば、なかなかに便利なのであります。
しかし、内蔵型のZIPドライブというのは耐久性に乏しくて、2年ぐらい使うと壊れてしまいます。そのたびに、ネットオークションでマッキントッシュ用の中古ドライブを漁る羽目になっています。
最近では同じくZIPを使っていた同僚も、USBのフラッシュメモリーだとか、ポータブルタイプのHDDとかに鞍替えしてしまいました。それも悪くないと思いながら、やっぱりZIPには愛着があります。
自分はいったいいつまでZIPを使い続けることができるのだろうか? となんとなく思ったこのごろです。
(パソコンネタはわかんねーから書くなと言われますが、ネタがないので書いちゃいました。ごめん)
2005年08月01日(月) 怒り袋 ネット・オークションでこちらの操作ミスでちょっとした損をしてしまい、その件で何の落ち度もない取引相手にそれとなく苦情をほのめかしたら、すっかり機嫌を損ねられてしまいました。画面の向こう側にいるのも人間であることをすっかり忘れてしまうのであります。
パソコン通信の時代やfj.*やjapan.*での経験も合わせれば20年以上もコンピューターでコミュニケーションをし、文字だけしか見えなくても、それは機械が自動生成しているのではなくて、人間が書いているのだ。僕の文章を読むのも人間なのだ。とわかっていても、ちっとも痛い目にあった教訓を生かすことができない、成長できない自分がいます。
熱い議論の中で培った信頼関係があるのも確かですが、今回の件はまったくこちらが悪いのであります。
自分の心の中には、怒りが詰まった「怒り袋」とか、恨みが詰まった「恨み袋」があり、ときおりそれがはち切れそうなぐらいにパンパンにふくれあがる時があります。それが今夜であります。
理由は夕食のおかずであったりします。引っ越しで忙しい妻を気遣って、義母が夕食のおかずに天ぷらを揚げてきてくれました。だが僕はこの天ぷらがあまり好きではないのであります。まず、油の温度が低いのでびしょびしょで食べていておいしくない。具材もナスとタマネギなどで、あまり天ぷららしくないのであります。
気遣ってくれる気持ちはありがたいのではありますが、僕の機嫌が悪くなることを承知していながらそれを断らない妻の態度が腹に据えかねるのであります。
子供たちも積極的に箸を付けたがらないので、それは翌日の朝も、晩も、また食卓の中央を占領し続けるのであります。それがあるので、妻も新しい料理を作らない。そういう未来がずらっと見えてしまうのであります。
あげくに、誰も食べないのはもったいないと言って、妻が仕方なく食べて、そして結果として太っている。妻が自分の好きなものを食べて太っているなら、それはそれで腹立たしいかもしれませんが、今夜のようなもどかしさを感じなくてすむような気がする。
僕だって、実母を訪問するたびに、いろいろと「くれてやる」といって差し出される野菜の大半は、実は我が家でも余っているぐらいの季節のものであるので、母の機嫌を損ねるか、妻の機嫌を損ねるか、天秤にかけたあげくに断っているのであります。
そんなこともあって、天ぷらに文句をつけていたら、妻がいきなりそれを全部流しの三角コーナーに捨ててしまいました。それで「天ぷらはもうもらわなければいいんでしょ」と宣言しました。
事態は僕の思い通りになったわけだが、もちろん「怒り袋」ははち切れんばかりなのであります。
もくじ|過去へ|未来へ