ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年06月30日(木) 生活リズム どうもよくない生活のリズムが形成されてしまいました。
とりあえず午前中に起きて活動は開始するのであります。洗顔、コーヒー、メールチェック。そのうちお昼になるので食事、服薬、歯磨き、ひげそり。午後の時間はゆるりと過ぎていきます。
ところが、夕方になると眠くなってしまいます。どうしようもない眠気に襲われてついつい寝てしまい、夜中になって起き出して諸事を片づけるのであります。
このように毎日2回寝て、2回起きるという生活がもう10日ちかく続いています。おかげで月曜日はミーティングを休んでしまいましたし、水曜日はホームグループのミーティングまではなんとかBOX-916を持ってたどり着いたものの、ずっと机に突っ伏して寝ていて、皆に不審に思われたりもしました。
医者に相談したところ、「仕事に行くようになれば、起きていざるを得ないわけだから、なんとかなるでしょう。逆に言えば、それだけ体に無理をするわけで、復職が勧められる状態ではないのですけどね」という話でありました。
母に相談したところ、「別にお前が仕事に戻っても仕事なんてないだろう。寝ていたってかまわないじゃないか。それに帰りに眠ければ車の中で寝てくればいい」という、いつもながらの突き放した回答でありました。
今夜も午後8時までがんばったのですが、座布団の上で寝てしまい。起きると午前1時。それから風呂に入ってこれを書いています。
せっかく減ってきた体重ですが、最近下げ止まりです。睡眠薬を飲んで効いてくると食欲がでてしまい、寝る前にポテトチップ一袋とか、トースト2枚とか食べてしまうのが原因です(夜食とは別にだよ)。これも医者に相談したところ、ロラメットの副作用ではないかということで、現在2錠飲んでいるのを1錠に減らすことにしました。
夕方は睡眠薬など無くても眠れるので、そろそろロラメットもやめてしまいたいところなのですが、完全にやめてしまうのは復職という壁を乗り越えてからになるでしょう。
障害者年金用の診断書がようやく出来てきました。ところが、自分でかく申立書の記入がぜんぜんなってなくて、これでは申請は通らないだろうとソーシャルワーカーさんに言われてしまいました。というわけで申立書は一から書き直しであります。
イチゴの季節には雨が少ないと嘆いていたのですが、最近は雨が多いです。いつの間にか梅雨になったのでしょう。
7月になり、カレンダーが「モンテカルロラリーのセレモニアル・ゴールの風景」に変わりました。みんなF1には興味があってもWRCには興味がないようであります。不祥事の後、ミツビシが撤退してしまって、日本からの参戦がスバルだけになったのはたしかに詰まらないことでありますが。
年齢もいつの間にか42才になりました。
掲示板のほうは盛り上がっているようでうれしいです。管理人の投稿が主を占めるなんていう状況は僕の理想とするところではないのでうれしいです。
ああ体がだるい。
2005年06月28日(火) ネズミーズ 最近ハムスターの元気がありません。
まあたぶん暑すぎるのでしょう。
いままでだったら、夜はおがくずの中に穴を掘って、その中にうずくまっていたのですが、「ハムスターハウス」という商品名のプラスチックの箱(最初はハムスターが愛用していたのですが、中にヒマワリの種の殻を貯めるので、掃除が面倒で長女が屋根を取ってしまって以来、屋根無し)の中で寝ています。たぶん風通しが良いのでしょう。
ロボロフスキー・ハムスターは暑さに弱いのかもしれません。いや、ロボは飼っている人が少ないので、店から買ってきた時点でかなりお年を召していた可能性はあります。
2代目モルモットの「モルモ」ちゃんのほうは、初代の「ハムちゃん」よりずっとおとなしくて、ケージの中から「出せ出せ」とアピールしたりしませんし、出してあげてもその場にうずくまったままで動こうとしません。臆病なのでしょうか。
人の手を噛むということもなく、手に乗せていても、じっとしています。
愛玩用に品種改良されたものなのかもしれませんね。
さっき水槽を見に行ったら、メダカは二匹のまま変化ありませんでした。片方は去年の5月だか6月に買ったものの生き残りです。長寿記録を立ててもらいたいものです。
長女がもらってきた「カブトムシの幼虫」は、いつのまにかカビが生えた物体に変わり果てていました。子供の頃も、よく天然のものを見つけてきたけれど、飼育に成功したことはありませんでした。
さて、今日は寝ずに、ミーティングに行かなければ。
2005年06月27日(月) 店じまいへ さて、5月から続けてきた「副業」でありますが、もう新規仕入れは(よほどのお値打ち品以外は)行わないことにしました。部屋の中に在庫がうずたかく積もってきたからです。帳簿上の資産を、ちゃんと現金という流動資産に変えるためには、仕入れの手間を削減するしかなくなってきたのであります。あと復職まで3週間で、どれだけ在庫の山を減らせるかであります。
復職後も(本当は副業禁止なんですが)、こつこつ続けていこうとは思っています。でも、正直言って「熱気が冷めちゃった」という気持ちもあります。最初の頃は、何もわからずに無手勝流で始めるわけです。失敗を積み重ね、調査研究をし、経験を積んでくると、いろんなことが見えてくるようになります。その代わり「新しいことの発見」というのも減ってきてしまいます。まあ学習高原に達したという言い方もできるかもしれません。
こうなるとなんとなく「つまんなくなっちゃう」のであります。
いろいろ小難しい言葉を重ねていますが、平たく言うと「飽きちゃった」のです。
僕は熱中しにくいですが、飽きる方は飽きっぽいです。
たとえば、土曜の夜明けにコンビニに競馬新聞を買いに行くほど凝った競馬の在宅投票ですら「口座の維持のためにたまに義務的にするため」というほどの飽きっぷりです。
それに最近いきなり暑くなってきました。暑いと僕の扱っている部品はいろいろと不都合がでます。冷却ファンで冷やしたりしているのですが、一番良いのは外気温が下がってくれること。涼しい明け方に作業をしていたりします。すると生活のリズムがすっかり崩れてしまうわけであります。
今日もミーティングの日だったのですが、夕方どうしても眠くて起きられず、いつも病院に迎えに行っている患者さんのことは電話をかけて断って、座布団の上で寝ていました。
「こんなことではダメだな」
とつくづく思ったのであります。
Today, my live have been unmanageable であったのであります。
細かな金銭へのこだわりを捨て、復職へ向けて生活のリズムをしっかりとしたものにしていかないと、まさに狂人の状態で推移してしまうわけであります。
ああ、あち。あち。
7月30日 AA長野地区オープンスピーカーズミーティングのお知らせ を追加しました。
2005年06月26日(日) 紛失 郵便貯金通帳をふたつもっています。「ぱ・る・る」という普通預金の通帳です。
以前はいくらでも作れたので、何冊も持っていたのですが、最近はなんだか知りませんが「ひとり2冊まで」と決められて、統合させられてしまいました。
「国際ボランティア募金つき」という利息の中から勝手に募金が天引きされるオプションが付いたのが一冊と、それなしのが一冊です。実は片方は、AAの地区委員会の会計用に使われています。
自分が会計役をやった時に、とりあえず委員会の金を現金で手元に置くのが嫌だったので、郵便局の通帳にしました。なぜ郵便局かというと、JSO宛にせよセントラル・オフィス宛にせよ、支払いは郵便振替になっている場合が多く、局へ行く方が、銀行の支店に行くより便利だからです。
口座名は「AA長野地区委員会」で作ることにしました。郵便局員は、申込書を見て「これは団体ですね」と言い、「何か約款のようなものはありませんか?」と聞かれました。僕はこまってしまったのですが、たまたま鞄の中に入っていたミーティング・ハンドブックの最後のページの「AAの12の伝統」を差し出しました。
「これ、コピーしてもいいですかね」と言うと局員は後ろに引っ込んで、コピーを取ると、委員会の名前で通帳を作ってくれました。ただ、住所と連絡人がないといけないので、それを僕の名前にしておきました。なので、一応は「僕の通帳」ということになっているのですが、通帳もはんこも僕のところにはありません。
ついでに振り込み口座も作っておきました。
いまでは、団体としてきちんとした約款がないと団体名での通帳は作れないようです。
もう一冊の通帳は、僕の手元にあって、主にネットオークションの決済用に使われています。以前にも書いたように、オークションの送料を口座に振り込んでもらって、実際の送料は財布から支払っていると、そのぶん貯金しているのと同じ効果がでてしまいます。
そこで、送料分の金額だけ、ときどき引き下ろしています。
実は通帳とカードを一緒に管理しています。郵便口座の場合には、通帳と暗証番号だけで引き下ろしもできるので、カードを持っている意味はありません。ただ局員に勧められるままに作っただけです。なので、通帳の袋のなかに一緒にカードも入っています。
先日局へ寄ったついでに、通帳で数千円を引き下ろし、家に帰って確かめると、袋の中にカードがありません。おそらくATMの前で落としてしまったのでしょう。
僕はとるものもとりあえず郵便局へとって返すと、ATMの周囲を探しましたがカードは落ちていませんでした。誰かに拾われてしまったのでしょうか。
しかたないので、局員に「カード落としちゃったんですけど」と言うと、局長が出てきて「亡失届けを出してくれ」と言いました。僕はカードを無くしたままだと気持ち悪いので、とりあえずカードを無効にするために届けを出すことにしました。
はんこを持参し忘れたのですが、代わりに運転免許証を見せればそれで良いといいます。
どうせカードは使わないから再発行はしてもらわないつもりでいました。
ところが「再発行料千円をください」と言うではないですか。カードはいらないというのですが、亡失の届けと再発行の届けは不可分のものだというのです。あげくに「届出書にはんこをついてもらわないと困る」と言い出すではありませんか。遅くとも明日の午前中までに、はんこを持参してもらいたいというのが彼の言い分でした。
おいおいおいおい。話がちげーじゃねぇか。はんこはいらないんじゃなかったのか。俺は家が近いからいいけんども、これが遠くから来ているヤツだったりしたら、どうなるんだ、かわいそうだと思わないのかぁ、あんあん。という言葉はとりあえず飲み込んで、いったん家に帰った僕でありました。
再度局へと向かう車の中で、まあ穏便に不満を述べ立ててやろうと、通り一遍の文句は考えたのですが、付いてみると局長は来客中でありました。かといって、一緒にATMの周りを探してくれたかわいい女子局員に言うべき事柄とも思えません。
しかたないのでその日はそのまま引き下がりました。
しかし、夕方電話がかかってきて、明日、はんこを持って再度訪問して欲しいというのであります。僕が住所の欄によけいなことまで書いたので、通帳に書いてある住所と違ってしまい、これでは書類が通らない。そのため訂正印を押しに来て欲しいというわけです。
局長は来客中であったのですが、わざわざ席を外してわびに来てくれました。この場合、どっちが悪いのでありましょうか。道路のこちら半分とは何でしょうか。ともかく、キッチンペーパーをおみやげにもらって帰りました。
そんなことがあった先週でありました。
2005年06月25日(土) 棚卸し表 僕は商家に生まれ育ったわけでもないし、商学高校に行ったわけでもありません。
実際として商売にたずさわったことがないので「在庫管理」というのは、頭の中の概念でしかありませんでした。
勤務している会社にも、棚卸しという作業はありますが、同じものが複数あること自体がまれなので、整理棚に部品が「ある・ない」程度の管理しかしたことがありませんでした。
5月から副業で、とある種類のコンピューター部品の不良品を仕入れ、修理し、それを販売するというのを始めました。もとは不良品なので、普通の人は手は出しませんが、いわゆるマニアの人は修理上がり品を買って少しでも安くあげることに喜びを見いだすものです。しかも、「一週間だけだけど保証」をつけて、だめだったら金は返すとしたところが、信用を得たのか売る方は順調であります。
仕入れる作業は結構面倒です。毎日のように宅急便や郵便局員が来ます。修理の作業も時間がかかります。売る作業も面倒です。
すぐに順調に動作をし始めて、テストをパスして売られていくものもあります。逆に、なかなか修理上がりにならなくて、手間ばっかりかかるものもあります。いつの間にか、僕のパソコン部屋には、部品がうずたかく積み上がり、管理もままならなくなりました。
そこで表を作ることにしました。品番・仕入れ値・状況・売値・・・。
そうするといろんなことに気付いてくるようになります。
「このシリーズのものは、利益がよく出る」
「このシリーズのものは、不良在庫ばかりがたまってしまう」
売り物にならない(修理のあがらない)在庫は、置いておくと場所を取るだけ無駄だし、手間をかけると時間の無駄です。こうした不良品は、500円でも100円でもいいから、売れる値段で不良品としてふたたび市場に流してしまった方が、結局は得です。そしてそういうものにはもう手を出さない。
逆に良いものは、どんどん仕入れていけば、利益へと結びつきます。
「きちんと棚卸しをしない商売はすぐに倒産する」とAAの本にも書かれています。なるほどそういうものなんだと、最近になってようやく理解した次第であります。いまはこの副業の「棚卸し表」を更新するのが日課になっています。
さて、自分の中で良いものと悪いものを分けるためにも、やっぱり表にする必要があるのでしょう。そして良いものはどんどんと仕入れ、悪いものはどんどん処分価格で捨てていくのでありましょう。「毎日の棚卸し」という言葉もやっと実感できました。
しかし、こっちのほうの表はなかなか取り組めていないというのが実情であります。
2005年06月23日(木) 通院 一日遅れの通院。
とりあえず7月19日から仕事に復帰することになったことを報告すると、「くれぐれも無理をしないでくださいね」という言葉をもらいました。
この一週間、生活のリズムがまるでなっていなくて、いつ起きて、いつ寝ているのか、明日のことは自分でもわからないという状態だったのですが、そうしたことは報告する間もなく診察終了してしまいました。
カルテに様々な書類が挟んであったので、やっと年金用の診断書を書いてくれる気になったのかもしれません。もともとはこの先生の発案で申請することにしたのだから、どうしたって診断書は書いてもらわないと困るんですけど・・・となかなか言い出しにくくて困っていただけに、ちょっとほっとしました。この診断書と、あと妻の非課税証明書を市役所で取ってくれば書類は整うことになります。
副業のために、パソコン3〜4台が24時間稼働しています。
昼間はもちろん、夜中も12時ぐらいまでは、寒暖計の赤い棒がの30℃より上に行っています。あまりに暑いので、上着は着ていられないのですが、かといって下着姿でいるのもみっともないので、短パンを買うことにしました。
いわゆるランニングパンツ。最近ではレーシングパンツというのでしょうか。これがスポーツ用品店に行っても、「お取り寄せになります」というような状態なので、いっそのことネットオークションで買うことにしました。
どうせ人前ではく訳じゃないので、色などはなんでもいいのですが、サイズがS/L/O/XOとあって、LにするかOにするか悩んでしまいました。見栄を張ってLを選んでみましたが・・・。
落札代金500円+送料210円+送金手数料52円であります。
金曜にはとどくそうなので、楽しみに待っています。
2005年06月21日(火) お誕生日 お誕生日おめでとうございます。
というメールを何通もいただきました。
実際には誕生日でも何でもありません。
よくネットなどで、アンケートを採っている場合があります。その場合に必要もないのに「生年月日」を記入する欄が付いている場合があります。メーカーのユーザー登録のページなどにも「生年月日」の欄があったりします。こういうのに馬鹿正直に個人情報を記入する人の気が知れません(たとえばうちの妻とかがそうですが)。
記入欄を設ける側としては、記入者の年齢を知りたいのでしょう。だったら、ダイレクトに年齢を尋ねても言い訳ですが、その場合には蓄積したデータベースは年月の経過とともに古くなり、年齢も曖昧になります。しかし生年月日で押さえておけば、対象者がいま現在何才なのかは簡単に計算することが出来て便利です。
しかし、世の中には個人情報の蓄積(と販売)を商売にしている会社もたくさんあるわけで、そうした会社には、僕が先日エイデンで160GBのハードディスクをクレジットカードで買ったこともバレバレでわかっているわけであります。
そうしたところに、こんなところやあんなところへ登録していることまで蓄積されてはたまったものではありません。
そこで、嘘っこの生年月日を記入することにしました。
最初のうちはまったくでたらめの年月日を記入していました。たとえば1901年生まれだとか、1998年生まれだとか・・・。しかし、サイトによってはパスワードを発行してくれるところがあり、そのパスワードの再発行に生年月日の記入を要求してくる場合があります。そんなときに、僕ははたと困ってしまうのでありました。
そこで、定番の生年月日を作ることにしました。それが今日であります。もちろん年のほうもサバを読んでいて「申年」生まれになっております(何才サバ読んでるでしょう)。
あるところでは、身分証明書のコピーを送れと言ってきたところがありました。困ったあげくにスキャナーとフォトショップでがんばりましたけど。
正直になるプログラムとはまったく逆の話ですみません。
2005年06月19日(日) 断眠 どうしても朝寝て午後起きる生活が補正できないので、後ろにずらすことにしました。
これはうつ病の治療についてきちんと説明している本なら載っているんじゃないかと思います。
朝起きる時間を早くするために、夜寝る時間を早くする。ごく当たり前のことですが、睡眠障害を薬で解消している場合には、うまくいかない場合が多いです。薬を飲んでもよく眠れず、結局朝起きられないということになります。
そこで、前倒しするのではなく、後ろへずらすという方法をとります。
朝寝ているなら、がんばって昼まで起きていて、昼から寝るようにします。こうして新しい睡眠サイクルを安定させます(固定といいます)。そして寝る時間を、今度は夕方からにして固定、そして普通の寝る時間にずらして固定、とやっていきます。
僕の場合にはロラメット(ロルメタゼパム)を服用しています。短期型の睡眠薬で、酩酊感は感じません。いままで服用した中では比較的自然な眠りに近い感じです。
日曜日の朝、そのまま昼まで起きていることに決めました。そこで「夜寝る前の薬」を服用して寝るつもりだったのですが、欲を出して「一気に夕方まで持って行こう」としました。
気が付いたら3時間寝ていました。
夕方からスーパー銭湯に行きまして、睡眠不足による激しい頭痛を和らげました。
夜10時。子供を寝かしつけるために、隣りに横になりました。
気が付いたら2時間寝ていました。
(なんだ、薬がなくても眠れるようになってきてるじゃないか)
どうせなら、この休職期間中に睡眠薬も切るようにすればよかったと今さらながらに思います。仕事が始まってしまうと、車の運転をしなければならないので、安定した睡眠が欠かせず、なかなか「不眠を乗り越えて」というわけにもいきません。
でも、24時間酒浸りを何年も続けて、すっかり壊してしまった僕の頭の中の睡眠中枢も、酒をやめ続けたおかげで、いつのまにか自然な眠りをもたらすこと「も」できるようになったということですね。少し感動しました。
結局途中で寝てしまったんで、なかなか普通の時間に固定することはできませんでしたが、今日は午前10時に起きました。月曜のミーティングに毎週参加するのも、あと3回になってしまいました。
提出し忘れたレポートを追加しました。
2005年06月18日(土) 振り込み手数料 ネットオークションをやっていることは時々書いています。
始めたのは2000年の終わりごろでした。
当時は何も知らなかったし調べもしなかったので、唯一知っていた送金方法、つまり現金をもって銀行の窓口に行き、用紙をもらって記入していたのであります。電信扱いだと当日中に振り込まれますが、手数料が(3万円以内の場合)600円+消費税。文書扱いだと少し安くなりますが、送金が済むまで数日かかりました。口座番号の書き間違いがあったりすると、差し戻しがあって、さらに数日。それから相手が預金通帳に記帳して入金を確認してから、品物を発送するわけで、取引終了まで1週間以上かかることもざらでした。
そのうちに、給料の口座振り込みを受けている地元の銀行がオンラインバンキングを始めました。パソコンを持っていればインターネット経由で24時間振り込みが出来るようになったのです。月額基本料金が300円ですが、給料の振り込みを受けていれば無料になりました。
この利点は夜でも振り込みが出来ることと、手数料が150円+消費税と安いことです。実際の振り込みは翌営業日の朝になるので即時決済できないのが難点でした。それと、相手の名前を間違えていたりすると、翌日銀行まで呼び出されて訂正書類を書かないといけないので、毎回緊張を強いられました。
オークションで売り買いする相手が「ジャパンネットバンク」というのに口座を持っていることが多いので、そこに口座を作ることにしました。実際に店舗を持たないネット銀行で、お金の出し入れをする場合には、郵便局か他の銀行に行って手数料を払ってすることになります。しかし、ジャパンネットバンクのなかで決済が済んでしまえば、振り込み手数料が50円+税、それと即時決済の魅力があります。
ネットバンクの口座へは、最初にお金をいれる時に自分で振り込んだだけで、あとは現金の出し入れをしたことのない決済専用の口座となっています。
最近になって知ったことは、「ぱ・る・る」の郵便貯金もインターネットで振り込みなどができることです。24時間振り込みが出来る点も便利でありますが、なぜか通帳に記帳してしまった取引はネットからは参照できないという仕組みも不思議であります。これは通帳という概念がないジャパンネットバンクの対極とも言える仕組みです。
郵貯のネット決済のすごいところは、居宅送金ができるところです。これはつまり、口座からのお金の引き出しをすると郵便局員が現金を持ってきてくれるということらしいです。
ぱるると違う「振替口座」もネット決済ができるようになっています。AAのオフィスへの各種支払いは振替口座へとなっている場合も多いので、今度一度ネット決済で送金してみようかなと思うのであります。
実際の銀行へ行くと、駐車場が混んでいたり、窓口で待たされたりということも多いです。お金を持って人のたくさんいるところにいるのは苦手であります。決済だけに限って言えば、ネットは便利この上ありません。ただやっぱり現金の引き出しだけは、どうしても局なり銀行なりコンビニに行かないといけません。
ネットオークションだと、買い手から(落札代金の他に)送料を上乗せして送金してもらうことは多いです。でも、発送の時は自分の財布から現金で送料を支払わないといけません。なんだかんだで、「送料の分だけ毎回貯金している」という事態になりかねません。郵便の差し出し料金の支払いや、クロネコヤマトの送料がデビッドカードで支払いできるようになってくれると、もっと便利なんですけどね。
考えてもらえませんか、小泉首相、山崎社長。
2005年06月16日(木) 子供のインターネットアクセス 昨日はなんだかいろいろなことがあって眠れず、結局寝に入ったのは午前7時に近かったのだと思います。肉体的にも精神的にも疲れていたので、起きたら午後になっていたのも自分では不思議に思いませんでした。
ただ、まあ復職に向けてこういう生活は改めていかないといけないとは思っているのですが、なにせ感情の病気ですから、そう簡単には参りません。
その時、次女(一年生)がパソコンをいじっていて、長女(三年生)がいないところをみると、午後2時〜午後4時ぐらいだろうと見当をつけたのですが、はたして時計を見ると午後3時半でした。
子供たちにパソコンを与える時に、ネット接続をどうするか悩みました。ネット接続無しで孤絶した環境にしておくのが、有害なコンテンツやウィルスに対する一番の対策だからです。でも、学習ソフトはプリントアウト作業が必要なので、プリントサーバーに接続するためには、無線LANカードは刺しておかないといけません。それに学習ソフトそのものがInternet Explorerがないと動かないという凶悪な仕様になっています。
というわけで、子供たちは自由に「ネットサーフィン(死語?)」をすることができるようになってしまっています。
しかし無制限に許すと危ないので、「ネットに接続する時は大人の許可を取ってね」という約束であります。Internet Explorerには子供に見せるには不適切なコンテンツを遮断する機能がついているのですが、肝心のそのサービスを提供している会社がアメリカにしかないので、日本のサイトは見放題になってしまうか、制限をきびしくしすぎて何も見れなくなってしまうかのどちらかになってしまいます。適切なフィルタリングサービスがあるなら、月額料金をはらってもかまわないと思うのですが、そういうサービスはあまり聞きません。
子供用のホームページは、キッズgoo にしてあります。長女の話では、学校のパソコン教室のパソコンも、ホームページは「キッズgoo」になっているそうであります。まあ、子供用としては一番無難なところでしょうか。
話は変わって、「心の家路」へのアクセスは、たとえばこんなふうに解析していたりするわけです。なぜそんなことをするかというと、いたずら対策であったり、興味本位であったりするわけです。人々がどこから「心の家路」にたどり着くかは僕の関心の対象のひとつであります。
そのなかで、最近は少なくなってきましたが、一時期多かったのが「キッズgoo」から、アルコール依存症をキーワードに検索して「心の家路」にたどりつくケースです。
なんで子供がアルコール依存症なんかに興味を持つのかな〜と不思議に思っていたのですが、長女の話を聞いて疑問が氷解しました。
きっとおそらく、お父さんかお母さんがアルコール依存症の子供が、病気について調べてみようと学校のパソコンを使って検索をして、そのなかで「心の家路」にもたどり着いたということなのでしょう。なんだか、ちょっと切なくなるような気持ちがしました。
いつかは子供向けのコンテンツも用意したいななんて、またひとつ「やりたいけどいつになったらできるかわからないこと」が増えました。
7月19日から復職すると決まって、一番喜んでくれたのは子供たちであります。
2005年06月15日(水) 復職へ 朝から妻と義母が大げんかをしている。
次女は怒声が飛び交う中、食卓に並んだ朝食を悠々と食べると、さっさとランドセルと帽子を身につけて出かける準備をすませてしまいました。しかし、長女は事態におびえて泣いてばかり。しかたないので、ずっと抱いていてあげました。その後、妻が学校まで送っていったそうですが、1時間目・2時間目は(ひさしぶりに)保健室で過ごしたようです。
やれやれ。
午前中、義父母に呼ばれて話をしました。つまるところこの夫婦は、僕ら夫婦の主治医を信頼していないのであります。精神疾患とはどんなものなのか、理解しようとしない人には、どうしても理解できないもののようであります。
午後から5ヶ月ぶりに会社へ。上司の上司(取締役だ)と面談。「会社としては何も決めていない」ということは、僕を退職させようと言う話にもなっていなければ、何か特定の仕事をしてもらおうという話にもなっていないということでありましょうか。
結論から言うと、「海の日」の次の日から仕事に戻ることになりました。とりあえず最初はお昼から午後勤務ということをお願いしてみました。上司は了解してくれましたが、会社に「疾病社員の半日勤務制度」というのがないので、これは本社に戻って検討してみないと返事は出来ないとのこと。
おそらく仕事に戻っても何も仕事はないのでありましょう。しばらくはそれぐらいがちょうどいいのかもしれません。
「決して焦らないで。あなたが病気だと周囲が知っている環境の中で、ペースを調整しながら仕事をしていくことが大切ですよ」と諭されてしまいました。きっと他にもうつ病の部下を抱えているのでしょう。部下にいるとは決して言わないのですが、「そういう人を何人も知っています」ということは、暗にそれを示しているのでありましょう。
今後僕が仕事で頭角を現すということはおそらくないでしょう。とりあえず口に糊するために働くということになるのでしょうか。こうなるとモチベーションの維持が大変です。
それから、今後ともずっと高速道路通勤ということが確定してしまいました。一月に2,000キロ。4年で10万キロ。車が持つかな。まあ、そんなことは後で考えることにしましょう。
ホームグループのミーティングへは行ったものの、駐車場でちょっと休んだら1時間近く寝てしまい、起きてみるとミーティングは半分以上終わっていました。
先日3,300円で買った160GBのハードディスクにいれておいたWindows XPが死にそうであります。これから修復作業にかかるのですが、長丁場になりそうであります。安物買いの時間失いってやつでしょうか。僕の場合、インストールしているソフトが多いので、アプリなどを全部セットアップし直すのに、のべ40時間ぐらいかかります。やれやれ。
疲れることばかり。
OutlookExpressの設定を他のパソコンに移すソフトって誰か知りませんか?
2005年06月14日(火) 問題 9時にいったん起き、また寝て、もう一度起きたのがお昼前でした。
妻はおらず、僕はいつも通り洗顔・コーヒー・点眼・納豆でご飯・服薬・歯磨き・ひげそりというルーチンをこなしました。
明日は上司と面談なので、毎週水曜日に行っている精神科のクリニックへの通院は、今日のうちにすませておかなければなりません。
午後の時間はゆるりと過ぎていきます。
最初は、午後の診察が始まる2時にあわせて、クリニックまで歩いていこうかと思っていました。しかし妻が帰ってきません。僕が鍵を閉めて出てしまったら、学校から帰ってきた子供たちは困るではないかと思い、妻の帰りを待つことにしました。彼女は書き置きを残していっていません。
さらに午後の時間はゆるりと過ぎていきます。僕はだんだんイライラしてきて、妻の持っているはずのPHSに電話をかけました。「電波の届かない場所におられるか、電源が入っていません」という返事でありました。電波の弱いPHSには良くある話なので、何度かかけたのですが、答えはいつも同じであります。
しかたない、車でクリニックまで大急ぎで行ってくることにしました。幸いクリニックの待合室には誰もおらず、すぐに診察してもらえそうで安心しました。しかし、診察室に入っている前の患者さんの診察がなかなか終わりません。週刊朝日を2冊読んでもまだ終わりません。事務室からは「ながいわね〜」という声も聞こえてきます。
それだけ待って、自分の診察は5分で終わってしまい、もう読む雑誌もないので、立って張り紙などを眺めているうちに薬と会計の準備ができました。年金申請のための診断書はまだ先のようであります。
帰ってきた僕が見つけたのは、いつもの場所に放置されたPHSでした。しかも充電していないので、電源が切れています。そのうち子供たちも帰ってきました。車もある。自転車もある。いったいこの炎天下、5時間以上どこでなにをやっているのか。そこらへんで倒れているのじゃないだろうか。イライラで何をやっても手に着きません。
帰ってきた妻は「仕事を探していたの」と平気な顔をしていましたが、「あれほど出かける時にはPHSを持って行くように」と念を押していたのに、そのことには何の反省の色もありません。僕は「3回PHSを忘れずにでかけるという実績を積むまでは、仕事はまかりならん」と言い渡したのですが、まだ怒りが収まりません。
そのうち頭が疲れてきてしまいました。布団をひいて寝て、途中で夕食を食べてまた寝て、起きると8時半でありました。しかし、まだ感情の波は収まりません。
結局怒りの感情に押し流された一日でした。霊的な病気であるなぁと我ながら思います。
2005年06月13日(月) 睡眠 日曜日は7時45分に起きて授業参観に行きました。
お母さんたちに囲まれて男ひとりで恥ずかしい思いをするのではと心配していたのですが、日曜日だったので半分ぐらいはお父さんであり安心しました。
一時間目は長女の体育の授業で、親子混じってドッジボール。大人は利き腕じゃないほうで投げるというルールだったのですが、右腕で子供たちをぼこぼこアウトにしているお父さんがいました。きっとその人は左腕では野茂のような剛速球を投げるのでしょう。
二時間目は茶話会というので、PTAの会議というか懇親会をするのかと思ったら、自分の子供の隣りに座って、子供はペットボトルのジュースを、大人は同じくペットボトルのお茶を飲むだけのものでした。子供たちには駄菓子のたぐいが配られて・・・、いったいこのどこが授業参観なのか。
三時間目は次女のほうへ行き、工作の授業に混じりました。プラスチックの板に絵を描いて、オーブントースターでチンとやると、グニャグニャと曲がったあとに、また平らになってサイズが縮み、かわりに厚くなります。穴に金具を通してキーホルダーのできあがり。
子供たちはパパが起きられるか心配だったのでしょう。僕の顔を見ると安心していました。
最後に教頭先生と校長先生の講話を聞いて帰りました。小学校高学年で5%ぐらい、中学だと半分弱、高校だと2/3の生徒が「寝るのが午前0時過ぎ」なのだそうです。「そんな生活をしていたら、朝きちんと起きられる訳がありません」と校長先生は強く主張しておられました。
そうだそうだ。そんなことをしていたら僕のような大人になってしまうぞ!
ちなみに僕の場合には小学校時代は10時過ぎに寝ていました。中学になって深夜のラジオ番組を聞くようになりましたが、眠くて最後まで聞ききることができませんでした。当時のラジカセはオートリバースではなかったので、120分テープを使っても60分録音するのが精一杯。録音の切れた続きがきになったものです。
夜半過ぎまで起きている生活が定着したのは、ひたすら受験勉強をしていた高校時代からであります。三百数十人いる学年の中で、20位以内に入っていないと「ラブひな」の目標大学を受験するのは「無謀」「見栄っ張り」と言われたものですが、僕はその順位を維持することが出来なくなって、急速に勉学に対する熱意を失っていきます。思えば当時がうつの発症なのでしょうが、治療に結びつくのはその10年後で、考えれば長い病歴であります。
復職へ備えて朝起きるリズムを作っていこう、そう決意したのですが、月曜日に起きてみるともう午後1時半でした。代休になった子供たちと公園へ。芝生の上でまた昼寝。
こんどの水曜日は上司との面談であります。ひょっとすると解雇通知もあるかもしれません。いやまさかそんないきなり。でもあるかもしれない。
AAミーティングのテーマは「希望」。不安と恐れがなくなるのが僕の希望という話をしたら、すこしだけ水曜日に対する恐れが薄れました。
「なんとかなるでしょ」というのが僕の会社で長野県を営業担当している人の口癖です。きっとそう言う人は霊的(スピリチュアル)なプログラムなどなくても、そういう気持ちで生きていけるのでしょう。僕が「なんとかなるでしょ」と言う時には、暗闇が怖いので大声で叫んでいる少年のようなものなのですから。
2005年06月11日(土) スポンサーシップ 「電話とメールだけのスポンサーシップは失敗する」
私の敬愛する人が手痛い経験を元に学んだ事実を、僕は信じることにしました。
たとえ数十分一緒にいるだけのためにでも、直接会うことには意味があるのだと。
まじめな仲間は朝6時半起床で隣県のオープンスピーカーズ・ミーティングに向かったようですが、僕は9時起きでありました。コーヒーだけ飲んですぐに出ようと思ったのですが、妻が起きてこないので子供たちの朝ご飯を何とかしてやる必要がでてきてしまいました。
昨日の残りのご飯を電子レンジで温め直し、ハムを切り、レトルトの子供用カレーをかけて朝食にし、それを片づけたらもう1時間以上過ぎていました。
コーヒーだけ胃袋はむかむかして、かえって食欲が失せてしまいましたが目は覚めました。高速道路のサービスエリアでまずざるそばを食べ、次にモスバーガーで昼ご飯を仕入れました。
僕の車にはナビゲーションシステムはついていません。その代わり僕はだいたい行きそうな県の地図は一冊ずつ持っていて、それを頼りにしています。しかし、山梨県の地図は昨年つぶれた会社の社用車のドアポケットに入れたまま、債権者の手に渡ってしまったようです。おかげで、関東甲信越10万分の一というおおざっぱな地図で目的地を目指すことになりました。
甲府昭和のインターをおりてから曲がる方向を間違え、甲府駅の前をぐるぐる回り、右折禁止の看板をよっぽど無視しようかと思いながら、だいぶ余分な時間を費やして目的地に着きました。
お昼ご飯を食べながら話をして、午後のプログラムが始まっている会場に送れて入ったら、満席で座る椅子はありませんでした。2人目の話を聞いている時に、椅子を勧めてくれた人がいたのでありがたく座ったら、そのままぐっすり1時間寝てしまいました。
休憩時間にいろんな人と話をし、もう午後3時半には会場を離れて戻ってきました。
夕方からは地区委員会。7月30日にやるオープンスピーカーズの案内の発送の準備をみんなで手分けしてしました。おもえば、この委員会に様々な立場で出続けてもう10年目になります。いくらなんでも、もう今年あたりで引っ込みたいです。
さすがに夜半になると眠いです。おやすみなさい。
2005年06月10日(金) パソコンの話 それを買ったのは2000年のことです。当時僕はLinuxに凝っていました。
といってもLinuxでいろいろやることに凝っていたのではなくて、ただインストールして遊んでいただけですが・・・。
WindowsとLinuxの両方を一台にインストールしておいたのですが、メールだとか文章を書くのはWindowsでやりますから、ほとんどの時間はWindowsが起動していて、Linuxの出番はわずかということになってしまいます。
(これではLinux使いにはなれないではないか)
そう思った僕は、中古のノートパソコンを物色しました。なんでノートかというと、2台目のパソコンにデスクトップはじゃまだからです。ノートパソコンをLinux専用機にして、それでいっぱしのLinux野郎になってやろうと思ったのでした。
Pentiumの90MHz。表示はTFTで800x600。HDDは800MB。メモリは増設して32MB。これで1万数千円かかりました。
最大の問題は、CD-ROMドライブが付いていないことです。LinuxはCD-ROMからインストールするものと相場が決まっていたので、これには苦労しました。しかも買ったPCMCIAのLANカードを標準でサポートしているLinuxディストリビューションはひとつもありませんでした。
しかたないから本を買ってきて勉強し、Linuxのインストールだけで正月休みが終わってしまいました。Plamo Linuxが動き出すのに2週間ほどかかりました。
コンソールだけだとMS-DOSと大して変わらなくてつまらないので、KDEをコンパイルして入れました。KDEのいろんなtar玉の中にゲームがあって、そのなかに「倉庫番」という懐かしいゲームが入っていました。
Linux専用マシンは「倉庫番」専用マシンに変わりました。そして、ゲーム専用機として妻に取られてしまいました。Linuxがクラッシュした時に、修復させる技量もなければ、またインストールする気力もありませんでした。「倉庫番」もライセンスを受けたものではないらしく、その後あちこち探してみたのですが、Linux用のパッケージを見つけることはできませんでした。
ちなみにWindows用の「倉庫番」は二千数百円でまだ売られているようです。
その後は特に何に使われるでもなく、Windows 95などをインストールされて堕落したノートPCは、滅多に起動されることもなく部屋の片隅で4年以上の年月を過ごすことになります。
最近の副業のために、そのノートPCに2.5"のHDDを抜いたり刺したりしていたら、接点が壊れてしまってハードディスクを認識しなくなってしまいました。さすがにCD-ROMもHDDもなしでは、モダンなOSはもう動きません。ジャンク品としてオークションに出品してはいるものの、いまのところ買い手は付いていません。
この4年の間にLinuxもすっかり大きくなってしまいました。
特になんに使われるでもなくゴミとなってしまったノートPCの姿がちょっと哀れであります。
2005年06月09日(木) 歩くアルコホーリック(その2) 夜中に起きて活動した性でしょう、午後3時まで寝てしまいました。
しかもパソコンの前で。
妻に叱られて反省の一日を過ごしました。
子供にも、こんなことで日曜日の授業参観に無事出られるのか、不安を与えているようであります。
送っていただいたまま、お礼のメールも差し上げていないコーヒーを今朝(?)もおいしくいただきました。やっぱりジャスコの一番安い粉とは違います。
顔を洗い、ひげを剃り、朝(?)ごはんがわりにバナナを一本食べ、朝(?)の服薬をし、歯を磨き、メールのチェックをし、オークションの入札を適当なところまでつりあげ、足踏みをして腸の動きを活性化させた後にトイレに行きました。だいたいここまでで一時間であります。
仕事に行く時は、これらの様々な作業が20分ぐらいで済んでしまうのですから不思議であります。
革靴は水虫に良くないという皮膚科の先生の指導に従って、スニーカーに履き替えて駅前まで勢いよく歩いて行きました。1,680円で髪をカットをしてくれるお店は、服役を終えた人に仕事を確保するために作られた店であると、このまえ女性のAAメンバーに教えてもらいました。
そういえばちょっと怖い感じもするのですが、手早く済むのが気に入っています。
風呂を入れようとおもったら、すでに入っていたので、子供を風呂に入れる役を買って出ました。いつもだったら、「これも埋め合わせとやらでしょう」という皮肉を言う妻も、今日は体調が悪いのか何も口の悪いことは言わずに喜んでくれました。
AAの仲間から深夜に二本の電話。どちらも大した用件があるわけでもないのですが、深夜に大した用件があったほうが大変なので、喜楽でよいということにしておきましょう。
さて、MS-IMEを見限って、ATOKに乗り換えたのが昨年の12月。「使っているとだんだん辞書が馬鹿になってくるよ」という様々な人からのお言葉を、半信半疑で聞いていたのですが、最近それは真実であると思うようになりました。新しいバージョンが発売される頃になると、かな漢字変換の精度が落ちる・・・偶然なのか、何らかの作為があるのか・・・。
でももうMS-IMEには戻れない体になってしまっています。
今夜は東の空が白んでくる前に、布団で寝る。それが目標です。
2005年06月08日(水) 歩くアルコホーリック 「日々雑記」を置いている「えんぴつ」は年間900円の有料サービスです。
更新期限がきたので、支払いを済ませました。
本当だったら日記ももうwww.ieji.org本体に収容されているはずなのに、計画は遅れるばかりです。まあ、バリバリとプログラムが書けるようならとっくに仕事に復帰しているわけですが・・・。
来週日曜日は病院メッセージの日だったのですが、授業参観が入ってしまいました。病院のアルコホーリクは仲間たちに任せておくことにして、僕は朝7時半に起きて、一時間目からドッジボールに取り組むことになります。それ用にスニーカーも買ってしまいました。
最近引きこもりに近い生活を続けているので、この前に娘とバトミントンをやっただけで息が上がってしまいました。すこしは体力をつけないといけないので、いつも車で通っている精神科のクリニックまで歩いていくことにしました。今mapfan.netで計ったら往復4.5Kmでした。ゆっくり歩けば片道30分のところですが、「東京の人の歩く速度」を意識して歩いたら15分強でつきました。ドアから車・車からドアまで数メートルの移動しかしない自分に比べ、十分、十五分歩くのは当たり前、電車の中でも立っているのが当たり前のアーバンライフのほうが、ずっと健康的なのかもしれません。
復職にあたり、最初は午後からの出勤でもいいか会社と交渉してみるつもりであると医者に言うと、「朝から調子の良い状態で、まず昼からの通勤を試すべきなのであって、朝具合が悪いから昼からという理屈はあっていない。朝具合が悪いならまだ休んでいるべきだ」と言われました。しかし、僕は仕事をしている時でも、土日は昼まで寝ている人間です。たまにAAのことがあると朝5時から動き出して、午前10時の会議にきちんとでていたりするので、家族は「結局は気合いの問題」と解釈しているようですが、夜更かし昼寝は高校の頃からの癖であります。
もしそれが直っていたなら、僕の人生はどんなに違っていたでしょうか(大げさ)。
できるなら休職を続けるべきだが、僕の経済状態からするともう働かざるを得ないという状況の把握については、医者も僕も意見は同じであります。
歩いたので疲れてしまい、ミーティングに行くのも面倒になったのですが、それでも眠い目をこすってホームグループのミーティングへ。ビッグブックの第4ステップのところ。第一の犯人は恨み(と怒り)。第二の犯人は恐れ(と不安)。たとえ相手に非があっても、道路のこちら半分だけは自分で掃除をすること。
帰宅してすぐに寝てしまいました。そして深夜に起きて雑記を書いています。明日は髪を切りに行くつもりです。そしてまた僕は歩くのであります。
土曜日は愛宕山→委員会。
2005年06月06日(月) 蒸し暑い 夜雨が降ってくれたと思ったら、案の定今日は蒸し暑くなりました。
ハードディスクのS.M.A.R.T.ステータスのクリア方法というのを探していました。Googleでそれらしい情報がヒットしたので、見に行ってみると会員制有料の知識ベースでした。しばし迷いましたが、月額$9.98のプランで加入してみることにしました。
知識ベースの内容は、他の知識ベースへのポインターが置いてあっただけで、そっちも有料でした。ひょっとして、それに加入して読んでみると、また別のところへのポインターがあるだけで・・、という悪夢のような連鎖が思い浮かんでしまったので、最初のところに戻って、すぐさま解約の手続きを取りました。
インターネットのサービスで、月額いくらという制度のところで、クレジットカード払いが出来るところは、解約しない限りは次の月も、その次の月も、ずっとずっと請求が来ます。当たり前なんですが、解約のやりかたをわざとわかりにくい場所に置いておいて、一月でも多く請求を勝ち取ろうという会社もあります。
英語の場合には、最初の契約をする時のTerms and Conditionsのところに、Renewという項目があります。その近くを探すとCancellationという項目があって、解約の方法が具体的にやり方がかいてあるので、そこのところだけプリントアウトして取っておくと安心です。
(特に外国のアダルトサイトと契約する時なんかはね)。
AAミーティングは十数人の大所帯でした。送れていったくせに、長話をして、他の人の鼻筋間を圧迫してしまいました。反省。なんかだんだん人数が増えています。このままでいくと、いつかは東京のミーティング会場みたいに、「全員に話す時間が回らなくて当たり前」になっていくのでしょうか?
アメリカでは、AAミーティングに参加しながら何年間も、一回も話をしたことがないというメンバーも決して珍しくないそうです。日本にもそんな日が来るのでしょうか?
「渡る世間は鬼・・・」というテレビドラマに出てくる店は幸楽というのでしょうか? 僕はその時間は「どっちの料理ショー」を見ているので詳しくは知らないのです。その幸楽という店の名前を使ったカップラーメンが(だいぶ前に)発売されました。結構なヒット商品になったそうで、その背景には、いままでカップラーメンなど食さなかった年代の人が、幸楽の名前につられて食べるようになったという現象があるんだそうです。
で、その幸楽のカップやきそばが出ていまして、いま僕の夜食は毎晩幸楽のカップやきそばであります。気に入った物を飽きるまで食べるというのが、僕のスタイルであります。
2005年06月05日(日) 水槽内の変遷 ついにアップルがPowerPCを見限ってIntelに乗り換えるという話をニュースで読みました。ニュースなんて時々しか読まなくなってしまった僕は、任天堂・ソニー・マイクロソフトの3社とも次世代ゲーム機にPowerPCを使うことになったなんて知りもしませんでした。IBMにとってAppleは大事な客ではなくなってしまったわけですね。
ということは、x86版のMacOS Xとか出るのですね。
さて、妻の「一個6円の内職」がその後どうなったかですが、結局やめてしまいました。ノルマがきつくて、徹夜で作業を進めた結果、睡眠不足が恒常化してどんどん効率が落ち、ついに納期遅れがでるようになってしまい、最後は「ごめんなさい」して終わりであります。
昨年6月に買ったメダカ4匹ですが、1匹はすぐに死んでしまい、3匹で冬を越すことになりました。お祭り で金魚をすくったので、メダカと同居させました。メダカのほうが少数派になってしまったので、DIYショップでメダカを2匹買ってきて、水槽も一段大きな物に変えました。
けれど、金魚はすぐに死んでしまい、環境の変化がたたったのか、昨年からいたメダカ3匹のうち2匹も死んでしまいました。いまはまた小さな水槽に戻って、年齢が1年を越えたメダカと、新入りのメダカが静かに暮らしています。
プログラミングのリハビリに入りたいのですが、なかなかその気になれません。
2005年06月04日(土) 土曜 午前中から到着物多し。
ちいさなパソコン部品しか届かないはずなのに、なんだか大きなものが届いていたので開けてみたらレギュラーコーヒーの粉が何袋も入っていました。コーヒーをめぐんでくださって、ありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。(あとでちゃんとメールも書くけど)。
以前WWWが普及しはじめた頃、有名になった企画で「ネット乞食」というものがありました。何でもいいから食べ物を恵んでもらうというわけではなくて、銀行口座にお金を送ってもらうのです。そして、送金者がその金で「これを食え」と食べるものを指定してくるわけです。そしてネット乞食者が、スーパーを巡って珍なる食材を探し当て、食して感想を書くという企画でありました。
いままでSkypeやろうよ、という呼びかけを少しずつしてきたのですが、誰も反応がありませんでした。Skypeも電話でありますから、相手がいないことには出来ません。今夜、やっとSkype相手がみつかりまして、初スカイプすることができました。感激であります。
音質はいままで試したYahoo!メッセンジャーやMSNメッセンジャーよりは格段に上で、ハーフレートだった頃のドコモの携帯電話なんかよりずっとましであります。ただ、ネットワーク遅延が1秒ぐらい感じられました。なんか昔の静止衛星を使った国際電話みたいな感じでありました。ちょっと酷い時は遅延が2〜3秒になるときもあって、そこのところがなんとかならないか欲が出るところであります。
Alcoholics Anonymous Skype Meetings というのがありますが、そのうちに「日本語AAスカイプミーティング」をはじめたいと野望を抱いております。Skypeのソフトそのものは無料です。マイクとスピーカーでもできますが、ヘッドセット(ヘッドフォンにマイクが付いたやつ)を千数百円ぐらいで購入してパソコンにつないだほうが快適でしょう。
みんなスカイプでミーティングしようよ(と呼びかけだけはしてみる)。
2005年06月03日(金) 才能無し 不良品として安く流れているパソコン部品をレストアして売る、というのが僕の現在の副業の正体であります。なにを・・どうやって・・、という詳細は企業秘密ってほどではないけれど、ここでは内緒にしておきたいです。
売るにはまず仕入れなくてはいけません。毎日落札しまくって、EXPACK500の袋がいくつも届きます。いったいどれぐらい金を使っているのか、実は計算していなかったので、EXCELのチャートにしてみました。4万円を超えていました。ありゃりゃ。そんなに使っていたとは。
やっぱり表にして書いてみないとわからないことはたくさんありますね。
修復作業にも、その後のチェック作業にもパソコンを稼働させます。すると、テレビを録画したり、「心の家路」をいじくったりする作業がその間はできないことになります。修復作業専門に使えるパソコンが欲しくなりました。ブツは何でもいいのです。古くても。性能が悪くても。ただなるべく小さい方が助かります。それに値段は安いにこしたことはありません。
中古パソコンを商っている店に行ってみました。ソニーのVAIOデスクトップの古いのが7,000円でしたが「高すぎる」のでパスです。エプソンのプリンターが500円で出ていたので買っておくことにしました。近くのDIYショップでそのプリンター用の再生インクを買うと700円あまりでした。インクのほうが本体より高いなんて。
久しぶりにエプソンのプリンターを買いましたが、持ってみるとずしりと重いです。さすがメカのエプソン。
3月に部屋を掃除した時に、フロッピーディスクを数十枚捨てました。そんなもの滅多に使わないだろうと思ったからです。が・・、あれから10枚買い、今日もまた10枚買い。
去年まで雇ってもらっていた会社(の跡)には、使われていないパソコンが何台もあるはず、あれを貸してもらおうかと思いながら、電話をしてみましたが、元社長は不在でありました。
サンタの○庫で「ジャンク品」のNEC VALUESTARが2,604円で出ていました。Celeron 266/HDD 4.3Gというのは古さを感じさせますが、値段が魅力です。もし元社長から借りるにしても、借りる時と返す時に菓子折ぐらいはいるでしょう。2,604円は菓子折代金にちかいものがあります。
この店のジャンクはさすがに「電源すら入らない」というゴミであったりはしないので、とりあえず買って帰ることにしました。
自宅で電源を入れてみたら、Windows 98(SEじゃないやつ)が起動しました。いま、僕の足下でこつこつ動いていてくれてます。
でも、黒字に転換するまでにはだいぶ時間がかかりそうです。やっぱ商売の才能はないですね。
2005年06月02日(木) ひとまわり あるメンバーのバースディミーティングに出席してきました。
途中の道の駅に入浴施設があるので、お風呂に入っていこうと、お風呂セット持参でしたが、実際には入っている時間もなく、ミーティング会場で晩ご飯代わりにコンビニのざるそばを食べることになりました。
12年のソブラエティ。AAにとって12は特別な数字ですね。
「○○○さんておぼえてる?」と昨夜妻に聞いたら、「おぼえている」との返事でした。世話になったよね。うん。12年のバースデイだそうだ。行きたいんだ。うん。いいかな。行っといで。というやりとりが昨夜ありました。
諏訪の教会の階段で、一緒に花火を見上げていた時から、もう10年もたつというのでしょうか(それともあれはその次の年だったか)。ソブラエティが経つにつれて、メンバー同士は離ればなれになっていく、とビルも書き残しています。僕も彼も地元固定になりつつあります。
もうバースディだからといって、出かけていけることもないのかもしれません。
もう二度と会えないということはないでしょうが、毎回会うたびに、それが最後になる可能性はあるわけです。
いつまでも時間があると思っていた、若かったあのころ。「人生ももう後半戦」なんてうそぶいていた頃。でも「これが最後」ってのが増えてくるのが、本当の人生の後半戦なんですね。
ふと携帯電話を見ると電池切れです。そういえば火曜あたりから目盛りが減っていたような気が・・・。シガーライターから充電するアダプターを携帯電話につないでみましたが、ちっとも充電しません。壊れてしまったようです。富山県の一番東端にいるときに、松任のミーティングに出るために、連絡の必要があって買った思い出深い充電器です。何とか直したいものであります。
アクセスカウンターが今日は180もいきました。実はこのうち10〜20ぐらいは、何らかのスクリプトによる攻撃?であります。refererが特有なので、パターンではねています。xxxとかpronという単語を含んでいると数えないことにしています。でも、sexという単語ではねると性依存症のサイトからリンクがあっても気がつけないことになります。なかなか加減が難しいものであります。
掲示板のほうへの広告の書き込みも、Fast&Firstに書かれていたように、yournetを全遮断して、osakaとmarunouchiのnttpcをはねるだけでも、だいぶ管理の手間は減るはずなんです。でも、掲示板に書き込めないなんていう苦情のメールを受け取るのも嫌なので放置しています。
こちら の統計のバグがやっととれました。結構携帯からのアクセスも増えていて、本腰入れて対応しないと・・・と思いながら、今夜も寝てしまうわけですが。
2005年06月01日(水) 診断書 申立書だけではなく、診断書まで「こんなふうに書いてください」というのを作ってしまいました。患者が自分の診断書を書くのだから異常な話であります。
「午前中に起きて活動したらどうなんだ」という怒鳴り声で一日が始まりました。
これぐらいの始まり方のほうが活動量が豊富だったりします。
仕事に行っていた時は、毎朝レギュラーコーヒーを飲むのが日課でありました。休むようになってから別にカフェインを摂って目を覚ます必要もなくなったので、麦茶などを沸かして飲んでいましたが、さすがに熱い麦茶はうれしくない季節になってしまったので、コーヒーに戻っております。
しかし、粉が切れてしまいました。しかたないので、インスタントコーヒーで我慢です。今日こそは粉を買ってこようと心に誓いながら毎日忘れ、毎日誓い直しております。空腹にインスタントコーヒーを飲むとなんだか胃がむかむかしませんか?
診断書を書いてもらう病院に電話をかけて、「こんなふうに書いて欲しいサンプルを持って行きたい」という話をしたら、「もう書き上がっています」という返答でした。こうして僕の昨夜の狂った努力は無に帰したのでした。1〜2週間かかるはずが4日でできるなんて・・・。とりあえずもらいに行くことにしました。
診断書は窓口に置いてあって料金を支払うだけで手に入れることはできたのですが、せっかく病院まで来たのでソーシャルワーカーさんに会っていくことにしました。会議が終わるのを待つこと15分。診断書の内容は、僕の願いとはほど遠く、年金には結びつきそうにありませんでしたが、「先生も『これ以上の作文は無理』とおっしゃっていました」という話でありました。まあ、事実と違うことは書けないものね。
最初は診断書を書くことにすら難色を示していただけに、ともかくここまでこぎ着けただけでも良しとしましょう。
ついでに、AAのパンフレットとミーティング会場の地図、7月のオープンスピーカーズの案内を渡しました。「うちはアルコールの患者さんは、○○病院や○○○メンタルクリニックに回してしまうのであまりいません」と聞き慣れた言葉を聞きました。地域のどこかでアルコール医療が発達すると、患者の中でも扱いのやっかいであるアルコール患者を、すべてそこへ押しつける傾向が生まれるもののようです。
それでも、AAのことを知ってくれたワーカーさんが一人でも増えたんだから、15分の価値はあったことにします。
でも、どうして民間病院のワーカーさんはしょっちゅう入れ替わるのでしょうか。
市役所で戸籍謄本と住民票の写しを取りました。妻の所得証明も取ろうとしましたが、来週木曜日で税金の年度が変わるので、それは来週に回しました。
市の美術館によって、展覧会に落選した母の絵を受け取りに行ってきました。50号の絵は、ステーションワゴンのリアシート&カーゴにやっと収まりました。
いつものメンタルクリニックへ。診断書をソーシャルワーカーさんに渡し、申立書の下書きも見てもらいます。主治医に、今月中旬に上司との面談があること、7月中旬より仕事に復帰したい希望を伝えました。良いとも悪いとも言われませんでした。
ホームグループのミーティングは、BOX-916を読んで「ホームグループ」。
普通の人間関係は挨拶を交わすのが第一段階。天気の話など世間話が第二段階。心の悩み事を話すのが第三段階。なのにホームグループだと大して親しくない人といきなり第三段階まで踏み込んだ話をしてしまう。だから、すごく親しいんだと勘違いしてしまうけれど、そうじゃないんだ勘違いしちゃいけないんだ。という話をしているメンバーがいました。
それは素晴らしい気づきだと思ったので、本当はこんなところに書いちゃいけないんだろうけど、記録に残しておきたくて書いてしまいました。
そう、すごく親しいんだと思って甘えちゃいけないんだ。人間関係の病気なんだから。
(と言いつつ、ここに書くと言うことがすでに甘えだな)。
空腹のまま、インスタントコーヒーを飲んでやっぱり気分が悪くなりました。
母に金を借りて帰る。兄には内緒である。兄弟といえどもすでにお互いに眷族を持つ身。金については他人だと思ったほうがいいというのが、年寄りの知恵でありました。
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