心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2004年07月31日(土) 病気自慢?

実兄が半日ドックに行ってきたそうで自慢(?)のメールが来ました。
彼は最近飲むことよりも、副業の健康サプリメント販売のほうに力を入れていて、いかにそれが効果があるかという宣伝の文章を月に数回メールで送ってきます。おそらく自動送信ソフトを使ってたくさんの人に送ってるのでしょうけどね。

> 本日は半日ドックでして、凄い結果が出ましたよ〜!
> (略)
> γGTPは60に落ちていました。特にγGTPは「最低でも4合以上
> 毎日飲まれていているので、年々上がって行きますので、
> せめて半分くらいに落とした方が良いです。」
> と、酒の量と煙草にチェックを受けていました。

彼は「俺はお前と違って、肝臓が丈夫だから大丈夫だ」と宣言していたのですが、γGTPが「下がって60」だとは、全然大丈夫じゃないじゃん。サプリメントの宣伝どころか、なんだか病気自慢にしか聞こえないけど。

酔っ払って、ガソリンスタンドだと思って田んぼに車を突っ込んだ兄。近所の飲み屋に飲みに行ったまま帰ってこず、家族で探したら朝になって側溝に落ちているのを見つけられた兄。飲み屋でけんかになって負けたボクサーのような顔になった兄。ブラックアウトのうちに、300万円の連帯保証人のはんこを押してしまい、家族の貯金すべてを吐き出した兄。
それでも、不思議と壁の内側(精神病院の中)には落ちないネクタイアル中であります。

彼の息子(僕とっては甥)は、「僕はお父さんのようにも叔父さんのようにもならない」と宣言していました。

一度飲んで怪我をしたときに、総合病院の外科に入院したことがあり、そのときにそこの精神科に診てもらう話がでたのですが、最後に奥さん(義姉)が拒みました。長期入院でもされたら、経済が回っていかないのでしょうか。

本人も家族も困っているのでしょうが、「本当に困って」いないうちは、どうにもならないのが現実です。まあ、依存症かどうかは、医者が決めることですが、医者に言わせれば「医者に来た時点でもう依存症確定」だそうであります。


2004年07月30日(金) 病める者は幸いである

94年2月から始まった僕のサラリーマン人生は、今日とりあえずピリオドを打ちました。

明日からもう人に面会する約束が入っており、これから二日にいっぺんぐらいは人と会う予定になっています。「技術者全員揃って来るなら、金を出してやるから会社を作れ」と言ってくれる奇特な人物も現れたりしています。でも、どこかの会社の子会社の役員をやるなんて、まっぴら御免という気持ちです。もし僕が社長をやるなら、社員は僕一人という会社になるでしょう。まあ、ともかく未来はさっぱり見えてきません。

「今は、社長になりたがる人の少ない時代だ」とある商社の人が言っていました。十年・二十年前であったなら、社長になりたがる人はもっと多かったと言いたいのでしょう。「失われた十年間」が日本の社会を変えてしまったのでしょうか。
最近で、威勢のいい言葉を聞けたのはライブドアの社長の発言ぐらいで、あとは社長といえば頭を下げている姿のほうがニュースなんかでは目立ちます。なんか、社長って損な役回りと受け取られても仕方ありませんね。

「ふつう会社がつぶれる時というのは、たいてい音沙汰なくて、銀行から電話がかかってきて知るのが毎度のパターンです。そして、駆けつけてみると会社が閉まっていて誰も入れないもんです。ここの社長のように、自分から電話を下さって、面会して事情を聞けるとは、まったく誠実なお人ですね」
などと何回か言われました。そういう時は、
「そういう人柄を慕って私どもも付き従って参りましたので、今回は本当に残念です」とか言っておきました。

確かに社長は誠実になりました。それは彼が元から持っていた性質なのでしょうが、健康が取り柄で、健康自慢をしていた頃には、それは影を潜めていたようです(人情深いところは今も昔も変りませんが)。脳腫瘍という病を経て、手術の結果記憶に障害を負うことになって、悩み苦しまなかったはずがありません。でもその結果、誠実さという徳を得たといっても過言ではないでしょう。それと事業の成功とは両立しなかったのですけど。

「毎日が夏休み」という状態になるのかと思ったら、割とやることがある日々がまっていました。どうやら神様は、僕をヒマにさせておいてはくれないようです。


2004年07月29日(木) 流されるままに・・・

この雑文を読んでいるヒマがあるのでしたら、とりあえず 文化庁の日本語世論調査 という記事を読んでいただきたいです。

恥ずかしながら僕は、正解だったのは「檄」と「的」の問題だけであります。テキスト系サイトオーナーとしては、かなり恥ずかしい結果です。姑息な手段・憮然たる様子・話のさわり、どれもすっかり間違えて使っておりました。ちなみに「憮然」は以前は「しょうぜん」と読んでいた時代もあります。

しかしまあ、間違えて使っている人のほうが多い場合、正しい意味で使うと誤解を受ける場合が多いわけで、それはそれで問題であります。例えば「水掛け論」という言葉も、水をぶっ掛けあう激しい論議という意味で使われたりしていますが、となると「」という結語を使うのはいかがなものか、という話になってしまいます。

その点、校正のプロの人はさすがプロであって、「ミーティングへ行きすがら」という言葉も「ミーティングへの道すがら」となおしてくれます。もっともパソコンの場合、かな漢字変換が「いきすがら」を変換してはくれません。押しも押されぬは変換してしまいますけどね。

さて、今日は債権者の訪問も山を越し、電話での主要なユーザーへの連絡もひと段落しました。百数十万円の売掛金をさっさと諦めて債権放棄の書類を送ってよこす会社もあれば、未収債権のカタにパソコン(新品)を持ち去る会社もありました。

営業の人たちは抜け目なく、会社が倒れても、社員たちが、新しい商売相手になるのかどうか見極めに来ています。会社がなくなっても仕事が消えるわけじゃないので、解雇されたあとも否応なく個人事業主として仕事を続けなくちゃならないのが運命のようです。

ネットオークションで「ITと呼ばれた子」を100円で買いました。でも冊子小包で290円。振り込み手数料が168円かかってしまい、500円以上になってしまいました。これなら古本屋のほうが安いですね。


2004年07月28日(水) day bad but not the worst

「例の案件」について関係各社に連絡する予定日がやってまいりました。
電話をするという損な役目は当然のように僕のところに回ってきます。
「突然で申し訳ありませんが、会社が倒産し、私どもも解雇されますので、受注した業務の作業が続行できません」と言うと、相手は一様に全員まずは絶句し、電話を切って上司と相談した後に、改めて怒りの電話をかけてくるパターンを取りました。

直接の取引先である商社は、僕の携帯の番号を教えろといってうるさくてかないません。仕方なく教えると、今度はそちらに直接電話して来ました。こんなことが8月も続くようなら、携帯の番号をバラさなきゃ、やってられねーなーと思い悩むハメになりました。
3時間後に商社様ご一行が到着。押し問答というか、平身低頭というか、ひざ詰め談判というか、そんなようなのを3時間ほど応接室で続けた挙句、最後は注文書を回収して帰ってくれました。
もはや社長には当事者能力がなく、奥さんが同席して破産の状態を説明しています。その状況が「社長の健康状態が悪化して資金繰り悪く倒産」という状況を雄弁に語ってくれます。それが好材料だったのかもしれません。

今週は債権者やら商社やらが訪れて、大なり小なり違いはあれ、毎日こんな感じです。さすがに精神的疲れがたまってきました。メールもいくつか頂いていますが、返事を書く気力がないといったところです。すんません。返事のない用件は進んでいないと思ってください。

来週になれば暇になるのかどうか、それも明日になってみなければわかりません。まさに「感情のその日暮らし」といったところでしょうか。

「危機ではなく、幻想の終わりに過ぎない」

いま危機に陥ったわけでもなく、リスクは以前から存在したわけです。安全であり安心できるというのは、人の願望が作り出す幻想でしょう。


2004年07月27日(火) ある作家の死

アル中が死んだ記事 が出ていました。

最初にこの人の存在を知ったのは、おそらく朝日新聞での連載記事が最初だったと思います。それから10年後ぐらいの1994年、文庫化された『今夜すべてのバーで』に出会いました。ちょうど運転免許を取ったころです。
その内容に、共感を覚えるとともに嘲笑し、回復への期待を持つとともに絶望も知りました。自分がそのような難病に罹っていると知るのは怖いことでした。そして、その年に2回目の精神病院への入院を果たします。そこで「もう一人のアル中」と初めて出会いました。そしてその人は、その本の内容を「よく書いてある。でも実際のアル中は、こんなきれい事じゃないよ」と言いました。
また、その人はAAに参加したことがあり、それは「アル中の○○です」と名乗るものの、アル中を名乗る決まりはなく、神という言葉が出てくるが宗教ではないので何かを信じるわけでもなく、黄色い本を読み、順番に話すものの話したくなければ話さないでいいし、名前を名乗るのも名乗らないのも自由で、遅れてきても早く帰ってもいいのだと、伝えてくれました。
そしてその8ヵ月後、僕は生まれて初めて、実際のAAミーティングに出席したのでした。

その後、AA仲間に薦められて読んだ『水に似た感情』では、双極性躁うつ病の感情に触れました。『ガダラの豚』はエキサイティングで面白かったです。酒を止めたという話が雑誌に載ったり、また飲んでいるという話が別の雑誌に載ったり・・・。

階段から転げ落ちて死んでしまうとは、なんともこの病気らしい結末です。52歳という年齢もこの病気らしいです。彼は僕の人生を変えるきっかけを作ってくれましたが、彼自身は人生を変えるきっかけを掴めなかったのかもしれないし、掴みたくなかったのかもしれません。

多くの人たちがたどる道を、彼もまた辿って行ったということです。


2004年07月26日(月) ノイズキャンセリング・ヘッドフォン

こちらの記事 を参考に、SONYの ノイズキャンセリング・ヘッドフォン を買ってみました。

先日の3連休の際に、子供の声がうるさかったりして、まったく自宅で仕事にならなかったので、擬似的にでも静かな環境を作ろうと考えたわけです。

パソコンの冷却ファンの音、洗濯機の音、近所を通る電車の音などはかなりきれいに消えてくれます。ただ噂どおり、ノイズキャンセリング(消音)が効くのは低音だけで、高音部はイヤーピースの材質で遮音している感じです。だから、同じ部屋の中で人がしゃべっていれば、だいたい聞こえてきてしまいます。はたして子供の声に効果があるかは疑問です。

しかし、深夜に一人の部屋でこれを使っていると、聞こえてくるのは人体の内部の音です。心臓の鼓動(実際には耳の血管の音)、首の筋肉の音、上下の歯のこすれる音などなど。コーラをのんでげっぷする音は意外に大きな音です。
一方、いつもカシャカシャ音がしているキーボードからは、かすかにカチカチという音しか聞こえてきません。

国民健康保険に入るより社会保険の任意継続を選んだほうが安くつくとか、どういうアルバイトをすると失業保険が打ち切りになるとか、国民年金の支払いはいくらかだとか、初めて知ることがたくさんあります。

明日は、先週痛めた左手の小指の傷の抜糸です。


2004年07月25日(日) 週末の過ごし方

会社から私物を持って帰らないといけません。だいたい自宅の部屋に置いておいて邪魔なものを会社に持っていったわけなので、それが戻ってくるとなると邪魔で仕方ありません。
しかたないので、自宅に置く場所を作るために、Unix/Linux関係の雑誌を全部捨てることにしました。一冊千円の雑誌が50冊。読まずに捨てるとハメになったのは、読んでないのに見栄で買っていたせいなのでしょう。

本を20冊ほどB○○K ○FFに持っていってみましたが、数学書や技術書は突っ返されてしまい、娯楽本が250円になっただけでした。ネットオークションでの相場を見てみましたが、専門書の類は値がついていません。かといって捨てるには忍びないし・・・。

昨日は夕方から夜の9時半まで眠ってしまいまいた。子供たちは自分たちでインスタント・ラーメンを煮て食べていました。今日も起きたら午後2時でありました。この週末は良く眠れます。というか、最近は睡眠不足で昼間眠くなっても、眠いだけで眠れないという状態が続いていたのが、ここに来て不思議と眠れるようになったわけです。
やっぱり仕事がストレッサーだったのでしょう。

成田に降りた部下と連絡が取れて、「例の案件」は誰も継続する意思がないことが確認されました。これで僕には目の前の仕事がなくなってしまいました。明日から出社しても、残務整理以外にやることがないわけです。まあ、週の後半になれば、うるさい電話がたくさんかかってくるでしょう。

明日は一ヶ月ぶりに地元のAA会場に出席しよう。


2004年07月24日(土) 「心の病気の方への質問100」に答える(その5)

81.気持ちがとても穏やかになれるのはどんな時ですか?

 衝動が満たされたとき。

82.逆に激しく動揺するような時はどんな時ですか?

 不安を解消できないとき。

83.占いを信じますか?

 縁起は担がないが、げんはかつぐほうです。
 ソリテアは好きですよ。

84.宗教を信仰していますか?

 一応仏教徒になっていますが、お寺より教会に出入りすることのほうが多いです。

85.独身の方、結婚しようと思う人がいたら、相手の家族には病気のことを正直に話せますか?既婚者の方、相手の家族は何と言ってますか?

 だまして結婚したようなものですが、あまり文句は言われませんね。

86.↑病気を理由に交際や結婚を反対されたことがありますか?

 はい。医者、両親、相手の親、AAのメンバーなどなど。

87.病院へ通院するのが苦痛に感じることはありますか?

 「薬が郵送でくればいいのになー」と思うことはあります。

88.催眠療法を受けたことがありますか?

 ありません。

89.薬の副作用や、心の病気が原因で、他の病気も併発していますか?

 過敏性大腸炎はたぶんそうでしょう。筋緊張性頭痛もそうかもしれません。

90.病院はいくつ通院していますか?

 2つ。

91.もしもこれさえ飲めば、またはこれさえやれば必ず病気が治るというものがあったら、どんなに高額でもやってみたいですか?

 「必ず」治るんだったら、破産しない程度で。
 だれかうつ病に電気ショック療法をしてくれる医者は知りませんか?

92.病気が治ったら何かやりたいことがありますか?

 正直言って想像がつきません。

93.もしもずっと治らないとしたら、どう生きて行こうと考えますか?

 いままでどおりに、なんとかなるでしょう。

94.同じ心の病気の人と恋愛関係にあったことがありますか?または現在そうですか?

 妻もうつ病ですが、結婚と恋愛関係は違うよね。

95.↑心の病気同士だと、一緒にいると分かり合える?それとも逆にお互い辛くなりますか?

 相手は健康な人が望ましい。

96.今のあなたは幸せですか?

 そう。自分で選んだぶんだけ。

97.病気になって良かったなんてことはありますか?

 病気にならなかったら行かなかった土地へたくさん行けた。

98.心の病気の人に叱咤激励は禁句とされていますが、実際言われて傷付いたりした言葉はありますか?

 「甘えてる」って言われるのはやですね。
 もちろん自分が甘えていることは重々承知なんですが、そういうお前も「甘え」は持ってんだろうがと思っちゃうから。

99.未来の自分を想像出来ますか?どんな風になってるといいなと思いますか?

 きっといつかは死ぬでしょう。酒を飲まずに死ねたらいいなと思います。

100. 最後に自分自身に向かって一言どうぞ!

 壊れていないものは修理するな!


2004年07月23日(金) 率直に行こう

率直に社長に「この案件は継続しても、売り上げが立つまでかなり困難な時期を経ないといけないと思います。その間の経費を自分で捻出する自信がありません。である以上、部品の出荷をやめて財産保全したほうが、債権者との話し合いがスムーズに行くのではないでしょうか?」と言ってみました。
すると社長は、会社を閉じた後のことまで社員に指示は出せないよ、自由にしてくれと言いました。実際に経理を担当する奥さんは、何ヶ月か先の売り上げで買掛金債務の支払いをするよりは、今月中に新品(同然)の部品を返送して、買掛金そのものを減らすことに魅力を感じたようです。

台湾に行ったままの社員ともやっと連絡が取れ、日曜日の便で帰ってきて、月曜日に最終的に方針決定することにしました。彼が一人でもこの仕事を続けてやりたいと言うチャンスを残してあげるためです。

自分が残権処理に携わらないと決めたとたんに、なんだか気持ちが楽になりました。

社長が倒れて以降2年余り、僕は管理者として、部下の出荷するソフトの品質と納期に責任を持つという立場に置かれてきました。それぐらいなら良かったものの、買ったものの支払いがいつ必要で、売り上げがいつ立つかとか、お客さんの支払条件が手形か現金かとか、追加の作業の費用はどうやったら請求できるかとか、そんなことを考えるのが仕事でした。相談事やトラブルはとりあえずすべて僕のことろへやってくるのです。
それはまったく僕には、慣れない、似つかわしくない仕事でした。もちろん、結果もうまく出ませんでした。自分ひとりのことさえマネジメントできない人間が、人のことや金のことまで考えるのは、能力オーバーだったのです。

人手が足りなくて自分も現場に駆り出され、朝から夜遅くまで働いているほうが、会社から離れていられる分よっぽど気楽でした。しかし、出張を終えて帰ってくると、他の仕事が難問山積で迎えてくれるのでした。

ともかくそれも来週で終わりです。特に来週後半には怒気を含んだ電話が一杯かかってくるに違いありません。

ちょっと遠かったけど、AAミーティングに参加。悩み事はご飯を食べてからすることにします。


2004年07月22日(木) ゼロデイ来る

朝一番から病院へ。
いきなり包帯を取られて、傷口を石鹸でじゃぶじゃぶ洗われました。
「縫った後の傷口からはばい菌は入りません。普通に生活してください」
そう言われても糸が見えているのは嫌なので、バンドエイドを張ってもらいました。
診察料金720円、自己負担220円。

午前中に社長が社内にいる全員を招集しました。
今月一杯で会社をたたむそうであります。
今月20日締めの給料は25日に、30日までの給料は30日に支払われるとのこと。
借金のある会社なので清算はできないので、自己破産ということになるのでしょう。手形を使う会社ではないので「支払不能」ではなくて、「債務超過」という理由になります。ここのところ見知らぬ人が応接に出入りしていたのは、そうした資料を作るためだったのかも。

普通の解雇だったら、給料一か月分の予告手当てが出るところですが、そんなものが払えるのなら破産はしないでしょう。買掛金も8月末支払いのものも7月末に支払うと言っていましたが、同時に「銀行の話では全額は無理だろう」とも言っていました。

社長の希望では、現在社員が抱えている仕事は納品までこぎつけてもらい、口座に振り込まれた金から、社長夫妻が会社の仕入れ費用だけを取って、残りは銀行が管理するので、解雇後の社員に分配して欲しいと言います。しかし、簡単な仕事ならともかく、自分にお鉢が回ってきている仕事は、そう簡単に終わりそうにもありません。
ずるずる仕事をしていたら、下手をすると失業保険すら棒に振りかねません。

未払いの買掛金が生じる以上、会社に債権者がやってくることは避けられません。そんなところですでに解雇された従業員が働いていることを想像することすら難しいです。
一日考えあぐねてみたものの、結論は「申し訳ないが、金の切れ目が縁の切れ目」。予告手当て分の債権は放棄する代わりに、仕事からは手を引かせてもらうことに決めました。ほかの独身の社員がどうするのかは知りませんが、僕には養わねばならぬ家族があります。
大恩ある社長にこのような冷たい態度を取らねばならないのは切ないですが、仕方ありません。

会社がつぶれるときに甘いことは言っていられないのは良くわかっているつもりです。でも・・・。


2004年07月21日(水) 痛い

夕方会社に戻って、社用車のステーションワゴンを降り、荷物を車から出そうと荷室から台車をまず下におろそうとしました。ところが台車を持った場所が悪かったらしく、傾けると同時に開こうとする台車の金具によって、僕の左手の小指は押しつぶされてしまいました。

必死で小指の根元を右手で握って止血すると、しばらくして血が止まりました。でもちょっとバンドエイドを張っとけば大丈夫と言える状態ではなかったので、会社の人に市内で一番大きい私立病院へ連れて行ってもらいました。この病院は救急指定病院なので、24時間365日受け付けてくれます(ただし、小児科医はいません)。

赤い看板の救急入り口から入り、トリアージステーションに行くと、すぐに処置室へ連れて行ってくれました。きっと止血に使った右手が血だらけだったせいでしょう。
対応してくれた医師は「僕は手科外科にいたことがあってね、手の処置は詳しいんだよ」と頼もしいことを言ってくれましたが、実際に処置するのは若手の医師で、しかも見学している医師が二人覗きこんでいました。
「神経も、筋肉も断裂していないようだね。でも傷口は縫う必要がある。部分麻酔でこれからすぐ始めよう」

「親指以外の指の時には、指の根元のここに麻酔を打つんだ」とサインペンでマークしてくれました。若い医師は忠実に麻酔を打ちます。「神経がこう通っているから、ここが一番痛くない。とは言っても痛いがね」。(うう痛い)。
そして、ゴムの物体を取り出すと、僕の小指にかぶせました。「こいつは通称逆コンドームといって、止血に便利なんだ」「質問です。○○法でやらないんですか?」「それだと止血効果しかないが、これだと止血と駆血が同時にできて便利だ。止血だけだと、小指に余った血が処置のときに出るが、駆血すれば血が出ない。ほらコンドームと同じ臭いがするでしょう」(するする)。
若くて美人の看護婦さんが「大丈夫ですか? 痛かったら言ってくださいね」と声をかけてくれましたが「麻酔だから痛くないですよね」と自己ツッコミを入れて視界から去りました。

「じゃあ、つぶれている部分は取り除くんだ」「さて縫おう、垂直に入れて、垂直に出すんだ。だめだ、やり直し」「この場合は、切れている皮膚のほうから針を入れる。なぜだかわかるかな?」(わかりませーん)。
こんな風にして、処置室の中はなごやかな実習ムードに包まれていました。救急外科なんてのはきっともっとすごい怪我を日常的に相手にしているのでしょう。僕にとっては一大事でも、医者にとってはただの怪我であり、腕を磨くチャンスであったのでしょう。

処置が終わると、看護婦さんが流しで傷口を石鹸で洗ってくれました。しみてるのでしょうが、麻酔が効いているので平気でした。トリアージステーションの前では、ずいぶん待たされていると文句を言っている人がいました。

本当だったら治療費はいったん自費で支払って労災の申請をするのがスジなんでしょうが、お金が帰ってくるのは何ヶ月も先なので、健康保険を使わせてもらうことにしました。自分の車のドアに指を挟んだことになっています。

左手の小指はコンピューターのキーボードを打つときに大切な指です。ShiftキーとCtrlキーを担当していますから。しばらくは左手の薬指が、この二つのキーとTabと1qaz(最左列)をまかなうことになりました。


2004年07月20日(火) 「心の病気の方への質問100」に答える(その4)

61.最初に診断された時、どう思いましたか?

 最初に「うつ病」と言われたときは酒を飲む量を正直に申告しなかったので誤診だと思ったです。「依存症」だと言われたときは、ああやっぱりうつ病じゃなかったんだと。そしてもう一度「うつ病」と言われたときは、「おいおい両方かよ勘弁してくれよ」。

62.最初に診断された時と、今の病名は同じですか?

 基本的には変っていないでしょう。

63.病気になる前は、どんな性格でしたか?

 子供でした。

64.↑病気になってから性格が変わったと思いますか?どんな点?

 大人になれませんでした。

65.心の病気は偏見の目で見られることも多いですが、もっと社会に理解されるようにするべきだと思いますか?

 基本的にはイエス。
 社会活動家の人たちは尊敬しますが、自分がそういう活動をしたいとは思いません。自分と同病の人間の相手だけで精一杯。

66.実際そうではないのに、落ち込んだ時に「鬱病みたい」などと言う人が結構いますが、何か感じますか?

 事実だし。

67.既婚者でお子さんのいる方へ・・・育児は自分ではどの程度できていると思いますか?

 ままごと程度。

68.↑お子さんに対して、自分自身の病気について説明しましたか?

 別に説明はしていません。

69.↑どんな風に?理解してくれましたか?

 両親はどちらか一方が寝込んでも不思議でない存在。
 父親は「エーエー」という不思議な集まりに行くらしい。

70.あなたが運営しているサイトは心の病気についてのコンテンツがありますか?

 それが基本テーマです。

71.↑心の病気のサイトを運営していて良かったと思う点はどんな点ですか?

 楽しいからやっているだけです。

72.逆にイヤだなと思う点は?

 請求書が来ること。

73.自分自身のことだけでも大変だと思いますが、サイトをやっていると同じ病気の方から相談を受けたりしませんか?

 相談しているのかはわかりませんが、ときどきメールが来たりします。

74.↑重荷に感じたりしたことはありませんか?

 「ない」といえば嘘になるでしょう。
 でも基本スタンスはウェルカムです。

75.逆に親しくなった人に何度も相談したりしましたか?

 フレーム(議論の白熱)はやったことがあるけど、あれは相談だったのか?

76.心の病気のサイトは閉鎖されることが非常に多く感じられますが、閉鎖しようと思ったことはありますか?

 いつでも閉鎖できると思っているからこそ、続けていられます。

77.↑それはどういう時?

 請求書が来たとき。

78.心の病気についてコンテンツがある方へ・・・なぜ心の病気のことをコンテンツに入れていますか?

 義務感。楽しいから。恩返し。再飲酒への保険。

79.病気のことで、嫌がらせをされたりしたことはありますか?

 とあるホテルのロビーを歩いているとき、酔っ払いから「おーい、アル中」と呼ばれたことがありました。ご当人も重症なんですけどね。

80.↑どのように対処しましたか?

 無視。




2004年07月19日(月) 進捗なし

3日間家にこもってパソコンと格闘していたのですが、仕事のほうは進捗なしと言っていい状態です。金曜の晩にはトラブルでメインマシンのOSが起動すらしない状態だったのに比べれば、開発環境も整って夢のようであるのですが、仕事は進んでいません。

子供たちはパパの仕事を邪魔しようとしているわけではないのは判っているのですが、それでもうるさいことに変りません。まあ、夜寝て昼間仕事をしようと思ったのが間違いだったのかもしれませんね。昼は暑い上に騒音が多いです。いままで自宅に持ち帰りの作業は、たいてい深夜に作業していたので、昼間こんなに集中できないとは思いませんでした。

東京での集会では評議員立候補者が一人だけだったとか。人数が足りなくて再選挙の可能性は考えていましたが、まさか一人とは思いませんでした。とは言うものの、自分も2年続けて断った人なので、人のことをとやかくは言えません。関心を集めるわけでもなく、好きなときに好きなところへ行けるわけでもなく、多数に従えばよいわけでもなく、書類ばかりが送られてきて、しかも読んでないと白まれ、仕事中にも携帯が鳴る(なぜかミーティング中にはかかってこない)。ふつうに考えれば損な役回りであります。

まあ、AAは自由であります。良心に従って行動する自由はあるのです。一方で、どんな役割にだって、一人のAAメンバー以上の能力は期待されていないのも確かなことです。

「何を決めたところで、2年もすれば皆が忘れてしまう」

言いえて妙というのでしょう。だからといって口に泡を飛ばして話したことが無駄になるわけじゃありません。「愛の神」は面倒なことのなかに宿っているのでしょう。

それにしても、こんなことなら東京へ行っていればよかったかもしれません。後知恵は予測よりは常に良いわけであります。


2004年07月18日(日) 「心の病気の方への質問100」に答える(その3)

41.病気はいつか治ると信じられますか?

 うつ病は治って欲しいと願っていますが、一生治らなくても仕方ないと納得しています。
 アルコール依存症は治らない病気です。

42.病気ではない人には理解出来ないと思いますか?

 人間の想像力には限界があるので、根本からの理解は無理だと思います。

43.自分自身の存在さえ否定してしまったことがありますか?(自分は必要ない人間なのではとか・・・)

 いまでも時々。

44.あまり症状が芳しくない時は、どのようにして1日を過ごしますか?

 寝てます。

45.1人で買い物や映画など出かけられますか?

 はい。

46.↑逆に1人の方が気楽でいいと思ったりしますか?

 はい。

47.人込みは苦手ですか?

 あまり好きではないけれど、時々なら良いです。

48.病気の発作で救急車を呼んだことはありますか?

 救急車を呼んだことは一度もありません。

49.薬とアルコールを同時に飲んで大変なことになったことがありますか?

 同時に飲んだときは大変なことになったと思ったけど、後にアルコールだけでもっと大変なことになりました。

50.何をしている時が一番楽しいと感じますか?

 言えません。

51.逆にどんな時が一番辛いと感じますか?

 眠れないとき。

52.愛読書はありますか?

 『もっと素直に生きてみないか』加藤諦三。
 『ビルはこう思う』ビル・W。
 『Perl基礎講座』

53.好きなテレビ番組は?

 ラグビーの試合中継。

54.好きな異性のタイプは?

 自分のことを好きでいてくれる人。

55.独身の方へ・・・病気になってから恋愛できなくなったなんてことはありますか?

 既婚です。

56.既婚者の方へ・・・配偶者は病気のことについてなんと言ってくれていますか?

 うつ病については同病相哀れむ。依存症は「あなたの問題」。

57.感謝している人はいますか?

 いろんな意味でいろんな人に。

58.日常生活で病気のために一番困ることは何ですか??

 朝起きられない。
 アルコールほど「欲しい」と強く思ったものは他にはありません。

59.心の病気は見た目に分かるものではありませんが、自分から病気のことを他人に説明する方ですか?

 自助グループでは大いに。そのほかでは慎んで。

60.女性の方へ・・・薬を長期間飲んでいると、妊娠した場合胎児に影響がある場合がありますが、子供を産みたいと思いますか?

 男です。



2004年07月17日(土) ヘルペンギーナ・蛇口・歯列矯正

長女の罹った病気は「ヘルペンギーナ」というそうです。
喉の奥に水ぶくれができて、これが大変痛いので食べたり飲んだりできなくなります。38度〜40度の熱が2〜3日続くとか。治療は対症療法で解熱剤で熱を下げるぐらいだとか。
これを置いて泊まりで出かけるのは、さすがにできない相談であったか・・・。

我が家のキッチンシンクの蛇口は、水と給湯器からのお湯を混ぜるようになっています。引っ越してくるときに、お湯と水の割合をレバーひとつで変えられるように、シングルレバーの蛇口に交換したのですが、それがそろそろ寿命で、蛇口が閉まらずにぽたぽた水が漏れるようになってしまいました。
隣の市のばかでっかいDIYセンターまで行って、新しい蛇口と工具二つを買ってきました。全部で一万五千円。それでも妻に言わせれば、水が漏れるのが気になるのに比べれば、ぜんぜん気にならない出費なんだとか。およそ一時間で交換終了。

そういえば飲んでいた頃、アパートの蛇口の中のコマ(ゴム製のOリング)が磨り減っても交換せずにおいて、ポタポタと水の漏れる音を24時間聞いていたのを憶えています。コマなんて数百円のものなので、自分で交換するのは簡単でした(が面倒なのでなかなかやらない)。交換しても、寝ているとポタポタとどこからか音が聞こえてきました。今になって思い起こせば立派な幻聴であります。

次女が歯医者に行って、歯列矯正用の器具を着けて返ってきました。これから毎月分割払いであります。確かに歯並びが悪いと、噛み合わせが悪くなって、噛み砕けないので胃腸に負担がかかったり、虫歯になりやすかったり、脳の発達に影響したりするのかもしれません。
でも、主な理由は「顔の見栄え」の問題であります。大人になってから顎の骨を直すわけにはいかないですから。しかし器具を着けた娘の顔をみると「纏足」という言葉を思い出してしまったり。


2004年07月16日(金) 金曜日の諸事情

ネットオークションで不用品に2,500円の値がついて嬉しい一週間でした。

部下が台湾から呼び出され、彼の仕事を替わりにやるはめになりました。まあ今現在、自分の仕事は抱えていないので、それほど難儀なことはないのですが、この仕事、遅れております。本来なら今頃は、名古屋近辺で納品が終わっているはずなんですが・・・。
お盆をはさんで忙しいのはやだなぁ。

社長に業務報告をしたのですが、完全に上の空でした。
今後受注する案件の話を持ち出しても、「ふ〜ん」という状態です。
もう何月に会社をたたむか考えているのかな。9月で下半期が終わるので、その時期がちょうどいいのかもしれません。街金から借りている様子もないので、いきなり夜逃げをしたりはしないでしょうけど、給料の不払いとかはあるかもしれません。

3連休の後半は上京してAAのサービス活動の予定だったのですが、自宅にパソコンを持ち帰って仕事をすることにしました。無理すればサービス活動に参加できなくもないのですが、たぶんそうすると、体力的にも仕事の進捗の面からも、来週後悔する羽目になるでしょう。
サービス活動では僕は何人かの一人にすぎませんが、ホームグループのミーティング会場を開ける責任はとりあえず僕一人が背負っているのです。

長女が39度2分の熱でうなされています。明日は朝から医者かな。


2004年07月15日(木) 「心の病気の方への質問100」に答える(その2)

21.病気を理由に誰かに嫌われたりしたことがありますか?

 飲んでいるアルコホーリクは愛されない生き物である。
 繰り返し寝込んでいるうつ病患者も同様かな。

22.同じ病気の友達はいますか?

 AAの仲間は「友達」とはちょっと違うような気がしますが、友情を感じることもあります。AAメンバーの中にうつ病の人もたくさんいます。

23.病気でなくても、親友と呼べる人はいますか?

 友達いない君です。

24.何でも相談できる人がいますか?

 1人に何でもは無理です。だからいろいろな相談相手が必要な自分です。

25.今飲んでいる薬を教えて下さい。(差し支えない程度で)

 パキシル・ノリトレン・ミラドール・レスリン・ロラメットなど

26.薬の副作用は何かありましたか?

 喉が渇く・鼻が乾く・めまいがする・眠くなる

27.薬を飲み続けることに抵抗を感じますか?

 うつ病患者は「できることなら薬は飲みたくない」と思うのも症状のうちだそうです。
 大地震とかでクリニックが倒壊したら困るなぁ。

28.薬について本やネットで調べたりしたことがありますか?

 一応。

29.睡眠薬は飲んでいますか?

 ロラメット(短期型・導入剤ともいう)とユーロジン(中期型)。

30.薬の副作用、または発作などで困ることはありますか?

 パキシルは男性機能にある種の副作用を与える場合が多いようですが、治験データにもでていないところを見ると、みんな恥ずかしいんだね。

31.どのような発作が出ますか?

 発作は出ません。

32.どんな時が一番症状がひどくなりますか?

 孤独なとき。お腹がすいているとき。起こっているとき。疲れているとき。

33.自分自身、病気になる前と今と、大きく変わった点はありますか?

 大人になると同時に病気になったので、健康な自分の姿が想像できません。

34.病気の原因は何ですか?(差し支えない程度で)

 うつ病は初期に適切な診察と投薬をしていれば、きちんと治ったと思います。
 依存症の原因はよくわかりません。

35.↑その原因は取り除くことは出来ていますか?

 取り除けたらうつ病は治ると思います。依存症は治らないだろうけど。

36.治療法としては薬のみ?カウンセリング、入院などもしていますか?

 入院は4回。現在は服薬のみ。カウンセリングには行ったことがありません。

37.発作が出た時の対処法は?

 発作はないです。それとも酒を飲むのは発作?

38.障害基礎年金をご存知ですか?

 いままで知りませんでした。

39.↑ご存知の方、申請してますか?

 してません。該当しそうにないし。

40.リスカなどの自傷行為をしたことがありますか?

 リストカットで一回救急病院に運ばれました。



2004年07月14日(水) 「心の病気の方への質問100」に答える(その1)

01.それではまず、ハンドルネームを教えて下さい。

 「すすむ」です。以前は「ひいらぎ」と名乗っていました。
 そのほうがよければ「ひいらぎ」と呼んでくださってかまいません。

02.出身地と現在住んでいるところを教えてください。

 長野県で長野県。

03.血液型は?

 AB型

04.ネット暦はどの位ですか?

 アスキーネットに接続したのが1985年。
 インターネット接続は1996年。

05.サイト開設してからどの位ですか?

 開設が2002年1月だから、2年半ですね。

06.家族構成は?

 義父母・妻・娘二人・モルモット一匹

07.あなたを動物に例えると何?

 うさぎ年だからウサギ。一人だと淋しくて死んじゃう。

08.あなたの長所と短所を簡単に教えて下さい。

 真面目なところ。真面目すぎるところ。
 いい加減なところ。いい加減すぎるところ。

09.現在の職業は?

 現在は会社員。

10.病名は何ですか?(差し支えない程度で)

 アルコール依存症(持続完全寛解)
 うつ病(大うつ病性障害・反復性)

11.↑その病気になってからどの位ですか?

 アルコール依存症は自分で過去を振り返ると21歳のとき。医師の診断は30歳のとき。
 うつ病は自分で過去を振り返ると18歳のとき。医師の診断は28歳のとき。

12.専門医にかかっていますか?

 普通の精神科医です。依存症や気分障害の専門医ではありません。

13.↑医師は信頼できますか?

 基本的な信頼関係がないと、治療が成り立ちません。

14.病院巡りをしてしまいましたか?それともまだこれというところが見付からず探していますか?

 現在の医師が4人目です。

15.どんな点で病院を選びますか?

 待ち時間が短いとこ。

16.周りの人たちは病気のことを知っていますか?

 病名は知っているが、病気のことを本当にわかっているかどうかは疑問であります。

17.家族は理解してくれますか?

 それぞれの立場でできるだけ。感謝しています。

18.ネット上では心の病気のことを公開してますか?またはこの質問に答えることによって公開する予定ですか?

 ネット上では明らかにしているけれど、どこの誰と名乗っているわけではないので、「公け」にしているわけではありません。

19.公開していることをどう思いますか?

 珍しい病気ではないことを理解してもらえれば嬉しいです。

20.逆に隠していることをどう思いますか?

 珍しい病気でないからといって、関係ないサイトで告白したりしていません。


2004年07月13日(火) 自分にとっての紙とペン

日本語ワードプロセッサーが初めて開発されたのが昭和50年だといいますから、(25を足して)1975年のことであります。もちろん売り物ではなかったそうです。

初めてパソコンを買ったのが1982年でした。プリンターも買いました。それだけで70万円以上しましたから、貧乏学生にとっても、その親にとっても大変な買い物でした。
友人がその上で動く簡単な日本語ワープロのソフトを組んだのが、僕と日本語ワープロの付き合いの始まりです。当時は、感じを一文字一文字入力していました。

3年後ぐらいに、かなを漢字に文節単位で変換できるようになったソフトが発売されて、多少実用になる時代がきました。大学のレポートをワープロで書いて出して、教授に呆れられたのを憶えています。「お前これ実験の時間よりワープロで仕上げる時間のほうが長かっただろう」と。

大学のサークルでは文字系の同人に入っていて、文章ばっかりの同人誌を出していたのですが、そこでの僕の役割は清書屋でした。人様に読んでもらえるような「そこそこきれいな字」が書けたというわけです(当時は)。

しかしワープロが進化し、私信もそれで書くようになっていくと、だんだん字は汚くなっていきました。ペンを持つだけの筋肉が衰え、それをコントロールする脳も衰えていったからでしょう。そして、そんなことは起こるまいと思っていたのですが、ワープロを使っていると漢字を書く能力が失われていきます。

今では僕は、ワープロやテキストエディタやスプレッドシートを使って、文字を書き、ものを考え、修正し、また考えています。同じことを紙とペンでもってやれと言われたら、それは洗濯機で洗濯をすることを覚えた人間に、洗濯板を渡して洗濯しろと言っているように感じるでしょう。漢字を思い出したり、人様が読めるような字を書くことに時間をかけるよりも、そのぶん「思うこと」に時間をかけたいのです。

だから、僕は相変わらず私信もワープロで書きます。ステップ4もスプレッドシートに向かって自分の内面を探ります。そのことを快く思わない人間もいるでしょうが、僕は気にしません。Live and let liveであります。僕にとってのペンと紙は、19インチCRTとキーボードであることに今後も変わりないでしょう。

「紙とペンを使って書く」とあるときに、僕は現実が許す限り自分にとっての紙とペン(つまりパソコンだ)を使わせてもらうことにしているのです。


2004年07月12日(月) Filling the Big Empty

妻がうつで起きられないので、朝7時から起きて子供の世話をするハメになりました。保育園にお昼寝用のふとんと子供を送り届けて会社へ。睡眠時間が短いのであたまがズキズキしました。

夕方、AAミーティングに行くか、そのまま仕事を続けるか、仕事を持ち帰って家でするかの3択を迫られました。もちろんミーティングに行き、家に帰って余裕があったら仕事をすることにしました。机の上には「自宅作業中」の札をぶら下げておきました。

僕の心には、大きな隙間が空いているのです。その空虚を、以前の僕はアルコールで満たそうとしていました。しかし決して満たされることはありませんでした。だから、僕の酒は止まりませんでした。
酒を止めてみても、隙間は大きく空いたまま残っていました。その空隙に、AAの仲間や仕事の仲間や家族が入り込んで、淋しさや孤独や恨みや妬みを吹き払ってくれました。でも、僕の心の空虚は大きくて、どうやっても満たされない空間が残ってしまうのでした。

僕は様々なもので隙間を埋めようとしてきました。例を挙げるなら昨日の競馬であります。けれどそれらでは決して永続的に満たされることはなかったのです。

残念ながらスポンサーは断られてしまいましたが、その人はミーティングの後に1時間以上も僕に話をしてくれました。自分よりソブラエティの長い仲間とグループを一緒にしたのはたった2ヶ月という一匹狼の自分には、ありがたい機会であります。

「ハイヤーパワーとの人格的なふれあいを求めたらどうだろう」

うーむ。痛いところを。今まで僕は「観念的なふれあい」しか求めてきませんでした。だから邪魔なときにはいつでもそれを脇にどけることができたのです。観念的な神の存在は、否定したければいつでも否定できます。

僕には人格を持った神様というのはまだ想像できません。けれど、仏様だったらどうでしょうか。人格を備えた大仏様のような存在と対話することを考えると、そんなに無理な話ではありません。

「私の存在を否定することはできないでしょう? 私と人格的なふれあいをしているのだから」

そうその人は言いました。だから、ハイヤーパワーとの人格的なふれあいをすれば、その存在を否定することもできなくなるだろうと。そして、神は僕の心の空隙を、永続的で無限の愛でもって満たしてくれるだろうと。

果たして僕は、人格的なふれあいを求めていけるのでありましょうか?


2004年07月11日(日) 愚か者

仕事も煮詰まった土曜日の深夜、僕は家を抜け出してコンビニに買い物に行くことにしました。目的物は日刊ゲンダイであります。
すでに3月に競馬の在宅投票システムの申し込みは済ませてあったのですが、なんとなくやる気がしなくて、ほったらかしでありました。今から思えば、それは健全なことだったのでしょう。
なぜ日刊ゲンダイが要るかというと、AA仲間から「競馬の予想は日刊ゲンダイが一番」と聞いたからです。

着替えていると、深夜だというのに長女が出てきました。おなかがすいて眠れないそうであります。「コンビニに行くけど、何か欲しいものがあるか」と聞くと、タラコのおにぎりと「じゃがりこ」のチーズ味という希望でした。

一番近いコンビには、往復徒歩&買い物で25分ぐらいでしょうか。しかしそこに、日刊ゲンダイはありませんでした。(次のコンビニに行こうか?)そういう考えが心を横切ります。でも、子供がおなかすかして待っているからなぁ。(じゃ、あと一軒だけ)
三軒目のコンビニに向かうときにはもう娘のことは忘れていました。

駅前の繁華街は酔客であふれていました。二人組みの女性に、二人組みの男が声をかけます。
「なにー、シカトすんのー?」
「そんなことないしー」
「じゃさー、2対2で飲みに行こうよ」
「えー、どーしよー」
(おいらも、こんなバカっぽい青春を送っとけばよかったか・・・)

ここは夕刊のない地域なのだと思い出したのは、四軒目のコンビニでした。「勝馬」を買って帰りました。おにぎりはマヨネーズウィンなーしかありませんでした。

寝ていると思った娘は1時間後もまだ起きていました。
「待たせてごめんねー、おにぎり探してたのさ」
ああ、なんと空虚な嘘なのだろう。
2100円投票して、日曜の夕に調べてみたら払戻金が1280円でした。回収率6割、いや「勝馬」が400円だから、実質回収率は5割。なんのカタルシスもありません。でも、来週の週末が早く来て欲しいような気もします。

心の空虚は、競馬の在宅投票なんぞでは埋まりっこないのであります。



2004年07月10日(土) 紙の新聞

休日出勤+仕事持ち帰りであります。

いままで紙の新聞を取ってきたのですが、そろそろやめようかと思います。
夕刊+朝刊の統合版の値段は月に約3千円です。毎日になおすと100円程度なんですが、これだけの意味があるかないか・・・。インターネット上の新聞社のサイトでもほとんど同じ記事を読むことができます。僕は朝刊を朝読む人ではないので、夜に帰ってきてから夕食を食べながら目を通すことが多いです。ときには、読まれることのない新聞がストッカーに積まれていくこともあります。
紙の新聞の良いところは、切抜きができることでしょうか。もっともネット上の新聞ならファイルへ保存すれば済むことですが。
テレビ欄はヤフーで探せば、新聞より便利なのが見られます。

文化記事の類は結構好きで読んでいます。最近でいえば掲示板のほうで話題に上がった吉野朔美の近作の内容がとってもヘビーであることとか、アーシュラ・K・ル=グインのゲド戦記の新刊が出たことだとか・・・、最近ではないけど仏教者とキリスト教者の「快さではなく善さを」という対話の記事であるとか、ネットでは捉えることのできない情報があります。
でもその情報の対価に3千円と言われるとちょっとなー。

あと、捨てるのが資源物の日に限られてしまい、しかも新聞とチラシを分別しないといけないため、前の晩は大層めんどくさい作業を強いられるということもあります。
新聞紙がないと困ることもあるけど、義父母が地方紙を取ってるからそれも問題ありません。新聞が買いたいときはコンビニで売ってるのを買えばいいし。

教育のために子供に新聞を読ませればいいという話もありますが、こう世相が悪くちゃ見せたくない記事のほうが多いです。

あとは新聞屋に電話する勇気の問題ですな。「お金ないんで新聞取るのやめます」って言おうかな。最近そういうことが臆面もなく言えるようになった自分が怖いです。


2004年07月09日(金) びろん・びろん・びろん

最近ウィンドウズOSの起動に5分以上、いや時には10分以上かかるようになってしまいました。以前は、1分ぐらいで起動して、すぐに使えるようになっていたのですが・・・。

起動が1分ぐらいなのは変わりないのですが、すぐに使えるようになりません。アイコンをダブルクリックしても反応がありません。「おっかしーなー」と思って、あっちこっちダブルクリックして回っていると、5分後に「びろん・びろん・びろん」とたくさんのウィンドウが開くことになります。

それでも我慢して使っていたのですが、症状が進行性だったので、ついに原因究明に乗り出しました。結論から言うと、ウィルス対策に使っていたノートンのAntiVirusが原因と判明しました。バージョンを調べてみると2002とありました。2001年に買ったものです。そういえば、あの頃はいろんなアンチウィルスソフトを買って試していたっけ。あの頃は金が少し余っていたんだなーと感慨に浸ってみたりします。

まあ3年も使ったんだから元を取ったと考えて、新しいソフトを買いました。

ウィルス対策ソフトなんて必要なのか? と聞かれることはありますが、僕の場合には必要です。ホームページ上にメールアドレスをさらしていると、SPAMメールが一日に100通近く届きまして、その中には何通かウィルスつきのメールもあります。油断しているとその餌食になりかねません。

AAの仲間が送ってくれるWordやExcelのファイルのなかには、立派にマクロウィルスに感染しているのもあります。ただ実害がない場合も多いですし、感染を指摘するにしても、どうやって駆除するのか説明してあげるのも面倒なので放ってあります。

自分が感染していないか不安という方は、こちら のページに感染を調べる機能があるので、お試しあれかし。



2004年07月08日(木) 百人のAAがいれば、百のプログラムがある

AAミーティング、テーマは「助けなしには手に余るもの」。

「神は、自分で助かろうと努力する者に、よりいっそうの援助の手を差し伸べるのだ」

最近つくづく思うのは、回復のプログラムは、本当に皆、違っているなということであります。「百人のAA(メンバー)がいれば、百のプログラムがあるのだ」という宣言を、文字通り感じているものであります。

AAの窓口は広く、そして奥行きも深い(現実はともかく、理想はそうあるべき)です。そこにはどんな考え方でも受け入れる余地があります。そして、お互いの議論についても決して悪とはされていません。

Grapevineを読んでいると、まったく逆の見解が書かれていたりして楽しいものです。たとえば金銭に対して無力であることをどう受容するかについて、ある号でシングルマザーの女性が記事を書いていたかと思うと、2号あとにはまったく逆の見解の記事が載ったりします(どの号だとは聞かないでね、もう忘れてるから)。
アルコールの問題もあるけれど、主に薬物の問題も抱えた人が、AAミーティングで薬物の話をするのも許されることが、そうでないことかも、一致した見解もないようです。
私たちは自由を与えられていることは間違いないようです。

一つ心得ておかなければならないとするならば、私たちは、人のソブラエティのありように判定を下すような「ソーバー評論家」になってはいけないということです。自分の物差しで他人を計るということは、他人の物差しで自分を計るのと同じぐらい馬鹿げたことであります。

僕も「あのような考え方は苦しそうだ」とか「あのように親分子分をやっていつまでも安定していられるんだろうか」などと思うばかりか、口にしてしまうことも少なくありません。

「ステップの本の121ページ」とだけ単純に教えていただきました。AAメンバーに対して、好き・嫌い、合う・合わない、一緒にやれる・やれないという違いは、相手がもたらしている問題ではなく、自分の内部の問題なのだと。



2004年07月07日(水) 求むスポンサー

スポンサーを持たないAAライフを送ってもう何年にもなりました。
いや、別に僕のスポンサーは死んでしまったわけでも、AAを去ってしまったわけでもありません。でも、お互いにミーティングを共にすることもなくなりましたし、電話をすることもなくなって、相談事をすることもなくなりました。たまに会えば、「お元気そうで何より」という挨拶をするぐらいの間柄です。

この人と一緒にミーティングをやっていたとき以外は、僕はホームグループの中に「先行く仲間(自分よりソブラエティの長い仲間)」なしでやってきました。スポンサー関係がなくなった後は、海図と羅針盤を頼りに自分で航海を続けてきたといったところでしょうか。
ソブラエティがある程度長くなれば、スポンサーなんて要らないという考え方もあります。対して「スポンサーシップは大切だ」と言いながら、自分にはスポンサーが(事実上)いないという事実を自分は軽く見すぎていたのかもしれません。

先日、ステップ5の相手をお願いしてきたと仲間に話したら、「どうしてその人にスポンサーをお願いしないのか?」と言われてしまいました。
ステップ5の相手をしてもらうと言うことは、その相手のことを信頼している(というか、信頼したいと願っている)ことでもあります。信頼したいと願える相手は、一時的なピンチヒッターではなく、きちんとスポンサーを頼んでみるべきではないか、というのは至極まっとうな考えです。

僕の病気は深いので、スポンサーは誰でもいいという訳にはいきません。だから、いつの間にか探す努力をやめてしまっていました。せっかく信頼したいと願える相手に出会えたのに、ピンチヒッター扱いしてしまうなんて。そういう自分に気づかせてくれた仲間に感謝であります。
まあ、その人がスポンサーを引き受けてくれるかどうかは、また別の話であります。


2004年07月06日(火) だから今日一日

祖母が死んだのは、盂蘭盆の頃でした。
寝たきりになっていた祖母の部屋と廊下を挟んで反対側の部屋で、僕はアルコールと抑うつで寝込んでいました。「うちには寝たきりが二人いる」と言われたものでした。自分が寝たきりだったのに、孫の心配をしていた祖母でした。
祖母が死んだのを聞かされたのは、アルコール専門病院に入ってひと月たった頃でした。病院のスタッフから伝言を受け取って、僕は約一ヶ月ぶりに世間へと戻り、たちまちのうちに酔っ払いました。泥酔して葬式の手伝いなどロクにできず、喪服のネクタイもまともに結べませんでした。

父が死んだのは、その一年余り後でした。
狭心症の発作で倒れた父。お酒は一合ぐらいなら血行を良くしていいけれど、タバコは厳禁と医者に言われていたのに、僕の手前、酒は飲まずタバコを吸っていた父は、数日後「寒い」と言ってコタツで寝た翌朝、固くなって見つかりました。実はその間も僕はずっと隠れて飲んでいました。
父の葬式の間は人の目もあって飲めませんでした。禁断症状でぶるぶる震える手で、ビールを注いで回っていました。がたがたと震えながら、目の前の一杯が飲みたくてしかたありませんでした。式が終わると日本酒が十八本余ったので、一本ちょろまかして自室に隠しておきましたが、母がちゃんと数を数えていたようで「すすむ、返しなさい」と言ってきました。僕はなんだか父にすまないような気がして、素直に返しました。
それが、自力で酒を切れた最後の経験となりました。

だがそれも3週間あまりで、飲酒へと逆戻りすることになります。春になる頃、僕は精神病院の中にいました。

その後何年間かは、祖母と父の○年忌というのが続きました。おまけに妻方の祖母や大叔母が亡くなり、葬式やら法事やらがちょくちょくありました。仏式の法話というのは、教会で立ち話をした神父さんの話と良く似ていました。

どんな日を送っていても、死は人に平等に訪れるものであります。だから今日一日。


2004年07月05日(月) 会うは別れのハジメなり

というアルバムが立花ハジメにありましたな。

最近、あいついで二人のAAメンバーが天命を全うされました。残念ながら、僕は二人とも知己を得ませんでしたので、知っているのは顔と名前だけであります。有名なAAメンバーというのが存在し得ない以上、それも当たり前なのかもしれません。
直接知るメンバーたちには悲しみが残るのでしょうが、話を聞いただけの人間としては、「飲まずに死ぬのが私たちの目的である以上、目的を遂げた爽やかさ」というものを感じます。自分もそうありたいという願いがあります。

JSOに電話したら、すでにKさんは退職されたという話を聞きました。人間いつかは今いる場所を去るものであります。

会社の朝会で、社長が会社をたたむ可能性を示唆しました。先週に収支状態を聞かされていたので、「まあそうだろうな」と思っただけで、それほど感慨はありません。職を失えば経済的に困るでしょうし、生活レベルを下げるのに慣れるのは大変なことです。でも、そちらはあまり心配していません。あがいたところで自力での解決はできない問題ですから。
しかし、中途半端で終わるかもしれないプロジェクトに対して、モチベーションを保ち続けられるか自信がありません。会社に対してはプライドなんて存在してませんが、職業に対してはプロ意識というものはあります。金銭的な問題で頓挫するプロジェクトというのは、いつでも悲しいものであります。

人生に始まりがあって終わりがあるように、居場所にも始まりがあって終わりがあります。長く同じ場所にとどまるのを神様は僕に許してくれないようであります。出会いがあれば、別れもあるのが人生。
さらりーまんであるのは楽でよかったけれど、こんどは個人事業主ならざるを得ないかもしれません。自由は増えるけれど、自己管理能力が問われるから大変なんですよね。


2004年07月04日(日) 一年の半分が終わると

一年の半分が終わるころ、僕は一つ年をとります。
毎年毎年一年が短くなっていくような気がします。1/nの分母のnが大きくなっていくからでしょうか? なんとなくnの自乗のような気もするこのごろです。

AAでのニックネームを変えてから一月半経ちました。慣れない皆様にはご不便をおかけしております。僕のスポンサーは、今の僕と同じぐらいのソブラエティの長さのときに、ニックネームを本名の一部に変えました。けれどその後、悪いこと続きだったので、ニックネームを元に戻してしまったのであります。僕もなんとなく悪いことばかり続いているような気もするのですが、さすがに戻そうって気にはなれません。(まだね)。


2004年07月03日(土) なるようにしかならない。

緑内障の治療で眼科へ。診察といっても看護婦に眼圧と視力を測ってもらい、医師に眼底に出血がないか見てもらって、処方箋をもらうだけです。良くなる事は決してないけれど、現状を維持するために労力がいるという病気であります。
それにしても、一家全員がどこかの医者に通っているという、健康保健さまさまの一家であります。

9月11・12日のビッグブックのイベントに申し込みをしました。4人一部屋とかの宿泊なら安くていいのですが、眠れなくて翌日集中できないのも困るので、別にシングルを予約しておきました(いびきのうるさい人がいると眠れないたちなんです)。遊ぶためのイベントではなく回復のためのプログラムであるので、集中できる環境は自分で用意したいです。

夕方からAAの地区委員会・ラウンドアップ実行委員会。
僕自身にとってラウンドアップは6回目になると思います。赤城山・箱根・菅平(前回の長野)・山梨・茨城・そして今度の白樺湖。
ラウンドアップの成功基準とは何だろうと思うことがあります。そりゃ赤字が出たら困るし、参加人数が少ないのは淋しいです。そういう基準ではなくて、初めて来た人が「来てよかったな」と思えるようなイベントがよろしかろうと思うのです。そのモノサシには目盛りがついていないので、結果を評価することはできないんでしょうが。
ラウンドアップも安くはないです。2泊3日だと2万円近くかかりますし、まして今回は東京近辺から距離もあります。初めてのラウンドアップに長野を選んでくれた人は、やっぱり大切なゲストであります。

多重債務に陥った人は、負債のリストを書き出してみることが大切だと言われます。
それと同じ感覚で、今後の我が家の出費を表にしてみました。このまま放置すると、普通預金が底をつくということがはっきりしました。保険の類は年払いのものをできれば月払いに、次女の歯列矯正も時期を延ばせないか相談してみることにしました。
やれる時が来たら、できることをやっていく。それ以上思い悩んでも、金銭の問題は解決のし様がありません。なるようにしかならない。


2004年07月02日(金) 「金はあるときに使え」という信条

長女が滲出性中耳炎の手術を受けることになりました。手術日まで決まっています。手術したところで効果は限定的なのはわかってるのですが、放っておくと聴覚に永久的な損傷が出る可能性があると言われると、放っておけないものです。それでも高額医療費の対象にもなりますし、保険からもでるのでまあ良いでしょうか。

次女のほうは下顎前突(類人猿のように下の顎が上より出っ張る)という症状が出ています。これが美容上の問題だったら「大人になるまで我慢してね」で済ましてしまうところですが、生えない永久歯があるせいで、歯が乱杭になると脅されると我慢してもらうわけにもいきません。歯列矯正は高くて、しかも健康保健も保険もききません。

この前壊れた洗濯機の支払いもあるし、壊れたパソコンの修理費用もあります。僕の生命保険は年払いなので、その請求も来ます。アルコホーリクが生命保険なんて贅沢かもしれませんが、そこで「アル中だから」という言い訳をしてしまうのは、僕の場合は反則です。

「金がないという悩みは、金があるヤツには理解できない悩みだ」という分かち合いを電話で仲間としました。

週末のパルコ前の駐車場は若い女性で混みあっていました。僕はノートPCと弁当箱とA4ファイルを抱えて、彼女たちの間をすり抜け、かばん屋の3階へと急ぎました。ゼロ・ハリバートンのケースにこの3つがちゃんと入るか確かめるためです。
かばん屋の店員にもすっかり顔を覚えられてしまいましたが、ここでは買いません。

帰宅してから、並行輸入のショップへ注文を出し、銀行振り込みの予約を済ませました。
まあ、錬金術は知らないけれど、金はなんとかなるでしょう。


2004年07月01日(木) 自己信頼の難しさ

仕事を一日休みました。
身体の疲れ、頭の疲れなど理由はいろいろありますが、「とても職場に行く気になれなかっただけ」という単純な理由であります。

実は火曜日に社長夫妻と打ち合わせがあり、4〜6月期の売上げがこれだけであり、7月〜9月の売上げ予想もこれだけであり、これではとてもやっていけないという話を聞きました。だからといって、僕に何が出来るわけでもありません。自分はあくまでも技術者としてここに雇われているだけであって、もはや当事者能力を失った社長の代わりに経営に従事しようという気にはとてもなれませんし、その能力もありません。

このまま会社をたためば社長夫妻は破産でありましょう。それは避けたいでしょうから、溺れる者は藁をもつかんできます。しかしつかまれたほうはたまったものではありません。金銭問題は、僕のソブラエティにとって最大の弱点であります。それを認めるのにやぶさかではありません。だからこそ、とてもじゃないけど他人の借金のことまで気にしてはいられません。相手がどんな恩人であろうと、そこのところは切り離して考えなくては、自分の「第一のもの」を守ることができません。

しかし自分は、そのところをすっぱりと割り切って平気な顔をしていられる人間ではありません。それは良いことであるかもしれないし、悪いことであるかもしれません。

以前フリーランサーをしていた自分は、自分ひとりで商売をするということの辛さを良く知っています。りーまんの良いところは、今月の自分の給料について、究極の責任を取らなくても良くて、その日に給料が支払われることをシンプルに期待して待っていて良いということです。不満があっても仕事をやめないのは、その一点につきます。だが、その前提が崩れてしまえば、りーまんであるメリットを感じられません。人様の給料のことまで心配するなんて、自分にはとてもできないことですから。

人の上に立つことは自分には向いていません。以前仕事量の割り振りをしているときに、部下から「あなたが優れていることは認めるが、皆があなたと同じだけの能力を持っているわけじゃないことは忘れないで欲しい」と言われたことがあります。そんなことに気付かなかった自分の愚かさよ。
不思議なことは、自分の能力の限界について、大方の人は「それでもかまわない」という一定の満足感を持っていることであります(一方で金銭的な評価については不満を持っているわけですが)。

僕の最もなりたくない立場は、人様の給料について責任を持つ立場であります。そんなことになるなら、自分ひとりの稼ぎに自分ひとりで責任を持つほうが「はるかに楽」であります。しかし、決定的な破局が今の会社に訪れるまでは、そこに留まるのが一番賢明な選択だということも理であります。しかしそれは心が疲れる道でもあります。

そんなことに耐えられなくなって、一日休んで寝ていました。布団の上だと良く眠れました。意味不明な夢をたくさん見ました。

僕も、自分の能力の限界について、一定の肯定感を持つ必要があるのかもしれません。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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