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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年11月30日(日) ほ〜ら ほ〜ら日記にあんなことを書くから・・・。
金曜の夜寝る前に「今日の最後の作業」と思って、仮想CD-ROMドライバーの新しい版をインストールしていました。ハードディスクにCD-ROMのイメージを丸々保存しておいて、あたかももう一台CD-ROMがあるかのように見せかけるソフトです。インストーラーは順調に実行を続け・・・そして画面がいきなり真っ暗になりました。
再起動してみると、Unknown Driver Errorとメッセージが出るだけで、対処のサジェッションは「最近インストールしたハードかソフトがあるなら取り除きなさい」という趣旨でした。ハードなら引っこ抜くことが可能ですが、ソフトのほうはともかくWindowsが無事起動してもらわないと話になりません。セーフモードでも起動しないことを確認して、あきらめてバックアップからリストアすることにしました。ラベルには「2003-JUL」と書いてありました。ああ良かった、今月はじめにバックアップしてるじゃん。
JULとは7月のことであって、11月はNOVであると気づいたのはリストアしてしまった後でした。しまった、そうと気づいていたら、無理にでも復旧を計ったのに・・・。4ヶ月の間にはハードも変更したし、プロバイダーも変わりました。そういう面倒なことを考えると、「そろそろWindows XPに移ったほうが良いのではないか」と悪魔がささやきました。
XPがインストールし終わったのが土曜日の朝でした。昼から起きて、夕方まで順調に各種ソフトのインストールが進みました・・・が、国内製某ウィルス対策ソフトを入れた直後に、起動後15秒すると固まってしまうパソコンになってしまいました。それが、「ついでにこれも2003から2004に変えちゃえ」と熟考せずに決めたのが原因だったと判明したのはもう深夜でした(If it ain't broke, don't fix it)。
今日は地区委員会+ミーティングに朝から一日を費やしました。地区委員会の棚卸し、というテーマでした。委員会(前身も含めて)に7年出席を続けて、やっと「委員会とはどうあるべきか」がつかめてきたところです。理想には程遠いけど、まずできることから着実にやっていくということでしょうか。
温泉に入って帰ってきたらとても眠くて、寝てしまい、先ほど起きたところです。Officeソフトをいれ、また問題が起きたのでウィルス対策は米国製ソフトに入れ替えが終わったところです。今週一週間は、各種ソフトのインストールで毎晩がつぶれてしまうのでしょう。
教訓:バックアップは定期的に。寝る前に余計な作業はしない。
2003年11月28日(金) 災害は忘れた頃にやってくるか? 僕のパソコンのハードディスクの中で、一番古いデータは1996年ごろのものです。当時、Windows 95が出たので、パソコンの組み立てに初挑戦しました。以後4回ほど新しいパソコンに移ったのですが、データはいつもそっくり新しいパソコンに移してきました。だから、96年以降のデータはほとんど残っているのです。
逆にそれ以前のデータというのは、ほとんど残っていません。資料用に残してあったExcelのファイルがいくつかあるだけで、その日付も93年とかが最古です。不確かな記憶では、生まれて初めて10MB(メガバイト)のハードディスクを買ったのが86年か87年だと思うのですが、その後10年間というものは、不要になったデータはどんどん捨てていたのです。
ディスケットに保存していてはいたと思うのですが、酒を飲んでばかりいたので、机の中のディスクにはカビが生え、産卵したディスクには何が入っているのか判らなくなってしまい、すべて捨てるはめになりました。
パソコン通信のログとかも捨てていたので、当時受け取ったメールはすべて捨ててしまったわけです。
惜しみ惜しみ使っていたハードディスクの空間も、時代とともに広く安くなっていきました。最初に買ったディスクの1万倍の容量のディスクが10分の1の値段で買えるこの頃です。特に削除する理由がなければ、ファイルはそのまま残してありますから、どうでもいいようなメールや画像データまで全部取ってあります。
でも、実は「全部」じゃないんですよね。3年前にハードディスクの操作を誤って、一番大事なデータが集中して入っている領域を消してしまいました。最後に取ったバックアップは9ヶ月前で、その間に作ったWordやExcelのデータは取り戻せませんでした。これを個人的に「失われた9ヶ月」と呼んでいます。
その後は、毎月第一日曜日はデータバックアップの日と決めて、データ破壊という災害に備えていたのですが・・・。喉もと過ぎればなんとやら、地震対策と同じで、すっかりその習慣もなくなってしまいました。
2003年11月27日(木) ホームグループのミーティング いつもなんとなく気持ち悪いし、軽い吐き気します。鼻水はそんなに出ないのですが、鼻から喉になにかぬるぬるしたものが下ってきて嫌な感じです。経験からすると、これは鼻の奥が炎症になっているのでしょう。季節の変化に体がついていけていない証拠です。
今日はミーティングがあってとても助かりました。体調の不良のほかにも、家族も体調が悪かったり、仕事も今一歩不調な状態が続いていて、イライラが募っていたのです。おまけに睡眠不足の頭痛が重なって、何もかもが効率が悪くなっていたのでした。
じゃあ、そんな話をミーティングでしてストレスのはけ口にしているかというと、そうでもなくて、別に過去の経験を話しただけだし、仲間も現状や過去を話してくれただけです。いつもどおりのミーティングがあっただけでした。
でも、その当たり前の光景が、僕の心の中のとげを解かしてくれたのでしょう。そういう不思議な力がミーティングにはあります。それはスピリチュアルな家族の団欒なのかもしれません。
会場をお借りしている公民館の人のご好意で、来年から「定期的に使う団体」に入れてもらいました。これで、隔週の会場の確保がより確実にできるようなったわけです。再来年からは毎週やるようにしたいし、月に一回はビギナーズミーティングをやってみたいな、と思っています。ま、鬼が笑うかな。
2003年11月25日(火) 日常でたまるものと掃除の関係 昨日の月曜日は祝日で近くのAAミーティングがお休みだったので、別の会場へ行くつもりだったのですが、夕方から眠くなって寝てしまいました。東京へ行ってしまった仲間のための一年の色紙を預かっているので、それを別のグループへ返すためにも、その会場へ行くことにしました。(東京は東京で色紙が回っているという話です)。
医者へは2週間にいっぺん通っていて、火曜が通院日です。ちょうど火曜日の朝に薬がなくなるのです。普段は前の週の木曜あたりに通院して、薬の数に余裕を持たせているのですが、ここのところギリギリの綱渡りが続いています。来週は忘れずに木曜に通院しなくては。飲んでいる薬の副作用(鼻血と口渇)がひどいので、量を減らしてもらいました。
実際には、薬なんて飲まなくても平気で何週間か、何ヶ月か無事に暮らしていけるでしょう。しかし、いつかはうつの時期がやってきます。それも何もしないでうずくまっていれば、通り過ぎていくのでしょう。でも、現実の生活では「うつの時期は何もしないでやり過ごす」というわけにも行かないし、通り過ぎるのを待ってもいられません。うつが重くなってから薬を飲み始めても、効き始めるまで2〜3週間ぐらいはかかります。
だから薬は、どちらかといえば「予防」のために飲んでいるわけです。うつにならないように、なっても重くならないように、早く回復するように。仕事しなくても生きていけるなら、たぶん薬はいらない。でも、仕事のせいでうつになってる部分もあるかな。やっぱりワーカホリックなのかも。
仕事に飽きたので、机の片づけをしました。必要なものと不要なものに分けて、不要なものは捨てていくだけ。ステップ4に似ていますね。生き方の大掃除をするというのがステップ4〜9なんだそうです。ちなみに、机の上は必要なものはほとんど残らずに片付きました。
生き方のほうはそうは簡単ではないです。夕方には雨が上がったのですが、標高が高い場所では霧が出て、視界が確保できません。前を行く車のテールランプを見失ってしまったら、記憶と白いラインだけが頼りでした。雲のない場所では、冬の星座が空を賑やかしていました。ミーティングのテーマは「伝統11」。さすがに何を話していいのか戸惑いました。
帰りにガソリンスタンドで給油。いくらハイオクとはいえリッター120円は全国最高水準なのでは? セルフのスタンドだと5円は安いので、そちらを選びました。50リッターだとすると差は250円。250円余計に支払って窓を拭いてもらう価値はないかな。僕はタバコは止めたし、ゴミもたまらないし。
2003年11月24日(月) 好む好まざるを問わず休日は過ぎていく 昨日は妻と子供たちは柔道の大会を見学に行って来たのですが、そこで市内の美術館・博物館のフリーパス券をもらってきてくれました。今月末までの有効期限なので、とりあえず市内に昨年できたばかりの大きな美術館に行くことにしました。たぶん、タダ券がなければ一生行かないでしょうから。家族でお出かけです。
市内中心部に大きく残っていた空き地(駐車場だった)をつぶして作った美術館です。僕にはなぜこの地方都市に新しく美術館が必要なのかさっぱり理解できません。大きな建物を作って、その中に何を収めようというのでしょう。せっかく年に一回は有名な指揮者がオペラを振りにやってきてくれるんだから、オペラハウスでも作ればいいのに。
さて、美術館に行ってみると、なんだか知らないけれど駐車場が混んでいました。受付へ行ってみると、企画展で「モネと印象派の画家たち」をやっているという話でした。せっかくだから、500円払って見ることにしました。子供たちはすぐに飽きてしまったけれど、印象派の色の美しさと、それから白内障を患って次第に物の形に似ることから離れ、ぐるぐる渦まきになっていくモネの筆致に見入りました。子供たちにとっては常設展の草間彌生と根付の展示が面白かったようです。飽きた子供を抱っこしたり、根付を間近に見せるためにおんぶしたり・・・なんだか肉体労働で疲れてしまいました。地元の現代美術展をやっていたのもラッキーだったかな。でも、金を払って常設展だけしかやっていなかったら、僕なら怒っちゃう値段でした。
3日間の連休も、自分のやりたかったことはほとんど進まずに終わろうとしています。書き物もほとんど書けなかったし。でも、まあ仕事があって休みがあるだけ、ありがたいと思ったほうがいいのでしょうか。「サラリーマン年収300万円台の経済学」とかいう本が売れているとか。
2003年11月23日(日) またまた東京 最近では東京への移動手段はもっぱら高速バスです。やっぱり値段が安いからです。
いつもは朝一番のバスに乗っていくのですが、今日は9時すぎのバスでした。朝一番だと、まだ駅前の居酒屋が開いていて、中から眠たげな笑い声が聞こえてきたりするのですが、日曜でも9時過ぎともなると昼間活動する人たちで混みあっています。いつもは到着予定時刻より10分ほど早く新宿へ着くのですが、今日は途中から渋滞になってしまいました。窓側の席に座ると、窓から冷気が降りてきて、肩が冷えてしまいました。季節が変わっていくのを感じます。
委員会はいつもどおり時間切れタイムアウトであります。もっとも、何時間かけたって足りたということはありません。
委員会終了後に吉野家で昼食。新宿西口のヨドバシカメラで時間をつぶしているうちに、ついついDVD-ROMドライブなど購入してしまいました。途中のサービスエリアで、暖かいものでも食べようと思ったのですが、連休のせいか混みすぎていて、時間が足りませんでした。かわりに、バスが終点についたところで、ラーメン屋さんに寄って帰りました。家に帰ると妻がカレーを煮ていて、夕食は済ませてきたと言ったら叱られました。
「どうしてAAだと朝起きられるのに、仕事だと起きられないのだろうねぇ」
多分僕は仕事が嫌いなんです。
2003年11月21日(金) 半端な個人主義者たち 誰にでもこんな議論を吹っかけているわけじゃないのですが、「日本のAAは半端な個人主義者の集まりになってしまっている」という話を時々しています。
AAのプログラムは「徹底した」個人主義を求めています。「AAは自由(な場所)である」という言葉がそれを象徴しています。AAほど個人の自由を認めているところはないでしょう。利己的であっても構わないのです。そうでありながら、私たちは懲罰という仕組みを持っていないし、必要ともしていません。なぜなら、皆が自分の利益ばかりを追求していけば、オンラインのコミューニティであれ、AAのグループであれ、簡単に崩壊してしまうからです。そして、私たちは一人だけでは回復することはできません。結果として、アルコールによる死が私たちを待っているのです。
自分の利害を追求することは、つきつめれば、AAというコミューニティの安定と成長を求めていくということに他ならないのです。個人の意義は社会の利益に優先するという個人主義と、全体の福利は個人の福利より優先するという「伝統一」の間には何の齟齬もないのです。
中途半端な個人主義の弊害は、実はAAにあまり関与しようとしないメンバーよりも、多くの時間(=金銭)をAAに費やしている人々によって起こされていることが多いのです(断定的)。より深くコミットすれば、集団の中でより大きな影響力を獲得しうるのはAAとて例外ではありません。そして彼らは、自分が大きな影響力を行使していることに自覚がない。いや、自覚はあるのかもしれない。あるのかもしれないが、その行使を「個人の自由」として正当化してしまっている。ソブラエティの長さや、サービス機構のなかの位置によって与えられた影響力が、自分の自由な意見や自由な行動を大きく制限することを認めようとしない。逆に、本来そうした影響力を行使しなければならないときには、いきなり偽りの謙虚さを発揮する。
なぜこうなってしまうのか? というような話をしていると、例えばマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をひいて、日本にはそもそも個人主義の土壌がないから、そこへAAのような仕組みを入れてもなかなか根付かないという話をする人もいます。ちなみに僕はウェーバーなんて読んだことはありませんが。
みんな、現状を愁てはいるのですが、どうしたらよいのか、という名案はないものです。
2003年11月20日(木) 不安になるのは信仰が足りないのか? 朝いったん起きて会社に電話を入れ、休むことを伝えて、午前中は寝ていました。
朝刊を読みながら食事を済ませると、何をしたらいいのかなかなか決断がつかなかったので、昨日の日記の例にあげた携帯電話のメモリ編集をすることにしました。PIMソフトの情報も更新しました。あまりパソコンのCRTばかり見ているのも良くなかろうと、テレビをみることにしました。ツタヤで借りてまだ見ていない「ルパン三世カリオストロの城」を途中まで見たら眠くなったので、夕方までまた寝ました。
夕方から病院メッセージへ。悪いことに雨が降り出してきました。市内を早く抜けようと住宅地のわき道へ入ったのですが、途中で曲がるところを間違えたみたいで、山地の上にあるゴルフ場へつながる道へ迷い込んでしまいました。以前地図で見たときには、その道は山の反対側までつながっていました。そして、それはメッセージへ向う病院と同じ方向だったのです。「その記憶は正しいのか」「ひょっとして行き止まりになってしまうのではないか」「引き返していたら遅れてしまう」。松の葉を散らしたスリッピーな下り坂を降りていくと、無事に国道に出ました。
テーマは「行動に移す」。
せっかく仕事を休んでいたのに、メールチェックをしたら仕事のメールアカウントに納期トラブルのメールが2本も入っていました。すっかり休日をエンジョイした気分だったのに、明日の仕事のことを考えるとブルーになってしまうのです。メールなんか目を通すんじゃなかった、ちぇ。
2003年11月19日(水) 1/f(えふぶんのいち)ゆらぎ いろいろと、やら「ねばならない」こともあれば、「やりたい」こともあります。何に取り組んでも中途半端な状態が続いていました。ごく些細なことにイライラするわけです。
例えば、そろそろ携帯電話のメモリ編集をしたいのですが、それだけのことだって始めれば1時間くらいはかかってしまうものです。でも忙しいからそれをやらないでいると、いざ電話をかけたいときに相手の電話番号が携帯電話に入っていなかったり、古いのだったり・・・。そうなると、どこに番号を記録しておいたのか探さないといけなくて、それで1時間使ってしまったりするわけです。
このイライラが焦燥感に変わると、うつの前駆症状です。そして案の定、朝起きてみると、すっかり「仕事したくない病」にかかっているのでした。こんなときは、ギアをローにいれて「会社に出勤した時点で今日の仕事はお終い」と目標設定を低くひくーくします。定時になったらすばやく職場を離脱して、コンビニで甘いものを買って帰り、それを食べたら、昼間ずっとしたかったこと=布団で寝ることをします。明日の朝起きた時点で、今朝より悪くなっているようだったら、(幸い仕事もヒマだし)休んでしまうことにしましょう。
もともと自分はそんなに能力が高いほうではないのです。そりゃ、ちょっとがんばった時には、そこそこの能力を発揮して見せることもあるのですが、そんなのは風で言えば瞬間最大風速みたいなものです。ずーっとがんばり続けられる前提で自分を評価すると、どうしたって過大評価になってしまいます。1/f(えふぶんのいち)で揺らいでいるのが僕の能力です。
まあ、世の中は平均的な能力を持続できて、しかもある一定以下には落ちないタイプ。つまり信頼性の高いタイプが高く評価される仕組みになっています。僕だって部下にはそういうタイプが欲しいです。
でも、自分はそういうタイプではないし、無理にそれを演じることはできません。
まあ、等身大の自分の姿というのは、正確な預金残高と同じで、あまり心地よいものではないのだけれど、幻想に酔うと、結局苦しいのは自分です。
2003年11月17日(月) 教えてください 僕はドコモの携帯を使ったことがありません。ただメールについては、送信できるのも、受信できるのも全角250文字までだというのは知っています。だから、相手のメールアドレスがdocomo.ne.jpで終わっているときは、とても注意して尻切れトンボにならないように慎重にメールを書いていました。ところが、最近聞いたところによれば、受信だけは全角2000文字までできるようになった、というではありませんか!
しかし、調べてみると「初期設定では、受信文字数は全角250字です」と書かれています。しかも、どうやったら2000文字受信できるようになるのか書いてありません。だから、「こうすれば長いメールも受け取れるようになるよ」と教えてあげることができません。だから、相変わらず文字数を気にしながらメールを書いているのです。誰か2000文字受信へ切り替える方法とやらを教えてください(ドコモに聞けってか)。
地元のAAミーティング。色紙を受け取ったので、これを届けに明日も別の会場に行かなければなりません。最近フットワークが重くなっている自分にはちょうどいいことです。今度の日曜日も東京へ行きたかったのですが、たまには三連休を家族サービスに使わないとバランスを欠いてしまうかもしれません。
「仕事・家族・AAのバランスが大切だ」
というのが、スポンサーからもらった最後の提案です。アルコホーリクなので、どれかに夢中になっているほうが簡単で、バランスを取るのは難しいのです。
そういえば先日、クリニックの玄関でスポンサーとすれ違いました。「たまにしかミーティングに行かなくなってしまって、そのうち飲むぞと家内から脅されていますよ」と笑っていました。僕にもそんな日々が来るのかもしれないし、来ないのかもしれない。ただ、いつかはAAと距離を置かねばならない時が来るはずです。今は、そんなことは心配しなくていいのだけれど。
2003年11月16日(日) 日曜日の過ごし方 朝5時起床。バスで東京へ。家を出たときには雨が降っていたので、傘をさして出たのですが、雨はすぐにやんでしまい、一日不要な傘を持ち歩くはめになりました。
集会は定足数に足りず、成立しないまま4時間続きました。僕は今まで集会に議決権を持って出席したことはないのですが、定足数に足りない集会は初めてです。AA内部で起きた犯罪行為についての報告がありました。AAの中には統治機関がないので、裁くことはできないのですが、予防についてはなにか行動する余地があるでしょう。
集会のほかに連絡会議があるという話でしたので、念には念を入れて午後6時50分新宿発のバスを予約していたのですが、連絡会議は昼休みに済んでしまうし、集会も3時前には終わり、長い時間を持て余すはめになりました。セントラルオフィスによってパンフレットを買ったのはいいのですが、それっきりすることがありません。(王子から大塚まで都電に乗ってみればよかったかな)。
いつものことなのですが、日曜日午後ののくだりの高速バスは全席売り切れです。だから早い便に切符を変えてもらうというわけにもいきません。でも、新宿で3時間半待って、それからバスで3時間半移動することを考えると、なんだか気が遠くなってしまいそうでした。思い切ってバスの切符を払い戻して、特急電車の自由席の切符を買いました。3,750円の余分な出費ですが、イナカ者が新宿に3時間半もぶらぶらしていたら、それぐらい使ってしまうだろうなどと自分に言い訳をしました。書店とヨドバシカメラが危険個所。
特急「あずさ」では、間違えて喫煙車両を選んで座ってしまい、2時間半ほど臭い空間で我慢していました。自分も昔はヘビースモーカーだったので、タバコ臭は気にならないつもりだったのですが、なんだか頭痛がしてしまいました。といっても禁煙車両に避難しようとは思わなかったですけどね。
2003年11月15日(土) 土曜日の過ごし方 実はAAメンバー個人のホームページをいくつか知っているのですが、リンク集に収めようとは思いません。なぜかというと、AAのことを取り扱っていないか、取り扱っていても全体に対するその比率があまり高くないようなサイトはリンクしないポリシーなのです。また、そうしたサイトからリンクの依頼が来たこともありません。
実を言うと、僕は「心の家路」のほかにもウェブサイトを持っていて、そちらでは趣味(英語とかパソコン道楽とか)を扱っています。最近まったく更新していないので、ビジター数は微動だにしませんが。
昼に風の強い中、障子の張替えをしました。小さい子供のいる家ですから、障子を全部はがしてきれいに張りなおすなんてことをしても無駄です。すぐに穴を開けられてしまうのがオチです。ですから、穴の開いている升目だけ、障子紙をカッターナイフで切り取って除去しまして、同じサイズの新しい紙を張るのです。升によって紙の黄ばみ具合が違うので、「外から見るととっても変」なのですが、やむを得ません。
僕のパソコンを置いてある部屋でも、障子紙の破れ目から風が吹き込んで寒くてたまらなかったのですが、張替えの結果、室内温度は約3℃上昇しました(目分量)。
緑内障の治療で眼科へ。点眼薬のおかげで眼圧は低く保たれているのですが、最近は眼圧が低くても緑内障が進行して視野が狭くなる例が多いそうで、半年に一度の視野検査を薦められます。仕事が忙しいと言って延期してきたのですが、そろそろヒマになったので来週の火曜日の朝に予約を入れました。
本日締め切りのレポートがあったのですが、提出せずじまいでした。世の中には二種類の人間がいるのです。それは締め切りを守る人間と、守らない人間です。明日はひさしぶりに早朝からバスで東京へ。
2003年11月14日(金) 反応の変遷 DVD-R/RAMドライブを買ったので、メディアも10枚ほど買ってきたのですが、悲しいかな本棚にそれを収めるだけの空きスペースがありません。今度の資源ゴミの日には、忘れずに雑誌や本を捨てるようにしないといけません。破砕ゴミの日にも、不要になったプリンターやらパソコンの部品を捨てないと、暖房器具を置くスペースがありません。
ところで、形式はともかく、ある病院にAAのメッセージを運びつづけてもう6年半になります。最初の1〜2年は、まさに「死にかけた」人々しか入院していなかったように憶えています。病気に対する否認もとても強くて、「誰が何と言おうと、退院したら酒を飲む」とか「ともかく節酒というのをもう一度試してる」とか「こんなところに放り込みやがって」などという話が患者さんの口から飛び出すのが当たり前でした。でも、とにもかくにもそれが正直な気持ちだったのでしょう。建前ではなく本音の話ができるという意味では一種の爽やかさがありました。
そのうちに、病院の位置付けも変わったせいか、それほど酷くない人々が増えてきました。内科も含めて初めての入院で、内科病棟から移されてきたような人も混じっていました。彼らはAAメンバーの経験を聞くと、「なるほどあなた達の話は本当でしょう、でも自分はそれほど酷いとは思えない」と言い、「酒を止めるためにそこまでする必要はないと思う」という感想をたくさん聞きました。これもまた、正直な感想だと思いました。
最近では、何度かの入院を繰り返す人が増えてきていて、「今は病院の中にいるからいいけれど、退院したあとも、本当に飲まないでいられるか、いつまで飲まないでいられるか、そして飲んでしまったらまた入院するしかないのか」という不安を語る人々が増えてきた気がします。これもまた偽りのない意見だと思うのです。こうした話をする人々は、以前のような何もかも失う寸前の「死にかけ」の人々とは違い、まだ失うものがたくさんあるからこそ不安も大きいのでしょう。
こうした不安に対して、「AAのプログラムをやっていれば大丈夫です」と強く言い切るだけの自身が自分にはまだありません。それだけの実績があるわけじゃないし。僕のやってきたことは、「ともかくミーティングに出ること」が中心です。ところがそれだけでは失敗していく例のほうが多いわけです。もっと具体的な回復のプログラムを手に携えられれば、不安の話を聞いても、自分も不安にならずにすむと思うのですが・・・。
2003年11月13日(木) 狂気 ホームグループのミーティング。基本テキストから2章の「肉体と精神のアレルギー」を輪読。テーマはステップ1。
lives had became umanageable。思い通りに生きていけなくなった(手におえなくなった)のは、過去のことなのか、それともそれは今も続いているのか? (別にそんなことをミーティングで話しているわけじゃないですが)。考えて悩むほどの事はではないのでしょうが、考えてみたりします。
もっと簡単な話としては、ステップ2で「正気に戻してくれると信じるようになった」。はたして、飲んでいないアルコホーリクは正気なのかどうか? こちらは答えは簡単で「No」ですね。飲まないアル中が、一見望んだように生きているように見えても、皮一枚下には狂気が剥き出しになります。人生を楽むには「飲まないでいれば」という条件がついていて、「飲まないでいる」には生きた信仰が必要だとステップは説くのです。
僕のソブラエティ1年目に、突然あるAAメンバーが現れました。彼は過去に熱心なAAメンバーだったことがあるのですが、仕事が忙しくなったことを理由にミーティングを去りました。そして仕事で彼は成功を収め、経済的に豊かになるのですが・・・必然的な帰結として彼はまた飲んでしまい、仕事も金銭も失ってふたたびAAに戻ってきたのでした。「物質的な豊かさは霊的な成長の次にやってくるのであって、逆ではない」とテキストにも書いてあります。彼はそのとおりの経験をして、それを皆に伝えるため(かな?)に、あちこちへと飛び回っている途中なのでした。
その後、彼がどうなったのかは知りませんが、彼の分けてくれた経験が僕のその後に大きな影響を与えたことは確かです。
飲んでいなければ正気なのだ、と頑迷に信じていたほうが楽なのかもしれません。でも、アルコホーリクの中に潜む依存症は、いつも発病の機会をうかがっているのです。
もっとも最大の狂気は、繰り返し繰り返しステップを踏んでいれば、だんだん回復していくという思い込みでしょう。人間はそう簡単に変わるものじゃありません。経験の長さだけで聖人ぶっていたら笑われるだけです。ソブラエティの長い仲間は、ちっとも回復していないのだけれど、でも謙虚になって経験を共有している姿を見ると安心します。回復しているように見せようとしてしまうのが、人間の弱さなのでしょうが。
僕だって、自分が回復しているんだと盲目に信じていたいクチです。
2003年11月12日(水) 心の家路 火曜日の夕方、仕事中に妻から「お弁当屋さんで人数分弁当を買ってきてくれ」という電話がかかってきたので、またうつの調子が悪くなったのだろうと察しました。出来合いのハンバーグを焼いてプロセスチーズをのせただけでおそらく価格の大半は件費だと思われる「チーズハンバーグ弁当」430円を4つ買って帰りました。
子供と一緒に食事をし、風呂に入り、食器の片付けと炊飯器の準備をしながら宿題の終わるのを辛抱強く待って、さらに布団で寝るまで待っていたら、なんだか精神的にすっかり疲れてしまいました。そんなわけで、夜にインターネットに遊ぶこともなく、早々と我が布団にもぐりこんだのでした。
とは言っても、素直に眠れないのが睡眠障害者であります。いつもは、仕事の勉強の本を読んでいると不思議と眠くなってくるのですが、とてもそんな気分にはなれません。かといってAAや依存症関係の本を読むのもいやだし、英語の本はもっといやだし、エ○本は好きだけど寝る前にもう一度隠しに行くのが面倒だし・・・。
ふと思い立って少女マンガのところから『心の家路』を取り出しました。
このサイトの名前の元になった本ですが、一回しか読んだことがなくて内容はうろ覚えでした。依存症と関係ないと思っていたんだけれど、まったく無関係というわけでもない話でした。皆
多かれ少なかれ
孤独は怖いんだ
自分の気持ちを
わかってくれる
人なんか
いないんじゃないかと
思いながら
でも
愛されたいと
思っている
心の家路とは、人生を旅に例えて、その旅が「終われば家に帰る」。人生が終わった後に帰る「家」がどこなのかは言わないのだけれど、そこへ向って帰る道を「心の家路」と名づけているのでした。記憶に残っていませんでした。
B○○K ○FFに行けば、もうそろそろ100円の棚に並んでいるんじゃないかな。
2003年11月10日(月) 雨音 AAミーティングを終えて家に帰ると、9時半でした。入浴と食事が済むともう10時半です。なんだか疲れてしまって、今夜は何もやる気が起きません。もともと、ミーティングのある晩になにかやろうという考えが間違っているのかもしれません。
今日は一番近いミーティング会場でしたから9時半ですが、もう少し遠いところだと10時半・11時になってしまいます。僕は家族があって、食事やら洗濯やらは面倒をみてもらえるからとても助かっているのですが、一人暮らしの人は大変でしょうね。
毎日帰りがこんな時間という生活は、僕には何年も続けられないです。週に2回ぐらいだからこそ、ミーティング以外のAA活動にも時間が割けるのです。
天候に気分が左右されるという考え方には賛成できない(賛成したくないだけか?)のですが、こう毎日雨が降っていると気分が沈んでしまいます。それでも目標を低く設定して、雨音に耳を傾けていると、それだけでも結構気が楽になるものなのですけど。
2003年11月09日(日) しろくま 正午起床。子供たちのためにインスタントのグラタンを作りました。
以前からビデオCDというものを作ってみたかったので、CD-Rドライブで一枚焼いてみました。たしかこの規格は昔はDVIと言っていたような気がします。当時は個人所有のパソコンでビデオCDを編集するなんて考えもしなかったのですが、今やビデオCDなんてものに誰も見向きもしません(みんなDVDになってしまいました)。
1万円で購入した我が家のLG電子製DVDプレーヤーでも、無事ビデオCDが再生できました。
晴れてきたので投票へ。そして、スーパーで食料の買い物。
「11月15日必着」というレポートを書かなくてはいけないので、Excelのワークシートと6時間以上にらめっこしていました。
スーパーで買い物をした際に、家族全員ひとつずつ自分のお気に入りの100円アイスを選んだのですが、次女がそれをカゴに入れ忘れたらしく、家に帰ってきたから「私のアイスがない」の大騒ぎでした。「パパのを食べてもいいよ」と言ったのですが、結局おねーちゃんのを半分もらって食べていたようです。パパのアイスは、パパの大好きな九州名物「しろくま」だったので、それを食べてしまっては「パパかわいそう」と思ったかどうかは定かではありません。
美味しく「しろくま」を頂いております。
2003年11月08日(土) 金銭 土日は娘たちが柔道の道場へ通うようになりました。本人達は「バレエが習いたい」とかピアノだとか言っていたのですが、月謝の安さが決め手になったようです。そういえば僕も、小学校のときは柔道へ通っていたのだっけ・・・すっかり忘れていました。
WSMの報告書の代金と、「かわらばん」の代金の振込みに郵便局まで出かけてきました。ついでに、パソコン用のスピーカーを二千円で購入しました。
資料としてアメリカ・カナダの評議会の勧告集を翻訳しています。現在は金銭的に余裕があるニューヨークのGSOも、ずーっと長い間資金不足で悩んでいたようであります。
日本のJSOは年間予算4,200万円で、メンバー数の推定が4000人ですから、年間ひとりあたりおよそ1万円ということになります。この1万円の中には、献金のほかにもBOX-916や書籍やパンフレットの売上げが入っているわけです。だから、メンバー一人ひとりがBOX-916を購読してもらって、ついでに年に一冊ぐらいはAAの本を買ってもらって、それで月に300円か500円ぐらいを献金箱に入れてもらえば、1万円になる勘定です。まあ、実際には地域のオフィスの運営やら、地区やグループの支出もあるので、もっと増えるのでしょうけど。
「料金を支払う必要がない。会費も月謝もない」というAAです。だから金を出したくない人間には、出せということができません。ただ、お金がなければAAがここまで続いてくることもなかったわけです。
「自分が一年間に使うお金の中から1万円をAAのサービス活動のために負担する」
責任を負えるようになるというのが社会的回復だとするならば、金銭面でも一人のメンバーとして責任を応分に果たすということはまさに「回復」です。一年間に一万円の無駄遣いもしないという人は、まず滅多にいないでしょう。金銭の正しい使用が終わったところから、誤用が始まるのです。
などと言いながら、実は僕は某所にはまったく献金していなかったりします。良心が痛まないかって? そりゃ痛みますよ。ただ、グループには献金をストップすることで、意思を表明するという最後の手段が残されているわけです。一部の人間の独善が、多くの人の良心を痛める結果となっているのは残念です。
2003年11月07日(金) 一日休暇の人間と長期休暇の人間 仕事を休みました。有給だの代休だのと言っていると、いろいろと面倒なので、熱が出たことにして休んでしまいました。
県の精神保健福祉センターの方と、広報活動について電話で打ち合わせ。交通費には領収書を書いてもらわなければならないが、そこには住所と名前を書いてもらわなくてはいけないのだけれど、AAの無名性の問題に触れないかどうか、という質問を受けました。アノニミティについて、AA外部の人が抱きやすい誤解だと思います。AAのアノニミティは個人の名前を公共にさらさないという原則であって、無名であるために社会的責任を逃れてもいいというわけではありません。領収書は一般に公開することを目的にしてるのじゃないので、無名性とは関係ないでしょう(たぶん)。
それ以外の時間は、ひたすら寝ていました。自分でもよくこれだけ眠れると感心します。
夕方から退社する社員の送別会。さびれた歓楽街の居酒屋はなかなかいい雰囲気だったけれど、どうも僕は酒席の後は気分が荒れてしまってしかたないです。AAの仲間に電話などして、他愛のない話をしていると、心も普段のペースに戻ってくるようです。
退社していく人は自主退社なので、きわめて気楽に構えているようですが、この不景気の下で彼の望みどおりの職場があるものか心配してしまいます。景気が底離れしたのは確からしいですが、その恩恵に与るまでにはまだ時間がかかるでしょう。まあ、彼は独身だし親とも同居だから、職が無くてもしばらくは大丈夫かも。
しょせん、「おのれはおのれ、人は人」。彼の人生は僕の人生ならず。自分の仕事の心配をするべきでしょうね。
明日は長野へ、明後日は榎木町に行く心積もりだったのですが、自宅でうだうだ過ごすことに決めました。
2003年11月06日(木) WSM報告書到着 先日、JSOからワールドサービスミーティング(WSM)の報告書が届きました。グループのぶんと僕のぶん各1冊であります。添付の書類には「代金」として千円と記されていて、「ビジネスミーティングにお計りのうえ、グループの良心に基づいてご送金ください」と丁寧に書かれてあります。というわけで、実際には請求書と同じぐらいの効力をもった振込み書も2枚届けられたわけです。
今日になって、さらにもう一冊届けられました。「またかよ」と思っていたら、こちらは翻訳ボランティアのお礼ぶんで振込み書はついていませんでした。僕は他の人にぐらべれば3分の1ぐらいの分量しかしていないのに、恐縮であります。でも、自分の努力の結果が印刷物に反映されるというのは嬉しいものです。実際この報告書に目を通す人がどれだけいるかは知りませんが・・・。少なくとも日本の評議会報告書よりは面白いかもしれない。
僕も全部読んだりはしないのですが、中には面白いところもあります。
ほとんどすべての国で、アルコール以外の問題を持つ人の参加が増えているそうです。いくつかの国のグループでは、焦点をアルコールの問題に絞るということについて、とても厳格な考え方を持っているという報告があります。しかし、ミーティングフォーマット(形式)については、あくまでもグループの良心によって決定されるべきだという指摘もあります。
ここでも、AAの単一の目的を維持するのと同時に、アルコール以外の問題についても拒否一辺倒ではない柔軟な対応が必要とされていることが示唆されています。
(SARSの嵐がやっと吹き止んだ)7月に香港でアジア・オセアニアサービスミーティング(AOSM)が行われていて、すでに報告書も届いているそうです。これには17人のボランティアの応募があったそうです。僕らの共同体の財産は常に「経験の分かち合い」なので、他国のAAの実情を知ることができるようにする、というのもひとつのメッセージ活動と言っていいでしょう。日本のAAの出版は、つねにメンバーたちの第12ステップの実践によって維持されているのです。
2003年11月05日(水) ワールドカップ本戦 結局ワールドカップ本戦で、日本は一勝もできなかったというわけです。ラグビーの話ですけど。みんなこっちのフットボールのほうには興味がないみたいなのです。ルールがサッカーよりずっと複雑なのが原因なのかもしれません。しかもしょっちゅうルール改正されるし。という僕も、決勝トーナメントまで見ようとは思わないので、半端なラグビーファンにすぎません。
台湾での仕事が終わった後は、残務などはいろいろ残っているのですが、大きな仕事は入っていません。こうなっちゃうとすっかり気持ちが緩んでしまって、仕事に身が入りません。まさしく燃え尽きちゃった感覚です。でも、こういう動と静があるからこそ、忙しい時期のストレスに耐えられるのでしょうね。この時期にヒマだと、ボーナスが出るかまた心配しないといけませんけど。
しばらくは、この中だるみの状態に身を任せ、心身ともに弛緩させて休めていきます。
2003年11月04日(火) 場所代 2年前に、この日記をはじめた頃には、インターネットにアクセスできるAAメンバーなんて「多く見積もってせいぜい100人ぐらいじゃないか」と話し合っていた覚えがあります。そんな限られたコミュニケーション手段にエネルギーを割くなんて、無駄ではないかという議論があったわけです。
あれから時代はすっかり変わりました。パソコンの普及率はそれほど変わっていないと思うのですが、ネット接続者は増えたでしょう。接続業者が、ADSLモデムを無理に押し付けるような強引な勧誘をやったりして、契約者を増やしたのも貢献しているかもしれません(モラルとしてどうかとは思うけど)。
AAのJSOも、セントラルオフィスのいくつかもウェブサイトを持つようになって、メンバーのサービス実務も電子メールでの連絡が当たり前のようになりました。
『心の家路』もそろそろリニューアルの時期かなと思っています。コンテンツを変更する時間も心の余裕もないので、レイアウトなどを変更する程度でしょう。それでもホームページのインデックスは、かなり変更したいと思っています。コンテンツのほうは「90の道具」を最後まで走りきるというのを優先にして、「AAとは何か」という素朴な疑問に答えられるようなものも加えていきたいです。「長野県内のAA情報」を片隅に追いやって、Yahooの地域カテゴリから脱出したいという目論見もあります(野望とも言う)。
ieji.org のドメイン名は維持料を9年間ぶん払っておきました(ディスカウントがあったから)。「場所」じゃなくて「住所」にお金がかかるというのは不思議な話であります。「場所」のほうは、1年分の場所代の催促が来たので払っておきました。独自ドメインに移ってから、もう一年が経つのですね。はやいなぁ〜と嘆息するのでした。
2003年11月03日(月) 雨は夜更け過ぎに雪に変わったりはまだしないよ 雪雨の季節のために洗車と撥水剤塗布をやったとたんに雨が降ってしまいました。せっかく洗った車を汚しながらミーティングへ行ってきました。テーマはビッグブックの中から「毎日の執行猶予」。
ミーティングの後で雑談。「松本のOAは?」と言われたので、あれはOAでもNABAでもないらしいよ、という話をしました。実際のところ僕は門外漢なので、情報は持っていないのです。男性だし、摂食障害も持ってないし(否認か?)。
僕よりもずっとソブラエティも長いし、いろいろなことにコミットしている仲間の話を聞いて、いろいろと参考になりました。怒りや憎しみや問題行動を抱えている人は、それによって生き延びているのだということ。そうでなければ死んでしまうこと。以前読んだ本の内容とちょっと似ているような気がしました。
三日間はあっという間に過ぎ去ってしまった気がします。台湾から帰ったときは62Kgあった体重が、2.5Kg減ってしまいました。太りすぎると食欲が減るのは、ホメオスタシスなのか、それともエゴがエスを支配しているのか。体重計に乗って数字が小さくなっていると、わずかながらも喜びがあります。これは病的なのか病的でないのか。
なんだか、フィリップ・K・ディックの小説のように自問自答したりしています。
2003年11月02日(日) 洗車PCエロマンガ 土曜日は洗車しました。一年ぶりぐらいでしょうか。入梅前と冬に入る前の11月の年2回車を洗う習慣です。雨や雪のシーズンの前に、ガラスに撥水剤を塗るのです。まずスポンジで車を洗って、雑巾で拭いて、油膜除去剤でガラスをいったんきれいにしてから、撥水剤を塗ります。今回はまめにワックスまでかけてしまいました。今年は入梅前の洗車をさぼったおかげで、1年ぶりのワックスがけになりました。前回のワックスは跡形もありませんでした。銀色の車は、ワックスをかけてもちっとも輝いてはくれません。何のためにワックスをかけているのか、自分でも意味を見出せません。
ミーティングの帰りの夜道が雨だったりすると、結構神経をすり減らします。雨のドライブをすこしでも楽にして、危険を減らすために、ガラスのメンテナンスだけは欠かせません。
夕方からまたPCが起動しなくなってしまいました。復旧に朝まで時間を取られて、日曜日は昼まで寝ていました。午後はAAの資料作り。「なぜ私はひいらぎなどと名乗って、挙句にこんなことに時間を費やしているのか? それより外へ行って子供達と遊んだほうが良いのではないか?」という疑問が心の中に湧きあがってきたのですが、睡眠不足の頭痛の中に消えていきました。
PCのパーツの値段を調べてみると、秋葉原で2万8千円。地元だと3万5千円ぐらいです。完全に壊れてしまう前に代替品を用意したほうがいいのかどうか・・こちらも頭の痛い話です。
陽気婢(ようきひ)というペンネームのマンガ家の本をまとめ読みしました。最近では(美少女系)エロマンガばっかり描いている人です。話も面白いし絵もきれいなんだけど、やっぱり男女が親しくなって数コマ後にはセックスが始まっているというのは、エロマンガの抱える宿命かも。
美少女エロというジャンルは、たいして努力もしていない男の前に、可愛い女が現れて、ひょんなことから二人は親しくなってしまい・・・しかも彼女は実はそうとうエッチである(場合によっては処女なのに妙に積極的なのだ)という「男の煩悩全開」の話が半分以上なんです。だから商業的価値が発生するのだろうけど。
版で押したように同じ話を読んでいて飽きはしないか、と思うこともあるんだけど、現実にありえないものこそ「夢」として楽しめるものなんですよ。でも世の中には夢と現実の区別があいまいな人も多くて困ってしまうのだな。
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