21世紀猫の手日記
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2024年11月19日(火) |
おばさんは、多少圧は強いけど子供ときちんと向き合ったんだな。 |
叔母(いっぱいいるが)昨日と今日の叔母はYってしておく、XもでるかもしれないがとりあえずYおばさんだ。
叔母も母と同じなのが、これはいいでしょっていうのと、これは正しいことだからって圧は尋常の人よりは強いです。この人も、教員ですから。融通は、ずっと小学生みていきているので、母よりはきくんじゃないかな? 過干渉ぎみではあるかもしれない。
たとえば、子供の成績が悪かったら、塾へ行かせるとか、体育が苦手だったら、体操教室いかせるとかね。行かせられた方としては、習い事多いと不満だったかもしれません。 でもね、私みたいに萎縮しきってて、茶の間を通ってトイレ行くのもビクビクしてるっていうのとは、ちょっと違うんだろうなと思います。うーん、学校の成績中心かもしれないけれど、発達段階にそれ相応の取得するべきことに合っている援助をしているなという印象でした。うらやましいですね。教育が成功してる感じがする(笑)
私は勉強は自分でやれって言われましたね。協力とか教えてもらうとかは、ほぼ無かったんじゃないかな。昨日もちょっと書いたけど、比べるとうちは会話が無さ過ぎ。あってもほとんど命令形。私がアホだったからか?話にならないというのであれば、それならば、より丁寧に会話しないとと思うんだけど。
なんであんなに、意思疎通が難しかったのかが、きわめて謎だと思った。ベタベタするのが嫌だ(母)、子供は嫌いだ(父)←これ、言われて苦しかったな。
感情をベースになんか話したりするのが幼稚で嫌だったんでしょうね?もしかすると、本当に理解する気持ちが無かったのかもしれない。大事だとおもっていたのでしょうが、コントロールし続けるのが愛情ってことになってたんでしょうかね。くどいようだが、愛情が無いとは思わないんですが、ほぼ理解不能です。
叔母には、いってはないんですよ。何十年も殺意の手前の苦しさで、無茶無茶人生に介入してきたという話は。話をしてもらえなくてすごく困っていたということはいいましたが。
碌に知りもしない分野に勝手に人を放り込むのと、進路もライフスタイルもかなりコントールしていて、私もそれが嫌なのに共依存だから脱出できず、嫌々従って吐いていたという話は……さすがにできなかった。人のせいにしすぎといえば、その通りなんですが、際限なく命令してくる人たちに……それ聞くのが当たり前って思ってるからねぇ……なかなか、脱出できないんですよ。直接言いに来るのは母ですが、多分命令元は父なんですよ。
叔母から聞いた話で、親戚一同で羅臼岳登山に行ったんですって。叔父とか叔母とか、母方の兄弟夫婦つながりで。母も登山するつもりで、装備を固めてたそうですよ。で、さあ登るってなったとき、父は登山は嫌なので、俺は行かない俺は一人でどうするんだってゴネて、……けっきょく 母は父に付き合って登らないで皆が下りてくるのを待っていたそうですよ。
そんなワガママおやじなんて、熊の湯にでも放り込んでみんなで山登ればいいじゃん。そのためわざわざ8人くらいで車4台くらいで、親戚大集合で行ったのに。母は逆らえなかったのか、優しかったのかはしらんが、とにかくそういう命令系統なんだな。だから、母の入院や施設に関して意見が違うだけでも怒鳴るわけよ。意見ちがうのあたりまえじゃん。(怒り再燃、戒名ついただけありがたいと……苦笑)
死後3年でまだそんな話しているのかって感じですが、正直苦しいんですね。胸に手を当てたら胸が苦しい。月一のカウンセリングでどうかなって感じで、ACの会……数か月でもいいから、もう自分主催でやろうかなぁ……都会に帰ったら。
これからは採算はどうでもいいから、後悔しないよう自分でやりたいことをやろうと思います。(まぁ、それで利益が出たらいいんですけど)
できないことがある→厳しく命令する→考える力が無くなる→さらに厳しくする→考える力、判断力、やる気が無くなる→さらに厳しく命令する(物を取り上げる、外出時間などのペナルティ)→希望も無くなる、うつ状態→さらに厳しくする→考えられなくなって命令を聞くしかない→命令するのが通常状態→命令されるのがひたすら苦しいが逆らえない (しかも、そんな長期間てそうそういないと思うw) ……正直書いていて苦しい……愚かな人生だなと思います……なんとかならんか(箱男)謎の箱積み上げられた聖地へ急げ
……そういう悪循環がずーっとずーっと、親の死の前まであったわけですよ。気がつくまで、縛られた状態ですから。今は当時よりは楽だけど……。 この苦しい状態の人間に、よく、助手さん喧嘩売ってきたなと思いますよ。つんぼとか暴言ね。何度もいいますが、やっちゃいけないのはわかってるけど、刺されてもおかしくない。過去に首絞められててとんでもなく苦しいんですから。
ZAZAなら、ここまで追い詰められてる人は絶対刺激しない(苦笑)気の毒だけど危ないもん。カルテに自分と同じような育成状態で過干渉で、なんか鬱でも統合だったとしても、そういう患者さん来たら、厳しくなんて絶対できない。そういう人は、生きてるだけで辛いもん。 同様な環境の同僚がいたとして、それがどんなに酷い人でも、きつい表現とかはできない。本人だって存在しているだけで、超苦しいとわかるもん。甘いか?そーゆー考え方だから、気を使いすぎて疲れるのか。でも、背景知ったら、多少の迷惑やわがままがあっても厳しくはできないなぁ。
話はちょっと変わる。部屋も最近は片付けられてますけど、前は散らかっていても散らかっているのが見えない状態でしたね。足の踏み場のないゴミ屋敷よりは、もう全然低レベルで、戻せば片付くよね?レベルだけど、なぜかできない。所要時間2−3時間程度の事でも目を向けられない……病気だなと思う。ひどくはないから、気にしなければいいんだろうけれどやっぱり、奇麗なほうがいいんですよ。
まぁとにかく、つらい期間が長すぎる。これを今後の何かに活かせるといいなと思うけど(苦笑)
2024年11月18日(月) |
178km,時速100kmで走れば2時間切る、余裕じゃん←まちがい |
グーグルマップで行きたいところの距離を測ると、そんなことをおもったりします。(苦笑)……間違っています。あぶないですな、その発想。
行けなくはないんだろうけどなぁ……。
そうそう、自衛隊さんの車って、結構道を譲ってくれるんですよ。私、そんなにスピードでないから、トラックの後ろについて走った方が楽wかなとおもっていたりするんですが、めちゃめちゃ端によって抜かさせてくれたこともあります。親切だな。いや、まあ、その時は私の後ろに4台くらいいたので、プレッシャーだったのかもしれない。
久々に母方の叔母に会った。元気そうだった。しかし、親戚ばかり密集している地域で年寄ばかりになってしまい、大変だそうだ。もうね、90のおじさんが認知が半年で急に進んでしまい、靴が履けなくなってしまったのだそうだ。今までは、いないと思ったらバス停にいたりしたんだそうだ。(どこへいくんだよう?) 今は、靴が履けなくなったので、外へは出ない。しかし、足腰の衰えは顕著らしい。
……遠回しに、ちょっとヒマな時は、手伝ってほしい系な申し出があった。90の立ち上がりを89のばあばが、お手伝いって……。暇なときは行かさせていただきます。
うーん……おじさん、お迎えが近いかもしれない。
で叔母との話で、私のいとこを育てたときの話になりました。
……もう、自分、絶望。つか、うらやましい。ぶっちゃけると、いとことしては両親にかまわれすぎてうっとおしかったかもしれないけど、親とコミュニケーションができている感じでうらやましいなと思った。
叔母には信じてもらえるかどうかわからないが、私の両親は私の話を聞くとか感情を理解しようという姿勢が殆ど無いんですね。本当に上意下達で、口答えしても論理で潰していく感じですな。子供相手に(苦笑)大人と同じ対応ですわ。
叔母は、親子で一緒にスポーツをしたり、ラジオを聴いたり、勉強したり……父親ともそういうかかわりをしていたそうだ。なるほどな。
いとこは、他人も自分も尊厳を守れるというか守ってもらえるというか、私のように他人の顔色うかがって生きていないんですよ。多分。境界線もきちんととれている。ビジネスマンとしてきちんとしているし、性格はきついですが、多分私よりバランス取れた人間です。会社の中できちんとやっていけてそうですしねぇ。多分ね。やめてないですしね。うーん……。少なくとも、居たら死ぬってところにはいない。
そういう人から見ると、転職の達人(雇用保険で生きている:爆)、あの、キャリア的にダメだなと思いました。(人間的にもあれ?ですわ、でもしょうがないね)
私と比べるのはおこがましいですが、あのパターンですよぅ(どの?)あの、数日前にかいたかもしれませんが、会社勤めがいろいろとキャリアになって、転職というよりキャリアアップという言葉がふさわしいパターンの人ですよ。もうなんか、役がついて、下に再雇用の元上司が来てちょっと困ってるぞ、みたいな……。そんで起業して収入が15倍になるとかw、ま、そこまではないかもしれませんが……。そうなってもおかしくない会社人生を歩んでいますな。 (そうなるだけの努力や我慢があったんでしょう)
まぁ、そういう人生もあるよね。
うらやましいのは、小学生から高校進学、大学、就職など、沢山話し合ったりしたっていうことです。就職も、自分の入りたいところとかを考えるのに、すぐは就職しなかったそうです。
あーーーーー、、私も、親ときちんとそのあたり話し合いたかったと思った。いやーーー、何であの人たちはことごとく背を向けたのだろうか。
ちなみに、私の詳しい転職人生や、今回の説明なしパワハラ退職とか、叫ぶ主任とか、暴言助手とかの話を流れでしてしまったので、心配された。ありがとう。 私も自分でこの人生はどうかと思う。(苦笑)他人にはすすめられないな。あんまりね。 本来なら、そんなんで私が心を傷つけられる必要性はないんです。でも、基本憎しみや怒りや悲しみでいっぱいいっぱいだったから、傷ついてしまうんですね。んー限界ですね。
甘いと言われても、同じ状態の人なら言ってもいいけど、ここまでひどくって長期間で、本人も共依存に気がつかないし、気がついてても抜け出せない状態なら、もう限界なので仕方ないと思う。
私が、怒りで火矢を放とうが、放火をしようが、……言葉の暴力を、実際の暴力でお返ししてつかまったとしても、もうしょうがないかなと思うレベル。形にすするのはよくないとわかっています。多分、つかまっても反省はゼロでしょうし、精神状態についても、おかしくてもおかしくなくても、そうですねってもうすべてを放棄して言ってしまうような感じ?
ストレスとか苦しみとか怒りとか悲しみとかがいっぱいいっぱいで限界でした。
幸いにして、元気がなかったので火矢もロケット花火も放ちませんでしたが、日記で不平不満をつづるのみで良かったねと思います。実行してたら大量殺人ですな。敬虔な仏教徒でなければやってたかもしれない。また、これ、止める人がいないしね。(苦笑)
もうそんな環境へは行きませんが。
行かないと誓った。
2024年11月09日(土) |
怒りはかなり収まっている。でも、多分時々思い出して怒るだろう。 |
多分、自分の意志で結婚したり離婚したり、なにかできた人はある程度失敗しても、自分で決めたことだから……ってなんかがあるから、失敗しても耐えられるんじゃないだろうか。それだって、耐えられることばかりではないし、どうにもならないことは放置していいんだろうと思う。
若い頃の自分が、楽しかったことはマンガを描くことでした。……、しかし、母は家にやってきて、それにすら文句をつけるのでした……。もうねぇ、……つらいですね。非常に嫌でした。
コミケいくとか、同人誌を作ったり買ったりするのに全力全財産とか、そんな勢いではないです。むしろしょぼい方だとおもいます。多分、10年位で、漫画の原稿としては100枚は書いてないんじゃないかな?イラストとかカットも入れたら、倍くらいはいっているかもしれない。鉛筆書きとか未完成をいれたら、結構いってるかもしれない。(……鉛筆、未完成、部分だけとかなら今でもたまにかいてる)
食器棚を買うなとか、食器を増やすなとか(苦笑)もうトラウマになってますよ。車運転するなも、聞かなきゃよかったと思う。買うな乗るな運転するなと、しつこかったなぁ。15年は言っていたよね。職業選択の幅が狭まるよね。
自由にしても怒られないのが、読書位ですもんね。スキューバダイビングもバイクも文句は言いたそうでしたね。でも、先にやってしまったので、あんまり文句は言えなかったと思う。(苦笑)ダイビングは想定外だったので、禁止できなかったんでしょう。
やっぱり、成人以降もずーっと干渉し続けたいのなら、同居可能な人間関係を作っておいたら良かったんじゃないのかなぁ。就職はほとんど勝手に応募させられたようなもんですけど……。 ずっと同居したとしたら、自分は発狂するとか、ずっと叫び続けるとか、家出して外で凍死してるとか、その手の未来しか考えられませんでした。この人たちの裏をうまいことかいて、アルバイト先とかで、社会人に必要な能力とか感覚とか態度とか服装とか身に着けないと、とてもとても社会ではやっていけないと思っていました。
今思うと彼らの言っていたことは、社会のルールというより、彼らの家の中のルールなんですよ。だから、悪い人がいない前提で、人間中身全振りなんだったんだろうなと思います。
理由?友達が少ないのもあるけど、友達を親が選んでしまっていて、自分が通っている学校の人たちと付き合っちゃいけないみたいな感じでしたからね。それって、なかなか同級生に説明してもわかってもらえなかったよ。無理だろ。 バイト先で作った友達がすごく大事だったもん。そういう人から年賀状くると、知らない人から年賀状来てるわよみたいな感じでまた、トゲのあるかんじでねぇ……いやでした。つらすぎる。
正直、思い出すと、ピンクのダンプカーとかに乗って実家破壊して、ついでに火炎瓶を投げなかった自分が偉いとおもうよ。多分、殺すだけの元気もなかったんだと思います。自分がこうなりたいとか、考えられないですからね。言ったところで、全否定ですから、言えないのと一緒です。
本当に、当時の自分が自己実現をしたいと思ったら、家出とか夜逃げとか、そういうかんじでしょうね。ただ、もう、管理されつくしているというか、コントロールされるのが普通になっちゃっているから、殺意や不満はあってもそこまでするエネルギーも頭の回転力も無いんですよ。相談先も見つからないくらいだし、そもそも、相談ていう発想も無い、何が問題なのかわからない。親が悪いのか、自分が悪いのか。親の論理では私が悪いらしい。自分では限界まで直している。言うとおりにしている。けれど、もうひたすらに苦しい。できないこともある。
しかし、昼学校に行って、夜専門学校に行ってバイトもして、外食したり、友達作ったりして何が悪いのかさっぱりだ。思う通りの格好も化粧もさせてもらえず、髪の毛だってねぇ……40過ぎた娘の髪形、髪が長いと汚らしいしだらしないから切れとかいうのも……中学生から言っていることが同じで、大体私もソレを守っていましたからね。言われるのがまた、嫌なんですよ。まぁ、長いと面倒ですから。ただ、似合うかどうかはわかんないですよ。短いから好印象ともいえませんしね。某北の国でも、短髪女子がえらいというわけではないでしょうし……。
そういう人が家にやってくるわけですよ。赤い新聞をとれと、婦人の機関紙をとれと。もう……ホルストベッセルリードを大音量でかけないだけ偉いでしょう? 玄関先に額入りでヒトラーの写真を掲げてバリケード築く元気もなかったんですよ。今なら、玄関先にナチスの旗を壁に掲げてバリケード作っておきますよ。来る日がわかったら、絶対にいない。総統の演説ライブ会場みたいにしちゃう。そんな元気もなかった自分がかわいそうと思います。
度を越したコントロールっていうのは、根底に愛とか大事に思う心があったとしても、もう、有罪だと思う。自分で生きる力とか選択する力が無くなっちゃう。人のせいにしすぎてると思うかもしれないけれど、親がいたら何を言われるかわからなくて、怖くて、茶の間を通ってトイレに行くタイミングもかなり気を付けるような感じの生活をしていた人だけ、私に文句を言ってくれ。トイレだってびくびくだぜ?もう、大変でしょう。
そういうのが、呼んでも無いのにくるんだから……。
思い出すと、大変だったなと思います。向こうはもともとは私のことが心配で大事だとおもっていたのでしょうが、誰も止めないし、私の言うことなんかは(それが正しかったとしても)全然入っていかない状態でしたし。
で、某氏と親の話をしたとき、すごく大変な状態が長くて、愛が無いわけではないんだろうけど、私はかわいそうな立場だったといいましたねぇ。そんなに命令されて言うことを聞かされていたなんて。これはもう、今、生きてるだけですごいなと思う。こういう状態で、就職もしていたのも偉いと思う。精神的にはかなり追い詰められた状態が長くてボロボロですからね。もう、なんかあったら追い打ちかけられていたので……。しかも、本人たちにはそれほどの悪意はないという……厄介でしたな。
(苦笑)両親の死後も怒っていて、自分でもそれはどうなのか?って思うんだけど、ぶっちゃけ支配が50年近いんですよ。仕方ないかなって思います。だいぶ楽にはなったけどね。まぁ、某氏とたまに親の話をするのもいいかと思います。
2024年11月08日(金) |
他人にも自分にも尊厳を。 |
難しい書き方になるけど、他人も自分も大事にするってことですね。
……、うっかりAC関係でこの日記を読んでしまった人には残念なお知らせだが、YouTubeとかのほうが、まだ、改善とかそっちよりの内容ですから、そっちをみたほうがいい。ここは、ウギャーてなってる状態、しかも長いですから、ごくごく一部の人には共感はえられるかもしれませんが、基本これを読んでいい気分にはならないでしょうなぁ。
さらに、残念なお知らせは、親との関係が悪くてできた良くないもののとらえ方や、感じ方、考え方、怒りや憎しみや悲しみ、そういうのは親が死んでも治らない……。自分がACだって、気がついて、自分の状態を気がつくか指摘されるか……とにかく意識できるようにならないと、なんともならんようだ。ひたすらに不利だったり、不幸だったり不満だったり不安定ロードを突き進んでいくことになる。なんでかっていうと、そうしないと生きていけなかったからだろうと思う。
去年の11月頃に比べれば精神的には楽にはなってきている。けど余計なパワハラとかがあったので、就職できる?と問われると、正直ムリな感じがする。とりあえず、田舎ではどうにもならんので、引越しはしようと思う。
話は戻る。
親は私のことを、大事には思ってたんだろうというのはわかる。自分が年いって、今の状態で毎月娘が来なかったら、こちらから行くとか考えられない。主婦にしてもヒマすぎる。その後70代近くになるまではそんな感じである。60代でもおかしいとおもうぞ。
でもなんか、そんな大事な娘なら、慌てないで人生の進路くらいきちんと自分で考えさせる時間とか余裕与えるべきでしたなと思う。おそらく、なにもできないであろうから、施設で年寄の世話をしたらという短絡的な考え方じゃないかと思う。判断が雑。勉強して何か為せるとか、何かできることがあるとか、全く考えてなかったんじゃないだろうか。
何もできないのではなく、何でもさせるべきでしたなと思いますよ。生きていたらいいこともあるって教えてあげないと、私くらいコントロールされていたら、自傷行為とか自殺とかするんじゃないかと思う。脱出できない状態に絶望して。(ああでも、嫌な人間関係の中にいるという自傷行為はたまにしているか)
……、ああしろこうしろと命令し続けて、自分で考えられない、判断できない状態が、長すぎる。家に来てまで、命令に来るのは本当にどうかしてると思う。来るのは母だが、父のさしがねもあろう。ボン・ジョヴィのハヴァナイスデイって歌でがっくりきた。あまりにも自分すぎて。
……、あれ?何をするのもコワイ、判断できん……あ、してなかったんだ、と気がついたときの絶望感といったら、裁判起こして金よこせと思ったくらいの衝撃だった。そうやって命令され続け、何か自分のことはすべて許可が必要って思っているような人間が、荒れ荒れの人間関係の場所に行ったらすごく難しいと思う。
特に原因も無く突然罵倒されて、びっくりして言い返せないっていうのは、やっぱ甘いちょろいなめられてる、何してもいいと思われてるってことで、そいつに関しては、(抽象的な表現で)喉元に刃物突き付けて良かったんだと思います。暴言に対して、殺すぞとか言っちゃダメらしいですけど、ずっとレコーダー回してるわけにもいかないし、状況にもよりますが、音も良く取れません。
何言ってもいいだろうって思われるのは、やっぱり他人の顔色を窺ってるからじゃないかと思う。そいういうコミュニケーションの基本て、親との関係が重要らしい。もう、そういわれると、私なんか相当意識しないといいコミュニケーションができないと思う。基本一通で諦めてるからな。指示待ちっていうのとはちょっと違う。そんなことしてはいけない、この人はちゃんと扱わないといけない、と思われないといけませんね。
……、そういえば、嫌がらせに、ちゃんと教えないで、聞いたら自分で考えてっていって、わからないから教えてくださいっていったら、指示待ちやめてとか自分で考えてとか、ループ系のハメ技があるらしいな。やめたほうがいいぞ。くどいようだが、何もない人っているからね。我慢する要素が無いタイプや状態の人もいるんですよ。
2024年11月07日(木) |
新居を探しに行かなくちゃ。 |
今、白糠産のチーズを食べている。塩味でおいしいが、100gで600円という途方もない値段だと思う。買う人いるのか?まぁ、観光のお店にあるから、観光客が買うのか。おいしいけど高いなぁー。これなら普通にカマンベールチーズ買った方がいいのかもなぁ。おいしいけどな。近所の肉屋の豚肉が確かロースで246円で、これでもかなり躊躇する。おいしいけど。
安心して買える値段が、125円の阿寒ポークの2割引きの時ですな。うわー、この感覚で都会でやっていけるのか?……2カ月ほど鶏ばっかり食べていたら、飽きてしまって、昨日は回鍋肉作っちゃった。
また、某氏と親の話をしたんだけど、基本ZAZA家は上意下達なので、他所の家がうらやましかった。自由に意見が言えないわけではなかったが、自由に言うと本気の大人理論でコテンパンに潰されるので、(たとえば、お嫁さんになりたい、などというと”お嫁さんは職業ではない”と小学1.2年生くらいからそれくらいのいきおいなので、もう言えないんですね、神様とか妖精とか妖怪とかもその勢いで潰されるわけですよ、)言えないのと一緒ですよね。
バイク乗ってきれいな眺めを見ながら考えたんだけど、両親の考え方が古いと言ってしまえばそれまでなんだけど、私から見るとむやみやたらにコントロールしたがるのは、多分自分たちがそうじゃないからwじゃないかと。そうってどう?具体的に言うと私と違うのね。
もしかすると、多分、彼らの中では、仕事は一生変えないもので、住居も転勤とか災害じゃない限り変わらないものというのが、常識だったのではないだろうか? 仕事で腰痛になったら、治るまで休ませてもらえて、寝る時間のないシフトを組まれることも無く、他人の命を絡めたようなパワハラなんかもない。
お互いがお互いに気をつかい、フォローしあい、お金にそれほど困らない世界が普通だったのではないのか?と思われる。意地悪な人もたまにいるけど、基本幸せな社会をイメージしていられるので、私に無茶な命令を出したり、引越しするのに許可が必要だったりしたのでは?
母親も教員2回やめているくらいだから、単位の足りない代用教員やその家族に村八分にされてかなり嫌な思いはしているはずだ。そういう女性差別の反動みたいなもので某党に入っちゃったのかもしれないけれど……それはおいておいて。
じゃなかったら、腰痛でどうにもならない状態でも働かせようとするのが、わからん。自分もやったことないのに。セクハラ親父のいるOP室で、セクハラから逃げたら今度パワハラになって、ハサミなげられるしさー、殴ってやるぞとおどされるしさ、いられないだろ、そりゃ。
実際もの投げられてるし。上司に相談したらよけい陰湿になったわ。いられないぞ。くどいようだが。別部署ったてねぇ……。手術が売りですからなぁ。にげるしかない。……母親はそういう場面でも私を戦わせて勝たせたかったらしい。半年くらいは、親に相談したりした。まぁ、私としては悪いことはしていません。セクハラもキャーくらいで流しておけば良かったんでしょうね。そんなクソ親父がいきりたおして、仕切っているところにはいたくなかったんですね。身の危険を感じたのでやめた。
そのあとの退職や転職も、入ったその日にウチは医大以外いらないのよね、と暗に退職をうながされたりとか、過労とかわかりやすく命の危機が多かった。あの人たちはよく考えると、このままいたら確実に死ぬか倒れる、ていう状態を知らない。自分がそうなったことが無い。 。
死後数年たっても全開で腹が立つのは、丁寧に働いている時間や状況などを説明しても理解しようとしなかったことだ。だから(苦笑)夜勤は金をくれるのは午後の4時から次の日の9時までだけど、実際は2時半までに着て夜勤帯の薬を作って、仕事中記録ができず11時過ぎまで記録しながら入浴後の患者さんの髪を乾かして、11時半すぎに家に帰って、そしたらでたくないのにごご2時から4時まで無給の詰め所会議に出て、そこから午後5時から9時まで学校で、次の日は普通に日勤で夜学です。夜勤のある所に勤めてたら死んじゃうから、仕事を変わりたい、別に生活困んないからそうしたいと言ったら、大反対してましたね。
休みの日にやってきて、やめるなって説教してましたからねぇ。……それで、本当に倒れてしまったのでなぁ。共依存と過労で判断力が無くなっていたし、他に相談するほど心の余裕がなかったので私も悪いが、……正直、この件を思い出すと両親の葬式出した自分エライと思うもん。戒名までちゃんとつけてエライと思うよ。
そんなに支配してどうするんだと思う。頭オカシイヨ。愛されてないわけではないんだろうけど、学校の先生のくせになぜそこまで私の話だけがはいっていかないのだろうか?赤旗新聞は読んで理解しているようなのに。謎すぎる。そのあたりを思い出すと、怒りが止まらない。私、仮に娘いて、そういう環境だっていわれたら、すぐやめろって言いますよ。友達がそうだったら、具合悪くなったらご飯くらい作るからいつでも電話してっていうもん。
そもそも、ブラックな環境そのものが理解できないのかもしれない。病院でセクハラとか、もの投げてくるとか、無給で拘束時間がむやみに長いとか、……世の中8時間労働でしょ?男女平等で、先輩は後輩にきちんと指導して悪口なんかはいわないものでしょ?とかなんかさ、喧嘩とか嫌がらせのない、人権が守られている感じの世界のイメージが強いのか?とも思った。知床半島で。
自分たちが平和で金銭的にも環境的にもある程度守られた世界にいるから、わざわざ障碍者差別やら貧困やら戦争が問題だと不平等や不幸の塊みたいな記事のかいてある新聞をわざわざとって読んでいたんじゃないかという気がしてきた。自分の事だけ考えていれば公務員ボーナスあるしね、嫌がらせやストレスもあるとおもうけど。幸せなほうじゃないかな。
それと同時に、自分たちが描いている人生のコースと私のコースが違いすぎるってのが原因かとも思う。……ぶっちゃけ学校も就職も親が決めちゃっているので、私本来の方向性じゃないからね。それと、親もそうだけど、私も職業選択の幅が狭すぎる、無知。無知が無知に指導してるようなもんだもん。そりゃぁ怒るよなと思う。
やりたい仕事をやってもうまくいくかどうかわからないのに、そもそもそんなに興味ないことを無理やりやらせてうまくいくか(爆笑)楽しく出勤できるかい?と死んだ君たちには問いたい。むりだろーそれ……。
7.8年くらい前から、いろんな人のブログ読んだりして(どこまで真実かはわからないけれど)会社勤め→なんかスキルつける→昇進とか他の条件のいい会社に就職→自分でビジネスやってみる……ていうパターンの人もいるんだなと。多分、いい学校出ていい会社入った人っぽいが。(もちろん、倒産で解雇の人もいるんだろうけどさ……)
なんつーか、親が私に推し続けた道っていうのが、ひたすら人に使われる道なのね。化粧もしないで髪振り乱して、粗末な服着て一生懸命働くみたいな。(中身重視だから)それも、今思うと幅が狭いなーと思う。
スキルがあろうが、資格があろうが、ちょろいと思われたらろくな金ももらえず 適当な扱いをうけますわ。法律しってるとか、交渉力のあるなしとか、常識とかやっぱり見た目や性格もあってちょろいと判断されたらダメなんだなと思った。
長く生きていたらそれはダメだし、そういう扱いされないようしなきゃいけないと思う。親が私に教えたほうが良かったのは、人にも自分にも尊厳をもって扱われるようにするにはどうしたらいいかってことだったんじゃないかぁ?とか思う。 あの人たちは、そんなの初期装備でしょっておもっているのかもしれないが、実はそうじゃない。大事に扱わないとダメですよっていうのは、わかりやすく前面に出さないと今の世では潰されるのではないかと思う。
あと自主性大事。
2024年11月04日(月) |
多分、エンジン焼ける?オイルはあったけど…… |
羅臼、知床峠、トドワラとか、中標津町近辺とかを回ってきた。熊の湯もはいった。相泊にも行ってきた。相泊温泉は石で埋まっていたが手を入れてみた。適温だ。 ちなみに、上下ヒートテックを安いほうから高いほうまで3枚重ねて、両手両足と前腕と胸に懐炉をはった。フリースの上下を着ていた。冬の格好の上から、さらにコートを一枚来た、遠目にはヘルシングのわんこ大尉のコスにしか見えないかもしれないが、断じてドイツ軍ではない。イタリア軍だ。 家からあと少しという所で、バイクが停まってしまった。出しすぎると止まるようなので、60ぐらいでゆるーく走っていたんだけど、アップダウンに負けたようだ。
バス停も駅もない微妙なところていうかちょっと山の中だった、乗り物は、沢山ある脇道のほうに隠し、秋アジ釣りの帰りのおにいさんに乗せて帰ってもらいました。よくイタリア軍を乗せてくれたよ(怪しいわ)、ありがとうございます! そのあとで、バイク屋さんと一緒にバイクを引き取りに行きました。 とほほのほーい。親切な人、ありがとうよ、お茶しか上げられなかった。私、売店で買い物しないで、寒い中をひたすら走っていたからなぁ、お礼にさしあげるものが何もなかった。羊羹でもかっておくべきだったろうか。
まぁ、とにかく、おにいさんありがとう。おにいさんも、エンストで知らない人に助けてもらったことがあるそうな。あたしもいつか誰かを助けないとね。
というわけで、現在乗り物は自転車だけだ。
zaza9013
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