×××こぉんな日××× |
2003年10月19日(日) +++2003年運動会+++◎? 12日に行われる予定だった運動会。 大雨の為 延期・・・。幼稚園始まって以来の事とか。 でもって 振替日の19日運動会とあいなったわけです。 第1種目は 例年通り 保護者対抗場所取り合戦で 今年 理事長不在の我が家は リタイア宣言したところ お友達のかほちゃんちが一緒に取るよと声をかけて下さり 事前に シートをお預けした次第で 前列の NICEな席を 確保して頂いていました。ありがとう〜! お弁当を3人分作り 運動会と言うのに 相変わらずのイタリア人 並の速度で朝食を取るひなのお尻を叩き 幼稚園のお隣の小学校へ 繰り出しました。 今年の演目は 3種で ダンボールのお船に2人で乗り かけっこ?する競技 玉いれ リレー ダンス2種と バラエティーに飛んでおり 日々 「練習しんどすぎ」と 愚痴っていたひなの気持ちが少し(少しだけ)わかった気がします。 何しろ 一生懸命になると 急に照れる 走り方は 欽ちゃん走り縱バージョン 軟体動物並のくねくねさ・・・と言う 生態の持ち主なので 思いっきり文科系だけど精神は体育会系の私からみたら 「なにやってんねん!喝!!」ってな感じで 運動会もはらはらもの。 あかぐみの皆様 ごめんなさい状態なのでした。 おかげで ビデオには「おりゃ〜〜ひなぁ しっかり走れ〜」 「行け行け〜〜〜!」「よっしゃ〜」とどこぞの競馬場の 赤青色鉛筆を耳に挟んだおっちゃんのような声援が 聞こえるような 聞こえないような・・・。 途中で「zakkyさん ビデオの時に叫んだら全部入るよ」と みなこさんにアドヴァイスを受けた物の 時すでに遅し・・・。 玉いれでは どの玉にしようか選んでから 投げるし 相変わらず 右に左に手をフリフリ欽ちゃんだし ダンスのため 日本手ぬぐいを頭に巻けば ここにロウソク差せば 八つ墓村だなと笑えるし・・・。 ちょっと おまぬけな娘ではありましたが 終始笑顔で しかも 他の女の子の頑張りで リレーは年中組女子で優勝と言う おまけつきで 親子共々楽しめた運動会でした。 来年は 今年にも増してハードな鼓笛隊とクラス対抗リレー (みんなトラック一周走るのよ〜〜)があるので 楽しみだけど 大変そう・・・。 さて 次は音楽会・・・。 忙しい二学期です。 |
2003年10月05日(日) +++法事 ◎+++ 祖母の5回忌の法要が実家でありました。 早いなぁ・・・。 親戚の叔父さんが 数名ここ数年で亡くなっており 今年は 人数も少なくなり 自分の年と共に親の代の 年齢層も高くなっている事も 感じさせられます。 超若手の陽菜は 今年も 張り切り私としては ドキドキひやひや。 「お菓子とか果物をお客さんにどうぞってしなあかんから 陽菜忙しいねん」とそわそわ・・・。 そんな事をしなくて良いから おとなしくおとなしくただひたすら おとなしくしてくれ〜と念じる私・・・。 とりあえず お経が始まり 色々思いをはせていると 不穏な音と言うか 声が・・・。 お経と同じトーンなんだけど・・・。叔父さんが一緒に読経してる んだろうか? でも 何だか下の方で 聞こえるしと横を見ると 神妙な面持ちで 陽菜が うなってる・・・。 「×∴〆⊇▲〜〜♪」ちびっこの声とは思えないほど低い声で 息継ぎも同じに 何とも表現できないような不思議な言葉で・・・。 あまりの真剣さにおかしくなって 笑いをこらえていたら背後で 咳き込む声が・・・。 後ろから 様子を見ていた妹が 笑いをこらえ過ぎで 咳が出て 来てしまったらしい・・・。 後で妹曰く「お姉ちゃんが 陽菜を睨むから 余計におかしかった」 やっぱり おとなしく・・・と言うわけには 行かず・・・。 お焼香では 相変わらず「何回?」と聞くちゃっかりもの。 しかしながら 1時間近く正座で 耐えていた事だけは 良しと しなければならないかな? お坊さんが お帰りになられる際「良くぐずらずに座ってたね。 偉かったね」と誉めてくださり 照れて鼻の穴が膨らんだ 陽菜でありました。 |
2003年10月01日(水) +++過ぎ去ったこと ×+++ 長引く不況で PARTY等の演奏の仕事もど〜んと 減り 華やかな場に出る事も少なくなりました。 音楽事務所に入った頃は バブルの終わり時期で 企業のパーティーやお誕生日パーティー いわゆるご子息の 七五三や入学式 クリスマスパーティーも盛んで VIVA市民の私は 目を白黒してました。 特に 酒飲料系のS社と提携銀行の友好パーティーは 豪華で 抽選の商品は 海外旅行であったりバカラやリモージュの 食器セット(数10万円)で 並べてあるその目録達に 目を白黒してました。 そのパーティーの中で 互いの社の会長が 喉を披露する コーナーがあり S社の会長サンは いきなり「ローハイド」 とかの曲をおっしゃり歌われるので 専属の伴奏者のように 何度もご指名頂き お仕事させてもらってました。 初めてお目にかかった時 「どう言う風に伴奏させて頂きましょう?」と尋ねたら 「なんでもええから やってみなはれ。」と気さくな関西弁で 言われ テレビと一緒だ!とびびった事が思い出されます。 数年前に亡くなられて 今は お孫サンが社長となり 業界TOPを走っておられます・・・。 もう1つ 家電量販店のM社が 再生法申請をされました。 激安店が増えた影響だとニュースで伝えられてました。 M社は 3年ほど前 社長の座を息子さんにバトンタッチをされ その後 経営が難しくなったよう。 前の社長サンは とても声が良くて カンツォーネ JPOPS フォーク 演歌 シャンソンと幅広いレパートリーをお持ちで 夜の町でも ご披露されていた様子。 ただ 年配の方に多い傾向 リズムがヨロシクなかったので カラオケでは合わず 生伴奏をオーダーされていました。 毎年お正月すぎに行われる フランチャイズのご家族を招いての PARTYもそれはそれは豪華で ブランド物のバッグを 手土産に頂いた事も・・・。 そのパーティーでやはり喉をご披露されていて ご自身の歌われる 時に その時の気分で「シクラメンのかおり」とか 「昴」とか マイクを通して歌う曲を決められます。 だもんで紅白で 良かった曲や社長の持ち歌は全て持参し すぐに譜面が出るようにタグをつけ 心臓バクバクで 1年の運試しのような気持ちで お仕事をさせてもらってました。 初めてお仕事させて頂いた時に OKを頂いて それから 数年 こちらもご指名を頂き 毎年恒例のお仕事だったのは 初めは苦痛だったけど だんだん楽しみになっていました。 伴奏が得意になったのも この2人のTOPの方のおかげだと 今も思っています。 お年をめされてから この状態。 お辛いだろうなぁ・・・。お元気でおられますように。 企業の景況感が 昨日 プラスに転換したらしいけれど ふ〜んって感じです。 |