×××こぉんな日××× |
2001年06月30日(土) +++お見舞い+++ 今月半ばに 風邪を引いた おば〜ちゃんは そこから 著しく体調を崩し 今 眠りつづける日々を過ごしている。 それは 小康状態とも言えず 気は抜けない・・・。 ついこの間 面会に行った時 横のおばあさんと たたき合いの喧嘩を していたのが うその様だ。 今日 母 理事長 ひなの4人で見舞った。 理事長は 初めての面会。結婚したときには すでに老人施設に入所 していた。何度か「会いに行こうか?」と言ってくれたのだが おば〜ちゃんに対する 色々な思いがあって 延ばし延ばしにして来た。 初めての対面が 哀しい場になる前にと 時間を作り 4人で足を 運んだのだった・・・。 ひなは「パパは 初めて 100歳ばーちゃんとこ 行くねェ。」と 嬉しそうだった。 園について 部屋へ行こうとすると 母が「こっち」と案内してくれた。 そこは医務室で 簡易ベッドに横たわる祖母が一人で寝ていた。 意識はなく 昏々と眠りつづける・・・。 それが 老衰の症状だと聞かされた。 ひなは いつもと様子が違う事に戸惑いながらも 「ばーちゃん 風邪で かわいそうね。早く 治ったらいいのにね」と しきりに顔を覗きこんでいた。 「おばーちゃんは しわも少なく きれいな顔やなぁ」と理事長が言った。 ここ何年も ちゃんとおば〜ちゃんと向き合ったり 顔をしっかり見たことが あっただろうか? 何とも 言えない想いが す〜〜っとよぎった。 帰ってきてひなが言う。 「おばーちゃんかわいそうね。一人で ねんねしてかわいそうね。 風邪早く治ったらいいね。」って 何度も・・・。 とってもとっても 大切な心・・・。 私って・・・忘れてないかな? |
2001年06月29日(金) +++前世+++ 自分の前世は何だったのだろう? とても 気になる。でも 私は 遠い昔 中国人だったような 気がする。 それは 中華料理がとにかく大好きだから・・・。 同じように その前か 後か?日本人になる前 きっと イタリア人も経験しているはずだ。 それは 毎日でも パスタ料理OK!だから。 おばかなやつだと 笑われるが 毎食 必ず飯粒と漬物みそ汁が かかせない人は ずっと 日本人しかやってないのだろうと 思ってしまうのだ。 私は 米粒無しでも 生きていける・・・。 今週 米粒食べたのは おとといのお昼のネギトロ丼の時だけ。 あとは 米食べてないしぃ。 前世の話しついでに。 何を言っても 理解してくれない人。 いわゆる世間の常識から 遠く遠くかけ離れている人。 仙人のような人。とても 性格が激しかったり 攻撃的だったりする人。 そのような人は 前世がずっとずっと 人間でない人らしい。 たとえば 攻撃的な人は 前世が肉食獣であったりするらしい。 だから 腹が立っても 上記のような方々には 食い下がったり 立てついたりしないで 「あ〜〜この人は 今世で初めて 人間になった方だから 仕方がないよね。」って 広い心で接しなさいと 先輩に言われた。 なるほどなぁ〜〜。 さて 私は 皆様にどう思われているのでしょうか? もしや・・・初めて人間だから 黙認してあげよう!って 思われているのかしらん????? 私の前世は チャイニーズORイタリアンです! (まだ 言うか?) |
2001年06月28日(木) +++ご案内作り・・・+++ 発表会のごあんないを作った。 あつ〜〜い夏の始まりだ。 毎年 秋のはじまりに 発表会。これは 恒例行事だ。 ひと夏かけて 曲を仕上げると言うのも 一つの目的ではあるが ハンディーのある子供達は 環境が変わると 実力発揮がなかなか むずかしい・・・。 ステージの上は それだけで いつもと環境が180度変わってしまう だから 同じ場所。同じ時期と少しでも 同じ・・・が増える様に しようと思っている。 あと 少しの生徒さんの曲決めが終わったら 練習開始。 忙しくなりそうだ・・・。 |
2001年06月27日(水) +++しっぽ+++ 私には しっぽがある。 イメージとしては 薄茶色で下のほうが 白い2色刷り。 私は 努力家ではない。 でも 気になる事は とことん気が済むまで やってしまう。 それが A型やB型の人には とても理解できないような事であっても O型の私には とても大切な事だ。 そのでき映えに 心底満足している所を AB型の人に 冷ややかに 見られていても 譲れない・・・。 誉められることに対して 敏感だ。 ちょっと 誉められると しっぽを ちぎれんばかりに振る。 仕事に関しては 特にそう・・・。 新郎新婦に「ありがとうございました よかったですぅ」って 言われたり お客さんの おじさんに「あの曲なつかしかったわ」とか 言われたら その日たとえ30曲位 リクエストがあったとしても しっぽひと振りで 天にも上る気分で ちゃらにしてしまう 単純なやつだ。 そして その喜びを知っているから お仕事やめられないのだ。 苦手な人の前では しっぽは地面にくっつくくらい 下がる。 大好きな人の前では また 左右にぴこぴこ動く。 落ちこむと しっぽはスクリューに変わり 地面を掘る。 ずんずん ブラジルに届くくらい 掘りつづけ しばし その穴から 出てこない。 気持ちの嵐がとおりすぎ 穏やかになるまで 穴の中で じっと 考え 考え 考える。 そして 飽きるまで考えたら ふいに 空を見上げ 一気に 穴から飛び出す。 今日は 何週間ぶりかで 午前中 家にいた。 最近 上がったり下がったり 左右に振ったりと 忙しかったしっぽも ちょっと ひと休み。グルーミングタイムってとこか??? |
2001年06月26日(火) +++おいおい+++ 昨日の夜 疲れているにもかかわらず パパと寝室で 遊んでいたひな 寝たのは 結局12時回っていた。 今朝 起こしても起こしても起きない。 挙句の果てに「ピングー終わってから おっきする。」と 寝ぼける始末。ピングーの夢でも見ていたのか・・・。 プールに行くよの声で しぶしぶ起きて 食事。 その後 段々ペースを取り戻し「今日もがんばるねん」とのこと。 その意気込みが恐いのだ。 ところが やはり 眠かったのか 準備体操で ぼ〜〜〜っとする。 プールサイドでは みんなが越し掛け バタ足をする中 水中の一点を見つめ ぼ〜〜〜! 眠いんだなぁと上から見てもわかる。 こっちを振り返りもしない。 そのうち ビート板をつかってのレッスンが始った。 目を疑った・・・。ビート板につかまったまま 寝てた。 お友達のお母さんに「ひなちゃん寝てるよ」と指摘される。 そうなのだ。ベビースイミングの時から 眠気が襲うと 「ママ〜ひな上向く」と上をむきぷかぷか浮き そのまま15分ほど寝てた。 これが 毎週続いていた。まるで 溺死体・・・。 気持ち良さそうに ビート板にしがみつき 寝るひな。 コーチ苦笑い・・・。 プールサイドでバタ足。プールサイドにしがみつき寝る。 大きな(畳1畳分くらいの大きさ)ビート板に5人くらいしがみつき バタ足の練習するときも 1人寝ている・・・。 滑り落ちそうになり コーチはひなの腕をつかんだまま 他の子供達の お相手・・・。ご苦労かけます とほほ。 腕と腰にヘルパーをつけて 1人で泳ぐ時も 腕を伸ばし浮いたまま 寝る・・・。そのうち プールサイドに越し掛けて順番待ちの時も こっくりこっくり船を漕ぎ出した。 あんたを安眠させる為に 高い月謝払ってるわけではないのだ。 おいおい・・・ レッスン終了後コーチに手を引かれてやって来た。 「今日は ひなちゃん よほど眠かったようですので お昼ねさせて あげてくださいね・・・」 「はい・・・すいません」 帰りの車の中「ひな あんたねぇ。なんで プールで寝るわけェ?」と 半ばあきれながら 聞くと 「だって ひな 眠かってん。ねんねしたらきもちい〜ねん。 ママもやってみる?先生に言うたげるよぉ。」 ばっかも〜〜〜ん!結構です。 |
2001年06月25日(月) +++ひな感謝デー+++ しばらくひなを ほったらかしで 寂しい思いもさせたので 今日は ひな感謝デーにした。 実は ホントは今日は ゆっくりしたかった。 昨日 お弁当のお買い物の途中で 貧血起こした事も 一つの理由。 1日中 家にいる事も ココ数週間ないから・・・ でも たまにはね。こういう日も 必要。 リクエストにお答えして 須磨海浜水族園と海に決定。 早朝から お弁当の制作に取りかかり その後大慌てで 朝食。 車を取りにいき 出発。 ここで 愚痴っても仕方ないのだが 普通の家族と言うのは お母さんがお弁当作り お父さんは運転手という図式なのでは ないであろうか??? うちは 理事長(主人)が 免許を取っていない為 お弁当も 車も全て私になる。 日ごろ ぐうたらな私は これは ちと辛い。 帰りの事を 考えるので 100%全快で はしゃげない。 (って 思いっきり遊ぶつもりでいる。) こんな私の気持ちを 察してか 最近ひなが言う。 「ひなが ママみたいに 大きくなったら 運転教えてね。 ママいっつも いっぱい運転してしんどいから ひなが運転お手伝い してあげるね。」と・・・。 嬉しいやん。そのときは たっぷり 世話になる事にしよう。 と言うわけで なんとか 到着。 水族園では 色々な場所を 見学し楽しい時間を過ごした。 いかを見てはおいしそうと舌なめずりし イセエビを見ては 値踏みし かにを見ては その大きさに 身の詰まり具合を想像した。 以前 友人の子供が ここに来て 鯛を見た瞬間 「ママ〜〜おいしそうな おさかなやねぇ。どうやって食べる?」と 聞いたらしいが うちらもその子と対して 変わりなかった。 暑いなか 頭痛を起こした私は 1時間ほど車で横になった。 その間 理事長とひなは海岸へ・・・。 慌てて起きて 海岸へ行ったら 砂遊びの真っ只中。 足元は どろどろ。どうやら 大波にやられたらしい。 しかし 以前より「海に連れて行って〜〜〜」とせがんでいた ひなは 大喜びで珍しく帰らないコール。 「あ〜〜〜海って 楽しいねェ。ひな また来たい。」と 叫んでいた。 もうすぐ夏!今年は 新しい遊びの場が ひとつ増えそう。 苦手な夏も ひなとなら 笑って過ごせそうな気がする。 (もしくは ボルテージあがりっぱなしで あっという間に秋か?爆) |
2001年06月24日(日) +++事故+++ 教習所の話しが 思わぬところで 受けているようだ。 車つながりで 今日は事故の話し・・・。 過去車の事故は2回。 1回目は 右折の際 猛スピードで突っ込んで来た 自転車おばさんとぶつかった。このおばさん ぶつかったあと 自力で立ちあがり 唖然としている私と車を即座に写真に収めた。 私が 逃げるとでも思ったのか? どんな 間抜けな顔でうつっていたのかと思うと今も 冷たい汗が 出てくる。 これは 自転車の修理と治療費 お見舞いの示談で 美しくすんだ。 2回目は 細い道から 一時停止で出ようとした所 右側から来る車に気がつかず 運転席側と相手の車とぶつかった。 超頑丈なFIGAROに乗っていたおかげで 助手席にふっとび そのまま 運転席には誰もいないまま 15メートルほど進み ゴミステーションにぶつかり 止まった。 フロントガラスは 前面ひび。運転席側の窓は 割れて車内に飛び散った。 ドアは開かず 助手席側から 引っ張って出してもらった。 怪我がほとんどなかったのは ホントにラッキーだった。 日産の限定車FIGAROは廃車。 フルオープンで 走ったこともそんなに多くなかったのに・・・。 無念! こっちが 悪いのだが これも示談で落ちついた。 事故と言えば 私の友達の事故が忘れられない。 免許取立てのKちゃんは 芦屋のお嬢様。 芦屋も山手にお住まいなので 車は必須。その日も お兄ちゃんの愛車を 借りて下界へ降りようとしていた。 何度も言うようだが 免許取りたてなもんで お兄ちゃんも愛車が心配 だった様で 同乗していた。 下界へは いくつかのカーブをクリアーしなければならないのだが 悲劇はそこで起こった。 お察しの通り カーブをきりそこねたのだ。 お兄ちゃんは叫んだ。「Kそこの 粗大ゴミへ突っ込め」 指示どおり こう言う時はうまく 粗大ゴミステーションに突っ込んで なんとか 車はとまった。 が・・・信じられない光景を目にする。 その粗大ゴミの中に 初老の男性が頭から流血して 倒れていたのだ。 これまた 何度も言うようだが そこは芦屋の高級住宅街。 粗大ゴミも高級なのか????? ゴミをあさるおじいさんに ぶつかるとは運がなさ過ぎる。 なんでまた こんな所に?????と頭はパニック状態になったらしい。 「大丈夫ですか?」「病院へ・・・」と病院へ運んだKちゃん兄妹。 ご家族が迎えに来られて また明日 お見舞いに伺いますと 帰ってきたらしい。 そして次の日 頂いた住所をたよりにおうちへお見舞いへ。 その住所のには ひときは大きな豪邸が・・・ 待てよ?昨日のおじいさんは ゴミをあさってたんだよ・・・ この家 間違い?再び Kちゃんの頭はパニックに。 呼び鈴(チャイムとは言えない代物だったらしい)を押すとお手伝いさんが。 豪華な応接間に通され待っていると 頭に包帯を巻いた昨日のおじいさんと お迎えにいらした奥さんが・・・。 えっ???ゴミを捨てていたのか?でも ゴミステーションとこの家は 遠すぎる・・・。ますます 頭は?????。 品の良い奥さんがおっしゃった。 「主人は 恥ずかしながら 空き缶で色々な物を作る事が趣味でして。 日ごろから おやめなさいと言っているのに 昨日も 空き缶をあそこで 拾っていたんですの・・・」 ご主人「恥ずかしくて 昨日は言えなかったんですわぁ・・・あっはっは・」 あっはっは〜〜ってぇ。たんに 運がなかっただけか?Kちゃん! 「まぁ 見て下さい・・・」と通された庭には 色とりどりの空き缶で 作られた 制作途中の家が・・・。 Kちゃんは思ったそうだ。お金あるんやから 缶ジュースくらい買ってよ。 と・・・。その心を見透かした様に おじいさんが言った。 「拾いに行ったら 色んなもん 見つけられるから 面白くて 止められませんねん・・・。」 その感覚 わかるような わからんような・・・・・。 お金持ちの人の趣味は 理解できない。 あの事故以来 ハンドルきりそこねても 粗大ゴミには 突っ込まない事。 と言うのは Kちゃんを取り巻く友達関係の中では 鉄則になった。 事故とは・・・何が 起こるか わからない・・・。 |
2001年06月23日(土) +++雨+++ 傘を差すのが 面倒な私は そこからして 雨が嫌いだ。 傘を差すと 荷物が持ちにくい。 無理して持つと 肩がこる。 髪の毛は ぼさぼさになる・・・ 服が濡れる・・・。 そして 何より 靴が濡れる。当たり前だが・・・ 外出する時 この靴が くせものなのだ。 せこいので 革靴がおしゃかになるのは 避けたい。 しかし 雨の日用の 靴というのは持ち合わせていない。 長靴というのも もちろんない。 長靴を持っていても 結局 服に合わせられなくて あんまり 履くこともないだろう・・・。 そのことを考えただけで もう1歩も外に出たくない。 今日の雨は 細くて 繊細な雨だった。 ベランダに出て しばらく見入ってしまった。 空が少し 明るく 細く長い雨・・・ 珍しいなぁ。きれいだなぁと ガラにもなく思っていたら 部屋の中から「お茶いれて〜〜〜」と ムードのない声がして 思いっきり 現実に引き戻された。 まぁ こんなもんやね。 |
2001年06月22日(金) +++なんで?+++ 世の中には 不思議な事が良く起こる。 ここに さっきから その話しを書こうと3回も挑戦しているのに 強制終了になるのだ。 なんだか 気持ち悪いので やめよう。 さすがに 4回目に 挑戦する気にはならない。 なんで?こわいやん。 |
2001年06月20日(水) +++おとのゆうえんち4回目+++ ひなが 待ちに待ったYAMAHAの日。 「明日は どれみに行くの?」毎日 これでもかと言うほど 聞かれた。心待ちにしているって事は 良い事だけど。 先々週のレッスンからこっち 実は バタバタしていることを 言い訳に あんまり練習しなかったのだ。 歌は 車のなかで 歌っていたけど 振りやリズム打ちは さすがに 運転中はできまい。 案の定 うちら親子だけ 不思議な動きをしていた。 心なしか 先生の眼鏡のふちが キラリンと光ったような気が・・・。 新しいわらべうたが1曲 テキストのものまねごっこが1曲 加わった。 前回の復習で 大きい小さいの確認をし 今回から歌も大きな声で 発音をはっきり 歌いましょうと指示が入る。 お気に入りの歌は 大きな声で歌っていたものの お返事や 質問には もじもじして答えられない。 まだ3歳だからという 親の甘えと おいおい普段しゃべりすぎるくらい しゃべってんやんという 怒りと交差する・・・。 今日は いつもきちんと数がそろっている CUBE型のイスが 黄色だけ 一つ多かった。一つ分 他の赤 青 緑より高く 積み上げられている。 ん?と思っていたら お片付けの時に 「黄色だけ ひとつ多いね。今日は 大きい小さいのお勉強したけど これは大きいじゃなくて 高いって言うんだよ。」と説明があった。 なるほどね〜〜〜!高いって事 さりげなく話して 次回は 音の高低に持って行くわけね。 確かに 高い低いを 音だけで教えて行くのは 難しい。 勉強になる・・・。 さて 最後におきまりのわらべうたでの お別れ。 「さよなら あんころもち また きなこもち ぱっくん」 先生とさよならして 戻って来たひな 手はげんこつ。 「おてて つなぐから パーにして」といった瞬間 怒った。 「あんころもち ばあばとぱぱに お土産ねんから。パーにしたら おちる。」 そうですか・・・。お土産ね。 そのまま 片手は握ったまま ぐーで 帰路についた。 そのあんころもちを受け取った母 「ひ〜ちゃん ばあば あんころもちよりも ミックスジュースの方が よかったわぁ。」 レッスンの帰りに 二人でミックスジュースを分けて飲んだ事を聴き 母は のたまった。 「せっかく せっかく ひなが持って帰ってきたのに。ばあばに お土産に したのにぃ〜〜〜。」 ひなが 落胆したのは いうまでもない・・・・。 |
2001年06月19日(火) +++教習所+++ 免許を取って 今年で10数年・・・ 良く取れたと 今でも思う。 1段階のしょっぱなで 私は 登校拒否になった。 その1 教官「シートを調節して下さい。」 私 「はい」がたん! シートを倒した私は 白い天井を仰ぎ見る結果となる。 その2 エンジンかけたとたん どうしたことか 車はぶるんぶるん 大振動・・・ 教官「こんな 荒馬のような車に初めて乗りました。」 その3 何度言われても ウインカーを出すたびに 動き出すワイパー。 心霊現象か? 他にも 色々あったと思うけど 血が頭に上って忘れてしまった。 教官も恐い人ばかりだった。 恐くて 嫌で とうとう2ヶ月休んでしまった。 今で言う所の 登校拒否ね。 ある日 受付のおばちゃんから 電話があり「良い先生の予約とって あげるから 期限切れの前においで」と言われる。 おばちゃんには 好かれる性格が ラッキーだった。 こうして また 懲りずに復活する。 だが その後も 色々やらかした。 無線教習で S字の練習しようと思い立ち 勝手にS字コーナーに 乱入。自力で出られず「○号車 無線で S字の練習しないで下さい。 ○○教官が助けに行きますので そのままでいるように」と言われる。 助手席に乗る年数は長かったので 見よう見真似で 追い越ししようとして 教官がびびる。 路上教習の 試験日 この日は仏滅でいやだなぁと思っていたら なんと 路上コースの最も細い道で こともあろうに お葬式。 げげっ!と思ったら 目頭を押さえた 参列者のおばさんが ふらふら飛び出る。「死ぬかとおもった〜〜」と つぶやいた私に「殺すかと思いました・・・」と教官のことば。 案の定 試験は 不合格・・・。 半年以上 こんな日々を送ったのだ・・・。 1月に 入校して免許取ったのは 9月。 冬を越し 桜を仰ぎ 右腕だけやたら黒くなり 鈴虫の涼しい声を 聞いた・・・。 免許取った日に 嬉しくて 父に同乗してもらい 練習していたら 猛スピードで パトカーが来た。 「そこの神戸○○止まりなさい・・・」とスピーカーから声。 練習していたのは 六甲アイランド・・・ 当時 車なんてほとんど走っていなかったのに なぜ? やばい運転は キャッチするのか?恐るべし 警察。 警官「免許見せて!」 私 ビビリながら 聞かれてもいないのに「今日 免許取ったばかり なんですぅ〜〜〜」 父「ご迷惑おかけします」 警官「あ〜 ほんまや。取り立てや・・・あっ!お父さんご苦労さまです。 あまりにも ふらふら走っておられたので・・・」 父「練習中でしてん。」 警官「あ〜〜当分 島から外では 運転しない様に・・・。それでは」 と立ち去った・・・。 ふらふら走る車かぁ・・・いまだに 見たことない・・・ 相当 珍しかっただろう・・・。 警官の忠告も聞かず その後 1週間ほどで 高速の料金所にて おっちゃんを笑わせる私であった。 今 教習所に通っているあなた・・・。 くじけず 頑張ってね! |
2001年06月18日(月) +++きつい女+++ 昨日 披露宴のスピーチで何度聞いただろう。 「新婦はきつい性格ですが・・・」 そのあとには こう続くのだ。 「友達付き合いが良く・・・」とか 「思いやりがあって・・・」とか「意外と家庭的で・・・」とか・・・。 (きつい性格)のインパクトが強すぎて その後の誉め言葉の 印象はきわめて薄い。 花嫁になるって事は ものすごく「力」いることだと思う。 自分が最高に綺麗に見える衣装を選び メイク ヘアーメイクを念入りな打ち合わせの後 マジックハンドで施してもらい テーブルに飾る花の色合いを考え ゲストの為の食事を選ぶ。 新郎がこのひとつひとつの作業を 丹念にこなす事は 困難なはず。 そして そのひとつひとつは やはり 花嫁を引き立てるもの以外の 何ものでもないのだ。 ホテルで式を挙げるともなれば その3時間〜4時間の間 1番良い夢を見せてあげたい。・・・と思う。 そして綺麗にお姫様になった新婦を最後のデコレーションは 友人 親戚の少しこそばゆいくらいの 誉め言葉だろう・・・。 が 親戚のおじさんから始まり 友人3組そのどの人もが 「きつい性格ですが・・・」と言い放った。 たとえば「しっかり者で」とか言いかたはなかったのか? 一瞬 地方の方言で きついは他の意味合いかと考えた。 しかし 和歌山では きついはきつい以外の意味合いは持たないだろう。 親戚 友人一同にきついと言わしめる性格とはいかなるものか? 披露宴の間中 その事を考えていたが 目の前の着飾った新婦からは 想像できなかった。 そして ふと考えた。私も たいがい「きつい性格」だが 同じような状況の時 こんな風にスピーチする友人はいるだろうかと・・・。 1人1人思い浮かべても たぶん こう言う風には表現しないだろうなぁ。 そういう良い友達を立体社会でも平面社会(ネット)でも持てた事は ホントにラッキーなのかもしれない。 今後 誰かの披露宴に呼ばれた時 司会者さんの様に 気の効いた事は 言えないまでも 行き過ぎにならない程度に 心をこめて 褒め称えようと思う。 しかし・・・新婦が「きつい性格」と言われるたびに 新婦の両親が うんうんとうなずいていたのを 私は見逃していない。 |
2001年06月16日(土) +++つら〜〜+++ 今日 エレクトーンコンクール神戸店大会の帰り (明日もあるので 感想はまた明日。) 時計の電池交換をお願いした。 この時計は バブルの名残り・・・ ヨーロッパ旅行で 清水の舞台から飛び降りて (買い物の途中今まで何度 飛び降りてるねん!) 買った 一張羅 カルティエ。 電池がなくなって 早2ヶ月・・・ やっと持って行ったら ショック! パソコンデスクに置きっぱなしにしていた為 磁気にやられているとのこと。 ガ〜〜〜ン!磁石は 大きく揺れる・・・ 「電池交換して 様子見るけど あかんかったら 修理やな。」 職人風のおじさんがおっしゃる・・・。 「そっそっそれは いかほど?」 おびえながら私・・・・。 「まぁ ざっと見積もって カルティエにださなあかんから 2万から3万やなぁ。」 絶句したのは 言うまでもない・・・。 時計 さら買えるやん。 ブランドものって メンテまで 一流のお値段なのね。 修理しなくても済みますように。 祈るのみの 貧乏人A・・・。 |
2001年06月15日(金) +++前進+++ 夏休みとある 小学校では 秋の音楽会にむけて その時に演奏する楽譜を生徒さんに配布し ピアニカなり笛なりで 練習してくるように指導される。 音楽教室に通う子供達が 年に一回とっても張り切る1日 音楽会。ここで ちょっと変わった楽器をするのが うちの生徒さんのなかでも ポイントとなっているようだ。 わかるよなぁ 体育の苦手な私もここは 張り切れるところだったから。 おととしの事だった。 夏休み 実にひと夏かけて ダウン症のよしみちゃんは オルガンやエレクトーンなどの鍵盤楽器を割り当てて欲しくて ピアニカを頑張った。楽譜を見せてもらって 全体の感じを 録音した。それに合わせて 一緒にピアニカを吹いた。 アンサンブル能力を問われるだろうからと その年の発表会は アンサンブル中心だったので わざと よしみちゃんに技量より 難しいパートを渡して 弾けるように皆について行けるように 頑張った。人前で 叱りもした。長い長い 夏休みだった。 夏休みが過ぎ 発表会も終わり ピアニカも吹けるようになった。 完璧だった。それなのに 音楽の先生は認めてくれなかった。 いつもそう・・・。ひろみちゃんは 変な音を出されると困るのでと ハーモニカをセロテープでふさがれた。きよしくんは 途中で 奇声を出さない様にと念を押された。(彼は内気でそんな事はできない) どこの先生もとは言わないが みんな辛い思いを経験している。 その度に お母さん方と 泣いて来た。私も 弱かった。 吹けるようになったら ちゃんとピアニカをチューブ以外で持てない。と 言われた。悔しいから マウスピースの角度を変えたり どうしたら よしみちゃんが鍵盤を見ながら 吹けるか 考えた。 難しい所は 吹かなくても良いとも言われた・・・・。 一切どこも省かず吹けても 楽器は変わらなかった。 同じ仲好し学級のお友達に不公平だという 訳のわからない事を 言われた。ようは 割り当てる気は 始めからなかったのだった。 悔しくて悔しくて・・・。 来る日も来る日もエレクトーンそっちのけで 練習した。 音楽会は うまく行った。当然の結果だった。ものすごく頑張ったのだから。 音楽の先生が「よしみちゃん吹けましたねぇ。お母さん頑張りましたねぇ。」 とぬけぬけと言った。 お母さんが怒ったのは 言うまでもない。「頑張ったのは子供です。」と。 良くおっしゃったと思う。その後 その先生は他の件でも クレームがつき 1年間休養される事になった。 その前に 校長先生に促され 謝罪はされたらしい。 私達は よしみちゃんが音楽を楽しんでくれれば良いと思っていたから 先生がお休みになった事 少し嬉しかった。 今年の4月その先生が復帰された。 またか・・・6年生で今年の音楽会は最後だったから 望みが絶たれたような気がした。 今日 よしみちゃんが明るい表情でやって来た。 音楽の先生少し変わられたようだ。よしみちゃんの頑張りに 目をむけてくれ うたのテストよしみちゃんがうまく歌えなくて もう1度再チャレンジしたいって言った事聞いてくれ 時間を作って 受けさせてくれたそう・・・合格できて嬉しかった様子。 うちのレッスンのソルフェージュの宿題がわからないから 試しに相談に行ったら ちゃんと答えてくれたらしい。 「お母さん ずっとエレクトーン続けられたこと ものすごく よしみちゃんのプラスになってる」風な事も 言われたらしい。 何が先生を 変えたのかわからない・・・ でも よしみちゃんがつまらないって言ってた 音楽の授業 楽しめる様になってくれた事 1番嬉しい。 その事 報告してくれた事 なによりも嬉しい。 嫌な思いをする事が 少しでも減ってくれたらいいねぇ。 あと1ヶ月少しで 夏休み・・・ 9月には発表会・・・ 長い長い 夏休みの始り・・・足音聞こえてきそうだね。 また 汗沢山かくことになりそう・・・。 |
2001年06月14日(木) +++押したり引いたり+++ 私は 気がついたときには YAMAHA音楽教室なる物に 通っていた。 そこが 楽しかったか どうか覚えてはいない。 2年通ったあとに 個人のエレクトーンの先生についた。 練習は 嫌いだった。好きな曲の時は 練習していたと思う。 それは 今も変わらない。 音楽は父が好きだった。何よりも 自分の知ってる曲を 楽しく弾いて欲しいと言う父の希望で エレクトーンを選んだようだ。 私に向いていた楽器だったと思う。 今 うちに通う子供達のお母さんは どなたも熱心で レッスンを始めた19年前とは 随分違ってきている。 レッスンはとってもしやすくなった。 でも 子供達にとってどうかなぁって 思う事もしばしばだ。 コンクールの為にさく時間。それだけの為のレッスン。 その時間は 貴重で 費やした時間はその子の力にはなっているけど 辛い思いや 泣いてまで弾かないといけなかった事だろうか? 涙なしに レッスンする方法はなかったか? 毎年 直面する悩みと戸惑い。 音楽を楽しむ方法・・・それだけを 教えてあげたくて 講師になったのに これでいいのかって 問いかけるが答えはでない。 ハンディのある子は 体力等でお友達にかなわない所を 音楽でカバーして 私はできる!って自信持って欲しい。 でも その為には やっぱり練習も必要なんだよね。 練習して弾けるようになる為の音楽。 聴くことを楽しむ音楽。 演奏を楽しむ音楽。 形は色々・・・ 今 がんばって練習しているちびっこ達が 将来 どの道に進んでも「小さい時 楽器やっててん。」って 演奏する事の楽しさ 思い出してくれたら 嬉しい。 仕事で忙しい中 息抜きに「またやってみよっかな?」な〜んて 思ってくれたらいいなぁ。 |
2001年06月12日(火) +++ひざ+++ S化学工業のお偉いさんを偲ぶ会 何とか終了 ほっとした。 帰ってきてから 足が痛い。腰もかなりしんどい。 足の痛さは 引きずるほど。 あわてて シップを貼る. ひろちゃんちのレッスンの帰りにマッサージに行く。 何も言わないうちから 「ひざ酷使しすぎ。将来 正座もできひんようなるで」とのこと。 げげっ!マッサージは この世のものとは思えないほど痛い。 のけぞって ベッドからはみ出そうになる。 昨日今朝の練習 本番・・・ それに加えて レッスンでの リズム取りは 足を使うことが多い。 出きるだけ かかとでリズム取りしなさいとのこと。 それは 難しいなぁ。でも 心がけよう。 あと10年20年経ったときに 2キロ3キロ落そうと思っても なかなか大変だから ひざへの負担を少しでも軽くする為 2キロほど落しなさいって言われた。 落したいんだよね。なまっちょろいダイエットでは あかんってことか・・・ 今は ウオーキングなんかのスポーツもNG! 少し 食事を考えよう。 まぁ 要するに 歳やね。 しっかし 今日ははちゃめちゃに 疲れた。 寝よ。 |
2001年06月11日(月) +++成長その1+++ 今日も ひなは おえかきぼーどにお絵描きをしていた。 お化粧したばぁばと言いながら 書く絵は 一応ほっぺと 唇を濃く塗っていた。 そのあと 金魚と言う絵は 一応水槽が書いてあった。 ななちゃん(となりのおうちのハムスター)は 上から見下ろした ハムスターが書かれていた。 「顔が 書けへんねん」と言う。確かに顔は 難しいだろう。 でも 耳と尻尾は それらしく書かれていた。 ついこの間まで まるばっかりだったのが 色々書けてきて おもしろい。 そして あいうえお表を 横目にしながら「ひなのひ」と 文字にチャレンジし始めた。 ひの下の丸い所が うまく行かない物の左右の2本線は 書いてあった。 いちいち教えるのは 面倒なので 自己練習してもらおう。 申し訳ないが 今 ひなの文字のお稽古につきあえる心境ではないのだ。 そして お風呂に入ると 湯船に鼻の下まで顔をつけて 息継ぎの練習をしていた。 君の 今日のやる気マンマンな気分はどこからくるのだ? うらやましい限り!今が 1番色んなこと吸収する時期なんだろうけど。 明日の仕事 週末のコンクール 週末の仕事の練習 月末の例年入る企業のパーティーの下調べと練習。 とても 気持ちのゆとりなし。 ごめんよ〜〜〜ひなぁ。 将来 字や漢字にうとくても 水泳で鼻から水吸っても 決して 叱らない 切れない事を約束します・・・ けど コムスンズだから 忘れちゃうかも・・・ |
2001年06月10日(日) +++コンクールjet大会+++ 3ヶ月あまり 頑張ってきたコンクールの予選会が終わった。 今年は ちょっと難しい曲を 選びすぎたかも。 と言う反省を少し残しつつも 低学年の部 ゆきちゃん優秀賞。 高学年の部 さきちゃん奨励賞。 あんなちゃん優秀賞。 と大変大変満足の行く結果になった。 ゆきちゃん イントロの出だしで カラぶり 曲の始め2拍まるっきり ぶっ飛んだ。 血の気がさ〜〜っと引いてしまった。横を見ると お母さんとおばあちゃんが泣いてた。そのあとは 自分の世界に入りつつも 今まで 聞いた事も無いような 些細なミスが何箇所か・・・ 感情表現の豊かなゆきちゃん それで 全てをカバー。 何とか 最後まで 乗り切り終了。手に汗握りました。 しかも つめた〜〜〜い汗。 あんなちゃん 最後までテンポは 100%に持っていけなかったけど 大きいミスはなかった。 ただ 曲を良く知っている人なら ずっこけるミスが 5箇所ほど。 緊張からか 指回りが悪い気がした。 ってどこまでも・・・辛口なわたし。 さきちゃん 出だしは よかった。 さきちゃんも ゆきちゃんと同じ。まさかの ミスが 出た・・・ さきちゃんからは 想像できない。 信じられなかった・・・やっぱり 魔物がいるのね。 白い鳩が飛んだ様だ。(間違ったり 頭が白くなる事 そう言うの。) 逆に言うと あれだけ目立ったミスしたのに 実質2位の奨励賞取れたのは あとの冷静な演奏と 今回 何度も総評で述べられた 感受性豊かに 強弱と曲の盛り上がりを 考えた演奏が 充分にできていたからかも・・・ それって 教えただけではできないんだよね。 教わった事を 自分なりに理解して 消化して そして自分で 思った様に感じたように 弾かないとね。 3人とも頑張ったよね。 去年も同じような結果で 嬉しかったんだけど 今年は ひときわ嬉しかったです。 3歳 5歳そんな年頃から 見てきたお嬢達のものすごい成長ぶりに ビックリしながら 私も 頑張らんとね。と 喝を入れた1日。 さて 次は16日17日。次の大会。 あと 1週間がんばりましょ! |
2001年06月09日(土) +++ほたる+++ 昨日 お義父さんが 蛍を持ってきてくれた。 ひなに見せてあげたいからと・・・ 小さな ビンには 20匹くらいの蛍が入っていた。 夜 玄関横で 蛍たちは 薄い緑の神秘的な光を発していた。 虫嫌いのひなも これには大喜び。 お義父さんは 外で飛ぶところを見せてあげてと 言われていたが 蛍と言えども やはり命あるもの。 近所の川の上流に逃がしてやる事にした。 7時を回って 日も落ちた頃 お隣のあんなちゃんみなちゃんを 誘って 車でドライブ。 約20分ほど走った 住吉川の上流に 逃がした。 草の合間に それこそ宝石をちりばめた様に 光る蛍。 ふいに 一匹ふわふわと木の枝に向って とんだ。 私も初めて見た。飛んでいる蛍って。 光りの線は 届かない木の枝へ・・・ 今 八千代のおうちは 蛍が飛び交っているらしい。 来年は その光の中に 入っていきたいね。 |
2001年06月08日(金) +++まじ?+++ 腕 痛い。痛すぎ。手 麻痺気味。 でも 言わずにおられない。 大教大付属池田の事件 酷すぎる。 私が こんなこと言うのもなんだけど 日本って 精神科の患者さんに 甘すぎやしないか? 病院も 薬の投与もっと考えないといけないんじゃないの? どの子も どの命も尊いけど あそこの学校に入れた親御さんは ものすごく 子供の教育に熱心で うちらと違って 色々と子供の将来考えて 学校選んで入れたと思うのに。 1番 子供にとって安全な場所で あんな事件 許せない。 残された無事だった子供達も どんなに恐かっただろう。 その子供に 状況を聞くために マイクを向けて 答えさせてる 報道陣も許せない。 精神状態普通じゃないから 子供だったら 答えるよ。 なんで どんな風に刺したかとか どんな風に犯人が入ってきて どうやったかなんか 聞くの? まじ 腹立った。 どうぞ これ以上犠牲者が出ませんように・・・ 精神病っていう 鎧で 犯人が守られる事がありませんように。 |
2001年06月07日(木) +++ありがたや!+++ 体の倦怠感だひどくて だるだる。 数分間あれば 即熟睡。自分でも 信じられないくらいしんどい。 考えてみれば 大曲2時間レッスン中 ほとんど弾いてるか 唄ってるか 叫びながら(相当な音量なので叫ばなきゃ聞こえない)の レッスン。仕方ないかも。でも 去年まではホントにこんな事なかった。 年よね。 でもさぁ。ちびっこ達のほうが より頑張って弾いてるわけだから 弱音も吐けないよね。あと 3日がんばらなきゃ。 んなわけで ひなは お休みのパパに まかせっきり。 おまけに お休みだからと 夕飯もつくってもらう。 最近 このパターン多いなぁ。 今日は シーフードマリネ 買ったローストチキン 生ハム スパゲティーとイタリアンだった。 おいしかったぁ。 この恩返し かならずいたします。 |
2001年06月06日(水) +++おとのゆうえんち3回目+++ なんとかかんとか3回目のレッスン。 始めに「ひなぁちゃん」(たんたんたんうん) 「はあい」(たんたんたんうん)とリズムを取るのだが うちでは できるが お稽古では 気が走って からぶり。 4拍もリズムうちしてしまう。 おいおい・・・ 全回のレッスンの曲 10曲プラス「犬のおまわりさん」 「いちに いちに」が加わる。 「いちに いちに」は中々振りが細かい・・・ 今日中に 2,3回おさらいしておいて下さい。とのこと。 今 もうすでに 22時。 明日 しよう・・・。 この間から 探りを入れているのだが どうも2人のお母さんは 私と同業者のようだ。 もう一人は ものすごくお稽古事に熱心なおかあさん。 もう一人は 兄弟がO先生の リピーター。 お稽古事に熱心なお母さんは ホントに熱が入っていて 横から 気迫が伝わる・・・恐い。 このクラスのまま おんがくなかよしコース 幼児科2年と進むのか? 私の方が もはや へばりそう・・・ ひなが 楽しそうなのは せめてもの救い! |
2001年06月05日(火) +++ごほうび+++ ベビースイミングから 幼児コースに移行して 1ヶ月。 珍しく 一回の休みもなく 通った。 今日は 準備体操でも泣くことなく 一生懸命とは言いづらいが とりあえず 何とか 手遊び歌もクリアー。 こっちを 時々見て 手を振るな〜〜んてことも できるようになってきた。 プールの中でも しきりにコーチに話し掛けていた。 「今度 ひなのおうちに来てね。ハム太郎のおうちで 遊ぼね」と 勧誘していたらしい。 一人一人 水面で教えてもらう時も 待っているのが 退屈になって 来たらしく プールサイドの水溜りを たたいて水飛沫を作って 遊び出す。 隣の男の子に 時々かかるのを発見。やばいんちゃう?と思った瞬間 パシッと頭をはたかれていた。 泣くかと思いきや そう言う風でもなく いたずらはやめて 足をぶらぶら。 しばらくたって 何にもしないのに いきなりたたかれていたけど コーチがたしなめてくれた様子。 多少たたかれたりするくらいで 泣いていたのでは 世間はわたれんだろう。 ちょっと 強くなった ひなを見れて 嬉しかった。 レッスンが終わったあと「ひなちゃん残っててね」って言われた。 なんだぁ?何言われるんだろ?と冷や冷やしていたら 「がんばったねぇ。かにさんワッペンあげましょう」と ひとつ進級した証のワッペンもらえた。 やったねぇ。 ひなより私の方がうれしいかも。 帽子の前の所に 貼ってあげようね。 うちに帰って 食事の後 二人で爆睡。 見ているほうも 疲れます。 |
2001年06月04日(月) +++ふつうって+++ パパお休み。 ひなは ず〜〜っとパパにべったり。 朝からお買い物に行って 帰ってきて 遊んで また今度は ハム太郎の仲間のお人形を買いに 二人で出掛ける。 私は レッスン。 帰ってきて ひとしきり遊んでもらって ごはんたべて 二人でお風呂。 平和な日々。 ありがたいんだよね。 |
2001年06月03日(日) +++101年+++ 祖母がお世話になっている 老人施設に毎月顔を見に行く。 今日も その日。 ひなは 100歳ばーちゃんのとこに行くと 毎回楽しみにする。 楽しい遊具もなく おばあちゃんに特に 話しをするわけでもないのに いつも 楽しみに 今度はいつ行くの?と聞く。 それが 不思議でならない。 今年4月祖母は101歳を迎えた・・・ 去年100歳の時 貝原県知事から 表彰状と記念品をもらった。 101年前 どんな生活を送っていたのだろう? 痴呆のすすんだ おばあちゃんからは もうそんな話しは 聞く事はできない。 祖母が10歳くらいの時 小さい妹をおぶって あやしていたら お遍路さんがやってきて「あんたは 100歳まで生きよるで」と 言ったそうだ。 まだ祖母が 若い頃 そしてまだ私が祖母の横で 寝ていた頃 何度となく その話しを聞かされた。 夜毎繰り返されるその話しは まだ お遍路さんという者自体 良くわかっていなかった私には ちょっとホラーチックにさえ 聞こえ 寝物語の様で 次第にうとうとと夢の中に入っていった。 いまだに お遍路さんという言葉は 少し怪しい 不思議な響きを 耳に残す。 その頃は(30年ほど前)100歳の人は ホントに少なく そんなに生きた人を 見たことがなかったので 不謹慎ながら そんなに生きるわけないと思いつつ おばあちゃんがいなくなる事が 嫌で「100歳まで生きとってね」と 言っていた。 ホントに 100歳を越すとは・・・ まさに あっぱれだ。 明治時代から 戦争を経て 戦後の混乱を乗り越え これ以上 何も起こるまいと思っていたら 阪神大震災を体験し 記憶を宇宙の果てに追いやり 今は余生を過ごしている。 生を極めると言うことは こう言う事なのかな? 私には まねできない・・・。と思う。 |
2001年06月02日(土) +++なんだか+++ 今日レッスンした曲が頭の中ぐるぐる 回ってて その上 ちょっと気になる事(単なる誤解だったんだけど) 考えてたら 自転車で溝につっこんだ。 かなりおまぬけ・・・ 誰にも 見られなくてよかった。 何とも無かったけど 心臓バクバク! ひろりんのとこに 自転車で行こうと思ってたけど このことがあって なんかへろへろで キャンセルしてしまった。 ひろりんごめんね・・・ いつもより 早くうちに帰って来たから ちょっと 気持ちに余裕でてきた。 朝から レッスンに行って 帰ってきてまた行って。 ほとんど1日中 うちにいなかったので ひながくっついて 離れない。いない時間が多いと 寂しいって言ったり 帰ってきてべったりと言う事が増えて来た。 前は いてもいなくても 同じって感じだったんだけどね。 色んな感情が 表現できてきて 人間らしくなって来た。 まだ 見てないんだけど 自転車に乗れるようになったらしい。 ふらふら 走ってるとこしか見てなかったんだけど。 ハンドルさばきは 怪しい物の 今日は母と写真やさんまで 自転車で行ったらしい。 これは 近いうちに 拝見しなくては。 忙しさにかまけて 子供の1番の成長を見逃さない様にしないとね。 大切な事 いつも いつも忘れない様にしないとね。 |
2001年06月01日(金) +++6月+++ 今年始って もう半年。 早過ぎる。 人生を山の登りと考える。 山を1周するのは1年。 幼い頃は 1日1日が ものすごく長かった。 大きな山のふもとだから・・・ 1周するにも 時間がかかるのだ。 今 38歳。これは 山の頂点に上り詰める途中 先っぽだから 1周1年にかかる時間が短いのか? それとも 頂点から降りる途中なのかわからない。 この先 また1年が長くなって行くだろう。 そして いつか ふもとの土に 静かに戻る。 また 生まれ変わって 山に登る為に・・・ |