あごあごしい日々 

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 +End Song+

ミハエルを好きになって14年。
サイトを始めて12年という月日が過ぎました。

で(笑)
私がサイトを始めたときから
ずーーーーーーーっと思っていることは
何だか結局、変わらなかった気がします(;´Д`)

私は性格もひねくれておりますし
「良い人」では決して有りませんし、口も悪いし。
「ファンサイト」を「やる管理人」としては
すこぶる不向きだと言う事です(笑)

それでもサイトを続けてきたのは
世の中に何千何万何十万、下手すりゃ百万単位の
【ミハエル・シューマッハFan】がいまして
その中で1人、明後日の方向を向いて萌えていても
マトモな人達の影に隠れて、見えなかろうとw

そーんな卑屈と申しますか、
自己の存在意義に勝手な理由を付けながら
ヒャッハーと突っ走ってきてしまったわけですが(笑)

シューマッハさんの、第一期。
すなわち2006年の跳ね馬全盛引退の頃には
まともな方々の影から転げだしてしまい
何でか「あんな大仰なこと」に、なってました。

正直、2004年くらいから
「何でこのサイトはこんなことになってるの?!」
てーな思いを抱いたまま、2006年を迎えて
そっから尻すぼんで今に至るみたいな?

それでも、私の想いは
自分「ファンサイト」を「やる管理人」
としては、すこぶる不向きだったなぁ〜と
振り返りつつの終焉となるワケです。

だって、私さ(;´Д`)
最後までミハエルの方は向いてなかったもん。

普通のFanなら、応援して
憧れて崇めて尊敬したりが本分でしょうに…
シューマッハ王国とは、結局最後まで

【F1とミハエル・シューマッハが好きな私が
セキララに萌え転がりながら暴走する有様を
余すところなく書き綴るサイト】だったワケで(;´Д`)

あんま…こう…
本物のミハエルさんは…
おいてけぼりだったような気がします(爆)

その辺の自覚は有りましたのでなー
「私以外の誰かがやるべき」だと思ったし
「私がやってちゃダメだ」とも思いながらも。

それでも、皆さんと
「ミハエルの此処が凄いよね」
「格好いいよね」「空気読まないよね」
「ひでぇwww」「ちょっ」「キター!!!!」等々
リアルタイムでやり取りすることが、楽しくてだな。

辞められず。
捨てられず。
迷いながら此処まで来てしまいました。

でももう、やっぱり終わりにしなくちゃね。

今まで楽しい時を共に過ごして下さいまして
本当にありがとう御座いました。

◆◆◆

ミハエルの、カムバックの3年を
スポーツ的に表現すると、成績は良くなかったし
「上手く行かず」「失敗」と評されることが
これからのデフォルトになるんでしょうかね?
そう思うとちょっと切なく感じたりするのですが。

(って、数日かけて日記を書いてるウチに
バーニーだのフラビオだの失敗談話出るわ出るわw)

アゴヲタで有る自分が、贔屓目引き倒して
「ミハエルのCOMEBACKの3年」を振り返りませば。

えーーーーーーーーーーっとね。
私が1998年に、もうその頃2度のWチャンプで
充分に強く、当世随一と名を馳せてましたが
前年やらかして、全ポイント剥奪とかされてたことは
スポーツニュースを見聞きして知りつつも
ミハエル・シューマッハを好きになった理由ってね。

「この人つえぇな」と共に
「随分頭の良い人だな」というのが有りました。
この辺は、実は初告白では?!?!!と、思います(笑)

「つえぇな」の部分は、
レースの勝負強さも勿論有りますが
「心の強さ」ですな。

「随分と頭の良い人だな」は
レース展開をクレバーに読むこともそうだけど
「余計なことを言わない力」と言いますか…。

これは「心の強さ」も内包するんですが
「何を言われようとぶれない」
「自分の道を進むことを良しとしたら言い訳しない」
じゃ、事例を反省してないのか?と申しませば
謝らないけど、同じ様な事をしないようにはしてた。
でもやるかやらないかを迫られたら、やる方の人だwww

という、立ち振る舞いから
レースの勝ち方、計算出来る速さ含めて
「こいつすげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」と
魅せられてしまったことが、最初なのさ(告白)

そう。

ミハエルさんとは
「状差し・伝票差し」と呼ばれる器具のように。

ぶっとくぶれない「自分」という屋台骨に
経験と言う名の伝票&メモを刺し、積み重ねていき
自分はその上に立っているような…ね。
【経験値習得・堆積型】の人だと思ってるのです。

2006年までは、前を見据えたり
上を見て目指しているのかと思ったけれど。

COMEBACKの3年間で感じたのは
積み重なった体験という地層を、
上から下へ見渡せる人なのだなと言う事でした。

要するに、こんなイメージ。


こう云う経験値の積み方が出来る人は
一瞬たりとも【無駄な時間】は無いと思ってます。

何故なら、世間が失敗と評価しても、だ。
その時間はミハエル自身の経験となり
次のミハエル・シューマッハの礎となるから。

2006年は、ドタバタと
怒濤に流されるままのお別れだったけど。

そこからスーパーアドバイザーの3年間。
そしてCOMEBACKの3年間を経て。

2006年の時とは違った、
カメラや私たち観客に手を振ったり
ウインクしたり、投げキッスをしたり。
中国GPで、熱心にサインしてくれたんだよって
話が漏れ聞こえて来たりだなー。
そ〜んな風な事になっちゃってたのはだな。

スーパーアドバイザーの3年間。
そしてCOMEBACKの3年間を経て
ミハエルが自分で「そうしようと思ったから」
こう云う有様として現れてるわけでさ。

私はまだ、ちょっと戸惑ったり
嬉しくてぎゃーってなっちゃったりするんだけどw

あの時と言ってる事が違う!
ミハエル・シューマッハはぶれた!! のではなく。

ミハエルに堆積した経験が
今現在のミハエルを作って、
そうしてるのだと思ってるからなぁ(;´Д`)
時間の無駄とか失敗とか、評せないんだよねw
勿論私がアゴヲタであることも有るんだけど。

2006年。
私がうちわで「Thanks Schumi!」と書いて。
Thank you for all the enjoyments you brought us.
We’re proud to be your fans!!
と、裏面に載せましたけれども。

あの頃はまだ、インターネットはサイトに閉じていて。
「シューマッハ王国」に内包された広がりで
「ミハエルにありがとう」って言っていたのだけど。

2012年。
Twitterで「#thank you Michael」とか
「#DankeSchumi」とかね。
色々なミハエルへのハッシュタグが流れて来て。
ありがとうって思いは全世界と繋がって。

最後はミハエルが「ありがとう」と
私たちに言葉を残して、F1を去って行きました。



もう2度と見られないと思っていた
彼の走りが再び見れた3年で在ったと同時に。

このありがとうの連鎖と
共鳴も、ミハエルのくれた
3年間だったと思っています。


そしてこの3年間は
COMEBACK無しではあり得なかったのです。

◆◆◆

さて、最後にちょっと
べっつんに関する思いでも書きますかね?
私がべっつん好きなのは
勿論ミハエルとの兼ね合いも在るんだけれど。

「最速レッドブルに乗ってるから」
「凄いのはエイドリアン・ニューエイ」
「カリスマ性が無い」なーんてな
今でも色々言われたりしているんだけどさ。

そ れ が ナ ン ボ の モ ン じ ゃ ★
デスよ( ´_ゝ`)

カリスマ性と言ってしまえばそれまでですが、
ミハエルの性格と、運命の鋭さ&キツさ
しでかした問題の「ミヨイクログロさ」からな!!!!
異様に苦労というか、不快な事も有ったので。

べっつんには、ミハエルのこの
「悪い方の苦労」はして欲しくないんだよw

この子のカリスマ性は「HAPPYドライバー」だと思う。

Wチャンプをかけた最終戦で
オープニングラップで反転スピンを喫したら
フルブレーキング&コースアウトまでして
《避けてくれる、キミがいる》こと
《自分の順位を譲るミハエルが居る》こと
べっつんは、頼んでないのに、ね。

そう云う物が財産になるタイプなのかなぁと
3Times CHAMPIONになって思っていたりします。
この辺はナノとは違った「凄さ」なのだよとw

だからこのまま、走るのが・勝つのが好きな
「HAPPYドライバー」でいて欲しいな〜と思います。

それもカリスマの1つのカタチだよ、多分w



2012年12月06日(木)


 +道+

ブラジルGPが終わって、1週間が経ちました。
私は丁度、ブラジルにキミが到着する前の木曜日に(笑)
フィギュアスケートのNHK杯に行く準備をしてて
軽いぎっくり腰になりまして。

動けないから置き物のようにNHK杯を観戦し
置き物のようにブラジルGPも観戦する羽目に(;´Д`)
そして週明けて、仕事で辛くて医者に行き
結構ヒドイぎっくり腰だよと言われて、今に至る(笑)

まあ、注射とコルセットのお陰で
土曜日から痛み引いてるんだけれどもね。
ぎっくり腰って初めてなったので
ビックリしましたよw

でもこれで、地球の裏側から
ミハエルの不幸は依り代になって引き受けたと
意気揚々ともしていたのですけれども(まて)

予選はQ2落ちだし、決勝は5周?で
パンクして最下位まで順位落とすしでのー
俺、腰痛いだけ損じゃないかヽ(`Д´)ノウワアアアアン!!!!!!!!!
と、途中かなりヤサグレましたさ(笑)
役に立たない依り代で、正直スマンかった(;´Д`)

でもまあ、ブラジルGPを見てる最中は
デブリ拾ったパンクとは解らず
「謎のピットでハードタイヤ→ハードタイヤ」
そしてまた少し走って「インターミディエイト」
という、間の悪い展開になったときにはねぇ。
正直「またか!!!!」と思いましたけど。

それだけとっ散らかっても
決して諦めない男、ミハエル・シューマッハ!
最終戦でもマシンは決して速くないんだけど…さ。

アロンソ様が「デプリヒドイよ!! 危ないよ!」と
無線で叫び、FIAが「仕りました」と
セーフティーカーを入れて答えたときに

運の無い余計なピット作業で
前の隊列から遅れていたミハエルも差を詰めて。

結局ナノの呼んだSCという天の啓示が
「フェッテル君の順位を上げる」事にも貢献し
「ミハエルが6位をフェッテル君に譲る」という
位置にまで居ることをアシストしたんだよなぁ…と。

あのSCが無かったら
ハミちゃまとニコヒュルの事故も無かったかもで
「たられば」を言い出したらきりが無いんだけどさ。
ナノが2位取れたのもSCの勝負の「あや」なら
べっつんの6位も「天恵」だったのだよねぇ…と
人の運命の巡り合わせにも、驚愕している
ブラジルGPだったりします(;´Д`)

ミハエルさんも結局
表彰台に乗れなかったとしたら
次に1番美味しいであろう「7繋がり」押さえたしなw

カーナンバー7の「7 Times Champion」が
生涯最後(予定)のF1レースを、7位で終えたんですもの。
そしてまあ、ミハエル自身もその事に気付いてたけど
TVの前でみんな気付いて、そこ突っ込んでたと思うよw

◆◆◆

そして、人の運命の繋がりとは
やはり不思議な物で御座いましてねぇ(;´Д`)

2009年。
F1を「引退していた」ミハエルと
フェッテル君のインタビューを今読み返して。
http://f1-gate.com/vettel/f1_4241.html

輪廻転生という表現は、ヘンなんですけどさ。
『環状の道』というか『運命の輪』というか
メビウスの輪が抜けられなくても良いんですがw
どうしても、そんなモノを感じてしまいます。

ミハエルが「望んだこと」ではなくても
彼がF1で成したことか、ドイツ国内での熱狂になり
あの時代は「ヨーロッパGPがドイツ」だったのも
ミハエルが活躍したから、カートに乗る子供も増えて
若手育成プログラムが整備されたりしてだな。

ミハエルがF1で興した事が
今、ドイツ人ドライバーが多いと云うことに
間接的に繋がっていってるワケですよ。

その中の1人が、セバスチャン・フェッテルで。

まーこれは、チビセブとミハエルとか
色々写真もエピソードも残っておりますので
皆様ご存知だとは思うんですけれどもさw

先のインタビューで、べっつん自身が
「ミハエルが来てくれたことは、子ども達
みんなにとって特別なことだったからね」と
言っておりますしな(;´Д`)ハアハア

そんな出会いの2人が

「お前を倒して俺が1番になる!!!」でもなく
「若者などひねり潰してくれるわ!」でもなく

ある意味、息子と若いパパくらい年離れてるのにw

車走らせるの楽しいね(・∀・)
早く走らせるともっともっと楽しいね(・∀・)
そして勝つの大好き+*・゚(゚∀゚)゚・*:+
(*´・ω・)(・ω・`*)ネー

という、同好の志的なだなwww
お目々キラキラ繋がりに、何故成れるんだwwww
この2人、本当に気の合う友達みたいだしさ。

この関係、ミハエルも変わってるけど
べっつんも変わってないと、無理だと思う(笑)
良いキャラクターが使わされたモンだなぁ(*゚∀゚)=3
な〜んて、思うわけですよ。

そして、ミハエルが復帰しての3年は
ずっとセバスチャン・フェッテルがWチャンプなのだ。

その「3回目の戴冠」を助けるために
ミハエルは自分の道を、順位を譲って去る。

なんかなー、泣けました。

ミハエルの輪廻の輪が回りきって
新しいフェッテル君の輪に託されたみたいでさ。

人はそれを「世代交代」と言うのかも知れないけれど。

私には、輪廻であり
1本の道が繋がっていく様に見えたのさ。

まあ(;´Д`)
あまりにアッサリとミハエルさんが
べっつんに順位譲ったから、変な批判も
有ったみたいですけれどもさー。

ベッテルに譲ったシューマッハを弟が擁護
http://www.topnews.jp/2012/11/29/news/f1/teams/redbull/78288.html

この見出しが「ラルフ」じゃなく「弟」な辺りに
時代を感じるアゴヲタなのでもありますが。

んー… でもねぇ。

人の心に起こる・知人友人への感情よりも
ギアボックスのシール剥がす方がヒドイと思うんだ(笑)

批判するヤツらになんざ
「べっつんはシューマッハの闘争心シール剥がした」
とでも、言っておけば良いと思いますwwwww

じっさいは、剥がれてないけどねw
べっつんが追いついて、真後ろまで来た時
メインストレートから1コーナーで行かせるのか?
…と、思って見てたら、ミハエルさん。

大外からインへと
めっさマシン被せて来やがって

あ、そこでは行かせないんかwww


って深夜に大笑いしたからな( ´_ゝ`)
その後すぐに安全に行かせたけどさwww

最後の最後まで、
ミハエルだったなぁと思いました。

ミハエル自身は、倒すべき者
倒したい者を奪われた人では有りましたけれど。
自身は、見守り譲って去る人の役を得て去るのか。

そうか、そうやって去るのか。

この辺で泣けてきました。

そしてパルクフェルメで
べっつんを讃え、長く抱擁する2人の姿に
泣かないようにしてたのに、涙腺だぱぁですよ。

うん。
良い引退レースだったと思います。
本当にそう思いました。

◆◆◆

P.S.
1998年からF1を見ているため
どうも跳ね馬は「翼単板が5mmずれてて失格を
無かったことにした1999年」とか
「ナノに摩訶不思議ペナつけた2006年イタリア」とか
政治とか自分有利にWチャンプ取ろうとすると
【残念でした2位】を獲得してしまうフラグの予感が。

ノーズにケチ付けたり、ギアボックスのシール剥がしたり
レース後黄旗緑旗で質問してみたりだな〜
あんまやりすぎると、良い事無い気がしてたりな(爆)

まあ、今年は「風洞ガー」「失敗マシンガー」と
ドメニカリさんが仰ってるのでな…

第2のクリス・ダイアーが生まれなくて良かったなと
ホッと胸をなで下ろしてるトコロなんですけど。

こっそり開発部門で斬首刑とか有るんだろうか。
何か怖いッス、最近の跳ね馬(笑)
((((((;゚Д゚)))))



2012年12月02日(日)
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