あごあごしい日々 

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 +何か凄いことに(笑)+

ミハエルさんのレースプレビューが
完全に【シューマッハ見聞録】化してる件(笑)

★日本GP
http://f1-gate.com/schumacher/f1_16756.html
★韓国GP
http://f1-gate.com/schumacher/f1_16871.html
★インドGP
http://f1-gate.com/schumacher/f1_17013.html
★アブダビGP
http://f1-gate.com/schumacher/f1_17152.html

気付いてから気にして読んでるんだけど
ミハエルの言う「勝つこと以外の大切なこと」が
サーキットやそこに集う我々Fanに対しての視線とか
たっぷり詰まってる感じがして、感慨深いですね。

そしてF1ニュースサイトの記事で
見ないようにしてた、サッカーの擦過傷というか
《削られた傷》の写真見ちゃって、ぎゃあああああ!!!!
いたいいたいいたいいたい(><)

湿潤療法(´;ω;`)っプラスモイスト

◆◆◆

うちわの配付に関しましては、
今週の土日で申込みページ作って公開しよう!!
なんて考えてたら、仕事が土日休めるんかという程
忙しくなってしまいました。うわああああ!!!!

まあ、例年この時期はこんな感じで
去年はサイクルロードレースのジャパンカップを
鈴鹿終わった翌々週に見に行っちゃったのでな(;´Д`)
この時期ダメージ大きくて死んでたのですが。
(そしてそのまま年末進行になった)

今年はジャパンカップを自粛したので
割と機嫌良く過ごせていると申しますか…。
うちわの再版を「思いついて」「やろう!」と
実行出来るほどには元気である言う事ですなぁ(笑)

体調にしろ、運命にしろ
丁度良く巡っていくモンだと感心してますw

で((((((;゚Д゚)))))
WEBCLAPの反応を見ていると
うちわの件を発表後、思いの外たくさんの
拍手とコメントを戴いていて、ビックリしています。

今回は100本発注して。
横断幕を木曜入りで貼って下さった方とか
私の友達に「感謝(`・ω・´)」と押しつける分を抜いて

《1人3本配付で25〜27人》位を考えてたのですが…。

WEBCLAPでコメントは無くとも
「反応して下さった方」も鑑みたら、既に足りない(爆)

そんな次第で、もう余っても良い言うか
発送する手間も送料も考えると怖い気もしますが(笑)

《1人2本配付で先着40人程度》にします。

それで、申込みあんま来なかったら
〆切後に《1人3本に私が勝手に調整する》って
カタチで宜しいでしょうかね?(;´Д`)ハアハア

なーんて悩んでるため
うちわ申込みフォームが作れなかったり(笑)

まあ、余る分には問題ないし
きっと余るに違いないと思ってるんだけどさ。

2006年の記憶が…な(笑)
アレは今にしても、盛大な祭じゃったよ(ヽ´ω`)




2012年10月31日(水)


 +なんなんですか、これ!!+

ミハエルさんのサイン入りうちわ2012。
画像を送って戴きましたっ(´;ω;`)
有難う御座います。大切に保管致しますっっっ。




ミハエルさん、6年前と
同じ場所に同じ角度で書いたのですねぇ。
そう気付いたら背中がぞわっとして、鳥肌が。

本当に《6年ぶり2度目》だったのだな〜と。

「Thanks Schumi!」の文字の下と言う事は
《6年ぶり2度目》のこの気持ち、伝わったのかなと。

皆さん、本当に有難う御座います。
私は本当に何もしてないのに
こんな勝手に幸せ享受してて良いのだろうか?!?!!
と、本気で悩むくらいには幸せです(;´Д`)

《6年ぶり2度目》ですよ?!
6年って小学1年生なら、卒業迎えますよ?!?!!
すごいよなぁ…、凄すぎるっっっっっ。

◆◆◆

そして、こちらはWEBCLAPより。
書いちゃって良いのか、ちょっと悩みましたが
私の知らぬ所で、ステキな事件が起きていたので。

今年、初めて鈴鹿に向かったミハエルスキーさんが
鈴鹿にて偶然出会った先達のミハエルスキーさんに
現地で「うちわを譲って戴いた」そうで御座います。

その方にうちわを譲って下さった方。
ああもう、本当に有難う御座いますっっっ(平伏)

もし、此処をまだ読んでいらっしゃったら
是非とも再版分を貰ってやって下さいませっっっ!!!!


何か、凄いよねぇ。
人の縁って。
成そうと思えば、偶然繋がっていったり。
成そうと思わなくても、巡っていったり。

単に「ミハエル・シューマッハさんが好きだ」と
言うだけの事例で、この効果ですもん。

と。
そんな事を、考えて居ます。

あと3戦――――。
見届けていきましょうね。

インドで噛み合わなかったミハエルの歯車が
全て良い方に回ることを、信じて。



2012年10月29日(月)


 +Schumi Fan COMEBACK+

サイトトップにも告知致しましたように(勢い)
突然の思い付きもイイトコなんですが
2006年に配付した、シューマッハうちわを再版致します。

この話、ミカヲタにしたら
「鈴鹿終わってからとかwww」言われましたが(笑)
自分でも全くその通りだと、思います、ハイ..........orz

それに「赤いフェラーリのミハエル」だし、
いつまで2006年の話題引っ張ってるんだこの人と
皆様、思われると思うんですが…(;´Д`)

自分でも、そう思います。
私が今想うミハエルは、銀色ですしね。
だけど「赤色とか銀色」で分けてないんですよw
どっちが好きだとか考えた事も無いんだwww

だって中身一緒だもの(笑)

私の中では、赤も銀も繋がって
全く一緒のミハエルだったりするもので。

じゃ、なんで再版することにしたの?
なーんて疑問を持たれる方も居ると思いますが。

年寄りの長話を、聞いて頂けますかね?
実は鈴鹿が終わった後に知って、ブラジル後に
全てが終わった時点で書こうと思った、辞世の句でもあります。

◆◆◆

遡りますこと、6年前の2006年。
ミハエルの初めての引退を控え、私はこのサイトで
【ミハエル・シューマッハうちわ】をつくり
1000本羽ばたかせて、放牧致しました。

放牧と表現するのは、他でも無く。
制作者の意図とか範疇を遙かに超える規模で
ワールドワイドに羽ばたく結果となったからです(笑)
私は、何もしてないのにね(;´Д`)ハアハア

2006年の鈴鹿では、うちわを手にした方が
ミハエルにサインをして貰うという機会に恵まれました。

その辺のお話しは、ざっくりと
2006年の10月8日の日記に書いてあります。

当時頂いた写真も、大切に保管しています。

もしかして初公開かな、この写真?!?!!
当時のサイトデータが古いMacさんの中故に
記憶が曖昧すぎてスミマセン(汗)

「Thanks Schumi!」

ミハエルの華々しいF1キャリアの最後に
私たちが伝えたかった「ありがとうね!」って言葉。
その下に書かれた、シューマッハさんのサイン。

そしてサインをした後に、
ミハエルが言った「サンキュー」という言葉。

この2つを見て。聞いて、私は
「ああ、ありがとうってのは伝わったのだなぁ」と
勝手に良い方に解釈して、ホンワカしたり。
さめざめと涙したりした次第で。

奇跡じゃー!!
奇跡が起こったのじゃー!!!!!!と
当時はガッツポーズをしたものでしたが(笑)
このうちわの冒険話は、まだ終わらなかったのです。

開けて、2007年――――
予想だにしてなかった事件が起こります。
F2007新車ラウンチで見切れる事件

跳ね馬のファクトリーに飾られて居たわけですよ!!!

いやすげぇ!! マジですげぇ!!!!!
工エエェェ(´д`)ェェエエ工!!!!!!!!!!!!!!!

と、この時はビックリしたやら、怖いやら。
跳ね馬のシューマッハ愛に感服するやら。
またとない体験をさせて頂きつつねー(恐縮)

その後も、ミハエル復活後に
2006年当時にうちわを手にした方が、
モナコGPに持っていって下さったりとかしてね。
地道に、世界を駆けていたのですが。





あれから6年――――。


2012年、鈴鹿の木曜日。
私たちはまだ、ミハエルの引退を知りませんでした。
でも、ハミルトンの発表で覚悟はしていた。

だから、私自身
2006年のうちわを持って、鈴鹿に。
2度目のお別れになっても悔いの無いようにと。
このうちわの在庫を探したら一枚も無くて(爆)
私の願いは叶わずにだったのですが_| ̄|○

私と同じ想いだった方々が
誰と打ち合わせたわけでは無く(←此処が凄い)
うちわを持って鈴鹿に向かって下さったようです。

そんな話を、メールでWEBCLAPで聞いて
【皆さん有難う御座います・゚・(ノД`)】と
不甲斐ない管理人である、自分を恥じたのですが。

日本GPが終わった後、知りました。

またね。
ちょっとした偶然と幸運が起きていたのですよ。

このうちわに、ミハエルさんの
サインを貰った人(再)があらわれたのだっ!!!!







・・・・・・えっ?!

最初にメールを頂いた時はビックリしましたさ!!
《6年ぶり、2度目?!?!?!!》とか過ぎった。

いやいやいやいやいや
皆さんどんだけアグレッシブ幸運★
すげー管理人何もしてないけどすげぇぇぇぇwwwww

サインを貰った方によりますと
ミハエルさん、裏面もひっくり返したそうな。

ももももももももももももももも
もしかして、英語長文メッセージとかも
気付いて頂けたのでしょうか??!?!?!?!?!!?!!!
いやっ多くは望まぬッッッ!!!!!!

1度目の引退から、6年を経て。
居なかった3年間と歓喜のカムバックを経て。

「Thanks Schumi!」

ありがとうね!! という変わらぬ想いが。

うちわを持って鈴鹿に駆け付けて下さったなら
きっとまだその気持ちを抱いて、ミハエルさんに
サインを貰って下さった方の想いが。

ミハエルに届いたのならいいなっ★






そんな、こんながありましてね(;´Д`)

「うちわ大切に保管してます」
「鈴鹿に出陣したので絵柄擦れてきた(泣)」
「あの時貰えなかったんです」等々

制作者特典で、色々お聞きしてるワケで
「正直スマンかった…」言う気分も多々あったので。

思い残す事が有るくらいなら、さっ!!!!
正直自分の手元にも残ってなかったしっっ(泣)

2012年もミハエルまで
当時の想い・今の想いまぜこぜにして
伝わってしまったということにしておこう記念★

まさかの再版
という、暴挙に出るコトにしました(笑)

まったりと配付致しますので。
「保存用の他に飾る用が欲しい」とか
「すす呆けてきたから代替品があると嬉しい」とか
「当時貰えなかったんだ〜」等、希望がありましたら

皆様貰ってやって下さいませ(笑)
私の最後の思い出作りと、ご奉公ですのでっ!!!!


仕様は全く当時と同じですが
印刷を頼んだ会社が違うので、形が微妙に違うかも。

絵柄は此処だけ変えてあります。
1000本から、1100本になりました(うわぁw)



という完全な第2版ですのでw
当時のうちわを持ってる方でも構いませんので
宜しければ貰って下さいな。

無くならないと思うけど
無くなり次第終了とさせて頂きます〜。

配付方法は、追って告知ページを作りますので
今暫くお待ち下さいましっ(;´Д`)ハアハア

発送はブラジル後あたりになるかもねぇ。



2012年10月28日(日)


 +アゴヲタ死亡カルタ+

Twitterで【●●死亡カルタ】というのが流行ってたので

《例》
デザイナー死亡カルタ
デザイナーからジャニヲタまで
Twitterで空前の「死亡かるた」ブーム到来
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1210/25/news097.html

不肖ワタクシも【アゴヲタ死亡カルタ】なる
けったいな物を作ってみました(笑)

なかなか埋まらなかった部分とか有って
ちょっと強引なカルタも御座いますが…(;´Д`)

ミハエル…_| ̄|○ から
萌え死にました、キュン死まで
色々取りそろえてみたので、お楽しみ下さい(笑)

◆◆◆

あ「顎空気嫁」
い「犬を拾って帰る」
う「後ろから抱きかかえるようにフィニッシュ」(これミハエルじゃないw)
え「エディ・アーパイン」
お「オープン ユア マウス」
か「勘違いでもナノを抜く」(2010年モナコ最終周 友達無くす事件)
き「ギア無くなっても完走して2位(だっけ?)」
く「グラベルで合おう!」「グラベルでね!!」
け「蛍光イエローの水着」
こ「コリーナ・シューマッハ」
さ「最初のF1・最初のスパで、予選7位」
し「私服」
す「スパ・フランコルシャンはリビング」
せ「全ポイント剥奪」
そ「ゾン太抜き・ゾン太抜かれ」
た「タクシー強奪」
ち「チームオーダー」
つ「付け合わせのさつまいもをおかわり」
て「テンガロンハット」
と「トヨタシャツ着て大暴れ」
な「謎のバックル」
に「2000年日本GP 予選・決勝」
ぬ「脱いでも凄いんです」
ね「ネイションズカップ(ROC)5連勝中※2011年現在」
の「飲み方で引退がわかった」(マーク・ウェバー)
は「バドエルの股間に松明を差し入れる」
ひ「ピットストップ作戦で前に出る」
ふ「プレカンの代理でジャン・トッドを座らせる」
へ「ベイベー(F2003-GA)」
ほ「母国語プレカンなのに英語をしゃべり出す」
ま「マーシャルカーにはねられた人を見て笑う」
み「ミカ・ハッキネンと戦ったのが一番の思い出」
む「無茶な幅寄せ・ラインを閉める」
め「名演?! 迷演?! CMの演技」
も「モタホの窓から冷蔵庫とテレビを投げる」
や「やすらかに。2006年最終戦ブラジルで、彼の眠る場所に」
ゆ「許さん“俺を殺す気か!”とDCに殴り込み」
よ「41勝 イタリアGPプレカンでの嗚咽」
ら「ラスカス駐車」
り「龍に力」
る「ルカ・ディ・モンテゼモロ」
れ「レジェンドよりファイターと呼ばれたい」
ろ「ロス・ブラウン」
わ「わさび大好き」
を「をををををををををを!!!!」(2000年日本GP決勝後 マラネロ)
ん「ん?」聞かれたくないことを聞かれた時、首をかしげて能面の笑みを返す

◆◆◆

しかし、自分で言うのも何ですがw
私はミハエルのステキな部分も、ヒドイ所も
面白いところも混ぜ返して好きなんだなぁwwwと
自分の記憶ひっくり返してて思いましたさ(笑)



2012年10月25日(木)


 +鈴鹿からのCLAPレス+

だんだんメルセデスのリリースが
「ニキ・ラウダから」になりつつ有る状態を
横目で眺めつつ、今晩はで御座います(ちと寂しい)

さて、遅れに遅れましてなのですが
鈴鹿前から本日までのWEBCLAPに関しまして
まとめてではありますが、私の気持ちと感謝を込めて
つらつらと思いの丈を書きたいと思いますよっ。

◆◆◆

今回の鈴鹿・日本GPは
ハミルトンの発表もありましたし、
ミハエルの契約が2010年からの3年契約3年目。

ロスもハウグも知らなかったように
当然私たちも、直前まで引退するとは知らず。
木曜日から参戦する方は、既に現地入りという
凄いタイミングでの「引退発表」だったワケですが。

私も、そう考えたように。
そして探したら、在庫が無かったワケですが…
(犯人母上。うちに来た銀行員とかに配ってたしよ!)

何人かの方に、事前に。
そして日本GPが終わってから。

「やくにさんのうちわを持っていきました!!!」

との、ご報告を頂きました。

皆さんも、覚悟、決めてたんですね。
その気持ちを思うと、切なくなったりする訳ですが。

それよりなにより。
骨はプラスチックだけど「紙製品」ですよ?!?!
6年前に配付したグッズですよ?!?!?!!!!!!

それが、6年を経て今。
復帰の3年という刻を見送るために
2度目の出勤・出動をするため、鈴鹿に舞い戻る。

大切に保管して貰ってたんだなぁ〜と
作ったコチラが恐縮してしまう状態で御座います。

そして、6年を経ても、ミハエルへ
「ありがとう」という気持ちの同志が居ることが
すごく心強くもあったりします。
多謝 <(_ _)>


そして、ミハエルの復帰の3年を
大変にあごあごしく楽しんだ同志も多数で(笑)

もう二度と見られないと思ってた
F1で走るミハエルが、目の前に戻って来たことが
本当に嬉しくて楽しかったという話が聞けて
再確認出来たことが、私も嬉しかった!!

そーゆー意味で
どう考えても、我々は幸せなんだなぁとw
いやもう、ミハエル戻って来てくれて感謝だわww
てーな気持ちを強くしましたよ、ホント(笑)

そして、うちわやらステッカーやら
お懐かしい名前で、同窓会的な気分でもあります。

◆◆◆

サイトの閉鎖に関しては、
本来2007年に踏ん切り付けなければ
成らなかったのだとは、ずっと感じていまして。

私はミハエル・シューマッハでしかF1語れないので
今彼が居ないときには、邪魔なだけだなぁとか。
そう思っても踏ん切りが付かぬ3年間を過ごして居たら
あらまあビックリ、カムバックキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
てーな感じだったため(;´Д`)

跳ね馬のスーパーアドバイザーを
続けていたからこそ付かぬ踏ん切りでありましたが
こんなラッキーなケガの功名は、もう二度と無いでしょうし
今度こそは、踏ん切り付けなきゃね。
といった感じで御座いますよ。

彼の居ないF1は、彼以外の物に任せなくちゃ。

でもまあ(笑)
基本的にF1が嫌いになる訳でも
見なくなるわけでも有りませんからさw
ミハエルの居ないF1は、もう経験済みだしな!!!!!
あの時と同じスタンスでF1とは対峙するでしょう。

多分、Twitterとかは今のままだしね。
今でもTwitterくらいしか発言していないから
自分的には大差ないとも言う(あっ)

それでも、写真拾ってきたり
絵を描いたり、思い出話で萌えたりだな
そこら辺の性癖は変わらないでしょうから…

サイト閉鎖しちゃっても
私自身は変わらないと思います、ハイ(;´Д`)

それでは、今暫くお付き合い下さいませ。



2012年10月24日(水)


 +6年と3年間+

うおー!!!!
2010年に手術したのが再発してもうたー。
まあ再発は「希によく有ること」故に検診してたから
この段階で発見出来たとも言うんだけどね(;´Д`)

11月から多分、検査だMRIだと
再び遠方の大学病院に呼びつけられるハズなので
F1について、ミハエルについてなー
「引退レース迎えてのシュー大成」ではなく
急遽、小出しに出して行くことにします。

身辺ザワザワしておりますのでなぁ。
てか、最悪再手術だし。

みなさん、健康診断は大事だよ!!
受けて早期発見に努めて下さいまし(`・ω・´)

◆◆◆

ミハエルのセカンドシーズンに関しまして。
世間が言うのは、今週のF1速報韓国GP号にも
有りますように『成功か失敗か』という評価に
成っちゃうんだろうとは、思うんだけど。

私は、このカムバック報を聞いて
全てのミッションをクリアして
得られたボーナスステージ

という、RPGゲーム的な受け止め方をしたので。
ハナから、結果出ようが
結果出まいが受け止めようと思ってた。

そして走る彼を見て。
レーススーツ着る彼を見て。
コックピットで手を振るミハエルを見て。

ああ――――。
2度と見られないと思ってた光景が
目の前に帰って来たんだなと云うことを
噛みしめて歓びました。ええ。

ミハエルはこの3年間を「負けることを学んだ」と
インタビューで表現しましたけれども(´・ω・)

こう云う書き方をすると
シューマッハFanて傲慢だなぁ思われるでしょうが。

ミハエルが負けることを学んでいた頃。
1998年から。赤いマシンを駆る彼しか知らない
ミハエル新参者で後発隊のワタクシは、な。

ああ、別に「強い」から
「負けずに勝ってくる人だから好き」って部分
とっくに超えてるんだwww
と、己が心に悟るミッションに入ってました。

イマイチ、自信なかったのよw
「勝つから好きなんでしょ」云う部分の否定。
2005年は見てるけど、2006年速かったし。

この3年、速いマシンでは無かったし
シーズン中の開発も、遅れ気味というか…
何がバージョンアップしてるか判らないチームでも
勿論40を超えて、年齢のことだって有ったろうけど。

コックピットに座れば
ミハエルは、ミハエルだったと言う事です(笑)

Twitterの別アカにも書きましたが
《第一期のミハエル》ってさ。

自分の周りをパーティションでガチガチに固めて
有刺鉄線を巻いているように見えたからさ。
で、時折自分でその有刺鉄線に自ら引っかかって
体中傷だらけにして、血を流してた。
血を流しても叫ばず、目つき鋭いまま立っていた。

《これが勝つ為に必要なんだ》
それが彼の心を支える呪文だった気がしてる。

◆◆◆

そして《第二期のミハエル》はさ。

パーティションは、残ってた。
でも、有刺鉄線は影も形も無くなってた。
更にパーティションの切れ目から
ひょっこり出て来て、手を振る人になってた。

私は良くこの事を
「だー! そんなFanに愛想ふり撒いてるからっ」
「悪魔的な勝ち運無くなっちゃったじゃない!!!!!!」
と、ギャグネタにして言っていたので(笑)

実際お会いして、喋ったことがある方は
私の上↑のセリフを、聞いたことが有る人
結構居るんじゃ無いかと思うんだけれど(;´Д`)ハアハア

なんだろうねぇ。

多分私は「血を流してるミハエル」を
見るのは、萌えつつも辛かったんだとも思う(笑)

でも、どっちのミハエルが本物と言えば
どっちのミハエルも、同じミハエルなんだと。

変わってしまったと言うのでは無く
彼の中の「出てくる部分が変わった」だけで
本質は大して変わってねーよというか。

だから、第一期のミハエルも
第二期のミハエルにも、好きだ〜という部分で
私の中に差異はあんま無かったというか。

成績出せずにTVにも映らぬミハエルを
LTモニタとiPhoneのF1アプリを駆使して
セクタータイムまで気にしながら、追いかける3年をは

確かに赤いマシンで皇帝やってた時より
勝つ事願って真摯に祈ってた時代と比べたら
大変なユルさで、身構えつつもw

それでも彼が居なかった3年間よりは
ずーーーーーっと真摯にF1見てましたからw

引退からの6年、復帰からの3年。
凄く楽しかったよとしか、言いようが無いんだ(笑)









でもまあ、この辺。
6年前を見送った赤いアゴヲタ達が
みんな同じ意見である必要は無いと思ってます。

もう、アゴヲタは1枚岩では無いからね。
(あの時も1枚じゃ無いけれどもw)

でもまあ、この世の何処かに少しだけ
疑いもせずに「幸せだったな、可愛かったな〜」と
何も考えずミハエルに萌えてるアゴヲタが居ても
バチは当たらないと思ってますw

なので「嬉しかった」以外の
言葉が見つからなくて、ちょっともやもやするw

いや。こんな単純じゃ無い
もちょっとグルグルしてる部分も有るんだけど。

パペットとか変なグッズ出て
着る者の勇気を試すシューマッハコレクション出て。
毎年「こっこれは!!」てーなキャップも出て
札が落ちるチケットホルダーに注意払いつつ

チョー笑顔で鈴鹿を闊歩出来るのも
ミハエル・シューマッハFanの嗜みというかw

やっぱ凄く楽しかったんだよ。

うんw



2012年10月20日(土)


 +ファイターと呼ばれたい+

ミハエル「第二のキャリアで負ける意味を知った」
http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=44295

AUTO SPORTS Webに載っていた
ミハエルの「ガセッタインタビュー」が、凄い。

会社でEvernoteにクリップして
iPhoneで気がついたら繰り返し読見返すほどに。

見出しは「負ける意味を知った」となってるけど
私的にはミハエルのカムバックした3年間というのは
「そういう感じ」ではなくってなぁ。

でも、何か「じーん」ってしたのは最後の所。

どういう存在として人々の記憶に残りたいかと聞かれ、シューマッハーはこう答えた。「皆が僕をレース界の伝説と呼ぶ。でも僕自身は、決して逃げることがなかったファイターと呼ばれたい」

此処ですな。

2006年。
コースレコードを出して。
スタートダッシュからの独走で。
そして白煙と共に消えた、ミハエルの日本GP。

落胆しきるメカニックを
チームスタッフを、全て悟ったように
穏やかな顔で抱きしめて、背中を叩いてた。

その時、私の知るアゴヲタさんは
「メカニカルトラブルなのに何でっ怒らないんだよっ!!!!」
「なんで不機嫌にならないんだよっ」と絞り出して
ミハエルが引退するんだと、実感したと言ってた。

私も、そう思った。
負けて尚、穏やかに振る舞うミハエルと
歓喜に沸くルノーとアロンソを見つめていた。

それで。
それで私とミハエルの日本GPは
生で見るミハエルは、終焉を告げるはずだったのに。

カムバックからの3年。
あの時のように、先頭を走ることは無かったけれど。
3年×53周 159周、帰って来てくれました。

最後のシーズンはポイントも取れない11位だったけど。
ラスト1周、チェッカーフラッグの瞬間まで
子牛のリカルドとの、抜きつ抜かれつデッドヒートバトル。

決して諦めないこと。
バトルの手綱を緩めないこと。
23番グリッドから、順位を上げ続けて
アレだけ安定しないマシンと、格闘していたこと。

ぜーーーーーーーーんぶひっくるめて
「ミハエルは、F1が好きで」
「闘いがバトルが好きで」
「ドライバーズサーキットで燃える人」

ポイントは取れなくても
凄く良いレースだったよねっ(´;ω;`)

白煙バッドエンドよりは余程な!!!!

なーんてね。
笑顔で見送ったんだよ、鈴鹿で。
“ミハエルらしい”レースだったよねって(笑)



そこでさ、ご本尊に
「僕自身は、決して逃げることが
なかったファイターと呼ばれたい」

言われちゃったら、あーた!!!!!

慎ましく、恭しく。
ははーっ、そう記憶させて頂きますっ!!!!!
と、平に平に平伏しながらも

もうそう云う記憶になっとるわww
と、鼻高くしちゃうんだぜ( ´_ゝ`)

なんかね。
嬉しかったのですよ、ワタクシ。
じんわり涙出てくる程度には、ねっ。


でも、この記事を10回くらい読み返したら
Twitterにも書きましたけれどw

ASのミハエルインタをエバーノートに入れて10回くらい繰り返し読んでるんだけど。「ふたつの異なるキャリアを過ごした。そのひとつにおいてはすべてを勝ち取った」「皆が僕をレース界の伝説と呼ぶ」と何の疑問も持たずに言えるミハエルがすげぇよw という感慨に変わってきているw

に、なっちゃいました。
ナチュラル(ファッション)モンスターだぜ、全くw



2012年10月19日(金)


 +私たちへの警鐘でも有るな+

ミハエルの引退発表から、その後
黒い話は書いても、ロクな話書いてないじゃない!!
そう思われて仕方ない有様なのですが(;´Д`)

2006年の時と違って
今回は引退発表から後に6戦有りましたし。
いや、あっと言う間に残り4戦になってるけれども。

私もね、ミハエル同様と申しますか
ミハエル引退後は、サイト残すつもりがなく。
多分この形式のサイトからは、完全撤退。
もう、放置していた時期も長いですしね(;´Д`)と
消えゆくことになるなと、自覚してるのでさ。

考えがまとまって。
言葉が紡ぎ出せればですけれども。
いよいよお別れという時に、ちゃんと。
ちゃんと言葉にしようとは思ってるのです。

その為に今、色々考えてたり
書きたいことを精査してたりするのだな。

◆◆◆

さて、本日はTwitterに
こんな朝日新聞のコラムが流れて来ました。

F1GPとカメラマン 関係の変化に思いめぐらせた週末
http://www.asahi.com/car/scene2012/OSK201210180016.html

これ読んだときに
名指しで名前出しちゃって良いのかワカランけどw

けんさわさんとは
真逆の考え方だなwww


と、要らんことが気になってみたり。

つか、ミハエル怒鳴るのね(笑)
怒鳴ったらさぞかし怖かろうなぁ…((((((;゚Д゚)))))

更に「ドライバーから突き飛ばされた
フランス人カメラマン」って、キミたんに
( ゚Д゚ノ)ノドーン★ されて転がった人だよ…な?!?!!
とか、色々思い当たるフシが有りすぎてさ(笑)

これ、ほぼ名指し記事なんじゃ疑惑が
ムクムクと芽生えるコラムなんだけれども(鬼)

突き詰めて言えば。

ゴシップ記事も
この様なカメラマンが生じるのも
私たちが見たがる知りたがる所為であり。

ミハエルの私服の写真もさ。
カメラに群がられ撮られるミハエルの不快感と
プライバシーとかを犠牲にして、我々が歓喜してる。

勿論、ミハエルはF1の公人であり
F1サーカスの中にカメラが入り込むことは
許されている世界では有るからねぇ…
ある程度の諦めは、ドライバーには有ると思うけど。

誰を責めると言ったら
その写真を見て歓んでしまってる以上
誰も責められないような気もしてるんだよなっと。

ただ、やっぱり。
「良いぞもっとやれ!!!!」とは言えず。

そう云う事をする人と
そう云う事をしない人の
どちらがF1サーカスに残れるかと言えば。
まあ、証明されてる気はするのでした。

なんか、微妙に
ワタクシが申し訳ない(´・ω・`)と
しょんぼりするコラムの読後感層だったんだぜっ。

ただ私、ゴシップ記事とかは
心底どうでも良い人だったりします(笑)

F1のゴシップはまだ良いんだけどね。
私生活とかF1関係ない方面は興味ねぇっすよw
むしろ見聞きしたくないレベルですわ(;´Д`)



2012年10月18日(木)


 +ジワジワと体感中+

「鈴鹿」というお祭りのなか
現地へ向かう電車の中で「二度目の引退」を
知ってしまったのでねぇ…(;´Д`)
実はあんま、現実感が無かったと申しますか。

昨日の日記・その前の日記に書いたように
【ちょっともやもやしてる部分】も有ったのでなぁ。

あと、残り6戦。そして5戦と、
カウントダウンが始まって初めてというか。

「また、お別れなのだなぁ…」という
しんみりとした寂しさに、今更襲われてたりします。

それでも【もやもや】は有っても
ミハエルの引退会見の言葉も判るしねぇ…(;´Д`)

ミハエル・シューマッハ 引退発表会見 スピーチ全文
http://f1-gate.com/schumacher/f1_16796.html

この言葉、割と素直に
本音の部分も出ているような気がします(笑)
というか、私が感じてるカムバック3年と同じ言うかw

マシンのデキの兼ね合いは、勿論有るけれども
「まだ今のドライバー達と張り合って戦える」のも本当。
やっぱ、その自覚も自負もあるのね、ミハエルwww
と、会見の記事を読んでニヤニヤしつつ(笑)

「最終的に僕の望みはただドライブすることではない」

ミハエル・シューマッハというF1ドライバーが
この部分だけで、満足しちゃイカン事も判ってるんだ…。

たださ。
コチトラただのFanだからさ。
ただ走ってくれている事だけで嬉しいからさ。

「もう見られない」ことより
「まだ見たいという」欲望が勝っちゃうんだけど。

それでもいつか。
いつかお別れしなきゃならない事は
最初から覚悟していた、ボーナスステージの3年間。
戻って来てくれて有難うねとしか、言いようがないです。

Twitterにも書いたけど
2006年からの、6年間を経ても。
覚悟しきっていた、二度目のお別れでも。
私の気持ちは、変わりませんでした。

2006年に配付した、うちわの裏面の言葉。

Thank you for all the enjoymentsyou brought us.
We’re proud to beyour fans!!

私たちは、貴方に出会えて
本当に幸せでした。ありがとう!!

結局、変わらなかったねぇ。

まあ体感として、当時の「私たち」からは
随分と人は減ってはしまったような気はするんだけど(あっ)

今のミハエルを歓んで
キャッキャウフフと追いかけてるFanは
当時より「ユルイ」人の割合が増えてるいうか(笑)

毎度/(^o^)\とか\(^o^)/しながら
「ミハエル( ゚∀゚)o彡゜ミハエル( ゚∀゚)o彡゜」してる
楽しそうな人ばっか目に付いてた所為も有るんだろうけどさw

私は、楽しかったです。
楽しいとしか言いようがなかったw

そしたら、ミハエルがさ。
引退会見のスピーチでさっっっっっ

「この6年間で僕は自分自身についても多くのことを学んだ。例えば、焦点を失わずに自分をオープンにできることなどね。負けることは、勝つことよりも難しく、ためになることがある。以前の僕は、時々それを見失っていた。でも、自分が愛していることをできたことに感謝したい。自分の信念を貫くべきだし、僕はそうすることができた。」

言っててだな(´;ω;`)

私なんざ、ミハエルにただ着いてきた
ぞんざいでミーハーなファンでは有るんだけど。

勝つこと・負けることも含めて
「F1という全ての事象」を自分に内包させつつ
「F1の世界を愛し楽しんだミハエル」を
「楽しませて頂きましたっ!!」ってな感想なのでな。

この発言を見て、ホッとしたのでありますよ。

でだな★

一度目は
「ミカと戦ったことが1番の思い出」

二度目は
「自分が愛していることをできたことに感謝したい」

ミハエルさんと言う人はさっ
大変に正直で、色々ただ漏れだと思いますwww

そこが好きすぎるんですけどね!
(惚気)

◆◆◆

とまあ、こんな具合に。
韓国GP始まってるのに、大変にしんみりと。
しんみりションボリしてるのですが(´・ω・`)

木曜日に鈴鹿に行けなかったワタクシに
写真を送って下さった優しいお方とかが居てですなっ!!

そこから滲み出る、楽しそうな?ミハエルとか
能面のように表情作ってるミハエルとか
撮影者さんのミハエルへの興奮とかが、さっっっ
色々溢れる写真を見ながら、自分慰めてたりします(笑)
ニラニラ眺めてる、俺キメェwww

写真、載せちゃってOK言う事なので
おいらのニラニラを体感して下さいませな(*゚∀゚)=3

◆◆◆

ミハエルさん、笑ってるで!!


うなじ・背中・尻と三拍子揃った
すんばらしいラインを讃える一枚(*゚∀゚)=3


自分で撮った一枚。
最後はここを焼き付けてお別れしたかった。


◆◆◆

しかし、こう考えると
私はピットウォークとか行かないし(休めぬだけだが)
入り待ち出待ちしないしという、ズボラFanなので(;´Д`)
こーゆーナチュラルというか、剥き出しのミハエルには
終ぞ縁が無かったなぁと思いました(笑)

そこら辺歩いてたニコヒュルと併走とか
茂みに隠れて薬飲もうとして口に含んだら
その茂みからクリス・ダイアー出て来て驚愕とか
良くワカラン遭遇劇はあったのだけどねw

でもさ。
剥き出しナチュラルミハエルさんを
こうやって写真で見てるだけでも
すっごい幸せだから、いいじゃまいか(・∀・)ニラニラ



2012年10月13日(土)


 +アブダビ千夜一夜物語+

鈴鹿の日本GP・金曜日。
全てのセッションが終わった後に、ひっそりと
グラスタ裏で【アゴヲタ座談会】が開催されました。

その内容は、ミハエルが二度目の引退を決めた
翌日だって言うのに「しんみりションボリ」ではなく
大変な笑いと、腹黒のスパイスで味付けされた
疑問と自問と推測の持論を、私がぶち上げたりして

『コリャ日記には書けません』と
/(^o^)\してたのだけど。

昨日の夜、その自分の持論部分をまとめて
《ひみつ日記》に書いて、まとめたのでした。

なぜ、ここに公開しなかったかというと
『ミハエルが辞めたこと』に因る『ネガティヴな事象』を
かなり具体的に予想&でっち上げちゃったからね(;´Д`)

「これからのあるチーム」に対して失礼だし
「こうならなければ良いな」って、願いも有ったんだ。

http://schumacher.blog5.fc2.com/blog-entry-1.html
【PASS: MSC43】

◆◆◆

では何故、今日になって
その腹黒日記をココに紹介してるのかって?!?!!

全ての疑念が得心へと変わり、膝叩いちゃったから。
「こうならなければ良いな」が「そうなったとも言う」(爆)

★ダイムラー筆頭株主が全株売却 ルノー・日産2位に
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1200U_S2A011C1EB1000/

――――以下引用――――

【フランクフルト=下田英一郎】欧州自動車大手の独ダイムラーは11日、筆頭株主だったアラブ首長国連邦(UAE)アブダビの政府系投資会社が今月上旬までにダイムラーの全株式を売却したと発表した。計3%を保有する仏ルノーと日産自動車は2位株主に浮上した。ダイムラーは欧州債務危機を乗り切るためルノー、日産との連携を加速する一方で、安定株主づくりにも追われることになりそうだ。

 アブダビの投資会社、アーバル・インベストメンツは2009年にダイムラー株の9%を取得し筆頭株主となったが、投資戦略の見直しで徐々に出資比率を引き下げていた。欧メディアでは、欧州債務危機によるダイムラーの業績悪化を見越して全株式の売却に動いたとの見方も出ている。


――――引用終わり――――

ダイムラーとは、メルセデスの親会社です。
ダイムラーは、メルセデスGPへの出資率が60%あります。
(2011年2月の時点)

アブダビの「アーバル・インベストメンツ」
みなさん、勿論聞いたことが有りますよね?

メルセデスAMGの リアウイング見てみようかw

アーバル・インベストメンツは、
メルセデスGPへのの出資率が40%となります。
(2011年2月の時点)

【ソース】http://www.gpupdate.net/ja/f1-news/253592/

ここが袂を分かちました

ダイムラーは、今年の株主総会で
「F1辞めろ」と他の株主に糾弾されました。

でも、ダイムラー自身は「辞める」とは云わず
当時のダイムラーの筆頭株主は、
アブダビの「アーバル・インベストメンツ」でした。

ここが袂を分かちました




この怖さが
おわかり頂けただろうか?


◆◆◆

そしてここからは、アゴヲタの妄想ですがw
この「アーバル・インベストメンツ」って会社の動きと
F1年表を並べてみると、結構凄いのさ( ´_ゝ`)


●2009年3月
アーバル・インベストメンツ、ダイムラーの筆頭株主に

●2009年11月
ブラウンGPを、メルセデス(ダイムラー)が45.1%
アバール・インベストメンツが30%で株式を買取り
メルセデスGPが発足

ミハエル・シューマッハの復帰

●2011年
ダイムラーとアーバルがメルセデスGPを100%買収

●2012年10月4日
ミハエル・シューマッハさん二度目の引退

●2012年10月12日
アーバル・インベストメンツが
ダイムラーの全株式を売却したと発表。

この話、まだメルセデスAMGへの
言及ないのだけれども、影響無いハズが無い。

おいおいおいおいおいおいおいっ!!!!!!!



ね? 凄いでしょ?!?!!
多分にして偶然の要素も有るんだろうけど
(欧州経済危機とか、アラブの春とか中東情勢とか)
何なんですか、この時代の流れっぷりは!!!!!!!

そう考えると…さ。
ミハエルが半年答えを出さずに居たコトとか
何故ラウダがハミちゃま連れてここに来たとか。
メルセデス外の可能性を、ミハエルが模索したとか。

現状「ミハエルさんがチーム追い出された」という
端的なゴシップ見解以外の「ナニか」が
メルセデスの中で蠢いてるの、判る気がしません?

あくまで、推測です。
私は「表面に出て来たニュース」だけで
時系列を追ってるだけですから(;´Д`)
深いところまでは、勿論判らないんですケド。

少なくとも、私の中で
疑念は確信へと変わりました。

でもまあ
私は逆シャーロック・ホームズなので(笑)

中で起きてることの推察がどんなに間違ってようと
「表に出る結末が変わらないなら構わない」と
サックリないない出来るタイプの人なのでね(;´Д`)

ミハエルの決断が先で、アブダビが動いたのか
アブダビの動きが有って、ミハエルの決断なのか。
それとも偶然の生み出した惑星直列九連宝塔か。

それでも、ミハエルの二度目の引退いう事実が
変わらない限り、割とどうでも良いんだけど。
ハミちゃまとニコのことはねぇ…
ちょっと心配では有ります。

このチーム、置き物でも
ミハエル置いて於いた方が良いと
思ってたしな、正直。
(鎹的な意味で)



2012年10月12日(金)


 +二度目の引退です+

鈴鹿に旅立つ、電車の中で知りました。
ハミルトンの発表が有ったとき、覚悟はしてた。

いや、ずっとそれ以前に。

ミハエルが保持していると言われていた
「契約オプション」が、行使されなかったときから。

春先は「8月」って言ってた。
以前から色々なメディアが、オプションは夏と書いてた。
8月が近づいたら「10月」になりました。
その辺から少しずつ、頭の片隅にありました。

でもまさか、鈴鹿で発表するとは!!!!
ここの部分だけは、凄いビックリしました。

でも「最後だ」と思ってミハエルを見れること。
発表の場所を「日本GP」にしてくれたこと。

その事に関しては、偶然だとしても
感謝の言葉しか出ないんだぜ、ミハエルさんよ。
本当に、本当にありがとうございました!!

不思議と、悲しくはありません。
一抹の寂しさは、当然有るのだけれども。

現役を続けるのか、辞めるのか。
メディアの勝手な憶測報道の数より多く
ミハエル自身にも、迷いと葛藤有った気がするし。

だからこそ、メルセデスも。
そしてシューマッハさん自身も
終始煮え切らない態度でここまで来てたしね。

でも、どれだけのドライバーが
「自分は来年も続けるか」って事を悩めますか?
その決定を、チームが待ちますか?

そう考えるだけで、この人の
ミハエル・シューマッハさんというF1人生が
43年間を経ても、実りある物と判るのだ。

その事に関して、メルセデスに感謝を。

ただ、この3年間に関してはだなw
奇遇だがべっつんとほぼ意見が同じなんだぜwww
★この記事ね↓★
http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/91021.html

ただ、チーム批判をする気は無いよ?
楽しいミハエルとの3年を魅せてくれたのだから。

あと、森脇さんとうっきょんが言ってた
「ヘボにモナコのPPは取れない」
コレに尽きます<シューマッハさんのカムバック。
このマシンで43才で御座いますから(笑)

つか、多分私にとっての「最良の結果」が
92勝目することより、8チャンプ取ることよりも
「またミハエルをF1で見れた歓び」の方がな
目の前に大きくぶら下がりすぎてて…さ。

結果が伴ってても、伴って無くても。
毎週毎週、F1のウィークエンドが楽しみでさ。

LTやF1アプリに齧り付いてさ。

ほんとうにね。
そんな事する毎日がね。
楽しくて仕方なかったんだ。

そう思ったら、やっと。
この日記を書いてて、やっと泣けてきました。

別れの悲しみじゃ有りません。

もう、二度と見れないんだと
寂しく思っていた三年間を経てから

また再び『ミハエルをF1で見れた』事への
F1の神様への、感謝の涙ですよ?

だから本当に、今回は悲しくないん…だよ。



2012年10月08日(月)
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やくに /