物事を見極めたいといつも願っています
でも無常の心をその位置で維持する事はとても難しい事のように思えています
「出来る時に 出来る事を 出来るだけ」
振り返るとそれが精一杯生きる事のように思えています
唯それを見極める事がとても難しいのです
そこに自分の得を考える気持ちが多く入っていると
心の眼は曇り見極める事が出来なくなるのです
今本当に出来る時なのか これは出来る事なのか
これが出来るだけなのか
自由なのかわがままなのか怠け心なのか
その微妙な選択に狂いが生じ始め出すのです
その湧き上がってくる自分のいやな部分との葛藤を日々繰り返していないと
そして負けないようにしていないと
心の眼で物事を見極める事が出来なくなるのを強く感じているのです
一体いつの頃だったのでしょう
物心が付き親の教えがすべてだと信じ
やがて損得を考え所有欲・出世欲などの我欲に囚われ
みんなそうしていると自分自身をいい聞かせて来た頃の自分がそこには居ました
純粋無垢の心で生まれたのに
自我の目覚めは
欲を覚え心を汚していくもののように感じとれるのです
その本来の姿とは かけ離れた物に変わってしまいます
自我の目覚めの時より 自分を育てて行くのは自分自身だと思うのです
心が今何に囚われ何に惑わされているのか
その多くは自分自身の心が生み出す欲のように思われます
こうしたいのに・どうしてもこうなりたい・とそう思うから苦しいので
その気持ちを捨てる勇気を持てば何も苦しむ事はないのです
私はその勇気を持つにはこれを捨てたところで 死にはしない
そう考えるのです 本当にそうなのです
何が起ころうともそれで死ぬことは無いのです
もし死を感じる事があるなら
死に心を囚われている自分自身の心が原因なのです
そして心を本来の姿に戻して行く事をしていかなければいけない
そう感じているのです
全ての物事にはやはり理由(わけ)があると考えています
今 自分がこうして毎日を過ごして居るのにも
この地球のこの国のこの時代に生まれた事にもその理由があると感じています
木や草花にも自分の周りを取り巻く環境にも身近にいる家族や友人たちにも
全ての物には理由があり その一つ一つの意味を解る必要性を感じています
そして全ての物から多くを学び気づくのです
自分自身を・この時代に生まれた理由を・自分の使命を・今しなければならない事を。
物事を知る事は知識を得る事は簡単な事だけど
心から解る事は難しくそしてとても大切な事なのです
知っている事と解ってる事は別な物そう強く感じるのです
本音と建て前は私の中では
”心と現実そして愛”のように感じています どちらもアンバランスが付いてきます
その狭間にもがき苦しみます
でも 思うんです
心まで苦しむ事は無いんじゃないかと
現実に心まで振り回される事は無いんじゃないかと。
難しい事ですが現実問題に感情を切り離せたら心まで病む事は無いと思うのです
怒ったり泣いたり叫んでも何の解決にもならないと思うのです
心はいつでも自由です 何が起こっても誰にも縛る事なんてできない
もし、心が縛られてると感じているのなら
それは他ならず自分自身では無いかと そう思えるのです。
そして人にはいつも愛だけを与える事ができればと、
見返りを求めない愛を与え続けていければと願っています
・・・これもとても難しい事ですが・・・。
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