自分を癒す。 簡単なような、難しいような感じ。
あの日の私をイメージする。 望む状態を言葉にして そしてヒーリングする。
昨日は、 すごくその癒しのエネルギーが ズシンズシンと沁みてきた。 重いくらいに。
私はこれを必要としているんだね、と 一人納得。 なんともいえない、 涙を出させそうな感覚。
あの日の私が 喜んだのか、 少しは癒されて明るくなったのか、 そういうのはわからない。 残念だけど、まだ分からない。 もしかしたら、 そういう風には まだ客観視できないのかも。
だとしても、 沁みてきた感覚はあった。 それでいいのだと思う。 いつか、私にも 癒される私の姿をみることができるかも、 と期待してみる。 とっくに、そういうのを見ることを 自分に許可しているつもりだけど、 どうも無意識の領域が まだまだ恐れているのかもしれない。
2012年03月29日(木) |
無事に終えられるのか |
義母から電話は来ない。 こちらからもかけない。 もともと、少なかったけど。
義母からの電話、 待っているわけではない。 いや、受けたくない。 夫に任せたい。
でも、8月までには・・と なんとなく思う。 夏までには片付けたい問題だ。
私は義母を許せるだろうか。 あの義母の言葉を、 そして、 あの言葉を発した義母を。
思い出すことが減った。 それは、気にならなくなってきたからなのか、 それとも 思い出したくなくて あえて封印しようとしているのか。 辛いと思わなくなったら、 それを思い出し、 そしてじっくりと取り組み いつか笑う日がくるのか。
わからない。 ただ、今は思う。 もう、元の私には戻らないな、と。 やはり、どちらかというと 戦う方向へ変更になりそうだ。
我慢した。 我慢して、我慢して、 そして体調を狂わせた。 もうそんなのは嫌だ。
私の中に小さな子供の姿の私がいて、 その子が叫んでいるみたいだ。
「もういい加減にしてよ! もうつらいのやだよ! ちゃんと守ってよ! 他の誰かじゃなくて、 私のこと、大事にしてよ!」
と。 叫び声は大きい。 切実だ。 いや、こんな大声になるまで 気づいてやろうとしなかったのだ。
気づいてしまった。 そして、もう元には戻れないし、 戻りたくないということにも 気づいてしまった。
「小さな私」のことを感じると なんだか辛い。 30半ば過ぎてようやく、 私は目を覚ましたというのか。 過去での忘れ物は これから取り戻していこう。 自分で。
許すも許さないも、 私が決めること。 然るべき時が来たら、 なるべく展開するはずだから、 今は結論を急がない。 きっと、 私が望む形がそこに現れる。 なぜなら、 導くのも私なのだから。
2012年03月28日(水) |
ある会話 誤解の元のもう一つ |
「気ぃ、悪くしたんやったら、 ほな、あやまっとくわ。」
(これに続く、「ごめんね」みたいなのはなし)
「気ぃ、おさまらん?あかん? ほな、電話切った方がいい?」
(そして電話は終わりにしました)
関西圏の人は、 そういう言葉はどう思うのでしょうか。
「ほな、あやまっとくわ」 (じゃあ、あやまっておくよ)
なんて、聞いたことない台詞。 言ったこともないです。
「あやまるから、だから許して。 本当に、ごめん。ごめんね。」
こんな言葉なら 友達と喧嘩して、 自分が悪いと思ったら お互いに相手に言ったことはありますが。
このフレーズも忘れられず 私を苦しめています。
2012年03月23日(金) |
気づきを見つめること |
いろいろなことを ぽろぽろと思い出す。 思い出すと辛いことも多い。
そして、そこで思う。 頑張ってきたんだよね、蒼月。
なんだかひんやりとしたこのHN。 ひんやりと冷たくて固い感じ。 美しいけど、孤独。 そんなイメージが湧いてくる。 きっと、この名を選んだときの気持ちだ。
いろんなことは、誰にでもある。 誰にだって辛いこと、悲しいこと、沢山ある。 私だけが特別じゃない。
そう思ってきた。 誰だって、頑張っているんだから!と。
でも違うんだな。 自分くらいは、自分を大事にして そして優しくしてやらないと、と思う。 それは、自分がこれまでに 随分と自分に対して意地悪だったから。 自分が泣いているのに、 それを無視して痛めつけてきたから。 自分ではない、他の誰かのために。
もっと、あなたを愛してあげてくれたらいいな〜
とメールをもらった。
見抜かれている。 でも、そうありたいと思った。 きっと、すぐにはできないけど、 身に染み付いたパターンは 多分なかなか変えられないけど、 折角気づいたのだから、 もっと自分に目を向けたいと思うのだ。 これもまた、 簡単そうで、慣れるまでは大変だろうけど。
2012年03月13日(火) |
ひとりでは無理でも・・・ |
その言葉は悪意ないと思えても、 その言葉が発せられた瞬間の気持ちは、 そしてそのときの怒りは どうしても消せなかった。 いや、強くなる感すらあった。
このことを相談してみた。 悪意ない、と理解したつもりなのに どうしてこの感情はついていかないのか、と。 どうしたらおさまるのか、と。
専門家からかけられる言葉は、 やはり大きいと思う。 自分の思う、後から考えれば出てきた理想の対応。 でも、それは自分の習慣にないから できるわけもなかったのだ、と。 たしかにそうだ。
怒っていてもいいのだ、といわれた。 無理に押さえ込む方がよくないようだ。 そして、その事件が起きた時の自分を癒す。 癒し続ける。 その内に、いろいろなものがほどけて、 そしてこのメインテーマの 消せない怒りも静まっていく。 これまで、いろいろと押さえ込みすぎたらしい。 限界に達したのだ、と。
あぁ、なんとなくわかる。 残念なあの出来事は、 しかしすごく大きな転換点となるだろう。
勉強することが増えた。 「宿題」がたくさんになった。 でも、なんだか嬉しい。 目標がはっきりしているから。
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