桜咲く・・・...さくら♪

 

 

悩み - 2011年03月16日(水)

昨日の会議は通常通り行われたらしい。

メールの設定もきちんとできていなかった。
たくさんのメールが来ている。

会議の中で、災害支援登録の話が出たらしい。

その場で早急に登録したメンバーの1人が、どうやら早速被災地へ
派遣されたらしい。

私自身も、独身であればすぐにでも登録して向かったかもしれない。

でも、今は家庭があり、子どももいる。まずは、子どもを守らなくて
はいけない。

そう心に言い聞かせる。

どうしてもすぐに何かできることはないかと探してしまうけれど、
震災の復興まで、時間がかかり、まだまだ長期的に支援が必要となると
思う。

人の手がたくさんたくさん必要になる。

そのときに、自分が何かしらお手伝いができるように、今はまずは
足もとをしっかり固める。



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出勤 - 2011年03月14日(月)

震災後、初めての平日。

夫は出勤し、さくらは午後から出勤した。
震災後の次の日、職場の行事が通常通り執り行われたことについて、
驚きと信じられない気持ちでいっぱいだった。

職場は、通常通り働いている人もいれば、不在の人もいた。
明日の会議も通常通り行われるらしい。
なにせ、ここは被災地ではないから…。
でもまだまだ余震もあったりする。

とりあえず、今日は事務手続きと、職場のメールを自分のパソコンに
設定して帰宅する。

保育園から、登園の自粛要請がくる。
ということで、意を決して休むことにする。




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震災2日目 - 2011年03月12日(土)

朝が来た。
もちろん、電気はまだつながっていない。
しかも寒い。
とりあえず、起きて、お隣で朝食をとる。となりは、物置に残っていた石油ストーブがあり、部屋は暖かかった。ガスもプロパンだったので、暖かい食事も食べることができた。停電のため、冷蔵庫も止まっている。このままでは、冷凍庫のストックも食べることができなくなる。食べることができなくなる前にと冷凍食品に火を通してもらうことにする。
朝、新聞が届いていた。
こんなときにもしっかりと新聞を発行し、配達してくれる人がいることに、感心した。
ばかにできない地方新聞。
夫が実家からラジオを借りてきてくれる。これで情報が少し入ってくる。幸いにも、単三と単四の乾電池は我が家にはいっぱいあった。
ラジオの情報から、地震や津波、原発の事などが分かった。本当に日本が大変なことになっていた。それとともに、市内の情報も入ってきた。
本当は、息子の卒園式だった。昨日は、中止という話はなかったものの、夫と相談して、もし今日卒園式が行われたとしても、出席しないことにしようということになった。
子ども達の様子も微妙にいつもと違った。
食欲はいつもより旺盛で、大丈夫かと思うほど食べた。
娘は、元気なものの、下痢をしていた。また、夜もよく泣き、私とぴったりといつも一緒にいた。
スーパーなども停電と人がおしよせて大変な状況になっているようだった。
夫が外出したときに、非常食を調達してくれていた。
夕方には、かろうじて電気がとおった。これほどありがたいと思ったことはなかった。
しかし、灯油がいったいいつ入荷するか分からない状況で、給湯や暖房を灯油で行っている我が家としては、なんとかいまのタンクにある灯油で過ごしていかなくてはいけない。
これまたありがたいことに、灯油タンクにはたくさんの灯油があった。
でも、とにかく節約して使わなくてはならない。

山形は、被災地への支援物資等の中継地点となり、空港が24時間稼動となったらしい。
そのためか、夜間はひっきりなしに飛行する音が聞こえていた。



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大震災 - 2011年03月11日(金)

普通の金曜日の午後でした。

上司と部屋で話をしていたら上司の電話から警報音が。

「なにこれ?…地震?!」

といって数秒後、激しい揺れ。

数日前も地震があったが、比べ物にならない揺れ。
部屋にいる人みんなしゃがみ込む。なかなか収まらない。
ぐらんぐらんと揺れていた。蛍光灯が消えかかり、非常灯に切り替わる。
かなりやばいことが分かった。
いつになったら収まるんだろうと思っていたら、ようやく収まった。

とりあえず、非難経路確保のため廊下に出てみると、防火シャッター
が閉まっていた。確認していたら、また揺れだす。とにかく外に出よう
ということになって荷物をまとめる。
よく見てみると机は引き出しが出ていたり、電気ポットが落ちて、
お湯が流れ出ていた。
避難優先ということで、とにかく外に出る。

状況を把握するために、みんな携帯で確認。ワンセグって便利ね。
強い余震はその間も頻繁に続いた。半端じゃない余震の程度と頻度。
そんな中でも、せっせと物品を搬入する営業の人が入ってきたりする。
すごい。

みんなホールに集まって避難。

状況は、予想以上にすごいと言うことがワンセグの情報からわかった。
大きな津波が襲っていることや、千葉のディズニーランドも水つかって
いるということを聞いた。

停電も市内全域で、信号もついていない。高速道路も通行止め。
日が沈む前に帰宅しろという指示がでる。

とりあえず、子どもたちを迎えに行く。
メールや電話がつながりにくいものの、家族の安否確認をし、
食料調達のお願いをする。しかし、すでにコンビには停電で閉まって
おり、開いていてもかなり混んでいる様子。
ガソリンスタンドもすでに混んでいた。とにかく子ども優先で、
食料は母親にメールで頼んだ。

ガソリンは、とても偶然に数日前に詰めていた。
いつもなら、もううごかなくなるんじゃないと思うほどガソリンが
すっからかんなのに、なぜか先日気前よくいれていた。

電気が止まっているので明かりももちろんなく、ご飯も作れない。
部屋も寒い。

家に備えてあった懐中電灯とラジオが一緒になったものが、見当たらない。
つい最近、子どもたちが遊んでいてどこかにやってしまったらしい。
こんなときにとあくせく探したものの、結局見当たらず、仕方なく
蝋燭を使用した。

夕食は、隣の実家がガスが使えたので、差し入れしてくれた。
寒い中、冷えてしまった食事。暖かい食事がどれだけありがたい
ものだということが分かった。
子ども達の食欲が凄く、とにかく子ども優先で分け与える。
電気が止まっている中、携帯電話の電池も気になるところ。
でも、携帯もつながらない。唯一、断水していないことがありがたかった。

電気は復旧が早いと聞いたことがあるので、それに期待し、車の
テレビで情報収集する。
津波の状況など、予想以上で、東北どころか、東日本が恐ろしいこと
になっていた。

電気が止まった。夜、電灯もつかない、まわりは真っ暗。
外に出て、夜空を見上げてみた。

こんな静かな、暗い夜はもう見ることはないかもしれない。

真っ暗なので、早々に就寝することにする。
部屋の扉が、余震の揺れでがたがたと音を立てるので小さい余震でも
すぐに分かった。
一晩中、余震が断続的にすっと続いていた。



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動きの多い季節 - 2011年03月06日(日)

先週までの鬼のように忙しい日々がちょっとだけ落ち着きつつ
あります。

いつの間にか、3月に突入していました。

3月は何かと動きのある季節ですね。

息子が保育園を卒園して、小学校に入学します。
卒園式や小学校入学の準備に追われています。
小学校っていろいろ準備するものがあるのね。

また、大学時代からの友人が引っ越すことになりました。
みんなで送別会をしました。
なんだか引っ越すのが信じられないけれど…。

ほかにも、以前お世話になった方が移動になると聞ききました。
遠くへ行ってしまう前に会いたいと思うけれど、相手は忙しいので
きっと無理でしょう。

新しい生活へ向かって着実に進んでいます。
切ないような、寂しいような…。



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