軽自動車


 過去 : 未来 : メール 2007年01月31日(水)


私は軽自動車に乗っている。

免許を取ってから軽自動車以外は自分の車として買ったことはない。

19歳になったとき車の免許を取った。

免許取得の費用は自分で出したのだが、父が中古の軽自動車を買ってくれた。

懐かしい。


赤のミラだった。


とっても嬉しかった。


それ以来今の車は4台目だがずっと軽自動車に乗っている。

ダーリンの普通車を運転すると

「やっぱり馬力だって違うし、乗り心地はいいなぁ。」

と思ったりもするが、日常的には小回りが利いて不自由に思ったことはない。


軽は事故をしたとき危ない!


とよく言うが、事故をすれば同じだと思ってるし、実際大きな事故って普通車とか冬なら4WDのランクルなんかがよく転がっている。




そして義理のお姉さんが3回目の車検を目前に車を買い替えるらしい。

今まで普通車のFFに乗っていたが、今回軽の4WDにするようだ。

雪国だから4WDにはするべきだと思う。

軽は税金は安いし、車検の費用も違ってくる。

家のローンを抱えている間は軽自動車でいいかなぁと言っていた。

確かに長距離を運転するわけでもないし、今のところ子どもは一人だしね。


そこで一緒に車を見に行ってきた。


日産が出した「PINO」だ。


それはスズキの「ALTO」と同じなんだけどね・・・・^^


かわいい車で、何となく新卒のかわいい女の子向けの車って感じがした。


しかしその価格は普通車買うのとあんまり変わらない。

お姉さんの今の車の下取りがあまりにも悪いもんだから余計に高く感じた。


値引きしてもらっても135万と言うのだ。


結構軽でも高いんだなぁ。









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やっぱり普通車にしようかと考えているのに、何故かそっちの話に。



やっぱり出たばっかりだからノルマとかあるんかな。


営業さんも大変だね。




それでお姉さんはまだ迷っている。



私がお姉さんと同じ立場なら教員で収入も安定してるし、遠くへ出張もあるんだからやっぱり普通車にするかな〜。



と私は言った。




さぁ営業さんの腕の見せ所です。



学級通信


 過去 : 未来 : メール 2007年01月27日(土)


私は子ども達がもらってくる学級通信を結構楽しみにしている。

学校の様子がわかるからだ。

それにその文体から先生の考えや人柄なんかも伝わってくる。

カホの担任は手書きて年間130号を目指しているとかで、結構まめに通信を出す。

子どもの描いたイラストや何気ない落書きを集めて、それをコピーし通信に使ったり、もちろん作文なんかも載せている。

その作文も実名である。

カホが書いた作文が載ることはあまりないけれど

「へぇ。こんなことカホと同じ年でこんなこと感じる子がいるんだな。」

とかって思う。

それでも親の中では

「通信に載る子と載らない子の差があって公平ではないっ!」

「自分の子の悪さが露呈されるようで迷惑。」

「よその子はすごいこと言ってるのに自分の子は・・・・(弱」


とマイナス方向に捕らえる人もいるのは事実。

最近は通信に乗せるときは名前は出さない先生も多くなってきた。

ダーリンは名簿にだれを通信に載せたかチェックしながら作っていたときもあった。




私が勤める中学校でも同じようなことがあった。


とても熱心なベテラン先生で週に2回以上は通信を出す。

どの担任の先生よりも多くの通信を出す。

でも二学期の終わりにその通信にクレームが出たのだ。



「通信に載る子はいつも同じ」

「一度も乗せていない子がいる。」

「文章がおかしい。」



その先生は怒ってしまった。

第一号から調べて見たが通信に乗せていない子はだれもいなかった。

文章がおかしいとは言っても、教頭などに一度見せてから出している。






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友達の子がそこのクラスにいる。


その話をしたら驚いていた。


「えー。楽しみにしてたのになぁ。」



そういう親だっているのに。


それに先生も子どもたちのためにやっているという自信があればやめることもないのに・・・。



「学級通信」

読まずにすぐ捨てる人もいる中、批判するってことはしっかり見てるってことだからいいことよ。


究極の前向き思考で行きましょうよ。







そんなことを思ってはいるが、隣に座るその先生に言えずにいる私である。


白髪染め


 過去 : 未来 : メール 2007年01月25日(木)


私には幸運なことに白髪がない。

それに薄いわけでもない。

先日半年振りに行った美容院でもそんなことを言われた。


別に特別なことでもないと思っていたが同じ年頃の友だちのほとんどは「白髪持ち」である。

特に若い頃から髪をいたわっていたわけでもない。

パーマかけてたこともあったし、何やら明るい色をしていたこともある。

洗ったら濡れたまま寝るし。(ぉぃ

ただ父も母も白髪が生えるのが遅かったのできっと遺伝だろう。

感謝するべき。





でも、11歳のミホは赤ちゃんの頃から白髪がある。

最近だんだん増えてきているので伸びたら目立たないように白髪だけ切ってあげている。

本人は全然気にしていないようだけど、中学生くらいになってまた増えたら気になるんじゃないかと思う。


私の勤める中学校にも一人、男の子でゴマ塩頭の子がいる。

あえてその子とその話をしたことはないけど、何となく私はミホとだぶって日頃からそれを見ていた。

もしかしたらそのことにあまり気付かない人もいるかもしれない。

短いし。



でもその子の頭が3学期になって少し変化した。

よく見ると白髪だけほんのりと茶色くなって目立たなくなっているのだ。

私は何となく嬉しかった。

きっと家の人がやってくれたか、薦めてくれたかで染めたのだろうけど自然に染まってよかったなぁと誰にも言わず密かに思っていた。




でも今日、職員室でそこのクラスの副担任に


「○○くん、良かったですよね。あんまり目立たなくなりましたよね。」


と言ったら、私の言っていることが通じなかった。


白髪が多いことは気付いていたようだが、その変化には気付かなかったようで。


でも自然に染まったんだから大成功。


そんな風に私は捉えた。




でもその独身40代半ば女性先生の返事は。







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私は慌てて

「そんなこと確認することじゃないですよ。」







「髪を染めるという行為」だけを聞いて校則違反だと思ったのだろうか?


それを私が指摘したのだと思ったのだろうか?


全く融通がきかん頭だなぁ。



その先生からはいつも「温かみ」を感じないと思っていた。




決めた。これからはあの先生にはこういう類の話はしない。


これから


 過去 : 未来 : メール 2007年01月24日(水)


うちの学校のAETキャミルさんはこの7月でカナダに帰ると言われた。

もともとは1年の契約でもう一年更新して二年日本の中学校で英語を教えた

今まで逢ったいろんなAETのなかでは特に、いろんなことにとても前向きで少し日本人の感覚に近い「謙虚さ」を持ったかわいい女の子。

女の子。だってまだ23歳。既婚者ですが^^


彼女はカナダに戻ったら就職活動もしたいし、農場を持つことも夢だし、何よりも二人で住む家を決めなくては!

なんてこれから始まる人生を語っていた。


私は、まだまだ可能性の塊の彼女をうらやましく眺めていた。



すると


「リホさんはこれからはどんなことをするんですか?」


と聞かれた。



え?



私は今までは子どもが大きくなるまでは子育てと家事が両立できるように非常勤講師を続けていくつもりだ。

でも、「子どもが大きくなるまで」っていつのことだ?


今、やっていることは果たして本当に自分のやりたいことなんだろうかと考えてしまった。


子どもに関わったり、英語を教えたりする仕事が嫌いではないのも事実。


結婚する直前まで夢見ていた海外青年協力隊にまた挑戦するには今は体力に自信がない。


すでに私は38歳だ。




同じ38歳の知り合いの女性の先生が最近、「心の病気」で病休をとっている。

今までとくに何も問題なく15年もの間教員を続けていた、それなのにココへ来てうまいことまわっていかなくなったようだ。


旦那さんの話によれば、もう彼女は退職を決意し、どこか晴れ晴れとしていると言う。






人の話を聞いていると

「まだまだこれからじゃん。」

と思う。




その教員をやめてしまう彼女だって、これからきっとまた違うことにチャレンジして新しい世界が開けるだろう。






だから私だってやっぱりまだまだこれからなのだ。

そう信じ、まず自分が何をしたいのか考える。







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とにかくまだまだこれから。



そんなことを考えた。


期末終了


 過去 : 未来 : メール 2007年01月21日(日)


今日は3年生だけ学期末テストがあった。

入試の書類提出のために1,2年よりも二週間ほど早く試験をするのだ。

そして早速採点。



最近は表現力を問われる問題が多くなってきた。


例えば


○次のことを言いたいとき英文でどう表現しますか?


1.「この本って誰が書いたか知ってる?」

2.「これは手塚治が書いた有名な漫画だよ。」

3.「これって1万部以上売れてるんだってね?」





私が中学時代に習っていた英語とは全く質の違ったものだ。


表現力を問う問題が解けるかどうかでかなり点数が開いてくる。


しかも今回は中学最後の校内テストらしくちょっと骨の折れる問題にしたようだ。








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まぁ思った通り。




最高点は87点。



最低点は


















2点








ええええええぇぇぇぇぇ?





今まで悪いって言ったって二桁点数は取れてたのに。(涙








教室のカレンダーによると学校へ来る日はあと33日らしい。


そのうちに英語の授業があるのは20日ないだろう。


でも、そのたった20日でもあの子を見捨てるわけにはいかない。

「やりたくねぇんだからほっといてよ。」でも無さそうだし・・・

私に何ができるかな・・・・。





そんなことを考える夜。




街頭演説


 過去 : 未来 : メール 2007年01月20日(土)


選挙でもないのに街頭演説をしている人たちをよく見かける。

私の父も政治家だったので、現役の頃はよく駅でハンドマイクを片手に立っていた。

いや、立って演説をしていた。

何分くらいやるのかよく知らないが近所の人たちはさぞ迷惑だろうと思いながら父親には目でエールを送り、足早にそこを去った。


最近、仕事へ行く途中の国道沿いで自分の名前の看板を横に置いて、ハンドマイクを片手にマイナスの気温の中で街頭演説をしている人を見た。

彼はまだ40代前半で若く、一度、30代の頃に衆議院になったが、今は落選した身で、地元の企業で働きながらも地道にNPO活動などを中心に活躍しているようだ。

でも、まだ彼は若い。

これからまだ活躍するだろう。


そんな彼が「100日街頭演説」を目標に毎日朝、凍りながら実行しているという。


私はそれを彼のブログで知った。


「今日はどこどこの場所でやりました。」


寒いところで(今年は暖冬と言っても零下の朝だ)それを続けるのは本当に並大抵なことではないだろう。

しかも一人だ。







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だって、あんな国道の車しか通らないところで演説したって誰も内容がわかるわけないじゃん。


もしかして


「あ、どんなこと言ってるのかな?」って稀に興味を持って聞こうなんて人がいても、そこじゃ車停められないじゃん。


たまたま私が見かけたところはそうであって、きっとどこかで耳を傾けられるような場所で演説している時だってあるだろう。


でも、きっと彼は別に自分の話を聞いてもらいたいと思ってそれを続けているのではないと思う。


理由は二つ。


一つ目。


アピール


次回の選挙までに自分がまだこうやって何を言ってるかわかんないだろうけど寒い中で頑張ってますよ!


そんなアピール。




二つ目。



修行


誰も聞かなくても100日がんばろう。

辛いことを乗り越えて鍛錬しよう・・・・
みたいな。






そんな理由なら本当に彼のやっていることが理解できる。


もし「自分の信念や活動を知ってもらいたい。」と思って続けているのならそれは全く理解できない。






そう思いながら、また父の時と同じように車から目でエールを送り70キロのスピードでその横を通り過ぎた。




役員決め


 過去 : 未来 : メール 2007年01月18日(木)


子どもが高学年になるにつれいろんな役員をやらなければならない。


学校のPTAだけじゃなくて、通っているスポーツ少年団の剣道クラブの役員もだ。

先日第一回の役員決めがあった。

新6年生は4人で、その中で会長、副会長二人、会計を決めるのだ。

うちはダーリンが参加したが他3人はお母さんだった。

それぞれが

「出来ない理由」「いかに出来ないか」を述べる。

そして

「今年は誰かにい仕事が負担にならないようにしよう。」

「会計は5年に任せたらどうだ?」

「みんなで協力しよう。」



そんな話や、全く関係のない昔の話や、堂々巡りでなかなか決まらなかった。

ダーリンはそういう進展のない話や、とにかく逃げて誰かに押し付けようとしているその姿を見るのが嫌だった。

彼は

「僕も中学校ですでに剣道部顧問をしているので試合等が重なるこの剣道少年部を兼任することは難しいけれどみんなフェアの立場でくじ引きをして、それで当たればやるしかないと思っています。」


そう話すとみんなが口をそろえて

「お願いします。」



違うって。


みんな事情があるんだからくじ引きで決めようって言ってるんだよ。



結局くじ引きは次回に持ち越されることになり、昨夜私がその会に参加。



今度は夫婦で見えて「出来ない」ことを謝られる方もあったり、前回の会長の助言もあったりでまたなかなか決まりそうもなかった。


だから隣に座っていた○○さんに


「結局4人のうちの二人は出来ないということなら、○○さんと私でくじ引きをしたらどうだ?」

と○○さんに提案。

彼女も納得して二人でくじ引きすることにした。







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帰ってダーリンにその話をした。



「みんながフェアにくじ引きをしようって気持ちよく決まるのと、半分押し付けられるのとでは印象が違うよな。」




でも何でも前向き。


お祝いの乾杯をした♪


仕事への差別意識


 過去 : 未来 : メール 2007年01月16日(火)


昨日の日記からの続き。



造園屋の社長さんがそう言ったらダーリンも同じような話をした。




学校で3者懇談があった。



担任と子どもとお母さんと3人で話しているときにお母さんは子どもに







「勉強しないと先生くらいにしかなれないわよ。」





先生を目の前によくそんなことを言ったもんだ^^;




聞くところによればお父さんは薬剤師をやっていらっしゃるようだ。
だから何?ってとこだが。




その話の数年後







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勉強しなかったのかな?(笑







私は将来、我が子が一生懸命できる仕事に就く事ができれば良いと思う。

周りの目。

自分の見栄。

そんなことで進路を決めるといつかその歪みが出る。

そう思う。


仕事の格差


 過去 : 未来 : メール 2007年01月15日(月)


どの仕事が「偉い仕事」で、どの仕事が「かっこ悪い仕事」か。


子ども達が学校で職業体験などをしにいくが、机に座ってコンピューターをいじっているそんな姿がかっこいいと言い、そういう仕事に憧れる子が多い。


学校生活の中では係り活動を通してどんな仕事だって大事な仕事だと教える。


毎日給食の前に配膳台を拭く仕事、休み時間に黒板を綺麗にする仕事、花の水やりをする仕事。

すべてが大事な仕事であり、それをその子が怠ったらクラス全員の子が困るのだ。


何も言わずに目立たなくても自分の仕事をきちんとやっている子。


いっつも黒板が綺麗で気持ちいいなぁ。○○係りさんがきちんとやってくれているお陰だよねぇ。




それに反し、格好いい仕事だけを選んで人前でだけやる子もいる。


どんな子の姿も教師は見落としてはいけないと思う。






いろんな子の姿を取り上げて、指摘することで目立たない仕事を地道にやっている子はクラスに役立っているという自信を持ち、どんな仕事も本当に大切なんだなと体感し、そしてそれが子ども達の将来の職業観に繋がるのだと思う。




どんな仕事でも卑下するものではない。









最近、うちの前の64歳の造園屋社長さんと話すことがあった。

お茶を飲みながらうちのダーリンといろいろと盛り上がっていた。



最近は仕事が減ったとかそんな話からこんなことを言ってた。




雨の中でよ〜俺達がずぶぬれになって仕事してたら、そこへ小学校2年生くらいの子ども連れた若いお母ちゃんが通りかかったんだわ。







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ええええええぇぇぇぇぇぇ!



社長さんは笑いながら



「それは当たっとるな。」






いや、当たってないよ。



社長さんの描く図面も、そして造園技術もすばらしいんだから。







それにしても周りが見えてない親だねぇ。






そうしたらダーリンも同じような話をし出した。



・・・続く


やり直し


 過去 : 未来 : メール 2007年01月14日(日)


最近「ハンパ物、傷物」の内祝持ってきた伯母さんのことでびっくりしたと日記に書いた。


その伯母さんが


「傷物を渡してしまったようで・・・・」

と言葉を濁しながら新しい内祝いを持って見えた。






もしかしてこの日記見てる?(爆



悪意は全くないんだからね〜。(汗



すべて本音です。(ぉ



それにしても内祝いを二回もするなんてお金がかかったことだろう。

何か事情にあったにせよ、後から嫌な思いをお互いにしなくちゃいけないのだから今回は伯母さんも後悔していることだろう。



「私、こんな失敗しちゃったのよ〜。ゲラゲラゲラ。」


と笑い飛ばしてくれればこっちも楽だ。


なかなかそうはなれないかもしれないとは思うけど。





私もこれからいろんな失敗をするだろう。








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失敗は成功のもと。





またミホにそう言われそうだよ。


年賀状による近況報告


 過去 : 未来 : メール 2007年01月10日(水)


一年に一度年賀状でしか繋がっていない友達が何人かいる。

別に出さなくてもいいかなぁときっとお互いに思っているだろうが、自分から切るのも何だから・・・と出している。

そんな中の一人。





大学の友人の年賀状。


彼女はお金持ちのお嬢様で、大学時代から素敵なアパートに住み、かっこいい車に乗ってちょっと庶民とは違っていた。

話すとそうでもなく気さくで大学を卒業してから何度かランチをしたこともあったっけ。

でも、考えていることや感覚がどこか違っているのでだんだん離れていって最後にあったのは3年ほど前の共通の友達の結婚式だったと思う。





彼女は結婚してお子さんが一人いる。

生粋の日本人だが英語の音の名前をつけ、それに無理やり漢字をつけている。

例えば


「エイミー」という名前に「絵意美」という漢字をつけるという感じだ。


彼女の年賀状には

「うちの4歳になるエイミーはバイオリンにバレーに初舞台頑張っています。」

とあり、かわいい女の子がバイオリンを弾いている姿の写真があった。


自分の娘がかわいいと思うのは当然で、いろんな英才教育をさせる気持ちもわからないこともない。

そういう年賀状多いしね。^^




それよりも驚いたのは



「私は今、小学校でネイティブ役で英語を教えています。イタリア出身の○○○という名前でやっています。」





え?



あんた完全なる日本人じゃん。


しかも訛りだってあるし・・・・(爆



冗談を言っているのだろうか?


一度会って聞いてみたいものだ。







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笑ってくれれば冗談で通しているのだろうが、怒っちゃったらリアクションに困るな〜。




冬休み終了


 過去 : 未来 : メール 2007年01月09日(火)


子ども達の冬休みが終了です。

明日からまた早起きして学校に行かなくっちゃ。

今朝なんて−7度っていう寒さ。

冬の早起きって大の苦手よ。


今年の冬休みは本当に忙しかった。

ほとんどが遊びで忙しかった。


それでも前半は雪がほとんど降っていなかったのでスキーに行けなかったのが残念だ。


スキーは出来なかったが子ども達が生まれて初めて遠出してスケートを経験した。


「荒川静香ちゃんみたいな水着が必要だ。」


と思っていたカホにはビックリしたが、もっとびっくりしたのはそのスケート場には第二、第三の浅田真央ちゃんが皆が同じように長い髪をポニーテールにし、かわいいコスチュームでクルクル廻っていたことだ。


スケートってスキーと違ってちょっと華麗なイメージだね。



何で私たちの住む地方にはスケート文化がないのだろう?


そんなことを思ったりもする。






私は冬が本当に苦手。

体が動かなくなってしまう。

だからこんなところにお嫁に来ちゃって悲しい。
12年も経ってんだから今更「お嫁」じゃないだろ・・・・

冷えるってことは絶対体に良くないことだと思っているから、こんな寒いところで私は残りの人生を過ごすということは自殺行為とまで思うほど。





でも、子ども達は違う。

雪が降ると大喜び。

この地で生まれ育ったダーリンも一緒になって雪遊び。

雪を掻いていると思ったらいつのまにか遊びに変わっている。






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「一回やってみたかったんだよねぇ。」



とダーリンはメガネを曇らせながら満足そうに言った。



良かったね♪












母娘の関係


 過去 : 未来 : メール 2007年01月05日(金)


ダーリンの従妹がクリスマス頃に結婚した。

高校を卒業してから関東へ行きそのままそっちで就職、結婚でほとんど顔を見たこともない従妹だ。

でもそこの伯父さん、伯母さんには世話になっているということもありお祝いを持っていった。

義母の話によると、その結婚された娘さんと伯母さんはあまり上手くいっていないようだった。

何をするにも自分で決めて、親を頼らない。

この結婚も突然だった。

それでも30歳をすぎる娘の結婚をとても喜び、伯父さんと

「これであの娘との関係が修復できるのかも。」

期待した。


結婚をする前にいろいろと打ち合わせがあるのでこちらから東京まで行きあちらさんの親と会食をしたりする場面はあった。

家族同士で話をするときは普通に会話があるのだが、それでもその娘さんはわざわざ遠くから来た親と一緒に時間を過ごすということはなかった。

あちらさんから結納金をもらってもその中身(金額)を親が知ることはなかった。

娘さんは親との時間を避けているようにしか思えなかった。

「結婚式もすべて自分達でやるから親は何もしなくてもいい。」

普通、ドレスにしても着物にしてもお嫁さんになるときは母親が何か世話を妬きながら傍にいるものだが、伯母さんは結婚式当日も娘さんの傍にいることはなかった。

「どこにいるのかわからない。」と言うのだ。

伯父さんは花嫁姿の娘を初めて見たのは腕を組んで教会のヴァージンロードを歩くときが初めてであり、もちろん伯母さんもその時が初めてだった。

会場の係りがお金の件で何か打ち合わせたいときも、
「妹さんの○○さまいらっしゃいますか?」
と親ではなく妹を頼り、親を全くシャットアウトしているようにも感じた。

伯父さんも伯母さんも地元で工務店を営むしっかりした方だ。
頼りないわけではない。

そんな二人の様子を結婚式に参加した義姉は「かわいそうだったよ」と言った。


結婚式の親への手紙は


「私は親にも相談せずにここまでやってきました。自分で何もかも決めたから弱音を吐けないと思って一人でやってきました。」


という挨拶を淡々と読んだと言う。

涙はない。




年が明けて伯母さんが内祝も持ってきた。

地元の工芸品である漆器の器だ。

私も何かのお祝いのときに贈ったことがある。

中身を開けたら菓子器だったんだが・・・・一目でわかる、それはひどい凹みと傷があった。

しかも私だけでなく、義母がもらったものも傷がついていた。

こういうものは伝統を守る職人が自分の誇りをかけて作るのでこんなものがあってはいけない。

ましてや「内祝」だったのでその包装紙の店に問い合わせて見た。






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その品物を売った方はよく覚えてみえた。

名入りののし紙まで書いたのだから。

内祝にそんな品物を使うなんて・・・と思ったことだろう。

私はその真実を聞いて悲しかった。。。。







その娘さんからお義母さんにお祝いのお礼と一緒に年賀状が届いた。

「おじさん、おばさんによろしく。」

お父さんはもう7年前に亡くなっているんだよ・・・・。


そこまで会話がないんだな。
知らなかったんだろうか?


そんなことを思った。






母も娘もどこかおかしい。


そして悲しい。


私はどんな母娘関係を作っていけるだろうか・・・・

そんなことを思う。


初更新


 過去 : 未来 : メール 2007年01月04日(木)


明けましておめでとう。

年末の足の指骨折からバタバタと忙しい日々だったが何とか家に帰ってきてゆっくりと休みを過ごしている。

毎年この時期に会う友達には今回会うことは出来なかったのがちと心残りではあるが、まぁこういうこともあるのだと忘れることにする。




でも忘れてばかりも駄目だと思うので、少し年末年始のことをまとめることにする。



まず年末の中学時代のたった10人での同窓会。
知らないうちに卒業して23年も経っていた。

まだまだ気持ちはあの時のままだけど、やっぱりそれぞれの話聞いてるとみんな23年間生きてきた重みがあるように思えた。




毎年恒例の旦那の実家での年越し。
子ども達が大きくなった分だけ楽になった。
みんなで年越しのごちそう。
今年は飛騨牛ステーキ!(うちからのお歳暮ってことで^^)
紅白を見ながらビンゴ大会、ゲーム大会、今年の重大ニュースの発表。
子ども達がしきる、しきる、しきる。
そして12時を回ったところで裏の神社へお参り。
今年も無事に迎えることができました。





元旦の朝は9時から剣道の初稽古。
眠い目をこすり、剣道着に着替えてダーリンと子ども達はすぐ近くの中学校へ。
ダーリンが顧問をする剣道部に小学校の剣道クラブが混ぜてもらう形。
「部活をやってるお父さんは怖い。」
カホがつぶやく。
とても意外な一面を見たようだった。




初稽古を終わって今度は私の実家へ車で2時間半かけてゴー。
関東から帰省した兄家族と飛騨牛のシャブシャブ。
(うちからのお年賀ってことで^^;)
ミホが「私、今日からお肉嫌いになったから。」
今日しか食べられないのにもったいないこと言うんじゃないっ!





そして三日の日は高○屋での太鼓の出演。
とても寒いのにたくさんのお客さんが見てくれていた。
涙を流すおばあさんも。
あるお客さんが
「ここで毎週土曜日に佐藤○かりが演説をしているが聞いている人はほとんどいない。あんたらはこんなにたくさん人を感動させてすばらしいっ!」
なんて言っていた。
政治の演説とはもともと違うから(汗





そしてやっと自分達の家に帰ってきた。

子ども達はたまった宿題や、二日の日にやれなかった書初めをする。






この顔のぼかしのセンス何とかしろよ私。
















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