新年会


 過去 : 未来 : メール 2005年01月31日(月)


班の新年会が市内のホテルであった。
最近そこの温泉がリニューアルしたということで、温泉に入ってから一杯飲もうという中々素敵なプラン。

うちは班長なのでココで会計報告もすればほとんど仕事は終わり♪

大人は18人。子どもは8人。
それぞれにクイズや景品などを事前に準備。
ま、こういうのダーリンは嫌いじゃないので張り切ってやる。

そしてこういう場は私にとって格好の人間ウォッチングの場になる。(爆)


あるオバサン。息子と一緒に参加するという。

その息子。年齢は30代後半、100キロ以上の巨デブ。
どもりがあるので人と話をするのが苦手。
体が弱いらしく(?)全く雪かきをしない。
犬のコロちゃんの散歩さえしない。
以前、幼稚園児を「うるさい」と言ってつきとばしたことがある。




「うちの息子は魚が食べられないんですよ。メニューは変えていただけるかしら・・・・?」



は?


結局そのオバサンとホテルと交渉することになった。

ちなみに今回の会費は6000円の料理に1700円の飲み放題。

一人は班費で負担するが、二人目からは大人7000円、子ども2000円ということになっている。

戸別にプリントを作って配った。

当日になってその巨デブさんの料理だけ違っていたが、見事にホテル側はオバサンの要求を受け入れた。


宴会が終わり、オバサンに一人分の会費の請求をした。

「え?そんなに??うちの息子はお酒だって飲まないんですよ?」

ぉぃ ぉぃ

「プリント見られていませんか?」


「え?知らないわ。」

・・・・・・



絶対払ってもらいますから!




変なオバサンがもう一人。


出てくる料理にすべていちいち文句を言う。

聞いてるほうが気分悪い。
その人、他の旅館で働いているから気に入らないのかもしれない・・・






↑エンピツ投票ボタン

My追加



私もいずれあ〜いうくそオバサンになるのかなぁ・・・


出費


 過去 : 未来 : メール 2005年01月29日(土)


おとといからカホも私も喉の痛みを感じ病院へ。

カホは二度目の溶連菌で、私はたんなる風邪を引いたようだった。
二人で薬をもらって帰ってきた。
幸い熱はないので買い物へ。

月曜日は学校のスキースクール。
私は参加したくないというTちゃんと一緒に学校でクッキーを作るようにとKお嬢様先生に言われた。

しかもそれを学校の先生に販売したいと言う。
販売したお金で卒業式の時に彼女から先生方に何か贈ることができればいいと言われた。

で、ラッピング用の袋も100均で購入。



図書館から本を持ってきてクッキーの指定もあったので、一度それを作ってみることにした。

ついでに買ってから一度しか使っていないもちっこの『パン生地機能』も使ってバターロールも作ることにした。


きちんと計らなくちゃいけない料理は不得意分野。^^;



でもエプロンと三角巾をつけたミホとカホは大喜び。

クッキーは何度も寝かせなければいけないタイプで

「このクッキー寝てばっかりだねぇ」とカホがつぶやく。


夕方6時になってやっとオーブンへ。




ん?



オーブンが・・・・・。


動かない〜〜〜〜〜〜〜〜〜(涙


あとは焼くだけなのに〜〜〜〜〜。





11年目のオーブンレンジです。










買ってきました。(はやっ)


おかげで高いクッキー&バターロールになりました。












↑エンピツ投票ボタン

My追加



本当は二段の34800円のが欲しかったんだけど、予算は3万円って決めて行ったから我慢した。




それにしても痛い出費だった。


ところで今夜も飲み会でいないダーリン。
オーブンレンジが変わったことにいつ気付くだろうか。。。(笑)




不運・・・


 過去 : 未来 : メール 2005年01月28日(金)


33歳の男、中卒の友達がいる。

彼は小学生の頃お母さんを亡くした。
お母さんが入院中は親戚の家で妹と一緒にお世話になった。
同じくらいの従兄弟のいる家で、彼らの居心地はいいものでなかった。

お母さんが亡くなり、お父さんは再婚した。
新しい若いお母さんを「お母さん」と呼ぶことはなかった。
すぐに「異母兄弟」が生まれた。

中学校3年生のとき、彼は早く親から独立したいと思った。
だから就職を選んだ。
15歳の少年から見た社会は魅力的だった。
働けばお金が入る。
どんな仕事でもやった。
無欲で若い彼にいろんなところから仕事が入った。

そして妹には専門学校へ行かせ、看護婦免許も取らせることができた。


そのうち、飲み屋さんで出合った彼女と結婚、子どもが生まれた。

子どもが保育園に入る頃、彼女は家をたびたび空けるようになった。
そして離婚。

彼は自分の子どもに自分と同じ思いをさせてしまうのかと悔やんだ。


再婚。
中古の家購入。
二人の子どもが生まれた。

すべてが軌道に乗り始めた。


30歳になった頃彼はひどい『アレルギー』があることが判明。
外での仕事ができなくなった。

いろいろな技術免許も、経験もある。
でもあたらしい職を探すにはそれは何の役にも立たず、あるのは「中学校卒業」という肩書きだけ。







↑エンピツ投票ボタン

My追加





何言ってるの!!

あんた3人の子どもの父親でしょ!!






渇を入れる。






潔癖症


 過去 : 未来 : メール 2005年01月27日(木)


中学校2年生の女の子が「潔癖症・完璧症」で悩んでいる。

小学校からの申し送りで「異常なほどの潔癖症」。

でも今まではそれほど気にならなかったが、この冬休みを終えてから症状がひどくなったようだ。

親は娘の異常を認めたくなかったが、専門家に「異常です」と言ってもらわないとダメだと思い、しかるべく専門機関に相談した。

彼女のクラスには一人の知的障害の男の子がいる。
二学期にみんなで「いじめ」や「差別」を問題にしてクラスでその男の子をしっかり守ってやろうとまとまり、素敵な合唱も作り上げた。

彼女もそのことをしっかり理解できた。
でも、心の奥底では彼のことを受け入れることができなかった。

「ちゃんと手洗ってよ。」
「口になんかついてるよ。」


いちいち気になった。

でも、それをクラスの友達や先生に打ち明けることができず、家でその反動なのか潔癖症として表れた。

今、彼女は彼と同じ班にいる。
家に帰ってきてから、学校から持ってきたものはすべて『素手』で触ることはできない。
ティッシュで掴むのだ。

また学校の制服を週に二度も三度も自分でジャブジャブ洗い、

「これで本当に綺麗になるのかしら。」とぶつぶついい続ける。



そして彼女は

「どうして私は気持ちよく彼を受け入れることができないの。私って本当にダメな人間なんだわ。」

と追い詰める。

専門機関の先生はその病状を「アスペルガーによくある症状です。」と診断。



これからは、彼女を責めてはいけない。
話をゆっくり聞いてあげること。
そしてその「知的障害の彼」から離してあげること。








↑エンピツ投票ボタン

My追加


彼女はお姉ちゃんですぐ下の中1に天真爛漫の妹がいる。




子どもが小さいと本当に大変だけど、大きくなってからの『大変』に比べたらたいしたことでもないのかもしれないな。。。。



そう思ったら何だかまだまだ頑張れる気がした。


実力テスト


 過去 : 未来 : メール 2005年01月26日(水)


今日は3年生の期末テストと1,2年生の実力テストがあった。
私が教えている1年生にとっては初めての業者による実力テスト。

「実力だから勉強しなくてもいいんだよねぇ。」


とほざいていた、日頃から全く勉強しない生徒に

「実力は自分でつけるもんだ。勉強しないでどうやってつける。」

前日に話したが、時すでに遅し。

今日になってしっかり結果となって表れた。

2クラスそれぞれ平均点が70点と63点。


英語っていう教科は中1から始まるのでみんな4月のころは意欲満々で声も大きくテストをやってもいつも平均は80以上なんて感じだった。

もちろん授業と言っても、歌ったりゲームをしたり、アルファベットの書き方を覚えたりというレクレーションでもやってるのかしら?という授業。

テストだって簡単、簡単♪


でもだんだん文法が増えてくるとわからなくなってくる生徒が増える。

なるべくゆっくり、その都度小テストをやってできていなところを何度も復習しつつやってきた。


けど、単語を書けるようになるには自分がやるしかない。
授業で分かった文法を身につけるには自分でやるしかない。

だから私がいくら声を大にして

「書いて覚えよ」

と言ってもやらない子は一切やらない。
それなのに

「英語はさっぱりわからない。」と言い出す。


「さっぱりわからないんじゃなくて、さっぱりやらないんでしょう?!」




「できない」「わからない」というのはやってみないとわからない。
今の時点でできない子のほとんどは「やっていない」。


そしてテストの点が取れない子のほとんどはこう言う。


「勉強しなかったから取れなかったんです。」



   ・・・・・・・


そんなことを言い訳にするなよ。


そういうの大キライ!!


20点、30点台の子たちをどうしようかと思案中。
もちろん今までだって手は差し伸べたが何度も裏切られてきた。


とりあえず明日テスト返すからな〜。








↑エンピツ投票ボタン

My追加


でもあいつらよりは勉強したよ。。。。


ね?


中学時代の同級生さん。^^


スキー場での出来事


 過去 : 未来 : メール 2005年01月25日(火)


日曜日は家族と、そして月曜日は学校のスキー教室と二日連続で苦手なスキーに行ってた。

私がスキーデビューしたのは高校1年のスキー合宿でそれ以来結婚する頃まで全くやっていないのもあってか、今は見るからに不恰好な姿で滑っている。

初めはいろいろ教えてくれる周りの人も気づくといなくなっている。


でもカホだけは

「おかぁしゃん。ついて来るんだよ。」

と後ろを振り返りながら滑ってくれるのでかわいい。

その日の日記には

「私はお母さんよりも上手です。」
と得意げに書いてあったけど。(爆)




スキー場ではたくさんの若者がいる。
小学生を連れた私たちのような家族も多いけどやっぱり全体を見るとボーダーも含め20代から30代前半の若者が多いと思う。

そして思ったよりマナーがいいことに驚いた。
食事の席取りから始まってリフト待ちなどで嫌な気分には全くならなかった。

みんなが「譲り合い」「助け合い」の気持ちがあるように思えた。


お昼ごはんのとき。

小学生低学年の男の子がオムライスを持って立っていた。
そこは好きなものをカウンターでもらって後から払うというスキー場ではよくあるパターンの食堂。


でもその子はトレーごとオムライスを落としてしまった。
お皿は大きな音を立てて割れ、もちろん辺りは散らかってしまった。

その男の子はどうしたらいいのかわからずぼーとしっていた。

お店の人がすぐに来て片付け始める。
その男の子のすぐそばにいた若い子が「大丈夫?怪我はない?」と声をかける。
その男の子は何も言わずぼーとして、お店の人が片付けるのを見ている。





↑エンピツ投票ボタン

My追加

彼は新しいオムライスをもらっても、まだその片付けを見ていた。

子どもなりに「自分のために片付けてもらって悪い・・・」と思ったのか。







私もよく子どもたちに「自分のことは自分でしろ。」とやらせることが多いが、見届けることは大事だなとそのときつくづく思った。



『一人でやらせる』ってことは『親が責任を逃れる』ってこととは違うんだよね。









新学期


 過去 : 未来 : メール 2005年01月16日(日)


新学期が始まった。

1年生カホは始業式の日、のどが痛いというので久方ぶりの病院へ。


『溶連菌感染症』


ガーン

出席停止じゃん・・・・(涙


最近流行っているらしく激しい喉の痛みを高熱が出る。
熱が下がれば学校に行けるが薬は10日間しっかり飲んでまた病院に検査に行かなくちゃいけない。

その夜は40度近く熱があがりました。


こんなときにうちにおじ〜ちゃん、おば〜ちゃんがいないのは不便。(爆


お義母さんには


「友達のとこに遊びにいく約束してあるから駄目よ。」



^^;



と断られちゃったしな〜・・・・と悩んでいたら近所の一人暮らしのおばちゃん。


「うちに置いてきなさいよ。」





ありがとう!!

お礼に雪かきでも何でもします。(爆)



カホちゃん、どうしても仕事を休めなかったお母さんを許してね。







↑エンピツ投票ボタン

My追加


それにしても本人はよく食べ、よく喋り、よく動く。



うっとぉしいんですけど・・・



ホントに病気?


甘い薬が嬉しくて仕方がない。

ご飯の後に薬が飲めるので一日に何回もご飯を食べようとする。(ぉぃ


今日なんて外で雪合戦してるし。





明日からは本当に復活してほしい。




リホ家あまりいい新年の明け方ではないようです・・・・


100問テスト


 過去 : 未来 : メール 2005年01月12日(水)


冬休み明けに100問テストをやった。


冬休み前に100問単語表を渡し、そのままテストを行ったのだ。


休み中に勉強しただけ結果が出る。

そんなわかりやすいテスト。


テストの採点をしていると一人3年生の男の子がやってきた。


「俺、どうっすかぁ?」


彼はかなりひどい点だった・・・・。


「冬休みに勉強したの?」



「やったっすよ〜。」



「ひどいよ」



「おっかしぃっすねぇ。だって俺、スキーのことで頭一杯なんっすよ。」








この地区はスキー部ってのがありこの土曜日が中体連の開会式だ。
だから何人かの生徒は真っ黒に日焼けしてゴーグルのあとがしっかりできている。







でもさ






あんた3年でしょうがっ!!




スキーで高校行くならいいけど、それにしても平均80近いのに25点はいかんでしょう。









↑エンピツ投票ボタン

My追加





やる気のない彼らに何をしてやれるだろうか。



それでも高校へ行きたいと言う彼らはこの先どうなるのだろうか?




卒業まであと50日ほど。




どうすればいいのかわからない。


冬休みの一番は。


 過去 : 未来 : メール 2005年01月10日(月)


今日(11日)から子どもたちの学校が始まった。


冬休みの間中、完全に不規則な生活を親までも推奨していたために朝起きられるか、私自身が一番心配だったが味噌汁と卵焼きというスペシャル朝ごはんを用意することができた。

明日はこれに納豆をつけようか・・・



前の晩に子どもらは始業式に出すためのプリントやら宿題をカバンに詰め込んで準備。


二人とも「冬休みの一番」を書かなければならなかった。



この冬休みはスキーだって一回しか行ってないし、どこかお泊り旅行したわけでもない。


でも一日だけ子どもたちに「飛行機」を見せようと中部国際空港セントレアに行ってきた。

実家から電車一本で行けるのでいつもはアルコールを我慢するダーリンも飛行場でビールをご満悦。


そういえば電車の中で私たちとほぼ同じ家族構成の4人が一緒だった。
そこのお父さんはやたら声が大きく

「いや〜久しぶりだ。20年ぶりの電車だなぁ。」

と言っていた。そのうち

「おい、みんなこれからスリのメッカに行くんだから気をつけろ。」


と言うのでイタリアかどこか海外旅行かなぁと密かに思った。

それにしても声がでかい・・・・・^^









が、その家族、途中下車で熱田神宮のある駅で降りていった。(爆)

スリのメッカって熱田神宮かよっ!




家についてからダーリンとその話をしたら同じことを思っていたというのできっとあそこにいた乗客はみんなそう思っていたに違いない。






セントレアではまだまだ多くの見物人でお目当ての食べ物屋さんに入ることを諦めた。

でもすっごく寒いのにデッキで離着陸する飛行機を目を丸くして見ていた。

そしてこのことが「冬休みの一番」になったようだ。

電車に乗ることも、飛行機を見ることもほとんどない田舎の子どもはこんなことで喜ぶからいい。(笑



二人とも日記には

「今度は乗りたいです。」


お母さんも暖かい南の国へ行きたいよ・・・・






↑エンピツ投票ボタン

My追加




いつのことやら・・・^^;




お別れ


 過去 : 未来 : メール 2005年01月09日(日)


ダーリンの従兄弟が亡くなった。


私より二つだけ年上のまだ30代。


上の子小学校1年生。下の子幼稚園。


予期せぬ出来事。


お正月に彼から年賀状が届いたばかり。


「今年こそ遊びにいくからなぁ。」


3日にさっきまで元気だったのに、病に倒れ意識不明の状態が続いた。


今朝早く訃報の知らせ。




いつでも逢える。
そう思ってた。

もう二度と逢えない。
それが今の現実。





せめて家族でお見送りをしよう。

意識不明の4日間で周りのものは彼の死を受け入れる覚悟をした。






↑エンピツ投票ボタン

My追加



重い、重い命。



我が娘らにもそれが伝わるだろうか。


決断


 過去 : 未来 : メール 2005年01月07日(金)


実家に行ってるときに久々に大学時代の友達3人で食事をした。

3人で逢うのは3年ぶりくらいだったと思う。


一人はソウルにお嫁に行った子。
もう一人は独身の子。

36歳で「子」というのは厳しいが・・・・(汗


夜7時に待ち合わせて三時間程話した。

それぞれが近況を話す。
誰もがそれぞれの人生を生き、優劣をつけたり、羨ましがったりすることもなくただ耳を傾ける。

同じ学校で同じ授業を受けていた3人がそれぞれ全く違う人生を歩く。
またこれ当然なこと。




ヨンさま靴下のお土産を持った友達のソウルでの結婚生活の話をしこたま聞いてからもう一人の友達にこう切り出した。



「で、あの人とは続いてるの?」


始めは言いにくそうにしていたものの、もう3年にもなる年下の不倫の相手の話を始めた。

彼は友人と付き合ってる3年の間に家も新築し二人目の子どもも産まれた。


それなのに

「彼と結婚したい。」
「でも彼を今ある家族から引き離してまで結婚したいとは思わない。」
「もし子どもができたら産んで一人で育てたい。」


などいろいろ言っていた。








「だけど、結局すべて無理。結末はわかってるんだよね。」




良くないことをしているのをわかってて付き合っている。
彼も「守るべきは家族だ。」と最近では言っているようだ。



以前私がその彼のことを

「男気がない人だ。」

と言ったのが頭から離れないという。








↑エンピツ投票ボタン

My追加

ズルイ!





酉年の新年を向え彼女は決断すると私たちに約束した。


自分を大事にして欲しい。


初喧嘩


 過去 : 未来 : メール 2005年01月06日(木)


一日から6日まで実家にいました。

ダーリンは4日の朝先に家に帰り、私は8ヶ月ぶりの美容院に行ったり、ソウルへお嫁に行った友達に久々にあったりと本当に久しぶりに自分の時間を楽しむことができた。

子どもたちは私がいない間、ばぁちゃんやじぃちゃんと何度目かの初詣にでかけたり凧揚げをしたりして遊んでいたようだ。

まさしく親のお陰である。

でも今日帰ってくる時に母親を怒らせてしまった。

母親は性格はきついが、友人が多く、おしゃべりも好きなので昔から長電話のイメージがついている。
結構あれで人に頼られているところもあるらしい。


母親は友人から電話があるたびに
「まだ、孫がおるで帰ってから電話して。」

と何人かに言っていた。

「明日もおるって言うで参ったわ。」


と嬉しい悲鳴なのか、それとも実際あまりにも長くい過ぎて疲れたのか半ば、本音とも思われる事を相手に言っていた。

帰る朝になるとバタバタと私たちのものを片付け始めた。

あらら。
何時に帰るとも言ってないのにもう帰る支度を始めていた。

そしてまた友人からの電話だった。

「みんな待ってるんだね」

「年末から逢ってないからみんなあんたたちが帰るの待ってるんだよ。」

「ふ〜ん。じゃ〜そこまでいうなら帰るわ。」


私もちょっと母親の態度に快く思っていなかったのだと思う。
つい軽いのりでそう言ってしまった。

すると彼女は怒り出して
「こんなに世話になっててそんなこと言うのならもう来るな!」





え?(汗



何で??


軽く言ったつもりが重く捉えられてしまった。

そうじゃない。
そんなつもりはないと言っても母親は聞かず

「言い方が悪い!」

とすごい剣幕で怒り出し、私も下手に出ていればいいのに

「わかったわ。悪かったわね。もう来ないから安心してよ。」

と言ってしまった。



この親にしてこの子ありだな。。。。(爆)




誰かと声を張り上げて喧嘩するなんて何年ぶりだろう。
大声をあげながらそういう自分を見てる自分がいた。

母親は奥の部屋へ行ってしまった。

子どもたちは


「おばぁちゃ〜ん。帰るよ〜。ありがと〜。さよ〜なら〜。」

と大声で叫んでいたが応答なし。
仕方ないので帰ることにした。

やるせない気持ちで車を駐車場から出していると目を真っ赤にした母親が出てきた。
子どもたちに手を振り家の中に引っ込んだ。


これから三時間こんな気持ちで車を運転するのかよ。。。と悲しくなった。


子どもたちは気を遣って何もそのことは言わず、ただ

「いつもなら見えなくなるまで外にいるのにね。」と悲しそうにつぶやいただけ。

私もどういう涙かわからない涙が出て仕方なかった。






↑エンピツ投票ボタン

My追加



ダーリンにその話をしたら


「親子喧嘩には何もコメントしないよ」と言われちゃった。


もっと大人にならなきゃダメだよな・・・

■ 目次 ■