他人のパンツ


 過去 : 未来 : メール 2003年05月31日(土)


この週末はとてもハード。

ダーリンが二日連続飲み会があるのだけど金曜日の夜は7時半から前勤めてた学校関係の飲み会でココを夕方5時に出発。



その夜はわたしの実家にお泊り。



今夜はこっちの職場関係で夕方5時から開宴。彼的には4時半にはそこにいたい。
向こうを2時には出る。



私、そんなスケジュールでも必ず彼についていっちゃう。




なんでって?




そりゃ〜下心があるのよ。





そんな日は子どもをみたいばっかりのおじいちゃん、おばぁちゃんにしっかり預けて夜遊び♪






飲んだダーリンを迎えに行った帰りにラブホテルに行ったこともあった。(オイ





今回はこの間、韓国の男の子と結婚した0ちゃんに逢いにいった。
彼女と私はみょ〜にタイミングがあっていて、ちょっと用事を済ませ彼女の携帯に電話したのは夜中11時。



モシモシ ワタシ イマ ドコニイル?




「今 ちょうど駅についたとこよ。あと5分で家に着く」



フンジャ〜 イマカライクヨ




「わかった〜」




私。これでも子持ちの主婦。
彼女も結婚したばっかり。
(彼女の旦那は韓国にいるから全然生活はかわってないんだけどね。)




でも、こんな会話は大学の頃と全然変わっていないっ!
ちょっとは不思議に思えよっ!





まぁ結婚式以来話してなかったから写真見ながらまぁいろいろと話した。

そこの家はお母さんが一人で飲み屋やってるから楽に行ける。





そのうち話題は今だ独身不倫マッサイ中の美人の友達の話へ。



「おとといF子とご飯食べたんだ」





フ〜ン ナンカイッテタ?




「苦しいってさ。わかれられないんだって。」





ソッカ。クルシイノニワカレラレナイノカ。




「私結婚したばっかりで、F子にはっきり言っちゃうとあんまりいい気がしないかなって思って強くは言えなかったんだけど、何でそんな都合のいい女になっちゃってるんだろう。将来のない恋愛だなんてあんなに綺麗なのにもったいない。」




確かに。
不倫相手は奥さんも子どもも、ましてやもうすぐ次の子どもが生まれるらしい。
経済力のある彼女がその男に金をせびるなんてことは考えられない。



で、F子ちゃんは幸せを感じていない。






ソウナンダヨネ・・・ソコガダイモンダイ







「ねぇ。女でも体が離れられないってことあるんかな?」







`s(・'・;) エートォ...






ソンナニイイノカナ(オイ





Oちゃんは言った。






「そんな、他にちゃんといるのにそんなことするなんて私には考えられないわ」







ソリャ シンコンサンガ カンガエラレタラ ソレノホウガ モンダイダナ










私は不倫をこう説いた。











「不倫って他人のパンツをはくようなもんかな。」








反論お待ちしております。














価値観


 過去 : 未来 : メール 2003年05月28日(水)


うちの上の子、ミホは自転車を最近買った。

今までの自転車は不燃物置き場で拾ったものだったので初めての彼女の新品の自転車。


ちなみに今のカホの自転車も拾ったものです・・・・。




ザ リサイクル家族!





で、今年のお正月にもらったお年玉を使わないで自分で買ったのだ。
(何でもすぐに買ってもらえると思わせないようにそういうことにしてある。)




ミホは毎日うれしくて、うれしくてちょっと大きめの自転車を意味もなく乗り回す。



ピカピカの自転車。
初めて鍵がついてる自転車。
ブレーキがキ〜〜〜〜〜ッって言わない自転車。
空気穴の栓がなくなってない自転車。
ライトがつく自転車。
ベルがちゃんと鳴る自転車。




ワオ!!  ミホ イズ ソー ハッピー!!





ある日ほんのちょっと小雨が降る。
別に傘をさすほどの雨でもない。
お友達は普通に外で遊んでいる。

でもミホはその日は新しい自転車ではなく前の古い自転車に乗った。(笑


私はそんな物を大事にするミホがかわいいなぁと思う。



そしてそれほどその自転車にどれだけ価値を見出しているかも伝わってきた。




その話を夜ダーリンにする。






「へ〜。そうか〜。俺が中学生の時もそんな先生がいたよ。」





ドンナセンセイヨ?





「晴れの日はクラウン乗ってきて雨の日は原付のバイク乗ってくるんだよ」







( ̄□ ̄;)!!






「その先生さ、いつもクラウンピカピカで、学校で車の下までもぐりこんでお腹(?)まで磨いてるんだ。」



「で、その車はいっつも校舎の近くに停めてあったんだ。よく見えるようにね。」





フンフン スゴイヘンナセンセイダネ





「ある日さ、俺の友達の片山君が教室の窓を開けたんだよ。その頃の校舎は木造でもう古かったんで、窓が外れて落ちちゃったんだ。」








「で、その先生のボンネットに落ちた。」







(゜ロ゜)ギョェ





「その先生さ、すっごい剣幕で  弁償しろ〜〜〜〜   って叫んで怒ってたよ。」




「気の毒だよな。片山君。そんなん事故だったのに。」





「結局半額払ったらしいよ。」







あ〜気の毒な片山君。

その先生学校中で一番怖い先生だったんだって。


今だったらそんな横暴なことが通るはずもない。


時代が悪かったんだ。






私は車は動けばなんでもいいという人なので車の話はチンプンカンプンだ。


私はずっと軽自動車に乗ってるし普通車が欲しいって思ったこともない。
まぁいい車に乗れば楽だし、スピードも出ていいんだろうけど別にそこにこだわることもない。
車の中だって埃やお菓子のかすだらけ・・・・(自慢してる場合じゃないか





高校を卒業してすぐに関東に行き20年も経ってる兄がこう言った。






「関東の人って車がなくてもさほど不便じゃないから田舎の人ほど車に詳しくないんだよ。だから車の話で盛り上がるってこともないんだよねぇ」



へ〜〜〜ソウナノ?





住む環境で価値観ってやっぱり変わるんだなってつくづく思う。



でもダーリンの学校の先生みたいに物に感情をコントロールされちゃってる人って私からみたらかっこよくないな〜。


私も子どもがパソコンいじっておかしくなっちゃったときはかなり怒ったけど。^^;





もちろん人それぞれで人によって何かこだわりがある。
私にとって優先順位の一番はなんだろうな。










やっぱり














ジブン?(違


早期英語教育について


 過去 : 未来 : メール 2003年05月26日(月)


最近は英語の早期教育とか言われてることもあって小さな子でもたくさん英会話教室に通っている。何十万とする教材のローンを組まされて、そのスクールをやめることになってもそのローンは残るというシステムには驚かされる。



前のアパートにいるとき、若いかわいい女の子が子ども達の英会話スクールの勧誘に来た。



ちょっと遊んでやろう・・・って思った。




その頃私は小学校の総合科目の英会話を担当していた。




<注意>
最近小学校では「総合科目」というのがあって、学校によってまた学年によって何かやることを決めて取り組む時間。例えば大豆作りをして最後はその大豆でお豆腐を作ったり、何かボランティア学習をしたりする。最近は国際理解を主にした英語教育をする学校が増えている。









玄関でその営業さんは言った。







「お母さん。知っていますか?今小学校でも英語を勉強するんですよっ」







ハァ ソウデスネ






「今のうちからやっとかないと大変なことになりますよ。」






タイヘンナコトデスカ?







「この辺りだと○○ちゃんも○○さんもやってますよ。」
「何もしないとついていけなくなりますよ」






(ー_ーメ)





お母様方の競争心をあおって勧誘するセールス。






アナタ ゲンバヲ ゴゾンジナンデスカ?





反撃が始まる。




「えっ?」




小学校の英語の本来の目的は国際理解であって、英語を使って何か活動することで何となく外国の雰囲気に浸りながら教室内で誰とでも交流し、よりよいクラス作りをするっていうのが目的だ。決して英語の力を付けると言うのが最終目的ではないのだ。だから英語がちゃんと話せるから評価されるのではなくって、誰とでも関わろうとする姿が評価される。(チョットカタイ?)





「英語」っていう科目があるわけじゃないのよっ!




それなのに何も知らないお母さんたちの不安をあおるなんて許せないっ!!





私はこう言った。





「よくも知らない情報を流さないで下さい。早期英語教育が悪いとはいいませんが間違ったことを言われるのは悪徳商法と一緒ですよ。」






私は決して早期英語教育に対して反対じゃない。
それは強調したい。
確かに小学校でも1年生のほうが綺麗に発音して何でも楽しく恥ずかしげもなく活動するので知らないうちに力がついてしまうのだ。












でもそのセールス女の子は私より上手だった。









「お母さん。うちで働きませんか?講師不足してるんです」










マイリマシタ


家族の幸せ3(最終)


 過去 : 未来 : メール 2003年05月25日(日)


後から振り返るとあの頃は私は精神的に疲れていた。
もう何も関わりたくなかったけど、大事な友達をほっておくわけにはいかなかった。


シンディーの旦那さんからうちに夜電話があった。


「あの。リホさん、何かシンディーから聞いてますか?何か怒ってるんです。
誤解なんです。陽子さんと話をつけたいので場をつくってもらえないでしょうか?」





イヤデス アナタバカジャナイデスカ




私は陽子が嘘をつくわけもないし、彼女自身浮気問題で悩んでいた人なのでシンディーの旦那さんの言う事を何一つ信じることはできなかった。


それよりもシンディーのことを心配した。


これから離れ離れに暮らす家族。
いつ一緒になれるかわからない、希望もない家族。
子どもを一人で守っていかなければならない彼女。
旦那さんを一人にしておいてまた遠くから浮気の心配をしなければいけない彼女。
自分の友達を誘惑する旦那を持った彼女。





5月の終わりにシンディーは国へ帰っていった。




そして陽子も旦那さんを転勤させるよう上司におねがいしてまた引越していった。



同時期に私は友達が二人遠くへ行ってしまった。



しかも






旦那の浮気が原因でっ!!






ウワキスルナラカンゼンニワカラナイヨウニシロヨ (違






話はそれちゃったけどシンディーの家族を見ていて家族が普通に一緒に暮らせると言う事は幸せなことなんだなぁと実感した。


一緒にいたくてもいられないなんて考えられない。


私なんてダーリンにかなり依存しているのでどうなるかわからない。

もっとこの幸せをかみ締めなくちゃ。





国へ帰ったシンディーとは今もメッセでよく話をする。

便利な世の中だ。



今まで何度もシンディーの旦那が国へ帰れるチャンスはあったようだがなかなかそれが実現できなかった。


でも来週とうとう一緒に暮らせる日がくるんだって!


今度はアメリカで暮らすそうだ。



今、京都で一人暮らしをしてきたシンディー旦那から電話があった。




「ありがとうございました。神は私たちを見捨てていなかった。」




私は彼の言葉にはちょっと引っかかるのだが、今度こそ一緒にずっと離れずに家族で暮らして欲しいと願う。





そして





No more Uwaki!


家族の幸せ2


 過去 : 未来 : メール 2003年05月24日(土)


シンディーはとにかく子どもを守ることを考えた。


旦那さんの事件は確かにショックなことだったけど、彼はそれは認めていないようだったし、シンディーも「今、学内で紛争があってそれに巻き込まれてはめられたんだ」と言っていた。外国人だから誰も守ってくれないのだろうか・・とも思ったり。
まぁ・・それくらいにしか思っていなかった。


それからは彼女たちの引越しやらお別れパーティやらバタバタと忙しかった。




そんな中。
もう一人。同じPTAの役員をやっている陽子もシンディーは大好きだった。
彼女は保険の外交、化粧品の販売と社交的で世話好きのとってもチャーミングで美人な女性だった。陽子は保険の外交でシンディーの旦那さんの学校にも出入りして彼のことも知っていた。





ある日電話がなる。


「もしもし、リホ。聞きたいことがあるんだけど」





  ナアニ




「外国人の挨拶ってさ、手を握ったり抱きしめたりするの?」




  ハァ? マァテイドニヨルケドナ




「今日さ、ひどい目にあったわ」






陽子はその頃、旦那さんが会社の女の人と浮気をしていてまた悩んでいた。
結構修羅場もあって、その女を家に呼んで話したり、それでも切れないので陽子がその女の了解をとって(?)そこの家に電話したりと・・・・。とにかくハードな生活をしていた。おとなしそうな旦那さんで全く信じられなかった。

「エッチもまったくないのにあの女とはやっていたのねっ!」と言って憤慨し、日頃病弱で元気のない彼のためにシンディーから○○○グラを受け取っていた時はかなり驚いた。旦那さんにしらないうちに飲ませるつもりだったらしい。もちろん自分のために(笑



とにかくそういう何だか修羅場にいるのに面白い陽子。明るいのよ。




シンディーの旦那も同じ保険会社の客。
自分のお客ではないが、シンディーの旦那ってことで時間を割いて彼のために保険の解約の手続きに本社まで付き合ってやった。





そこで・・・・・・。




彼は車の中では助手席にのってずっと手を繋ぐ。
じっと見つめる。
エレベーターの中で抱きしめる。
キスをしようとする。

そして


「シンディーは了解しているからホテルに行こう」

「ずっと好きだった。」






( ̄□ ̄;)!!




もめにもめて別れる際、彼はこう言った。




「シンディーには言わないでくれ。」








(▼▼)オメェナァ!









まじかっ。
奴はそういう人間だったんか。
じゃ〜、学内の事件は本当だったんか?



陽子は「私からはシンディーに話さない。でも浮気されてる奥さんはすべてを知りたいものだからリホから言ってくれない?それが彼女たち夫婦のためよ」




私はこれをシンディーに話さないでおこうと思った。




シンディーの家に行った時に彼女は何だか元気がなかった。


「陽子は元気?」シンディーは聞いた。


ウン イソガシソウダケドネ



「うちの旦那はだめね」



ン?キイテイルノカ?



「ホテルに誘うなんて・・・(涙」



シンディーは旦那から自分が陽子をホテルに誘ったと言う事を聞いたらしい。
私は他の事は知っているのかどうかわからなかったので言葉が出なかった。
彼女はそれを察したのか



「他にも何かあるの?」




私は迷いに迷ったがそこで嘘はつけなかったし、そこで全てを話した。








彼女はそこで失神してしまった。











家族の幸せ1


 過去 : 未来 : メール 2003年05月23日(金)


今朝携帯に着信のお知らせがあった。

子ども達が幼稚園に行ってたときPTAの副会長サンをやった。
小さな幼稚園だったので3年のうちに1回は必ずやらなければならない。

同じ役員の中に外国人のシンリ−さんがいた。
彼女は日本にずいぶん10年くらいいたんだがあまり日本語が得意ではなくて友達があまりいなかったから、幼稚園の役員をやって友達を作ろうとしたらしい。

彼女の旦那さんはある学校で教鞭をとっていた。

子どもはうちの子と仲良く遊んでくれる(ケンカもずいぶんしたけど)女の子と男の子。二人とも日本で生まれ育っているので日本語は親よりも上手だった。



あるクリスマスシーズンに私たちは電車にのって名古屋のタワーズライツを見にいった。子ども連れでお互い旦那抜きで夕飯も食べて夜の街に繰り出すのは何だかワクワクした。そして帰りの電車では乗客はまったくいない車両で子ども達は「だるまさんが転んだ」をやり始めた。何だか銀河鉄道999の気分だった。



汚い居酒屋を借りて子ども達の合同誕生日パーティをしたこともあった。夜は大カラオケ大会。子ども達はおお喜びだった。ボーリングもしたっけか。
彼らは子どもを巻き込んでの楽しみ方をよく知っている。


シンリーは私のことをずいぶん頼ってくれた。私もこのEnglish speakerと友達になって自分の英語を磨こう!なんていう下心はどっかにいって真に彼女が好きになっていた。私たちは一緒にいるといっつも笑ってばっかりいた。彼女は本当に前向きな人だった。



ある日、彼女は急に自分の国へ帰ることになった。
私はシンディーが日頃子どもの英語力が低いとぼやいていたのでそろそろ子ども達も大きくなったから帰るのかな〜とくらいしか思っていなかった。



私たちは一緒に高山旅行にでかけた。
子どもたちがホテルの温泉にお父さんたちと入っている間に私たちはアイスクリームを食べることにした。


そこで彼女は国へ帰る本当の理由を話してくれた。




それは彼女の旦那さんが女子学生に手を出してそれをその学生が学校に訴えて学校側がその学生だけの意見をのみ、だれも彼を擁護するものはなくいずれは新聞沙汰にもなるという話だった。

彼女は子ども達を非難の目から守るために新聞沙汰になる前に帰るというのだ。そして旦那さんは日本で罪をつぐなってからじゃないと日本を出られないから一緒に帰れるはずもなく、また彼は日本で同じように教鞭を取ることも不可能になってしまったと言っていた。だから今度いつ彼と暮らせるのかわからない。




私は旦那さんが本当にその事件を起したのかどうかということよりも、まずシンディーの今の気持ちを考えるといたたまれなくなった。


彼女は言った。



"I don't cry. I don't cry."



私は真っ赤な目でそういう彼女を抱きしめた。


書類提出


 過去 : 未来 : メール 2003年05月22日(木)


この間うちの学校に会計監査が入った。


監査が入ると言う事はめっちゃくちゃ大変なことらしい。



監査が入る1週間前に知らされたのだが、それから上の人達はバタバタと忙しそう。


素朴に


「いつもちゃんとやってりゃ焦ることないだろ」


って思うんだけどそうでもないらしい。(謎だらけ



私たちは「週案」と言われるものをみんな持っていてそこに毎日の授業の計画やら反省やらなんやらかんやら書かなければいけない。(書かなくて怒られる先生もしばしば)



で、それを定期的に上の先生に提出して何かコメントをつけてもらう。



で、急に出すことになった。今まで一回も出したことないんだけど。


帰ってきた週案にはしらじらしくずいぶん前のところに付箋が張ってあってコメントがあった。





「私たちの学校に来てくださり大変感謝しております。わからないことがあったら何でもおっしゃってください。」




ソンナコト イマゴロ カイテモラッテモネ・・・・



監査っていうのは、学校の職員の勤務時間のチェックが主で、私のような少人数加配の非常勤講師をそこの学校が楽をするために他のことをやらせてはいないかとチェックしてくれるありがた〜〜〜いものなのです。


私は時給でお給料を頂いている。
週に14時間の授業を受け持っている。
とにかく時給なんです。




たとえばその日の授業が2時間目と5時間目しかなかったとしたら、いただけるお金は2時間分だけです・・・。






拘束時間はどれだけっていうのよっ!!






もちろん時給はかなりいいです。
たしかにこういう仕事って時給で割り切れないけどなんか変だと思うのよね。



そういうところも監査でチェックしてくれればいいのにな。




で、監査の結果。





私に大きな仕事が二つ。





ビエ〜〜〜〜〜〜〜ン







はぁ。今週終わりまでに出せって言われて慣れない、いやできないエクセル立ち上げて今やっています。(謎




明日までにできるかな。





くそっ!





こんなん完全にボランティアワークだよっ!(大泣








そうそう。
以前この会計監査で引っかかった学校は講師を違法に使っていたとしてお金を県に返したんだって。
私も首にならなかっただけよかったと思うべきだな。





ご近所づきあい


 過去 : 未来 : メール 2003年05月20日(火)


ココに引っ越してきて2ヶ月だが、私たちは以前5年間ココに住んでいる。
だから帰ってきました・・・・って感じ。

周りは知ってる人ばっかりで
子ども達は4年いない間にすいぶん大きくなった。

以前うちの前の大きな庭石にはまって泣いていた近所の幼稚園の女の子が今中学生になってうちのダーリンのクラスにいたりするから年もとるはず。。。



ご近所の鶴田さん(仮名)と亀井さん。(仮名)

子どもは同じ幼稚園でまぁ同じくらいの年のかわいい女の子たち。
よく遊んでいた。


鶴田さんちの子。
クラッシックバレーを習ってて、いつもニコニコ笑顔。オトナに愛嬌たっぷり。
奥さんも若くて姉妹のような親子を目指してるって言ってたっけかな。小学5年の時にモームスの一次選考に残ったって言ってた。負けず嫌いだが負けると「それはもともと嫌いなの」って言うなかなかオマセな当時一人っ子。


亀井さんんちの子。
鶴田さんちの子の一個下で、目が大きくてめっちゃかわいい子。ちょっと恥ずかしがりやだけど、スポーツ万能。地区リレーの選手なんかになっちゃう素敵な女の子。二人の妹の世話をよくするお姉ちゃん。












実は亀井さんの子どもは鶴田さんちの子どもにいじめられていたらしい。



亀井さんの子どもの幼稚園の体操服が物干しから取られて捨てられていたり

亀井さんの子どもの髪留めを取られたり

あとは亀井さんの子どもにすいぶんとひどいことを命令したりと
まぁいろいろあったらしい。


亀井さんの奥様。
オコッタオコッタ。


私に電話があった。(歩いて1分かからないんだけど)


「うちの子どもだけが何でいじめられるの?何で鶴田さんの子どもはあんな女王様気取りなの?」




「ソウネ〜。フンフン。」
私はひたすら話を聞いた。




その日ゴミを捨てに外に出る。


今度は鶴田さん。


「うちの子どもが亀井さんのお洗濯を取って捨てたかもしれないの。どうしたらいいかしら?」





私何も聞かないことにして


「ソウネ。ソレガホントウナラドロボウトイッショダカライマノウチニハナシテオカナイトネ。」


それが間違いだった・・・・。



鶴田さん2日後、泣きながら私にこう怒鳴り込んだ。





「他人のあんたにドロボウ呼ばわりされたくないわよっ!!」








(−_−;)






ナンデ?




ワタシワルイコトシタカシラ?






まぁでも鶴田さんと私はその後普通に話ができるようにはなっていった。
腹では何を思ってるか分からないけど。




でも亀井さんの復習が始まっていた。




鶴田さん完全無視作戦。
鶴田さん一家の素行ストーカー作戦。



私がいない4年間はまたひどかったらしい。



そしてとうとう私がココへ引っ越してくると入れ違いに鶴田さんは関西地方に引っ越していった。持ち家を売って向こうでアパート暮らしをするらしい。旦那様はしばらくこちらの仕事・・・・・^^:



うちに挨拶に家族でみえた。下の子が同級生だったので残念だと言っていた。
そして「ありがとう」と書いたコーヒーカップを持って。



アタシナンモシテナイケド・・・・(汗







その後亀井さん。


「うちには挨拶がなかったわっ!」



「ナイダロウナ・・・・」







今日夕方亀井さんからメールがはいる。



「私の家の悪い噂を流していたのは鶴田だったわっ!もういないからこれ以上流されることはないけどくやしいっ!」





亀井さんも家庭的に噂を立てられやすい事情の家ではあったのだが、確かに去年悪い噂が流れていたと言う事を他の友達から聞いていた。






亀井さんも鶴田さんも結局は同じだった。








私はこのことでご近所ではどんなことでも口を出したらいけないということを勉強した。

















共同生活5(最終)


 過去 : 未来 : メール 2003年05月18日(日)


4ヶ月間の共同生活も終わった。
あの4ヶ月間で私はずいぶんのことを体を張って勉強した。

一言では言い表せないけれど、人の温かみをずいぶん味わった。

「実はブライアンのこと気になってたんでしょ?」って聞いた人が何人かあったけどそれは本当に全くなかった。
彼を慕っていたのは事実だったけど、それは愛とか恋とかじゃなかった。


ナンダロ?


わからないけど、大事な友人。

ブライアンとさようならをした日の日記があるのでそれを抜粋。
当時私たちのフラットは夜中に暴れたり、大騒ぎしたりする人たちが増え、マークやキム達はすでに引っ越していなかった。(同じケアンズ内だったけど)


*************************************




Brianが昨日10月3日に船に乗って仕事に行ってしまった。
3週間船に乗って仕事をするといって出ていってしまった。
話を聞きながら私は涙が出てしまった。もう彼にはずっとずっと逢えない気がする。彼のことが好きだったので急に別れることになってとても寂しかった。
それにまた一人ぼっちになるって思った。今までは何があってもブライアンがいるから大丈夫だと思っていた。もう本当に一人ぼっちだなぁと泣いていたら彼が私をマークとキムのところへ連れて行ってくれた。キムがここにおいでと言ってくれたので私は昨日の夕方に移った。ブライアンは「もう心配することはないよ」そしてマークらに「リホを頼むよ」と言っていた。『私は23歳のガキか・・・』。
そして私に"Take it easy. See you some day again."と言って抱きしめてくれた。私は彼に何のお礼も言う事ができなかった。




*************************************

なんか昔の日記って恥ずかしいな・・・。^^;
すんごい私子どもだし・・・・。
今の23歳の子ってもっとオトナだよね。




私がなんでこんな共同生活のこと思い出して書いているのかって、もとを正してみると、結婚生活と共同生活って違いすぎるっ!!ってことが言いたかったのよ。



ヨソウヨリナガクナッチャッタケド・・・



共同生活って何事も50/50。
相手が何かをやってくれて当然でもないし、やってもらったら「ありがとう」でしょ。でも結婚生活ってさ、奥さんが何でもやって当たり前、旦那さんが何かやったら「いい旦那」・・・・。そりゃ〜世の中の奥さんストレスたまるよねぇ。



まっ。旦那と同じくらい稼げば何事も50/50でいけるのかな?



でもやっぱり奥さんの負担が大きいのではないかと思うのは私だけ??





反論お待ちしております。






あっ・・・今思えばブライアンと別れのキスでもしときゃよかったな。(オイ


共同生活4


 過去 : 未来 : メール 2003年05月17日(土)


何もかも不安から始まった共同生活は順調に過ぎていった。


近所の5歳の女の子が朝になると



"Japanese girl! Japanese girl!"


と叫んでドアを叩いておこしてくれたり(大迷惑)、アボリジニのハーフの子が誕生日パーティに誘ってくれたりと私をすっかりとみんなは包んでくれた。


私もいつのまにか彼らの話す英語に慣れて、自分までもスラングがでるようになっていた。



私はそのころ今でもあるのかわからないけど



"AUSSIE DOWN UNDER"というお土産屋で働いていた。ジョンというオーストラリア人が経営するお店だった。


その後"PM-TOURS"という所でドライバー兼ガイドの仕事をしていた。
日本人の男性が経営されてる所だった。タカ・・・だったっけかな。



私が日本人相手に働く理由はもちろんお金。
一年間いようと思っていたので働いていないとお金がなくなる。
でもね、こういう日本人が一杯いるからオーストラリアには失業者が一杯いるんだよって言われていた・・・。


ブライアンもマークもうちの周りにはたくさんの失業者がいた。





だんだんお金に執着する生活に嫌気がさしてきた私はケアンズを出ようかと考え始めていた。ちょうどここの部屋の契約も切れるところでブライアンも私も出て行かなければならなかった。だからちょうどいいので都会に行って日本語教員養成講座に行こうと思った。



そしてあと5日でココの生活もブライアンにもさようならだなって思っていた矢先に、船乗りの仕事を始めたニックを船場に送っていったブライアンが意気揚揚とそして浮かれてと帰ってきた。



「やった〜。仕事がみつかったぜい」




「え?」




「これから3週間ニックと一緒に船に乗る!準備しなくちゃ」
「引越しはマークが全部やるから」
「リホにはもう会えないよ〜」
"Never see you!"






( ̄□ ̄;)!!






私がココを先に去るつもりでいたのでいきなりのお別れは驚きのなにものでもなかった。





私は人目もはばからず号泣した。


共同生活3


 過去 : 未来 : メール 2003年05月16日(金)


全くのアカの他人が一緒に住むわけで、

しかも人種も性別も違うわけで・・・。


冷蔵庫は一個だったのでここからここはブライアンでここからここは私だと初めに教えてもらった。


だから何かを作って食べるときはもちろん自分のもんだけ作って勝手に食べたし
相手の食料を食すということはほとんどなかった。
また食べる時間も違っていたので彼とダイニングで一緒になるということもなかった。


ある日、私は近くのチャイニーズ食品店にバーモントカレーが売っていたのでそれを買ってブライアンやマークらにごちそうした。



大好評!!



やっぱ、あのカレーってどこの国のひとが食べてもおいしいのかな?
みんな競って食べてくれて、その後ブライアンがこれはどこに売っているのかと聞くので一緒にお店に行ったりした。


やっぱり人間って一緒に何かを食べるとお友達になれるみたいでそれからは何か私のために作ってくれたり、どこか川にBBQに行くぞって誘ってくれたりと気にかけてくれるようになった。また冷蔵庫もだんだん境がなくなっていった。

ある日、ブライアンのママがキャンベラからケアンズに来た。
どうもブライアンの誕生日だったらしい。
その夜は彼女がマーク、キム、ニックと私をホテルのバイキングに招待してくれた。みんないつも裸同然なのにおしゃれしてたなぁ。

あのひげづらのおっさんブライアンはお母さんに自分のベッドを譲り、彼は居間の小さなソファ1週間ほど寝ていた。

ブライアンは実はこの部屋を借りる時友達と借りたらしいのだが何かトラブルがあって友達と住めず(友達がお金を払わなくなったらしい)、困って新聞に広告を出したということをママから聞いた。
彼女は私のことを「あなたのような子だったら安心だわ。キャンベラにも遊びに来てね」と言ってくれた。



逆に日本の私の母がケアンズに来るという。
何でも安いツアーがあったので友達と来るって・・・・。
私はちょっと焦った。心配をかけたくなかったので

部屋には鍵があるんだよ〜とか
よっぽど同居人とは会わないんだよ〜とか

適当にいっておいた。



それでブライアンに相談。でも彼に家にいてくれるな!なんて失礼なことは言えない。彼はこう言った。





「その日はちゃんと服を着るよ」






「・・・・・・アリガト」




ブライアンにも対面した母。
鍵のない部屋を見た母。

私にこう言って帰国した。



「こういう物のないすっきりした生活もいいわね。」









「マァネ」









「日本でまってる彼氏には黙っていなさいよ」






「(−_−;) オカアサン・・・」






オーストラリアの母と日本の母、こんなにも違うのね。


共同生活2


 過去 : 未来 : メール 2003年05月15日(木)


19歳のオーストラリアボーイと始まった共同生活。

私の部屋はケアンズの街から自転車で20分ほど北に行ったところで周りにはアボリジニのハーフなんかも住んでたり、腕や足に刺青なんか入れてたり、18歳のヤンママがいたり・・・・。どっちかというと生活水準は高いほうでなくハイソな人たちの集落ではなかった。

だから私がブライアンとシェアする初めての夜には珍しがって何人かが部屋を覗きにきた。まさしく動物園のパンダ状態だった。

私の部屋の下にはこれから赤ちゃんが生まれる若いカップルと奥さんの弟が一緒に暮らしてた。マークとキムカップル。弟はニックと言った。
ブライアンは彼らと仲良くしていたので必然的に私も仲良くなっていった。


マークも失業中。

ある日、私の部屋に来てこう言った。


ずぼんのポケットを一個引き出し


"This is my ear."



もう一個引き出して



"This is also my ear.'



私はふんふんと聞いていた。
次に彼はニヤニヤしながら



"Do you want to see my nose?"




( ̄□ ̄;)!!




彼は笑いながら行っちゃったけどちょっと焦った。


奥さんのキムは妊娠中でヘビースモーカーだった。
でもマークにきつく止めるようにいつも言われてたから煙草が欲しくなると
私の部屋に来ていた。

「ストレスがたまるとベビーにもよくないのよ〜」


世界共通で喫煙への言い訳は同じらしい。


その弟のニックはとてもいかつい顔をしていたが、いつも笑っていた。

ある日

"How are you?"と挨拶したら



"I'm pretty good."と言った。




彼の口から"pretty"という言葉が出てくることがすっごい驚きで
『お前には似合わない』なんて変なことを思った。




でもその言葉強烈に残って今は私がよく使う。




だれかが





「お前には似合わない」




って思ってるかもしれない。(涙








共同生活1


 過去 : 未来 : メール 2003年05月13日(火)


昨夜は夜中に子どもが足が痛いと泣き、朝方もう一人がおしっこをもらしたと言って泣いた。
私はもう寝不足状態でそれから一階に行って、すでに起きて仕事をしていたダーリンにぶ〜たれながらまたウトウトと寝てしまった。

はっと起きるとダーリンはすでに仕事に出かけ昨日の茶碗は洗ってあり、今朝のためのご飯のスイッチが入っていた。

こんなこと初めてじゃないだろうか・・・?

メールでお礼をした。




オーストラリアにいた時共同生活をしていた時期があった。

向こうの若者は一つのアパートを何人かで借りて生活することが多い。

それで一緒に生活する相手を新聞募集もしている。
初めから友達とフラットを借りる方法もあるけど
何せ一人ぼっちだったから新聞を頼らざるをえなかった。



一緒に生活する相手を”SHARE MATE"といった。



私が初めてSHAREしたのはケアンズにいたとき。
相手は19歳の男の子だった。
キャンベラ出身の子で名はブライアンと言った。




でかい   ひげもじゃ   はだか   はだし  失業中



電話して部屋を見せてもらう約束をして初めて彼を見たとき
どうしようかと迷った。少しばかり身の危険を感じた。

でもそれまでオランダ人の夫婦の家で4日ほど居候させてもらっていたので、どうしても早く部屋を探したかった。
まぁ何とかなるだろうと腹をくくって決めた。(イイノカ オイ)


部屋は2LDK。
部屋にはベッドとクローゼットがあった。
部屋に鍵はない。

キッチン、バス、トイレ共用。


こうして私の初めての同棲・・・いや共同生活が始まった。







人手不足


 過去 : 未来 : メール 2003年05月12日(月)


私が勤める学校は完全に人手不足である。

だから校長先生も教頭先生も授業を受け持っている。

全校で5クラス。
先生はみんなで私たちのような非常勤を抜くと12人くらい?


家庭科の先生は他の学校と兼任だし

数学の先生が社会の先生やってるし

英語の先生が数学やっちゃったり

ナンデモアリ。

こういう私もずいぶん前に家庭科を教えたことがあった。





「インスタントラーメンの作り方」(オイ





これってさ、専科外の先生も気の毒だけど一番気の毒なのは子ども達。


今の2年生。
去年の英語は専門外の先生が兼任したらしい。
アルファベットきちんと書けない子一杯いるんですけど・・・・。
単語じゃなくてアルファベットよっ!
1年生の英語ってすんごい大事なのに。


文部科学省何とかしてください。犠牲者は子ども達です。




話は変わって今日体育館で授業をやった。(謎
英語の授業でネイティブとやっているんだけど
とりあえず挨拶などは英語で。

"Good morinig,everyone? How are you? O.K. Sit down,please."

で始まる。



すぐそばで体育の授業。
56歳の体育の先生。子ども達に集合をかける。



そして






「お座りっ!!」(爆






生徒達は一斉に座る。
だれかが「私たちは犬ではありませんっ!」って抗議してもいいのに誰も生徒指導の体育の先生に文句を言う子はいない。



授業の後にその先生に言われた。


「体育の授業より英語の授業の先生が一番うるさかったな。」



スミマセン。




私も彼には何も言い返すことはできなかった。



「もう3時間体育館で行う予定です。」とも言えなかった・・・。


夫婦の秘密


 過去 : 未来 : メール 2003年05月10日(土)


私たちは結婚10年目に突入したらしい。

明日は娘の8歳の誕生日で今日はバースデイパーティをした。
プレゼントは子どもの要望で子供用包丁とエプロン。

お手伝いが楽しくて仕方ないらしく今日もいろいろと手伝ってくれた。
いつまでも手伝ってくれればいいな。

子どもの生まれた頃のビデオを見ながら自分の姿や様子に驚いた。

私たちって今でもバカップルだが、その頃はもっとバカだった。
子どもにメロメロ。
言葉使いはすべて赤ちゃん言葉・・・。
何でもだらだらとビデオに残し喜んでいる様子。

でもすごい楽しそう。
アノ頃には戻りたくないけどね。

夫婦も何年もやってりゃだんだん落ち着いてくる。
秘密のひとつやふたつあっても全然不思議じゃない。



私の友達。Nちゃん。
仲間内では一番早く結婚した。
私の周りは美人さんが多いけど彼女も例外ではない。

結婚12年。
はたから見ると楽しげないつも恋人同士のような二人。
旦那さまもなかなかの男前。




Nちゃん。
ある日ひどい風邪を引いた。
どうもインフルエンザらしく1週間ほど寝込んでしまった。
パソコンは旦那さんと一緒に使っているがほとんどNちゃんが使用している。
彼は毎晩遅いのでネット時間など確保されない。


で、旦那さんが仕事に出た後、Nちゃんは仕事にはまだ行けないので何気にパソコンを開いた。自分の履歴を見ようと開いてみる。










何?これ?







出るわ出るわ。エロアドレス。



どうも夜中に旦那様楽しまれていた模様。






Nちゃんが言うには



「いいんだって〜。私が寝込んでふ〜ふ〜言ってる時にエロ画像見てても。それにいろいろ見てたらさ若い子じゃなくて30代のエッチなサイトも覗いてたの。だからちょっと安心しちゃったわ」





フーン。ソウネ。ワカイコバッカリミテタラジシンナクスカモネ。





その夜、彼女はその履歴を見たということを旦那さんに言わなかった。
別に彼が何を見ようと構わない・・・。



そして次の夜。
彼女が何気にまた履歴をかけると






ないっ!(笑





彼は彼女が見たのがわかったのかそうでないのか履歴を削除していた。



二人の間では何もその件に関して話されることはなかった。



旦那さまかわいいね♪





秘密のない夫婦なんて存在しないと思う。
夫婦だからって何もかも話すのがいいとは思わない。



秘密っていうと聞こえが悪いけど言わなくていいこともあるって意味。



結婚ってお互いを尊重することが希薄になってくる。
自分の思い通りになるとか、自分の所有物かのように思いがち。
結婚したからこそ話さないほうがいいことが出てくる。



私はいつまでも個と個の付き合いをしたいって思ってる。






だから多少の秘密は許してもらう。


ウエディングパーティの影談 その2


 過去 : 未来 : メール 2003年05月09日(金)


5年ぶりにあったK子。(過去日記30代の心意気参照)
12年間付き合った期限切れの彼と別れて地元に戻ってきた。



「こんな気持ちでいるのに披露宴になんか呼んでもらっちゃって迷惑よ」



な〜んて毒舌だったが結構楽しそうにしていた。
なつかしい話を一杯した。そして電話の続きの近況報告も。




東京から連れ帰ったネコが家のネコとうまくいってない・・・とか。
早速来た見合いの話は断った・・・・・とか。
後・・・・何話たっけかな?忘れちゃった。



とにかくバッフェスタイルのパーティだったので好きなものをどんどん食べた&飲みまくり。


久しぶりの私に



「あら〜〜〜すっかり女性らしくなって。前は<暴れはっちゃく>みたいだったのに」




アバレハッチャク・・・知ってる?


私ってそんなんだったっけ?




Oちゃんのソウルでの結婚式の写真を見て



「Oちゃんて昔から写真写りよかったわよね〜」



ヒンシュクながらも相変わらずのトークで笑いを招く。


K子は細身の体に緩めのパーマがかかったロングヘアの大人の雰囲気。




まぁ30を過ぎてオトナの雰囲気っつうのも何ですけど。



式は5時半からだったのにお店の都合で始まったのは6時半近かった。
K子は次の日のことがあるので7時半にはJRに乗りたいとかで・・・。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。




その中で
「新郎、新婦は無事3月8日に結婚式をソウルで行い永遠の愛を誓いました。」

な〜んて紹介があった。



K子がポツリ。








「なんだその日ってうちのじぃちゃんが死んだ日じゃん」






「なんでこ〜も違うだろうね」








彼女はいそいそと帰っていった。



次の日職安に行ったらしいです。

いい仕事見つかるといいな。


親の死


 過去 : 未来 : メール 2003年05月08日(木)


今日は友達のお父さんのお葬式。
つい3日ほど前に涙声で電話で話したばかり。
深刻だとは思っていたがそんなに早く亡くなるとは思わなかった。

遠くから冥福を祈る。



だんだん親が亡くなっていく年になってきた。
うちも3年前にダーリンの親を亡くしている。
60代で亡くなる人って結構多い。

平均寿命が長いのは戦前の方たちが頑張ってるだけで
その後の体はボロボロか?

そう思う今日この頃。


ダーリンのお父さんが亡くなったのはちょうど夏休みに入ったときだった。
子ども達はみんな教員で夏休みに入る直前まで通知表などで超忙しい。
休みになってから亡くなるなんてお父さんの男気を感じたくらいだった。



亡くなるまで1年くらい患ったがもう余命も言い渡されていた。
私たち嫁部隊は家のことをやって、お母さんは病院に張り付いていた。



もと看護婦だったお母さん。
何事も先を先を考えるお母さん。



ある日私たちに指令が入る。






お母さん:「お父さんが寝る布団を用意しといて」





嫁:「は?退院ですか?」




お母さん:「違うわよ。死んだ時に寝かせる布団よ。どうせ燃やすのだからいい布団はだめよ」


「それからお客さん用の湯のみも出して洗っておいて」





嫁:「・・・・・ハイ」





アノ、マダナクナッテナインデスケド。



亡くなってからすぐにお母さんはお父さんの衣類や布団すべて捨てた。
これも愛情からくるものだろうか。



お父さんが亡くなってからいろいろ変わったことがある。
家の中がお母さんの意のまま。
今まで我慢を重ねてきたからだろうか?

この夏新築の家が建つ・・・。



お父さんの面影は彼が大事にしていた庭の松と池に残るのみだ。



ウエディングパーティの影談 その1


 過去 : 未来 : メール 2003年05月06日(火)


昨夜はウエディングパーティに行ってきた。

国際結婚

韓国から年下の旦那様はやってきた。

2年の遠距離恋愛の果て結婚したがもう1年離れ離れらしい。




私の同級生だから決して若くはない。・

でも何て美しいの???



女にとっての一番の刺激は友人が美しくなることだろう。

自分の中で闘争心がメラメラと沸いてくる。



クソッ  ワタシダッテキレイニナッテヤル!


幸せの絶頂の彼女にかなうわけはない。

やっぱり綺麗になるには恋が必要。



ワタシモコイデキルカナ?




パーティの間私の隣には独身のこれまた美しい同級生がいた。

彼女の美しさの影には愛する男の影はもちろんだ。
でもその彼はすでに人のもの・・・。
かれこれ2年になる。


パーティの間これまた他の同級生の小さな子どもをあやしたり、幸せそうなお二人を遠くでながめながらイロイロ考えたらしい。

優しそうな笑顔の奥で寂しさも見えちゃった。




私「幸せなら深く考えることないじゃん」
 「とりあえず今幸せなんでしょ?」

F子「幸せじゃないよ、苦しいよ」

私「じゃ〜別れれば?」

F子「それができればね・・・」



確かにそう簡単に別れられないだろうけど苦しいならやめればいいのにと思うのは私だけか?


F子にとって幸せと苦しみは表裏一体。
彼女はとても真面目な生き方をしてきた人間で、曲がったことが大キライな人だったはず。その彼女がはまってしまった男って・・・・?


今まで言い寄ってきた男は数知れず。
まぁフッタ男もいればフラレタ男だっている。


F子曰く、その彼には余裕がみられるそうだ。


「独身男は余裕がなく女の気を引こうと媚をうる。既婚者は何事も余裕があるのよね」



ソリャ アソビダカラダロ・・・


でもF子の言う事も一理あるような。
結婚してからもてるようになったと思う男性諸君も多いのではないだろうか?

家に帰ってからF子からメールがあった。


「今日は結婚や家庭についていろいろ考えさせられました。何も高望みをしているわけじゃないのに・・・」



はやく迷路から抜け出て欲しい。






女に媚をうる男ほどみっともないものはない。
でもしたたかな女はそれを利用するのだ。

ウシシ




私?既婚者に媚を売る人などおりません。
たまにいるかな・・・(謎




お出掛け〜


 過去 : 未来 : メール 2003年05月04日(日)


今日は家族でお出掛け。



目指すは安曇野ちひろ美術館♪



ココから2時間。



うちのダーリンは車の運転が大好き。
だから少ない休みでも家でゴロゴロなんてしない。
遠出平気。

まぁ2時間なんて遠出とは言わないけれど行ってきました。

上の子が3歳、下の子が4ヶ月の時に来た事があるけど記憶にないらしく
子どもらも楽しく遊んでおりました。


美術館だけど外では水遊びができるしいろんな国の絵本があったり遊ぶところも
あるしおいしい珈琲やケーキがいただけるところもあったりで素敵でした。
今は芝桜がとっても綺麗だったよ。


上の子。ミホ。
かなりの本好き。本なら何でも読む。今小学校2年生。
『四字熟語の成り立ち』という本を読む・・・・。
絵本の部屋から動かない。
そこへ放置。


下の子。カホ。
字もやっと読めるようになったがすぐ飽きる。
おもちゃルームで遊んでいると言うのでそこにいるようにしっかり言って私たちはのんびりと展示ルームへ。
静かな雰囲気でのんびりと鑑賞していると




「○○りほさん、かほちゃんが待っています。受付までお越しください。」

「○○りほさん、かほちゃんが待っています。受付までお越しください。」



オイッ!ワタシカヨ!フルネームカヨ。



ナンデ? オトウサンサンジャナイノヨ・・・



平謝りでお迎えに。

カホはニコニコと片手にはおもちゃをゲット。






そういえば1年前も同じようなことがあった。

鮎のつかみ取りをして鮎を食べたあと公園で遊ばせた。
私は子どもを遊びに行かせた所から一歩もそこを動かなかった。
カホが帰ってこない・・・。
その日も連休でたくさんの人。
誰にでもついていきそうなカホ。もしかして・・・・・。


慌てて迷子センターに行くとそこには楽しそうに遊んでいる我が子。

帰り際ピグレットのぬいぐるみをゲットした。


彼女は誰もが認める世渡り上手の愛嬌良しの困り者です。(笑





私に似ているという人もいなくもない・・・。











温泉の女たち


 過去 : 未来 : メール 2003年05月03日(土)


私は風呂好きだ。

露天風呂なんてサイコ−。
すんごい開放的な気分になる。

お風呂って不思議。
風呂に入るときはアソコやアソコ隠すけど
出てくるときって隠す人少ない。
それだけ開放されちゃうんだろうな。




それから私は女の人のヌード好き♪


とってもキレイ!と思われる人に出会ったときは
「やった!」と思う。
思わず目で追ってしまう。
女の私でさえそう思うのだから男の人にはたまらないだろうな。


でも顔やスタイルが両得という女性は少ない。
太りすぎてたり、痩せすぎてたり
おっぱいが小さすぎたり大きすぎたり形が変だったり
お腹が出てたり
腰が全くなかったり・・・・。



女風呂を覗きたがる男の話聞くけど。
見ないほうがいいよ。
モデルさんばっかりいればいいけど、そんな人ってよっぽどいないから。
幻滅するかもね。
おばさんやおばあさんの裸でも見たいのかな・・・。


そういえばサウナの常連っぽいおばさんってさ
すごい格好してることがある。
思わず目をそらす・・・・。
だんだん羞恥心もなくなるんかねぇ。ヤダヤダ




私の体系?
私は下着に頼った体系よ。
高い下着で持ち上げる日々。
脱いだら終わり。




今日は家族で夕方温泉にいったのよ。
大きな鏡に映る私のカラダ。
見たくなかったわ。(涙



祭り


 過去 : 未来 : メール 2003年05月02日(金)


今日仕事に行く途中いつもは全く渋滞しないのに車が動かない。

なんだろ〜〜と思うと

地元の祭りで国道を祭りの行列が横切るため一時通行止めをしていた。


シマッタ チコク・・・


祭りのときはそこの学校は休みになる。
屋台目当てに子どもがウロウロしている。
役をもらっている子ども達は大変だ。
仕事も「祭りです」と言って休むのは当然のこと。


ここら辺で有名な祭りだけじゃなくそれぞれの小さな神社でも祭りがある。


ちなみに私の住む町内の祭りも明日だ。


私・・・早速祭りのお手伝いに行かなければならない。
ゴールデンウィークなのに12時半から6時まで・・・・。
エプロン持ってこいってさ。



でも祭りは風情があるので嫌いじゃない。
カコンカコンと今も夜になると近くの公民館で子ども達が練習している。

当日はそれぞれの家に獅子がやってくる。
頭に噛み付いてもらうと頭良くなるんだって。

夜はそれぞれの家でお客さんを呼んで宴会がある。
親戚、友達、会社の人・・・。

みんな酒を片手にやってくる。

おみやげは赤飯。


お祭りは女が大変だ。

でも最近は時代の流れかお祭りの宴会に呼ばれていくとお惣菜屋さんのオードブルや煮物なんかが並んでいることが多い。後はお寿司かなぁ。



とにもかくにも祭りは明日。
天気も良さそう。



頭良くなりたい方はいらしてください。


まずは私から・・・・。


ココの生活


 過去 : 未来 : メール 2003年05月01日(木)


ココに引っ越してきてやっと1ヶ月。

まだ慣れるには程遠い・・・・。


今日は私の勤める学校のストーブ撤去だった。
ストーブ撤去って言ってもこっちにあるものをひょいとあっちに持って行くってわけじゃない。教室からぶっとい煙突が出ているのでそれもはずすのだ。




今朝8度だったのに・・・。


まだまだ寒いじゃんか(涙



こっちは昼間は都会と変わらなくらい暑いが朝晩はめっちゃ冷え込む。
だから体温調節が大変だ。




私はこの学校で英語を教えている。
久しぶりの中学校。
今までは小学校の英語担当で歌って踊るオネイサンをやっていた。


今私の担当するクラスには恐るべし英検準2級の持ち主がいる。
時々私の間違いを指摘する。


しょうがないじゃ〜〜〜ん。
中学校なんて7年ぶりなんだも〜〜〜〜〜ん。
小学校で文法なんて一切やらないしぃ


って言えるはずもないから



そういうとき私は


よく見つけてくれたね〜〜


とさらっと流す。内心冷や汗^^;


ダメジャン。リホセンセ。←私の心


頭のいいその子は顔色一つ変えずまたじっと私の話を聞いている。
私は考えた。



この娘を完全に完全にみかたにつけなくっちゃ!
敵にまわしたら大変だぞ。←オイ





さぁ 明日の授業に向けて勉強しとこ・・・・。

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