TENSEI塵語

2009年01月30日(金) 思わぬ穴、、、

周到な準備をしているつもりでも、ぽかっと穴があくことがある。
去年のアンサンブルコンテストの県大会の時、
準備すべきことを列挙したチェック用紙で再三点検して、
どう考えても抜けがないと確信して、当日会場に行き、、、

あれこれ采配して、役員や係がスムーズに動き始めてホッとしたときに
一般受付の係の高校生がやって来て、「入場券はどこですか?」と
販売用の当日券を取りに来た。

?? え? 、、、、、あれ?!!
どこに入れたっけ、、、?
いやいや、、入れた覚えがない、、、、、、、、、あっっ!!!
職員室のロッカーに保管したまま、荷物に入れるのを忘れてたのだ。

すごい絶望感。。。
取りに行く時間はもうない。。。
大急ぎでPCでそれらしいデザインをして、
普通紙1枚に5枚分の印刷をして、連盟印を捺して、切って、、、
何とかピンチをしのいだのだが、冷や汗びっしょりの大大失敗だった。


もちろん、その翌日に、「チケット当日券を入れ忘れないように」と
チェック用紙に書き加えておいたから、今回はすでに入れてある。


明後日(あ、、もう明日か)の県大会の準備を、
月曜日から校務の合間合間にちょっとずつ片づけて、
もう明日これとこれをやればいいところまで来ているのだが、
今夜、うっかり見込み違いしていて焦ったのが、審査集計表。
審査員のつけた点数を集計して、順位づけをして、
賞と東海大会への代表を決めるための集計表である。

こんなのは、毎年やっていることで、
出場チームの名簿を今年のに入れ替えて、
チーム数の増減を調整して整理するだけだから、
ほんと10分くらいでできるし、当日でもいいはずだった。

今夜、その作業をやりかけて、、、たいへんなことに気づいた。
毎年やってるのとちがうのだ、今年は。
去年までは5人の審査員の審査をそのまま採用していたが、
今年から審査員を7人にして、上下カットを採用することになったのだ。

今までの集計表(エクセルを使用)は、出演順に集計したものが、
その隣のシートで自動的に順位順に変換できるようにしてある。
順位順のシートで、賞と代表を確定して入力すると、
それが出演順のシートに自動的に入力され、
さらに、成績発表用の原稿シートに必要事項が入力される。。。

使用時に便利な仕組みにすると、変更時はとても厄介である。
おまけに、久々にエクセルの表に取り組むことになったので、
計算式の仕組みは忘れかけているし、不具合も生じたりするし、
ほんの10分のつもりが、3時間近い作業になってしまった。


ほんとに、どこに思いがけない不注意や認識不足の穴があいてるか
わからない。。
今回はこれで完璧、、、と思ってると、
先日届いた賞状、まだ開けて見てないけど、
ひょっとしたら、ぜんぜん違う賞状かもしれない。。
明日(あ、、きょうか、、)、ちゃんと点検してみないと。。

基本的にそつだらけの人間にしては、
よくやってるなぁ、、と我ながら感心してるんだけどね、、(笑)



2009年01月28日(水) 生の奇跡

きょう見つけた入試問題の問題文。。

「どうせ死んでしまうのだから、生きることは空しい、
 という言い方は正しいだろうか」
「逆に、どうせ死んでしまうのだから、
 今やりたいことをやろうというのは、どうだろう」

という問題提起から始まって、難しい言葉はほとんど使わずに、
平易な言葉で哲学的な内容が書かれている。
非日常的な漢語やカタカナ語攻めで読むものを悩ます難文の多い中
珍しいのだが、読んでいて、とても厳しい姿勢みたいなものを感じた。

以下、大体の要旨。。
最初の出発点だけは、なかなか難しい論理なのだけれど。。

****************************************
「死ぬ」ということですべてが(努力も苦労も)無に帰する、
だから生きることは空しい、と言っているのだけど、
「死ぬ」ということはすべて無に帰すると言うのだったら、
死んだら無に帰してしまって空しいと嘆いている自分もまた、
無に帰して、「ない」はずだ。
「ない」自分は「ない」のだから、
生きている自分とは関係がないということになる。

そもそも、「死ぬ」ということはすべてが無に帰することなのか?
無は「ない」のだから、死は「ない」、
だから死を前提にして生きることはできない。

時間は誰もが思っているような、前へ流れるものではない。
死は「ない」のだから、生の時間は
終点としての死へ向かって前方へ直線的に流れるものではない。
時間というものは、本来、過去から未来へ流れるものではなく、
ただ「今」があるだけなんだ。
**************************************

このあたりで、この人は反ハイデガーか? とか、
刹那主義的な生き方を求めているのかと思ってみたりもするのだが、、
さらに読み進めてみる。

***************************************
「今」があるだけ、「今」しかないのだから、
今やりたいことをやろうというのは正しい。
でも、それは、どうせ死んでしまうからじゃない。
人は確かに死ぬけれども、死は「ない」のだから、嘆かず憂えず、
今やりたいことをやる、やることができる、、すばらしいことだ。

現代は神の存在を素朴に信じられない時代で、
神のない人生の意味や理由を求めて、人々は悩んでいる。
しかし、そもそも、なぜ人は人生に意味や理由を求めるのか?

例えば、現代科学はビッグバンによって宇宙は始まったと説明する。
しかし、化学は、ビッグバンが起こった理由を理解できない。
それなのになざビッグバンが起こり宇宙が存在しているのか?

しかし、人は、宇宙の生滅に、意味や理由をほとんど思わない。
宇宙が、ただそのようにあるのだとしたら。
人生も、ただそのようにあるだけではないのか。
人生には、意味も理由もなく、ただそのようにある、、、
これで困ることはない。

神が創ったのではない(として)のに宇宙が存在するということは、
とんでもないこと、ものすごいこと、、、奇跡なんだ。
存在すること自体が、驚くべき奇跡なんだ。
存在することに意味も理由もなく、それでも存在することが奇跡なんだ。

自分が存在し、人生が存在する、、これも奇跡だ。
そして、そこで味わう苦しみだって、やはり奇跡だ。
なぜあるかわからないものが、なぜかそこにあるのだから。。

「この不思議の感覚、奇跡だという感情は、おそらく、
 敬虔な信仰をもつ人が神さまに捧げる祈りに似ている。
 自分を超えた存在や力に、自分の心において出会うんだ。
 人は、驚きと同時に、深い畏れを知る。
 そして、この苦しみは神から与えられたものだと、
 ごく自然に思えるようになるのだろう。
 このような信仰こそ美しいものだ。
 それは、考える精神が、
 考えに考えた果てに至り着く感覚と同じものだ」

**************************************

つまり、存在する奇跡に畏れと感謝の念を抱き、今を生きる。。。
苦しみにさえ感謝して、今を精一杯生きる。。。

私にとって、新たな思想というわけではないけれど、
平易な日常語に終始しながら、難しい問題に応えているところに、
ひたすら共感した。

出典を見て、あーー、、と思った。
池田晶子の「14歳からの哲学」。
ずっと以前に噂では聞いていたが、忙しくて読んだことがなかった。
「専門知識や用語に頼ることなく、日常の言葉によって
 『哲学するとはどういうことか』を語る」
という評判を聞いたことがあったのだった。

Wiki に行ってみたら、最後近くにこう書かれていた。
「2007年2月23日、腎臓ガンのため46歳の若さで逝去」



2009年01月27日(火) 高校の歴史教育

私の高校時代、日本史は昭和の最初のあたりで終わってしまった。
浪人して受験勉強を始めたとき、そのことを再び思って、
いったい何のために日本史の勉強をしたのだろう? と思った。

古代史や王朝文化のあたりまでは、まだロマンを感じておもしろかったが
だんだんと過去の項目の羅列みたいに感じられて退屈になった。
それは世界史も同じだった。
退屈な羅列のまま、高校の歴史の授業は途中で終わってしまっていた。

教員になってから、あのころの自分以上に昭和史を知らない高校生が
あまりにも多いことに気づいた(まだ昭和の時代だったころでも)。
特に戦時体制から民主国家に変貌する過程を知らない。
明治憲法下の世の中から今の世の中になった経過を知らない。
ほんの常識程度のことも知らない生徒があまりにも多い。。。

現代というものをよりよく理解するために歴史を学ぶのでは?
歴史学という観点ではどうか知らないが、
中・高生にほぼ強制的に学ばせるのはそのためではないのか?
昔はこうだったんだよ、のためだけに学ばせてるのかなぁ、、?


私は、受験勉強の時、まず明治以降を理解したいと思って、
関ヶ原の合戦のあたりからノート作りを始めたのだけれど、
高校の日本史の授業は次のような順にやってほしいと思っている。
1 太平洋戦争〜現代
2 開国〜太平洋戦争
3 武士の台頭〜幕末
4 古代〜武士の台頭

つまり、現代を中心にして逆戻りするわけにもいかないから、
ある程度区切って、時代を遡っていく。
下手すると平安時代まで行かないうちに授業終わるかもしれないけど、
大丈夫、そういう不安があるなら国語の教員が古典の時間にやります!

世界史だったら、やはり大戦から現代までをやって、
それから、啓蒙思想の時代あたりからかな?
その後は、地域や国別の通史だとおもしろいかも。。
特に中東は通史でやってもらわないといけない。
そういう部分的通史をやりながら、
このころ○○国ではどんなことがありましたか? なんて、
復習させてみてもおもしろいだろうし。。。

20年ほど前からこんなことを社会科の教員に提案してきたのだが、
返事はいつも大体同じ。
それができればいいのだけど、模擬テストがその順でない。。

大学入試の参考資料に過ぎない模擬テストに
高校教育が牛耳られている、実に悲しい現実である。

それにしても、人間は世界内存在であるという認識の乏しい
社会科教員が多すぎる。



2009年01月26日(月) ドラマ「VOICE」

初回は見忘れたが、珍しく2週続けて見た連ドラが「VOICE」。
「死体は語る」という意味だろうか?
・・あ、今サイトに行ってみたら「命なき者の声」と副題があった。

法医学の研修生たちが真相の解明に挑む。。
しかし、先週と今夜見た限りでは、犯罪捜査をするわけではない。
事故死・病死として片づけられてしまった死者の、
死ぬ前の本当の姿を明らかにしようとするものらしい。
とても地味な自主活動なのだが、遺された者には大切なことだ。

主人公の加地がそれまでのデータと閃きで、
真相への糸口を見つけるあたりからがドラマのクライマックス。
情に厚いが故の死だったと知らされ、
さらにその人物像に深入りしていく。
この深入りが、少々わざとらしい人情ドラマに感じられても、、、
やっぱり泣けてしまうのだ。
しかも、制作者側でも、ここで視聴者泣いてくれるぞ、という
確信があるらしく、しばらく引っ張るんだなー。。



2009年01月25日(日) 日本語の構造についての新しい視点

仕事がら、国語の入試問題やそのタイプの問題集を扱わなきゃならない。
自身の高校時代も浪人中も、ぜんぜん解いたことがなかった。
たまにやりかけても、うっとうしいのでやめてしまった。
模擬テストや実力テスト(定期テストも)の時は、
しょうがないから解かざるを得ない、、でやっていただけだ。

今も嫌いなんだけど、要請があるので仕事上扱わなきゃいけない。
でも、時々おもしろい文章に出会う。
教科書に載ってるものよりよほどおもしろい文章が多い。
読書時間がままならないので、案外ありがたいことでもある。


きょう某大学の過去問を見ていたら、
加賀野井秀一という人(仏文学・思想、言語学)の
「日本語は進化する」という本からの一節に出会った。

手紙の宛名の書き方は、日本流と西洋流のどちらが優れているか?
大きなカテゴリーから小さなものへ限定し、最後に名前が来る、
この日本流の方が理にかなっていると、フランス人も認めている、
という話題から始めている。

そして、主語 - 述語論争で有名な例文だった「象は鼻が長い」。
その主語はどれかという議論は今はやめておいて、、、

「今はこの表現の論理展開だけに注目していただきたい。
 まずこの表現は『象は』と言って語るべき主題を提示し、
 さらにこの主題の中で『鼻』を限定することによって、
 順次その内実を語っていく。つまり、
 日本語の論理のプロセスも、基本は宛名書きと同じく、
 大きなカテゴリーから次第に小さなものへと。
 絞りこんでいくプロセスなのである」

ははぁん、、確かに。。
「象について言うとね、先端の鼻がね、長いんだよ」ということだから。

日本語は西欧語に比べて、主語が不明確で曖昧な言語だとか、
述語が最後に来るので言いたいことがわかりにくい、とか、
だから西欧語に比べてきわめて非論理的であるとか、
そもそも日本語には「主語」なるものは存在しないとか、、、
そういう論点とはまったく別の観点で私も日本語を考えて来たのだが、
この人の指摘はまたとても新しい感じがした。

・・で、そもそもの我々の物事の認識というところを考えてみている。

「私たちが、べつにこれといった注意を払わなければ、
 世界はぼんやりとしたまどろみの中にあるのだが、
 ひとたびそのどこかに注意を向けるならば、
 とたんに世界もそれに応じた表情を見せるようになってくる」

「ある時ふいに、曖昧模糊とした促しのようなものが生じる。
 この促しは、少しずつ意識化のプロセスをたどり、
 それが次第に形をとって、ついには命名というレベルに達する。
 そこで私たちは、『〜は』という言い回しによって、
 言語表現への決定的な第1歩を踏み出すことになるわけだ」

つまり、「日本語の論理のプロセス」は「明確化の歩み」であり、
「帰納的」で、すぐれて「探索的」「発見的」である、と言う。

おもしろい見方だと思われたので、メモしてみた。
「これは、、、恐竜の骨、、です、、、、、か?」みたいに、
最後の最後に疑問文になってしまうのも、
「これは、、、恐竜の骨、、で、、、、、はない」みたいに、
最後の最後に否定文になってしまうのも、
認識のプロセス、明確化の歩み、、ということと一致していそうだし。。



2009年01月24日(土) 学力低下問題

何か、世界的に見て日本の小中学生の学力が低下していると、
何かのデータが出たらしくて、文科省等々あたふたして、
ゆとり教育の見直しとか、小学校低学年から授業時数を増やすとか、
小手先の軌道修正みたいなことを考えてるようだが、、、

いつでも小手先だけで、根本的なことは不問にするものだから、
何年か後にはまだ軌道修正することだろう。
何で何にもわかってない連中が教育を牛耳るのかそれが最大の難問。

しかし、この問題について書こうとすると、いつも躊躇する。
問題が錯綜しすぎていて、書き始めるとあちこち錯綜してしまうのだ。
これが原因! と言い得るものが希薄で、いろいろと絡み合ってるのだ。

こういう場合は、とりあえず箇条書きにしてみるのがいいかも。

【現象的にも明らかな原因】
・小中高生にケータイを普及させてしまったこと。
・それよりもっと前にTVゲームを普及させてしまったこと。
・TV番組も、チャンネル変えさせない興味づけに腐心していること。
・要するに、さまざまな遊び道具や気晴らし道具を与えてしまい、
 自力で勉強する余地を狭めてしまったこと。
・もちろん、読書の機会もうんと少なくなるわけだ。
・考えたり、空想に耽ったりする時間も減ってませんか?
・友だちといろんな工夫をしたりして遊ぶことも減ってませんか?
・精神構造がますます短絡的になってきていませんか?

(もちろん、全体的にそうだというのではなくて、
 そういう層が増えてきているのではないか、ということだ。
 損なわれない子は損なわれない)

【長年に渡るもっとも根本的な原因】
・義務教育では、落第も留年もないこと。
 (高校でも、進級認定が甘すぎるし、、)
・「教育を受ける権利」が、日本ではなぜか知らないが、
 「進級し、卒業できる権利」にすりかわってしまっている。
 (基本がわからないまま進級させられてしまう)
・子どもの多様化ということが、行政にもちゃんとわかってるのに、
 1クラスの人数は30〜40人と相変わらず多い。
・また、多様な子どもたちに対応できるだけの教員数が足りない。
 (特に小学校)
 近年は、ADHA のような症状の子も増加しているし、
 いわゆる障害児の学校に行くべき子も普通学級に同居しているし、
 家庭での躾のまったくできてない子どもも増える一方である。
・授業を何とか成立させるだけが仕事になっているケースも多いようだ。
 教室を飛び出して行った子を追いかけて、
 教室に教員がいなくなることが頻繁なケースもあるようだし。。

【その他】
・昔よくやってた居残り学習をさせにくい世相だし。。
 (物騒な事件のために一斉下校が増えた)
・「ゆとり教育」なんて観念が流されたころから(かな?)
 基本的なことは宿題でも何でもして叩き込む精神が
 緩んでしまったみたいだし。。。
 いわゆる「管理教育」というのは批判されるべきものだったけど、
 詰め込むべきことは詰め込まなきゃ先に進めない。
 問題があるとしたら、わけもわからず詰め込まれるケースなので。。
・教育委員会は世間にペコペコするばかりで、
 教員の指導をしにくくするばかりだし。。。
・中学〜高校にかけて、手取り足取りめんどう見すぎ。
 呆れるほどの過保護、、この辺だけの傾向かな?


まだまだいろんなことが湧き出て来そうなのだが、、
とりあえずこれだけメモしておこう。
どれも、これひとつだけ取り出してどうこう、、と言えないので、
何を書いても、それだけじゃねぇぞー、と思ってしまうのだが、

1学級あたり20人程度というのだけは早く実現してほしいものだ。
・・といっても、生徒急減期の30人学級要請運動でさえ、
微々たる成果しか生まなかったもんなー。。
10年以上署名活動が続いても、相変わらず基本は40人。。
教室を減らし、教員を減らして、教室内は相変わらず40人。。



2009年01月22日(木) 平均点公表の意味は?

大阪の知事がまた昨日から激怒してるようだ。
いったい何をそう興奮する理由があるんだか。。
よっぽど、僅差の競争に敏感な半生を送ってきたのかも。。

全国学力調査の全国ワースト何位かしらん、、に続き、
体力テストの方でも、全国平均をかなり下回ったとかで、ご立腹。
昨夜のニュース番組では、
「勉強できない子は体育ならできるもんなんですよ!
 勉強も運動もできないなんて、、、」
などと言っていた。
それでまた、学校別か市町村別かしらないが、成績(平均点)を公表し、学校間の競争に拍車をかけようとするような気配だ。

まず第一に、子どもたちから外遊びの場所を奪ったのは誰なのか、
子どもたちから、外遊びの欲求を奪ったのは誰なのか、反省すべきだ。
それに、いろいろな状況が関係している。
たとえば、学力調査の成績も体力調査の成績も低い地域は、
親が生活に追われて子どもの食生活を含めた生活全般を、
充分に管理できない層が多いのかもしれないのである。
また、ますます物騒になりつつある世情だから、
一斉下校や、子どもの外歩きの規制などで、子どもに自由がない。。

そういう問題は、またこの次にして、
 (要するに、短絡的に学校間競争が大事なんて思うな、ということ)
それより、この平均点に一喜一憂する人たちのアホさかげんに
呆れてしまうのだ。

昨日、大阪の知事は「勉強できない子は、、」と言っていた。
中3国語Aのトップ秋田は78点、大阪は70点、平均は73点、
国語Bのトップ福井は67点、大阪は55点、平均は60点。
最高点を基準にしても、70点、55点は「できない」レベルだろうか?

それは、比較したら平均点が低かったというだけのことである。
体力調査の場合だと、1種目10点の8種目、計80点満点で、
最上位の県と最下位の県の差は5〜6点である。
つまり、8種目のうちの5〜6種目1点ずつ低かっただけの勘定である。
その上下の間に、僅差の40余県が並んでいるわけだ。
憤慨するほど甚だしい差であろうか?
(正社員と非正社員の賃金格差に比べたら微々たる差じゃないか、
 などと関係ないことまで思ってみたりする)

しかも平均点である。
平均点なんてものは、全体の結果を伝えるだけで、内容を伝えない。

例えば、ある100点満点のテストで、
A校100人の平均は63点、B校100人の平均は68点だった。
A校は大きく負けたといい、B校は大差で勝ったと思う。
しかし、A校には家庭の事情や本人の病などで0点の生徒が10人。
特殊な事情を抱える彼らを除いた90人の平均点は70点。。。
つまり、0点だった生徒を受けさせないでおけばA校の勝ち。

そんなもんである、平均点というのは。。
同じ平均点60点でも、
90点以上が多い代わりに20点30点も多いケースもあれば、
80点以上がいない代わりに40点以下もいないケースも考えられる。

また、世の中には、自分の名誉のために、
生徒に過去問をバンバンやらせて平均点上げる教員もいるそうだ。
体力調査でも、練習させないで一発勝負で、と指示されてるそうだが、
練習を何回かさせた上で記録をとっている学校もあるそうだ。

だから、平均点に一喜一憂して競争に駆り立てるのはアホなのだ。
平均点で勝ちさえすれば、学力が育ち、指導力も向上したなんて、
そんな幻想を抱いてはいけない。

だから、もっと多角的に分析して、
必要なことを社会全体で取り組まなきゃいけない。
学力問題は、教育界だけの問題じゃなくて社会問題である。
そもそも学力ってな〜に? というところから大難題なのだが。。



2009年01月20日(火) 姫さまシリーズ第2弾

凄まじい手首切断シーンだった。
こちらも痛みに耐えかねて声をあげそうだった。。

誉田哲也の姫川玲子警部補シリーズ第2弾「ソウル・ケイジ」を読んだ。
第1弾「ストロベリー・ナイト」ほどの異常世界ではないし、
第3弾の短編集のような名言が散りばめられているわけでもない。
借金地獄やヤクザの責めにまつわる、悲しい物語、、、である。
比較的地味というべきかもしれない。

悲しいけれど、温かさの残る物語だった。
その男が、あの男だったなんて。。。。

もう遅いので、これだけメモしておこう。

明日から荒太くんの「悼む人」。



2009年01月19日(月) USBメモリー

出回り始めたのが何年前だったか、よくわからない。
数年前だったか、もうちょっと前からあったのかもしれない。
私が使い始めたのは、64MBのものが2000円台になったころ。。
あんな小さな体に、フロッピー数十枚分が入るのが驚異だった。
私がそのころ買って、今も使っているのは、256MBのもの。
(その後買った2GB、というのもあるが、、)
8000円台だったか、、とにかく1万円近かったと思う。

きょう、web ショッピングで贔屓にしている某店からのメルマガで、
16GBのUSBメモリースティックが、2000円台だと言う。
容量が64MBから250倍になったのに、、、同じくらいの値段。。。
もちろん、特価なんだけど。。。

思わず、お、安い! 買おかな! と思ったのだが、
すぐに、何に使うんだぃ?? と思い直してやめた。
写真やビデオのファイルをいくつも持ち歩くのでなければ、
こんな凄まじい大容量はいらない。
実際、常時使っているのは最初に買った256MBのスティックなのだ。




2009年01月18日(日) 三者三様、、、藪の中、、

朝日朝刊の「耕論」で、イスラエル・ガザ地区・西岸地区の側の
それぞれのインタビューがまとめられていた。
これだけ認識がずれてすれ違っていては、まとまりようがない。
かえって、君たちの真意はどこにあるの? とさえ思ってしまう。
以下、その要旨。(短くするのが難しい、、)

【駐日イスラエル大使】

ハマスはガザ市民を人質にしている。
イスラエル軍は民間人を意図的に攻撃はしない。
反対にハマスはイスラエルの市民だけを狙って攻撃を続けている。
イスラエルでは市民にシェルターを提供しているから犠牲者が少ない。
イスラエルは今ガザを占領してはいない、'05年に撤退した。

我々はパレスチナ国家を樹立する和平合意を平和的に結びたい。
ファタハの自治政府がガザを支配し、ハマスの武装を解除してほしい。
過激なイデオロギーで過激なイスラム世界を世界中に作ろうとしている
のがイランであり、シーア派武装組織であり、ハマスである。
彼らは、ユダヤ国家を地図から抹消しようとしている。

今、我々は、ガザでイランと戦っているのだ。


【ハマスに影響力を持つイギリスのイスラム政治思想研究所長】

ハマスは、占領からの解放を求め、抵抗運動をしているだけだ。
協定の約束を破り、占領を続け、無実の市民を殺しているのは、
イスラエルだ。
なぜハマスがテロ組織で、イスラエルがテロ組織でないと言えるのか?

短期の解決策は、停戦しかない。
イスラエルがガザから完全撤退し、封鎖を解き、
検問所の通行も認めれば、ハマスも停戦に応じる用意がある。

そもそも、'48年に、ヨーロッパから流れ込んだユダヤ人に、
パレスチナ人が周辺国に追いやられた。
それでいて、「我々を認めよ」と言われても、認められない。
この苦痛を体験していない将来の世代にしか、和解はできないだろう。

ファタハは指導層が腐敗しきっている。
市民からの信託をまったく受けていない、一掃されるべきだ。


【パレスチナ自治評議会ファタハ議員団長】

ハマスは支援国のイランやシリアの助言に従って誤った。
空爆開始直後、ハマスの幹部に、停戦受け入れと、
ファタハとの和解を訴えたが、拒否された。
ハマスは、レバノン紛争でイスラエル軍に打撃を与えた
シーア派武装組織のようになりたいのだろうが、
武器の入手量がぜんぜん違うから、イスラエル軍に勝てるわけがない。

ファタハは宗教にこだわらず、国民の利益を第一に考える。
ハマスは狂信的組織の利益を第一に考える。
パレスチナ人はもともとは狂信的ではないが、
イスラエルの占領政策と、それを支援する国際社会が、
民衆の絶望に巣くう狂信的組織を強めてしまった。

イスラエルはハマスのガザ支配を続けさせたがっている。
それを理由に、パレスチナの独立国家は無理だ、と主張できるからだ。

パレスチナ人をイスラエル軍の暴力から守るため、
ガザと西岸の両自治区に国際部隊を展開すべきだ。
和平プロセスの改善も必要だ。


・・・うーん、、、読めば読むほど「藪の中」みたいだ。。

ただ、読めば読むほど、イスラエル大使の応答は、
質問に対して率直に答えず、回り込んで核心を逸らしているのが露骨。



2009年01月17日(土) 占領国の義務

ここまでは知らなかった。。

朝日新聞朝刊にあった、「ガザ〈報復〉の裏に」の記事。

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国連人道問題調整事務所は昨年12月15日、
「ガザ封鎖の影響、人間的尊厳の危機」と題する報告書を提出した。

報告によると、イスラエルからくる燃料供給が止まって発電所が動かず、
1日16時間の停電がある。
水道も半分以上の住民に週に1回数時間しか流れない。
昨年11月以降、ガザには1日平均6台のトラックしか入っておらず、
「住民は毎日、水を蓄え、食糧や燃料を探すことで追われている」
という。
また、製造業や農業などの産業も止まり、失業率は49%。
長引く封鎖で日収が3ドル以下の極貧世帯が70%に上る。
病院ですら医薬品の不足が深刻だ。


ジュネーブ条約は、軍事占領をする占領国の義務として、
「住民の食糧及び医療品の供給を確保する義務を負う。
 占領地域の資源が不十分な場合には、必要な食糧、
 医療品その他の物品を輸入しなければならない」と規定する。
ガザ封鎖は、占領国の義務を果たしていないうえに、
非人道的な抑圧を住民に加える措置といえる。
//////////////////////////////////////////////

つまりは、イスラエルがこの無責任な占領と封鎖を解除しなければ、
明らかに兵力の劣るハマスも停戦に応じられないということだ。



2009年01月15日(木) 柿チョコ

先日母の家に行った時にもらってきた
いろんなものの入った袋の中に、柿チョコというのがあった。
(もらい物や買ったもので、食べきれないものや珍しいものを、
 勝手にこっちに回してくれるのだ)
富有柿をチョコでくるんだのでも、もちろん干し柿のそれでもない(笑)
柿の種、、、あの細長い種型のあられ(?)をチョコでくるんだもの。
普通のチョコレートの袋とホワイトチョコレートのがある。

何とけったいな、、、と思って、手をなかなか出さずにいたのだが、
さっきふと見たら、チョコ色の方が封開けて置いてある。
しかも、、、かなり減っている。
減っているということは、、? 
と、食べてみたら、なかなかよい。
チョコレートの奥に香ばしさが弾ける(笑)、という感じである。

一昨年北海道で、チョコレートでくるんだポテトチップスを見てから、
こういう怪しいのが目につくようになった。
(というのは、私がそれまで知らなかっただけで、
 うんと昔からいろいろ出回っていたのかもしれないが、、)
一昨年の北海道では買わなかったのだが、後に類似品を食べてみたら、
ポテトの方が湿気てる感じで、ぜんぜんダメだった。
それから、じゃがりこ、みたいな容器に入ったやつで、
細長いポテトスナックをチョコレートでくるんだやつ、、、
私は、ポテトチップスではのり塩が一番好きなので、
そののり塩ヴァージョンを恐る恐る試したが、、、最悪だった。
チョコ風味とのり塩風味が完全に分離している感じだった。
塩味だけのをチョコでくるんだのも、、うーーん。。。。
・・でも、ポテトとチョコは合わない、、、と断定するのは、
あの北海道のどこやらのポテトチップスを試してからか、、な?

私は普段、柿ピーというのは、あまり喜んで食べない。
まず自分では買わないし。
喫茶店で小袋をおまけにつけてくれても、たいてい封も開けない。

しかし、さっき柿チョコを食べてみて、
あの柿の種というあられを改めて見直してしまった。
こんな風味の深いものだったのか、、と。。
願わくば、柿チョコじゃなくて、柿ピーチョコにして、
時折、ピーナッツチョコも混じってたら完璧なのにー。。。



2009年01月13日(火) 「シンメトリー」の『手紙』

「でもね、この順番って、大切だなって思ったの」

「そう、順番。
 普通、罪を犯して罰を受けたら、赦される。
 だから刑務所から出られて、再び社会生活を営める、、じゃない?
 でも彼女の場合、罪を犯し服役したけれど、
 まだその時点では、罰を受け入れていなかった。
 自分の過ちを認めないまま、刑期さえ過ぎればいいと考えていた。
 でも、そこに社長からの手紙が届いた、、、彼女の心に。。
 ・・それがきっかけで、本当に罰を受け入れて、罪を償う気になれた」

「つまりね、罪を犯した人間は、まず赦されて、
 その赦しを感じることができて初めて、
 罰を受け入れることができるんじゃないかな、って思ったの。
 ・・もちろん、理想論よ。

 そうじゃない場合の方が圧倒的に多いと思う。
 でも、そういう人は、罰を受けたんだから赦されてしかるべきだ、
 って感覚が、どうしても拭えないんだと思う。
 罰を、受け流して終わりにしてしまう、っていうか?
 だから、再犯の可能性が残る。。

 でも彼女はそうじゃなかった。
 自分は赦される、、受け入れてくれる社会がある、、人がいる。。
 そう実感できたから、罰を心で受け止めて、
 罪を償う気になれたんじゃないかな」


誉田哲也の「シンメトリー」を読んだ。
以前書いた「ストロベリー・ナイト」の姫川玲子刑事シリーズの
第3弾だと思うが、こちらは短編集である。
一編読むごとに、姫さまがかっこよくて、惚れ込んでしまうのだが、
きょう読んだ最後の「手紙」のラストに考え込んでしまった。

この短編の犯罪者は、職場で、ある女から執拗な非道いイジメを受け、
さらには、自分の唯一の拠り所である職場を奪われる危機感から、
その仕掛け人の女を殺してしまった女性である。
悪いのは殺された女であり、同情すべきは殺した方の女性である。
しかし、法はそういう心情を許さない。
法の冷淡さに、殺した女性は、殺した後もずっと開き直ってるわけだ。

けれども、獄中で受け取った社長からの手紙で、彼女の心は変わる。。
刑事たちが驚くほどの更生をする。


とても難しい問題だ。
金輪際許すことのできないような犯罪者もいる。
神さまでも赦せますか? というほどの犯罪者もいる。
反面、何でこの人が罰せられなきゃいけないのかという場合もある。
一時期、貪り読んだ松本清張は、
二進も三進も行かなくなって犯罪に及んでしまう、
哀しい犯罪者の物語をいくつも描いていたなぁ、、と、
そんなこともいろいろ思い出してしまった。

でも、赦された、という実感があって初めて、
再び生きることができるようになる、ってのもよくわかる。。。



2009年01月11日(日) 漫画「Roman」と出会う

またまたマニアックな話だが、正月の3日からだったか、
サウンド・ホライズンの新盤「モイラ」をずっと聴いていた。
去年の9月に出てたのを知らず、2日に見つけて注文しておいたら、
翌日届いたのだった。

ライヴDVDがいつ出るのかアマゾンに調べに行ったら、
ひとつ前のアルバム「ロマン」をもとにした漫画があることを知った。
「ロマン」は彼らの第5の物語で、去年の6〜7月に熱心に聴いていた。
普通ならその場でアマゾンにその本を注文するのだけれど、
2冊目はまだ出ていないそうだし、1冊だけだと送料取られるし、、
それよりも、きょうそれを読みたい! と思ったので、
昼に母の家に行ったついでに本屋に回って探した。

音楽のジャンルとしても、
50過ぎたおっさんが夢中になるものでもないし、、f^_^;
(でも、このRevo くんの音楽構成は、
 日本一! と言いたくなるほどすばらしいのだ)
こんな漫画を50過ぎたおっさんが探すのは奇妙だし、、(-。-;)
コミック売り場のどこを探せば見つかるかもわからないので、
少女コミックのコーナーも熱心に探すのだからますます奇妙だし(笑)
店内で変質者警戒の動きが出るんではないかと恐れながら、
30分かかって、やっと見つけた。

プロデュースしているRevo くんの物語も歌詞もたいへん難しい。
この漫画を読んで、ちょっと物足りない気がするところもあったけど、
今まで謎だったところも、やっとよく噛み砕くことができた。


・・・で、深夜に至って、久々に「ロマン」DVDのライヴを見た。
拡大コピーしてある歌詞カードもちょいちょい見ながら、
漫画化された物語は、漫画を思い出しながら。。。



2009年01月10日(土) ワークシェアリング

経団連の会長まで口にし始めたせいか、このところ新聞でも、
ずっと黙殺されていた「ワークシェアリング」の語がよく見られる。

何年前だったか、私がこの言葉を知ったのは亡き橋本氏のここだった。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/oranda,.htm#1

この「オランダの奇跡」のオランダの例もさることながら、
ドイツのフォルクスワーゲン社の試みに心惹かれた。

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 オランダの成功を受けて、「ワークシェアリング」は欧州で盛んに行われ始めた。
 失業率11%、400万人以上の失業者が溢れたドイツでは、まず10万人の従業員を抱えるフォルクスワーゲンが1993年暮れに「雇用安定化のための労使協定」を締結し、労働時間を20%短縮して、週休二日制から三日制へ移行するわりに、年収を10%カットして、過剰人員とされていた3万人を解雇するのを避けた。
 1996年には鉄鋼や繊維産業でも同様な労使協定が結ばれ、ワークシェアリングの動きが広まっている。
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労働時間短縮、賃金カットで、労働者の生活を守る。
労働時間短縮は20%なのに、賃金カットは10%にも気に入った。

小泉構造改革の前に読んだのか、そのさなかに読んだのか、定かでない。
構造改革が進んでしまう中で、自分には何もできないのだけれど、
将来のためにこういうワークシェアリング的な道も用意して下さい、
と願ったりもしていたのだが、昨年末、ついに、
非正規社員大量解雇という、安直な結末を迎えてしまった。

悔しかったけれど、構造改革の派遣の緩和政策というのは、
使い捨てでとりあえずバカスカ儲けよう、の精神だったのだから、
困ったときには切り捨てて、死なせてもかまわないのである。
あの首相が「痛みを伴う構造改革」と力説していたときは、
誰が「痛む」のか、ぜんぜん明言しなかった。


ワークシェアリングの導入は、難しいだろうな、と思う。
我が家のように夫婦とも仕事に就いている場合はそれほどでもないが、
一馬力のごく平凡な社員・職員の家庭だと、
賃金を減らされるのはかなり辛いことだろう。
つまり、政労使以前に、実際の労働者の理解を得られない恐れがある。

今のような、正社員でさえいつ解雇されるかわからない時期が、
ひとつのチャンスでもあるのだが、、、しかし、
次に解雇されるのは自分かも、、などとは誰も思いたくないものだし。。

企業の純益というものをもっと透明にしてもらわないきゃならないし、
経営陣にも賃金シェアをしてもらわなきゃならないし。。



2009年01月09日(金) 調整弁って。。

そりゃあ、そういう考えなんだろうとはとっくにわかってましたが。。

今朝の朝日の社説の一節。

「野党は、製造業への派遣を禁じる方向で動き出している。
 舛添厚労相も個人的な見解と断りつつ規制に前向きだ。
 経済界は反発する。
 繁閑に対応できる雇用の調整弁はほしい。
 賃金の低い国々と競うには、弾力性のある雇用が不可欠だ。
 急に規制強化をすれば、かえって雇用機会を減らす。
 そんな理屈だ」

これから規制強化すれば、失業者の雇用の機会は減るだろうし、
まだ働いている製造業の派遣労働者がどうなるのかという問題もある。
(50万人近くいるそうだ)
この点はよくわかるし、考えるべきところだ。

しかし、「雇用の調整弁」と今この状況下で口にできるのが恐ろしい。
この表現は経済界で現に使われている表現なのか、
経済界からの発言をまとめて社説の筆者が作った表現なのか
わからない。(社説の筆者を批判するわけではない)
いずれにしても、使い捨て品扱いであることを改めて知らされる。
こんな言葉(又は発言)が、人間に対して堂々と使われているわけだ。
何の罪悪感もなく、ごく自然に?
その使い捨てられた「調整弁」が今どんな生活をしているか、
これだけ報道されているにもかかわらず?

とにかく、堂々と口にされて正当化されているのが恐ろしい。



2009年01月07日(水) 虐殺めいて来ていませんか?

年明けてもイスラエルのガザへの空爆は続き、さらに地上戦へ。。
きょうは、3つの学校を攻撃したと聞いて、何てことだ! と。。

子どもたちが勉強しているところを攻撃したわけではないそうだけど、
民間人の避難所になっているところを攻撃したそうだ。
年末の空爆開始以来、民間人の死者は今回が最大だという。
安全を求めておおぜい集まっているところに攻撃したのだから。。

この学校は国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が
運営する学校だそうで、UNRWAはイスラエルに、
学校(つまり民間人の避難所)の所在地を伝えてあるという。
そこ(約20校)には攻撃しないでくれ、という意図なのだろう。

イスラエルは、学校からハマスが攻撃してきた、
民間人を盾にして攻撃している、とハマスを批判し、弁解している。
学校での死者の中にハマス戦闘員が2人いた、とも言っている。
しかし、UNRWAは、
「学校に戦闘員などいなかったし、校内からの攻撃もなかった」
と反論している。
現場にいた一市民も、
「ここには自宅を逃れてきた市民しかいない。
 なぜ攻撃されなければならないのか」
と怒鳴るように訴えたという報道もある。


それにしてもイスラエルの攻撃は、報復とか、攻撃阻止と言いながら、
極度の過剰攻撃ではないだろうか?
肩をぽんと叩かれて、ちょっと痛かったから、
相手を銃で蜂の巣にしてやった、くらいの報復に思われてならない。
きょうの学校攻撃に至っては、虐殺行為に近いのではないかと思う。
そして、その責任をすべてハマスになすりつけようとしている。

これがユダヤ教徒なのか?
ヒトラーの迫害を受けて世界中の同情を買い、
シンドラーや千畝さんの捨て身の援助で命を救われた人たちなのか?


湾岸戦争の時も、イラク攻撃の時も、テロとの闘いについても、
その他すべての国際紛争に関して、いつも思うのだが、
戦闘員同士の殺し合いは、まあしょうがないとしても、
(もちろん、そんなこともやめてほしいのだけれど、、)
闘わざる民間人の殺戮については、厳正に裁判して欲しいと思う。
戦争は異常状態だから、民間人が死んでもおかしくない、というのが
世間の常識なのかもしれないけれど、そんなのは絶対おかしい。
戦争という異常な行為を抑制するためにも、
善良なる民間人の殺戮に関しては、厳正に処罰してほしいものだ。

空爆開始からのガザ地区の死者は600人を越え、
そのうち、160人以上が子どもだと言う。。。
160人の子どもたちが、イスラエルに爆弾を撃ったんですか?
そんなわけないでしょ?
なぜ、子どもたちに報復して、それを正当化できるんでしょうか?



【追記】

書き忘れましたが、
NGOの診療車も爆撃されたそうです。
怪我人も病人も助けるな! という警告なんでしょうか?


【追記】

だって、正常な社会だったら、
誰から見ても死んだ方がいいような悪人が殺されても、
犯人は罰せられるんですよ。
死ぬ理由のまったくない人間を殺しても罰せられないなんて。。



2009年01月06日(火) 緊急対策はいつのことに?

国会が始まったが、なぜか首相が給付金にこだわり続けてるので、
なかなか埒があかない模様。。
給付金撤回すれば、かなり前進するはずなのに、
「生活支援に重要」と主張してこだわる根拠がよくわからない。

増え続けている失業者、、とりわけ、
食うのも寝るのも困っている人たちをこのままにしておくのか、
という問題を、首相が真剣に考えているとは思えない。
生活支援の給付金は彼らのような住所不定者には渡らない。
(選挙の投票用紙も渡らないわけだけれど、、)

昨夜のニュース番組で、補正予算を何とか3月末には、という目論見、
なんて、自民党の今後の予定を説明していたが、
その前に解散総選挙という選択肢もありうる、などとも言っていた。
何と悠長な、、?

憲法に「健康で文化的な最低限度の」生活の権利が記されているけれど
憲法にただ国民の権利が書かれているのでなく、
政治をする人の義務として書かれているのだよ。

生活に困ってる風を装って、生活保護を受けていながら
ベンツに乗っているような、そんな保護家庭が認められるような
杜撰な書類処理がまかり通るのもいけないことだが、
屋根の下で眠れず、食うこともできない人たちを放っておく、
なんてこともやっぱりいけない。

今回の大量失業者の種を蒔いて来たのは与党議員たちなのだが、
彼らは年末年始の間、何をして何を考えていたのだろうか?

何か、真剣味がないなぁ、、とずっと思ってたら、
「まじめに働こうとしている人たちなのか」と総務省政務官。。
発言の撤回はしたそうだけど、本音だという印象は消えない。
そりゃあ、中には、、、、、、かもしれないけれど、
(それは、仕事を失ってない人にも、政治家にもあり得る疑いだ)
ひとまとめにしてぼそっと言ってしまうところに怖い本性が見える。
「負け組は、自己責任。勝ちゃよかったんだよ」
というK首相的な精神をここにも感じさせられる。

きょう経団連の会長から、製造業の派遣法の見直しとか、
ついにワークシェアリングという一策がほのめかされたそうで、
これだけでも大きな進歩だと思うけれど、
どちらもこれから長い長い議論が必要なものだ。
今生命を保つことに難儀している人を救うものではない。



2009年01月05日(月) 注連縄

今朝、「初売り」の旗を運転台の横に2本立てて走るトラックが
3台連なって走って行くのを見た。
あー、まだこういうの守ってる会社もあるんだ。。

そういえば、2日にひとり買い物に出て、交差点の右折待ちの時に、
ふと、行き交う車の前面に次々注目。。。
注連縄をつけてる車って、なくなっちゃったんだなぁ、、と。
もっとも、私自身がこの四半世紀ほどの歴でつけたことないのだが。。
あのころはまだ、注連縄つけてない車は異端のような風潮だった。

子どものころは、玄関だけじゃなくて、台所にもトイレにも。。
もちろん、父は年末にしっかり車を洗って車にも必ずつけた。
いわゆる勉強部屋がもらえるようになってからは、その部屋にも。。

そんな親の下で少〜青年期を過ごしたにもかかわらず、
なぜこんなに不敬な大人になってしまったのか。。

玄関にだけは毎年注連縄を飾っているけれど、
数年前からリース状のものにしてしまった。
みかんも、寿の扇も、紙のひらひらも、、、何にもなし。
材料が藁でなかったら、クリスマス・リースと区別つかないかも。。

しかも、4〜5年使い回し、、(笑)
31日の夕方になって、おっと忘れてた、とあわててつけたりする。
これじゃ、神さまも、とても入る気が起こらないだろう。

今回はそれを新調して、31日の夕方暗くなってからつけたのだが、、

昨日、家族で出かけるときに、今年初めて外に出た妻が玄関を見て、
そして、即座に、叱られた!
リースがさかさまじゃないですか! と怒ってる。。

ん? ・・あ! よくよく見てみればさかさまですがな!((笑))

すぐに直してあげたけど、、、
さかさまのまま年を越し、3が日も過ぎ、、、
どうなるんでしょうねぇ、今年は、、?

おもしろいこといっぱい起きそうな、、?f^_^;



2009年01月04日(日) お先真っ暗??

めったに夢を見ない(または、夢を見た記憶がない)私だが、
今朝は確かに夢を見た。
もしこれが1年を占う初夢だとしたら、
富士・鷹・なすびどころか、とても悲惨なものだ(笑)

起きたときに覚えていたのはわずかこれだけ。。

車で、暗い道に曲がったら、車の前が真っ暗。。
ライトがついてない。
今まで無灯火で走ってたわけ?(汗)
手元のスイッチをカチカチ回してもつかない。
おーい、どうすんだよぉ、、、、、、

、、、、と思ってるうちに目が覚めた。

うーーん、、、3が日過ぎてるし、初夢じゃないことにしちゃお。



2009年01月03日(土) 「ハムナプトラ 2」を見た

昨夜、寝る前にちょっと何か見ようかなー、と思って、
気楽に楽しめそうな映画(DVD)で、まだ見てないのは、、、と、
ちょっと頭の中で検索して、、、そういえば、
「ハムナプトラ」の2作目をまだ見てないのを思い出した。

見終わって、おもしろかったー! の一語。
1作目よりも時間を忘れて見てたかも。。
終わったとき、もう2時間過ぎたなんてぜんぜん思えなかった。

1作目見たのいつだったかな? と、9月まで遡っても見つからず、
再び日記を探し直したら、なんと先月20日だった。
2週間も経ってないとは信じられない。
その間にほんとにいろいろなことがあったような気がする。。

今回のは1作目に比べて、ヒヤヒヤシーンが多かったと思うが、
制作者たちはやはり、登場人物を必要以上に追いつめないうちに、
いいタイミングで救いの手をさしのべるので、疲れない。

1作目は、らくだで向かう砂漠の風景が美しかったが、
今回は、なんと気球船、、での旅の光景が印象的。
1作目の序盤に、図書館の本棚のドミノ倒しなんて冗談があったが、
今回は、遺跡の石柱のドミノ倒しであの冗談を思い出させてくれた。
1作目の後結婚したらしいリックとエヴリンの坊やは、
7歳か8歳くらいだろうに、もう、すごい知識で大活躍。。。

何か、屈託のない展開、という感じで、
恐ろしげな秘儀的・魔術的な世界を扱いながら
何でもおもしろおかしく楽しめてしまうのがこの映画のいいところだ。



2009年01月02日(金) 「花見酒」の、、、経済学?

元旦の朝日新聞「私の視点」の、桂文珍の文章がおもしろかった。
特に、話の枕にした「花見酒」。


リーさんという男がコモかぶりの酒だるを仕入れ、
花見の席に1杯5銭で売りに行こうということになりました。
1人で担げないものですから、弟のマンさんに後ろを担いでもらいます。
担いでいるといいにおいがするし、
マンさんが「1杯飲みとうなった」と言い出します。
「そやけどこれ商売用やから」
「5銭はあんねん」
5銭もらって飲ませますと、うまそうに飲みます。
「わしも飲みとうなった」
「商売用やから金払ってもらわんと」
「ここにある」と、さっきもらった5銭をわたします。
「かー。うまそうやな。わし2杯目が飲みとうなったな」
同じ5銭をやったり取ったりしている間に酒がなくなっていきます。
「さぁ、出かけよう」
と持ち上げると、えらい軽くなっています。
花見の席に着いてみると、売る酒がありません。
「こんだけ売れたんやから、金があるだろう」
と見ると、金がありません。
「底に穴が開いていたに違いない」
「そこに気がつかなんだ!」


この虚しい5銭のやりとりに、金をあちこち動かして
儲けたり損したりしているらしいイメージを重ね合わせて
読んでいたらたいへんおもしろかったし、筆者も、
「欲だけでやり取りをしているうちに実体がなくなるというのは、
 世の中によくある話です」
と、この落語の話をさらりとまとめていて、わかりやすかったのだが、

後で、実際どういう営みがこれにあてはまるのか、
具体像を求めようとすると、経済音痴の私の頭ではさっぱりわからない。
それで、ちょっと検索かけてみたら、
「花見酒の経済学」というのは、一落語家が持ち出した説でなく、
何と、既に60年代に経済学者が言い出した説らしい。

http://www2.kumagaku.ac.jp/teacher/~sasayama/macroecon/ma...

ここで挙げられている典型的な例として、バブル経済をあげ、
また、銀行が自己資本を増強するために、融資先から金を集める、
という例も挙げられている。
(もうひとつあるようだけど、さっぱりわからない)

ふーん、、、わかるようなわからぬような。。。

なお、バブルは「花見酒の経済学」の例にはならん、という説もあった。
http://kerso.blog52.fc2.com/blog-entry-315.html

結局ますますよくわからなってやめてしまったのだが、
たまにはこんなことを読むのもおもしろいものだな、と思って。。。



2009年01月01日(木) 焼身供養の僧の話

明けましておめでとうございます。

元旦早々、焼身とは何ね!? と顰蹙買いそうですが、
崇高なる魂として描かれた実話ですので、、お許しを。。
少しだけでもまとめておかないと、次の作品に移れない気分で。。


ここ何年か、年末年始のこの休暇はゲームかDVDで過ごすことが
多かったのだけど、大晦日(雑用いっぱいの合間)からきょうまで、
宮内勝典「焼身」を読んでいた。

ベトナム戦争の話題のほんの素通り程度に、
路上で焼身自殺したお坊さんのことを聞いたことはあったけれど、
何かのついでに出てきた話題だったような気もするし、
聞いたことがあったような気がする程度に記憶の奥にしまわれていた。


宮内さんは、アメリカで不法滞在状態のホームレス寸前のころ、
公園に散乱している新聞の中に、燃え上がるベトナム僧の写真を見た。
彼はその僧をX師と呼んで、たまらなく「会いたく」思う。

彼自身が、バイクのスリップ事故で火だるまになった経験があるそうだ。
思わず狂ったように走り出し、
我に返ったときに燃えている服を脱いで消したが、
近くの病院で診てもらってる間に10日間ほど意識不明になり、
4ヶ月間寝たきりの病院生活だったという。

「だからX師の焼身自殺に揺さぶられたのだ。
 火だるまになった瞬間、私は我を失い、狂犬のように走り出していた。
 だがX師は燃え上がりながら、
 路上で蓮華座をくみ、泰然と座り続けていた。
 できることではない。
 身をもってそれを知っているから、愕き、畏怖したのだ。
 そして、いつかX師の足跡を追ってみたいと思うようになったのだ」

で、写真を見た時から39年後に、その旅を実現させた。


残念ながら本には1枚も写真が載せられていない。
この後、ベトナムやカンボジアの寺院をいくつも訪ねるのだが、
それらの写真も載せてほしかったなー、と思うのだが、1枚もない。

ネットで検索したら、この僧侶のことを書いた記事があった。
写真もそれで見ることができた、、、た、、確かに驚きである。
ふたりの仏教僧侶の死
1963年6月11日サイゴン街頭で僧侶焼身自殺

ネットの記事にも書いてあるが、彼の焼身は、
ベトナム戦争に抗議してではなく、政府の仏教弾圧に対してだった。
寺は封鎖され、僧侶たちが逮捕され拷問を受け、ある時は虐殺された。
X師=ディック・クアン・ドゥックは、仏教防衛連派委員会に
自ら「焼身供養の請願書」を提出した。

別の「心血の決意」という手記に、こう書かれている。
「仏教が滅亡していくのを座視しているわけにいかず、
 この身を燃やして、諸仏に供養し、
 もって仏教を保つ功徳を施すことを喜んで願います」
その後に、大統領に向けてのお願いと祈りが箇条書きに。。


宮内さんは、この焼身供養の様子を具体的に知るために、
あちこち訪ね、いろいろな人から話を聞くのだが、
それとともに、クアン・ドゥックはどういう人だったかを尋ねる。
焼身自殺した人に「会いたい」とはそういう意味だろう。
人間としてのクアン・ドゥック氏を知りたい、ということだ。

ところが、誰も具体的なようすを語らない。
言えないことがあるのか、言うべきことがないのか、わからない。
しかし、誰もが、こうしか言いようがない、とでも言うように、
一様にこう答えた。
「彼はブッダの生まれ変わりだった」

最後のニィエップ師だけはこうつけ加えた。
「彼は日常生活においては、まったく平凡な僧にすぎなかった。
 だが危機的状況において、彼は英雄になったのだ」


私にとっては、とても刺激的な元旦だった。


ちなみに、カンボジアの旅の章でポル・ポトに話が及ぶが、
私が今まで聞いてた以上のひどさが仄めかされているので、
ネットで検索してみたら、こんなにひどかったのか、と驚かされた。
ポル・ポトの大虐殺

これも、今まで関心薄く、漠然と居眠り同然だったのを、
いきなり揺すぶって起こされた感じである。


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