TENSEI塵語

2008年08月31日(日) 「ポニョの飛行」

海底の自宅(?)で、手足が生えて人間の姿になったポニョが、
宗介のもとへと、海上に躍り出、荒波の上を2本の足でひた走る。。

そのパックに流れている曲がおもしろい。
メロディーは「ポ〜ニョポニョ、、」の変奏なのだが、
音楽はほとんどまるっきりワーグナーの「ワルキューレの騎行」。
試しにまだ映画館に行けてない妻に、サントラ盤のそれを聞かせたら、
数秒も聞かないうちに「ワルキューレじゃん!」と言ったので、
「ワルキューレの騎行」さえ知ってれば、
誰でも同じ連想をするだろうと思われる。
(しかも、聞けば聞くほど、意識して似せてあるのがわかる)

久石さん、遊んでるな、とつい笑ってしまう。
(曲のタイトルが「飛行」となってるのも「騎行」のもじりかも)

「ワルキューレの騎行」を初めて聞いたとき誰もが、かっこいい!と
思うように、この曲もやはりかっこいい曲に仕上がっている。
だから、ワルキューレを知らずにこの映画を観る人は、
ひたすら宗介のもとへ向かうポニョの姿を見ながら、
勇壮な音楽を耳にしていることになる。
それは、ワルキューレを知っていても変わりないだろうが、
ひとたび、これは「ワルキューレの騎行」のパロディーだ、
久石さん遊んでるな、と思うと、
画面の懸命なポニョが、一層けなげで微笑ましく見えてくるのだ。

宮崎アニメの魅力のひとつに、遊び心というのもあると思うが、
音楽面でそれを感じさせられたのは初めてかもしれないなぁ。。


・・・あ、そうそう、そういえば、フジモトがポニョに
汚れた人間の世界に行ってはいけないと言い聞かせていたときに、
「ブリュンヒルデ」と呼ぶので、思わず笑ってしまったんだった。
ポニョの本名は、何とブリュンヒルデ。
ブリュンヒルデは、戦闘的な娘たち(ワルキューレ)の筆頭の娘の名前。。

久石さんがワルキューレの音楽を使ったからその名にしたのか、
宮崎さんの台本にその名があったから音楽でも遊んでみたのか、
偶然の一致なのか、相談する中でまとまったことなのか、
その辺の事情はまったくわからないけれど。。。




2008年08月29日(金) 妙に雷雨が多い

昨夜、激しい雷雨があった、、、しかも、2回も。。
2回ってのは反則だよ、君。
思いっきり暴れ回ったら、さっと引き上げる、、それが君たちの粋。
それなのに、その2回目のしつこいことといったら。。

昨夜はたまたま埼玉の叔父が、義父宛の書類を、
私宛のメールに添付して送ろうとしていたのだが、
入間もすごい雷雨で、送電が途切れかけたとも言っていた。
あちこちで激しい雷雨なんだな、と思った。
そのせいでサーバーにトラブルがあったのか、
叔父が送ってくれた4通のうち、肝心のは1時間遅れで届いた。

今朝は、世の中のことをまったく知らず、
のほほんと10時までぐーすか眠ってたのだが、
あちこちでたいへんな被害になってたようだ。
名古屋もかなり浸水があったそうだが、
三河、特に岡崎から豊橋あたりがたいへんだったらしい。
私も中学時代に何度か床下浸水にハラハラした経験があるので、
床上まで濁流に襲われる思いはどれほどのものか、
その恐ろしさやつらさ、悔しさは計り知れないものに思われてしまう。

・・・で、きょうもまた、昼ちょっと前から雷雨である。
きょうのは、雷は遠いようだったが、ひっきりなしに鳴っていた。
夕方4時ごろまでぐずぐずと続いていた。
あちこちで雷神さまが暴れている、その谷間だったのかも。。
こんなに降ると、長良川の増水が心配だなぁ、、と思って、
リハビリの行き帰りに橋の上から川を眺めてみたら、
ほとんど増水していないようだった。
上流の山間部ではそれほど雨が降ってないようだ。


郡上八幡で暮らしていた小学生のころを思い出すと、
この時期に、ほぼ連日のように夕方、
約束でもしているかのように夕立があったという印象が強い。
どんなに晴れていても、一転にわかにかき曇り、、、
川で泳いでた姿のまま、雨に打たれ、稲妻を眺めながら帰ったものだ。

近年、そんな夕立が少なくなったなぁ、と思っていたのだが、
雷雨の多い今年のは、そういうのとも雰囲気が違っている。

よもや、、北京で開会式の雨を阻止するために、
自然の気象に人為を加えたとかいう、あの影響ではあるまいな?
と、そんな疑いを抱いてみたり、
秋雨前線にしては早過ぎる時期に
秋雨前線みたいな前線の停滞で、空の上が混乱してるのかな?
とも思ってみたり、、、とにかくおかしな空模様である。



2008年08月28日(木) 「ポニョ」との幸福なひととき

もう映画館で上映してる間に観ることは無理だなと思っていたけど、
きょう、やるべき仕事が昼過ぎには片づいたので、
2時から休暇をもらって早退して、映画館に走った。

私の回りからはあまりいい評価は聞こえて来ていない。
「いまいち、、」「なんだかなぁ、、」等々。。
私自身、ほんの数秒ほどの予告編をTVで見て、
それほど興味をそそられていたわけでもなかった。
宮崎さんのアニメだけど、どうしようかな? って感じだった。

しかし、1カ月ほど前から市民バンドで、
主題歌と「フジモトのテーマ」で構成された曲を練習し始めた。
それから、つい最近サウンド・トラックを聴き、
某社のメドレー譜も採用して加えてみようかな、と思い始めた。
そんなことを考えていると、音楽の流れる場面も気になるし、
フジモトってどんな人物だ? なんてことも気になってしまう。。

要するに、できれば見ておきたい、と思うようになっただけで、
作品に対して、そう大きな期待を抱いていたわけではなかった。
とにかく「お子さま向け」のアニメらしいので。。


ところが、最初のタイトル画面に入る前の短いオープニング部分だけで
ポニョのかわいらしさに魅せられてしまった。
見ていて、思わず口元が綻んでしまうかわいらしさだ。
それに、もちろん美しい海の光景。

ソプラノ独唱が流れるオープニングタイトルの画面が、
とぼけたような絵なのもおもしろいし。。

・・そんな風に見始めた100分間だったが、
温かい関係に包まれた物語と、ポニョの仕草を楽しんでるうちに、
あっという間に過ぎてしまった。

悪いやつも憎たらしいやつも登場しない。
序盤でポニョを連れ戻そうとするフジモトだって悪役じゃない。
誰が1番悪いかといえば、好奇心から脱出して地上世界を見に行き、
人間の子どもになりたいと一途になるポニョが1番悪い!(笑)
そのために、海の秩序が破壊され、大荒れになり、
地上世界の多くを水没させてしまうわけだしね。。

でも、そのポニョが、何とも言えずかわゆい上に、けなげ。

子ども時代のロマンへともっとも引き戻してくれた場面は、
原初の海を、宗介とポニョがおもちゃのポンポン船で航海する場面。
何と楽しく、羨ましい場面であろうか。。
またこの場面ひとつ取ってみても、
ポンポン船の屋根に座っている女の子のポニョの姿勢といい、
その手には常に、最初に宗介に入れてもらった緑のバケツがあるとか、
本当にほのぼのとした子どもの姿を見せてくれてたり。。

まだいっぱいいろいろなことが浮かんできているのだが、
とりあえずきょうのところはここまで。。。



2008年08月27日(水) 左腕不随1カ月経過。。

今週に入ってやっと、元のように動くようになるかも、、という
希望の光を感じることができるようになった。
ほんの少しだけど、腕の角度によっては、
手首を上に(つまり、手の甲を上にして反らせる形)クイ、クイ、と
曲げることができるようになった。
指も、手の甲と水平なところまでは自力で上げられるようになった。
先週までは、まだびくともしなかったのに。。

一昨日、机の上に置いた指が、机の上を打てるのに気づいたのだ。
以前は、机の上に置いた指はまったく動きもしなかった。
それが、少し指を持ち上げて、ピアノの鍵盤を叩くように、
机の表面をトントンと叩けるのに気づいたのだった。

ひょっとしたら、PCのキーボード打てるかも、、!
と、PCに向かってみたけれど、それはそう甘くはなかった。
腕の角度の違いもあるみたいで、さっきほどは動かない。
それに、指の開きも不十分で、tを打ったつもりがrだったり、
tの次にaを打ったつもりがsだったり。。。
しかし、キーボードの上に左手を置くこともできなかったのだから、
かなりの進歩。。

きょうはもうかなり楽にキーボードの上に置くことができる。
実際、何行かは両手でキーボードを見ないで書いてみた。
一昨日から比べても、かなりの進歩が体感できている。
でも、左手の疲れが早い(1行の間に疲れる)ので、
大半は右手3本指打法だが、、(これも熟練したかも、、)

先週、急に涼しくなった日の夜中、かなり冷えて目を覚ますと、
冷えに耐えて力が入ってたのか、
手首をかなり内側に折って眠っていたらしいことに気がついた。
1カ月前のあの日から、左手に力が入ると手首が内側に深く曲がる、
というのが特徴になっている。
その翌日は、それまでささやかながら感じていた回復傾向が、
すべて御破算になってしまったようで、しかも手首に痛みがあった。

そのことをリハビリの担当の人に話すと、
いろいろな可能性を考えた末に、
テーピング用のテープを手の甲から腕にかけて貼ってくれた。
手の甲の側で引っぱって、内側に曲がるのを多少抑えるわけだ。

私はこれがとても気に入って、早速その帰りに薬局に寄って、
テーピング用のテープを買って、その後ずっと続けている。
ついでに、肘・腕用のサポーターを見つけ、
前々から言われていた腕の保温もちゃんとすることにした。
・・・もっと早くにこういうことに気づけばよかったなぁ。。。

今週に入ってからの左手の変化は、実際は少しずつだけれど、
今までの4週間に比べれば、めざましいほどの進歩である。
先週までは、多少のいい兆候が見られても、
元どおり動くようになるという希望がなかなか見えなかったけれど、
きょうになってやっと、そんな期待ができるようになった。



2008年08月26日(火) 猛暑を忘れて1週間

昨日もきょうも1日中曇りだった。
雨が降りかけて、雷神さまのお出ましかと思うこともあったが、
そういう波瀾もなく、雨もお漏らしていどでやんで、
とにかく中途半端な空模様。。

でも、このところ涼しくて、ありがたい。
1週間前まで暑さにうんざりしてたのに、豹変してしまった。
こんな時期に涼しく過ごせるなんて、実にありがたいことだ。
一昨年、この時期に北海道に行ったけれど、
北海道でさえ異例の暑い毎日だったそうで、日中の暑さに閉口した。
例年、もう秋じゃないのかよぉ! と文句言いたくなるころなのだが、
この1週間は、猛暑の日々が遠い記憶になりつつある。

9月はまた暑くなるんだろうな。。。
このまま秋が続いてくれるとは信じがたい。



2008年08月21日(木) 10月の風かな?

7月の初めからずっと暑い日が執拗に続いてたこの夏だが、
きょうは1日中、ひんやりした感の爽やかな風が吹いていた。
何かすごく懐かしいような感覚だった。
空気が澄んでるせいか、陽射しは強く、眩しい。。
陽射しさえ避けられれば、エアコンなど無駄に思われる涼しさ。
10月10日ごろにぴったりな陽気だった。

先日、台風が南海上に発生して、そのまま太平洋を東進したころから
猛暑からは解放されかけていた。
一昨日の午後、激しい雷雨があった。
地上の暑気を全部洗い流そうとしてるような、
実に気迫のこもった降りようだった。
翌日の昨日もきょうほどじゃないにしても、しのぎやすい1日だった。
でも、本当に涼しいと思わせる風はきょう吹いた。

明日はまた30°越えの蒸し暑さに戻るようだ。



2008年08月19日(火) 左腕不随3週間目

きょうは試しにベースギターに触ってみた。
人差し指から薬指までは押さえられないこともない。
おっ! っと喜んだけれど、なぜか小指が弦の上に上がって来ない。
その気になれば弦の上に載せることもできるけれど、力なし。。
他の指も、音が出る程度には押さえられるけれど、
十分には開かないし、演奏できるほどの圧力はない。

まだまだだけど、触る気にもなれなかったころに比べると、
いくらかは回復してるのだろう。


先週の木曜日から、リハビリは皆勤。
金曜と日曜は病院が休みだったので、自宅でエレパルスを使い、
運動療法でやってることを自分でやった。
薬を飲むのも、その日から完璧。
仕事に追われてさえいなければ、至って医者の指示に従順な方である。

それにしても、何でこんなに頑固なんだろうか、、?
手のひらを下に向けた状態で、手首を上に曲げたり、
指を上に持ち上げたりは、相変わらずびくともしない。
がんばって力を込めても、びくともしない。
また、左指を使って何か作業しようとすると(つまり力が必要だと)、
手首が不自然なほど内側に折れ曲がる。
こういう点は、3週間前とぜんぜん変わらない。。


でも、きょう夕食のときに、
茶碗を左手で持って口元に寄せているのに気づいて驚いた。
3、4日前まで、まだこんなことも不自然で危うかった。
今ちょっと試してみたら、
グラスの側面を持って口元に運ぶのはまだよろしくないが、
グラスの底を支えるように持てば動作が安定するようだ。

先週グーチョキパーができるようになったのだけれど、
先週は、強くグーで握った後で手のひらを広げるのは難儀だった。
今はそれくらいは難なくできるようになっている。
まだ親指だけは十分に開けないのが難点だけど。。

また、きょうのリハビリの時に気づいたけれど、
中指の痺れはほとんどなくなり、人差し指も上半分痺れが消えた。
もっとも、親指から、手の甲の中指までの領域は相変わらずだから、
わずかな進展としか言いようがない。



2008年08月18日(月) 観戦雑感メモ(その2)

それにしてもフェルプスくんのすごいことといったら。。
 (名前聞くたびに「スパイ大作戦」の指令テープの場面が浮かび、
  「スパイ大作戦」見たくなってしまうのは私だけ?)
きっちり予定どおり金メダル8つ。
疲れ知らず?
昨日だったか、ひとつだけきわどいのを見たけれど、
疲れだったのか、ペース配分を誤ったのか、そこまでは知らない。

ニュース記事を散策していたら、彼のある日の食事メニューが。。

 朝食:チーズ、生野菜、炒めたオニオン、マヨネーズなどを
    大量を挟み込んだエッグサンドイッチ3個、
    玉子5個を使って作った玉子焼き、
    コーンスープ、
    フランス風揚げパン3個、
    チョコレートを載せた焼き菓子3個。
 昼食:スパゲッティ500グラム、
    ハムとチーズを挟んだ大き目のサンドイッチ2個、
    1000キロカロリー分の栄養ドリンク。
 夕食:スパゲッティ500グラム、
    ピザ1枚、
    栄養ドリンク。

吐き気がしそうな量だ(笑)
でも、食べてスタミナをつけることの大切さも感じさせるなぁ。。


その8冠の中にリレーもあって、フェルプスくんたちは世界新記録で金、
という、もちろんこれも驚きのひとつだったけど、
日本チームの日本新記録で銅メダルの泳ぎにも惹きつけられてしまった。
単独平泳ぎだったら金メダルの北島くんが、
4人チームの一員として銅メダル獲得に興奮している姿、
(チームプレーだから当然といえば当然なんだけど、、)
いや、それ以上に、バタフライでフェルプスくんに引き離されないよう
必死について行った第3泳者の君、偉い!!


そういえば、こういう大会の中で、メダルには届かなくても、
自己記録や国内記録を更新するような力を発揮している姿、
それが貴重なんだよなー、といつも思う。
傍観者が勝手に目標を設定して大騒ぎすべきことではない。
出場するものにとっては、重圧と緊張との闘いでもあるのだ。
その上で、ぎりぎりの隙のない能力発揮がいかに困難なことか。。


きょう(と昨日)は、何といっても女子レスリング。
4人とも、アテネの時と同じメダルを獲得し、
アテネの時よりうんとさわやかな笑顔を見せてくれていた。
それぞれにいろいろとつらいことがあったらしい。


あれ? きょうはこの2つしか報道に接してない。
他には何やってたんだろう?



2008年08月17日(日) 母親の自害の場面

我が子の幸福を祈願しつつ育ててきた母親が、
子どもがまだそこにいる、という場で自ら命を断つものかなぁ、、?
という素朴な疑問からなかなか抜け出すことができない。

「マダム・バタフライ」も「ミス・サイゴン」も、
明治時代の日本女性、世界大戦後のベトナム女性という違いはあるが、
大筋での運命は共通している。

アメリカの軍人と結婚したものの、夫はすぐに単身帰国してしまい、
再会を待ちわびつつ、貧しい中で子を生み、育て、、、
ところが3年後にやっと再会できた時には、アメリカ人の妻が同伴で、
一緒には暮らせない、しかし子どもだけは引き取って育てる、となる。
蝶々さんもキムも、我が子の将来のために子どもを託す決心をし、
自らは死を選ぶ。

・・でも、我が子と別れる前に、
自ら命を絶って血を流す母の姿を見せようとするものかなぁ、、
という素朴な疑問にしばしばとらわれてしまうのだ。


何十回と繰り返し聴いていた「ミス・サイゴン」ロンドンオリジナル盤
のラストの音楽はこうなってた、、、
キムが最後に再び「I'd give my life for you」を歌う。
それから、静かな音楽が流れ、その音楽が高まると、
一転して「アメリカンドリーム」の陽気な音楽(約25秒)、、、
そこに突然の銃声、、、小刻みな音楽がクレシェンドされる中、
クリスがキムを呼ぶ声が聞こえ、、、という流れ。。。

私はそれを(歌詞&ト書きもろくに読まず)勝手にこう思い描いてた。
キムが最後の決意を歌った後、子どもをクリスたちに託し、
自らは祈りを捧げ、彼らは去り、、彼らが外に出て歓楽街を去るころに、
突然の銃声! クリスが思わず引き返す、、、と解釈し、
このラストのイメージがとても気に入っていた。

ところが、先日の公演のラストは、
「アメリカンドリーム」の挿入もなく、
エンジニアとクリス夫妻に子どもを託すと、
彼らがまだその場にいるうちに、キムがいきなり寝間に駆け込み、
カーテンの裏で発砲、、倒れ込みながら再び姿を現す、、というもの。
で、その場でクリスが駆け寄り、キムの名を呼んで、
束の間の会話、、フィナーレ。。。

おいおい、、(汗) うーん、、意表を衝かれたなぁ。。
でも、その前のキムの歌から感動してたので、
そのまま音楽の流れで感動を引きずったまま見終えたのだけれど。。


でもなぁ、、、、
何かこれ見よがしの自殺に見えるのは、私だけだろうか?
これが、何百回と上演を重ねて来た上でのベストの演出なんだろうか?

で、「蝶々夫人」を見るたびに思う最初の素朴な疑問に戻るわけだ。
「蝶々夫人」だと、子どもを外で遊ばせてる間に自害しようとしたら、
子どもが駆け寄って来たので、そこで感動のアリアを歌い、
その後、基本的には、子どもに目隠しをして傍に侍らせて自害、
ということになっているようだ。
そうまでして、子どもがまだ自分のところにいるうちに、
急いで死ななきゃいけないの? と思ってしまうのである。

どちらの作品も、そんな感じで何度も何度も上演され、
感動を与え続けてるわけだから、
私の素朴な疑問の方が一般的ではないのだろうけど。。。



2008年08月16日(土) 「ミス・サイゴン」のヘリコプター

余韻がまだ冷めてしまわないばかりか、
再び観に行きたくてしょうがなくなってるきょうこのごろ。。。
オペラと違って、まだ2カ月以上も続くロングランだから、
ついついそんな欲求が湧いてしまう。
もっとも、今さらいい席なんて取れっこないだろうし、
空席のある日と上京できるタイミングの一致は難しいだろうし。。

一昨年から去年の3月まで、吹奏楽版のメドレーを練習していたころ、
参考に手に入れていたロンドン・オリジナル・キャスト盤を
好んで繰り返し聴きながらも、対訳や解説をじっくり読んで、
曲の内容をしっかり理解するなんてことはさぼっていた。
ま、吹奏楽譜のスコアに書かれてることで解釈すればいい、
と思ってたし、とにかくメロディーに魅せられていたので。。。

不勉強なまま観に行ったので、
こんな場面の、こんな内容の歌だったの?!! と、
意表を衝かれ、戸惑うことも少なからずあった。
でも、それがかえって感動を高めてくれることになったのだが、
もしまた何年後かに公演があるとしたら、
今度はしっかり予習をして、余裕で観てみたいものだ。


さて、「ミス・サイゴン」といえば、ヘリコプター!
サイゴン陥落の日に、クリスとキムを離れ離れにさせた象徴的存在。
大事な場面なので、舞台にも実際ヘリコプターが登場する。
どんな風に????

この「どんな風に?」というのが、
この舞台を何としても観てみたい最大の理由だった。
吹奏楽版のメドレーのスコアには、この場面の音楽の時、
打楽器でヘリコプターの音を模するようになっているが、
適度なタイミングで大きくしたり小さくしたりの指示がある。
そのために、私はとてつもない舞台をイメージしてしまっていた。
ヘリコプターがゆっくり上下して飛びながら入ってきて、
クリスはヘリコプターから下がったはしごにつかまって去って行く。。
・・そんなことが舞台上でできるわけがない!!(笑)

実際のヘリコプターの登場は、それまで私が想像したことのない、
拍子抜けするほどあたりまえで無難なものだった。
正面向いてゆっくり下りてきて、米兵たちを乗せて上がって行く。
それを見ながらイメージの転換を迫られた私は、
あ、、、と呆気にとられたものの、むしろ、目から鱗って感じで、
そうだよね、こうだよね、と、すごくスッキリした!

ちなみに、これだけの演出のためでも、
初の公演に際して、帝国劇場の舞台の改築をしたそうだ。
ヘリコプター1台のために。。。
そしてまた、そのために、あちこちで公演するわけにも行かず、
名古屋公演など到底なさそう、、ということなのだろう。



2008年08月14日(木) 観戦雑感メモ

昨夜、ニュースを見ようとTVつけたら、
チャンネルは女子バレーでストップ。
もう見るからに(相対的に)おちびちゃんたちが、
大柄で逞しい選手のそろったポーランドチーム相手に
互角に戦ってるのが不思議、、、で、最後まで見てしまった。
互角どころか、見始めた2セット目も取って2セット先取だし。。
その後、3・4セット目はリードを覆せず取られてしまったけど、
やはり感心することしきり。。。
どう考えても、ネットの上に手が出る時間や高さが違うだろうになぁ。。
まさか、この驚きや感心を、最終セットで勝ちを決めて、
ますます驚かせ感心させてくれるとは思わなかった。

あまり積極的にこういう番組を見ないようにしてるのだけど、
見始めてしまうとついつい見続けてしまう。
見始めるときりがなくなるから、避けているとも言えるけど。。。

次いで、女子ソフトボールも見てしまった。
こちらはうって変わってみんなおちびちゃんに見える。
そういえば、高校生のソフトボール部の子たちも、
どちらかというとずんぐりした逞しい体型の子が多かったりする。。
みんな怖い表情でプレーしてる中で、
日本チームのピッチャーが楽しそうな表情で投げてるのが印象的だった。

打てないんだよなー、、あの球。。。
若かったころ、ソフトボールに参加して、
並のピッチャーのは打てても、グル・ピシってのは打てなかったし、
バッティングセンターでソフトボール仕様の球は
ほとんど打てなかったことを思い出す。

日本チームのバッターは、次々左に立つのにびっくり。。
1塁が近いから? だから、左バッターが選手の条件?
走り始めつつ打つ選手もいて、ますますびっくり。。。

フェンシングなんて今までめったに見せてくれなかったのに、
初のメダルということで珍しく何度も見せてもらえた。
でも、、、わからーん! どうなったらポイントなのか、わからん!
剣道でもわかりにくいのに、それ以上にわかりにくい。。。
それにしてもあの金メダリスト、
一目見た瞬間に、いかにもフェンシングの貴公子っていう風貌だった。


きょうは、病院の待合室で、平泳ぎの北島の2冠2連覇の映像。。。
すごいわなぁ、、、宣言どおりに実現しちゃうんだもんなぁ。。。
さらに世界新! までは実現しなかったけれど、
だから(からか? それだけではないと思うけれど)、
彼の口から「気持ちええ!」の名言は再び聞けなかったけれど、
こういう宣言どおりの実現の裏にどれほどの苦労があったかと思うと、
やはり胸が熱くなるものだ。。。


まだ他にもあったような気もするが、、、

収拾つかなくなるのを恐れて避けているんだけども、
そんな風に警戒しすぎると、感動のドラマを見落としそうだし。。
このあたり、なかなか悩ましいところだ。
いつも悩ましく思う点なんだけどね。。。
今夜、こんな時間になってしまったのも、
今夜もソフトボールの試合を見させられてしまったからだ。

ちなみに、グーグルのロゴが、
随時オリンピックにちなんで描き変えられているようで、おもしろい。



2008年08月13日(水) 「ミス・サイゴン」新たな感慨

パンフレットを読んで改めて知らされたのは、
サイゴン陥落は、私が大学に入学した75年の4月30日。。。
そのころの私がどんな風にそのニュースに接していたのか、
まったく覚えがない。
たぶん、新しい生活に浮かれ、新しい仲間関係にあたふたし、
世の中の動きにはかなり無頓着な毎日を送っていただろうし、
その後のベトナム戦争終結の報道も、
戦争が終わってよかったよかった程度にしか受け止めてなかったろう。
だから、大学時代に「ディア・ハンター」という映画を観た時、
主人公たちが捕虜になってロシアンルーレットに怯える場面に
代表されるような悲惨な戦争の場面には引き込まれても、
終盤の彼らの虚無的な姿には理解が及ばないところがあった。

戦争はそれ自体が悲惨な悪で、
国家のエゴで多くの生贄を正当化してしまうというだけでなく、
終わればめたしめでたしというわけでも決してなく、
さまざまな後遺症をもたらす。
それは、戦後60年以上経っても、
まだ戦時の諸問題を清算しきれてない日本社会を見ても明らかだ。

このミュージカルで強調されてたのは、
参戦した兵士のやりきれない思いと、
アメリカ兵とベトナム人女性との間に生まれた子どもの問題。
「ブイ・ドイ」という歌は、その置き去りにした子どもたちを、
「我々の罪の証だ」「彼らはみんな我らの子だ」と歌うが、
舞台では、この歌の時にビデオ映像を上映した。
難民キャンプに取り残された混血孤児たちの映像を。。。



2008年08月12日(火) 「ミス・サイゴン」に泣く

帝国劇場の「ミス・サイゴン」を観に行ってきた。
やっと見れたー! そして、こういう舞台だったのかー、、と、
感激することしきり。。。

3年前、2種類の吹奏楽版メドレーに惹かれ、
練習に入る前の研究にと、ロンドン・オリジナル・キャストのCDを
手に入れて、聞いてるうちにハマってしまったミュージカルだった。
聞き始めてから、ベトナム戦争版の「蝶々夫人」だと知った。

私が今までに夢中になったミュージカルは3つ。
高校時代に映画で観た「ラ・マンチャの男」がひとつ目で、
これは、帝国劇場と、名古屋の劇場で、2つの舞台を観た。
もちろん、CDも繰り返し聴き、映画も繰り返し見ている。
それから「オペラ座の怪人」。
サラ・ブライトマンのCDを完全コレクションしようと、
ロンドン・オリジナル・キャストのCDを手に入れて聴くうち、
サラ・ブライトマンの歌声とメロディーの美しさだけでなく、
オーケストラ部分の充実に感動し。。。
残念ながら、これは舞台を観てないけれど、映画は3度見た。

「ミス・サイゴン」は、それら以上に、
ただ聞いてるだけで泣ける曲が多い。。。



2008年08月10日(日) 妙に空いてた高速道路

土日だし、お盆前だし、高速道路で仕事に出るのは億劫だったが、
何と何と、昨日の夕方に会場の準備で往復した時も、
きょう大会の運営のために走った朝夕も、がらがらでスイスイ。
毎年この9日か10日に走ってるけど、こうだったかなぁ。。。

東海・北陸自動車道の一宮・木曽川インターから高速に上がって、
名神・東名に入り、豊田までの、わずか数十キロの行程だが、
ひどいときは、4カ所ほど自然渋滞でだらだら並ぶことがある。

先週の日曜夕方は、東海・北陸道から名神に入る所で30分以上渋滞。
火曜の朝は、名古屋インターから三好インターまで渋滞、
水曜の夕方は、豊田インターに入ってすぐに渋滞、、、
金曜にラジオを聞いてたら、翌日から始まる渋滞予想を言っていて、
えーー、あれ以上に混むのかよ! と憂鬱になったのだった。

疲れた身には、予想外にありがたいがらがらぶりだった。
噂では、今混んでるのは、国外脱出のための空港だと言う。
こんな所をちまちま移動してる人は少ないんだろうと。。。

でも、帰りにスイスイ走りながら、
一宮ジャンクションの反対車線が渋滞してるのを見た。
先週の日曜の夕方に私が悩まされたところだ。
避暑的な行楽はやはりこの土日も盛況だったんだろうかな?



2008年08月04日(月) リハビリが始まったけど。。

1週間ぶりに、病院に行った。
日赤で書いてもらった返事の所見を持って。。

とりあえず、電気治療(?)と運動治療(?)が始まった。
パッドを2つつけて、ピリピリピクピク刺激するやつである。
指が自然と上に上がってしまうから、びっくり。。
それから、マッサージもしながら、動かない方に動かそうとする訓練。

やっと病院に行けたけど、日曜の決勝大会まではなかなか通えそうにない。



2008年08月03日(日) さんざんな、、、

明後日からのコンクール県大会の運営のためのさまざまな準備を
やっと終えて、その物品を車に積み込んで、
会場準備のために(明日は月曜で休館日のため)豊田に向かった。
ちょっと時間が食い込んで、のんびり走ったら遅刻かも、という時間。

ところが、今まで渋滞など経験したことのない東海・北陸道で渋滞。。
左車線だけほとんど進めぬほどの渋滞である。
名神高速と合流する一宮ジャンクションの東京方面が混んでるらしい。
それにしても、こんなに長くしつこい渋滞は今まで経験してない。
そういえば、この東海・北陸道、先日、北陸までつながったのだった。
行楽客がますます増えたのに違いない。。。

君たち遊びの帰り、私、急ぎの仕事、、、
遊び客用車線と仕事用車線と、分けてくれんかなぁ。。。

私が到着しないと、舞台の設営も、録音・録画業者の準備も
始めることができないと聞いている。
会館に電話しようと思ったが、電話番号が載っている物は
後ろの方の荷物の中に入れてしまったので取れない。。
こんな事態予測不能だもんねー。。。

やっと、他の役員に電話して会館に連絡してもらうことを思いつき、
発信し始めたら、、、充電切れ。。。
うーん、、、迂闊、、、万事休す。。。
ケータイの充電切れで困ったことも、今までなかったことだ。

結局、名神・東名は空いてたので、ちょっと急いで40分の遅刻。。。
幸い、準備だけは始めててもらえた。


やっと帰らせてもらえたのが、9時20分ごろ。
家に着くのは11時ちょい前だなぁ、、と、帰路を急ぐが、
まず近所のコンビニに寄って空腹を補おうとして、、、
ケータイを楽屋に忘れて来たことに気がついた!
楽屋で充電しながら、3つほどの電話をしてたのだった。。

大急ぎで会館に戻ったら、事務所のシャッターを下ろしてるところ。
何とか、楽屋を開けてもらえて、ケータイを持ち帰ることができた。
明日は大会前日だが、前日にいろいろ問い合わせがあるものなのだ。
ケータイの所持に関する、こんなきわどい思いをしたのも初めて。。

高速を走ってる途中で、給油警告ランプが灯いた。
あ〜あ、、、、とにかくそのまま帰宅した。
明日は出勤前に、まずGSに寄って給油しなければ。。。
こんなことも初めて。。。



2008年08月02日(土) 左腕不随から1週間

あの、底知れぬ不安に取り憑かれた日曜日から1週間。。
翌日の診察で、結局笑い話のようなところに落ち着いたものの、
(つまりは、首の寝違えじゃないけれど、腕の寝違えみたいなもので、
 脳の中でトラブルが発生してるわけでもないし、
 頸椎の障害でもなかった、というありがたい診断)
しかし、首の寝違えなら、日に日に回復が実感できるものだけれど、
この腕の寝違えなるものは、快復の兆しも感じさせない。
ずっと不自由なままである。

その基本形。
左手の手のひらを上に向けてる時は、手首を上下に曲げたりできる。
しかし、手のひらを下に向けると、手首はもうぜんぜん動かない。
垂れ下がるばかり、、、幽霊の手だ。
グーやチョキは何とかできても力なく、パーはムリ。
その指は動かせないわけじゃないので、
物を持ったりつまんだりはできるし、右手の作業の補助もできる。
しかし、あまり熱心に働かせると、
自然とますます手首が内側に折れて行くので、疲れる(少々痛む)。


きょう、市吹の練習日で、指揮だからいいやと思ってたら、
左手で譜面をめくるのに難儀をした。

診察の翌日にはたと気づいて困ったのは、
しばらく楽器が弾けない、という事実だった。
たぶん、この状態で何とか演奏できるとしたら、
チューバかユーフォニウムのように、
左腕で楽器を抱えるようにして右手の指を駆使するタイプだけだろう。
ホルンも可能かもしれないが、トランペットやトロンボーンだと、
左手で楽器を支えることさえできないだろう。
その他の、両手を使うのがあたりまえの楽器だと論外である。

PCのキーボードに左手を置けないのも困りものだ。
置こうとすると、手首がかなり高いところにとどまって、
そこからだらりと下がった指先がキーボードに触れる状態。。。
手首を下ろして、普通の形にしてやると、指がぜんぜん動かない。
だから、右手だけでキーボードを押すしかない。
かなり仕事の妨げにもなっている。。。

受話器やケータイを左の耳に当てるのもかなり難儀である。
右手でケータイを操作するなんて、今までほとんど経験なかったのに。



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