TENSEI塵語

2005年04月24日(日) 自分の時間は?

朝、坊ずの通信制のスクーリングの学校まで送って行った。
いったん帰ってから、今度はK高校に行った。
GWにこの学校が県下の吹奏楽名門校とともに演奏会を行う。
その時に、昨年櫛田氏が混成バンドのために書いた曲を演奏する。
そこで、私が去年作った鉄板3枚の打楽器を貸して欲しいと頼まれ、
ついでに、去年の練習の中でわかったことを生徒に助言してほしいと言う。
それで、楽器を運び、ついでに合奏練習しながら、
去年の練習の時のエピソードをいくつか話してきたのである。
その後、その顧問の先生と昼食をとって、
帰りに3日分くらいの食料を買い込んで帰った。

夕方は妻に頼まれて、学級目標の掲示物をPCで作らされた。
注文どおりになるまでにかなり時間がかかる。
しかし、妻も、休日は学校には行かないが、参観授業や家庭訪問を前にして
準備に大忙しである。

こんな風に休日もバタバタ走って過ごしていても、
車の中でサラちゃんの歌声を聴いていると癒される。
飽きるほど繰り返し聞いてるはずなのに、不意に新たな感動に襲われる。

きょうは、自分以外の人のためにあちこちしたような1日だったが、
ほんの30分ほど、この1ヶ月ほどの念願を果たすことができた。
この1年余の大工事の末、長良川右岸の道路が遊歩道になったらしい。
鵜飼見物や花火見物だけでなく、よく散歩していた道である。
以前はこの狭い一方通行の道を車がひっきりなしに走っていて、
落ち着かなかった。
その車が通らなくなった上に、落ち着いた雰囲気に改修された道を、
30分ほどぶらぶらと歩いた。
私は川の流れを眺めるのが好きである。
方丈記みたいなことを考えなくても、好きである。
長いことできないでいたことができて、至極貴重な時間が過ごせた気がする。
こんな時間が持てたのも、昨日の午前中に仕事をやってきたおかげである。
そうしなければこういう時間が持てないと思うと、口惜しくもあるが。。。



2005年04月23日(土) 仕事と総会はしご

午前中は出校して来週の授業と補習の準備をした。
月曜日に空き時間がほとんどないので、印刷までしておかなければならない。
提出物のチェックも今のうちに済ませておかなければならない。

昼から名古屋に出て、高校吹連の県総会に続いて、県吹連の総会に出た。
ずっと以前はこういうのは出ないでさぼっていたし、それでよかったのだが、
最近は役員という立場なので、よほどのことがないと休めない。

それからそのまま市吹に行き、ここでも総会である。
練習は40分間、それから楽器等を片づけて、総会に入る。
これで、先週の火曜日以来、5つ目の総会が終わった。
(昨日の学校でのPTA総会は除いて、である。出てないから、、)
来週の火曜日にもうひとつ出なければならない。。。

総会なんて儀式みたいなもんで、嫌いなんだけどな。。。
最近はもう、形式を整える義務みたいなもんで諦めて出るには出るけれど、
ほとんど真剣に聞かずにぼんやり考え事をしている。
くつろいで心身を休める時間になっていると言ってもいいのかもしれない。



2005年04月19日(火) 昨日の続き

とにかく、あんなメールが日に10通以上も届くのである。
全部削除する、、、それだけでもめんどうな日課だ。
最初のころは単なるお知らせ的なものが1、2通来るぐらいだったが、
だんだん過激になり、昨日例に挙げたような、メールの返信を装ったものや、
会員登録ありがとうみたいなものが増えた。
何のこっちゃい? と返信したりサイトにアクセスしたりすれば、
いつぞやのアダルトサイトみたいに、いきなり、
何もかもわかってるぞ、会費○十万円振り込め、
振り込まないと家にも職場にも取りに行くぞ、みたいなことになるのだろう。

いくつかの迷惑メールには、配信停止用のアドレスやサイトが書いてある。
これもまたくせものである。
多くの配信停止HPアドレスはアクセスできないし、
メールアドレスに配信不要メールを送っても、送信失敗の返信が来る。
配信停止の手続きがちゃんとできる場合もある。
しかし、決してこの種のメールが減りはしない。
いや、むしろ、この配信停止の手続きによって、増えているのではないか?
この手続きが、「メールありがとう」「会員登録完了」になってるのでは?
要するに、何もかもがウソなのにちがいない。

そう気づいてから、ひたすら削除に切り換えたのだが、もう遅いのだ。
いったんこれらを断ち切るには、メールアドレスを変えるしかないが、
変更届をしなければならないところがいくつもあってたいへんだ。

我々の感覚では計り知れないような、人の迷惑を顧みない人種が、
世の中にはいくらでもいるのだ。
ま、そう大した被害ではないんだけれども。。。



2005年04月18日(月) 迷惑メール

帰宅後メールチェックすると、20〜40通のメールを受信する。
友人・知人からのメールも僅かに含まれているが、
楽天の諸ショップからのメールがかなり多い。
役に立たないものが多くてほとんど見ず仕舞いだが、
この中で時にはヒット商品も見つかるからこれらは迷惑メールとは言わない。
いずれにしても、これらのショップは、私自身が、購入とか懸賞応募とか、
何らかの形で自ら関わりを持ったのだから、文句は言わない。
配信停止手続きを取れば解放されるはずだし。。。

迷惑メールというのは、例えばこういうものである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【受信メール1件】届きました。

『名前』:美奈子
『年齢』:29歳
『職業』:OL
『年収』:800万円
『写真』:あり
『一言』:土、日曜日のどちらか一日でもいいので会う事できますか?
     援助しますので一日デートしてくれませんか?
☆こちらから無料返信☆
http://cutybee.hosting-geomax.jp/secret.php?pr=ext458
※現在、美奈子さんからの指名メールは貴方様への一通のみとなっております。
☆yahooアドレスなどフリーメールアドレスからでも登録できます☆
☆逆指名ですのでお早めにお返事お願いします。
拒否の方
esn05216@fa.endless.ne.jp
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「届きました」とは何事であろうか???
こんなのもある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
届いた?

ごめーん 生理きたから逢えないー
また今度の機会でもぃぃ?

maki
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

また、こんなのもある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「セックスレスに悩む人妻サークル」メールマガジンへのご登録ありがとうございました。
代表 斉藤美穂から男性の皆様へ募集のお知らせです。

はじめまして。斉藤 美穂と申します。
SEXレスに悩む人妻サークルの主催をしております。
現在、おかげ様で全国各地に847名の人妻の方にご登録頂いております。
今回、SEXレスの彼女達のお相手をしていただく男性のお客様を募集致しております。

※18歳以上のお客様であればとくに年齢制限等はございません。
ただし、プライバシーを守ることができ、且つ割り切った関係を保つことのできる方のみご利用下さい。

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    >>>>> 特別にスポンサーとなり配信しております。 <<<<<
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※入会金や紹介料料金のお問い合わせが多数まいりますが、ビジターの男性の方は、当サークルから一切の請求はございません。当サークルは、女性会員及び、設立時からの数名の男性会員からの会費のみで運営しております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あたかも、前々からメール攻勢があったような口振りである。

しかし、ホントに迷惑なのはそんな次元ではない。
これについては明日だ。



2005年04月17日(日) 土日出勤

昨日もきょうも昼過ぎまで学校に出て、たまった仕事を片づけ、
明日以降3、4日分くらいの準備をした。
こうでもしないととうてい追っつかないという状況は何年ぶりだろうか?
とにかく、空き時間が少なすぎるのだ。

昨日は教頭はじめ数人が出てきて仕事をしていたが、きょうはひとりである。
3日前から警備システムが変わったので、昨日鍵を借りるときに、
どうやって警備を解除して入るのかを教わっておいた。
それは、今まで十数年馴染んできた、解除してから入るというのでなく、
開けて入って警報がピーピー鳴る中で、一定時間内に解除するという
かえって旧式に戻ったのではないかという方式だったので、些か緊張した。

土日出勤はくやしいけれど、広々とした空間で、当面の〆切からは解放され、
余裕をもって悩ましいお荷物をひとつひとつ片づけていくのは快感でもある。

夜、安心感のためか、宵寝してしまった。
ふと目が覚めたら、夜中の1時半。
どこでどうやって寝たのか、まったく記憶がない。
気づいたらベッドに横たわっており、なぜそこにいるのかはわからない。
記憶を辿ろうとしても、不可解で混乱するばかりだ。



2005年04月15日(金) 近所の火事

昨夜は8時半ごろにどうにも我慢できずに眠ってしまった。
起きたのが午前0時半だ。
これなら夜明けまで眠りたいとも思って寝続けようとしたが、眠れない。
しょうがないから起きて仕事したり風呂に入ったりした。
再び寝たのが3時半、、、ちゃんと起きられるか不安だったけれど、
それから3時間後にわりとすっきり目覚めて、出勤できた。

出勤していきなり聞かされたのが、I氏宅の火事だ。
昨夜火事に遭ったのできょうは休むと電話があったそうである。
I氏は前任校でも2年間一緒だったし、今もまた同僚なわけだが、
それだけでなく、家が近所なのである。
おそらく3〜400mの距離である。

校長と教頭がさっそく火事見舞いに行くというので、地図を書いてやった。
それにしても、昨夜サイレンをまったく聞いていないし、
昨夜起きたときにも、家族が騒いでいたような気配もない。
あのあたりに消防車が来れば、かなりの音でサイレンが聞こえるはずだが?
火事見舞いに行って情報を得て帰った教頭に聞いてみると、
火事は昨夜0時ちょっと前だったらしいと言う。
私が宵寝をしていた時間である。
帰宅後、坊ずに尋ねてみると、確かにそのころサイレンが聞こえたと言う。
「サイレンが聞こえたけど、すぐにやんだ}
そりゃそうだ、消防署からI氏宅までもほんの300mくらいなのだから。

それにしても、サイレンの音にも気づかず眠っていたとは。。。
さすが、夜泣き知らず(子どもが泣いても起きない)の異名を妻から授かり、
恨み言を言われるだけのことはある。特技の域に達しているかもしれない。

もし昨夜起きていたら、、、私は3階の窓から外を眺めたに違いない。
高校時代に隣の家が燃えた時の恐怖感がいまだに消えないでいるので、
近所でないことを祈りつつ確認するのが習性になっている。
そして、火の見えるあたりを見て、驚いて出かけたに違いない。
I氏宅であるとは信じなかったに違いないが、念のため見に行ったはずだ。

きょうは、午前中は授業と会議で詰まっていたし、午後は出張で遅くなった。
帰りにI氏宅の見える道を通ってようすを見たら、
青いビニールシートを一部にかぶせてあったけれど、
家の大半は残っているようで、ちょっと安心した。
教頭は半焼とか言っていたが、半焼と言うほどでもないようだ。
あの部分は物置か何かに使っている部分ではないだろうか?
彼の家の玄関はその脇をずんずん入って行った奥の2階建て部分である。
もしもあの平屋部分だけが焼けたのだとしたら、出火原因が謎だ。
放火の疑いが濃くなるのではないかと思う。

ま、しかし、よく話を聞いてみなければ何とも言えない。



2005年04月12日(火) 昨日の続き

そもそも、教員評価制度なるものの話題が出始めたころから、
誰がどう評価するんだ、評価する資格のあるやつはいったいどこにいるんだ、
いったい何を基準に評価するんだ、どんな面をどのように見て評価するんだ、
いつ、どうやって、そのようなつぶさな観察を一人一人についてできるんだ、
目立たぬ労苦をやめて、派手なパフォーマンスや宣伝に努める教員が
増えるだけではないのか、、、等々、批判的な疑問ばかりであった。

昨日出た試行案は、立派な冊子として製本されたものだ。
かなり入念な配慮で作られた自信作のようである。
その方法の基本は、個々の教員が、目標を自己申告しておき、
その達成度について自己評価して提出後、校長が最終評価するというものだ。
その過程には、校長面談や、教頭の途中評価、教員の中間報告などもある。
書き方の例や、特に評価の基準例など、さまざまに例示されている。

あーなるほど、この手できたか、と一面では感心した。
こんな案が出るとは夢にも思っていなかったからだが、
学校評価制度と関連づけてみれば、当然出てくる短絡的方策ではないか!
学校評価制度の試行は、目標についてそれが達成されたかどうかを、
アンケートによる数値を羅列するだけで終わってしまった。
私はそれを、ひとつの実態調査的な意味は認めはするけれど、
学校全体の教育活動を評価するという点では実に皮相だと思った。
しかし、そういう点での反省がなされないまま、
この4月から県下の全ての高校で、モデルのひとつになっていると知って、
恐ろしい思いがした。

今回の教員評価で目標設定は2つだということである。
たとえば、担任としてはこうで、分掌としてはこう、という風に。。。
目標設定自体には文句を言うつもりはない。
ほとんどの教員は、担任になれば、こういうことをしてこうなって欲しいと、
書かないにしても、ちゃんと目標を持つものだし、
授業についても、分掌についても、部活についてもそうである。
そんなことをいちいち書いて提出させて校長らに評価させようなどいう、、、
俺たちは小学生か!! とまずこの扱いに腹立たしさを覚える。
まるで、小・中学校の総合学習みたいな扱いである。

そして、そんなことで教員の教育活動を評価するらしいのだけれど、
目標達成なんてのは、日々の教育活動の1割程度だと考えていいだろう。
むしろ、そんなたった2項目の目標とは関わりのない突発的できごとに
その都度対処していくのが我々の仕事なのだ。
ひとりひとりの生徒にちゃんと目を向ければ、
総括的な目標なんてものはどうでもよくなるのが当然である。
2項目の目標達成にがんばりすぎるあまり、個々の生徒を見る目が
おろそかになり、目標以外の仕事が、校長には気づかれぬ範囲でおろそかに
なるとしたら、この制度は大失敗になるはずだが、
最初はよくても、何年かこういう制度が続く中では最悪の状況が訪れるに違いない。

こういう方策を、我々の上司たちは、企業に学んだのだ。
商品を売って利潤を上げる厳しさの中で格闘する企業に学んだのだ。
現場を忘れた事務屋の彼らには、そういう断行が自慢かもしれないが、
現場にいる我々にとって、我々の仕事の対象は商品ではないのだ。
彼らは、生徒たちを、大学や企業に送り込む商品と思っているかもしれない。
また、生徒の親たちを授業料を払ってくれる商品と思っているかもしれない。
けれども、我々の仕事の対象は、生徒の心なのである。
そして、その心に対し、口車に乗せて商品を買わせるような、
そんな安易な心情操作を施すわけにもいかないのである。
だから、我々の現場にもっともそぐわない制度を、
我々の上司たちは導入したいと躍起になっており、
それがまた、彼らの自慢のタネになっていこうとしているわけである。
実に恥ずかしい話である。



2005年04月11日(月) 教員評価制度

去年の今ごろの塵語を読み返してみたら、人質問題に終始している。
毎晩TVにかじりつき、その動向をハラハラしながら見つめていたわけだ。
そんな中で冬ソナに出会い、ドラマに夢中にもなっている。
去年は余裕があったんだなぁ、と、改めて感心してしまう。
今年はとてもそんな気になれない。
きょうなんかでも、勤務時間9時間弱(休憩時間は休憩にならん)のうち、
空き時間は1時間弱で、雑用に追われて終わってしまっている。

昼からの2時間の会議が痛い。
図書主任を引き受け、校務委員に加わったがための会議である。
図書主任自体は気に入った役職だが、こういうのがイヤでためらったのだ。

その会議の最後に、教員評価制度試行の要項が出た。
学校評価制度に続いて、こちらの方でも実験校に指定されたのだそうだ。
学校評価制度についt、こういうのは学校という施設にそぐわないのでは
ないかと痛感する意見を聞いてもらえる場はまったくないままに、
ひとつの模範として各校に配布され、お手本になってしまっているようだ。

さて、きょう出てきた県教委の教員評価制度マニュアルだが、
よく考えたもんだと感心する部分が1割程度で、
アホ!となじりたい部分が9割ほどである。

しかし、もう眠い、また後日に。。。



2005年04月10日(日) 人間より土地が大事?

冬ソナに始まる文化交流で、せっかく日韓関係が友好的になってきたのに、
竹島問題が台無しにしてしまっているようだ。
庶民レベルで築いてきた関係を、政治家がぶち壊したようなものである。

竹島というのがどういう島なのか、数日前にサイトを回って読んでみたが、
特に軍事上の要所というわけではないらしい。
漁業という点ではちょっと重要な拠点になるようだ。
所有権については、複雑な歴史があるようだ。
もともとは韓国の島だったらしいが、移住禁止にして無人になった、
そこへ、江戸時代から日本人が渡るようになり、
1905年には明治政府によって、島根県に編入された、、、とあった。
その時「国際法的にも日本の領土になった」と書いてあるのだが、
それについては何故なのかよくわからない。

さらに、
「しかし日本の敗戦後、GHQは竹島を沖縄や小笠原諸島と同様に、
 日本の行政権から外した。
 これを口実に1952年1月18日、
 李承晩(イ・スンマン)韓国初代大統領は海洋主権の宣言ライン、
 いわゆる「李承晩ライン」を設け、
 韓国は竹島周辺海域の水産資源を得る事になる。
 これが日韓の竹島問題の始まりである」

こういう経緯の曖昧な領土問題は、簡単には解決しないだろう。
ど素人の私から見ると、土地はあげるから漁業はやらせて、で、
シャンシャンと手を打つこともできそうな気がするのだが。。。
そんな簡単なもんじゃないのだろうけれど、
俺たちのだ、プイッ、に終始するのも、子どもの喧嘩にすぎないではないか。
まだ私の素人っぽい考えの方が大人なんじゃないの?
そして、解決の方法を探る努力もそんなにしているとは思われないのに、
対立を煽るように教科書に載せたりするもんだから、ますます険悪である。

こういう国同士のもめごとに対し、話し合いで平和的に解決する努力をする
のが、日本の憲法の理念である。
だから、日本の平和憲法は普遍的でどの国もこうであって欲しいと願うのだ。
ところが、日本の首相は、こういう理念を軽視しているか、
邪魔くさく思っているらしくて、すぐに子どもの喧嘩レベルに入る。
中国との関係についてもそうだ。
わざわざ靖国参拝して反日感情を煽り、内政干渉するなと凄んだりする。
そして、結局今は、国連の常任理事国入りしたいのに、中国の猛反対を受けている。

庶民が、隣国の韓国や中国と仲良くしたがって、言葉も覚えようとしている。
私自身も韓国語の勉強を始めている。
政治家だったら、こういう風潮をさらに発展させて、
真の友好関係を築くべきである。
ところが、そういう交流を台無しにしているのが、政治家である。
向こうの政治家も悪いが、日本国憲法下の政治家はもっと悪い。
常任理事国入りなんて、資格はまだまだ乏しいから、
もっともっと修行を積んでからにしなさい。
ずっと昔に、ケツまくって脱退したころとあまり変わってない。

お隣さんと仲良く暮らすことが、社会生活の基本ではないのか?
庶民はそうだけど国際問題は違うよ、と言われるかもしれないけど、
私はそうは思わない、やはり、お隣さんとまず仲良くしなければ。。。
ど素人の考えかもしれないけど、社会生活の常識だ。
お隣さんと反目し合っていて、平和な生活があるわけがない。



2005年04月09日(土) 苛々イライラ、、、

市吹の団員に頼まれた、結婚式用の木管五重奏の編曲を、
先週途中までやったけれど、その後ずっとできないでいた。
きょう、とりあえず、最後まで五線譜を埋めてみた。
あまり充実感がない。
他にもやることがいくつもあって、余分なやっつけ仕事に時間を費やした、
そんな印象である。
こんな時いつも思うのだが、1日24時間というのは短すぎるのだ。



2005年04月08日(金) 始動第1日

試験監督2時間、授業2時間、第1日としては、これだけでも疲れる。
空き時間には、さまざまな事柄の準備に追われる。
放課後はまず吹奏楽部経験者の新入生への説明会。
今年初めての、生徒会部の企画で、こちらも要領をえないので気を遣った。それから、新しく図書部員になった先生と、
図書館オリエンテーションや図書委員会運営の打ち合わせ。
その他の細々した雑務もきりがない。。。
5時15分ごろ、ようやく学校を出て、帰宅して歓送迎会の会場に向かった。
30分遅刻で歓送迎会に加わった。ビリだったようだ。

疲れていたけれど、2次会にも出た。
鷹揚な人柄で、生徒相手でも、職員会議でも、いつも飄々としている先生が、
今年1年生の担任になって、疲れてずっと眠っていた。
この2、3日は本当にたいへんなのだと、その姿を見て痛感した。

転勤して他校に行くことになった教頭が私の隣に座って言う。
「先生が中心になってやってってもらわないといけないよ」
冗談だろうと思った。だから、「え?? なんで??」ととぼけた。
私は、校長・教頭にとって困りもののはずである。
職員会議で、提案に対する致命的な点を衝いて、数回意見を言っている。
先日、校長からも、
「図書主任はお願いするけど、校務委員会ではお手柔らかに頼むよ」
と釘をさされたばかりである。(お手柔らかにするつもりはないけど)
こんなのを主任にして、後悔しても知らねぇぞ、と思ったものだが、
向こうから見れば、野党を取り込めば後が楽ということもあるかもしれない。
現にこの2年間、校長と直に議論して、そういう考えならやむをえない、と
判断したことについては、その後異論を唱えてない。
だから、校長がそこを見込んでか、前任校での私の仕事を見込んでか、
打診に打診を加えて私を校務委員に加えたのだが、
その転勤していく教頭は、それをあまり快く思っていないと思っていたのだ。

ところが、彼は、2度目に私の隣に座ったときに、同じ言葉を繰り返した。
さすがに今度は問いたださざるをえなかった。
そのグタグタした返答をまとめてみると、こういうことになるようだ。
今の校務委員会は、議論が尽くされているとは言えない。
肝心な問題になると、皆自分の分掌の枠に籠もってしまって、
校長対当事者の、1対1のやりとりに終始してしまう。
全体的な視野で議論を引っ張っていく人間が必要だ、と。。。

うーーん、、、それで私とは、ちょっと買いかぶってるような気もするが、
ま、できる限りがんばってみましょ。



2005年04月07日(木) 忙しい、、、

担任を外れたことで、その気楽さや解放された時間もあるのだが、
やはり主任というのは、担任とは違った意味で忙しい。
もっとも閑職であるはずの図書主任でさえ、なかなか忙しいものである。
きょうは、午前中は新転任着任式・始業式・新入生在校生対面式と、
それに付随する講話だとか服装指導だとかクラス写真撮影だとか、
いろいろな催しのために、腰が痛くなるほど立ちっぱなしだった。
午後は膨大なテストの印刷はもちろんのこと、
選出された図書委員のまとめ、来週早々の図書委員会の準備、
新入生図書館オリエンテーションの準備に、副担用に回ってきた仕事もあり、
帰るのが6時半になってしまった。
一昨日も6時半、昨日が6時、きょうもまた6時半である。
こんなことは去年もなかったはずだ。
一昨年は、赴任したばかりの1年生担任で、そういうこともあっただろうが。

私は、主任向きではない。
新規なアイディアも出せるし、いろんな人と折り合いよくやることもできる。
そういう点で、こんな役を頼まれたりもするのだろうけれど、
頭の構造は、決してこういう役には向いていないのだ。
私は、「あれまだ?」「ごめん。忘れとった」型人間なのである。
人の下にいてさんざん迷惑かけつつ、時には支えてあげる、という型である。
ところが、主任というのは、先んじて対処する役職である。
これが私は苦手である。
だから、こういう役に就くと、他の人の数倍も慎重にならざるをえないのだ。



2005年04月05日(火) 重苦しいテスト作り

きょうは、入学式準備と称して、新2、3年生が出校する日である。
やることと言えば、新しいクラスと出席番号を発表してやって、
今までの書類だの、カードだの、ゴム印だの、新しい生徒手帳や写真だのを
配布して、新クラスと出席番号を記入させて、新クラスで回収する。
それから、下の学年に引き渡す前の大掃除をして、離任式もある。
今年の転出・退職教員は10人もいたので、予定より30分近く延びた。
まぁ、とにかく慌ただしい半日だったが、午後ものんびりしたものではない。
会議がひとつ日程が崩れたがために明日に延期にはなったけれど、
私自身で言えば、新しく来た吹奏楽の顧問を生徒に紹介しなければならず、
演奏会後、預かってもらったままになっていた楽器を取りに行かねばならず、
4時からの臨時校務委員会が1年学年会議との兼ね合いで始まらない間に
明後日以降の部活勧誘についての段取りを生徒と相談せねばならず、、、
まぁ、とにかく、年度始めというものは、担任にならずともあわただしい。

昨日も、生徒は出てきてないとはいえ、何かと雑用に振り回されていたが、
しかし、何よりも気がかりなのは、新年度すぐに実施の課題・実力考査の
問題作りである。
しかも、今回は3年生なので、類型分けの関係で2種類作らなきゃならない。
一昨年からいつも一緒にやって来た先生が転勤になってしまったので、
その人に振り分けていた分まで負担しなきゃならない。
いつぞやも書いたのだが、私は、テストのない国へ行きたいのである。
教員の仕事に嫌いな仕事はいっぱいあるけれど、
このテスト作りと採点がもっとも嫌いな仕事にランクインする。

昨夜はその重圧に負けて、8時ごろダウンしてしまった。
11時ごろに起きて、2時ごろまでかかって、今回のノルマの半分近くまで
何とかこなした。
しかし、半分以上も残していては、到底終わりそうな感触がない。
それでいて、きょう1日はさっき書いたような落ち着かない1日で、
まったく試験問題に取り組む余裕がなく過ぎてしまった。

今夜、夕食後、この試験作りに専念して、解答用紙まで何とか作り終えた。
何とも言えぬ解放感である。



2005年04月03日(日) ゲルマブレス

一昨日心配した筋肉痛が、昨日もきょうも出ていない。
昨日起きたとき、腰だけは筋肉痛も含めて痛みが何倍化もしていたのに、
そうしてきょうも、腰痛との闘いに疲れて2回横になり、
2回も昼寝するはめになったのに、肩や腕の筋肉痛からは無縁である。
一昨日、重めの新聞紙の束を運びながら、肘をひねったりもした。
運び終えてからの半日は、激しい運動をしたときのような披露があったし、
肩や腕にいろんな凝りや軽い痛みを覚えていた。
いきなりスポーツをしたときのような、1週間筋肉痛というほどでなくても、
3、4日は筋肉痛で悩まされそうだな、というのが一昨日の予想だった。
そして、案の定、昨日の朝起きるときに、腰痛がその通りだった。
いつもの痛みとは違う、筋肉痛を伴っている。
起きるときに、ちょっと時間をかけて、痛みを和らげながら起き上がった。
これじゃ、さぞかし筋肉痛もひどくなってるだろうと思ったら、
上半身はぜんぜん何ともないので驚いたのである。
まさか、、、??!!

最近、家にいる間、ゲルマニウム・ブレスレットを腕にはめている。
ゲルマニウムを擦り込んだゴム製のブレスレットである。
本格的な製品は、定価5万とか10万近い値段だが、
ゴム製の安価なもので、楽天の共同購入で1個1000円以下である。
いくらだったか忘れたが、最近は10本まとめて数千円で売ってもいる。
図解入りの販売サイトの説明を読んで、だまされてもいいから試そうと、
買ってみた、その送られてきた包みにはこう書いてあった。

「驚異的なパワーを生み出すゲルマニウムブレス誕生。
 医学界で注目の素材。
 ゲルマニウムブレス装着後約20分くらいで、
 指先から腕部にかけて約2度上昇します。
 この結果ゲルマニウムブレスの効果が顕著にあらわれます」

要するに全身の血行やら電流の流れを改善するらしいのだが、
安い品でもあるし、それほど信頼せずにとりあえず帰宅するとはめて
ようすを見ていたのだが、、、この筋肉痛が出なかったのは、、、?
もともと筋肉痛になるほどの労働ではなかったのかもしれない。
それはわからないが、そういう可能性もある。
けれども、私の健康法というのは、たいていこういう驚きから始まる。
青竹踏みの時もそうだった。
しつこい喉の痛みが、青竹踏みをした翌朝に消えた。
それから毎晩踏み続けたら、長年のアレルギー性鼻炎から解放された。
青竹踏みをしなくても、ちょうどその時が、
風邪や鼻炎が治りきるタイミングだったのかもしれない。
そう冷静に可能性を論ずるゆとりもあったのだけれど、
そのあまりの変化に、青竹の御利益の信仰者になったのだった。



2005年04月02日(土) 意欲減退の教育政策

市吹に行く途中の夕食中に妻と話している中で出た話である。
妻の元同僚で我々の結婚式にも来てくれて歌曲を歌ってもらっただけでなく、
妻の生徒たちのお祝いの言葉を内緒で録音して流してくれたO先生が、
今回の人事異動で退職した、とういう話である。
まだ10年近く定年まで残っているはずである。
2、3ヶ月前の音楽研究会で会った折りに、彼女は言っていたそうだ。
もうアホらしくてやってられないから辞めるかもしれないと。

何がアホらしいかというと、音楽専攻で、長く音楽主任を務めてきたのに、
最近は、音楽の授業を持たせてもらえなくなっていることである。
県全体がそうなのか、全国的にそうなのか、よくわからないが、
少なくとも愛知県のこの近辺では、ここ3、4年、
小学校の音楽の授業は、音大出の非常勤講師に持たせるようになっている。
ベテランの専科教員でも時には難儀していた音楽の授業をである。
学校によっては、非常勤講師が年度途中で出てこられなくなる事態も
あるようだが、問題はそれだけではない。
もっと根本的な問題があるのだ。

非常勤講師というのは、基本的に授業だけの講師である。
その立場の者に高学年の音楽の授業を任せるわけだ。
ところが、小学校にはさまざまな音楽的イヴェントがある。
そういう活動に非常勤講師を使えるかというと、基本的にそれができない。
だから、授業ではぜんぜん関われないのに、行事の音楽の指導となると、
今まで音楽面で実績のある教員に押しつけられるわけだ。
日ごろは専門分野の授業をやらせてもらえないのに、
そういう時だけ甘言を弄して都合よくこき使われるわけなのである。

妻は音楽の免許は持っていないけれど、音楽科を出ていることもあって、
長年音楽教育で実績を上げてきているので、
ここ3、4年の間、そういう憂き目を体験してきた。
音楽専科として、音楽の授業を2〜3学年に渡って持っていたときに
学年の合唱指導とか、全校単位の合唱指導をするのはやりがいがあった。
ところが、音楽の授業をまったく持たないで行事の練習に入り、
初めてその声を聞いて、一から声を作ったり、
それ以前に、歌おうとする気持ちに乗せてやらなきゃならない、
その労力は、かつての5倍だとか10倍だとか、そういう問題ではない。
本質的にそのやり方は間違っているのだ。
現場の教育活動がどういうものか我々の上司にあたる人たちが知っていたら、
こんな方策を採るはずがないのだが、彼らは知らないか忘れてしまっている。

O先生は、専任を辞めて非常勤講師として応募すれば
音楽を授業を持てる可能性があると考えて退職したようだ。
しかし、妻の予想では、小学校の免許を持っている限り、
音楽専門の非常勤でなく、常勤講師の口しか回ってこない恐れがあるらしい。
小学校の常勤講師とは、たいていは専任と同じ仕事内容である。
そういう妻も、すぐにでも仕事を辞めたいといつも言っている。
O先生と同じ思いもあるけれど、アホな校長・教頭に翻弄される毎日に
ほとほと嫌気がさしているのだ。
毎日のように愚痴を聞かされる私もたいへんな労力である。
私などまったく足下にも及ばないほど教育活動に才能があるのに、
辞めさせるのは惜しいのだが、確かに我々の上司たちがアホの集まりだから、
意欲や熱意をこんな形で破壊されてもいたしかたのない話である。
もちろん私も、O先生や妻と同じような気持ちだけれど、
小学校に比べて高校の方が職務についていろいろと緩やかな所があるので、
何とか愚痴もほどほどにして我慢していられるだけだ。



2005年04月01日(金) 校門施錠?

新年度最初の仕事は、司書室にたまっていた新聞の片づけだった。
中日・朝日の朝刊と、週間の英字新聞が1年分以上たまっていたらしい。
ちょっと多めをひとまとめにして、18束をひもでくくった。
それを4階から1階に下ろして、さらに物置まで運ぶのは、ためらわれた。
2週間後の図書委員会の折りに、生徒に運んでもらう予定でいたのだが、
やはり邪魔くさいので、図書館から下りるついでに持って下りることにした。
そうしているうちに、下りるついでが、2往復3往復になり、
結局11時ごろには全部下ろしてしまったので、
そのまま資源ゴミを収納する物置に運び入れてしまった。
もう体はがたがたである。
午後はもう頭を使う仕事はできないので、事務的な仕事をいくつか片づけた。
明日明後日以降の筋肉痛が心配である。

昨日から、朝職員室に入ると、机の上にその新聞が乗っている。
図書館閲覧用に、用務員さんが置いておいてくれるらしい。
前任校では、自分で事務室に5部の新聞を取りに行ったのだが、
ここでは、出校したときには職員室の机上に置いてあるというわけだ。
だから、朝から新聞に目を通すなんてことは最近はなかったのに、
出勤後机の前に座ると、まずゆっくり新聞を読むはめになった。

今朝の朝日新聞の一面トップは、「校門は原則施錠」の大見出しで、
小見出しに「文科省新指針 不審者対策強化」とあった。
確かに、人殺しが学校の中に入り込んで暴れられては困る。
しかし、校門を全部施錠してしまったら、いったいどういうことになるか?
学校というところは案外来訪者が多いものである。
その上、遅れて登校する生徒もあれば、相対する生徒もある。
そのたびに校門の錠を開放しに行くのは誰なんだろう?
記事には「開門時には教職員が立ち会う」なんて書いてある。
私が高校で知る限りでは、1時間に10件近い出入りもありうる。
そのたびに教職員の誰かが出て行って、チェックと開錠をするのだろうか?
とりわけ、余分な教員をおけない小学校では誰が出て行けるのだろうか?

「1校あたり2最低名の優秀な警備員を配置する」などの文言があれば、
私はさほど怒りはしなかっただろう。
またもや、現場知らずの机上の空論である。
彼らは頭がいいのかも知れないし、学習成績優秀者の集まりなのだろうが、
現場がどんなものであるかを知らない。


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