TENSEI塵語

2004年08月31日(火) 夏休みを振り返って

読み終えた本は、3作だけである。
「ダ・ヴィンチ・コード」
「マグダラとヨハネのミステリー」
「天使と悪魔」
3作きりかぁ、、と落胆もするが、何と有意義な読書だったことだろう。
他に、「イエスの墓」「イエスの遺伝子」が途中である。

盆の休みにゲーム「ICO」を楽しむことができた。
混成バンドの曲目を考える必要がなかったおかげである。

職員室の印刷室で合計4日間を過ごした。
2日間はプログラム印刷のために、2日間は色紙を切るために。
どちらも狂気じみた感じのする2日間だった。
こんな経験は今までにはなかった。
似たような仕事をしたことは何度かあったけれど、今回は分量が半端でない。
今年はコンクールの地区大会も、3日に及ぶ県大会も、
責任者側にいたために、イヴェント終了の感慨も大きかった。
また、前任校時代から謎だった、モザイク画のからくりを解明しつつある。
これは今後の活動にひとつの可能性を開いてくれるものだ。
この試行がどうなるか、明日からの勝負なのだけれど、
いろいろと楽しみな分野である。
実際私も台紙1枚分、988枚の紙片を貼ってみた。
それだけでだいたい7、8時間の作業であることがわかった。

睡眠不足になってしまったけれど、オリンピックもよく見た。
今までそれほど見たことのない種目まで熱心に見てしまった。
たまたま夏休みと重なってくれたおかげだろう。
朝起きるのがつらかったけれど、やはり授業がないのは気楽なのだ。
さまざまな感動的な場面に出会えた。
やはり、究極の勝負に挑む姿は美しい。
それは、表面的には相手を負かすための勝負に見えながら、
実は自己との闘いであることを暗黙に感じ取るからだろう。

感動の多い夏休みだったように思う。
夏休みが終わってしまうことを惜しみながらも、何となく嬉しい気分に満たされている。



2004年08月30日(月) 昨日の続き

昨日の妨害犯は、自国の選手を勝たせたい類のものではなかったようだ。
競技妨害の前科2犯だそうである。
F1とウィンブルドンで、競技場に飛び込んだ前科があるという。
元司祭で、宗教上の信念を理由として主張しているらしいが、
私には何のことかさっぱり理解できない。
単なるきちがいとしか思われない。

妨害されなかったら金メダルを取れた、とは思わない。
取れたかも知れないけれど、最後のバルディーニの走りを見ていると、
妨害されなくても追い越されたかも知れないと思う。
それは、あのまま走っていなければわからないことだ。
妨害したために金メダルが取れなかった、銅メダルになった、と言って
怒っているのではなく、
きちんと勝負させるのを邪魔したので怒っているのだ。
ブラジル政府を除けば、世界のほとんどの人が同じ思いだろう。

大会に臨む選手の勝負の時間は、スタートからゴールまでではない。
それまでの何日間、何週間のコンディションの調整が勝負なのだ。
そして、万全のコンディションで望んだはずであっても、
スタート後の駆け引きの中で、発揮されたりされなかったりするものだ。
それはどんなスポーツにも、、、いや、吹奏楽だって同じである。
そして、おそらく昨日のデリマ選手は、
あの悪夢の35キロ地点あたりまで、この上なくうまく行っていた。
優勝候補でさえリタイアしかねないようなコースで、実にいい展開だった。
こういうことはそうあることではない。
それでも最終的に抜かれてしまって優勝を逃したとしても、
それは実力の勝負として納得することができるだろう。
けれども彼はそれをさせてもらえなかった。
勝負とは何の利害もない理不尽な妨害によって。。。

私は昨夜、デリマ選手がゴール後泣くだろうと思っていた。
悔しくて悔しくてしょうがないのだろうと思っていた。
けれども、彼は、3位でスタジアム入りしたときに、両手を上げた。
それからゴールまで、投げキッスをしたり蛇行したりしながら、
メダルを取れた喜びを発散させながらゴールした。
なぜこんな心境になれるのだろうと驚きつつ、感動した。
オリンピックのマラソンとして、ブラジル初のメダルだからかも知れない。
金メダルしか眼中にない選手だったら、泣いて講義したかも知れない。
しかし、ほんとうにそれだけだろうか?
普通だったら、どんな背景があれ、悔しいはずではないか。
私は、妨害され、それまでのように走れなくなってしまい、ついに追い
抜かれてから、彼の心の中でかなりの葛藤があったのではないかと想像する。

彼には、特別なメダルが贈られることになったそうだ。
柔道の銅メダリストの日本人選手が残した名言のように、
「金メダル以上の経験ができた」のかもしれない。

それにしても、あの妨害犯は、1年禁固なんて手ぬるい罰でなく、
終身刑か、精神病院に終身隔離ぐらいのことをしてもらわなきゃ困る(`ε´)



2004年08月29日(日) マラソンの妨害が、、?!

今夜もついついマラソンを見て夜更かしである。
そう劇的な瞬間というものがあるわけでもないのに、
ついつい画面を見つめ続けてしまうのが不思議である。

ところが、思いがけない、信じられないような瞬間に遭遇した。
2位以下に40秒以上の差をつけてトップを走っていた
ブラジルのリマという選手が、ゴールまであと7キロほどという地点で、
いきなり現れた一般人に歩道に押し込まれてしまった。
歩道の観客に助けられたか、彼はすぐに走り始めたけれど、
それまでの勢いは失っていたし、苦しそうな表情に変わっていた。
かなりのダメージだったにちがいない。

彼はそれから2、3キロほどの間に2人の選手に抜かれてしまった。
それを挽回する力はもう残っていなかった。
走るフォームも変わってしまったその表情を見ながら、
その妨害された心中に思いをめぐらせずにはいられない。
妨害した犯人の情報がぜんぜん入らないのも不思議でしょうがない。
こういう場合はどうなるのだ?? と考えてみても、
観客のマナーというものはあっても、ルールというものはないから、
どうすることもできないのだろうか。。。
何とも釈然としない勝負になったものだ。
1位を独走しているイタリアのバルディーニにしても、
その事実を知ったら、金メダルを手放しで喜べないに違いない。
ましてや、リマ自身が不平を訴えたりしたら。。。。

3位でリマがゴールの競技場に入ってきたとき、
あの妨害のハプニング以上に驚かずにいられなかった。
彼は、笑顔で両手を上げて観客に喜びを表した。
ゴール直前の直線では、蛇行してお茶目をしながらゴールに向かった。
マラソンでは、ブラジル発のメダルだそうである。
メダルが取れて嬉しい、という、あの妨害者のことを忘れさせるほどの
潔い態度に感動したのは、世界中の大多数だろう。

それにしても、なぜあの犯人についての報告がないのだろう?
選手は大会までの長い期間、コンディションを整えるのに神経を使い、
万全の状態を作り上げて、微妙な駆け引きをしながら競技しているのだ。
そうして作り上げていたペースを一挙に崩してしまったのである。
この犯罪者を許せるはずがないではないか。
あれから1時間以上経つ今も、犯罪者についての報道がないのは、なぜだ?



2004年08月28日(土) レスリングなんて、、

ルールもぜんぜんわからん、ちょっと見てた時もさっぱりわからなかった、
というわけで、まったく興味もなかったのだが、
今回のオリンピックでは女子レスリングを早々に見せられたせいで、
何となく大まかなルールもわかり、柔道と変わらぬおもしろさとなった。
こういう対戦は、一瞬ですべてが決まったりするから目が離せなくなる。
単調な駆け引きが続いていると思うと、とつぜん大技がかかったりもする。
レスリングは柔道みたいにしっかりつかむものがないからたいへんだ。
女子は日本人選手の出た試合が比較的おもしろかったけれど、
男子の方は、外国人選手同士の試合の方が驚くべき技が出ておもしろかった。

それにしても、これほど審判のはっきりしない種目もないような気がする。
解説者の判定と実際の判定がかなり食い違っている。
日本人選手の試合だけかと思ったら、そういうわけでもなさそうだ。
(こっちはルールがよくわかってないので、見ながら覚える段階だ)
ビデオ判定が多いのを見ても判定の難しさを伺わせるが、
審判によってかなりルールの解釈や基準が違うのではないだろうか。
だから、釈然としない判定が選手の試合運びに影響することも多いようだ。
グレコローマンの時は特にひどかった。
パッシブのたびに、どうしたらいいのか説明している感じだった、、??



2004年08月26日(木) 「天使と悪魔」読み終わる

仕事に追われるわ、オリンピックは見なきゃいかんわ、、、で、
なかなか一気に読み進められないでいたが、
昨日・きょうと半日ずつ図書館当番だったので、下巻を一気に読んだ。
これもまた、実に刺激的な知識満載のサスペンスであった。
書きたいことはいくつかあったが、今夜はもう寝なきゃいけない。



2004年08月25日(水) 驚異の種目

オリンピック終盤は、シンクロと新体操。。。
今までの対戦型の競技は人間的なドラマを感じさせるが、
この2種目になると、我々の目にはもう人間技とは思われない。
なぜここまでできるのかと、見るたびに驚きの連続である。

ウォーター・レディーズ・デュエットの決勝を9組ほど見たが、
ロシアの演技以外は優劣がわからなかった。
新体操や冬のフィギュアスケートを見ていてもこういうことがよくある。
それでも、完璧〜、とか、ダントツ〜、とかは何となくわかるものだ。



2004年08月22日(日) 委嘱作品の練習

昨日・きょうと混成バンド練習会があった。
あった、なんて傍観者的に書くべきでなく、練習会をやったと書くべきかな?
例年のごとく、日程や会場の算段をしたのは私なんだから。
ただ、今年は例年と違って、選曲に腐心する必要がなかった。
京都の作曲家、櫛田てつ之扶(「てつ」は月失という字である)氏に、
吹奏楽祭40周年記念の委嘱作品を依頼してあったからである。
今年の2月23日に櫛田氏を案内して木曽川沿いを回ったのは、
この委嘱作品のイメージや題材を得てもらうためであった。

その作品は予定より1ヶ月ほど遅れて8月上旬に事務局のKの元に届いた。
彼はそれを楽譜ソフトフィナーレで清書したが、
パート譜は昨日の練習の集合時間になっても届いていなかった。
発足式を始め、今回の趣旨を説明し、学校ごとの自己紹介をしあい、
そろそろ楽譜がないと困るなぁ、、と途方に暮れ始めたときに、
ぼん、と楽譜の束が目の前に現れた。
こういう企画は、なかなかのスリルを伴う。
しかも、届いたのは第2部だけである。
第1部は「明日の昼ごろ」などという報告である。
私のこの曲の下調べも、2日前にようやく添付ファイルで送られてきた、
未完成のスコアのファイルである。
それをミディ音源で聞き、スコアを印刷していくらかの下調べをしておいた。

その曲は「交響詩曲 木曽川風情」という題名である。
場面ごとに表題がついていて、全体を通して見ると、
「犬山城追想」「犬山まつり」「木曽川に沿った河川敷公園にて」
「曼陀羅寺」「国府宮はだか祭」という構成である。
地元の人間にとっては何だかこそばゆいような感じもあるが、
音楽的要素はかなり私好みの曲なので、練習もなかなか楽しい。
しかも、ほとんど、生徒たちが聞かせてくれる現実の音を聞き、
スコアを眺めながらスコアのさまざまな要素を読み取りながら、
いろいろと指示を与えていく、緊張感のある練習である。
K氏の楽譜の清書が遅れて、
第1部を実質30分程度しか練習できなかったのが残念だった。


(ちなみに、アテネの女子マラソンを傍らで映したまま、これを書いた。
 野口みずきが金メダルを取り、日本の2人も5位、7位の入賞だった。
 世界記録保持者のラドクリフが36キロ地点でリタイアした。
 暑いだけでなく、上り坂のかなりきつい苦しいコースだったようだ。
 野口はゴール後、ドクターチェックに入ってしまったらしい。
 そういえば4年前、やはり混成バンドの練習日、朝練習会場に着く直前に、
 高橋尚子の金メダルの瞬間をラジオで聞いていたのだった)



2004年08月18日(水) モザイク画の試み(2)

昨日の朝、いろいろと迷った末、ひとりあたりのノルマをA3紙1枚にした。
横38枚、縦26枚の、988枚である。
生徒の作業がラクというわけではないが、不可能というほどではないだろう。
完成時の横幅は2m28?にしかならない。
3mと比べるとかなり小さな感じになるが、欲張るのはよそう。

朝それを思いついて、新しい色別枚数表を作っておいたので、
昨日はその縮小版に合わせて色紙を切った。
最終整理も含めて終わったのが校舎施錠時刻ぎりぎりの5時10分である。
前日の計画のままでは終わってないではないか。

その帰宅後、生徒配布用の台紙と色分布表を作った。
色分布表を、台紙のマス目とほぼ合うように設定して作ってみた。
そうすれば間違いはかなり減るはずである。
完璧な準備ができたと思った。。。

ふと、PCが作ったモザイク画像や色分布表を点検していて思った。
色の分布が実に粗いではないか。
スパイダーマンの身体の蜘蛛の巣模様なんてのは潰れてしまっている。
赤と黒だけのスパイダーマンになってしまっている。
画像を縮小したということはそれだけ粗くしたということなんだと、
すぐにそこまでは納得できたのだけれど、諦めきれない。
元のサイズが大きい画像をむりやり縮めたからだろうか?
最初の写真を、使用サイズに近いサイズで作っておいたら、
もっと細かい部分まで反映されるのだろうか、、??

その疑問を解決するために、まず経験者のサイトを探して読みまくった。
ほとんど画像サイズに触れている人はいないが、
それらしいことをほのめかしている人がいないわけではない。
私がかつてデジカメで取った画像が、わりと小さいものだったので、
それを使ってモザイク作業をやってみた。
それでモザイク化の程度を比較してみたけれど、よくわからない。
いろいろ思案した揚げ句に、今回の材料の最初の画像を、
フォトプリント紙にできるだけ小さく印刷して、
それをスキャナで読み込んで、それをモザイク化してみることもやってみた。
結果は、より良いものとは言えなかった。

要するに色数を少なくすればそれだけ完成品がつまらなくなるということだ。
その結論に至るまでに、4時間ほどかかってしまった。



2004年08月17日(火) モザイク画の試み

夏休み前に、文化祭のHR発表でモザイク画をすることになった。
前任校で美術のT氏を中心に試みられていたが、
私は全面的に関与したことはない。
色紙を1センチ四方に切るために職員室の裁断機を使いに来た生徒の
手伝いを頼まれたことがあるだけだ。
ただ、たった8色ほどの色紙をちりばめるだけで、
離れて見ると写真のように見えるのは、どう見ても驚きであった。
今回、生徒が貼り絵をやろうと決めたので、
どうせならモザイク画に挑戦するよう勧めたのである。
題材を何にするか相談しているうちに、スパイダーマンに固まって行き、
背景に138タワーを置く案になりながらも、
結局は、創立30周年記念の本校をバックにすることになった。
お祝いに駆けつけたスパイダーマン、の風情である(笑)
合成写真は生徒が作って、メールで私のところに送らせた。

それを8色の色に分解して一覧させてくれるソフトがBigArt である。
どう使うのか、どういう構造なのか、まったくわからなかったけれど、
1週間ほど前に暗中模索で何とか使えるようになった。
それで、横3メートル縦2メートルちょっとの表を作った。
35人で手分けしてやるにはちょっと大変かなと思ったが、
まぁ、これぐらいはやらないとやった甲斐もないし、、と安易に決めて、
生徒配布用の分担分の用紙を印刷した。
台紙も作った。
B4用紙2枚、23×34×2=1564枚である。
ちょっと多いかな、、と思ったけれど、達成感は高いはずだ。

あとは色紙の用意である。
1週間前に先の作業を終えた時点で必要な色紙の枚数がわかったので、
その日に文房具屋から仕入れておいた。
昨日と今日は、それを1センチ四方に切るのにまるまる使ってしまった。
色紙は100枚セットである。
それを裁断機で切るわけだが、これについてかなり思案した。
まず、最初、1センチ幅の短冊状にするときはまだいい。
そのまま切ってもいっこうに差し支えない。
けれども、その1センチ幅の細長い束を切るときに、揃えるのは難儀だ。
実際試してみたら、予想を遙かに超えて難儀だった。
だから、切り始める前に色紙の束の1辺に糊をべたっと塗ることにした。
昨日の午前中は糊を塗って乾かすだけで終わってしまった。

午後に切り始めた。
前任校でちょっとだけ手伝った経験を生かして、
100枚とか500枚単位で小さいビニール袋に入れながら切っていく。
でないと、生徒が必要以上に多くの紙を持って行って足りなくなるからだ。
めんどうなようだが、100枚単位で切っているから大したことはない。
問題は、本校の裁断機だ。
下に薄いパンフレットを2つくらい敷かないと全部が切れないのである。
必要な紙が全部切れるように下に敷くと、敷いた紙も切れる。
小さな紙片を集めるのがたいへん厄介になるのである。
日ごろから厄介だと思っているので、1年前から改善を要求しているけれど、
ずっとそんな状態のままである。
案の定、それがさまざまな妨げとなって、作業がはかどらない。

そのうちに、1センチ四方の紙片の扱いの厄介なことも身にしみてきた。
ひとり当たり1564枚は多すぎるのではないだろうか。。。
ただ貼るだけではない。複雑な見本に従って貼るのだ。
怠け者が多いのに、あまり無謀な計画をするべきではないのではないか。。。
                           (つづく)



2004年08月15日(日) ICO 全クリ!

今朝4時半ごろに「イコ」を終えた。
余韻がなかなか引かないで、6時近くにようやく眠れた。
起きたのは正午ちょっと前である。

このゲームを始めたのが11日で、この日は1時間だけだった。
翌日は夜になってから、4、5時間、
13日は昼ごろから暇さえあればやってたから10時間くらい?
昨日は昼間はずっと仕事してて、夜中に始めたから数時間、
全部でだいたい20時間前後でできそうな、手ごろなゲームのようだ。
謎解きが主なので、攻略法を知ってしまえば2、3時間でできそうだ。
予想よりうんと早く終えることができたのでありがたい。
昨今では珍しい簡素なゲームである。

しかもうれしいことに、ここでは手持ちの武器や道具の何を使うか、
貯まった金で何を買っておくか、、、などという要素も何もないし、
主人公のレベルをあげてどうのこうのというものも何もない。
ゲーム市場では煩わしくなる一方のそういう要素は何もない。
言葉もない。最小限の会話がアニメイヴェントで交わされるだけだ。
音楽もほとんどない。その代わり、擬音や効果音は精密に使われている。
そんな中で、ただただ行き止まりになった場所から先に進むための
唯一の手がかりを見つけることに専念するだけだ。
時々〈影〉なる集団が連れている女の子(ヨルダというらしい。城の女王の
娘)をさらって穴に引きずりこもうとし、
救出に遅れるとゲームオーバーになるので、それらと闘わなければならない。
しかしそれも、だんだん忙しくはなるが、コツをつかめば難儀ではない。

簡素なゲームだし、つきあう時間も短かったわりに、
そのゲームの世界は知らないうちに心の中にひたひたと浸食してくる感じだ。
それは、このゲームの雰囲気のせいでもあり、
精巧なグラフィック、美しい風景のせいでもある。
しかし、何といっても、白い少女ヨルダを連れて歩くせいだろう。
ヨルダの手を引いて歩き、走り、階段を駆け上がり、駆け下りる。
ヨルダは遠くから呼ぶと、優雅に反応し駆け寄ってくる。
梯子も、どんなに高いはしごでも後からゆっくり昇ってくる。
段差のあるところでは、呼ぶと手を伸ばして跳び上がるので引き上げてやる。
途切れた通路でも、後から跳んで来て落ちかけるのを、引き上げてやる。
ところどころにあるソファに、手をつなぐコマンドのまま
主人公を座らせると、ヨルダも後から座って休息する(セーブポイント)。
そうして苦労をともにするのだが、、、それだけではない。
手をつなぐたびに、コントローラーが、ドクン、と反応するのである。
そうして手をつないで歩いていると、ドックン、、、ドックン、、、と、
あたかも鼓動か拍動が伝わってくるような趣向が施されている。
ゲームの世界に浸り込むにつれ、知らないうちに、
ヨルダと命を共有しているような感覚にもさせられてしまうのである。

昨夜1時ごろに、そのヨルダとはなればなれになってしまった。
正門から橋を渡って逃げる途中で橋が割れ、ヨルダは連れ去られたらしいし、
主人公のイコは下に落ちてしまう。
そこから先は、セーブポイントがぜんぜんなかったので、中断できなかった。
私の場合そこからエンディングまで3時間半ほどかかってしまったが、
先へ進めば進むほど、しかもセーブポイントがなさそうだとわかるほど、
途中でやめるわけにはいかなくなった。
簡素で短いゲームだけれど、何という試練が待ち受けていたことか。。。
しかも、今までゲームの中で培った知恵を総動員し、
操作がうまく行かなくても根気強く試み続けて先に進んで行くのである。
とても長い道中であった。
そうして、やっとたどり着いた城の中で、ヨルダは石にされていて、
城の女王との苛酷な闘いが待っていた。
もっとも、その苛酷さは攻略法を見つけるまでの間のことで、
それがわかってくれば大した勝負ではなかったのだが。。。

そしてもちろんのことだが、その間ずっとヨルダの身を案じているのは、
画面の中にいるフィクションの世界の主人公イコだけではない。
イコが正体も事情もわからずただ連れて歩いているだけのヨルダが、
ゲームをしている者にとっても、知らず知らず不可欠な存在になってしまっているのである。。。


欲を言えば、イコのグラフィックにもうちょっと凝って欲しかったなぁ。。。

宮部みゆきの小説、やっぱり読んでみたくなった。



2004年08月13日(金) ICO

ほとんど暇さえあれば「ICO」をやっていた。
早く終わらせないと、、、本とDVDが待っているから。。。



2004年08月12日(木) 「天使と悪魔」

「ダ・ヴィンチ・コード」の作者の、前作である。
これもまた、たいへん刺激的な問題を扱っている。

殺された物理学者レオナルド・ヴェトラの共同研究者でもあった、
彼の養女のヴィットリアは、2人の最新の研究をこう説明する。

「父はある実験を計画したんです。
 科学と宗教の歴史における最も激しい争いのひとつを解決したいと願って。
 天地万物がどのように現れたかをめぐっての争いです。
 言うまでもなく、聖書には神が世界を創造したと記されています。
 光あれと神が言って、この世のすべてが茫洋たる無から現れたのだと。
 しかし不幸なことに、物理学の基本法則のひとつによれば、
 物質は無からは生じません。
 カトリック教会が1927年に初めてビッグバン理論を提唱した時、、」

「でも、たしか(この発言者はラングドンである)ビッグバンの提唱者は、
 アメリカの天文学者エドウィン・ハップルではありませんか」
「この理論はカトリックの修道士ジョルジュ・ルメートルのものです。
 ルメートルがビッグバン宇宙論を提唱したとき、
 世の科学者はまるで荒唐無稽な理論だと切り捨てました。
 物質は無からは生じないと科学が語っている、というわけです。
 その2年後、ハップルがビッグバン理論の科学的な正しさを立証して
 世界に衝撃を与えると、教会は勝ち鬨をあげ、
 聖書は科学的にも正しいと声を大にして訴えました。神の真理だと。
 むろん科学者たちは自分たちの発見が教会の布教活動に利用されるのを
 よく思いませんでした。そのため、
 すぐにビッグバン理論を数式化してあらゆる宗教的な意味を取り除き、
 その理論が自分たちだけのものだと主張しました。
 けれど、科学にとって不幸なことに、その方程式にはいまだに重大な欠陥
 がひとつあり、教会はそれを槍玉にあげています。
 ・・特異点。創造の瞬間。時刻ゼロ。
 今でも科学は創造の瞬間について解明していません。
 初期の宇宙については、方程式でもかなり効果的に説明できますが、
 時をさかのぼって時刻ゼロに近づくと、われらが数学は突然破綻して、
 すべてが意味をなさなくなってしまう」

「父は、創世記が現実にありえたと立証する実験を計画したのです。
 父は宇宙を創造しました、、、完全なる無から。
 わかりやすく言うと、ビッグバンを再現したんです」

「もちろん、実験の規模ははるかに小さいものでした。
 ごく細い2種類の粒子ビームを、加速器の管の内部で正反対の方向に
 加速させます。2つの粒子ビームは猛烈なスピードで正面衝突し、
 全エネルギーが一点に集約されます。
 父は、極端に高いエネルギー密度を実現させました。
 加速器の管の内部でエネルギーが高度に凝集されると、
 突然どこからともなく、物質の粒子が現れたんです。
 無から花を咲かせた物質。
 原子の中で起こった摩訶不思議な花火のショー。
 ミニチュアの宇宙が生命の躍動を得たのです。
 父は、無から物質が創造できるだけではなく、
 ある強大なエネルギー源の存在を認めれば、
 ビッグバンと創世記の双方にたやすく説明がつくことも立証しました」


そうして創られた物質、「半物質」のサンプルがこの事件の発端のようだ。



2004年08月11日(水) 「ICO」奮戦記

このゲームに魅せられて小説を書いた人気作家がいるほどだというので、
注文しておいたイコが、数日前に届いていたけれど、
代表選考会の準備等で忙しくて始められないでいた。
今夜ちょっと垣間見たくなって、最初の方だけでもと始めてみた。

初めて新しいゲームをやるときは、何かと手探り状態で不自由なものだが、
このゲームの雰囲気は今までのとはかなり変わっている。
オープニングの映画が一段落して主人公を動かすときが来たとき、
今までのRPGではたいてい他の登場人物の話を聞いたり
アイテムを探し回ったり、いろいろなヒントを探し漁るか、
すぐに闘うべき敵が現れて何戦もしなければならなかったりとか、、、
このゲームでも、ついつい今までの習慣で警戒しながら、探索しながら、
動かし始めたのだが、そういうものは何もなさそうである。
だだっ広い空間にヒントらしきものもなく、敵が出ることもなく、
ただ、スイッチを見つけたらそれを動かして扉を開け、
鎖や段差を見つけて飛びついたりしながら次の場面への入り口を通って行く。

そして、長い螺旋階段を昇ったところで、噂の女の子が鳥かごのような
檻に閉じこめられて、塔の天井付近にぶら下がっているのを見る。
それを救出するのが課題となるようだ、というわけで、
改めて下に降りてその檻を下ろすためのヒントを探してみる。
けれども、このゲームにはとにかくヒントが、、、ない!

なが〜い螺旋階段を上がっては下りて何にもない何にもない、、、
本当に何もないので、その螺旋状の階段、というより坂道なのだが、
それのてっぺんの壁に飛びついてみたら、昇った。
もう1回飛びついたら窓から外に出て、別の窓から中に入れて、
何とそこにスイッチになりそうなレバーが、、、
なんだー、こんなとこにあったんかー、と動かしてみると、
檻はガーーッと下に降りた、、けれど、まだ降りきらないで宙ぶらりん。
んでどーすんだぃ? 飛んでみよか? そんなわけないわな、、、
ところが、同じ高さの通路からジャンプしてみたら、イヴェントが始まり、
檻を吊っていた鎖が切れて、檻は下に落ち、少女との出会い。。。
えっっ、そんなんでいいの? 
それにしても、お嬢ちゃん、白すぎて気味悪いよ、とにかく逃げなきゃね、
と思ったら、黒い化け物がこの少女をさらって行った。

少女と手をつないで脱出するというのがこのゲームのウリである。
黒い化け物から少女の手を引いて救出して、とにかく逃げる、、、
逃げるためにはとにかくまず梯子を昇らなきゃいけない、、
梯子、早く昇ってね、、、ところが、少女の梯子昇りは遅い、
その間に黒い化け物に連れ去られたり、坂道を2人で昇ってる間に
追いつかれて連れ去られたり、、、そんなことを繰り返し繰り返し、、、
この黒い奴、しつこすぎるがなー、、ああ〜また連れて行かれた〜、、えっっ、ゲームオーバー?? どーしろっていうんだ〜〜?!!

檻に飛び乗って少女と出会うイヴェントからやり直しである。
そのイヴェントの中で、たいまつの木が転がり落ちてくる。。。
まさかと思うけど、この棒拾えるとか、、? 拾えた!
んで、闘えるとか、、? 、、、あれあれ、やっつけちゃったじゃん、、、
それで、黒い化け物はもう出てこなくなった。
んじゃ逃げよか、、、というわけで、上へ上へと走る。
外への道はさっきからそっち方面にしかないんだもん。。。
そして、ヒントに過ぎないにしても、そっち方面にしかないんだもん。。。
しかし、さっきから何度も通っているように、途中に鎖を昇るところがある。
少女はそこではもう主人公についてきてくれない。
え? お嬢ちゃん、梯子昇れるけど鎖は昇れないの? 
だって、上しか出口なさそうだよ、下ふさがってるよ、、、
しゃあない、下りてどっか探しに行くかね、、、で、降りて歩いていたら、
ぼか〜〜〜ん!! それまで塞がっていたところが爆発した。
何? 何やったん?? そんな魔法持ってんなら、早く言ってよね、、、

いや、まぁ、とにかく試行錯誤の1時間の末に、
やっとこさ最初のセーブポイントにたどり着いて、落ち着いたのだった。
このゲームは今までに経験したゲームとは、ちょっと雰囲気が違っている。

最初のセーブで、きょうはここまで、とやめてしまったのも珍しいことだ。



2004年08月10日(火) TVリサイクルの顛末

楽天のい〜でじに液晶TVを注文したのが7月30日である。
本当はこういう通販で買うつもりではなかった。
近所の家電店で買って、ちゃんと古い方を引き取ってもらうつもりだった。
けれども通販で買うことにしたのは値段のためであり、
引き取りもちゃんとオプションにあったからである。

粗大ゴミが出しにくくなって、しかも一部家電は、
その出しにくい粗大ゴミにも出せなくなった。
リサイクル法関係の文言を読むと、小売店の引き取り義務みたいなことが
書いてあるが、「買い換えの際に」などという言葉がくっついている。
または「それを購入したときの小売店」などという但し書きもある。
この堅苦しい雰囲気が、かなり厄介なイメージを作っていた。

TVは8月3日に届いてしまった。
私はその日県大会の仕事で豊田にいたので、引き取りは延期してもらった。
4日の夜に坊ずと古いTVを玄関に下ろして、
5日に引き取りに来てもらう段取りだったが、
ちゃんと箱に入れて固定してないから運べない、と置いて行かれてしまった。
まったくこんな事態は考えもしてなかった。
買ったときの箱は、設置した業者が持って帰ったから、最初からない。
幅77センチ、高さも奥行きも60センチ以上あり、
4〜50キロもあるTVを収めるほどの箱などあるわけもない。
車で電気屋の前を通るたびに放置された箱でもないかと思ったけれど、
よその電気屋での買い物のために温情にすがろうとするのも変な具合である。

ま、何ともしょうがないので、昨夜、近所の量販店に電話してみた。
買い換えじゃなくても古いテレビの引き取りはしてもらえるのでしょうか?
あっさりとOKだった。
そんならそうと、どこかに説明して置いてくれればいいのに。。。
めんどくさそうなことばかり書いてあるもんだから、
余計なところに気を遣いすぎてしまうのだ。
買い換えの時より500円ほど余分にかかるけれど、
通販の方の引き取りは送料もかかる、それよりはうんと安い。
それで、い〜でじにはメールで引き取りのキャンセルを伝えて、
今朝、TVを車に積んで店に運んで、引き取ってもらった。
この数日間玄関を塞いでいた黒い物体が消えて、すっきりした。



2004年08月09日(月) 片づけたらなくなる

Windows のみ対応のソフトでしなければならない仕事があった。
しかもそのソフトをまずダウンロードしなければならなかった。
Windows 機は我が家に3台あるが、娘の部屋と坊ずの部屋を借りるより、
妻が成績処理用に使っているメビウスを部屋に持ち込むのが、
時間にも制約されず、自由に使えるのでよさそうだった。
以前、このノートもカードを挿せばインターネットにつなげるようにした。
ただ、妻のiMac の通信状態がよくなってからはもう使わなくなっていた。

さて、困ったのはそのカード探しである。
実は、かなり長い間、それは3階の廊下、
つまり私の部屋のドアを開けたところの棚の上にあったのである。
とりあえずそこに置いたまま、ずっと放置されていたのである。
それがある時から床の上に落ちていた。
床の上といっても誰も踏みそうにない場所だったし、
ちゃんとケースに入った状態だから、そのままにしておいた。
けれども、ほんの2、3週間前だったように思うが、
ずっとそのままにしておくのも具合が悪いと思って、片づけた。。。

なんとなく覚えているのはそこまでである。
そうして、すごくいいことをしたような、便のいいことをしたような感覚を
伴って、その片づけたらしい行為を思い起こすことができる。
ところが、どこに片づけたのか、まったく思い出せないのである。
必要になったらいつでもここから取り出せる、と思って片づけたはずである。
そういう場所を、すべての引き出しをあけ、すべての隙間を見つめても、
そのカードは見あたらないのである。
いったいどういうことなのだろうか?
もしもあの時片づけずにそのまま床の上に放置しておけば、
すぐに仕事に取りかかれたのに、きょうは空しい探し物とイライラで、
いたずらに時が過ぎ、エネルギーを消耗してしまった。

整理のへたくそな私にはしばしば起こることである。
片づけたり収納したりしたために、いざというときに出てこない。
安易にその辺に積み重ねて置いた方が、さっと目的のものを探し当てる。
ま、だから片づけない主義だ、というわけではないのだが、、、f^_^;



2004年08月08日(日) 県大会すべて終了

これで、今夏のコンクール業務がすべて終わった。
コンクールのために右往左往しているうちに、夏休みも半分終わった。
さびしい限りである。

家の付近まで帰ってきたら、妙に人通りが多い。
車から降りたら、花火の音が盛んに聞こえる。
昨日の雷雨で中止になった花火大会が、来週でなく今日に延期されたらしい。
足腰が疲れて、特に右脚が壊滅的ダメージを受けていたけれど、
音が聞こえるととてもじっとしていられなくて、河原まで歩いた。
打ち上げをしてもらえた。



2004年08月06日(金) 1日中印刷室

今日付を見て、原爆記念日だったと知った。
そんなことに気づく余裕もなく、朝から職員室の印刷室にこもった。
何としても昼ごろまでにプログラムの作成を完了して、
それから出演者リボンを数えて封筒に入れて、
3時ごろからでも豊田にそういう荷物を運んでおきたかったが、
プラグラムができあがったのは、夕方の4時半だった。
リボンの仕分けは、帰宅後の夜にやった。
明日、市吹に行く前に豊田まで走らなければならなくなった。
それは避けたいと思っていたが、まったく歯が立たなかった。

時間がかかったのは、紙をそろえる作業である。
印刷機の紙受けの方をうまく調整するときれいにそろうのだが、
それがうまく行くはずの印刷機は、印刷状態がよくなかった。
しょうがなしに古い方の印刷機を使ったら、印刷状態はいいけれど、
うまく紙をそろえてくれない。
それを何百枚もの山にして積むものだから、
きちんと紙の並びを整えるのがたいへんである。
裏側を刷る前と、紙折り機で半分に折ってもらう前に、
積んである紙をきちんとそろえなければならない、それに時間がかかった。
また、そうして小分けして紙をそろえて、数百枚を印刷機に給紙すると、
それぞれの境目のところでたいてい紙送りが乱れるのである。
2〜5枚が重なったまま送られて、印刷されない紙ができる。
そういうのを常に監視して、見つけたらすぐに止めて取り出しておいて、
後で改めて印刷し直さなければならない。
ちょっと油断すると、それが紙詰まりになったりもして、
いっそうの難儀になったりもする。

とにかく、こんなに時間がかかってはたまったもんでない。
来年は、何とかして印刷屋と交渉して、
厳しいスケジュールの中で印刷に出せるようにしたいものだと痛感した。



2004年08月05日(木) 徒労の半日

きょうは、何はともあれ、昨日・一昨日に出た結果をもとに、
8日の県代表選考会のプログラムを3000部印刷しなければならなかった。
朝職員室に行ったら、注文しておいた厚めの紙は届いていた。
3日の出張中に来ていたらしい。
原稿ファイルはもうひとりの事務局くんのKからもらってきていたので、
点検しつつ、レイアウトを整えた。
調べることもあったし、ファイルの構造を理解する時間も必要だったので、
(というのも、さまざまな文書が連動するファイルだったので、、)
レイアウトを終えるのに午前中いっぱいかかってしまった。
わかってしまえば、実に合理的な構造のファイルである。

午後、プログラムの印刷に取りかかった。
プログラム本体の面と、表紙の面と、両面印刷をしなければならない。
まずプログラム面を注意深く印刷し始めて、数百枚刷ったあたりで、
時折2枚重なったまま紙送りされて白紙のままの紙ができるのに気づいた。
わら半紙だとめったにないのだが、紙が厚いせいかもしれない。
最初の1000枚では、8枚ほどの白紙ができた。
次の1000枚では、30枚ほどに及んだ。
そのうちに、紙送りを見つめていればそれがわかることに気づいた。
そうして、完全な印刷ミスの2枚を除いて、2998枚が印刷できた。
もう3時半になっていた。2時間ほどかかっている。
もちろん、その間にも方々から電話があって2、30分は応対している。

もう要領もよくなっているから、表紙印刷は1時間程度で終わるだろうと、
反対側の面の印刷を始めて、数百枚刷ったころに、
第一事務局のKくんから電話がかかってきた。
ファイルに重大なミスがあることに気がついたという。
ある学校の指揮者名が間違っていたのだという。
ま、そんなことは地区大会でもあることなので、アナウンス訂正でいいと
思ったら、他校の顧問名が入ってしまっているのだと言う。
信じられない思いで受け答えをしていると、
どうやら真剣に刷り直しを懇願しているらしい。
しょうがないと諦めるまでに少なからぬ時間を要したけれど、
印刷は中止、全部箱に詰めて(要するに廃棄である)、紙屋に電話し、
薄くてもとにかく3000枚揃う紙を問い合わせて、買いに走った。

ちなみに、その間違っていた指揮者名の、正しい指揮者名は、
よくよく見てみると、20年ほど前に知多半島の学校に赴任したときに
仲良くなった楽器屋の店員の名前だった。
おもしろいものである。
またKくんから更に緊急電話があって、別のところに曲名の間違いもあった。
この2つの間違いは、昨日・一昨日の県大会とは関係のない、
プライマリー部門(初心者コースみたいな部門)の県大会のデータだった。
我々の仕事の盲点みたいな部分でのミスみたいなものである。

夜、Kくんのファイルに封筒印刷用のものがあったので、
それが印刷できないかとこころみたが、角形2号というA4より大きい
ものなので、A4用のカラープリンターには封筒が入らなかった。
ところが、レーザープリンターにその封筒がセットできることを知った。
念のため取説を読んでみたら、それが可能だとわかったのである。
それはまったく想像外のことだった。
以前使っていて廃棄したレーザープリンターは、値切って14万したのに
封筒印刷はできなかった。
封筒印刷にはいつもインクジェットのカラープリンターを使っていた。
今のレーザープリンターは、3万円台で買ったものなのに、
トレイの仕様をちょっと調整すれば封筒印刷にも耐えるようだ。
これはなかなかうれしい発見であった。



2004年08月04日(水) 県大会の2日間

1泊2日で豊田に行って県大会の役員をやった。
世間から隔離された2日間という感じである。
昨夜TVのニュースは見たけれど、ついでに過ぎないし日頃の習慣でもない。
帰宅して食卓の上の新聞を見て、懐かしい物に再会したような気がした。

ま、今夜はとにかくクタクタである。
明日はまた8日の県代表選考会の準備で忙しくなりそうだ。
明後日の午前中には担当分の準備を終えて、
明後日の午後か土曜日には豊田に運んでおきたいものだ。



2004年08月02日(月) イエスの実像

「マグダラとヨハネのミステリー」を読み終えた。
思い出すままざっとまとめると、こんな風になる。

イエスは、ヨハネ教団の一派、ヨハネの弟子のひとりであった。
ヨハネは、聖書にも洗礼者として登場するが、
この洗礼という儀式は、そもそもユダヤ教の中にはないものである。
ヨハネもイエスも、ユダヤ教の伝統の中で活動したわけではないし、
ユダヤ人であったかどうかも疑問である。
福音書に娼婦として登場するマグダラのマリアは、
神の力を持つとみなされた男に神としての完成をもたらす
神性婚姻の担い手である女祭司だったらしい。
イエスに塗油したマリアというのはこのマグダラのマリアであり、
塗油というのは神性婚姻の象徴である。
そもそもキリストという言葉の原意は、塗油された者という意味である。
この信仰は、エジプトのイシス信仰と共通している。
イエスは若い時期をエジプトで過ごし、そこで魔術を修得した可能性が強い。
あの当時は、メシアを名乗りながら魔術を駆使する者が
そこら中にいたようである。
磔刑前後の、塗油から復活に至るイエスの死の過程は、
マグダラのマリアとイエスによる、神への道への演出であった。
こういう事情は、聖書編纂時に異端とされ、排除・隠蔽された、
グノーシス派(主に)の文献を検討する中で浮かび上がってくる。。。

こんな大ざっぱな解説を、もしも問題意識のないときに読まされていたら、
不気味なオカルト話を読まされているくらいにしか思わなかったことだろう。
しかし今は、もっとこの点を追究したい思いでいっぱいである。
若い頃から聖書を読むたびに釈然としなかったことがいくつもある。
聖書がよりわかりやすく見えてくるような感じがする。

しかし、こうして見てくると、新たな深い疑問にとらわれてくるのである。
「汝の敵を愛せよ」は誰のことばだったのか? どこから来たのか?
そういう疑問を抱きながら読んでいたが、とりあえずこの本では、
イエスの言葉として片づけてあった。


引き続き「イエスの墓」という本を読み始めた。
しかし、明日・明後日は県大会の運営、そしてその後、
県代表選考会の準備と運営、と、忙しい日が続くので、読めないかもしれない。



2004年08月01日(日) 靖国問題がスポーツにも、、

「中国・重慶で開催中のサッカー・アジアカップで、
 地元市民の反日感情が日本チームにぶつけられている。
 31日の準々決勝のヨルダン戦でも、
 勝利を喜ぶ日本人サポーターに罵声やゴミが投げつけられた」

「約5万人の観客のほとんどはヨルダンを応援した。
 国歌演奏では先に君が代が演奏されたが、観客の半数ほどは座ったまま。
 ヨルダン国歌ではほとんどの観客が立ち上がり、静かに演奏を聞いていた」

・・ということは、君が代の時は「静かに」聞いていなかったということだ。

「約20人の日本サポーターはメインスタンドの1カ所に集まり、
 警備員に守られて観戦した」

なんと悲しい光景であろうか。。。

「試合中に後ろからゴミや食べ物が投げつけられたり、
 地元ファンから怒鳴られたりしたという」
「日本の勝利が決まった瞬間、日本のサポーターは日の丸を取り出し
 歓声をあげたが、周りの観衆から紙コップなどのゴミが投げつけられ、
 帰れ、帰れ、などとヤジが飛んだ」

本当に何と悲しい光景であろうか。
実際は、こんな記事から感じられるよりももっと殺気だっていたことだろう。

卑劣な中国人たちである。
スポーツにまでそんな問題を持ち込むな! と言いたい。
彼らに戦時中の恨みを晴らして何になるって言うんだぃ!?

「カップルで観戦していた重慶市内の大学3年生の中国人男性は、
 『小泉首相の靖国神社参拝など日本政府に不満があり、
 こんなに何万人もの人と一緒に不満を表せる機会はなく、
 とても楽しい』と話した」

ここを読んで私は、中国のは岩教育はともかく、歴史教育に感心した。
そしてまた、日頃の感情をスポーツにまで持ち込まないずにいられないほど、
どうにもやり場のない怒りが熟成されている深刻さを想像した。

残念ながら小泉クンのコメントは載っていない。
ま、言いそうなことはだいたいわかっているけれど。。。
しかし、国際親善の一環であるべきスポーツの場を、
こんな風に殺伐とした場にしてしまった要因は何かということを、
しっかりと反省してもらわないと困るのだ。
選手たちもサポーターたちも、小泉クンのわがままのせいで、
とんだ迷惑を蒙っているのだから。


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