人権〝一日100質〟
〆よろしければ、相互リンクをお願いします。


2005年11月23日(水) 働く権利を訴える身障者若林君/別府に身障者工場 水上勉氏ら




* 婦人民主新聞縮刷版第四巻( 婦人民主クラブ発行/1968年 12月 6日号より) *

* 働く権利を訴える身障者 *
“能率低下”は口実
ほとんどが家族にたよる


 厚生省のしらべによると、全国には十八歳以上の身障者が百四万八千人いる。そのうち就職しているのが三九.三%であとの人たちは就職も出来ず、生活保護を受けるか家族に扶養されている。その上、就職率は年々悪くなる一方である。
 やっと就職できた人でも、常雇いになっているのは二八.三%にすぎず、多くの人が日雇いとか家業の手伝いをしている状態である。
 働いている身障者の収入は、平均二万二百五十二円。一般の人の半分以下という低いもの。授産所で仕事をしている人の収入はもっと低く、月額三千円から五千円くらいで、とても一人で生活できる額ではない。

 このような状況の中で、若林君(日本社会事業大学四年生)は今年の一月、都立の府中療育センターの採用試験を受けた。若林君は脳性マヒのため、手の障害で記述試験が思うにまかせず不採用となった。
 当局は若林君に対して「あなたを雇うと能率がおちるので、税金の無駄使いであり、都民のみなさんに申し訳ない」というのである。
 この言葉は、自分で働いて生活したいという若林君の基本的で切実な願いを踏みにじるものであり、また働きたいと願う多くの身障者に対して重大な侮辱でもあると同君は考えた。

 そこで若林君は六月、渋谷公共職業安定書と都立身心障害者福祉センターの“職能的判定書”をもらった。それによると、「脳性マヒからくる全身的運動感覚の諸障害があるため、手指の精細な動作を要すること(書記的業務)、敏捷な処置運動を要すること、精密な視力、聴力を要することなどは、仕事を考える場合に除外すべきだが、それ以外は特に不可能という仕事はない」とみとめ、「大学教育を直接生かすとすれば、障害者施設の指導員や関係団体などの職員が考えられる」といっている。そしてこうした仕事以外では「軽労働の仕事につくことができる」というのである。
 職業の適性については、「知的判断のいる仕事には入ってもよいが、肉体的には軽労働の仕事が適当」と判断している。

 若林君はこの判定書をもとに、身障者の不採用の口実である「能率の低下」とか「税金の無駄使い」ということを問題にして、各所で身障者の就職について訴えている。
 
 身障者であっても普通の人と同じように働き、生活する権利がある、というのが基本である。だから、職場を保障するのは政治や行政が責任を持つべきである。なぜなら、からだが不自由なのは個人の責任ではないからである。またできる仕事を精いっぱいやって、普通の生活を営める賃金を身障者にも保証されてよいはずだ。しかし現在、民間企業の職場の労働条件は劣悪なので、就職できてもなかなか働きつづけられない。公共の機関は率先して身障者を雇用して、その労働権を守るべきであると若林君は主張している。

 若林君の話:「これは自分個人の問題ではなく、全身障者の問題です。私はいま、①職業安定所と身障福祉センターの判定書にもとづいて、私を都立府中療育センターの福祉指導員として採用して欲しい②都の職種のなかで、脳性マヒをはじめとする身障者のできる仕事を、身障福祉センターが徹底的に調査し積極的に雇用の道をひらいてほしい、と要求しています。もしこの就職が三月までに決まらなかったら、失対で働こうかと思っています」

 労働省安定局業務指導課炭田さんの話:「労働省としては身障者の雇用促進のために、雇用主には職場改造費を融資したり、身障者で事業を始める人には資金の貸付をしています。雇用促進法もありますが、この法律は雇用を強制するものではなく一人でも多くやとってほしいとおねがいするものです。身障者雇用促進のPRがまだまだ足りません。ただ、重い身障者の就職はまだまだです」







* 婦人民主新聞縮刷版第三巻( 婦人民主クラブ発行/1965年 9月 26日号より) *
別府に身障者工場
水上勉氏らの計画で

 身障者だけが集って商品を製造し、販売し、自活してゆく“工場”を別府に造ろうという計画が中村裕別府整肢園長や作家の水上勉氏によってすすめられています。
「身障者に働く場所と憩いの場所を」という主旨で、それぞれの特技を生かして商品をつくり、自立できる収入を得られるようにしてゆこうというものです。
 一億八千万円の予算で、別府市内の七百坪の国有地払い下げを申請中で、さしあたり市内の結核療養所あとに義肢、補装具、車イスの組立工場をつくる予定です。
 この「別府身障者リハビリテーションセンター」は米国の善意工場、英国の国営保護職場を参考にして、豊富な温泉のある別府に設立を企画したものです。仕事の内容は一般家庭の不要家具、衣料、電器製品を下取りし、それらを修理更生し低価格で販売するもので一般の善意と協力を求めています。

 中村氏と水上氏は十八日に厚生省に計画実現についての援助を要請し、国有地の払い下げ、建設の際の国庫補助が得られる見通しがつきましたが、第一期工事費一億一千六百万円のうち、千五百万円が不足のため、各方面に資金の協力を求めています。

 水上勉さんの話:陽のあたらない身障者に希望をもって生きてもらうよう、この施設を「太陽の家」と名付けたいのです。私は日頃からなぜもっと会社や役所で身障者を使ってくれないのかと不満に思っていました。皆さんの協力をお願いします。








* 婦人民主新聞縮刷版第六巻( 婦人民主クラブ発行/1976年  5月 14日号より) *

* 不況の中でガンバル *
あさやけ作業所  障害者の労働権保障をめざして
社会参加への道     月給五千円だけれど

 「“あさやけ”で私は掃除、割箸の袋入れをしています。楽しいです。歌を歌うのが好きです。お弁当はお母さんが作ってくれます。自動車で迎えに来てくれます。時々、やんちゃを言って泣きます」----あさやけ作業所創立一周年記念の文集にターちゃん(29歳)はこう記している。作業所を訪れた時にも得意のナツメロを一曲、スクッと立ち上がり大きな声で歌ってくれた。ヨッちゃんはヨーグルトのヘラの袋づめ、ターちゃんとジュンとマコは、廃品回収であつめたボロをハサミで切ってウエス(自動車整備工場でつかう布きれ)をつくっている。みんな不自由な手と足を総動員、文字通り体当たりの作業だ(名前は仮名)。

 分離されがちな脳性小児マヒなど肢体不自由者と、知恵遅れの障害を持つ人が仲良く“同居”。いつもは十人くらいいるが、今日はカゼなどのために休みが多く、総勢五人、年齢は十八歳から二十九歳まで。

 「あさやけ作業所」は三年前、東京小平市にできた「障害者の権利を守り、生活の向上をめざす小平の会(=めざす会)」が運営母体。めざす会は・・・幅広い取り組みを展開するとともに、障害者の要求を掘り起こすため全市に生活実態調査を行った。
 この調査結果からきわめて深刻な問題として浮き彫りにされたのが、教育と労働の問題。

その後東京都の実施した「希望する障害児の全員就学」により、教育権の保障は大きく好転したが、労働権に関しては、その行政的施策は極めて貧しく、比較的軽度の障害者には都立の福祉作業所(二十ヵ所)、福祉工場(三ヵ所)があるが、障害の重いものにはほとんど皆無。全員就学による“出口”はできても、“出口”のお先は真っ暗。卒業生の半分以上は公立の福祉工場や作業所からもおちこぼれ在宅を強いられている。

 調査から浮かび上がった在宅者の切実な労働要求を行政の無策の前に放置することはできない。
「障害が重いから働かなくてもいいといわれる社会」よりも「障害が重くても働くことを通して社会と結びつき、生きる喜びを感じられる社会」を選び取る「めざす会」の仲間たちは、まず労働の場を確保し、その実践を行政に認めさせようと自分たちの力で作業所づくりにとりくんだ。
 折りよく会員の中から「作業所のために自分の賃アパートを二室を提供してもいい」という申し出があり、さっそく設立準備委員会が発足。
 メンバー総出での資金集め、小平市の助成金の取り付け、駅頭カンパや、カンパ袋を市内全域にまわしたりで、目標六十万を大きく上回る七十万円を得た。
 生活介助者や送り迎えの保障も会員の中のお母さんや青年たちが引き受けた。そして七四年六月にオープン。
 仕事の内容は簡単で安全、納期が厳しくない。設備・機械類がないなどの制限から内職的なものしか見つからず、ヨーグルトのスプーンの袋詰めからスタート。今では割箸の袋詰め、雑巾づくりウエスなど。

 割箸の袋入れは、一本につき五銭、一日の工賃は一人十円にも満たない(五万円稼ぐのに百万本。この内職では健常者がやっても“最低賃金”にも満たないだろう)。
 自立できる賃金は払えないとしても、労働意欲を少しでも保障するために賃金は一律月三千円(この四月から五千円)とした。
 「食事代でふっとんでしまう」額ではあるが「“あさやけ”はたんに収入を得る場ではなく、集団の中で働く喜びを感じながら人間としての発達を実現していく場でもあるのです」と作業所設立に意欲的に取り組んできた藤井克徳さん(小平養護学校教諭)はいう。
 行政の援助も固定した収入源もほとんどない“あさやけ”の台所はもちろんいつも“火の車”。開設時に五万円で購入したポンコツトラック(“あさやけ号”)による毎月一回の廃品回収、わかめ、コンブの販売、カンパなどでどうにか切りまわしている状態。

 しかし、不況下で仕事が途絶えることも。内職問屋に仕事が少なくなると、一つの仕事に半年もかかる回転の遅い身障者の仕事が真っ先に切られ、二月、三月には問屋からの発注がストップしたこともあった。もっと工賃のいい内職もたくさんあるがここにはまわってこない。
 東京都や市の助成金も今年度からとりつけに成功はしたものの地方財政危機で当初の予定より大幅にダウンだ。
 政府や財界レベルでの“不況脱出宣言”とやらはここでは遠くで響く鐘の音。不況の風はまっ先に弱いものを見舞い、そして去って行くのはもっとも遅い。

 しかし作業所の仲間たちはちっともへこたれない。「風当たりが強ければ強いほど、ますますみんなで力を合わせ、それを乗り越えるんです」藤井さんのことばは力強い。一台のトラックの稼ぎが三分の一になれば五倍のトラックをつぎ込む---不況をぶっとばす“あさやけの論理”だ。
 昨年の四月から徐々に受け入れ体制を拡大。開設当初の五人の仲間を十五人にふやし、専任の指導員も迎えた。週三回、十時から三時の労働時間も、「もっとサラリーマンらしくしたい」という労働者たちのつきあげで週五日、九時から四時となり、この一月には手狭まとなったアパートも引越し、三軒長屋をぶちぬいた十坪ほどの作業所もできた。

 最初のうちはほとんどはなしをしなかった人たちも、次第に明るさを取り戻し、テーブルを指でなぞったり、顔を緊張させながらも精イッパイ自らの要求を主張しはじめている。





2005年11月12日(土) 朝鮮学校生を門前払い 大阪市立大が推薦入試で




朝日新聞大阪版(11/11)
 
在日朝鮮人団体「学長の説明を」
大阪市立推薦入試

 大阪朝鮮高級学校(東大阪市)の生徒が大阪市立大学医学部看護学科の推薦入試で「朝鮮学校は高校にあたらない」との理由で出願を断られた問題で、在日朝鮮人団体の「NPO法人コリア人権生活協会」(天王寺区)は10日、「学長が生徒の保護者に説明してほしい」と同大学へ申し入れた。大学側は「来年度については出願資格の見直しも含めて検討する」との説明を繰り返した。

※「NPO法人コリア人権生活協会」 http://www.geocities.jp/jinken96/



朝日新聞大阪版(11/8)
 
市立大推薦出願拒否
「コリアNGO」抗議文を郵送

 大阪朝鮮高級学校(東大阪市)の生徒が大阪市立大学医学部看護学科の推薦入試の出願を断られた問題で、NPO法人「コリアNGOセンター」(東成区)は7日、「他民族・多文化共生の社会づくりを揺るがしかねない」とする抗議文を同大学へ郵送した。
 同大学は、一般入試では朝鮮学校生の受験を認めているが、推薦入試は「日本の高校に限る」として出願を認めていない。

※NPO法人「コリアNGOセンター」 http://korea-ngo.org/1ibento.htm


朝日新聞全国版(11/7)
 
朝鮮学校生を門前払い 大阪市立大が推薦入試で

 大阪朝鮮高級学校(大阪府東大阪市)の3年の女子生徒(18)が、大阪市立大の推薦入試の出願をしようとしたが、大学側から「朝鮮学校の生徒には資格がない」と出願を“門前払い”されていたことが7日までに分かった。

大学入試の受験資格は、2003年に一般、推薦を問わず大学が個別に判断できるとし、外国人学校や民族学校などの生徒にも門戸が開かれた。同大学はそれ以前から、一般入試で朝鮮学校生の受験を認めてきたが、推薦入試については門戸を閉ざしていたわけで、生徒の母親らが7日、大学を訪れ、出願を受け付けるよう求めた。

朝鮮学校などによると、女子生徒は看護師を目指し、同大学医学部看護学科の推薦入試を受けようと9月初めに大学に問い合わせた。



さて、『看護覚え書』フロレンス・ナイチンゲールより抜粋。
『看護覚え書』フロレンス・ナイチンゲール




 私は他によい言葉がないので看護という言葉を使う。看護とはこれまで、せいぜい与薬とかパップを貼ること程度の意味に限られてきている。しかし、看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさを適切に保ち、食事を適切に選択し管理すること----こういったことのすべてを、患者の生命力の消耗を最小にするように整えることを意味すべきである。




 この本は、看護という仕事が持つ趣きや面白さをすべて取り払ってしまい、人間の仕事のうち最も無味乾燥でつまらないものにしてしまった、と人びとはいうであろう。わが愛する姉妹よ、教育の仕事はおそらく例外であろうが、この世の中に看護ほど無味乾燥どころかその正反対のもの、すなわち、自分自身は決して感じたことのない他人の感情のただ中へ自己を投入する能力を、これほど必要とする仕事はほかに存在しないのである。----そして、もしあなたがこの能力を持っていないのであれば、あなたは看護から身をひいたほうがよいであろう。




 看護婦であると自称している多くの女性たちについて最も驚かされることは、彼女たちが看護婦教育のABCを勉強してきていないことである。看護婦が学ぶべきAは、病気の人間とはどういう存在であるかを知ることである。Bは、病気の人間に対してどのように行動すべきかを知ることである。Cは、自分の患者は病気の人間であって動物ではないとわきまえることである。




 何かに対して《使命》を感じるとはどういうことであろうか?それは何が《正しく》何が《最善》であるかという、あなた自身がもっている高い理念を達成させるために自分の仕事をすることであり、もしその仕事をしないでいたら「指摘される」からするというのではない、ということではないだろうか。これが「熱中するということ」であり、自分の「使命」を全うするためには、靴屋から彫刻家まで、誰もがもっていなければならないものなのである。
・・・このような「使命感」をもつ看護婦は、自分自身の理念を満足させることと患者に対する関心とに支えられて、患者の脈の状態を検べるであろう。だから、そのことは患者を煩わせずにうまく実施できるのである。また彼女は、指示があろうがなかろうが、排泄物の状態を観察してしまうであろう。それどころか排泄物の外見を見たとき、ちょっとした色の変化があるだけで、彼女の鋭い観察眼は、排泄のたびに便器が空けられていなかった事実をも見破ってしまうであろう。・・・




 そういう「使命感」をもつ看護婦は、自分の受持ち患者用に手渡された薬びんを全部調べ、においを嗅ぎ、気になれば味わってもみる。九九九回までは間違いはないであろうが、ちょうど一〇〇〇回目に、この看護婦のこの方法によって重大な間違いが発見される可能性もある。
 しかしもし、看護婦が自分自身の理念を満足させるために行うのでなければ、どんなに指示してやらせようとしても、それは無駄である。なぜならば、そのような看護婦はたぶん、どんな目的のためにも自分の嗅覚や味覚をはたらかせたりしないからである。




 「使命感」をもたない看護婦が、自分の受持ち患者の呼び鈴の音と 別の患者のそれとを聞き分けられるようになることは絶対にないであろう。
 彼女は、衰弱した患者のために・・・その指示された気付け薬を持ってくるのを、三時のお茶の時間まで遅らせたりする。・・・彼女は「何かしてほしくないか」を尋ねるために 眠っている患者を起こしたり、患者が《起きて》いるときには何の世話もしないで放っておいたりする。・・・
 卓台(テーブル)は物を置くためにあり、ベッドは患者が寝るためにある。しかし、そんな看護婦は、重い花瓶や大きな書物や、あるいは床にころがり落ちて汚れた当て枕などを、ベッドの上に置いたりする。・・・
 



 よい看護が行われているかどうかを判定するための規準としてまず第一にあげられること、看護者が細心の注意を集中すべき最初にして最後のこと、何をさしおいても患者にとって必要不可欠なこと、それを満たさなかったら、あなたが患者のためにする他のことすべてが無に帰するほどたいせつなこと、反対に、それを満たしさえすれば他はすべて放っておいてよいとさえ私は言いたいこと、----それは「患者が呼吸する空気を、患者の身体を冷やすことなく、屋外の空気と同じ清浄さに保つこと」なのである。ところが、このことほど注意を払われていないことが他にあるだろうか? 



 看護士になるには、今年度は一般受験に合格しなければならなくなった朝鮮民族学校の生徒さんも、今年度推薦入試を受ける日本の高校の生徒さんも、受験勉強、たくましくのりきってください。
 来年度もし、口約束が果たせなかったら、市大医学部看護学科に限っては、いっそ推薦入試をなくしてまえー、とぞ思ふよ。




各種学校・専修学校生も出願認める 大阪市大の推薦入試(朝日新聞2006年06月13日)
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200606130014.html

 大阪市立大は12日、今秋の理学部、医学部看護学科、生活科学部の推薦入試の出願について、各種学校・専修学校生にも同大学との事前協議で認めることを正式に決めた。昨秋、大阪朝鮮高級学校生の出願を断った問題が発覚し、見直しを進めていた。日本の商業高校、工業高校生に事実上限っている商、工学部の推薦入試は従来通りとなる。


「朗報」なのに、ネットに流れている情報は、検索では少なく感じました。
朝鮮学校生は、情勢的にも守られてしかるべき子どもたちだと思いますし、大阪市立大学は、昨年、門前払いした朝鮮学校生に少しでも詫びる気持ちがあるなら、全国の外国人学生の推薦入試受け入れを行っている大学についての情報発信にも力を入れてほしいと思います。ワタシも調べさせていただきたいと思います。



2005年11月03日(木) 障害者差別と女性差別





* 婦人民主新聞縮刷版第五巻( 婦人民主クラブ発行/1972年 12月 1日号より) *

* 人間らしく生きたい * 

 障害者差別と女性差別  施設の中から訴える  みんなは自由に選べるのに  入浴のせわは男性職員が

(十一月三日アジア婦人会議シンポジウムにて)

東京府中療育センター在所生有志グループ にったきぬこさん



 わたしは、にんげんであると、どうじに、しょうがいしゃであるとどうじに、おんなである。
 にんげんであるならば、いきることをぜんていとし、きょういくは、とうぜんのごとく、けっこんなど、そくばくをうけず、じゆうにせんたくできる。
 おんなであるならば、みなりにきょうみをもったり、はじらいをもつのが、とうぜんであろう。
 しかし、わたしは、にんげんとしていきることをひていされ、したがって、おんなであることもひていされるのである。これが、けんぜんしゃと、しょうがいしゃのちがいである。
 わたしは、げんざい「ふちゅうりょういくせんたー」というところにはいっている。いきることをひていされたにんげんは、いまのところ、しせつしかないのだ。いや、しせつしかないとされているのだ。
 しょうがいしゃだからといってなぜ、しせつへ、ほうりこまれなければならないのか。あなたたちはこれを、どうかんがえているのか。
 わたしたちしょうがいしゃを、「やっかいもの、じゃまもの、やくにたたないもの」として、しゃかいのすみへ、すみへと、おいやってしまう。それは、こっかけんりょくだけではない。それは、あなたたち、けんぜんしゃなのだ。

 にんげんというげんてんからみれば、わたしたちだって、おなじにんげんなのだ。なのに、どうして、これほどまでに、さべつされなくてはならないのか。
 しょうがいしゃは、しせつでくらすのがとうぜんだと、しせつにはいっていれば、おなじようなひとがいて、ともだちもできるからしあわせだと、よのなかのひとはいう。たにんのいしによっていれられて、なにがしあわせなのか。よのなかのひとは、しせつのなかはしらないのだ。

 しせつのじったいとは・・・・・・、わたしのいるせんたーでは、きしょうは5じはん、それからはじまり1にちじゅう、じかんでこうそくされ、たべて、ねて、だす、それだけでおわってしまう。
 すこしでも、じぶんのいしをだすと、「あんたたちは、たべるしんぱいもないし、ねるところのしんぱいもない。わたしたちは、いくらはたらいても、そのほしょうがない。それなのに、もんくをいうなんてぜいたくだ」とか、「わたしたちのぜいきんでいきているのに」とか、「くにはどうして、むだなぜいきんをつかうのかしら、はたらくのがいやになるわ」といわれる。なぜに、こうまで、しいたげられなければならないのか。

 また、せんたーでは、にゅうよくのとき、かいすいぱんつひとつのだんせいが、わたしたちをだしいれする。からだをあらわれるときもある。いじわるなしょくいんは、わざと、そうしむける。わたしは、そういうひとのきがしれない。もし、じぶんが、わたしたちのたちばでそうされたなら、ないてもなききれないだろう。
 わたしがにゅうしょして三かめ、にゅうよくびだった。かいすいぱんつひとつのだんせいが、たっていた。ふしぎにおもっていた。はじまったらでていくのだろうと、おもっていた。そのうちはじまり、二~三にんに、うむもなくぬがされ、だいのうえに、あおむけにねかされてしまった。
 わたしは、としごろになってからは、ちちおやとだって、はいったことはない。それなのに・・・・・・。わたしは、そのひ、しょっくでねこんでしまった。しょくじなんてのどをとおらない。
 それから、わたしは、にゅうよくをきょひしつづけた。と、どうじに、にゅうよくかいごを、じょせいにしてほしいといいつづけた。
 しかし、しょくいんは「あなた、いれてもらうだけでも、ありがたいとおもいなさい。はずかしなんて、わがままよ」という。おんなとして、はじらいをもつことは、わがままなのであろうか。

 にゅうしょして、やく一ねんぐらいたったあるにゅうよくび、しゅにんが、わたしにむかって、「きぬちゃん、もうなれた。もうなれてもいいじきよ。あなたはひとよりものわかりがいいんだから」といってきた。
「なれたってどういういみ」かと、ゆびもじでききかえすと、「そっそれは・・・」とにがわらいして、いってしまった。「なれた。なれろ」とは、いったい、どういうことなのだろう、おんなとしてのかんじょうや、いしきを、すべてすてろと、いうのだろうか。それでは、あまりにもひどい。
 しかし、なおも、それへのこうげきがかけられる。おんなとしてのしるし。ははとなるためのあかし。せいり。わたしにも、それがある。あって、とうぜんなのだ。しかし、しょうがいしゃ、とくにじゅうどのじょせいに、せいりがあるのが、おどろきであるらしい。
「なんで、こんなからだにあるのかしら。おまけにながくて・・・。とってしまえばいいんだよ。そしたら、こっちだってらくだし、じぶんだって、きをつかわなくってすむ。だけど、やだねえ・・・」とまいつきのようにいわれる。あんまりいわれるので、いちじ、なやみになやみ、とってしまおうかとも、おもったことがあった。
 わたしは、かていにいたとき、おんなとして、とうぜんあるものと、おしえられた。しかし、せんたーでは、きいだとしかおもわれない。しせつとは、だんじょのくべつをなくし、ひにんげんあつかいし、なにがしたい、なにかがほしいという、どんなちいさなようきゅうでも、すべて、うばいさられてしまう。

 ながくはいっていると、じぶんのいしをあきらめきって、ださなくなってしまい、ただ、たべて、ねて、だす、それだけのせいかつになってしまい、いかされたにんげん、いきたにんぎょう、にされてしまう。
 わたしは、かずしれず、そういうひとたちをみてきている。わたしも、そのうちのひとりになろうとしていた。しかし、わたしにはそれが、がまんできないのだ。
 はいじんどうようにされてしまうのが・・・・・・。わたしは、しせつのなかで、にんげんとしていきるため、おんなとしていきるため、むこうからいわせれば、はんこう、わたしからいえば、とうぜんのようきゅうとして、たたかってきた。しかし、しょうがいしゃにはとうぜんのことが、なにひとつとして、なされていないのだ。
 なぜに、ここまで、わたしたちしょうがいしゃは、さべつをされなければならないのか。しょうがいしゃさべつされ、なおも、じょせいさべつをされている。
 わたしはうったえたい。じょせいかいほうとは、なんなのか。じょせいさべつとは、いったい、なんなのか。あなたたちは、おそらくわたしたちしょうがいしゃの、おかれているげんじつなど、しらないだろう。



「障害」者施設の中でこのような女性差別が行われていたことを知らなかった自分自身に怒りを向けるしかありません。





 < 一つ前の日記  目次  次へ>


ミンク [MAIL]

My追加