人権〝一日100質〟
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2005年04月25日(月) アフガン:懸命な姿生き生きと 孤児らにカメラ託す--宝塚の西垣さん 



なぜ いまアフガニスタンなの?から抜粋
http://www.ne.jp/asahi/shake/hand/page038.html

2001年9月に起こった『ニューヨーク多発テロ』
直接の犠牲者はWTCにいた方、飛行機に乗り合わせた方、その家族や救助にいかれた消防士の方、その遺族etc。 アメリカの報復攻撃でWTCで被害にあった人数以上のアフガン人が死亡しているのが実態。 侵略・内戦で長年苦しい生活を強いられているアフガニスタンの一般国民方々への援助・義援金はとても少ない 犠牲になっているのはいつも『女性』『子供たち』 国内での民族の差別化、カンボジア以上に今なお各地に埋められている地雷の犠牲者、内戦で両親を失った子供たち、住む所を追われた難民 こんな人たちのために何とか少しでも支援できないか?






アフガニスタンの歴史

人口1800万人。首都カブール。面積652千k㎡(日本の約1.7倍)。宗教イスラム教(ほぼ 100%)。民族パシュトゥン人(最も多い)、タジク人、ハザラ人、ウズベク人など20以上の民族。平均寿命45歳(未確認情報)。気候砂漠気候(BW)若しくはステップ気候(BS)
海の無い国。イラン、パキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタンと国境を接する。
国家予算の95%以上が海外からの援助(ODA-政府開発援助 Official Development Assistance)
タリバン時代(1994~2001)
『いつも犠牲になっているのは子供と女性』
女性の仕事・学問・外出の禁止
『隠れ学校』-タリバン時代女の子は学校にも行けず『隠れて』勉強するしかありませんでした。教える先生のお給料も西垣さんが面倒見ていました。
 買い物は男の仕事
音楽・娯楽・テレビの禁止
スポーツの禁止
言論の自由は勿論なし
服装の制限、あごひげは当然
↓ 違反者はすぐに処刑(首都カブールのサッカー場は処刑場)


1970代後半 親ソ連社会主義国家(イスラム文化否定)
1979年 ソ連侵攻(反ソ連政府の樹立) (アメリカのアフガンへの武器提供) 難民流出 アラブ人ビン・ラディン参戦
1980年 モスクワオリンピック(日本、アメリカ、西欧諸国などボイコット)
1984年 ロサンゼルスオリンピック(ソ連、東欧諸国ボイコット)
1988~1989年 ソ連撤退
1989年以降 内戦再発 難民流出
1990年 湾岸戦争(アメリカのイラク攻撃 クウェート侵略の報復) 
  アメリカのイスラム諸国支配願望-反米感情
1991年 ソ連崩壊
1991年以降 反米テロ各地(ジハード)で勃発 ビン・ラディン関与
1994年 タリバン政権(アラビア語の『イスラム学の学生』の意味-世直しのために決起した無欲な学生) 難民流出
1996年 ウサマ・ビン・ラディン『アル・カイーダ』編成アフガン入り タリバン受け入れ(陰の実力者) 金銭的・軍事的に大きく貢献
2001年2月 タリバンによるバーミヤン仏像の破壊(干ばつによる農産物不作続く。支援を求めたが…)
2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ ビン・ラディン関与
2001年10月7日 アフガン空爆開始 ビン・ラディン引渡し拒否 難民流出 たくさんの一般市民が犠牲に
2001年10月 タリバン崩壊
2001年12月 カルザイ暫定政権樹立
2004年10月8日 大統領選挙






毎日新聞 2005年4月25日〔阪神版〕
アフガン:懸命な姿生き生きと 孤児らにカメラ託す--宝塚の西垣さん /兵庫
 ◇現地の子らが撮ったアフガン社会の現状--宝塚、現地で展示の予定

 「宝塚・アフガニスタン友好協会」代表の西垣敬子さんが、アフガンの子どもたちに渡して撮影してもらった使い切り簡易カメラ(レンズ付きフィルム)を持ち、帰国した。現像した写真は約400枚。子どもたちの目線で切り取られたアフガンの現状や、貧しくとも復興に向けて懸命に生きる姿が伝わってくる。西垣さんは今後、日本だけでなくアフガンでもこれらの写真の展示会を開く予定だ。  西垣さんは先月27日にアフガン東部の街、ジャララバードに入った。出発前、「カメラのナニワ心斎橋本店」(大阪市)にあったギャラリーが閉鎖前最後の作品展示・即売会を開き、収益金をカメラに替えて西垣さんに託した。西垣さんは現地の孤児院の子どもら21人にカメラを渡した。  初めてカメラを手にした子どもたちは、使い方を教えてもらったうえで親類宅や孤児院周辺で思い思いに撮影。その後、西垣さんがカメラを回収して今月7日、日本に持ち帰った。  ナン(主食のパン)だけの食事、小さな明かりだけで勉強する子ども……。アフガンはここ数年、干ばつに苦しめられてきたが、今年は大雪で雪解け水に恵まれたといい、緑の中に花を見つけて喜ぶ少女の写真もある。  写真は今年8月には宝塚市内で展示。11月には西垣さんがジャララバードに再び入り、撮影した子どもたちに写真を渡したり、現地で展示会を開く予定という。  孤児院も展示会を楽しみにしているといい、西垣さんは「土壁に自分たちが撮った写真が飾られた時に、子どもたちの喜ぶ姿が今から目に浮かびます」と話している。
















いまなぜアフガンの子どもたちなの



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