
☆ある差別事件
高知市帯屋町大丸の前で白装束を着て「私はえたの、よつの生まれで、犬の骨を食べちょります。恵んでください」と物ごいをした事件では、同一人物はそれより先に(香川県)高松でも同じことしていた。
高松の対応は追い払っただけであった。
高知は見て見ぬふりだった。が 民間人(同和関係者)が森田益子さんに通報し、益子さんは 彼の生活保護を申請した(差別事件として取り上げておしまいとするのではなく、差別者本人に対して道理を説き 自立を促すことを忘れなかった)。
水平社宣言が、この人のなかに体現されている。森田益子さんは他に、生活保護の男女格差をなくす闘い等も展開されている。
☆平成13年 12月 定例会 議会答弁より転載
それから次に、差別事件の対応でございますが、実はきのう、おととい、竹島の住宅におきまして自転車置き場でのささいないきさつをめぐって、相手の人が、「こら、おんしゃあはえたじゃろが」と言うた事件がありました。そうすると言われた方も激高したために、2人が殴り合いになった。そうすると、これは私は警察本部長には質問の時間がなかったのでしていないが、そのときに警察は要請されて出動されたようです。けれども、「けんかは両方が殴り合いじゃき、おまえらで話をせえ」と言うて、事件にせずそのまま立ち去った。
私は、単にけんかとして片づけるのか、その原因がえたと言われたことに起因するのかは、せめて警察官ならそればあの事情聴取はしてほしかった。もし、それで傷害事件にでも発展したら……。大分前に、板場さんが調理場で「えたのつくったもんが食えるか」と言われたときに、出刃包丁でその相棒を刺した事件がございました。もし、そのえたと言われた、それが10人も人のおる中でえたと言われたことに激高して暴力事件になって相手に傷害を加えたときには、傷害罪にはなるでしょう。私はやっぱり原因というものをもうちょっと親切に、人権の観点で警察官も尋ねてほしかったと思います。
そして、先月でしたが、ある市内の病院で、これも差別事件がありました。それを私のところへ訴えてきました。今度のきのう、おとといの事件も、私のところへ訴えてきました。私は口幅ったいことを言うけれども、部落差別をなくする同和団体と称する団体が三つ、四つあるようですけれども、本当に差別をされた人が訴えてきたのは我が同盟だけだと思っちょります。あるところへは1件ずつ、私の50年の経験の中で1件ずつしか訴えていっていない。差別がないと言いゆう団体へは一度も相談に行ったように聞きません。それから、ある団体へはたった1人。ほんで、おとといのがも、私の団体へ訴えてきました。
それから、先月ある市内の病院、精神科の病院ですが、そこの看護士が随分ひどい差別をするので、これも私のところへ言うてきました。そこで私は、県の人権課と市の人権啓発課に1人ずつ来ていただいて事情を聞いていただきました。それから私は、ここで演説しよったらなかなか長うなりますけれども、私なりに50年培うた解放理論に基づいてその方を励まし、そして「こういう対応を考えたら、もう一遍病院で」ということで話した結果、相手もその非を認め反省文を書かせて、双方が和解をしたということで、ちょうど私は何かの委員会があったさなかでございまして、「きょうの3時に差別した者、された者が報告に来る」という報告を受けておりましたが、「それは報告じゃき、私がおらいでも構わんき、聞いちょいてや」と。「そのかわり、県と市のこないだ立ち会うた人は呼んで、報告を受けなさいや」と言うて事務所に指示をしちょいて委員会をしておりましたところが、私に電話が入りました。「県が来んと言いよります」と、「そんなのへ立ち会わんということです」ということです。
だから私は、知事さん、あなたに直訴しましたね。いかなる差別事件をも、いかなる問題も、事実関係をきちっと踏まえて、そしてこの差別事件はだれがどんなように指導せないかんか、どんな啓発をせないかんかというのは、私は差別事件の内容によってそれぞれに違うと思います。なぜ私が県をどうしても、今まで一市町村で起きた事件は大体一市町村で解決つけるのは慣例でしたけれども、私は長寿社会政策課を指導に当たらせないかんと判断をしました。患者同士の激しい差別。少々精神的に障害がある人でも、もうえたという言葉は日常茶飯事に使われるというて聞いたとき、やっぱり長寿社会政策課にどのような行政指導をさすかということでかみ込まないかんと思ったので、県に来てほしいと言うたら、県は聞く耳を持たん。知事に直訴すると、さすが知事の命令にはさっと、私が委員会が済んで事務所へ帰ったら来ておりました。
それで、私も腹が立つき、「あんた、私んくが来いと言うても来れんがじゃったら、知事が言うても、なぜそれで私は行けませんと言うてけつをまくらんぜよ」と。「それが、今回のやみ融資でも主体性を失うたと言われゆうろう」と。「あなたはさっき、うちへは来れんと言うなら、あなたの主体でそれは物を言うたろう。そしたら、知事が言おうと総理大臣が言おうと、いかんものはいかんと、なぜこう言わざったぞね」と言いました。けれども、それから後でも、もし今度こういうことがあっても県は立ち会わないと言ったようです。
もし、このおとといの竹島の差別事件が県営住宅内で起きたらどうしますかと私は聞きたいと思います。これは飛び込みです、おとといじゃったき。これは企画振興部長に問いたい。あんたんくは、それへ立ち会うことが問題がある、市町村からの報告を受けると言いました。おとといはたまたま市営住宅で起きました。けれども、あんたところの、もしあなたんくが家主である県営住宅でそういう事件が起きたときは一体、今までのような対応で臨みますか。それをお尋ねしたいと思っています。
私は、やっぱり差別事件でも、すべてです、すべて真実を知った上でさまざまの対応があると思います。私は、絶えず言うように、五十有余年の間そのことに本当に自分の半生を費やしてきて、さまざまな差別事件に遭遇しました。けれども、私たちの信念は、ある団体が誹謗をするように徹底糾弾じゃということではございません。差別は憎みます。私は、差別はだれよりも憎みます。けれども人は憎みません。人を憎むことで本当の部落解放にはつながりません。それを実施してきました。ここでその自慢話を挙げると切りがないのでやめますけれども、私は本当に、差別をされた者で私に出会って私を恨みに思うちゅう人はいないという自信を持っちょります。
これは冗談の話じゃけんど、大丸の前で白装束を着て「私はえたの、よつの生まれで、犬の骨を食べちょります。恵んでください」と言うて、大丸の前で座って物ごいをしよった事件があります。その人と縁があって、私はその人の生活をまず保障するために生活保護も申請させました。帯屋町を腕を組んで、「あんた、ええかね。私の事務所はここじゃき、あした来なさいよ」。その人に言われました、「おまん、どうして私らにこんなに親切ぜよ」と。差別は憎みます、私は。けれどもある日、小石木の夕涼み会で出会うたときに、私はその人にビールも買い、そして串も買い与えました。そしたら、「しょう、このおばさん怒るときは怖いけんど、しょう親切なよ。このおばさんとめおとになっちょったらよかったよ」。生まれて初めて夫以外の男から言い寄られたのがそのときでした。
私は本当に差別した人にそのようにした覚えはございません。けれども差別事件に対する県の対応は一歩も二歩も引け腰。ある団体の言い分をそのままうのみにしておるのかあたかも人間に害をするような私たちだと認識しておるのかとにかくその日も出ようとしませんでした。
