人権〝一日100質〟
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2003年03月22日(土) 森田益子さんはここまで面倒みるよ⑥


☆ある差別事件

高知市帯屋町大丸の前で白装束を着て「私はえたの、よつの生まれで、犬の骨を食べちょります。恵んでください」と物ごいをした事件では、同一人物はそれより先に(香川県)高松でも同じことしていた。
高松の対応は追い払っただけであった。
高知は見て見ぬふりだった。が 民間人(同和関係者)が森田益子さんに通報し、益子さんは 彼の生活保護を申請した(差別事件として取り上げておしまいとするのではなく、差別者本人に対して道理を説き 自立を促すことを忘れなかった)。

水平社宣言が、この人のなかに体現されている。森田益子さんは他に、生活保護の男女格差をなくす闘い等も展開されている。

☆平成13年 12月 定例会 議会答弁より転載

それから次に、差別事件の対応でございますが、実はきのう、おととい、竹島の住宅におきまして自転車置き場でのささいないきさつをめぐって、相手の人が、「こら、おんしゃあはえたじゃろが」と言うた事件がありました。そうすると言われた方も激高したために、2人が殴り合いになった。そうすると、これは私は警察本部長には質問の時間がなかったのでしていないが、そのときに警察は要請されて出動されたようです。けれども、「けんかは両方が殴り合いじゃき、おまえらで話をせえ」と言うて、事件にせずそのまま立ち去った。
 私は、単にけんかとして片づけるのか、その原因がえたと言われたことに起因するのかは、せめて警察官ならそればあの事情聴取はしてほしかった。もし、それで傷害事件にでも発展したら……。大分前に、板場さんが調理場で「えたのつくったもんが食えるか」と言われたときに、出刃包丁でその相棒を刺した事件がございました。もし、そのえたと言われた、それが10人も人のおる中でえたと言われたことに激高して暴力事件になって相手に傷害を加えたときには、傷害罪にはなるでしょう。私はやっぱり原因というものをもうちょっと親切に、人権の観点で警察官も尋ねてほしかったと思います。
 そして、先月でしたが、ある市内の病院で、これも差別事件がありました。それを私のところへ訴えてきました。今度のきのう、おとといの事件も、私のところへ訴えてきました。私は口幅ったいことを言うけれども、部落差別をなくする同和団体と称する団体が三つ、四つあるようですけれども、本当に差別をされた人が訴えてきたのは我が同盟だけだと思っちょります。あるところへは1件ずつ、私の50年の経験の中で1件ずつしか訴えていっていない。差別がないと言いゆう団体へは一度も相談に行ったように聞きません。それから、ある団体へはたった1人。ほんで、おとといのがも、私の団体へ訴えてきました。
 それから、先月ある市内の病院、精神科の病院ですが、そこの看護士が随分ひどい差別をするので、これも私のところへ言うてきました。そこで私は、県の人権課と市の人権啓発課に1人ずつ来ていただいて事情を聞いていただきました。それから私は、ここで演説しよったらなかなか長うなりますけれども、私なりに50年培うた解放理論に基づいてその方を励まし、そして「こういう対応を考えたら、もう一遍病院で」ということで話した結果、相手もその非を認め反省文を書かせて、双方が和解をしたということで、ちょうど私は何かの委員会があったさなかでございまして、「きょうの3時に差別した者、された者が報告に来る」という報告を受けておりましたが、「それは報告じゃき、私がおらいでも構わんき、聞いちょいてや」と。「そのかわり、県と市のこないだ立ち会うた人は呼んで、報告を受けなさいや」と言うて事務所に指示をしちょいて委員会をしておりましたところが、私に電話が入りました。「県が来んと言いよります」と、「そんなのへ立ち会わんということです」ということです。
 だから私は、知事さん、あなたに直訴しましたね。いかなる差別事件をも、いかなる問題も、事実関係をきちっと踏まえて、そしてこの差別事件はだれがどんなように指導せないかんか、どんな啓発をせないかんかというのは、私は差別事件の内容によってそれぞれに違うと思います。なぜ私が県をどうしても、今まで一市町村で起きた事件は大体一市町村で解決つけるのは慣例でしたけれども、私は長寿社会政策課を指導に当たらせないかんと判断をしました。患者同士の激しい差別。少々精神的に障害がある人でも、もうえたという言葉は日常茶飯事に使われるというて聞いたとき、やっぱり長寿社会政策課にどのような行政指導をさすかということでかみ込まないかんと思ったので、県に来てほしいと言うたら、県は聞く耳を持たん。知事に直訴すると、さすが知事の命令にはさっと、私が委員会が済んで事務所へ帰ったら来ておりました。
 それで、私も腹が立つき、「あんた、私んくが来いと言うても来れんがじゃったら、知事が言うても、なぜそれで私は行けませんと言うてけつをまくらんぜよ」と。「それが、今回のやみ融資でも主体性を失うたと言われゆうろう」と。「あなたはさっき、うちへは来れんと言うなら、あなたの主体でそれは物を言うたろう。そしたら、知事が言おうと総理大臣が言おうと、いかんものはいかんと、なぜこう言わざったぞね」と言いました。けれども、それから後でも、もし今度こういうことがあっても県は立ち会わないと言ったようです。
 もし、このおとといの竹島の差別事件が県営住宅内で起きたらどうしますかと私は聞きたいと思います。これは飛び込みです、おとといじゃったき。これは企画振興部長に問いたい。あんたんくは、それへ立ち会うことが問題がある、市町村からの報告を受けると言いました。おとといはたまたま市営住宅で起きました。けれども、あんたところの、もしあなたんくが家主である県営住宅でそういう事件が起きたときは一体、今までのような対応で臨みますか。それをお尋ねしたいと思っています。
 私は、やっぱり差別事件でも、すべてです、すべて真実を知った上でさまざまの対応があると思います。私は、絶えず言うように、五十有余年の間そのことに本当に自分の半生を費やしてきて、さまざまな差別事件に遭遇しました。けれども、私たちの信念は、ある団体が誹謗をするように徹底糾弾じゃということではございません。差別は憎みます。私は、差別はだれよりも憎みます。けれども人は憎みません。人を憎むことで本当の部落解放にはつながりません。それを実施してきました。ここでその自慢話を挙げると切りがないのでやめますけれども、私は本当に、差別をされた者で私に出会って私を恨みに思うちゅう人はいないという自信を持っちょります。
 これは冗談の話じゃけんど、大丸の前で白装束を着て「私はえたの、よつの生まれで、犬の骨を食べちょります。恵んでください」と言うて、大丸の前で座って物ごいをしよった事件があります。その人と縁があって、私はその人の生活をまず保障するために生活保護も申請させました。帯屋町を腕を組んで、「あんた、ええかね。私の事務所はここじゃき、あした来なさいよ」。その人に言われました、「おまん、どうして私らにこんなに親切ぜよ」と。差別は憎みます、私は。けれどもある日、小石木の夕涼み会で出会うたときに、私はその人にビールも買い、そして串も買い与えました。そしたら、「しょう、このおばさん怒るときは怖いけんど、しょう親切なよ。このおばさんとめおとになっちょったらよかったよ」。生まれて初めて夫以外の男から言い寄られたのがそのときでした。
 私は本当に差別した人にそのようにした覚えはございません。けれども差別事件に対する県の対応は一歩も二歩も引け腰。ある団体の言い分をそのままうのみにしておるのかあたかも人間に害をするような私たちだと認識しておるのかとにかくその日も出ようとしませんでした。





2003年03月05日(水) 「市政だより」「広報」の中の同和問題

ダーツの旅①

篠山市人権同和教育研究協議会 ★★★★★ いまだ引越し先が同和地区であるかないか調べる人がいるそうですが。

 差別への思いにふれて  M 子

 6年ほど前、主人の転勤で現在の住まいに転居してきました。転居してまもなく、ポストに“会館だより”が入ってました。はじめは「何かな?」」と思いましたが、別に気にもとめていませんでした。が、何度か“会館だより”が配布されて、読んでみると、いつも部落差別に関することが書いてありました。「もしかしたらここは………」と不安でいっぱいになりました。

 そのうちに、近所の方からここは同和地区であることを聞きました。それからの私は、住所を聞かれてもはっきりと言えなくなりました。が、心のなかには、自分は新興住宅地に住んでいるのだが、対象地域の人間ではないのだ、という間違った思いがいつもあったように思います。

 そういう状態で何年か過ぎ、我が子が幼稚園に入る年齢になりました。家のすぐ近くに同和保育所があり、園児達が楽しそうに散歩したり、毎日「ファイト!」とかけ声をかけながらマラソンをしている姿を見ていました。でも、同和保育所というこだわりがあり、わが子を入所させるということは全く考えていませんでした。私立の保育園へ問い合わせたり、子どもを連れて見学に行ったりもしました。しかし、下の子どもがまだ小さかったので、どこも送迎するのに無理があり結局、近所にある同和保育所に預けるしかしようがないことになりました。子どもを保育所に入れても、部落差別は自分には関係ないことだし、子どもだけ見てもらえればいいと思っていました。入所の案内に、「差別をしない、させない、許さない子どもを育てる」と書いてあるのを読んで、ある怖さみたいなものさえ感じてしまっていました。

 子どもが保育所生活を送るようになると同時に、私も保育所が取り組んでいる同和問題の研修会に、無理でも出席しなければならなくなりました。同和問題について話し合いをしたり、生命の尊さをテーマにつくられた同和問題啓発紙が配布されたりしました。そのとき私は、「いつも同和同和ってかなわんわ」と思っていました。その奥底には、自分の偏見、差別心をのぞかれるのがこわいということがあったと思います。

 同和問題の研修会では、地域のお母さんたちが、自分が今まで受けた差別体験を話されます。そして、自分の子どもを見て、この子も自分のような差別を受け、つらい思いをする時が来ると思うと、「もう大きくならんといて」と思うときがあると、声を詰まらせながら話されました。しかし、私には、対象地域の人間でないから……という気持ちが根強くあり、話を聞いて胸が詰まる思いをしていても、なかなか自分の問題として考えられませんでした。

 ところが、何度も研修会に出て、対象地域に住むお母さんにふれて、自分の考えを自分自身に問い直すようになりました。私は部落差別をしている一人なのだ。こんなつらい思いをさせているのは私なんだ、とやっと気がつきました。多数の中にいた方が安心だという意識こそが、差別されている人を見ても、見て見ぬふりをさせている理由の一つではないでしょうか。

 地域のお母さんが、言いたくない差別体験のつらい思いをなぜ話してくれるのだろうか。それは、「子どもには絶対こんなつらい思いをさせたくない。差別するような子に対して見て見ぬふりをする子どもに育てたらあかん。差別に負けない子どもに育てるのだ。だから、今、子どもにどうかかわるかがとっても大事なことだ」という強い思いが、しんどくても周りの人に言っていくという啓発活動への原動力になっているのだとわかりました。

 地域のお母さんの子どもにかける願いを知り、自分の子育てを猛省しました。誰しも自分の子どもは可愛いから精一杯の愛情をかけて育てていると思います。でも、私の場合は、子どもに愛情を注いでも、それは自分の所有物として、自分の思うような子どもに育てたい、という私の勝手な希望で、子どもの気持ちを、人権を全く無視していたのです。

 自分の住む地域でありながら、なかなか行くことができなかった教育集会所。そこで行われる文化祭を3年前初めて見に行きました。「新興住宅に住んでおられる人はほとんど行っていないのに、私が行ってどう思わはるやろ、近所の人は変に思わへんかしら……」そんなことを思いながら出かけました。

 文化祭で地域のお母さんたちが、部落解放に託す思いをつづった歌を歌われました。その歌を聴いて、私は頭を上げられませんでした。涙が出てきて、「ごめんなさい、ごめんなさい」そんな思いがこみ上げてきました。こんなつらい歌を歌わせているのは私たち周りの人間なのです。「私は地域の人間じゃないから関係ない」ではいけないのです。人として生まれてきて、みんな同じに幸福に生きる権利があるはずなのに……。何百年と続いた部落差別の歴史のなかに、自分の人生が組み込まれていく人がいるのです。

 地域のお母さんが、「同和教育は地域のためにやっているのと違う。自分自身の問題なのに、何で私たちがいつも言っていかなあかんの」と、涙を流しながら話されました。今になって、やっとその言葉がわかるようになりました。同和教育は誰のためでもない。自分自身の問題なのです。自分を相手の立場に置き換えたら、絶対差別なんてできなくなるのではないでしょうか。

 私は、子どもが同和保育所に入ったことで、親として、人として一番大事なものに気づくことができたことを喜んでいます。そして、今度は私がまわりの人たちに勇気を出して、差別される人たちの苦しみや願いを言っていくことが“差別”をなくしていくための第一歩なのだと思います。


国府町役場広報こくふ ★★★☆☆ 吹き出しのセリフがgood(姫)

人権を考える/94
「人権のまちづくり」への参加 ~その時、あなたはどう答える?~
身元調査ってどんなこと?


身元調査は許されません
 「もし、自分の知らないところで、自分のことや家柄、家庭環境などについて調べられたら」あなたはどう思いますか。
 このような身元調査は、個人のプライバシーの侵害などの人権侵害につながる恐れがあります。特に、結婚や就職の際に行われる身元調査は、多くの場合、重大な人権侵害や差別行為になる恐れがあり、許されません。
身元調査は人の生命(いのち)をも奪う
 このような身元調査を自ら調査、興信所などの調査機関に依頼して調査、身近な人や知人に問い合わせし、行うことや、「身元調査を行うことはやむを得ない」と容認する考え方の背景には、人間の尊厳を無視した差別意識や偏見があります。
 問い合わせをしたり、答えたりすることが、人の幸せを壊し、命をも奪いかねないということに気づかなければなりません。
きっぱり断る勇気と行動を
 人権侵害につながる身元調査は、調査を依頼する側の差別体質がなくならない限り、そして、調査があっても断り、調査を許さない人権尊重の意識の高まりがない限り、あとを絶ちません。
 そのためにも、身元調査がなぜ許されないかを正しく知り、自らがしないことはもとより、「身元調査はゆるされないことですよ」と、きっぱり断る行動を起こしていくことが大切です。
 鳥取県(国府町)では、差別や偏見をなくす教育、啓発を行い「身元調査お断り運動」を進めています。
 この運動をすすめていくのは、私たち一人ひとりなのです。
鳥取県部落解放研究所リーフレット参照



市政だより きたきゅうしゅう ★★★★★ 就学前教育ってそうなんだ(姫)

親の言葉や態度は、子どもに大きな影響を与えます。これから紹介する作文は、父親から偏見を正された人の体験です。この問題を自分のこととして、自分だったらどのような行動をとるかを考えてみてください。


~平成12年度 人権作文優秀賞作品から~


 夫の急な転勤のため、生後間もない息子と家族三人、川沿いのこの町に引っ越して来たのは一年前のこと。近くに公園や河川敷など自然が多く、成長した息子と散歩したり遊んだりするのを私は楽しみにしていた。
 しかし、私たちは転居後に思いもかけないことを周囲の人々から聞くことになった。それは、この町は同和地区なので、とにかく気を付けた方がいいという話だった。
 移転先の住所を知った夫の年配の同僚は、「知り合いの不動産屋を紹介するから、すぐ引っ越した方がいい」とまで言い、後日遊びに来た私の友人も同様なことを言った。皆、親からそう聞いて育った人々だ。

 私の気持ちは一挙に不安と後悔一色になってしまった。よりによって、どうしてわざわざそんな所に引っ越してしまったのか。何より自分の子どもがいつか、「あの地区の子よ」と、後ろ指をさされるのではないかという不安がよぎる。子どものころ、道徳の時間に同和問題を学び、「同和問題なんて昔のこと。私は決して偏見を持たないし、差別などしない」と思っていたにもかかわらず、いざかかわりができると、実は世間体を気にする自分がいたのだ。
 しかも、不思議なもので、そう思い始めると、突然、自分の目に色眼鏡がかかってしまったかのように、転居地がさも恐ろしい所のように思えてならない。道ですれ違うだれもが、なんだかとても疑わしい人に見えてしまう。私はこれからこの町で、本当に暮らしていけるのだろうか。

 ある日、私は実家の両親に、引っ越したばかりの町が同和地区らしいと話した。どちらかというと、世間体を重んじる父には、「どうしてもっとよく調べて決めなかったのか」と怒鳴られるとばかり思っていた。しかし、父の反応は思いがけずあっさりとしたものだった。「そうか、別にいいじゃないか。その町は、実は、結構そういわれている所が多いんだ」。
 結局、その夜は両親と夫と同和問題について語り合うことになった。実は、父は以前、会社で人事課にいた関係で同和問題に精通していて、社員に同和教育をする立場にいたらしい。差別の意味のなさ、愚かさを説く父の言葉に、次第に私も不安が解け、心が軽くなっていった。父のことを見直すと同時に、このとき、私が身をもって感じたことは、親から子へ受け継がれていく中に、もし偏見や差別感情の種が植え付けられていれば、子は、そのままその芽を心に育ててしまうということだ。

 実際に一年間暮らしてみて、本当にこの町に住んで良かったと、私は今、堂々と胸を張って言える。社会との接触の機会が少ない専業主婦の私にとって、子どもを通じた地域社会での交流や、温かい触れ合いは、本当にありがたく、また、貴重なものだ。幸いなことに、ご近所の方や育児サークルなどで知り合った方々も、とても親切でいい方ばかりだ。子どもと河川敷を散歩していると、犬の散歩やジョギングなどですれ違うさまざまな人たちが、私たちに声を掛けてくれる。そういった方たちと交わすあいさつや言葉には、温かさがあふれていて心が和む。
 川がはぐくむ水や緑の豊かな自然は、私たち人間やすべての生物に、平等に恵みを与えてくれる。人間も自然の一部であり、本当は皆平等であるべきなのに、差別をする人間の心のなんと貧しいことか。

 まず、私たち親は、子の手本となって、偏見や差別の貧しい心を捨て、豊かな心をはぐくんで、次世代へ伝えていく努力をするべきだ。
 これから21世紀を担う子どもたちが、明るく、平等で幸せな社会を築いていけるよう、願ってやまない。
 そして、残念ながら偏見を持つ人たちに私は問いたい。「実際に、同和地区と言われている地域の本当の姿を、あなたはどれだけ知っていますか?」と。



◎◎◎ちょっと考えて!◎◎◎

この作文の作者は、転居してきた町が同和地区であることを周囲の人々から聞かされます。「私は決して偏見を持たないし、差別などしない」と以前から思っていたにもかかわらず、「いざかかわりができると、実は世間体を気にする自分がいた」と、作者は語っています。そして、相談した父親から差別の意味のなさ、愚かさを説かれて、作者の不安は解けていったのです。
 私たちはこの作文を読んで、同和問題をはじめとするさまざまな人権問題について、自分の問題として取り組むことの大切さや、周囲の人に正しい認識を伝えていくことの大切さを考えてみる必要がありそうですね。


市政だより にいはま”くらしに生きる同和教育★★★★☆
身元調査する人の一番の目的は部落出身者を排除することだ(姫)
(to be continued)

大森めぐみの町政報告★★★★☆
員弁郡のある町で「部落差別」が発覚しました。差別事件を起こした人は町の特別職で、差別事件としては相当に重大な事例となる模様です。差別の内容は私たちがよく知っている代表的な差別の事例のひとつです。今回はこの差別事象を表てに出して、なぜ私たちは「差別伝達」をするのか考察したいと思います。
町の特別職が若い人に道を教えているとき「近道は同和地区を通っていて狭い。すぐ側の広い道を通る方がよい」「またその道で犬や猫をひいて何十万円も取られたという話がある」と教えました。当人は親切心で教えたのでしょう。私も昔職場でこのような話を教えられたけ経験があります。そのとき「部落差別だ」と気づき、どうすべきかと長く悩んだ経験があります。
今の若い人は率直です。長く悩まないで公的な席で相談しました。そして差別が発覚したのです。私の経験から二十年以上経って、それでも同じ型の差別伝達が止んでないことに、私は悲しくてため息が出てきます。どうすればこれを止めさせることができるでしょうか。
この差別伝達の一番大きな問題点は「嘘」だということです。
町の特別職は同和地区の狭い道で犬か猫を車でひいて、何十万円のお金を要求された経験があったのでしょうか?「嘘」です。そんな経験はないし、そんな実例を知っていたのでもありません。
それなのに地位も分別もある町の特別職は、なぜそんな「嘘」を若い人に教えたのでしょうか?
私が考えるに、この要職者は「同和地区は面倒があるところだ、恐ろしいことのある所」だと教えたかったのだろうと思います。明確な意識はなかったかも知れませんが、潜在的に部落を伝達したい親切な差別心が、余計なことを言わせたのだと思います。
ここに根本的な問題があります。「人はなぜ嘘までついて、部落のことをつたえたいのか?」
そう、人は嘘までついて部落のマイナスイメージを伝えたいのです。職場や隣近所の世間話の場でこの嘘はごく普通に伝えられます。
これを根絶やしするためには、「この話をなぜ伝えたかったのか」特別職は、自分の心の奥底まで深くたずねてその答えを出さねばなりません。
その苦しい反省が私たちの差別心をも強く打ち据えて、差別を無くしてしまえるように。
もうひとつ問題が残ります。「部落は面倒だ、恐ろしいこともある」という意識の伝達です。この意識は結構いま私たちにはりついているではないでしょうか。なぜ部落を面倒だと思うのでしょうか。自分が面倒なことを経験してないのにそう思い込んで居る面もあります。
また「部落差別を許さない」と同和地区の人々が、苦しく激しくたたかってきたその強さに、人々は違和感をもっているのかも知れません。差別とたたかう運動で行政闘争が激しく展開されてきたこの二十数年間、運動のゆきすぎを感じてそう考えた人もいるでしょう。私たちの理解不足もあります。
でもこの問題についてはフランクに話し合う事も必要だと思います。
若い人はこの差別発言を公的な席で明らかにしました。それは勇気のある大切なことでした。
しかし私なら、その現場で「それは本当ですか?嘘によって同和地区の人々に偏見を持たせるのは止めてください」と言うと思います。

差別は私たちの日常の場で何気なく出てくるものなので、そのときに「やめてください」というのが一番有効だからです。
私たちも女性差別やセクハラ受けます。障害者の人も差別を受けます。老齢者も差別を受けます。その他いろいろな差別を受けたとき「許せない」と思ったとき、面と向かってその人にはっきり言うのが一番有効だと思います。


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