たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2012年09月16日(日) ぁ Le Puy- en- Velay(ル ピュイ アン ブレイ)散策  


土曜日の朝市の立っているクローゼル広場。蚤の市をゆっくり眺めたい気もするが、りんごを一つだけ買い、かじりながらこの町の散策へ。


この町はキリスト教化される以前のケルト時代から重要な聖域だったと聞く。確かに町の中に不気味な岩の塊がありその上に教会が見える。これが有名なエギィエ岩山!
この岩山は火山の噴気孔でおよそ80m。268段の石段を登り頂上の聖ミカエル礼拝堂へ。明日からの巡礼の良いトレーニングだ。



山頂からは赤い屋根の美しい ル ピュイの町なみ、山なみを見渡す。



美しく不思議な空気感のある礼拝堂だった。美しい彫刻を施した柱と壁。馴染みのあるグレゴリアンチャントが静かに響いている。



これは大天使ミカエル像



最近になって発見されたという天井のフレスコ画



昼食はこの土地の名物のレンズ豆を。ハムとこってりとしたクリームで煮込んであるレンズ豆の料理は美味しかった。

 

次はお祭りで賑わうル・ピュイ大聖堂(ノートルダム大聖堂)へ。この聖堂はキリスト教世界でもっとも美しい建造物の一つと言われ、ユネスコの定める世界遺産になっている。
礼拝堂では午後3時から中世の宗教曲のコンサートが無料で行われるというので、コンサートを待ちながら聖堂の内外を散策。


有名な「黒い聖母」、マリアの抱く幼児イエスも同じく黒い。聖画で見る美しい母子像とは趣を異にする不思議な聖母子像は一度見たら忘れられないインパクトがある。



これはヨーロッパで、もっとも美しい回廊の一つといわれる大聖堂の回廊











2012年09月15日(土) Git Saint-Jacques 巡礼宿 サン・ジャック

  
この町のルネッサンスフェアを観るために、巡礼路を歩きはじめる前にル・ピュイには2泊した。一泊目は町の中央あるルピュイ大聖堂近く(28 rue Cardinal de Polignac)にあるLes Amis De Saint-Jacques という巡礼者宿泊施設に宿泊した。

この後、ホテル、ゲストハウス、民宿といろいろなタイプのGite(ジットという巡礼者のための宿)に泊まったが、このジットのスタッフの人たちがとてもフレンドリーだったのでとりわけ印象深かった。
こうした巡礼宿では、まずクリデンシャルと呼ばれる巡礼者の身分証のようなものを提示しなくてはならない。その手帳に宿のスタンプを押してくれるのだが、わたしが「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」から発行してもらったクリデンシャルを出すと、美しい!珍しい!初めて見た!とスタッフの人たちが寄ってきて、iPadでその写真を撮り始めた。こういうりリアクションにも彼らの巡礼宿のスタッフとしての心意気を感じた。


ベッドは40ほどあるようで、それぞれのベッドは薄い木の板とカーテンで仕切られていて小さな机まで置いてあった。宿泊場はいくつかののフロアーに分かれているが、男女の区別はない。
ザックやウォーキングシューズ、ポールなどは部屋には持ちこめず、部屋の外に置き、必要なものだけ、ネットのかごに入れて部屋に持って行くというシステムだった。これはベッドを虫から守る手段のようで、他のジットでもいろいろな工夫がされていた。
シャワー、トイレは共有で、洗濯をする場と干す場があるのもこうしたジットの特徴だ。この後、宿に着いたらまず洗濯という日々だったが、洗濯機を使えたところは1件のみ、乾燥機があることを予想していたが、まずはなかった。手で洗って絞って干すという原始的な洗濯。夕方から干すので朝までには乾かない。それをまたザックに詰めて移動する。ザックに靴下やTシャツをくくりつけ干しながら歩いている人も見かけ、わたしも真似をする。


このジットは朝食つきで、宿泊代は献金として箱の中に入れることになっている。このゆったりとした空気やフレンドリーさもビジネスではないが故の豊かさなのだろうと心地よかった。
忘れられないジットだったが、ひとつ問題があった。この日はルネッサンスフェアの真っ最中。このジットのすぐ前の広場はお祭り中心の場所。飲めや歌えの大騒ぎは夜中の3時くらいまで続いていた。明日から歩き始める巡礼者たちは早々とベッドに入っており室内は真っ暗だったがみな眠れずに苦労したことだろう。



朝8時に食堂へ行くとバスケットに山盛りのパン、ポットに入れられたコーヒーと温かいミルク、オレンジジュース、バター、ジャム、チーズと豊かなテーブルが用意されていた。
食事をしながら、壁に楽譜が貼ってあったので何の歌かとスタッフの方に尋ねると「Ultreia - Chanson de pèlerins」という巡礼の歌で、コンクという町に着いたらみんなで歌うからと、その歌を歌って聞かせてくれた。
これは貴重!楽譜と歌をカメラとボイスメモに記録。
これから先の道で、歩きながら何度この歌を口ずさんだことだろう。一度は夕食のテーブルでそこにいた人達と合唱したのだった。

しかも、当初の予定では、コンクまでは歩かず、それより2日分手前で、再び出発地点に戻るという予定だった。
しかし、しかし、旅は分からないもの。とんだアクシデントのおかげで、行くはずのなかったコンクで、このコンポステーラの旅の締めくくりがでなかたのだった。
このジットで教えてもらった巡礼の歌も、確かに、コンクの聖堂でみなと一緒に歌ったのだ。






2012年09月14日(金) ル・ピュイ=アン=ヴレールネッサンスフェスティバルへ



9月13日の深夜1時に羽田国際空港を飛び立った飛行機は早朝6時過ぎにフランクフルト空港へ到着。ルフトハンザに乗り換えリヨンのサンテグジュペリ空港に着いたのが10時頃。
リヨン空港からパールデュー駅まではRhonexpressという直行便で。
リヨン駅の中をうろつき、12時前にようやくル・ピュイ=アン=ヴレ行きの電車に乗り込む。電車の中はすでに乗客で溢れていたが座席は確保でき、車内でPAUL(日本にも店があるパン屋さん)で買ったブルーベリータルトを昼食にいただく。そのタルトの美味しさに、あぁフランスに来たんだ!と感激。
途中、隣に乗り合わせた地元の婦人と片言のフランス語と英語と手ぶり身ぶりで話をする。彼女は別れ際、わたしの巡礼の旅を祈っていると言ってくれ、彼女がルルドへ巡礼に行った時のボールペンと、住所と電話番号を書いたメモをくれる。

さて、電車は2時間半ほど美しい村々を走り、ル・ピュイ=アン=ヴレに到着。
この町は今Fete du Roi de l’Oiseau(鳥の王様の祭り)と呼ばれるルネッサンスフェスティバルの真っ最中。街のいたるところに中世の恰好をした人達が歩いている!
このお祭りを見るためにこの町に2晩滞在することにしたのだ。
大聖堂の脇にある巡礼宿に重いザックを置き、中世の街の風景の中に出かけて行った。



小学校の生徒と思しき子ども達と教師が中世の衣装を身につけ、楽隊の前に座り、演奏を聞いていた。そのうち教師が子ども達の手を取り踊りに誘う。
このルネッサンスフェアは教育の場としても大きな役割を果たしていて学校ぐるみでこのお祭りに参加するようだ。









大聖堂の側には中世の村の暮らしが再現されている。テントや家畜小屋、機織り機、火には鍋がかけられ、テーブルでは中世の恰好をした人達が食事をしている。お祭りの期間、ここで中世の暮らしを楽しむ人たちのグループらしい。



中世の世俗曲は若い頃からとても好きな音楽で、コンサートやCDで聞いていたが、この中世のたたずまいの中で聴く中世の音楽は格別で、すっかり魅了されてしまい、これだけでもじゅうぶん旅に出た甲斐があったと思ったことだった。




たりたくみ |MAILHomePage

My追加