2005年11月03日(木) |
『毛皮反対!!』FAKE FUR(フェイクファー)の薦め |
・・・FAKE FURは合成繊維で出来た毛皮風製品です。・・・
毎年冬が近づくと心を痛めるものをたくさん目にするようになる。 どこの洋服屋にもアクセサリーショップにも置いてある毛皮製品だ。 最近では毛皮と言わずにFUR(ファー)と呼ばれることが多い。 2005年冬の流行はカーディガンやジャケット、ベスト、それからバ ッグなどに少しだけ毛皮を使っている製品「ちょこっとFUR」だ。 ちょこっとだろうとなんだろうと毛皮の向こうに動物の死体が見える。 もちろん購入者には、目の前にある毛皮の商品にしか見えていないだろう。 若者向けのお店などで売られている商品の多くはウサギだ。 襟周りについているだけで1匹は使われているだろう。 高級ブティックやブランドの店にはキツネやミンクが多い。 これの数はすごいものがある、ロングコートだったらキツネは 20匹以上、小さなミンクは桁が変わってしまう数が使われる。 それだけの剥ぎ取られた毛皮を着て歩いている人を見ると 思わず息をのんでしまう。その毛皮の見事さにではなく その毛皮のために殺されていった動物達を想像してしまうからだ。
どんなふうに「想像してしまう」のか?
毛皮製品を流通させる人達にとっては、動物達は「生きもの」ではない。 心臓がある生命だと言う観念がないから毛皮を剥ぐ作業は ローコスト最優先の非情な状況になる。
もし知っていたならきっと買わないだろう。 いや、買えないだろう。
しかも、毛皮を着なければ死んでしまうほどの極寒の地に住んでい るわけではない。むしろ暖房の行き届いた都会に住んでいるのに、 自慢げに毛皮を着ている人を見るとものすごく頭の悪い「生きもの」を 見たような気になる。 それが贅沢品であればあるほどそう見えてくる。
トラの毛皮の敷物がある、虎を一頭丸々使っている。 その虎が絶滅の危機に瀕している。 そんな風に人間の手によって絶滅の危機に瀕する野生動物も多い。 日本国内では「ニホンカワウソ」が毛皮目的のために乱獲され、も はや絶滅危惧種になっている。 商売になると知るや絶滅するほどまでに殺し続ける人間のおろかさ。 店頭に並んでいるから、手触りが良いから、高級だからと商品を買 ってしまう人間のおろかさ。 買う人間が無くならない限りこの悪循環は続いていくのだ。 だから『毛皮を買うのは、もうやめよう!』 リアルファー(本物の毛皮)じゃなくてもフェイクファーで良いで はないか! フェイクファーは合成繊維で作られている。最近はとてもよく出来 ていて着方のうまい人や、品のある人が来ているとリアルと間違え てしまう時がある。 逆にリアルを着ているのにフェイクにしか見えない人もいる。 そういう人は、自分の価値を内側からではなく外側だけでしか飾る 事の出来ない、本当の意味での豊かさに欠ける人間なんだと思う。
フェイクファーは生命と言う犠牲を払わずに、人が作り出した美し い製品だ。 リアルファーの後ろには生命の犠牲と、そこにまつわるお金亡者の 醜い姿がずっとずっと憑いて回っている。 美しい動物達を絶滅させるのではなく醜いお金亡者を絶滅させよう。 そのためにはリアルファーを買わないことに尽きる。 需要がなければ供給はされない。供給しないのであれば動物を殺す 意味がないのだ。
野生の動物だけでは足りない場合は毛皮を剥ぐために飼育すること も多い。そうやって作られた動物なんだから良いじゃないかと思う 人も多いと思う。 けれどその動物達が製品化されていく過程はあまりにも残虐で、多 くの苦痛と血にあふれている。 そのことについて知りたい人は「毛皮反対」と検索してみるといい。 たくさんの情報が出てくると思うが、中には見てしまうと悲しみに とりつかれてしまいそうな画像もあるので注意しながら見ることを お薦めする。 そしてずる賢い人間達は表示にまで嘘を付け加える事が多々ある。 「ワイルドキャット」は普通の猫であり、「ジャッカル」と書かれて いるものは捕まえられた犬のことが多いそうだ。 ・・・もし自分のうちの犬や猫が捕まえられてしまったら・・・ そんな事を想像すらしたくない。
革製品について 毛皮の話をすると、革製品はどうなの?と聞かれることが多い。 革製品については靴やカバンなどに使われている多くは人が食べて しまった牛のものではないかと思われる。食べるために殺された動 物は出来ればその全てを有効に使ったほうが良いのではないかと思 う。
ただし、食べる事が大前提で、その順位が入れ替わってはいけない。
食べるために殺すのであって、皮のために殺して仕方なく食べるの では本末転倒になってしまう。 そういう意味ではワニ(一部地域の人達は食べていると思うが)等 の革製品を日本人が喜んで買っていると言うのは、本末転倒につな がりやすくなるので大反対だ。
「万物の霊長である」と言うのであれば、弱い生物相手に殺戮を繰 り返すのではなく、広い心で弱い生物を救うべきだと思う。
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