『資本論』を読む会の報告
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■第9回『資本論』を読む会は、3月25日(火)に行われました。
第3節「価値形態または交換価値」の「A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態」のうち「2 相対的価値形態」の途中までを輪読し、討論しました。
詳細は後日アップします
■第8回『資本論』を読む会は、3月18日(火)に行われました。
第1章第1節、第2節を簡単に復習した後、第3節「価値形態または交換価値」の前書きの部分を輪読し、討論しました。
詳細は後日アップします。
■第7回『資本論』を読む会は、3月11日(火)に行われました。
第7回は、第1章第2節「商品に表される労働の二重性」を輪読し、討論しました。
詳細は後日アップします。
■第6回『資本論』を読む会は、3月4日(火)に行われました。
「第1章 商品 第1節 商品の二つの要素・・使用価値と価値(価値実体、価値の大きさ)」の後半を輪読し、討論しました。
詳細は後日アップします。
2003年03月03日(月) |
第3回 第4回 第5回 |
■第3回『資本論』を読む会は2月4日(火)に、第4回は2月18日(火)に、第5回は2月25日(火)に行われました。
第3回はフランス語版序文と後記、第3版序文、英語版序文を、第4回は「第4版に」を、第5回は本文に入り「第1章 商品 第1節 商品の二つの要素・・使用価値と価値(価値実体、価値の大きさ)」を輪読し、議論しました。
「第4版に」ついて ●「第4版へ」の主要な問題は、マルクスが引用したグラッドストンの演説についての非難についてである。非難のなかみは、グラッドストンの発言についてマルクスが「文章を形式的にも実質的にも偽ってつけ加えた」というものであつた。しかし、それは複数の新聞でも報道された発言の一部が速記録では、削除されてたというだけのこと。都合の悪い部分を速記録に載せないのは「イギリス議会の伝来の慣習」なのだが、マルクスを攻撃する人々は、こうした速記録に載っていないことを根拠にマルクスがウソをついたかに言ったのだ。
第1節について
●「資本主義的生産様式」とは 「現実の生産は、つねに、特定の生産力をもって、特定の形態の生産関係のもとで行われる生産である。特定の発展段階の生産力とそれに対応する特定の形態の歴史的生産関係のもとで行われている生産のあり方を生産様式とよぶ。」(大谷禎之介『図解・社会経済学』15頁) 資本主義的生産様式とは、生産手段(機械や原材料など)を所有する資本家が、労働力以外売るものをもたない賃金労働者を雇い入れて行う生産だといえよう。そして、資本家と賃金労働者の関係(資本-賃労働関係、略して資本関係とよばれる)は、手工業においても見られるが、真実の意味で資本主義的生産様式といえるのは、大規模な機械設備によつて大規模な生産が開始されてからだ。
●なぜ「資本主義的生産様式が支配している諸社会」と書かれているのか。 実際の社会の中には、ただひとつの生産様式だけが存在するわけではない。 現在の資本主義社会においても、賃金労働者を雇い入れることなく、自分の生産手段で生産している農民や小生産者が存在する。 封建時代にも、一部には資本関係とよべるものもあつた。 問題は、どんな生産様式が支配的であるかということである。 資本主義社会と呼ばれる社会では資本主義的生産様式が支配的だということだ。
●「富」とは
●財とは
●ゲルマン語とロマンス語 ゲルマン語派 Germanic インド・ヨーロッパ語族の中の一語派であり,一般的には東ゲルマン語,北ゲルマン語 (ノルド語),西ゲルマン語の三つに区分される。 東ゲルマン語は現在では死語となっている。 現在,ドイツ語,オランダ語,英語,フリジア語が西ゲルマン語に属している。
ロマンス語 Romance ロマン語ともいう。古代ローマ帝国の共通語であったラテン語が長期間にわたって変化し,地域的な分化を遂げることによって,おそらく 8 世紀ころまでに形成された諸言語の総称。 ロマンス語は今日ヨーロッパおよびアメリカ大陸を中心に,全世界で 5 億人にのぼるとも推定される人々の日常語として広く使用されている。
●直接的なものと反省されたもの 【反省】 注意・感覚・思考など、意識の作用を自分の内面、自己自身に向けること。何らかの目的や基準に照らしつつ行われる判断であり、普遍原理の窮極的把握そのものとは区別されることが多い。ヘーゲルがカント・フィヒテなどの哲学を、現実の具体性にいまだ媒介されていない抽象的な内省、理性に至らぬ悟性的思惟による反省哲学と呼んだのはその意味による。
●即自と対自 【即自】 〔(ドイツ) an sich〕〔哲〕 物の在り方が直接的で自足しており、無自覚で他者や否定の契機をもたないこと。へーゲル弁証法では、未だ対立の意識をもたない直接無媒介の状態とされ、この直接態が矛盾を生じ自と他の対立から反省を経て対自となり、さらに自他を止揚した即自かつ対自に至るとされる。これらは弁証法の正・反・合に対応している。アン-ジッヒ。 【対自】 〔哲〕〔(ドイツ) fur sich〕存在者が自己自身を対象化する自覚的在り方。ヘーゲル弁証法の一契機。向自。フュール-ジッヒ。 【即自且つ対自】 〔(ドイツ) an und fur sich〕ヘーゲル弁証法で、「即自(アン-ジッヒ)」と「対自(フュール-ジッヒ)」の統一。即自は自己発展により対自となり、さらにこの対立が否定されて即自かつ対自となる。アン-ウント-フュール-ジッヒ。
●ブルジョアとは、その歴史 ブルジョアジー bourgeoisie[フランス] ブルジョアというのは,もともと町の人 (町人) とか市民とかいう意味であるから, ブルジョアジーは,町人身分とか市民階級とか訳される場合もある。マルクス主義の用語法においては, ブルジョアジーは,近代資本主義社会における資本の所有者という意味で用いられ,したがって資本家階級と訳され,労働者階級としてのプロレタリアートの反対語とされる。
●ブルジョア社会 市民社会とは
☆一部誤記があり、3月30日に訂正しました。
■第2回『資本論』を読む会は、1月21日(火)に行われました。 出された疑問点や議論になった事項は以下のようです。
●価値実体とは何か。 さしあたり「労働」と理解しておこう。
●第1版で価値形態論の「二重の記述」とは。 第1版の一部は国民文庫『資本論第1巻 初版 第1章および付録「価値形態」』として出版されている。 その目次は - -------------------------------------------------------------------------- 第1章 商品と貨幣 (1)商品 (2)諸商品の交換過程 (3)貨幣または商品流通 A諸価値の尺度 B流通手段 C貨幣
第1章(1)への付録 価値形態 ---------------------------------------------------------------------------- となっていて、価値形態論は、本文と付録で展開されており「二重の記述」となっている。 ●クーゲルマンとはどんな人。 クーゲルマン・ルートリッヒ(1830-1902) ドイツのハノーヴァーの医師。1848−1849年革命の参加者。第1インターナショナルの活動家。マルクスとエンゲルスの友人。
●大陸における1848年の革命とは。 フランスの二月革命 19世紀の半ばのヨーロッパでは、1846年以来の凶作と、翌年イギリスに始まった恐慌とによって同様が広がり、オーストリアなどの保護下におかれていたクラクフではポーランド人の反乱さえ起こっていた。(1846年) フランスの七月王政は、地主と大資本家を中心とする政権であったから、産業革命が進行するにつれて七月王政に対する不満が強まり、選挙権を持たない中小の資本家や知識人などを中心とする共和派のほか、労働者の支持を受けていた社会主義派の勢力が成長するようになった。このような情勢の中で政府は、外交上の失敗をかさねたほか、凶作や恐慌に対して適切な対策をとることができなかったので、人気を失い、共和派・社会主義派は一致して選挙法改正の運動を起こした。 1848年2月、政府がこの運動を弾圧しようとしたことからパリで革命が起こった。反政府派は激しい市街戦に勝利を収めた。国王ルイ=フィリップはイギリスにのが共和派のラマルティーヌを中心に臨時政府を組織し、共和制を宣言した(第二共和政)。これが二月革命である。この革命で大きな役割を果たしたのは労働者であったから、共和派も初めはかれらと妥協し、臨時政府に社会主義者のルイ=ブランを加え、ひの主張に基づいてパリに国立作業所を設置した。しかし、革命が一応おさまると、情勢はしだいに社会主義派に不利となった。資本家はもとより、フランス革命以来小土地所有者となっていた多くの農民は社会主義派の進出をきらい、また労働者でさえ国立作業所の運営を不満としていた。その結果、社会主義派は、男子普通選挙によって行われた4月の選挙に惨敗し、まもなく国立作業所も閉鎖された。これに対して労働者は、6月、パリで大規模な行動を起こしたが、失敗した(6月蜂起)。その後、憲法が制定され、12月に大統領選挙が行われるとナポレオン1世の甥で巧みな弁舌をふるって注目されたルイ=ナポレオンが大勝し、大統領に就任した。 ドイツの三月革命 二月革命の影響を受けてドイツでも三月革命がおこつた。ドイツでは1834年にドイツ関税同盟が発足し、ライン地方を中心に産業革命が始まると、自由主義的改革を求める動きや労働運動がさかんになった。一方、オーストリアでも支配下にあった異民族の動きがしだいに激しくなっていた。 このような情勢の中で二月革命の報道が伝わると、1848年3月、オーストリアの首都ウィーンで革命が起こり、メッテルニヒはイギリスに亡命しなければならなくなった。これと前後してオーストリアの支配下にあったマジャール人(ハンガリー人)、ベーメン(ボヘミア)のチェック人などが、民主主義的な要求を掲げて民族運動をおこし、またプラハではパン−スラブ会議が開かれ、スラブ人の平等が主張された。一方、プロイセンでも3月、首都ベルリンで激しい市街戦がおこった。驚いたプロイセン王は、ドイツの統一と憲法の制定を約束し、自由主義者に政府を組織させたが、同じような動きは他のドイツ諸邦でも起こった。その結果、同年5月、全ドイツの代表が集まってフランクフルト国民会議(1848-49)が開かれ、ドイツの統一と憲法制定が討議された。しかし、このころになると自由主義者が労働者の進出をおそれて改革をためらうようになったので、反革命派はこれを利用して勢力をもりかえし、フランスの六月蜂起の失敗に力をえて革命派の弾圧を行った。一方、国民会議は翌年、ようやくプロイセン中心の統一策を定めたが、時すでにおそく、反動化したプロイセン王は議会の要望を拒否し、その後、国民会議も解散させられたので、ドイツの自由主義的統一は失敗に終わった。 諸国の情勢 革命の波は、イタリアにも及んだ。自由主義的な憲法を制定していたサルデーニャ王は、革命派に支持されて統一運動をおこし、オーストリアと戦ったが敗れた。その後マッツィーニの率いる青年イタリアがローマ共和国を建てたが(1849年)、教皇と結んだルイ=ナポレオンの出兵によって倒され、また各地の革命派もオーストリア軍に鎮圧された。一方、フランスでは、ルイ=ナポレオンがローマ出兵に反対する共和派を抑圧し(1849年)、巧みな政略によって着々と皇帝への座を固めていった。また、イギリスでは、チャーチストが大規模な運動をおこそうとしたが失敗し、以後、運動は沈滞するようになった。 この間、オーストリアにかわって反動勢力の中心になったのはロシアであった。ロシアは、最後までーストリアに抵抗していたハンガリーの鎮圧に協力し、「ヨーロッパの憲兵」としての役割をはたすとともに、バルカン半島のスラブ民族の素朴な民族主意識を利用し、のちパン−スラブ主義運動を指導するようになった。 このような1848年の諸革命は、ウィーン体制を崩壊させたものの、おおむね敗北をもって終わった。しかし、各地の革命運動で提起された民主主義民族問題は、まもなく具体的な形で表面化し、19世紀後半の諸国に重要な課題を投げかけることになったのである。 (三省堂『世界史B』)
●カウフマンはどんな人。 1848-1916 ロシアの経済学者。サンクト−ぺテルブルグ大学教授。貨幣流通と信用に関する書物の筆者。
●経済学と自然科学との共通性と差異。
●ヘーゲル哲学の内容、ヘーゲルとマルクス。
■第1回『資本論』を読む会は、2003年1月21日(火)に行われました。
会の進め方について話し合い、原則として週に1回、火曜日に行うこと、当面は輪読の形でやっていくことなどを確認しました。
『資本論』の計画と編集・出版の簡単な歴史を振り返ったあと、第1版序文を輪読。疑問や意見を出し合いました。
出された疑問や議論したことは以下のとおりです。
・経済的諸形態の研究においての抽象の持つ意味。
・資本主義の「こんにちまでのところイギリスである」ということの意味。
・「経済的諸カテゴリーの人格化」について述べられているが、この経済的諸カテゴリーとは。資本家が資本の人格化だというのはということはわかるがほかにはどんなものがあるのか。
・「個々人に社会的諸関係の責任を負わせることはできない」ということの意味。
・「経済的社会構成体の発展を一つの自然史的過程ととらえる私の立場」とあるが「自然史的過程」とはどういう意味か。人間の意志から独立した客観的な過程という意味ではないか。
・アメリカでは近代にも奴隷制があったが、欧州ではどうだったか。これについては次回までに調べることになりました。
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