日々日記
いちらんふるいあたらしい


2010年08月07日(土) 場所との出会い

生きていくということが、好きな場所が増えていくってことだったら嬉しい。


いろんな場所に出かけていって、気に入った風景と、気に入った場所を見つける。
そこにいない時、そこのことをふと思い出した時に、
「あそこ好きなんだよなぁ。あの◯◯が。」って思うの。


◯◯は、空間の広さや狭さだったり、色合いだったり、質感だったり、温度だったり、
匂いだったり、気持ち良さだったり、人だったり、いろいろ。

そこにいるとき一番印象に残ったことが多分一番よく記憶に残るから。


どんなにいい場所に出会っても、ずっとそこにいるわけにはいかなくて、
大概は出発した場所に戻って来なきゃなんない。

だからこそ、印象に残るし、また思い出す。


そもそも、物理的な持ち物は一定数以上は増やせない。
私が1人で所有できるものなんて限られてる。

身の丈的にも、収納などの物理的にも、使い回しなどの管理能力的にも
そこには”燦然と輝く限界”がある。

(わたしはこの限界をこよなく愛している。この範囲こそが私を私たらしめているわけだから。)

ものがありすぎても、今度は使用しきれない。
ストックしておくだけなら持ってなくてもいい。
使うものを持っていたい。あるいは、持つ以上は使いたい。

でも好きな場所は集めてきて家に置いておくことができない。
昔はそれが残念だった。今は逆にすごく素晴らしいことだと思う。


私がここで言及してるのはつまり、「私はその場所を知っていて、とても気に入っている」
ということ。
私が説明しないかぎり他の誰も知り得ないし、話した所で共感できるかもわからない
場所と世界観。

でもそれがニヤニヤしちゃうくらい私を嬉しくさせる。

それはちょうど私の内側に広がる白地図にいくつもピンが立っている感じ。

そうやって自分の外の世界を知覚しつつマッピングし、同時に愛着を覚えていくことが
生きる事なのだとしたら?(くどいようだが)楽しいよね!と最近は思うんだよ。

いつか帰って来なくていい旅に出たいなぁとも思うのだけど、
この小心者の私にそんなことが出来るとは思えない。

おうち大好きだし(そういう人を「オウチスキーさん」って言うらしいよ。ロシア風)


あっという間に過ぎたウィークデーのことを意識の彼方に追いやって、
のんびりぼんやり、こんなようなことを考えている土曜日の午後。


inu-chan