I create you to control me
DiaryINDEXpastwill


2005年07月31日(日) オープンキャンパス

昨日、今日とオープンキャンパス。今年から委員になってしまったのでいろいろ準備が大変。
学生のみんなに手伝ってもらって(といってもバイトですが)なんとか無事に終えることができました。ありがとうございました。

オープンキャンパスでは心理学スタッフの模擬講義に人気集中。両日とも4-50人の高校生&父母に集まっていただいていつもの講義室は満杯状態。ここの大学に来てからというもの、こんなに入ったのは記憶にない。

よい印象を持って帰ってくれているとよいが、、、。




2005年07月29日(金) なんだかんだと

一日オープンキャンパスの準備であっちいったりこっちいったりの日であった。不幸中の幸いか、竹下先生と、超強力スタッフのおかげで思いのほかさっさと作業が済んでよかった。お手伝いの学生諸君もおつかれさま。

しかし、またもや土日がつぶれるっちゅうのはしんどいですな。なんだかんだで7月は先週しか週末がありゃぁせん(なぜに名古屋弁?)。あるだけましだよと言われそうな気もするが・・・。

ま、がんばりましょう。

そういえば秋の学会のプログラムがアップされていた。私、2日目の午前中でございました。
しっかし日本人おおいなー。


2005年07月28日(木) 高校野球とあとがき

高校野球は今日、決勝戦。我が母校は残念ながら、またもや甲子園出場をのがしたようだ。新聞をみると、15年ぶりの決勝進出であるらしい。ということは、前回、我が母校が決勝に進んだのは僕が高校3年生だったときだ。

それまで野球なんてそんなに興味もなかったのに、みんなして受験勉強を忘れ、僕らは3回戦から決勝まで、ずっと球場に通い続けたのだった。

いや、僕「ら」というのはちょっと言いすぎで、のちに、受験勉強を本当に忘れていたのは僕だけだったということが判明するのだが、そのときにはもう遅かった。一度、はめをはずす勢いがついてしまうと、あとはもうダメ街道まっしぐらなのであった。。

さて感慨にひたるのはこれくらいにして(つらくなってきた)、、、。午後から本の校正をさらに続ける。どうもいろいろ不備な点があってご迷惑をおかけしていることが判明するOTL。自己責任で頑張るしかないですな。しかし、こういう強迫性を求められる仕事はむいてないわー。

そして、あとがき。「あとがき」って何書けばいいんかねえ。修論とかだと、徹夜あけの妙なテンションで、後で読んだら寒気のするようなキザなことを書く人が続出するものだが(謝辞とか)。修論は本棚にしまっておけばよいが今回は書店に並ぶのであるからしてそういうわけにはいかない。

無難にいくか、、。いやしかし、あとがきといって侮れない。世の中にはあとがきと目次だけ読んで積むか読むか決める人が大多数いることを忘れてはならない(積むのも「読む」のバリエーションではあるけども)。研究室にある本のあとがきだけ読み返してみたりして、、、。

そんな暇があったらもっと別のことをしろってことですね。はい、わかりました。


2005年07月27日(水) 名付けの効用

家族が東京でたべた貝にあたったらしく、熱をだした。原因もわからず最初は不安だった。が、東京で一緒だったみなさまも熱だしたり、吐いたり、くだしたりしておられる模様で、それが携帯メールで送られてくる。で、ひとたび貝にあたったのだとわかると、本人もまわりの人も、不思議と不安感が減じられてくるものだ。名前、おそるべし。

大学にいったあと高校まわり。週末にオープンキャンパスがあるので、その前に高校に大学案内をかねてうりこんでおかねばならぬ(ちなみにそのオープンキャンパスの委員も僕)。で、ある高校にいったら、進路担当の先生は、僕が初年度に卒論を担当した学生の担任の先生だったことが判明。実に、真面目でいい子だったのだが、高校でもそうだったらしく、お互いに元学生をほめあったりしてみる。

いやあ、ええもんですなあ。・・・などといってたらオープンキャンパスのこと言ってくるの忘れたorz。




2005年07月25日(月) 10年目研修の講師

を、やりました。
小学校と高校の先生を相手に、朝の9時から夕方4時まで、事例検討と演習。
前日まで平気だったくせに、夜になって突如不安にかられて本など読んでみたりして・・・。

なにがプレッシャーかといって、10年目研修には僕の高校時代の友人(しかも同じクラス)が来ているわけである。講師などとえらそうな肩書をつけつつ、「ああ、松嶋君ね。あの子ね、高校の時は○○でね、そして△△なんてことが、、ふふふ」となるわけである(ほぼ確信)。幸いにして別グループにまわっているのがせめてもの救いである。

事例検討会だからといって、先生方に心理学の知識を説明をしてもわかってはもらえない(感心はされる)。体験してもらうことが大事だと思う。

というわけで検討会後の演習では、「インシデントプロセス法」をやってみた。

簡単にいえば、例えば、「授業中、廊下でふざけている生徒を発見してしまった」とか、「保健室が生徒でいっぱいの時、ある女子生徒が大変とり乱してやってきた」とか、そういう一瞬で判断できなければならないが、判断に迷うような状況を挙げてもらい、それをもとにしてみんなでその時の対応について詳細に検討するというものである。

まずは事例を即興で参加者の先生にだしてもらった後、その状況についてできるだけ細かく他の参加者の先生に「自分だったらどうするか」を書いてもらう。書く時間はきっちりくぎって、それ以降に書き足すことは許可しない。そして書いたものを発表してもらう。その場でロールプレイしてもらう(今回はそこまではしなかった)。

上述の例のように短い時間におこったなんでもないような出来事でも、10年のキャリアがある先生方は実にきめこまやかにその状況でなさねばならないことを答えてくださる。やったこっちがかえって感心するほどだ。こちらも学ぶことの多い会でした。


2005年07月24日(日) 質的研究は教えられるか?

最近、ますます質的研究/量的研究という用語の差異が「?」になってきた。例えば、質的研究は、量的研究のように教えられるものなのか?というような疑問が発せられることがある。

でもね、そもそも量的研究ってそんなに簡単に教えられるといってしまってよいのだろうか?。

そりゃあ、質問紙の作り方を教えたり、SPSSの動かし方ならなんぼでも教えますよ(SASはもうムリ:涙)。でも、それは質問紙調査に必要なスキルでしょ。

数年前、ある大学生のグループを指導して質問紙をつくった。最初、彼らは雄弁に「高校生ってさ〜」と、自分の過去語りをまじえて話していた。しかし、その彼らが数週間経つと「高校生って何考えてるかわかんない」といいはじめる。それでもなにがしか格好はつけないといけないので質問紙へとまとめ、「ああ、自分たちが知りたかったことのほんの少ししかできないもんだね」といっていたものだった。

これは質問紙にかぎらず、インタビューだって、参与観察だってそうだろう。なにしろ相手にしている現象はとんでもなく豊かなのだから、知りたいと思うことのうちで実際に知ることができるのはほんのわずかなもんである。それでも根気よく、粘り強くそれにむきあっていくのが研究じゃないかと思うわけですよ。

質的研究は、量的研究のように教えられるのかと問う人たちは、そこらへんでどうも研究というもののイメージをとらえ違っているのではないかと思うわけである。


2005年07月23日(土) システムズ・アプローチ

吉川悟先生の『家族療法』ミネルヴァ書房を読んだ。けっこう前(1989年)に出た本であまり書店でもみつからなかったのだが、先日、東京駅のoazoで見つけた。

吉川先生の独特の語り口で、システムズアプローチのいろはが語られている。発話の形式と内容とを区別すること、コンテキストに気を配ること、治療者がシステムの一部であることを自覚することと、言うはやすし行うはなかなかのアイデアが、実例をともなって書かれていて大変勉強になった。

吉川先生は現在では、高橋規子先生らと「しゃかいこうせいしゅぎ」「ならてぃぶ」といった方向に考えを進めておられる。がしかし、この本はその10年以上も前に出版されたにもかかわらず、現在に通じるアイデアがちゃんと書かれている。

こういうのを見ていると、僕がいままで、それなりに考えを深めてやってきたことは何だったんだろうという感覚におちいるのだが、まあ、それはそれで自分の成長にとっては大事なプロセスなんだと納得しておくことにする。


2005年07月22日(金) できることと、わかってできること

こころとからだ研究会は、Dの松村さんの発表。
松村さんはずっと英語教育に関心をもって、それとジェスチャーとの関係に注目している。
今日は、あるESSサークルにおける相互行為分析から、ジェスチャーがいかに相互行為のなかで学習者の理解を表示するものとなるのかということについての発表であった。
松村さんの主張したいことはもっと繊細なことなのだろうが、僕流に見てみると、その断片は、相手が何を理解し、なにを理解していないのかということを明らかにすることをめぐってのやりとりになっているようにみえた。

ビデオでは、ESSの部員たちがエイズについてディスカッションしている。ところがほどなくして、1年生部員のB君は、「エイズになると体重が減少する」ときの「体重」つまりweightが聴きとれずに、えっ、えっという感じで「わからない」ことを表示する。そして「それはどのようなスペルなのか」と問おうとする。しかし、それをDさんはさえぎるように「彼らはスリムになるの」という。そこに両手の幅をせばめつつ下におろしていく(つまりすぼまっていく)ジェスチャーが同期する。

ここで普通であれば、言葉をさえぎられたBさんは再びさきほど言おうとしたことを伝えることになりそうなものなのだし、周りもそうすべきものとして扱うのだが、不思議とこの場面ではそうはならず、Dさんは再びさきほどのジェスチャーを繰り返す。

Bさんはslimという言葉を何度となくくりかえし、Dさんのジェスチャーを真似る。しかし、彼のジェスチャーはfinishした感じがしないもので、手は落ち着きどころなく宙をさまよい、声も言い切ったという感じのしないイントネーションになる。そこでAさんはほほがこけるようなジェスチャーをやってみせるのだが、ここでもBさんのジェスチャーは、単にほほに両手をつけるという動作をしているようにみえてしまう。

ここにいたってようやく、彼はweightの理解に対してトラブルを生じが、それは"weight"という単語が聴きとれなかっただけにとどまらず、その後に他のメンバーが発している"slim"という発話が、"weight"を理解したということを表示するための発話になっていることもまたわかっていないことをフロアに明らかにしている。そこで、Aさんは"slim"をパラフレーズするように"loose weight"と何度か繰り返し、ようやくB君も得心がいったように大きくうなづく。

普通、こういう断片(たった22秒)は、単にみんなが"slim"と無意味に連呼しているかのようにみえてしまう。しかし、細かくみてみればB君が何を理解しており、なにを理解していないのかを精緻化するための連鎖になっていることがみえてくる。英語教育にはおそらく何段階かのレベルがある(適当いっていますので間違ってる可能性大)。つまり、耳が英会話になれるという段階と、そこでの内容が理解できるという段階、そして、それに主体的に参与していけるという段階だ。この3つのレベルが混在しているのが、初学者に教える際の難しさでもあるのだろう(ほんといい加減な説だな)。

そういう意味で、今回のようにジェスチャーの繰り返しを通じて、B君がなにをどのように理解しているのかと精緻化されていく過程というのは教育にも応用できる知見を生むのではないだろうか。もっとも、この場がESSの本来の目的である英語のディスカッションを楽しむ場ではなく、B君にとっては正しい英語を聴き取り、話すというスキルをみにつける場になっているということがいいのかわるいのか僕には判断がつかない。もし、これがリアルなコミュニケーションの場だったら、B君はただにこやかに「あーはー」とか言っていたほうが適応的だったかもしれないとも思える。スペルをやたらに確認するというのは、そこで会話を楽しもうという感じにはみえにくい。

ところで、この場面をみんなが互いの運動を模倣する場面としてみれば、James Wertschがロメトベイトのキャリブレーターの例をだしていっていたように、言葉のマテリアリティとも関連するなと思った。キャリブレーターの例は、理解がともなわずとも、言葉のマテリアリティによってコミュニケーションは可能だということが示されるわけだが、今回のデータでは、そのマテリアリティによって、かえって相手の理解がどこにあるのかが見えなくなってしまうこともあるということになる。

「ただ相手の言うとおりにできる」ということと、「理解してそれにしたがう」ということのあいだにある差を、われわれはどのようにして理解可能にしているのだろうか。おそらくそれは僕らの内部でおこっているひらめきとか、内的表象の組み替えの段階が一歩手前だとかそういうことではなく、<いまーここ>であらわになっているなにかであるということを探る意味でも、今回のデータは参考になるんじゃないかなと思いましたです。


2005年07月21日(木) ペットの死の語り方

先日のゼミは「ペットとの関係」班の発表。班員のインタビューのプロトコルを読みながら思ったのは、ペットの死の語り方が、人の死の語り方と似ているということだ。

こんなのことに驚くのは不適切だろうか?。動物と人間は違うという前提があるからこそ、ペットの死の語り方が、人間に対するそれと似てくることにおもしろさを感じるのかもしれない。僕はペットを飼ったことがないからか、ペットが亡くなるということを、これまでそれほど重く考えていなかったということが今更ながらに分かった。


2005年07月19日(火) 今日で

33歳になりました。むむ、えらいオッサンやな、数字だけみると。

鏡の前のこのお兄ちゃんとのギャップがどうもしっくりこないです。

30歳のとき、3年後の自分はどうなってるかと考えたことがありましたけども、別になんていうことなく生きておりますねw。

さて、誕生日なので家族がえらい御馳走つくってくれました。なんかお店にいってもなかなかないようなものでしたよ。うまうま。

そして、念願のBフレッツが今日、やっとこさで開通。帰宅してみるとわがマック君の性能がぐんぐんとあがってるじゃないの。いえ、別にマック君の性能があがったのではなくて、無線LANの性能があがったんですけどもね。いやいや、でも、こりゃすごいねえ。いままでのAirH"はなんだったのかという感じですね。



2005年07月18日(月) ナラティブデータ合宿(よいこと編)

7月16-17日の2日間、兵庫県の家島で科研主催の合宿。ナラティブデータ分析合宿と題して、質的研究、とりわけナラティブインタビューをあつかったそれのデータ分析過程を丹念にみることにこだわった合宿だった。

共同企画者の徳田さん、荒川さんの多大なる助けをかりて、無事に企画を成功させられたのではないかと思う。

学会では質的研究をよくみるし、わりあい好意的に受け入れておられる方も増えてきた。しかし、その一方で、質的研究はともすると「職人芸」といわれたり、「恣意的」といわれたりする。つまり、研究そのものに対する漠然とした認知はなされてきたものの、内実については半信半疑といった感じが強いように思う。

でも、よく比較されるいわゆる「数量的研究」もまた、そんなに簡単にやれるものでも、内実が理解できるわけでもないんじゃないかしら。学生が実習でやっているように、苦労して質問紙をつくり、あれこれ分析してみて、結果の出力を読むという過程をへて、ようやく「質問紙法」とはなんなのかということが内面化されていくものだと思っている。

煎じ詰めれば、数量的といわれる研究であれ、質的といわれる研究であれ、大事なことは変わらないように思う。それは、研究者が目的とすることが面白いのかを吟味すること、目的のためには現象をどのようにみるのが必要で、どのように切り取ったらいいのかを検討すること、あるいは、すでにある「このデータ」は、明らかにしたい問いにとって何なのかといったことを丁寧に省察する、ということにつきるのではないだろうか。

ただし、いわゆる「質的研究」というのは、研究過程が個人的になりやすく、他者がどのようにそれにからんでいいのかわからないということもおきやすいように思える。データの量も尋常ではないし、データにまつわるプライバシー(インタビューイ、研究者の双方にとって)というのもあるだろう。

それだけに相互に議論できる場づくりというのが大事になってくる。ひとりで抱え込んでいては、いつまでたってもひとりの研究者の問題はその人のもののままだ。つたなくても外にだした結果は、みなで共に考え、意見しあえる環境をつくるものになる。つまり、議論の流れとしては、研究者−フロアという2者関係のままではいけなくて、研究者−データ−フロアという三者関係になることが必要なのだが、それを質的研究はこれまであまり真剣に考えてこなかったということではないだろうか。それが(ひどい誤解に基づくものや、ためにする批判は別にして)「恣意的」「主観的」とか「職人芸的」といった批判にもつながっているように思える。

ポイントは研究過程をどうしたら公共化できるかということであり、どうしたら参加者が発表者の目的を共有しつつ、自らの身にひきつけてデータと向き合えるかということだ、と思う。

その意味では、今回の合宿では少しでもみんなで共有しつつやることができる場が用意できたのではないかと個人的には思っている。準備の過程では、発表者、企画者双方が、議論を実りあるものにするためにはどうしたらいいのか、どの程度のデータをどのような形でもちより、どのような問いをなげかければいいのかということをめぐってかなり議論されたように思うが、この議論がそのまま質的研究において何をどのように共有するかというフォーマットをつくる基礎になったのではないかと思う。発表中も、一次データに近いものがもつ迫力に後押しされて、非常に生成的で、自らの身にひきつけた分析過程の吟味ができたように思う。

もちろん、反省点もいっぱいあってこれが最も大事なのはわかっているのだが、それを考えるとへたってくるので、とりあえずいまは自画自賛しておくことにする(笑)。


2005年07月15日(金) 質問紙ゼミ

の最終回。各班でやってきた結果を発表し、後はレポートを残すのみ、といくはずだったのだが、今年はみな苦戦している。とても最終的な発表をやれるレベルではないので(といいつつやったのだが)、来週もやることになる。んで、今日は授業が終わった後、居残りで分析のしなおし。

学生に罪はない。すまんけど来週もう一回頑張ってやろうね、ということでよろしく。


2005年07月14日(木) 名前次第

今日で今学期の非常勤はとりあえず終了。いや、ここまで長かった。まだ3分の1しか勤務していないというのが信じられない内容の濃さである。さすが同じ現場に2年もいるとそうなるのか。いや、自分がタラタラ仕事しているからなのか。職場をでたのは7時であった。

帰ってみると玄関の前にヤモリが2匹。チョロチョロリンといるではないか。いやー、別に嫌ではないがあんまり気持ちのよいものではないね。なにしろ彼らは素早い。しかも玄関にできた少しのくぼみにもスルッと入ってしまったりして姿がみえなくなることがある。この自分の目がついていかなかったり、目に見えなくて「思わぬところにいるかもしれない」という気持ちが、彼らに対する恐怖心をあおるところである。

ところで最近、SMAP×SMAPで香取君が中居君のことをからかって「テロテアリーナ」というキャラクター(トカゲ?)を作った。マツケンサンバの歌詞を思い出すというクイズで、どうしても思い出せなかった中居君が「踊れセニョリータ♪」というところを「テロテアリーナ♪」とありえない歌詞を書いて会場中の失笑をかったのを香取君がうまくからかって作ったのがこのキャラクタ−だ。これは我が家でウケた。

で、それ以来、我が家ではヤモリのことをテロテアリーナと呼んでいる。「テロテいた。」「え、テロテ?。どこ?」といったようにテロテと呼ぶのがはやりである。

このように言うと、実際は気持ち悪いヤモリもなんとなく愛着がわいてくるから不思議である。名前の効果ははかりしれない。


2005年07月12日(火) 当事者、当事者いうけどさあ

昨日の書き込みについてよく考えてみると、それはナラティブについてしばしば言われていること。すなわち

「ナラティブにおいて真偽は問題ではなく、その当事者にとっての意味が問題にされる」
「正確性、客観性よりは、もっともらしさ(plausiblity)」

といった事柄が、そのまま当てはまるのだということに思いいたった。ということは、私は古い決着のついた話を蒸し返しただけかということになるのだろうか。

でもさ「当事者の視点にたって、そこからの意味をとらえる」って難しい。
いや、時間がかかるとかそういうことではなくて。

当事者の視点にたつといっても、まるっきり当事者になることはできない。よりましな方法で当事者になりかわらざるをえない。会話分析では、研究者が記述した社会的規範は、研究者のつくりごとではなく、まさに当事者たちがそのように使用し、参照しているものを記述しているのだという建前がある。がしかし、これもいわゆるデュルケイム的研究といわれるものに比べればという話であって、それそのものとしてそうだということではない。

例えば、コンマ何秒間におこるみぶりや、「あっ」というような言い間違い、ちょっとした言いよどみから、精緻な分析が試みられるという場合、そのほとんどが当事者たちにとって、少なくとも意識的(言語化されるという意味で)には把持されているとは思われない。だから研究者が「そう見える」といった時に、誰がそれを訂正できるんだろうかというのが疑問である。

わたしたちはしばしば、「○○という問いをたて、△△というように現象を見ることでメリットがある」、のならばそれでよいという態度をとりがちだ。けれども、それでいいんだろうか。それじゃあ声の大きい人が勝ってしまいそうだ。

かといって声の小さい人の言葉というのは、小さいだけあってみんなには通じにくいのだ。なんか感情的だとか、よくわからんとかいって声を失ってしまう人の視点からものを考えようとすれば、おそらくその結果への、多くの人の依拠可能性は低まるだろう。政策決定などに使えそうもない。


2005年07月11日(月) ナラティブ研

昨日は東京大学でナラティブ研究会。

普通、私たちがナラティブというと、素朴に普段の生活や、過去の記憶が反映されていると受けとりがちになるのだが、それを保障してくれる論理というのは実はないという話があった。

ナラティブは語られた瞬間に、即興で作られたものであり、聞き手や状況が違えば全く違うものになる可能性をもっているものとしてみたら、ナラティブの何が確かなのだろう。そこでは、その人が出来事をいかに語るかということが問題になる。

 精神分析とか、来談者中心療法とかはこのような仮説に基づいているといってよいのではないか、と思う。しばしば誤解されるが、心理療法は、<あの時、あそこで>おこった出来事を、<いまーここ>でカウンセラーに伝え、その内容にみあったアドバイスを処方されるというようなものではない。<あの時、あそこで>おこった出来事を語るという設定において、<いまーここ>でクライエントがセラピストともとうとする関係性が治療対象となる。だから、転移、逆転移とかが問題となる。

さて、そうだとすると、今度は、関係性をどのようにとらえるのかという問題がでてくる。治療関係ならばスーパーヴィジョンをうけるなりして、いまのこの関係性のとらえ方が「有効か」どうかが問題になる。正確かどうかはそれほど問題にならない。そして、別に治療という目的のためならばそれはそれでよい。

ところが、これが研究だという場合には、「有効か」どうかだけで判断していてよいものだろうか。僕らはそうだと思うのだが、それでも世間一般には研究というのは、なにか混沌とした世の中に白黒つけてくれるものとか、正確な診断をくだしてくれるものとして位置づけられている場合も多い。何を基準にその関係性をとらえ、その妥当性をいかに保障するのか、というのが結構難しい問題なのではないかなと思った。


2005年07月09日(土) ナラティブセラピストという生き方

昼から東京に来ている。知り合いとまちあわせがあって八重洲の中央口でぶらっと立っていたら、なんと大学院時代の同輩とであった。東京に住んでいるんだからあっても不思議ではないのだが、なんと奇遇な。それも、ものの10-15分のあいだだというのに。ちょうど、oazoの丸善でその人の翻訳した本を買ったところだったからなおさらだ。

金剛出版からでている『臨床心理学』は、森岡せんせの編集でナラティブ特集である。で、今日、ゆっくりと東京の本屋をぶらぶらしていたらそれをみつけたので立ち読みしてみる(購読してないんかいっ!)。その第2回目は高橋先生のナラティブセラピーについての小論であった。高橋先生は、ナラティブセラピストの条件をひとつ挙げるとすれば、それは自分がどのような意味でセラピストなのか考え続けるということにあるというようなことを書かれていた(と、思う)。これはハーレン・アンダーソンの以下の考え方を意識したものだろう。彼女は『会話、言語、そして可能性』のなかで次のようにいっている。

セラピーを人間関係としてみれば,家族やクライエントを構成するメンバーは誰でその人たちとどう関わっているかということと,セラピストとして私たちは誰でその人たちにどう関わっているかということと,同じ問題なのだ。セラピーは私たちの自己物語であって,クライエントが自分を定義し自分のアイデンティティを見つけるように,自分とはいったい誰でどのようなセラピストなのかという問いに応えてゆく物語なのだ。(邦訳 p34)

彼女が言いたいことは、つまり、セラピストというのは具体的な身体をもつ人間のことを指す言葉ではなくて、二者関係のあいだにできたクライエントーセラピストという関係性のなかで結果としてうまれるものだということになる。ひらたくいえば、こういうことだ。つまり、セラピストだから援助できるのではなくて、心理療法において援助的にふるまえているのがセラピストたりえるということだ。

しかし、これはなかなかにしんどい在り方だ。何が援助的であるのか、また、それを誰がどのような意味で「援助的」であるとみなしているのか(それは、もしかしたら治療者だけではないのか)というような疑問には答えがでそうにない。

そういうしんどさは、いままでは理論なり、経験によってつみかさねられた知見なりが肩代わりしてくれていたのだと思う。ナラティブセラピストはそういうしんどさに耐えていくというのが最も身に付けなければならないことなのかもしれない。


2005年07月08日(金) どうしてそんなに上手くやれたんですか?

カウンセリング論演習。解決志向的な栄養カウンセリングをやってもらった。

「リソース探し」「例外探し」「コンプリメント」「例外の責任追及」など、まず僕が書いた教科書の事例をもとに解説し、ついで糖尿病を突然発症した少年の栄養指導という設定でロールプレイをやってもらう。教室が暑かったこともあって、みんななかなか集中して話を聞きつづけるのは厳しかったのだが、それでもやっているときはこれまでになく面白い手法だということでのってやってくれたのがよかったかな。

いままでそんな面接やったことも見たこともないという人に、なかなか生き生きとしたロールプレイをやってもらうのは難しい。教員を対象にしたものならば、生徒指導場面などを簡単に呈示すれば、後は先生方が勝手にイメージをふくらませてやってくれるわけだが、学生の場合はなかなかそうはいかない。

ということで前回からロールプレイにはかなり作り込まれたスクリプトを用意するようにしている。このスクリプトがなかなか難しいのだが、作っていると面白い。どんどんリアルになるようにエピソードを付け加えたくなってくる。うまい事例集でもあるといいのだけれど、、、。齋藤先生らのNBMのワークブックはちと学生にやらせるには(医学生は別かもしれないけど)難しいかなという印象。

で、肝心の本番だが、残念ながら説明から実施までがやや駆け足だったこともあり、学生は十分にそのスクリプトを自分のものにしないうちにロールプレイをはじめることになってしまった。そのために上手く行かない例が散見された。もうちょっと議論の時間というか、打ち合わせの時間を設けた方がいいのだろうなと思う。学生のなかにはきちんとイメージをもっている子もいて、そういう子同士がやるとかなり面白い展開になっている。どこらへんが違っているのか。これは来年以降の課題であるね。


2005年07月07日(木) 本は買うだけが全てじゃない

滋賀県に来てから本屋をゆっくり見るということができなくなった。別に時間はあるし、研究費やら種々のファンドやら、私費とあわせれば本に費やせる金額はかなり増えているはずで、実際買っているのだが、本とゆっくりふれあえる場所がない。滋賀県には心理学の専門書やらを無駄に陳列しているような本屋さんはないからね。

名古屋にいたころは、採算度外視のマニアックな本屋があったし、名大の書籍部にいけば下手な本屋にいくよりもはるかに多くの本が手に入った。だから買わなくても2−3日に一度は本屋に顔をだして、ブラブラ見るのが好きだった。図書館もそうで、名大では教育学部の図書館にかなりマニアックな本もそろえてあったし、本館の図書館もあわせればほとんど欲しいものは手に入った。で、そういうところの書庫をブラブラしているのが好きだった。

滋賀県に来てみて、そういう本屋も図書館もないのでAmazonや国立国会図書館の検索を愛用するようになったのだが、どうも求めているものとは違う。

別になにも買わなくてもただ本を眺めていられる環境というのが、本を選ぶときには必要だと思う。論文でも同じだ。んで、amazonでもそういうニーズを感知してか、売れそうな本には序文だけ立ち読みできるものもある。が、たいていはそうではないし、目次もついていないものがある。

本を買うという目的だけ考えれば、amazonの方が重いものもって帰らなくてすむし、国内に出回っている本なら、書店で買って郵送してもらうより早いことすらある。でも、本との関係において買うこと以上に僕のなかで大切なのは、本がいっぱいある空間をブラブラすることなのである。


2005年07月06日(水) インタビューとか

会計するのは苦手だが役目上やらねばならぬ。朝から報告書つくっていたら昼過ぎになってしまったorz。

卒論生が昼からやってくる。二人ともインタビューを中心にしているのだが、一人は質問紙をやりたいということで計画中。もう一人は青年期のインタビューイを相手にしていることもあって、自分では聴きたいことがきけていないという印象。難しいが、早くわかりすぎず、丁寧に聴くということを強調する。


2005年07月05日(火) 3回生ゼミ発表+環琵琶

午後から、3回生のゼミ発表会。今年から、3回生は心理、社会、教育という3領域にわかれ、そのなかで好きなゼミにいくことになっている。もちろん分野を超えて複数のゼミに参加してもOK。

そのようなわけでうちのゼミにもボーダークロッサーが何人かいる。ただ、やっぱりいくつもかけもちというのは難しいから、どうしても他でどんなことをやっているのかはわかりにくい。

で、今日はみんなで進捗状況を報告しあい、互いの出来をみて刺激をもらい、励ましあおうという主旨の会であった。

うちの班はなんだかんだと学生諸君が自主的に考察を深めてくれるので、進捗状況からみればなんとか形になっていたのではないかと思う。

自閉症、ペットロス、ショッピングモールにおける消費者行動と盛りだくさん。インタビュー調査をやるグループもいれば、ボランティアサークルに入り込んで参与観察しつつ、インタビューをもくろむグループもいる。

研究の進捗状況からみれば、消費者行動班はどうしてもまだ漠然とした感があるのは否めないのだが、これはメンバーの能力とか、がんばりの多寡というよりも、フィールドの構造化のされかたの問題というのが大きい。研究者にとってわかりにくい情報は、その場にいる人々にとってもおうおうにして不可視であることが多い。おそらくショッピングモールにおける消費者の行動は、即興的で、ローカルな視点に基づいており、誰も鳥瞰図的な見えを手に入れてはいないのだろう。

ま、とにかくみなさまお疲れ様。

その後、環琵琶実習のまとめ。レポート課題について班で話し合ってもらう。銭湯班は積極的な子も、器用な子もいて面白い発表になったと思うが、銭湯の方にお返しするためにももうひとつ頑張ってよいレポート書いておくれ。


2005年07月03日(日) 忙しい日曜日

朝から草刈り。線路沿いの草をガシガシ刈る。1時間くらい。思ったよりも多くの人が来ていてびっくり。この地域の新参者は知り合いもないのでひとりもくもく作業。

午後から滋賀県の臨床心理士会の研修会。基礎をみつめなおすという意味で勉強になった。
ま、どんな学校も一長一短あるわけだが、うまくそこにジョインできるかどうかというのが重要だということだな、と。

昨日から圧力鍋をつかってブラジル料理であるフェジョアーダを作って食べる。その昔、奴隷たちがあまったくず肉と豆を煮てつくったのがこの料理のはじまりとされる。

作り方は簡単。キャリオキーニャという一種のひよこ豆を圧力鍋でにて、あとはニンニクに塩こしょうで味付けしつつドロドロになるまで煮込むのである。肉は、ほんとは豚の耳やら豚足やらいれるらしいのだが、そんなの売っていないのでかわりにブラジルのソーセージであるリングイッサをいれる。彦根にはブラジル人がたくさん出稼ぎにきていて、彼らのためにブラジル食材が売っているのを買ってきたのだ。

ブラジルにいったらどのレストランにいってもフェジョアーダの鍋がおいてある。日本で言うところのみそ汁のような位置づけらしい。僕はブラジルに学会でいった時に食べて以来、好きになったのでした。

しかし、豆だけに水をすってずっしりと重い。食っても食ってもまだある。まだあるまだある。



2005年07月02日(土) 演じる語り

NHK特集をみる。サイパン島の激戦で、当時の日本政府は民間人も軍人とともに「生きて虜囚の辱め」をうけることなく自決することを潔しとしたと伝えた。アメリカ兵に捕まる前にと、崖からとびおりる女性をうつした衝撃的なフィルムもある。しかし、実際には1万数千人の人々が捕虜となっているという。その生き残った人々が、どうして死なずに生き残ったのかについて語っている。

報道されている内容はともかくとして、この特集が単なる語りではなくて、語り手の身体も含めてとらえているところが印象に残った。ほとんどのインタビューイが、語りとともに何らかの身体動作をともなっている。

当時、父親が捕虜収容所でつくってくれたという楽器をいまも演奏する人。父親が自分に言い残した言葉、それもインタビューイ自身、私たちにわかるような言葉を話す人であるにもかかわらず、その場面だけはほとんど意味を理解できない沖縄の言葉で話す人。捕虜になろうと投降したことを語るとき、おもわず万歳と手をあげてしまう人。自決すると決めながらのどのかわきに耐えきれずに投降するときに自分はこういったのだと、"give me water"と(テレビの前の私たちが思ってもみなかった)英語を突然語る人。

特集の後半では、件の飛び降りて自決する様子がフィルムにおさめられた女性のことを、自分の母親に違いないと思う男性の語りが登場した。実際にサイパンに行き、アメリカ兵から隠れる様子を再現し、実際に母親と逃げてきたとされる場所にたつ。そのフィルムを映したとされるカメラマンの証言とは、しかし、その男性の語りは食い違うところがある。そのことを知らされて「それなら、違うとおもう」といいつつ、男性は<あれはお母さんだったと思いますか?>と聴かれて「そうだと思ってる」と答える。

いずれも、語りの内容がどれだけ当時の様子を正確に伝えたものかはわからないが、その語り手のなかでは、確かにその記憶が今も身体のなかで生きていて、再演されているように感じられるものだった。

「語りの真偽が問題ではなく、その人にとっての意味が重要だ」という言葉は、最近ナラティブばやりでとっても軽く使われているわけだが、この人たちのような語りのためにあると思う。語りは語られた瞬間言葉になるけれども、ひとつの行為に違いない。


2005年07月01日(金) カンビとクク

環琵琶湖文化論実習で近江八幡市の国民休暇村にとまる。わが銭湯班はよく頑張って発表していたのではないかしら。原稿もたいして作らずに臨んだわりには、アドリブがきいててよかったんではないか、と。

しかし最近は1年生でもパワーポイントとか使える子がいてすごいですなー(もちろん、その一方で「パワーポイント?。・・・・力点!!」などといってはケタケタ笑ってる子もいる)。

あとは報告書の原稿をちゃんと仕上げてだしてくれればそれでヨシ。

細馬さんは「二桁のかけ算の数え歌を考えたんですよ」という。例えば、「否、癒されろ」は(17×18=306)らしい。当然、その反対もあるわけで「嫌、いなされろ」になる。最後はトオクトオク、サムイ(19×19=361)という寂しい感じで終わるんですよとのこと。なるほど。いや、それを覚えてどうなるかわからないが、とりあえずなんかすごそうである。

僕は小さい頃に公文式をちょっとだけやっていたので、計算がやたら早くなった(と思う)。だから上記のような歌を覚えずとも、フタケタのかけ算ならば、ムリヤリ暗算できてしまう。まあ、これも、また、だからどうだってことの全くないものである。




INDEXpastwill
hideaki

My追加